暗い室内に、シンジとアスカが、二人きり。 「黒の壺。あれは機械人とあなた達が呼ぶ人族の城よ。国であり、都市であり、本拠地であり、砦であり、基地であり、中枢であり、そしてその根幹を成すもの」 「それがやってきたっていうのか……」 「その正体は……拘束具よ」 「拘束具……エヴァ?使徒の?」 「いいえ……コードゼロ……日本語でレイ」 「……え?」 「かつてあった世界、サードインパクト後に存在したという大陸の基地。そこに隔離されていたのは、かつて綾波レイ、あるいはリリスと呼ばれた存在の亡骸だったわ」  シンジの脳裏に、とある光景が蘇る。  自身の接触によって活動を再開した、あの……。 「オーストラリア……まさか……」 「人類は総力を持って、内向きのATフィールドを人工的に発生させて封じ込めた。その枷よ。そして棘の一本一本が機械となって永遠を生きることを承諾した人間よ。生身から解脱した、魂だけの存在。ATフィールドを発生させるだけのバッテリー」 「それが、機械人の正体……」 「ええ。あれが開放されたとき、フォースインパクトが発生するわ。ただ、そこに指向性をもたせたい愚か者たちは、ずっとサードチルドレンの再誕を待ち望んでいた」 「そんなこと、あるわけ……」 「あったじゃない」 「…………」 「人工的な方法は模索されたわ。でもサードチルドレンを人工的に作り出すことはできなかった。なにしろ、そのための材料がなかったから。なにもね。肉体も、魂さえも、記録されたデータはでたらめなものになっていて、そこから培養されたものはまるでサードチルドレンとは違うなにかだった。で、計画はあれが拘束を破ったときに対抗する処置へと移行した。……その一環として生まれたのがあたしよ」 「…………」 「でも結局、あたしはセカンドチルドレンにはなれなかったわ。姿は似ているらしいけど、それも口にされているだけ。口調は洗脳教育の結果。性格が似ているのかどうかもあたしにはわからない。ただ似ているらしいと知るだけ。どう? 可哀想なもんでしょ」 「笑えないよ……」 「笑いなさいよ……。あんた、あたしに生きろって言ったわね? こんなふうに嘆くために生まれたんじゃないだろうって。ねぇ、あんたが笑ってくれないのに、どうしてあたしが笑えるのよ」  部屋を出たところで、シンジは横向きに壁を殴った。 「ちくしょう」  背後に人が立つ。 「荒れているな」  肩越しにすさんだ目を向け、シンジは唸った。 「シグナム」  口を開けば、傷つけてしまうような言葉を吐いてしまう。  その危険性を認識して逡巡しているのだとわかり、シグナムは自分の側から用件を告げることにした。 「次はわたしが話す。いいな?」  もごもごと口の中で言葉を探っていたシンジは、告げるべきことだけ伝えた。 「アスカは了承してくれたよ」 「そうか」  だがそのこと以外でも話すことがあるのだと言葉を重ね、シグナムは押し切った。  シンジは勝手にしてくれと歩き出した。  去るシンジに、重傷だなとシグナムはため息をつく。  それから扉を見、部屋に入った。  室内に不自然な点は見られなかった。  情事の痕跡が見られなかったことに、予想以上にほっとしている自分を見つけて、シグナムは自分自身に呆れて苦笑する。 「あんた……シグナムだっけ?」  なにを笑っているのかといぶかしげに見られて、シグナムはごまかした。 「アスカ様が成長したら、こうなるという感じだなと思ったんだ」  アスカは首をひねった。 「アスカ様ねぇ」 「なんだ?」  あのねと告げる。 「あたしが怖くないのかと思ってさ。あいつ……サードチルドレンと同じように、生身でも強くて、あんたを人質にして逃げるかもしれないじゃないの」  シグナムは笑ってやり返してやった。 「シンジに呪いをかけられたんだろ?」  鼻にしわを寄せ、アスカは嫌悪感をあらわにする。 「呪い、ね……。生きろ、か。盗み聞きしてたってわけ? 悪趣味ね」 「聞き耳程度だ。肝心なところから先は覗かなかったから、許してくれ」  それからと付け加える。 「シンジだが、あまりからかわないでやってくれないか? あいつはもう限界だ」  でしょうねとアスカは答える。 「まるであたしを見てるみたいよ」 「お前が?」 「保護してやった連中も、最初はあんたたちがあいつを見ているような目であたしを見たもの」 「そういうことか」  ええと頷く。 「そういうことよ。化け物を見るような目で見るのよね。で、話しかけただけで悲鳴を上げておびえてくれる。あいつも今はそんなところでしょ」  シグナムはこの船に乗っている者たちの顔を思い浮かべた。 「あたしの場合は、それでもしばらくすれば連中は納得して、あたしが化け物なんかじゃないって理解してくれたけどね……」  ねぇっと尋ねる。 「わかってんの? あいつの力がどれほどのものなのかってことを」 「外の光景を見せられれば、嫌でもわかるが」  わかってないとアスカはたしなめた。 「あんなもの、流れ弾が当たったようなもんよ。本気のサードチルドレンと初号機は星を滅ぼす力を持ってるんだから」 「星……」  シグナムの脳裏に、闇の書で見た世界の真の姿が思い浮かんだ。 「この世界?」  世界という置き換えに、アスカはその方がわかりやすいかと、訂正するのをやめた。 「この世界をまるごと消し去れるのがサードチルドレンなの。ねぇ?」  意地悪に問いかける。 「そんなものと枕を並べて寝ることができる?」  答えに詰まるシグナムに、アスカは正直だと微笑した。 「ほんと、馬鹿よね。知ってた? あんたたちが神々の戦いって呼ばれてる神話の中でも、あいつは似たような目にあってるの。世界を救うために戦って、巻き添えに連中の遺族に責められて、それでも戦わなくてはならなくて」 「…………」 「その上、敵が来なくなったら、危険だからって理由で排除されそうになってる。ほんと、学習能力がないんじゃない? また同じことを繰り返してさ……同じことになるってわかってるからって」  アスカは、これではまるで、シンジに対して自分が同情してしまっているようだと思ったので、話を変えることにした。 「で、なんの用なの」 「あ、ああ」  シグナムもこのあからさまな話題転換に乗った。 「シンジが話したはずだ」 「ああ、闇の書ね……マザー以外に生き残ってるデータバンクがあったなんて驚きだけど、生体端末化されそうになってる人がいるっての、あんたのことなの?」 「いいや、わたしは防衛装置の方らしい」 「ふぅん……で?」 「話がついているのなら、さっそく見てもらいたい。ここにある」  アスカは純粋に驚いた。 「この船に? 移植したの?」 「ああ」  ついてきてくれと、シグナムはアスカを(いざな)った。  どこに向かっても、人影が消えていく。  逃げるようにだ。シンジの姿を認めると、おびえて、そそくさと姿を消すのだ。  だからシンジは、そうだよなと胸に巣くったうずきを笑った。  鈍痛に手先がしびれて、右手を思わずぎゅっぎゅっと握り込んでしまう。  ストレスに神経が弱って、末端にしびれが出ているのだとわかってはいるが、抑えようがない。  足は艦橋に向いていたが、シンジは行ってどうするんだよと思い直した。  アスカが了承してくれたと報告したところで、ハヤテたちは喜んでくれるだろうか? ありがとうと感謝をしてくれるだろうか? 「そんなわけないよな……」  人の気配がする。背後に淡い輝きが立つ。 「綾波……」  肩越しに見て、シンジはごめんと泣きそうになった。 「君は……違うのに」  そして、知ってしまった。  綾波レイが、すぐそこにいると。  光が散る。  そして別の人影……巫女姫が現れた。  艦橋。  人払いをしたわけではないのだが、ブリッジにはハヤテ、マナ、ミサトの三人だけとなっていた。  巫女姫はシンジの元へ、テッサは機関部へ赴いているためであった。他のスタッフは休息となっている。  ハヤテは艦長席に腰掛け、両手でマナにもらった水筒を持っていた。そのマナは側にある通信士の観測台にお尻を乗せ、ミサトは艦長席の真後ろにある出入りのための戸口の横に背を預けていた。 「シンジさん、どやろな?」  水筒をもてあまし、結局ハヤテは口をつけて間を持たせることにした。  甘い蜂蜜を薄めた飲み物が入っていた。  マナが言った。 「正直、今顔を合わせても、どういう顔をすれば良いんだかわかんないよね」  そやなぁと、ハヤテは体を預けている椅子の背もたれに背を伸ばした。  眼前に広がる光景。艦橋の高さから覗ける世界は、まさに死の世界となっていた。  ぶるりと震える。 「こういう真似ができるってだけで、しない、やらないと言われても、怖いもんは怖いもんなぁ」  実際、巻き添えだけで、数千もの死者が出ていた。  これはもう、機族との戦いが終わったとしても、シンジが彼女らの国に戻ることはできないだろう状況であった。国の側は恐怖故に責を問うことができず、だが明らかにシンジは責任を取るべき立場にある。  知らぬ顔をして付き合い続けることができない大きなしこりである。  ハヤテが言う。 「数だけを言うたら、これくらいの死人が出る戦には参加したことがあるけど、そやかて、今度のはちょっと違うもんなぁ」  そうねとマナ。 