「大変だったよ。俺たちはあっちの世界の格好、つまり、ゲームのキャラクターみたいな格好をしていたからね。とにかく普通の服をって思ったんだけど、まさか生きている人がいるとは思ってなかったんだ。サーバインを持って行かれちゃってね。どこの兵隊だかわからない連中が取り囲んでてさ。だからって、不用意に出ていくわけにも行かなかったんだよな。碇シンジ、サードチルドレンだなんてばれたりしたら、一体どんな目に遭わされることになるのか、わからなかったし」
そのようにシンジは話を終えたのだが、フェイトの態度に変化はなく、じっとシンジを睨み上げていた。
機体は林木の下から空を見上げていた。場所は長野県手前の山中である。
レーダードームを背負った哨戒機が、遙かな頭上を雲を引いて通過していったところであった。
シンジは、ほっと一息ついて、改めてフェイトへと視線を戻した。
サーバインの中である。アスカはシンジの右側に、フェイトは左側に腰掛けている。
ジャケットは通常の仕様に戻っているが、それでも彼女を包んでいることに変わりはない。
シンジたちへ危害を加えようとすれば、拘束服へ戻るプログラムが働いていた。
フェイトは聞かされた話を咀嚼し終えると、端的に尋ねた。
「この話は」
「持ち帰ってもらってかまわないよ。そのために話したんだからね。でも」
「でも?」
「信じてもらえるかどうかは、君次第だね」
そこにあるのは二重の意味である。
「まあ鵜呑みにする奴なんていないだろうね。それに、なにもされずに解放された人の話なんて、信じると思うかい?」
「それは」
「まあ、こんなところに、置き去りにはしないけどね」
復興途中の北半球である。サードインパクトの影響によって、生き物の姿はない。
周囲の林木もウイルス未満の生物にいたるまでの完全な消失によって硬化していた。
「食べ物がないだけじゃない。生態系の循環そのものが行われていないから、水も腐る一方で飲み水も手に入れられない。……まあ、腐るってことは、良いことなんだろうけどね。雨や風で、少しずつでも命が戻されているってことなんだろうから」
「なら、どこまで付き合わされることになるんですか?」
「北極までかな」
「ガジェットの制圧地ですよ?」
「だからだよ。ガジェットと機族の関係。量子コンピューター。本当にこの子の未来と地続きになっていないのかどうか。確かめておきたいことはいくらでもある。それに、君たちだってガジェットの情報は必要だろう?」
「でも蜂の巣をつつくとか、やぶ蛇という言葉があります」
「用法間違ってない?」
フェイトはちらりとだけアスカを見た。
「それでも……というのは、アスカちゃんのためですか?」
「みんなのためにだよ」
「みんなのためって」
「この子が幸せに過ごすためには、この子のことを愛してくれる人たちが必要だろう?」
シンジはぽんっとフェイトの前頭部に手を置き、その頭をぐしゃっと撫でた。
「君もその内の一人になってくれるとうれしいんだけどな」
あまりに自然な仕草だったので、フェイトがあやされた気付いたときには、シンジの手は引き戻されていた。
「それほどの時間はかけないよ。本気で飛べば北極なんて日帰りできる距離だよ。だから、行って帰ってきて、元の基地で君を降ろす。君にはその間に見聞きしたことを伝えてもらいたいんだ」
フェイトは照れる自分をごまかすために強がった。
「邪魔をするかもしれませんよ?」
「だからジャケットを着せたままにしてるだろう?」
「最初からそのつもりでジャケットを?」
「こうなってるのは成り行きだよ。さらおうと思って貸したわけじゃない。そこは信じてもらいたいな」
シンジは言った。
「僕たちは北へ行きたいだけなんだ。共同体には見逃してもらいたい。それ以上は望まない」
「量子コンピューターがあった場合には?」
「それはその時に考える」
「破壊しないんですか?」
「僕たちの知るものと同じかどうかわからないじゃないか」
「未来は地続きのものじゃなくて、瞬間のバリエーションの一つ。だからですか?」
「元々は良いものであったのかもしれない。どこかでおかしくなったのかもしれない。それは破壊した方が良いのかもしれないし、修正で済ませた方がいいのかもわからない。そこの判断は専門家でもないとダメだろう? ただね……」
「なんです?」
「ガジェットの興味の示し方が、尋常じゃなかった」
この機体のことかとフェイトはコクピットの天井を見た。
巨大生物の血管がケーブルの代わりに使われ、貼り付けられ、なにが流れているのか、脈打ち、収縮していた。
「この機体を共同体に預けるつもりはないんですね」
「預けたって良いさ。でもそれは、確かめた後のことだ」
「共同体は、あなたの話なら聞く耳を持つはずです。サードチルドレンの言葉なら」
シンジは笑った。
「無理だよ。聞くはずなんてないさ」
「そんなことはありません」
ふぅと息を吐き、目をつむり、シンジは背もたれに体を深く預けた。
「そう言えるのは、君に仲間や、信じられる友達、それに力を貸してくれる人たちがいるからだよ。それはとても運の良いことなんだ。でも、僕にはなにもないし、誰もいない。疑ってかかってくる連中ならいくらでも居るけどね」