「正直、本陣が遅れてくれたのは幸いだったってところじゃない? ベルフィールド卿とかは撤退が間に合ったみたいだけど」 「さすが……」  これは呆れているのである。 「理力甲冑騎をなくしても、一番に先陣切って、そんで一番に逃げたか」 「シンジはどうするかな?」  どうもしないと口を挟んだのは、難しい顔をしていたミサトである。 「あいつ、最初から言ってたじゃない。深く関わるつもりはないって」  肩越しに振り返り、背もたれからひょっこりと顔を出すようにして、ミサトを睨む。 「責任逃れをするって言うんか?」  違うとミサト。 「深く関わり合うつもりはない。あたしたちと深く知り合うつもりはない。そう言ってたでしょっつってんの。これからも、この先もないんじゃない? この戦いで機族を倒して、それで終わりにするつもりだってことなんでしょ」 「終わりって?」 「消えるっちゅうんか?」  ミサトは彼女たちのこだわりこそおかしいと指摘した。 「あたしたちと暮らしていく意味なんてないでしょ? あいつには」  巫女姫のための部屋といっても、特別な装飾品があるわけではなく、アスカを監禁している部屋と似たようなものであった。違っているのはベッドがなく、床に毛織物の敷布が広げられていることだろう。ふたりはその上に座っていた。巫女姫は正座し、シンジはあぐらをかいている。  巫女姫が持ち込んだ、背に負う型の木箱があった。中身は茶の道具であったらしい。水で出した茶であるというのに、意外と香りがするものだなとシンジは感動した。 「すっとする……」 「落ち着きますか?」 「そうだね、ありがとう」  口先ばかりのものだとわかる感謝の言葉に、巫女姫は悲しそうにする。 「ごめん」  だからシンジは謝った。 「余裕がないんだ。だからもう、僕の側には近づかない方が良い」 「悲しいことを」 「気づかう余裕がないんだよ。どこで人を傷つけるかわからないんだ」  気をつかわせないで欲しいと願う。 「君も見ただろ? 僕を、初号機を」  じっと見つめる。 「みんなが言ってる通りだよ。エヴァンゲリオンも僕も、神さまなんてものじゃないし、英雄とかでもない。ただの人殺しと、人殺しの道具だよ」  世界を救うためにつかわれることと、人を助けるためにつかわれることとは違うと説明する。 「世界ってのは社会だよ。社会は人が生き残っていればいいんだ。必要な数だけ守れればいい。そんな戦いをしていた人間のことを、伝説の勇者って呼べるのかな?」 「そう我が身を傷つけることはありませんでしょう? わかっていたはずなのですから、わたしたちは。神というものを。神々の戦いというものを」  本当であれば、巫女姫は体を乗り出し、シンジの手に手を重ねたかったのだろう。だがシンジの雰囲気がそれをさせない。 「世紀末、終焉を描いたものはいくつもあるのです。ですが真に思い描く想像力が足りていなかった。そのことは確かでしょう」  皮肉かいと、わざと馬鹿にした発言の仕方をする。 「当てにするべきじゃなかったって? 後悔するには遅いよ」  巫女姫は真っ正面から受けた。 「そうでありましょう」  ならばとシンジは続ける。 「そう思ってくれるのなら、僕を置いて帰って欲しい」  今度こそ巫女姫は動いた。  身を乗り出す。あぐらをかいている足に手を乗せ、ぬくもりを伝えようとする。 「お見捨てになるのですか? わたしたちを」  のぞき込む瞳に、シンジは目をそらした。 「僕だけで行くって言ってるんだよ」 「力となれませんか?」 「わかってるだろ? 君たちが側にいると、思い切り力をふるえない」  それは嘘だと巫女姫は責める。 「シンジ様は見られたくないのではありませんか? あの姿を。もう今以上に嫌われたくはないから」  シンジは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。  思わず巫女姫を見、巫女姫が逆におびえて身を引いてしまうほどに驚愕した。  そして自覚し、ああ、そうだねと絶望し、うなだれたのである。 「僕はまだ……良い格好をしようとしてたのか」 「シンジ様?」 「その通りだよ、その通りだ」  前髪に手を差し込み、ぐしゃりとつぶす。 「みんなが足手まといだなんて嘘だ。もうこれ以上、人に避けられるのが嫌なだけなんだ」  巫女姫はひざ立ちになり、体を丸めるシンジの背に手を当てた。  そして彼の頭を胸へと抱き込んだ。 「お忘れですか? わたしはあなたに仕える巫女であります」 「違うよ。君が仕えるのは綾波さ。僕じゃない」  シンジは弱々しく腕を上げた。巫女姫の細い腕に手を添える。 「あなたはチルドレンです。それも、本物の」 「だったら」  そして体を押し離す。 「カヲル君……西方王はどうなるんだよ」 「西方王?」  なにを言っているのかという顔をする巫女姫に、真実を告げる。 「西方王。彼は僕と同じチルドレンだ。最後は僕が殺した、使徒だった人。でもまだ生きてる。カヲル君は使徒だけど、五番目の、本物のチルドレンなんだよ」  僕はなにをやっているんだろうと、シンジは今度こそ甲板に出た。  舳先まで歩く。隣に初号機の頭がある。  横目に見ると、初号機の目がぐるりと動き、シンジと目を合わせた。  苦笑する。  巫女姫には残酷だったかも知れない。  だが彼女が巫女であり、カヲルが王であるのなら、仕えるべき相手は立場も定かではない自分ではないと思えるのだ。 「どうして、こんなことをすることになってるのかわからなかった。でも行き着く果ては同じか」 「どういう意味だ?」  シグナムである。  シンジは彼女が隣に並ぶのを待って話した。 「人の敵は人だってことだよ」  なるほどと納得する。 「最後は人の手によって殺されることになる。そう思ってるというわけだ」 「違うの? 機族を倒したとしても、その後の僕はどうすればいいのさ。どこにも行く場所なんてないのに」  わたしがいるとシグナムは口にする。 「約束したろう」 「一緒に? 地獄にも行ってくれるって言うの?」 「それは」 「行き場なんてないさ……どこにもね」  語尾に震えなどがあれば、シグナムにも言い返すだけの余地があったかもしれない。  だが淡々と話す様に、シンジは悟りきっているのだとわかってしまった。  彼ほどの力だ。人は求めるか、恐れるか、その二択を取る。  どちらにしても平穏はない。 「ここに来る前も同じだった。結局最後は人に殺されそうになったんだ。それでたくさん人を殺した。殺すことになって、殺して回ったよ」  本当にそこまで人を殺したのか、シグナムにはわからない。  だから適当な相づち以外はうてなかった。 「そうか」 「そうさ」  ふと気になって問いかける。 「手放したいのか? その力を」  いいやとシンジは否定する。 「そうは思わないよ。今はそう思う」  シグナムは首をかしげた。 「昔は違ったわけだな。で、今はどうしてそう思うんだ?」 「必要だからさ」  シグナムは思わず目を閉じそうになってしまった。  目頭が熱くなったからだ。  助ける、守る。そのためにそれ以上の怨嗟を受けることになる力。  人に好かれるために振るえば振るうほどに恐れられ、人から恐れられ、離れられてしまう力。  けれども、多くを守り、助けられる力でもある。  自分のためではなく、他人のための……シンジは自分がどう思われ、どうなろうとも、振るいたいという。  人のために。誰かのために。 「それでも使うのか? その力を」 「そうさ」  決意を形にするため、口に出す。 「僕のことなんて、君たちのことに比べたら、些細な問題だよ。そうだろう?」 「違うだろう。お前は自分のような人間でも好いてくれるような人たちを悲しませたくないだけだ」 「それこそ違うよ。自己満足なんだ。君たちを救えたらそれで良いって……いや、ごめん、違う。僕、またかっこつけようとしてる。嫌われないようにしようとしてる……」  そう言ったきり、シンジは黙り込んでしまった。  重傷どころではないとシグナムは感じた。  なにを言っても、自己弁護になってしまうと、自分に絶望しているとわかったからだ。 「お前がそう悩むことじゃない。恩人を信じ切れないわたしたちが悪いんだ」  シンジ、と、強く重ねる。 「いまアスカ……か、彼女に闇の書を見てもらっている」 「……ここに持ってきたの?」 「ああ。苦労したが、土台ごと根こそぎ船の中心に移植した……ということらしい。よくわからないがな」 「アスカはなんて?」 「どうにかなるそうだ。そうなれば、わたしは自由に動ける。お前と南へ行くこともできる」  シンジは驚いた。 「シグナム」 「言ったはずだ。わたしはお前と共に()ってやると」  先ほどの答えだと、シンジの頬に手を当てる。 「行ってやろう、共に、地獄にも」  船にやってきたコウゾウは、王都の様子を慎重に伝えた。 「大混乱だよ。他国がいま侵略を行えば、抗う方法はない。理力甲冑騎を丸ごと失っているからな。酷いもんだ」  だがと口にする。 「確かにこの光景を目の当たりにすれば、サードチルドレンを擁する我が国に手出しをしようと考える輩はおらんだろう……見ればの話だが」  それは言外に、他国がこの戦いに対して傍観の姿勢を取りつつあるということを示唆していた。  ついでにと告げる。 「アスカ様だが、シンジの働きがアスカ様の身を守ることに繋がったよ。アスカ様に対して騎士の制約を立てていることが効いたんだな」  アスカだけが手綱を取ることができる。と認識されているという話である。 「そういうわけでだ」  アスカ様を連れてきたと、コウゾウは弁解した。  地上に降りて、アスカはぽかーんと大口を開けて初号機を見上げていた。 「大きすぎ……」  こんなのを動かしたの? 問われて、シンジはそうだよと笑った。  下から見上げると、初号機は顔が見えない。腰を落とすような状態で座らせていてさえ、背がありすぎるためである。  アスカはむーっと目を細め、思わずかかとを浮かせている。シンジはそんなアスカを見下ろし、くすりと笑う。  そんなふたりを少し離れて、もうひとりのアスカとシグナムが眺めていた。 「なんだかなれなれしくない?」 「おもしろくないか?」  まあねとアスカは正直に答えた。 「あんたもじゃないの?」  探るような視線を送る。 「嫌われないようにとか、避けられたりしないようにってされてんのに、あの子には、さ」 「まあ、そうだな」  虜囚であるはずの少女を、監視をつけているとはいえ自由にさせていることに、問題を感じている人間は少なからずいた。  だがコウゾウはその点について、特に口出ししなかった。 「機族の少女か」  メインクルーがそろうと艦橋も手狭になる。  リョウジが尋ねる。 「どうするんですか?」 「恭順するというのであれば、それなりの待遇でもてなすだけだ」 「殺しはしないと?」 「罪は償わせるが、それが政治であり戦争だろう? そもそも俺は彼女をどうこうできる立場にはないよ」  一応はただの学者であると強調する。 「シンジと違って、魔法が使えるわけではないんだろう? その子は」  そうですとハヤテが答える。 「体術はつかえるようですけど、それかて、まあ普通よりはって程度です」 「で、闇の書はどうなったんだ?」 「リンクは切断したとか……よくわからないのですが」 「君への影響は?」 「もう無害ではあると。ただ、回線は繋いだままにしてもらってます。今の状況やと、まだ必要になるかもしれませんから」 「懸命だな。では必要な情報を引き出せるんだな?」 「古い物らしいですけど」 「わたしのような学者にとっては、なによりの宝だよ。これで君は、職を失うことになったとしても、身の振り方には困るまい?」 「そうですね。ただ、古い言葉ですから、翻訳してくれる人が必要です」 「というわけで、彼女を雇うしかないわけだな」 「そうなります」  アスカの問題はこれで終わりだと、コウゾウとハヤテはうなずき合った上で、一同にも目で了解を促した。 「あとは、機族の問題だけです」  小さなアスカは大きなアスカを見上げて、なるほどと納得していた。 「機族のあたし?」 「そうよ、人族のあたし」 「あたしが大きくなると、あなたになるの?」 「ならないんじゃない? あんた、幸せそうだしね。幸せなら、あたしみたいになるわけないわ」 「不幸なの?」 「幸せじゃないってだけよ。不幸ってわけじゃないわ」  ふぅんと、小さなアスカは物怖じせずに質問を重ねる。 「シンジが好き?」  ぶっと吹いたのはシンジである。 「なにを!」  まあまあと、シグナムが押さえる。  大きなアスカはちらりとシンジを見てから、そうね、好きよと告げた。 「抱かれたいとは思わないけどね」 「どうして?」 「怖い顔をして睨んでる人たちが多いからよ」  なるほどと小さなアスカは納得した。 「そっか、シグナムは?」  思わぬ飛び火にシグナムが焦る。 「わ、わたしは別に、そういった独占欲は……」 「ふ……ん?」  そういう自分はどうなんだと、大きなアスカは尋ねる。  小さなアスカはさらりと言った。 「がむしゃらなシンジは好きだけど、今のシンジだといらないかな」 「だってさ」  口調は笑っているが、目は真剣であった。 「あんた、死ぬ気でしょ? 気付かれてるじゃない」  さっと緊張が走る。 「初号機の力は凄いけど、大きな力ほど軽々しくは振るえない。エヴァの力を引き出すためには、より深いシンクロが必要になる。そして深いシンクロ状態は、脳に多大な負荷をかけるわ。神経が持たない、脳が焼き切れるわよ?」 「でも、機族の狙いは僕なら、僕が行くしかないだろう?」 「正面からなぎ払って? たどり着く前に、あんたの限界が来るだけよ」  あのなとシグナムが口を挟む。 「答えになってない。わたしたちは露払いとしてもあてにはならないのか? まずたどり着かなければならないのなら、わたしたちが」  これは大きなアスカが一笑に付した。 「あんたたちが一体倒す間に、機族は十体を作り出せるのよ? 数で押されて圧倒されるだけのことよ」 「だったら、この世界は機族で埋め尽くされていないとおかしいんじゃないか?」 「機族の目的は人類の保護と世界の維持。自分たちが増えすぎれば世界のバランスがおかしくなる。そういうことよ。一定数以上に増えないのは、バランスを保つために制限をかけているから。ま、サードチルドレンとエヴァンゲリオン初号機の参入で、そのバランスをどう取り直してるかは考えたくないわね」 「そのために一端引いた?」 「今頃なにをやってるのやら」 「しかし、この船はこちら側で作られたものだが、通じたわけだ」 「だからって、こんなものを今から幾つも作れるの? 一日二日で?」 「どうにかできないのか?」 「デバイス」 「なに?」 「闇の書の中にファイリングされてたもので、あなたたちの力を増幅する機能を持った武器のことよ。あんたが持ってる剣はその劣化品ね。そのオリジナルがあれば……」 「だがそう都合良く見つかるまい? ……いや、待て」  どうするとアスカは意地悪くシンジへと問いかけた。 「当てがあるみたいよ?」 「……なにが楽しいんだよ」 「楽しいに決まってるでしょ」 「だろうね」 「いまごろ会議室じゃ答えのでない問題に悩んでるんでしょ? ちょうどいいから、全員闇の書の部屋に集めてもらいましょ」 「なにをする気だよ」 「現実を見せてあげるのよ」  闇の書の異様に驚く一同。  なによりも、初めて見る機族の国の異様に呑まれる。 「どうするの?」 「やることは変わらないよ」 「無茶だ」 「承知の上さ」 「死ぬことになるぞ」 「どうしてそう止めようとするんだよ」 「どうして……って」 「僕が死んだところで、君たちになんの害があるっていうんだよ。機族は僕を押さえようとしてる。その僕が死ねばこのばかげた侵攻は止まるんだ。僕が現れるまでに戻るだけだよ。君たちの中から生まれる誰かを、アスカを、また元通りに、守って行くことにするはずだ」 「悲観的すぎるぞ」 「うまくいけばお慰みってやつだよ。失敗したところで、君たちが失う物はなにもないんだ」 「本気で言ってるのか」 「じゃあ言い換えるよ。僕が戦わなければ、僕だけが助かることになるんだ。機族は人間を皆殺しにして、僕だけを標本として捉えて生かす。そうしろっていうのかよ?」 「それは論旨のすり替えでしょう? だから行くっていうんですか。自分だけ生き残るより、自分だけ死ぬ方が良いから」 「それがサードチルドレンなんだろう? 君たちの知る、英雄の姿だ」  シンジが居なくなっても、みなは動けずにいた。  ハヤテがこぼす。 「シンジさんは、やっぱりわたしたちを別の人間やと思ってるんやなぁ」 「そう単純でもないでしょう。でも、義理や人情を知らない人ではありませんよ」 「そやなぁ……あたしらのことなんか、ほんまは放っておいてもよかったんやからなぁ」 「同感です。彼がこの世界に来たのは偶然であって、命を張る必要のあるのもなんて、なにもない。そして機族のもとに、元の世界に帰れるあてがあるわけでもない」 「自分だけが嫌な思いをするより、自分だけが貧乏くじを引いた方がええ、か……どうなんや、その考え方は?」 「しかし、それも本心ではないでしょう」 「なんでや?」 「動機が、アスカ姫にあるからですよ」 「姫様に?」 「はい。彼が姫様の盾となると決めたとき、ことがここまで大きくなるとは想像することは不可能でした。ですがこうなってしまっても、シンジは姫様を救うつもりです」 「情が移ったってわけか?」 「冷たい人間ではないのですよ」  ふぅっと体を伸ばし、ハヤテはつぶやいた。 「なんや、くやしいなぁ」 「そうですか?」 「そや。結局、なんとかしたるから、まっとけって話やろ? でも、シンジさんだけ危ない目に遭わせて、それでええってことはないんやないか?」 「シンジ」 「ミサト……珍しいね。話しかけてくるなんて」 「あんた、どこまでこの国のためにやるつもりなの?」 「そんなの決まってる。なにもするつもりはないよ」 「じゃあ、なんであんなものまで呼び出したのよ」 「目の前で死なれるのは厭なんだよ……何度も、何度も……。僕はなにも出来なかった。いや、しなかったんだ。間に合わなかった。手遅れになってから後悔してた。だから」 「それが動機なの?」 「そういうことだよ。それに、今回のことは僕に原因がある、なら、やる」 「ずいぶん言うことが変わったのね」 「そうかな? そうかもしれないな……理由はどうあれ、好きになっちゃったからね」 「誰を?」 「みんなをさ」 「そのみんなは、あんたを嫌ってる……怖がってる。わかってんでしょ?」 「それでもまだ、必要とされてる内はね、利用されてあげるよ」 「期待してるわけじゃない。