何かを言い返そうとするフェイトのことをシンジは押しとどめた。
「サードチルドレンっていうのは、そういう存在なんだよ。碇シンジの名前だけで、殺さるには十分な理由になるんだ。だから俺は、オーストラリアに幽閉されることになったとき、抵抗も反抗もしなかったんだ」
そこでなにが行われ、なにが起こったのか。それは先ほどの話の冒頭にあったことである。
「共同体だって同じさ。俺を殺そうとするか、利用しようとするか、どちらかに出るだけだ。なにしろいまの俺は、君と真っ正面から戦える人間になってしまっているんだからな」
「ATフィールド……」
「そういうことさ」
シンジはフェイトの心を読んだ。
「サードチルドレンとATフィールド。この組み合わせは最悪なんだよ。誰もがサードインパクトを思い出すものだからね。誰かに力を借りようとしたところで、時間を無駄にするだけだ。連中は絶対に、まず、俺をなんとかしようとするはずだからな。ガジェットではなく、サードインパクトを起爆させた犯罪人を」
それにという。
「俺はもう、誰かに期待しようだなんて思ってないし、思わない。期待して、待ちわびて、それでなにかが起こったり、来てくれたことなんて一度もなかったからな。都合良く誰かが現れて、どうにかしてくれる。そんな夢物語に期待を抱いて、絶望にまみれるのはもうごめんなんだ。いつだって、どこだって、何とかしてきたのは俺自身だ。だから、今回だって自分でやる」
それはとフェイトは否定した。
痛む胸に手を当てて。
「寂しいです、その考え方は」
「そう感じるのは、君が温かい人間だからだよ」
「碇さんだって、そうでしょう? でなければアスカちゃんが懐くなんてこと、ないはずです」
そのアスカは、醒めた目をして、二人のやり取りを見守っている。
「期待して、なにがいけないんですか? 期待に応えてくれる人だっているはずです。いつだって、どこかに。あなたがアスカちゃんにとって、そうであるように」
「それは運の差だよ。アスカの前には俺が現れたかもしれない。でもそのためにアスカは自分の居た世界から飛ばされることになったんだ。疫病神ではないってどうして言える? たとえそうではなく、俺がアスカにとっての希望そのものであったとしても、それはアスカの運が良かったと言うだけの話だ。俺の前には誰も現れてくれなかったんだよ。だから俺はこうなっている。もう未来や希望や、可能性にかける時間は終わったんだ。悟ったってことさ。俺は自分で自分の道を選び、自分の足で一人生きていくしかない人間なんだってね」
それは嘘で、思い込みだとフェイトは責める。
「アスカちゃんだけじゃない。お話の中には碇さんを支えてくれるかもしれなかった人がたくさんいたじゃないですか。碇さんのそれは、拒絶です。臆病さです。信じることへの恐怖心からのことです!」
「いけないのかよ。俺は『あの街』で叩き込まれたんだ。甘い話なんて、この世にはないんだってな」
「第三新東京市のことですか」
「それに、迷惑だろう? 期待される側になってみろよ。勝手に期待されて、信用されて、間に合わなかったり、失敗したとき、信用してたのにって言われて、裏切られたなんて口にされるのは、たまらないだろ?」
「それは、自分のことですか?」
「そうさ」
「でも、期待するっていうことは、その能力を、その人格を、信用しうるものであるのかどうかが基準のはずです。碇さんにはできるとみんな信じていたんじゃないんですか? 碇さんは応えたかった!」
「なにも知らないで……」
吐き捨てる。
「サードチルドレンだった頃の俺のことを、誰が深く知っていた? なにも知りもしないで、どれだけ好き勝手なことを言われたと思ってる?」
「でも碇さんはわたしのことを信用しています」
「俺が君を信じているって? そんなものを着せているのに?」
「ウソです。あなたにはわかっているはずです。バルディッシュは自己更新を繰り返しています。ジャケットの情報を解析し、その能力を無力化、プログラムを改編することも時間の問題であるとわかっていて、わたしに預けたままにしています」
「その前には北への旅行も終わってるさ」
「無理です。それもわかっているはずです」
すぅっと息を吸う。
「わたしは共同体を知っています。そして信じてもいます。信じられないところもあるけど、信じられる人たちもいます。わたしのことを信じてくれるのなら、その信じている人が信じているものを信じてくれても良いんじゃないでしょうか? その人を信じると言うことは、その人を成しているすべてのものが信じられるかどうかだと思います」
「詭弁だ。共同体はこの機体のことも隠していたんだぞ?」
「それは……」
「君のことは好きだよ。悪い人間じゃないと思ってる。だけど君の正義は信じられない。君の正義は共同体そのものだからだ」
「意味がわかりません」
「表向きだけの正義の味方だからって話だよ。どうしてサーバインを隠してたんだ? 危険なものは野放しにはできないからか? それが君たちの論理だろう。でも実情はどうだ? 君たちは回収した危険物を利用している。君のような小さな女の子までも使ってる。便利だから。他に手段がないからと言い訳をして」