他に頼れないだけって、わかってて?」 「そうだろうけど」 「だったら」 「便利な人間なんて、道具と同じだよ」 「急に、なによ」 「使える内はもてはやされて、どこまでも便利に使われて、応えきれないと悪態をつかれて放り出される。そういうもんだろ?」 「あんた、捨てられたくないから戦うっての? ……違うか、あんた、あたしたちと生きていくつもりなんてないものね」 「まあね。言ったろ? 好きになったからだって」 「あとは疎まれていくだけだってわかってるのに?」 「みんなが嫌な人間になってしまう前に、自分から消えるさ。思い出は美しい方が良い。だろ? なにも思い出したくないようなものになるまで待つことはないさ。だからいまだけ、力を貸すことを許して欲しい」 「貸すにしたって、度を超してると思うけど?」 「どこまでやるかは、僕の勝手だ」 「死ぬかも知れないのに?」 「死ぬ気はないって言ってるだろ? 確かに、どうしても生き残って、しなければならないことがあるわけじゃないけどさ……」 「帰りたいとは思わないの? 元の世界に、時間に」  ふっとシンジははかなく笑う。 「それこそ今更だよ。元いた場所に戻ったところで、もうなにもかもが手遅れなんだ……いまさら間に合うことなんて、取り返しの付くことなんてなにもない」 「…………」 「だったら、今目の前で苦しんでる、大好きな人たちのためになにかを、出来るだけのことをしてあげようと思う。それがいま僕が一番やりたいことだから」 「お人好しね」 「違うよ。臆病なだけだ。なにもできない、だからなにもしなかったなんていういいわけを、もう二度とは繰り返さないって誓ったんだ、自分に。その誓いだけは守りたいんだ。それだけのことなんだよ」  すっかり会議室として定着してしまった闇の書の部屋に、シンジは主要なメンバーによって呼び出され、作戦を説明された。  コウゾウがその案に驚きを示した。 「直上からの強襲攻撃だと?」 「ほかに良い手は思いつきませんでした」  説明するのはテッサである。  闇の書が空中に地球の立体映像を浮かび上がらせる。  そして現地点から、機族の支配する大陸以南の土地へと、矢印が地から衛星軌道へ、そしてまた地上へと伸びる。  それがテッサの計算した侵攻ルートであった。 「空より高く上がるというのか。しかし、どうやって」 「ダナンを使います。弾道軌道……雲のさらに上まであがって、そこから一気に突撃します」 「君ができるというのならできるのだろうが、その後は」  テッサはちらりとアスカに目をやった。 「彼女のおかげで、狙いどころがわかりましたから」 「量子コンピューター、ものを考える機械が皇帝か……話はわかったが」  アスカが口を挟む。 「それを叩くだけで、終わるとは思わないでよね」 「どういうことだ?」 「王様が死んだからって、国民まで死ぬ訳じゃないでしょ? 勝手バラバラに動き出す……」 「そういうことか」  ですからと、テッサは頼んだ。 「みなさんには、後のことを頼みます」 「そやけど、やっぱり無茶や。ダナンならいうたかて、ダナンは誰が操るんや?」  自然と姫巫女に目が集まる。  もちろんそうだとテッサは肯定する。 「今のダナンを制御してるのは御座船です。巫女姫の力がなければ、ダナンとの融合は溶けてしまいますから……」 「操船は?」 「わたしが」  冗談じゃないとシンジが喚く。 「なに勝手に話を進めてるんだよ! 無事に戻ってこれる保証なんてないんだぞ!」  冷たい視線で、テッサはシンジを黙らせる。 「原因がどうであれ、もう、この戦いは、わたしたちの戦いなんです。守ってやる、救ってやるから、黙って見てろだなんて傲慢なこと、口にしないでください」  エントリープラグに乗り込むと、どこからか通信が繋がった。  ウィンドウを開くと、機族のアスカが映し出された。 「アスカ? どうやって……」 「あたしが乗ってたエントリープラグよ。そっちの旧式と違って、こっちのには単体で救難ポッドとして機能するだけの性能があるから」 「なるほどね……で、なにさ?」  アスカは真剣に問いかけた。 「エヴァは一機じゃない」  その意味するところは明らかだった。 「ダミープラグだね」 「ATフィールドを中和されたら、どれだけの機族に囲まれることになると思ってるの?」 「わかってるさ」 「死ぬわよ?」 「死ぬ前には終わらせるさ」 「死なないとはいわないのね」 「エヴァが無敵じゃないってことくらい、わかってる」 「じゃあ、どうする気よ」 「方法は、君が教えてくれた」  自爆。  アスカは息を呑んだ。彼女が助かったのは偶然でしかない。  シンクロしなければ起動しないのがエヴァンゲリオンである。自爆もまた同じだ。シンクロしている状態でなければならない。  つまりは搭乗者は離れられない、脱出できないのだ。  アスカが助かったのは、シンジが強引な真似をしたからである。だが、シンジがこれから行う自爆には、彼を救い出す存在はない。 「でも、ほかに良い手って、ないだろ?」  清々しく笑って口にするシンジに、アスカは呆れかえるしかなかった。 「ばかよ、あんたって」 「うん」  はぁっとため息をこぼして、アスカは伝えた。 「詳しい位置と、だいたいのことについては、弐号機のエントリープラグのコンピューターからデータを抜き出せるはずよ。これから転送しておくから、目を通しておいて」 「ありがとう」  シンジは心からの笑顔で感謝した。  そしてアスカは、ほんとに馬鹿よと、吐き捨てた。 「発進!」  テッサの声に、ダナンが浮上する。  腹の底に付いていた土が、ばらばらと降る。だがかまいもせずに残された者たちは、空を見上げ、ダナンを見送った。 「これが、宇宙……」 「そしてわたしたちの星か」  映像では知っていたも、直に見るのでは印象が違う。  闇の中に青く輝く星。淡く、燐光が境界線を曖昧にしている。  しかし衛星軌道まで上るわけではない。すぐにまた降下する予定であった、だが、あれはなんだと、誰かがいぶかしげに口にした。  大気層とのあいまいな霞の中に、おぼろげな影がある。ダナンには遠方のものを映し出す機能はない。そのため、ハヤテが魔法で影の正体を探ろうとした。 「くらげ?」 「だめだ!」  クラゲのようなものが重力に引かれることもなく漂っている。  シンジが叫ぶのと同時に、クラゲの触手が二本切り離された。  地球の自転の速度も利用しているのか、触手は円錐の槍となって流れ、シンジの注意もむなしく、ダナンを直撃した。  激震に揺れる。 「どうなった!」  シグナムが一番に身を起こし、確認する。  ダナンの船首に飛来したものが突き立っていた。 「あれは!」  アスカが窓に張り付き、顔を引きつらせる。 「バグをっ、あんなものまで!」  槍の表面が鱗状にめくれ、影から丸いものをはき出している。  穂先は船内にめり込んでいる。ダナンの中にも侵入されていた。 「報告を!」  テッサの声に、ハヤテが悲鳴を上げる。 「あかん! 通じひん! やられたみたいや!」  アスカの肩をつかんで、シグナムが喚いた。 「答えろ! バグとはなんだ!」 「人類殲滅用の自動兵器よ!」  ばしっと、その手を払いのける。 「機族のような知能を持ってない、それ以前の機械! 生きてるものを見つけて、殺す。ただそれだけのものよ!」  はっと、アスカはなにかに気付いた。 「隔壁があるなら閉じて! やつらは自爆機能を持ってる。機関部に入り込まれたら!」 「これも運命だな」  つぶやいたのはシンジだった。 「生きてる人たちを御座船に集めて」  どうする気だと問うシグナムを無視して、シンジはテッサに告げた。 「ダナンは諦めてくれ」 「シンジさん……」 「みんなは御座船で脱出を。僕はこのまま、ダナンと一緒に落ちるよ」 「だめだ! 一人で行く気か!?」 「御座船で付いてくる気? 撃ち落とされて終わりだよ。御座船に武器はないだろ?」 「しかし……」 「時間がない。急いで」  最低限の人員を残して、地上にスタッフを置いてきたのが幸いしていた。  犠牲は少なく、御座船への退却もスムーズに運んだ。  御座船が切り放され、無重力の中を漂い出す。  ダナンを取り巻いていたバグが、機雷としての機能を発揮し、御座船に接触し、爆発する。  しかし御座船に被害はなかった。魔法使い達が協力してバリアを展開していたからである。 「バグは障害に接触すると、爆発して取り除こうとするわ。そして後続に任せるの、だから」 「結界を展開している限りは安全と言うことか」  アスカの知識は有用であった。ここに至っては信じるほかなく、誰もアスカの発言を疑いはしなかった。  ゆっくりとダナンとの速度がずれていく。ダナンが先行し、御座船が遅れていく。 「エヴァが……」 「シンジ」  ダナンの上にエヴァンゲリオンが立つ。  シンジはエントリープラグの中で、うつむいていた顔を上げた。 「ダナンの船首砲、使えるかい?」 《Only one, possible to shoot it.》 「一回で十分だよ……」  左膝を落とし、初号機は手のひらをダナンの頭に置いた。  ずぶりと右手がめり込み、ダナンの表皮に血管が浮き上がり、葉脈のように広がっていく。  ダナンの全身が抵抗するように痙攣を起こしたが、彼の意志に反して口が開かれていく。  