「違います、わたしは自分で選んだんです」
「それでも本当に正義の味方を名乗るなら、やめさせるべきなんだ。やらせてはいけないんだよ。やるべきは正義の味方である者たちだけでやるべきで、巻き込んだり追わせたりしちゃけいないんだ。サーバインについてもそうだ。格納されていた場所のあの施設はなんだった? あれは研究施設だろう。つまりは正義の執行者を名乗りつつ、その裏側ではあらゆる力を自分たちものにすべく画策していたってわけさ。力を持ってる連中って言うのは、いつでもどこでも同じだよ。なんでもかんでも自分たちの管理下に置きたがる。管理できない物は危険物として排除するか、管轄に置いて、利用しようとする。それが組織だ」
「わたしたちは、そんなことは考えていません」
「それは君の考えだ。君自身だけじゃない。なのはちゃんは? どうしてバルディッシュは生まれた? サーバインはなぜ危険だと判断された? 理解できないからか? 違う、自分たちには扱えない力だからだ。自分たちには扱えないものを、他人が扱えることに恐怖心を覚えたからだ。共同体の正義って言うのは、その恐怖心を取り払うことなんだよ。誰かを守ることでも、救うことでもない。安心するために、傷つけてでも、奪い、破壊し、封印し、あるいは管理下に、監視下に置く。それが共同体の行動原理で、そのために作られた組織だ。そこで働く人間がどうであるかなんて関係ない。働く人間の意識や思想なんて、行動のために体よく理由付けに用いられてるだけに過ぎない。君の背後にある組織は、とうてい信用できるものじゃない」
フェイトは理解した。そして理解したが故になにも言い返せなくなってしまった。
シンジは人に優しくあっても、お人好しではなく、そして……。
だから慎重に尋ねた。
「でも碇さんの言葉は……自分に言い聞かせているだけのように聞こえます」
「そうかい?」
「信用しないのは、気を許せば誰かに甘えてしまうから。誰かに何かを期待してしまうと、誰かが何とかしてくれる、だれかが代わりに成してくれる。だから自分からなにかをしなくても良いんじゃないか……って、そんな甘い考えを持ってしまわないように自制している。そう聞こえます」
「俺は臆病者だからな」
「この先のこと、すべて自分で済ませる気ですか」
「いいや。全部とは言わない。俺はそこまで全能じゃない。だからそういった共同体の習性を利用させてもらうんだ」
「共同体を引きずり込むためのわたしですか」
「もしガジェットの真実が俺の知るものと同じなら、共同体は動かずにはいられないはずだからな。この先、人の世界に未来はないとわかるんだから」
「でも、そこまでの力は、共同体には……」
いざとなったらと、シンジは言う。
「初号機を使うさ」
これにはフェイトは声を荒げた。
「初号機って!」
「話の中で、初号機を呼び寄せたこと、言ったろ? この世界にだって初号機はある。呼ぼうと思えば呼びだせる。コツはつかんだからな」
だったらどうしてと、フェイトは震える声で尋ねる。
「この機体で向かおうとしているんですか?」
「初号機は目立つからな。人間の側に過剰な反応を引き起こすには十分すぎるよ。ATフィールドと俺との組み合わせよりもまずいんだ」
「だから……あれ? でも」
「なんだよ」
「サーバインを取り戻したのは偶然ですよね……あの基地にあるとは思ってなかった。じゃあどうやって北極まで……」
そのことかとシンジ。
「なんでもよかったのさ。君たちの基地が一番北の地にあっただけだよ。そこでなにかを調達するつもりだったんだけど、サーバインが持ち込まれてたのは運が良かったな」
「サーバインを追ってやって来たわけではなかったんですか?」
「北極へ行けるなら、乗り物なんてなんだっていいだろう? こいつは君たちにとっては珍しいものかもしれないけれど、俺たちにとってはただの乗り物だ」
「初号機も?」
「まあな。ただまあ、初号機を使わない理由は他にもあるけど……」
「なんですか?」
「行方のわからない、エヴァのことだ」
ああと、フェイトは話のことを思い出した。
「未使用機……サードインパクトで使用されなかった」
確かにその件があったと口にする。
「資料で見たことがあります。確かにエヴァの躯体数機分が行方不明になっているままで、これは共同体でも最優先に近い条項で捜索が続けられていますが、世界がこの状態ですから」
うんとシンジは頷いた。
「でも部品ってレベルじゃないんだよ。建造が間に合わなくて、使われなかったっていうところまでは、こっちでも調べ上げたけど、その後どうなったのかがまるっきりつかめないままなんだ。少なくとも八千年後の世界では稼働状態にあったわけだから、今も建造中なのか、あるいは完成した状態で埋もれているのか」
フェイトはおしりをもぞりと動かした。
「それらを刺激したくないということですね」
そうさとシンジは、フェイトの腰の動きに、痛くなってきたのだなと察した。
「寄り道をしよう」
「どこにですか?」
「いいところさ」
行方をくらましたサーバインの捜索は続けられていた。
哨戒機が何機も飛ばされている。それでも影も見つからないのだが。
アスカは休憩と偽り、通信ブースを離れた。トイレの個室に入り、携帯電話を取りだし、登録ナンバーから人を選んだ。
繋がった相手に、アスカですと固い声を漏らす。
「彼の話は」
「報告は届いている。率直な意見を聞きたい。君の印象は」
「彼です。間違いなく。外見年齢は違っていますが。ですがその点にこだわるべきではありません」
アスカは迷いなく言い切った。
「彼が生身でATフィールドを扱えること。使徒のような、魔法のような力をふるえること。あの特殊な生体兵器を稼働させられるということ。そういった部分部分の事柄に対処と対策を講じるべきであって、碇シンジという個人名に惑わされるべきではありません」
「サードチルドレンという記号にとらわれるなと?」
「はい。高町隊員やテスタロッサ隊員以上の実力者であり、なんらかの情報を保持している人物である。その程度に捉えるべきです」
「無駄に警戒し、こだわると、見誤るか」
「印象では碇シンジですが、内面は別人です。むしろ考えるべきは背後関係についてでしょう。子連れでこの基地へ軍用機で乗り付けるなど、尋常ではありません」
「そちらについては心当たりがある。君は彼に揺さぶりをかけてくれ」
「ゆさぶりですか?」
「理力甲冑騎か。あれはくれてやれ。死蔵する予定であった代物だ。餌として使えるのならそれで良い」
「ガジェットを超える兵器ですが……」
「手に負えんからこそ封印しようとしていたのだ。それならば『シンジ』に使わせることになってでも、こちらの手駒として取り込むことを考えよう」
「そのための揺さぶりですか」
「行動、目的、すべてが不明だ。だが現在の人類の生息圏は狭いものだ。その基地より北には生命がまだ戻っていない。ならば補給はどうする?」
「……それは」
「いきあたりばったりに見えるということだ。うまく乗せれば、引き込めよう」
「もしなんらかの組織のバックアップを受けているなら? この先の補給も」
「それはありえんよ。ありえるとすれば支部だな」
「わかりました。確かに、先ほどから連絡の取れなくなっている支部があります。離反の動きも見えていたとの報告もあります。これを利用します」
「その報告は届いていないな。どういうものだ?」
「ゼーレの分派のようです。初号機の回収を訴えていた」
「そういうことか。初号機の名前を出して反応を見ると?」
「うまくいくとは思っていませんが……。ですがわたしの知る彼ならば、必ず反応を示すはずです」
「…………」
「なんです?」
「いや、思ったより自重しているなと思っただけだ」
「は?」
「こちらの話だ」
「……問題は、連絡がつけられないことです。接触できないことには」
「それならば、ひとつ立ち寄りそうな場所に心当たりがある。こちらから適当な指令書を送る。ヘリを使え」
「わかりました」
「ここは?」
「僕が育った家だよ」
「ここがシンジの部屋? 物置みたい」
「物置を改造した部屋だったんだよ。物置に戻されたみたいだけどね」
幼い頃に預けられた家である。
シンジは隣家との壁を壊すような無理矢理な形で、サーバインを狭い庭に駐機させていた。
コクピットに、懐中電灯などの使えそうなものをつめた防災鞄を放り込む。
自分もまた乗り込んで、サーバインを起き上がらせた。両手を前に下ろし、アスカに右手に、フェイトに左手に乗るよう促す。
すくい上げるように二人を手のひらに腰掛けさせて、サーバインは立ち上がり、歩き出した。
「どこへ向かうんですか?」
「この先にスーパーがあるんだ。なにか残ってるかもしれない。お腹減ったしね」
「残ってても、サードインパクト前のものですよ?」
「缶詰くらいあるさ。下着とか、そういうのも欲しいしね」
「わたしはこの格好のままですか……」
「老廃物の処理ならジャケットがしてくれてるだろ」
「気分の問題です」
「まあお風呂に入りたい気持ちはわかるけどね。っていうかいい加減リライト終わってるんだろ? 脱げば?」
「着替えがありませんから」
「ついでだ。揃えよう」
「放置されているとはいえ、窃盗ですか」
「生きてる人間が優先だよ」
「使いどころが間違ってますよ」
「うわー」
「はしゃぐなよ、って言っても無理か」
「こっちに来てわかった。枯れ谷の遺跡の中って、ほんとはこうなってたんだ」
「そうだな。風化して、ああなってしまったんだろうけど」
「ここが放っておいたらああなるんだよね」
「ああ」
「じゃあ、持ってちゃったほうが、この子達のためだよね」
渋い顔をしているフェイトに、アスカもやっぱり女の子なんだよと耳打ちする。
「あの子の生まれは話したとおりだからね。ぬいぐるみなんて知らないのさ」
「大目に見ろっていうんですか?」
「見なくても良いさ」
僕たちはこっちだと促す。
「アスカ! 上の階にはあとで行くから、上るなよ!」
わかったと口にするアスカをキッズコーナーに置き去りにする。
「どこへ……」
「表が騒がしいんだよな。誰か来たみたいだ」
「誰か……って」
「フェイトちゃん!」
「なのは!?」
「アスカ……君なのか」
「危害は」