そして生命力がそこへと集中を始めた。  漂っているだけだったバグがダナンの口腔へと殺到し、自爆する。口内より溢れた爆煙が口の端より後方へと流れる。 「いっけぇ!」  シンジの雄叫びとシンクロし、ダナンの咆吼が放たれた。  真空を突き進み、機族の機動要塞を直撃する。  表皮を剥がされるように、要塞は崩壊し、吹き飛ばされた。  そこへ、さらにダナン本体が突撃する。 「うわぁあああああ!」  シンジも共に衝突した。 「シンジ!」  見ていた者たちが同時に身を案じた、が、それどころではなくなった。 「地上からなにか上がってくる!」 「高空迎撃隊!」  アスカが顔をゆがめる。  地表を背景に、かつてアスカがシンジを襲うために母艦としたものが四機、浮かんでいた。  その翼から各四機、合計十六機のスモールが切り放され、雁のように編隊を組んだ。  そして一気に上昇を開始する。 「狙いはこっち!」 「シグナム行くで!」 「はい!」  ちょっととアスカは焦った。 「どうするつもりよ!」 「じっとしていたところでやられるだけだ!」 「真空をなんだと思ってんの!」  ふわっと、スモール編隊の動きが乱れた。  内一機が突然爆発する。  スモール隊は御座船を無視し、さらに高い軌道へと上がった。 「なに!?」  追いかけて行くものがあった。人型の機械。その中に一体だけ、彼女たちも知っている人形の姿があった。 「あれは、西方王の!」  ゲンドウの操る小型エヴァであった。  スモールに追いすがり、両手でつかみかかる。  翼をつかみ、背に脚を当て、力を込めて折り取った。  離れ際に腰に装備していたナイフを投擲し、とどめを刺す。 「念話です」  静かに巫女姫が告げる。  正面に巫女姫の念が、捉えたものを現像する。  カヲルであった。 「やあ」 「西方王」 「遅ればせながら参上だよ」 「シンジ様は……」 「まだ無事だよ」 「なぜわかるのですか?」 「特攻したんだろ? あの落ちていく残骸だけど、軌道を修正してる。シンジ君がやってるんだろうね」 「どういうことですか?」 「機族の王都へ落ちようとして、もがいてるってことさ」  大気摩擦が機動要塞とダナンを焼く。  その影に隠れて、初号機は大気圏突入を図っていた。 「僕は彼を追いかけるけど、君たちはどうするんだい?」  皮肉を貼り付けた顔に、真っ先に反応したのはアスカ姫だった。 「追うよ」  皆がぎょっとする。  姫は置いてきたはずなのだ、なのにどうしてここにいるのかと。 「追いかけるよ」 「あとは彼が片付けてくれるのに、ですか?」  うんと、姫ははっきりと頷いた。 「そういうことは、もう問題じゃないの」  姫はテッサとシグナム、それにアスカを見た。  そして再び、カヲルへと目をやる。 「一つ、難しい言葉を覚えたの」 「それは?」 「歯がゆい、って言葉」  カヲルは一瞬ぽかんとし、それから大きく吹き出した。 「くっ、はは! そう……かい?」 「うん。黙ってみているなんて、我慢できないから」 「良いね、君は」  とても優しい目をしてアスカを見る。 「単純で良いよ、シンプルで良い。そうだね、僕はそれをわがままだとは思わないよ」 「後方から大型の物体が接近。でかいで……」  御座船の左右と背後に、取り囲むようにして大型艦が現れた。  それはどこかダナンに似ている船だった。 「西方の……船」 「こんなものを建造していたなんて」 「建造したものじゃなく、これも神像さ」  カヲルは簡単に種を明かした。 「大昔の世界では、こんなものも空を飛んでいたんだよ」  回転式の砲塔がレーザーを連続照射し、バグを一掃する。  その間にも神像とスモールとの戦いは続き、そして決着も着いていた。 「逃がさないよ」  カヲルの言葉に続いて、艦の底部から切り放されたものが、火を噴いて飛び出した。  ロケットにずんぐりとした人形が取り付けられていた。それは有人誘導型のミサイルだった。  ロケットは逃げようと散るコースを取った巨人機に追いすがると、多弾頭型のミサイルを放出した。  さらに高出力ビームを撃ち、一機を寸断する。  人形はロケットから分離すると、ロケット自体は巨人機へと向かわせた。後部から衝突された巨人機が無惨に爆散する。  残る一機に人形は追いすがった。上半身は首のない人形であるが、下半身は小型のブースターでロケット状に改造されている。  三本のかぎ爪の付いた手を前に向け、バルカンを照射。だが巨人機を落とすには口径が足りなかった。  そこで対空放火の中を突っ切り、巨人機の背をかすめるように抜けて前に出る。そして後方、巨人機のコクピットへ、バルカンを集中発射した。 「これで全機撃墜だね」  カヲルはくつくつと笑った。 「ゼーゴックはそのまま本国へ帰投。モビルスーツ小隊は各艦へ。モビルスーツ収容の後に艦隊は大気圏突入コースに入る。ああ、それと、そちらにプレゼントがある。受け取って欲しいな」  大気圏を突破したところで、要塞の残骸は空中分解を起こした。  ダナンももはや重力に抗うだけの力を持たず、大気に揉まれて墜落していく。  その塊から初号機が離れた。  両手両足を広げて降下する。 「あれが……機族の国か」  真下に真円を描く都市があった。中心に高い塔のような構造物があり、その周囲を高層建造物が埋め尽くしている。  何かが光ったと思えば、火線が初号機をかすめた。複数の高射砲から攻撃であった。  対空砲火の中を初号機は下る。シンジは初号機の両腕を交差させて、正面にATフィールドを強く発生させた。対空レーザーがATフィールドに中り、くねり曲がって流れて散る。  墜落、落下の衝撃が地を吹き上がらせた。  激震が中心地に近いビルを傾かせる。  傾きはやがて支柱の支えられるものではなくなり、隣のビルへとのしかかる。支えるような形となったビルもまた、重さに耐えきれず折れ始める。  もうもうと立ち上る土煙の中を、初号機の影が立ち上がる。  発生したATフィールドが土煙を払いのけ、さらに不安定となっていた建造物を根こそぎ吹き飛ばした。  綺麗な更地を作り出した初号機は、都市の中心にあるものを見上げた。 「あれが中枢コンピューターか」  人の形をしたビルに見える。  初号機が歩み出そうとすると、そのビルに人の姿が重なった。 「立体映像? なんだよ……」  げんなりとする。  巨大な少女像が、顔を上げる。何度も見た顔であるし、このような時には何故か彼女の姿ばかり、相対することになっている。 「綾波……レイ」  像は、悲しげな表情を浮かべた。 『マスター……』 「なんだ?」  映像が喋るわけはない。シンジがさっと目を走らせると、エヴァのシステムが答えを導き出し、ウィンドウ表示で答えた。 「建物を利用した反響音声? 器用なことを」 『ずっと……ずっとあなたを待って』 「なにを……」 『あなたが守れというから守り、あなたがいつか帰ると……だから待ち続け、なのに、なぜなのですか』  シンジは外部音声を使った。 「ごめん」 『マスター』 「それはきっと、僕とは違う、僕だから……」  映像の顔が鬼のように歪んで消えた。  同時にビルの壁面がスライドし、ミサイルの発射口が覗く。 「武装ビル!」  反射的に、初号機に身を小さくさせて、ATフィールドを展開する。  ビルからのミサイルがATフィールドを叩いた。全周囲からの攻撃に視界が光で埋め尽くされる。 「うわぁあああ!」  エントリープラグを揺さぶる衝撃と、モニタの発光に、さしものシンジも悲鳴を上げた。  映像は回避できない振動に時折乱れ、ノイズを散らす。  エヴァンゲリオンを飛び上がらせる。  ミサイルビルの発射口がその動きを追いかける。  さらに対空砲などの固定武器群だけでなく、戦車や戦闘機、戦闘空挺までも現れ初号機を追い回し始める。 「くそ!」  後手に回ったのがまずかった。攻撃するためにはATフィールドを解くか、変異させるしかない。だがそうした途端に集中砲火にさらされ、場合によってはエントリープラグを破壊されると想像がつく。  ATフィールドを纏ったまま、走り回り、体当たりでビルを破壊し、戦車を踏みつぶして回るしかない。  だが中枢コンピューターの周辺は特に砲火がきつく、気がつけば初号機は遠ざけられてしまっていた。 「このままじゃ!」  エヴァを構成する大部分は生体組織であるが、もちろん機械部分もある。こちらが熱と衝撃に耐えきれず、齟齬をきたし始めていた。  ドンッと、予想もしなかった方角で爆発するのが見えた。 「なんだ?」  ドン、ドンッと、空を埋める機体が連続で爆発していく。 「なんだよ!?」  シンジは攻撃している者の姿を見て喚いた。 「なにやってるんだよ! シグナム!」  空を飛び、シグナムは正面に入った機影に対し、すれ違い様に剣を振るった。  機体に筋が入り、ずれた直後、爆発する。 「やるなぁ……そやかて、こっちも詠唱完了や」  背に黒い翼を六枚背負ったハヤテが空中に浮かんでいた。  眼下に初号機を見下ろし、ふっと笑う。  大気が歪むほどの高密度の魔力を集束させていた。  そしてその口が魔法の名をつぶやく。 「《Atem des Eises》」  圧縮された気化氷結魔法が初号機の周囲四点へと撃ち込まれる。  着弾した魔法は一キロ四方の空間の熱を奪い、辺り一帯を凍結させた。  