「なにも」
「そう、よかったわね」
シンジを見る。
「久しぶり、って言った方がいい?」
「どうなんだろうな」
フェイトはちらりとシンジの顎を見上げた。
複雑な声色だとわかる。目前の少女が自分の元居た世界の人物と同じであるのかどうか、その疑問に答えが出せないのだと察しが付いた。
「いろいろと話を聞きたいんだけど」
「旧交を温めるつもりはないんだろ?」
「碇シンジ」
「なんだよ」
「投降しなさい」
「聞くと思うのか?」
「代償は……あたしたちよ」
「は?」
「生身でATフィールドを使える人間を相手に、あたしたちは手を出せないわ。唯一、上があたしたちごと葬り去ることを選択した場合を除いてね」
「俺一人のために、n2を使うっていうのか?」
「でもそれはできないのよ。上は、あたしたちを失うわけにはいかないの。それくらい人手が足りていないのよ」
「俺一人のために君たちを失うことはできないってわけか? 甘いな」
「そうかもね」
「それを逆に利用して、君たちを人質にして、いまより自分の立場を悪くしろって言うのか?」
「いまより良くなる立場なんて、ないでしょ?」
「いいや、ある。俺はアスカ……小さなアスカを抱えてる。あの子は普通の子だからな。あの子の将来を悪いものにはできない。人質に取られるような真似は、な」
「保証すると言っても?」
「俺のことを信用できるのか?」
「平行線ね」
「そういうことだ」
「ではどうするというの? 敵になる?」
「味方じゃなければ敵か? 単純だな。俺たちは逃げてるだけだ」
「どこへ?」
「どこでもない。俺は乗り物が欲しかっただけだ。たまたま乗り慣れた機体を見つけたんで取り返しただけさ。君たちが追ってくるから、逃げてるだけで、行き先なんて決めてない」
「あれだけの真似をすれば、追われるのは当然でしょう」
「やったのはガジェットだろう? フェイトちゃん」
「はい」
「俺の話、教えてやってくれ」
「わかりました。アスカさん」
「いいわ……なのはにも」
「はい」
二人の脳へ、シンジの話が転送される。
「これを信じろっていうの?」
「ほんとのことさ」
「フェイト」
「わたしは信じられるものと思います」
「証拠はなし。あなたの印象なのね」
「はい」
「そう……だけど。ちょっと待って」
巨人機が東シナ海を渡ってくる。
「シンジー」
アスカがやってくる。
「なにかあった?」
「みたいだね」
ちらりと見て、尋ねる。
「この人……似てるね、あの人に」
「そっくりだろ、こっちがオリジナルだ」
「あたしは? あたしも大きくなったら似るのかな?」
「似ないよ。君の場合は遺伝子の構造……魂の作りが似てるってだけの話だからね。雰囲気は似るかもしれないけど、顔は似たりしないさ」
「そっか」
「で、なにがあったか聞いてもいいのか?」
「なのは」
「はい」
魔法でビジョンを提供する。
「未確認機が日本支部を目指してるって連絡が来たのよ」
「へぇ」
「なによ」
「そういう連絡が来るような地位にいるんだなって」
「まさか。あたしはただのオペレーターよ」
「それが俺の交渉役に出てくる?」
「表向きは個人的な行動……ってことよ」
「おかしいじゃないか。じゃあさっきの人質って話は……アスカ、君は」
「そういう役回りを演じてるってことよ」
「まったく……」
誰かに対しての毒づきに聞こえるものだった。
「で、交渉は打ち切りか?」
「まさか。こいつ、あんたの話にあった機体じゃないのね?」
「機族の空中母艦のことか? こいつはエヴァのフライングキャリア級だろう。俺が見た物よりずっと大きいぞ」
それにしてもと思う。
「セカンドインパクトの影響で宇宙はゴミだらけで、衛星の打ち上げってろくにすすんでないんだろ? よく見つけたな」
「あんたを見つけるために、哨戒機をいつもより多く飛ばしていたのよ」
「この映像もその哨戒機から?」
「ええ」
「未確認機って言ったな? ガジェット以外のものだっていう可能性があるのか?」
「内部に離反の動きが見られるからよ」
「離反?」
「ええ」
「それが俺との接触を急いだ理由か?」
「そうよ」
「わからないな……。俺ということはサードチルドレンか? それが離反に繋がるというのはどういう話だ?」
「必要なのよ、エヴァのためにね」
「サーバインのように、隠し持っている機体でもあるのか?」
「いいえ……あんたにしか動かせないエヴァがあるでしょう?」
頭上を指さす。
「まさか!」
「そう……初号機のことよ。あんたの話にあったような状態じゃない。月の裏側あたりに浮かんでる。いまのあたしたちの科学力で十分回収可能な範囲に存在してるのよ」
「いまさら、エヴァの時代でもないだろうに」
「いまだからこそよ。人類の数が一握りとなっているいまなら、頂点を取れるわ」
「だけどなぁ……。改めてエヴァを建造した方が早くないか? 人類だって使徒だ。人を元にすればエヴァは作れる。人柱だって、俺を捕まえるよりも洗脳とか教育を施した方が……」
「さすがにその発想は禁忌だってことよ。人は人であって使徒ではない。実は使徒の仲間だなんて、とうてい認められないんでしょうよ」
「まだネルフやゼーレよりまともなんだな」