いきなりのことにミサイルは飛ぶためのエネルギーを奪われ、墜落し、発射前寸前であったものは発射口を塞いだ氷の壁に、勢いのままにぶつかって爆発した。  にやりとハヤテは笑む。 「広域攻撃Sランクの意地、見せたるで」  ダンッと、シンジはレバーを叩いた。 「スモールだっているんだぞ!」  ハヤテの魔法は初号機をも凍らせていた。  バキバキと表皮の氷を爆ぜさせながら、初号機が頭を動かし、顔を空へと向ける。  その先で空に上がったスモールがシグナムを追い回し始めていた。 「スモールか」  実態を知った今となっては、シグナムは特別な恐怖心を感じなかった。 「操っているのがただの人であるというのなら」  サーバインの中での体験が役に立つ。  スモールは推進剤を燃焼させて飛んでいる。ジェット推進である以上、理力甲冑騎のような不可思議な軌道を取ることはできない。  前に押し出す慣性の力には逆らえない。なら、それは利用できる。  高速で飛翔するシグナムを追ってスモールが飛ぶ。  シグナムは急停止をかけると、勢い余って追い抜いていくスモールに、拘束の魔法を唱えた。 「Baid」  機体が空中で見えないものに縛られ、静止する。  拘束魔法が解かれると、そのままふらりとよろけ、落下した。  スモールのような小型機に慣性制御システムを搭載することはできない。慣性制御魔法はごく初歩の魔法であるが、魔法という技術は機族にとっては排除すべき遺伝的疾患者が持つ特殊能力である。  つまり、機族にはこの攻撃に対し、打つ手がないのである。むろんこのような手が何度も使えるわけではないが……。 「これで速く飛ぶ真似はできまい!」  調子に乗ってしまったシグナムを、暴風が衝突する勢いで駆け抜けた。 「くっ!」  魔力障壁のおかげでシグナムは難を逃れた。空中を遠くはじき飛ばされ、振り向いて敵を探す。 「あれか!」  漆黒の機体が大気に雲を引いて旋回している。 「速すぎる」  バインドを仕掛けるためには、相手の位置を特定し、目標を固定し詠唱を行わなければならない。 「スモールとはまるで違う。なんだあの機体は」  ──まかせなさい!  大気を響かせる声に振り仰ぐ。 「アスカか!」  彼女の頭上を通り過ぎたのはサーバインだった。  サーバインの中、アスカはぺろりと上唇を舐める。  やや前傾姿勢気味に、プラグスーツを着用して乗り込んでいた。  その目はどう猛にぎらつき、理力甲冑騎独特の胸部装甲ガラスごしに敵機を睨む。 「サードチルドレンがエヴァを落とした機体に、今はこのあたしが乗ってるのよ!」  瞬間、サーバインが残映を置いて消失する。 「ゴーストごときが逃げられると思ってんの!」  次にはゴーストと呼称された戦闘機の真正面に現れ、剣を振り抜いていた。  戦闘機が正中線から分解し、爆発する。  シグナムは驚愕した。 「まるで瞬間移動だな……」  スモールには慣性制御システムが備わっていないため、対Gスーツの性能を超えた挙動は、純粋にパイロットの体力値によって限度を左右される。 「理力甲冑騎にも、そんなものはないはずなんだが……」  実際、地下水脈で逃げまどっていた際に、荷重に苛まれた覚えがあった。 「乗り手が違うと、理力甲冑騎は違う力を見せると言うのか……」  しかし落ち着いていられないのはシンジであった。 「アスカまで、なんで」  理力甲冑騎は周辺を警戒するように、後ろ向きに下がり、降下し、初号機の頭部左脇に付いた。  羽を振るわせ滞空したまま、右手を初号機のヘルメットに当てる。 「聞こえてる?」 「アスカ! どうして君が」 「なんでかな……まあ、気が向いただけよ」 「気が向いただけって……」 「プラグスーツの無線機能だと不安だったけど、そっちのブースターのせいかな、クリアね」 「そういうことを気にしてる場合じゃないだろ!」  ──気にして欲しいね。  閃光に、一瞬モニターが白くなる。  すぐに光度調節機能が働いた。注意を喚起するウィンドウが開いている。 「超超高熱攻撃? ビーム!?」  そのような生やさしい出力ではなく、エヴァンゲリオンさえも丸ごと飲み干しかねない光の柱が屹立していた。  天を見上げる。 「船!?」  先の攻撃によって雲の散らされた青空に、三つの船の姿を捉えられた。  三隻の船が船首を真下に向け、墜落と見まがう特攻を行っている。  急速に近づく地表を恐れることなく、三隻はの船は船首に再びエネルギーを集束する。  そして都市中央の『城』に向かってビームを放った。  ──ゴォ!  ビームを受け止め、城を包む障壁が、はっきりとした姿を浮かばせる。  ビームはバリアによって散らされ、無数の粒子の雨となって周辺へと流れ、あるいは降り注いだ。  ビームの奔流が細まり、やむと、ビームによって外装を焼かれたいくつものビルが左右に割れた。  割れた合間に電子の光が生まれる。荷電粒子による対空砲であった。  一斉に荷電粒子砲が火を噴いた。  三隻の船は一斉に船首を引き上げ、軌道を変えるが、一隻が間に合わずに、無防備に晒した船底に四発のビームの直撃を受けた。  爆散する。 「ああ……」  シンジが絶望的な声を出す。  船は中折れし、構造物をまき散らし、炎に巻かれながらも多くの卵をはき出した。  卵は中央より体を開く。卵と思えたのはコートであった。  ──大丈夫、全員脱出したよ。魔導士ばかりを揃えてきたからね」 「カヲルくんなのか!」  ──エヴァのシステムが念話を拾ってくれるとは思わなかったよ。いや、エヴァンゲリオンが拾っている思念を、機械が変換して、シンクロしている君へと伝えているのか。 「そんなことはどうだって良いよ! なんでなんだよ!」  ビームは無数に放たれ、やむことがない。  複数の人影がビームに呑まれて消失する。 「脱出したって言ったって、魔力障壁を貫かれてる人だっているじゃないか! どうしたんだよ、初号機! 立てよ! それでもエヴァンゲリオンなのかよ! 母さん!」  その様に怒るシンジに呼応して、エヴァの目に光が灯る。  立ち上がろうと、エヴァの脚に力が入る。氷が剥がれ、壊れ、周囲に白く霧を生む。  フォオオオオ……。  エヴァの口から呼気が漏れる。  一瞬にして熱量が増大し、氷は気体と変貌し、さらにエヴァより発生したATフィールドによって吹き散らされた。 「君たちまで犠牲になることはないんだよ!」 「そう言う考えが、傲慢だと言うんだ!」 「シグナム!」 「これは、もはやわたしたちの戦いだ!」  ビルの谷間に滞空していたシグナムが、鞘より剣を引き抜いた。 「《飛竜一閃》!」  剣の刃が連結を解き、鞭となって無限に伸びる。  鞭状連結刃はシグナムの周囲のビル四棟を一撃の下に引き斬り裂いた。  蓄電されていた粒子ビームのエネルギーが行き場を失い、暴走し、あるいは崩れ落ちる本体の瓦礫に反応し、誤爆を起こす。  コントロールを失った塔のビームは上方だけでなく、水平にも放出され、誘爆も起こした。 「黙って手伝え! それ以外はのぞまない!」 「だけど!」 「シンジ様の生きていた世界とは、時代が違うと言うことです」 「巫女姫もかよ!」  御座船が降りてくる。  こちらは底部に全力で障壁を展開していた。砲火を完全に受け流している。  直撃を受ける度に障壁が浮かび上がり、船自体も若干突き上げられて、浮いている。 「生きる、ということに、全力でぶつかり、死に対しては向かい合い、抗おうとする。命の力を示し、おのが存在を知らしめ、ここにあるという証を立てずには居られないのが、この世の人の性なのです」 「だからって……」  悔しげに呻く。 「死んじゃったら、なんにもならないじゃないか」  西方の二隻の船が、都市の外苑部に不時着する。  都市のメインストリートが、突然口を開いた。わらわらと蜘蛛型、蟻型の機族が這い出し、船へと向かう。  船は不時着した状態から、おかまいなしに船首主砲を放った。熱波に呑み込まれて都市の一部が消える。さらに副砲を使って、群がる機族をなぎ払いにかかるが、これは相手の数が多すぎた。  空を飛ぶ機族とスモールが艦の側面を舐めるように飛び、砲塔を撃って潰して回る。  そのうちの一機が、不用意に飛び上がろうとした背部を、ビームが狙い撃ち、貫通して爆発させた。  撃ったのは上部甲板に現れた神像であった。艦の複数あるハッチが開かれ、神像と、魔導士隊を解き放つ。  カヲルが発破をかける。 「ここが正念場だよ」  ──嗚呼、嗚呼、嗚呼!  都市が崩壊していく。  八千年の長きにわたって構築され、形変わることなく在り続けてきたものが炎に呑まれ、消えていく。  ──何故。  城に重なり、再び綾波レイが現れる。  ──何故。  レイの姿を借りた者が涙を流す。  ──私に、紡ぐ命を見守り、慈しめと仰ったのは、貴方だというのに。  彼女は救いを求めるように、その手を伸ばす。  初号機の中のシンジへと。  シンジは虚像と知りながらも、真に迫る悲しみの表情に目を背けた。  僕じゃないと──たとえそれが『碇シンジ』の言葉であったとしても、そう命じたのは自分とは違うサードチルドレンであると叫びたくても、シンジは言ってはならないことだと感じ、こみ上げたものを噛みつぶした。 「シンジさん」  彼の胸中を推し量るかのように、優しく話しかけたのはテッサだった。 「ずっと考えていたんです……パラレルワールドを知っていますか」 「……なんだよ、急に」 「はい。もし、過去と未来も、現在からずれただけの、多重世界の一つだとしたら?」  意味がわからないと、眉間にしわを寄せて顔を上げる。 「君がなにを言っているのか、わかないよ」 「時というものが、川のような一つの流れにあるものでも、枝分かれする大樹のようなものでもなかったとしたらと言っているんです。一秒後、一秒前も、今という一瞬のバリエーションに過ぎないのかもしれないと言っているんです。 それが、わたしの考えた、あなたの、異世界に飛んだ、未来に来てしまったという問いに対する答えです。あなたは元居た世界のすぐ隣にあった、何千年先の未来の姿を描いた多重世界に滑り込んでしまった。ただそれだけのことだったんじゃないでしょうか?」 「つまり、ここは僕のいた世界の未来の姿のようではあっても、未来そのものじゃないっていうのかよ」 「可能性の問題です。でも、答えはきっとこの先にあります」 「確かめる方法なんて」 「なにも変わらないかもしれません。けど、わたしたちの気が楽になります。もしこの世界があなたの世界の時間続きであるのなら、機族の問題はあなたにも責任があることになりますし、そうでないのなら、あなたは無関係なことのために命まで張ってくれた英雄だという話になりますから」 「どちらにしても、君たちのためにってことかよ」 「はい」 「それに!」  コウゾウである。 「お前の役目は、俺たちにはできないことだ、そうだろう?」  勝手だと思う、だが。 「わかったよ」  顔を上げる。 「責任をはっきりさせてくる……でも、もし、本当に、あれに君たちを苦しめるよう命じたのが僕だったら」  わかっていると、皆が言う。 「最後の敵は、シンジ、お前だ!」  それは誰の台詞であったのか、エヴァが立ち上がる騒音に紛れて、判然とはしなかった。  初号機が立ち上がる。  それを悲しげに見つめていた虚像の女は、目を伏せ、そして、次に顔を上げたときには、般若の形相を浮かべていた。  かぁっと、声にならない怒りの呼気を吐きだして消える。 「地震!?」  ビルの頂がぐらぐらと左右に揺れる。  皆、不安げに周囲を見回す。 「違う、これは」  シンジは真っ直ぐに城を見た。  塔が崩れていく。  頂上部分が後方へ折れて行く。左右が剥がれ、落ちていく。  基礎に近い部分だけを残して、瓦礫の山を築いていく。 「エヴァンゲリオン!」  城と思われていた物は巨大な拘束具であり、格納庫でもあったと知る。  不気味な沈黙に支配される。それは見たこともないエヴァだった。  身につけている物が、拘束具でもなければ鎧ですらない。まるでドレスであった。  純白の、花嫁衣装である。  顔は人の顔を模した仮面によって隠されている。前髪をかき上げるような形でセットされているヘッドパーツから、後ろへは長い髪がこぼれていた。  ふくらむ大きなスカート。その左半分を隠しているのは、全身の半分を隠せる面積を持っている盾であった。  よく見れば、衣装は複数枚の装甲が重ねられ、束ねられて作られていることがわかる。それでも凛と立つ姿は、およそエヴァンゲリオンとはかけ離れた印象を持っていた。  カヲルが言う。 「あれが最後のエヴァンゲリオン。最終バージョンだよ」 「どういうものなんだよ……」 「サードインパクトでは、本来十三機のエヴァンゲリオンが儀式に用いられるはずだった。でも実際に用いられたのは……」 「九機」 「そういうことさ。魂の込められていないエヴァンゲリオンはただの肉の塊だからね。だからサードインパクトを超えてしまった」 「その生き残りだって言うのかよ」 「そういうことだね。でも」  カヲルの声に情感がこもる。 「命を持たない機族の長が、エヴァンゲリオンの魂となるか」 「言ってる場合じゃないよ!」  ゾッとする悪寒に、シンジはエヴァをスタートさせた。  瞬時に距離を詰め、拳を突き出す。  閃光が瞬いた。 「ATフィールド!」 「機族が魂を宿したか」  初号機の拳は機族のエヴァのATフィールドに阻まれた。  衝撃がそのまま干渉光の波となって広がり、消失する。 「くっ!」  拳を引く。シンジははっと、なにかを感じて、初号機を飛び下がらせた。  一瞬前まで初号機の存在した場所を、斬撃が薙いでいた。  長剣であった。盾の背後にあって見えなかったのだ。機体の左腰に鞘があった。  機族のエヴァが動き出す。盾を持ち上げ、剣を構え、前に歩む。 「くっ」  対して、シンジはナイフを装備させた。  シグナムが叫ぶ。 「下がれ! 都市の外まで撤収しろ!」  初号機と弐号機の戦闘を思い出したのである。  高度を上げつつ下がる。シグナムは眼下に二体を見、眉間にしわを寄せた。 「まるで、絵物語だ」  襲いかかる野獣と、剣を手に立ち上がる姫。  静かに暮らしていた姫を突如として襲う魔物の群れと、悪魔、魔獣。  シグナムは逆の視点からの想像をしてしまった。 「わたしたちは、今までわたしたちこそがこの世界の住人で、機族を世界の果てから来る災厄だと思っていたが……本当は、世界の果てに住んでいたのは我々で、機族は辺境から世界を冒そうとする災害を食い止めていた?」 「シンジ!」  アスカは初号機の真上を旋回しつつ叫んだ。 「そいつが量子コンピューターそのものよ!」 「ATフィールドの出力がとんでもない値を示してる。中和できるレベルじゃない……」 「弱気になってんじゃないわよ! サードチルドレンのくせに!」  シンジは思わず、口元に笑みを浮かべた。 「カヲル! 手を貸して!」 「どうするつもりだい?」 「なんとか船を動かして、主砲を集中させて。シグナムたちは魔導士たちを集めて、なんだって良い、カヲルの船の主砲に合わせて同時に攻撃を」 「わかった」 「綾波……いや、レイIV(フォース)だっけ……やれると思う?」 《Yes, it is possible to do. 》 「みんなの攻撃があれのATフィールドに干渉できるのは、せいぜい一秒未満の時間だ! そこに賭けるよ!」 《Yes, My master.》 「いっけぇ!」  皆の攻撃態勢が整うまでの時間稼ぎは必要である。  シンジは無謀とも思える攻撃に出た。  初号機を踏み込ませる。白刃を走らせるが、ATフィールドに火花を散らし、滑るだけで終わる。  そのまま背を向けるように回転し、後ろ回し蹴りを放つ。ATフィールドがたわみ、気機族のエヴァが顔を上げた。  踏み出す。剣を右下から上へと斬り上げる。  初号機は身を引いて避けた。間一髪、切っ先が初号機の兜の先端を裂いた。 「レイIV、初号機で魔法の使用は!?」 《It is possible. 》 「炎の魔法で足止めする!」  初号機が右手を突き出す。  人差し指を立て、指の腹に光を宿し、高速で腕を振る。  円を描き、直線を走らせ……。  ハヤテが驚く。 「魔法陣やて!?」 「燃えろー!」  炎熱地獄が生まれた。  エヴァを包み込むように熱波が取り巻き、瞬時に地面を揮発させる。もちろん、都市建造物もただでは済まず、溶け、崩れ、蒸発し、発生した突風によって吹き散らされた。  熱量に揺らめき見えるエヴァンゲリオンがひるんだように見える。 「くっ」  しかし思ったほどの効果は得られていなかった。 「だめか! ……初号機の発声器官じゃ呪文詠唱が行えないから? 飛び道具がないよりは良いけど!」  そのとき、カヲルたちから声が届いた。 「準備が整ったよ」 「こちらもだ」 「レイIV」  レイIVがシンジの意図を正確に読み取り、別種の魔法を実行する。  ナイフの刃から白い光が伸び、長刀並の得物となった。  両手で柄を持ち、構える。 「カヲル君」 「なんだい?」 「シグナム」 「なんだ」 「テッサ」 「はい」 「ハヤテ」 「なんや」 「アスカ」 「わかってる」 「僕の命、みんなに預ける。いや、くれてやる」  ぐっと、初号機が身を低くする。 「行くぞ!」  カヲルが号令を下す。 「主砲、発射!」  墜落した状態から、無理矢理主砲をエヴァへと向けるため、底を引きずり方向転換を行っていた。  地に扇のような引きずった跡を描いている。艦自体も竜骨に無理が来たらしく、曲がっているように感じられる。  その状態からの砲撃であった。主砲の反動を抑えられず、ゆっくりと押し下がりながら、歪みを酷くしていく。 「合わせろ!」  シグナムが魔導士に命じる。  各々が持つ最大の魔法を叩き込む。 「こっちもや!」  安全域へ待避していた御座船の甲板で、ハヤテが居並んでいる者たちへと叫んだ。  こちらは超長距離魔法の使い手たちである。 「いくでぇ!」  砲撃がエヴァを直撃する。  ビーム粒子がATフィールドの表面を撫でる。  加えて魔法使いたちの炎が、冷気が、風が、重力が、襲いかかる。 「サードチルドレン、いま!」  アスカの駆け声に合わせて、初号機が動く。  サーバインが行く。剣を振りかぶる。その剣が、シンジが乗っていたときのように光り輝き、エヴァンゲリオンのATフィールドに小さな亀裂を刻んだ。  振り切った動きのままサーバインは飛び去る。その傷がふさがるよりも早く、初号機の剣が突き立った。  十字に剣を振る。