「だからこそ手に負えないのよ。まともだから、狂気に走らず、人同士傷つけ合い、殺し合う道を選んじゃうのよ」
「大人の意見だな。前だけを見ていた頃の君とは大違いだ」
「大人にもなるわ」
「まだ十……七だったか? それくらいだろう?」
「三年は大人になるには十分な時間よ……なによ」
くっくとシンジの口から笑いが漏れていた。
いやいやと笑いかける。
「かわいいな」
「なっ!」
真っ赤になったアスカに、怒るなよと告げる。
「こっちは君よりも長く生きてるんだ。そう無理して、同じくらいの精神年齢に見せなくても良い」
誰かへの癖で、つい手を伸ばしてしまった。
「頭を撫でないでよ!」
「そういうところが可愛いんだけどな」
払いのけられた手をぷらぷらと振る。
「シンジ、まじめにやる!」
下からの不満に、こっちの頭を撫でることにした。
「なに妬いてんだよ」
手を乗せたら、その手を取って、噛まれた。
「痛いって。たく」
噛ませたままにして、シンジは改めて尋ねた。
「で、俺たちは? 捕まえるための時間はない。見逃すつもりもない。どうするつもりだ?」
アスカはシンジの背後に控えるフェイトを見た。
「あんたはどうするの? どっちの味方をする?」
「わたしは共同体の人間です」
「なら二対一ね」
「二対一?」
「なのはとフェイト、それとあんた」
「それで勝てると思うのか?」
「二人を甘く見ないでちょうだい。リミッターを解除すれば、ATフィールドを撃ち抜くくらいのことは可能よ」
「それは凄いな」
嘆息する。
「生身での殺し合いは趣味じゃないんだが」
びくりとフェイトは震えた。
話の中に出てきたシンジは人殺しを忌避していた。
しかし話の最後の時点から、どうやらシンジは三年の時を過ごしているらしい。
その間に殺人もやむなしと、趣旨替えをしているように聞こえたのだ。
「やるっての?」
アスカの挑発にシンジは乗らなかった。
「それも無駄なことだからなぁ」
「どういう意味よ」
「フライングキャリアの正体がどうであれ、たぶん、目的は同じだろ?」
「あんたか、あれでしょうね」
「ああ。もし飛んでいるのが共同体のキャリアなら、君の話の通り、初号機が目当てだろうな」
「ガジェットなら?」
「基地を襲ったガジェットのことを思い出せよ。あれは地下のサーバインを真っ直ぐに目指していただろう? あれは確認、偵察用のガジェットだったってことさ。強行偵察型って言えばいいのかな。日に何度も来るものじゃないって話を聞いたが、きっと理力甲冑騎……捨て置けない地場とか空間の歪みのようなものを観測したんだろ。だからその原因を見極めようとしたとか、そんなところだろうな」
なるほどと、合点のいく情報に、フェイトはアスカを見た。
アスカも頷く。
「ガジェットは、あれの正体が気になった仕方がないってわけね?」
「確認できるまで、何機でも送り込むつもりだったんだろうが、目的を果たしたんで、次に攻略用の機体を送り込んできた……とも考えられるな」
悪かったなとシンジは謝罪した。
「俺がトリガーになったのは間違いない。それしか考えられないからな。俺の存在を感じて、サーバインは目覚めたんだ。その時に、この世界にはあり得るはずのない生体波動を発信した。そんなところだろうな」
なのはが疑問を口にする。
「生体波動ですか?」
「パターン青とか。知ってるだろ?」
「でも使徒とは違うというお話でしたよね」
「見たこともないパターンだからこそ無視できなかったんだろうさ。危険の度合いがわからない。だから強行偵察に出た。そして消滅させるべきだと判断した」
軽い口調で話しシンジに、アスカが呆れてため息をこぼした。
「あんたが倒したからでしょうが、あれで、ガジェットを。だから驚異と判断された」
「かもな」
「あれを捨てる気は?」
「ないな。それに、できないことは口にするもんじゃない。君の上がさせないだろ」
「そうでもないわ……」
隠れた上司の言葉があるのだが、それを表に出そうとはしなかった。
「状況は使徒戦と同じだ」
なにか裏があると察しつつも、シンジは会話を進めた。
「敵には明確な目標があって、タッチダウンを狙ってる。救いがあるのは、それで人類が滅んだりはしないし、生き物の居ない荒野がいくらでもあって、狙われてるものは自在に飛んで移動できる」
「あんたの話じゃ、むしろ正義の味方は向こうだってことになるわね」
「自然と環境の味方だからな、ガジェットは。もし支部が相手なら、それはもう人同士の争いな訳だから、話は簡単になるんだが」
フェイトが口を挟む。
「アスカさん、サーバイン……碇さんに、行動の自由を与えると言うことはできないんですか?」
「難しいけど、承認させることはできるわ。でもどうして」
「サーバインごと、海の上に出てもらった方がいいと思ったんです」
「何故?」
「戦闘になった場合、陸の上では環境に大して人外な被害がもたらされます。相手がガジェットであれ、支部であれ、ガジェットがそれを見過ごすはずがありません」
「呼び水になるってことね」
「はい」
「海の上でも、それは変わらないんじゃない?」