ATフィールドが切り裂かれ、消失する。 「もらった!」  エヴァンゲリオンが動く。踏みだし、初号機の剣を盾で受ける。  弾き、そして剣を持って反撃する。  これを初号機は身を低くして避けた。  そして懐に入り、刃をエヴァの腹に突き刺した。  一直線に刃は通り、背へと抜ける。  どんっと、初号機はエヴァの胸に肩をぶつけた。  間近にエヴァの顔を見上げる。エヴァの仮面が、ずれて、落ちる。  そこにあったのは、どこかで見たような……しかし見覚えのない顔だった。 「ごめん」  シンジは謝ると、剣をずりずりと上げ、プラグスーツのある位置へとたどり着かせた。  がくんと力尽き、エヴァの体が初号機へとのしかかってくる。 「はぁ……」  シンジは力を抜いた。 「終わったのか?」 「うん……」  そうかとシグナムが口にすると、一斉に勝ちどきの声が上がった。  シンジも口元に笑みを浮かびかける。 《Master!》  警告に反応する。 「まさか!」  急速に高まるものを感じる。 「どうした、シンジ!」 「動けない!?」  のしかかっていると思っていたエヴァは、実は初号機へと抱きついていた。  背に回された腕の盾が、エントリープラグへのハッチへと覆い被さっていた。  ハッチの開閉機構が動かない。  シンジは叫んだ。 「逃げて!」 「なんだ!?」 「自爆する、こいつ!」  自爆と聞かされ、弐号機の自爆を目の当たりにしている者たちは戦慄した。  あの爆発が、地表で起こるというのである。 「待避!」  真っ先に反応したのはカヲルだった。 「こっちもや!」  巫女姫がわめく。 「シンジ様はどうなさるのですか!」 「そうだ、シンジ!」  シグナムが駆けつけようとする。 「だめだ! あと200秒もない!」 「しかし!」 「あんたは逃げなさい!」 「アスカか!? どうする気だ!」 「サーバインとシンジならATフィールドが使える、逃げ切れる!」 「くっ」 「あんたは足手まといなのよ! 消えなさい!」  シグナムは躊躇したが、これ以上は自己満足に過ぎないと判断し、わかったと引き下がった。  逃げにかかる。実際、爆発の圏外に出られるかどうかは微妙なところであった。 「アスカ、君も」 「気安く呼んでんじゃない!」  サーバインが初号機の首の後ろに降り立つ。  そして覆い被さっている盾の縁に右肩を入れた。 「あんたのアスカは、あたしじゃないでしょ!」  そして四肢を突っ張り、盾を持ち上げにかかる。 「サードチルドレン!」  そして隙間ができたところで、アスカはサーバインのハッチを開いた。  爆発ボルトによってわずかにエントリープラグを隠すカバーが浮き上がり、そしてずれて、地表へと落下する。  エントリープラグが、なんとか頭を出した。  だが通常の乗降口が開閉できるほどの位置には来ない。ちっと舌打ちし、アスカは盾を持ち上げるのを右腕だけにまかせ、左手に持たせた剣を構えた。 「サード! 上を切るから!」  言って、すぐに剣を振る。  エントリープラグの上方が切れて、どっとLCLがあふれ出した。  シンジが顔を出す。 「乱暴なんだよ!」 「文句は後で聞いてあげるわ!」  這い出したシンジは、斜めになっているエントリープラグの上を滑り降りた。 「行くわよ!」  アスカは剣を捨てさせ、左手にシンジを掴ませた。  そして隙間から抜け出す。支えを失った盾が落ち、大きな音を立てた。 「後、30秒!」  シンジをコクピットへ。ハッチを閉じて、アスカは体の上にシンジを座らせ、操縦管から腕を抜いた。  シンジが操作を引き継ぐ。 「レイIV!」  シンジの体から抜け出したレイIVがサーバインと融合する。  直後に、加速する。  ──サードチルドレン!  ぎょっとする。  直上から突撃してくる機体があった。 「スモール!? 今更!」 「まさか、マスタープログラム!? エヴァから複写移動していたの!?」  エヴァンゲリオンが停止する直前、メインコンピューターがメインプログラムだけの状態で脱出していたと気付く。  ドンッと、スモールは体当たりを敢行した。そのまま爆発圏内へと押し戻す。  シンジは決断した。 「マナ!」  ハッチを開き、シンジは体の下のアスカを無理矢理前に押し出した。 「サード……!?」  信じられないという顔が、風に乗ってかき消える。  もちろん、見殺しにしたわけではない。 「まったく!」  焦ったのはマナである。  スモールと絡んだサーバインから、人が落ちたからだ。 「人間を回収できるような、器用な作りはしてないのに!」  後部ブースターを切り離し、メインブロックである戦闘機状態へと移行。  さらに人型へと変形し、腕を伸ばす。 「届け!」  人影を、すくい上げるように、手首を回転させて拾う。 「乗った!」  そのまま胸元へと腕を動かし、アスカをコクピットへと回収して、再び戦闘機へと変形させる。 「ムサシ!」 「乗れ!」  ムサシ機の上に腹を落とし、腕部だけを変形させて、ムサシ機の翼を掴み、状態を固定する。  ムサシ機の翼が悲鳴を上げて歪んだが、気にしてはいられなかった。 「フルブースト!」 「始動済みだ!」  二機のロケットが最大推力を放つ。 (死んだら許さないわよ、サードチルドレン!)  アスカは荷重に耐えながら呪詛を吐いた。 「これで……」  シンジはがたがたという振動を感じた。  それはスモールが限界を超えている音であった。  装甲が待機摩擦に耐えきれず、剥がれる。それでもなお、速度を落とさず、シンジを連れ戻そうとしている。  そうまでしてという想いが、シンジに苦笑を浮かべさせる。 「いいさ、それで気が済むって言うのなら。君の妄執と一緒に行ってやる。だから」  昇華して、世界を解放して欲しいとシンジは願う。だが結末は、シンジが思うようには動かなかった。 《Are you good?》 「え?」  ばがんっと、頭上の天板が外れ、何かがシンジの上に落ちた。  ぐきっと首を折られてシンジはのたうち回った。非常に覚えのあるシチュエーションだった。 「なっ!?」  アスカ姫が前後逆に、シンジに向いて座っていた。 「なんで!?」  ぱんっと、シンジは両頬に痛みを感じた。アスカの小さな手のひらで挟まれたのだ。 「ばか!」  さらに顎にがつんっと頭突きを食らった。  拍子に操作管を動かしてしまい、サーバインの挙動が乱れる。  回転し、スモールを遠心力ではじき飛ばしてしまった。 「姫様!」 「シンジはあたしの騎士なんでしょ! 守ってみせなさいよ!」 (この子は!)  馬鹿だとシンジは罵りたくなった。  シンジが投げやりな態度を見せるのなら、約束を盾に前向きな行動を取らせようというのだ。そのために我が身を脅迫材料として危険に置いて……。 「ちくしょう!」  先ほど口走った言葉を撤回する。  自分がどうなろうとも、この小さな女の子を死なせるわけにはいかない、それに。 (応えたくなるじゃないか!)  涙で目を潤ませて、必死に口を引き結ぶこの小さな気持ちに。 「ごめん、君とは、逝けない!」  エヴァンゲリオンが自爆する。 「僕は、この子と生きる。君は、一人で消えてくれ!」  サーバインの足に蹴り飛ばされて砕けたスモールの中より、般若の形相をした女の霊が飛び出し、巨大化した。  それは電子信号が実体化した、情報体そのものだった。  巨大な人の頭となった情報体は、口腔を開いてサーバインを呑み込まんと迫った。 「シンジ!」  ぎゅっと腕にしがみつくアスカ。  シンジはかまっていられないと、サーバインの速度を上げた。  都市を蒸発させた熱量から、衝撃波が発生する。  熱波の圏外へは到達していても、これの速度からは逃れられない。  サーバインは呑み込まれ、機体はミシリと嫌な音を発し、座席はがたがたと外れそうになる。 「くそ!」  吹き荒れる風に翻弄されて、上下がめまぐるしく入れ替わる。  回転を止められないサーバインを、情報体が呑み込んだ。  口腔の中、サーバインの中で、二人は舌の形をした電気信号の塊が迫るのを見た。 「レイ!?」  これを受け止めんとし、綾波レイの姿をしたものがサーバインから溢れるように膨張し、両手を広げた。  綾波レイの姿をしたものは、電気信号に腹をえぐられ、感電したようにのけぞった。  幻影が混ざり合う。  レイIVの中へ、情報体が侵蝕していく。それに伴ってレイIVの体に信号が走る。  シンジの脳裏に、使徒を取り込み、自爆した『彼女』の姿が蘇った。 「レイ!」  シンジが叫ぶのと、レイIVと情報思念体とが飽和するのとが同時になった。  飽和した二体の電信号は光となり、閃光は柱となって天と地を貫いた。 「な、あ!」  腕にアスカの爪が食い込む。それがこの光景を現実だと知らしめる。  風も、光も、泡となって流れていく。  視界が歪む。景色が歪む。なにもかもが歪んで見える。  やがて世界は極彩色の渦となった。  ぐねぐねと、酔うような景色が流れていく。それらは空間の歪みによってねじ曲がって見えるたくさんの世界だった。  流れの先に光がある。  光の中に見えたのは、こことは違う世界だった。  シンジはその光へと向かい、光の中に飛び込み、そして……。 「で、飛び出してみれば別の世界の空だった、というわけさ」  シンジはそうして、この長い物語を締めくくったのであった。