「最終的に、まとめて消す……という算段が立てやすいかどうかで、話は違ってきます」
「ぶっそうな子だったんだね」
「現実的だと言ってください」
「俺たちごとn2で消し飛ばすって言うんだろ?」
「そんなことはさせません」
「君になにができるんだ?」
「アスカさんが教えてくれました」
「なに?」
「人質です」
「フェイトちゃん!」
「ごめん、なのは……でもこれが一番良いと思うんだ」
「フェイト、あなた……」
「共同体には、なのはに対抗しうる魔導士は、わたししかいません。でしょう?」
「それを敵になるかもしれない相手に渡せというの?」
「だからこそ、効果があると思います」
「でも」
「ちょっと待て」
「碇さん。わたしは」
「わかった、だから待ってくれ」
小さなアスカを見る。小さなアスカは、嘆息し、諦めるしかないとかぶりを振った。
同じ結論に達していると判断し、シンジは答えた。
「わかった、投降する」
「は?」
「俺たちの行動は、自己満足でしかないんだ。最終的に果たしたい目的は、北の……ガジェットについて、なんかじゃない。平穏無事に暮らせるようになることなんだ。人質を取らされて、極悪人になるなんて言うのはごめんだ」
「嫌に簡単に……」
「約束してくれ。この子の身の安全だけは保証すると」
「なら……保護者としてフェイト、あなたの観察下に置かれるように手を回すから」
「わたしに、ですか」
「ええ」
溜め息をこぼす。
「すっかり、毒されてるみたいだからね。そっちも、フェイトなら安心できるでしょ」
こうしてサーバインは基地へと戻り、大型のトラックの荷台に腰掛けた状態で、かかとで地を削りながら格納庫へと収納された。
本部施設内。
ジャケットを腕に抱き、スーツ姿でフェイトは部屋を出た。
技術部主任の部屋である。部屋の外の壁には、アスカがよりかかり、待っていた。
「どうだった?」
「再現可能なレベルのものだそうです」
アスカは驚いた。
「あたしたちの技術で作れる程度のものなの?」
「恐ろしく精密だそうですが。回路図を描くようにナノファイバーで編み上げられているだけの代物だということです。問題はその回路図で……」
「設計図の作成か……」
「技術的には可能でも、理論的な面について理解できないことが多いと」
「コピーは?」
「機能劣化は避けられませんが、既に作成に入っているそうです」
「相変わらず仕事が速いわね」
二人は揃って歩き出した。
「コピーはできても、理論について解けないんじゃ、一切手を加えることはできないわね」
フェイトが尋ねる。
「彼は?」
「ロボットのところよ」
「理力甲冑騎……ああ、科特研が、あれについて、このジャケットからようやく理解できたことがあると」
「なに?」
「ジャケットもそうなんですけど、ナノファイバーの繊維の毛羽だった部分が、アンテナのような役割をしているんだそうです。生体磁場からの信号を読み取る受信アンテナとしての役割と、エネルギー放出のためのアンテナの」
「理力甲冑騎側との関係は?」
「なぜ操縦桿ではなく操縦管なのか。筒はフィラメントとブースターを兼ねているようなものなんだそうです。脳から手のひらを経て機体へと伝えられる信号を筒の中で純化し、増幅するための」
「だからあんなもので動かせる?」
「見方を変えると、十分な『魔力』を放出できるのなら、コントロールボックスに収まる必要すらないだろうとのことです」
「外部から無線コントロールできるって訳ね」
「そのあたりの技術体系が同じなんだそうです。生体側が発信する信号をフィルタにかけてクリーンアップし、回路で増幅、あるいは変換する。科特研はこれを魔力回路と呼んでいました」
「誤解されるんじゃない?」
「理力甲冑騎そのものがファンタジーな兵器ですから、良いんじゃないでしょうか」
それでと尋ねる。
「キャリアの動向は」
「洋上で迎え撃つそうよ。目的が撃墜である以上、陸で落とすわけにはいかないからね」
「なんですか?」
「あいつの言うとおりだなと思ったのよ」
「え?」
「使徒戦に似てるって話よ」
「ああ」
「本部の地下に隠してあるものがあって、敵はそれを狙ってて。敗北条件はタッチダウンされること。慰めは、使徒戦の時と違って、それでセカンドインパクトや、サードインパクトみたいなことが起こらないってこと、か」
「ガジェットは理力甲冑騎をどうするつもりなんでしょうね。ああまでして、存在を確かめて……」」
「あいつの話が真実なら、目的は駆除でしょうけど。駆除だけで済むのかどうか」
「でも生体部品が使用されているだけで、生き物じゃないんですよ? 繁殖する訳じゃないのに」
「けれど基が生物なら、クローニングは可能よ」
「量産ですか?」
「いいえ。生物の筋肉や内蔵が使われているのよ? なら蘇るのはその生き物でしょう?」
「あ!」
「学者連中は、きっと見たいでしょうね、その基になっているって生き物を」
「興味からですか」
「正体のわからないものがあるなんて、落ち着かないでしょ?」
フェイトは思わず顔をしかめた。
──力を持ってる連中って言うのは、いつでもどこでも同じだからね。
シンジの言葉が思い出されたからである。
(正体がわかったら?)
今度は利用のために動き出すに決まっていた。
「せめてあれを洋上に移動できれば良かったんだけど」
「サーバインの移送許可、下りなかったんですね」
「相手が人かガジェットか、それが確認できていないとか、それらしい理由を説明されたけど」
共同体の先発隊の築いたものがこの基地である。
基地に箝口令を敷くだけで済む話であった。
「それで、なのははどうしたんですか?」
「今はあいつの監視をしてもらってる」
「大丈夫なんですか?」
「どっちが? あいつ? それともなのは?」
「なのはです。正直、あの人が本気になったら、どうなるか」
「あいつが本物であることを祈ってて。本物なら、甘いはずだから……少なくともあたしが知ってるシンジは、甘かったから」
サーバインは戦闘機の並ぶ格納庫の一角に収められていた。
「大騒ぎしたあげくに、出戻りか」
鉄骨のやぐらに囲まれている。立った状態で、白衣の人間の『検診』を受けていた。
白衣の者たちは、サーバインへ電極を刺しては、ハンディパソコンの画面をのぞき込み、話し合っている。
「あんなことでなにかわかるのかなぁ?」
口にしたアスカは、返事がないことを訝しんでシンジを見上げた。
「どしたの?」
「血を抜いてるな」
なのはも気付く。
「分析にかけるのかな?」
「確認した方がいいかな?」
「でも今までも施設の中にあったわけですから」
「それもそうか」
「シンジさん」
振り向くと、フェイトが居た。
「お返しします」
格納庫の奥にある事務室を占拠し、フェイトはかけっぱなしのコーヒーメーカーより、でがらしのコーヒーを入れて配った。
「ありがと」
シンジはコーヒーを受け取りながら、ジャケットに袖を通すアスカを見た。
「サイズ、ちゃんとしておきなよ」
「わかってる」
んしょっと声を出し、襟を引っ張る。
するとジャケットはシュッと音を立てて縮んだ。
なのはが目を丸くする。
「便利ですねぇ」
「欲しい?」
「はい!」
「あげないけどね」
「ですよねー……」
「で、どうだった?」
フェイトに尋ねる。
「なにかわかった?」
にこにこと口にするシンジに、ごまかすだけ無駄だなと、フェイトは降参した。
「複製を試してみると」
「できるのか」
「みたいです」
「そうか……」
「驚かないんですね」
「まあね。あっちの世界じゃ、これはオーバーテクノロジー扱いの遺物だったけど、この時代のテクノロジーなら、そうでもないんじゃないかとは思ってたんだ」
ズズッとコーヒーを口にし、苦いだけだなと顔をしかめる。
「だってほら、機族……ガジェットが活性化した後の世界は、人の側の科学力は衰退する一方だからさ。このジャケットが開発されるとなったら、その前でないと……ってなるだろ?」
「だから今、ですか」
「うん。なんとなく、卵と鶏のどっちが先かってことになりそうなんだけど」
そこでシンジは訝しげにフェイトを見た。
「で、いいのかい? ぺらぺらとさ」
フェイトはきまじめに答える。
「許可はもらっていますから。というよりも、情報を与えておけば、大人しくしているんじゃないかって、期待しているみたいです」
シンジはふむと考え込むそぶりを見せた。
「やり過ぎたかな?」
はいと、これもまた正直に肯定するフェイトである。
「怖いんだと思います。あなたの力は、確認されている中でも十指に入りますから」
シンジは吹き出した。
「トップじゃないのか」
確認されている状態での判定だとフェイトは補足する。
「まだ全力を出されてはいないでしょう? それを見せていただかなければなんとも……。もっとも、誰も確かめたいとは思っていないようですが」
それはそうだろうとシンジは言う。
「僕の見せた力、ATフィールドとかは使徒の方向の力だからねぇ……嫌なことを思い出すんだろうさ。サーバインについてはなんて言ってた?」
フェイトは苦い顔をした。
「今は取り扱いでもめています」
「取り扱い?」
「どうやっても稼働……生き返らなかったものが、今は息をするように動いているんです。シンジさんの言ったとおりになってます」
「やっぱり、力は力ってことだよな……」
冗談っぽくシンジは尋ねる。
「拾ってくれたことは感謝してるし、お礼だってするよ? できる範囲でだけど、力を貸せっていうのなら、貸してもいい。だけどその物言いはいただけないな。自分たちのものだって言ってるように聞こえる」
十二機の戦闘機が編隊を組み、空を行く。
パイロットの一人が隣の機体との間に目をやり、頭痛がするとでも言いたげにヘルメットを振った。
そこに少女が舞っているからである。
気流に乗って漂っているようにも見える。同じ速度で飛んでいるために、ふわふわと浮いていると錯覚できる。
「聞こえるか」
パイロットはフェイトに対しての特別チャンネルを開いた。
「はい」
通信器を使った音とは違う、クリアな音声が耳に入る。
通信器も無しに、通信器を通じた会話を可能としている。
科特研によればこれも科学で説明が付くというのだが、彼には魔法以外の何ものでもないと思えた。
「まもなくターゲットが捕捉できる。新装備の調子はどうだ?」
もちろんコピージャケットのことである。
「速度はオリジナルの四割減……と言ったところでしょうか。そちらの戦闘速度並みです」
「ほかに問題は?」
「科特研からも注意がありましたが……再現できていないものが多数あります。特に、防壁と障壁があまり役に立っていません。風がきつくて」
きついで済むのかと、むしろ彼はそちらに驚く。すでに音速近いのだ。
だが確かに、戦闘中に目を開いていられないというのでは話にならなかった。
「空を飛べるだけではな」
「この速度では、相手がガジェットであった場合、追うことはできません」
「それはこちらも同じだが、こちらより小回りは利くはずだな」
「瞬間的な加速力も上だと思います」
「最高速度で負けて、加減速で上で、差し引きゼロ。そう思うしかないな。哨戒機より連絡が入った。的の空中母艦は、現在、複数のガジェットを放出しているところらしい。こいつを地表で墜落させると、どれだけのガジェットがばらまかれることになるかわからん」
「わたしは」
「ハエはこちらで叩く。君は母艦の相手をしてくれ。大きすぎて搭載しているミサイルでは火力が足りない。使い果たすことになってしまう」
「わかりました」
「まずは有人機か、ガジェットか、それを調べる!」
支援部隊として、洋上には四隻のイージス艦に、一隻の空母が艦隊を組んでいた。
高空戦力の接敵まで残り五分を切っている。
艦隊が戦闘域に到達するのはその後になる。
フェイトは逆算する。
(ガジェットを相手に船は遅すぎる)
そもそも最大の攻撃力であるミサイルの速度が、ガジェットの最大戦速に届かないのである。
そうなると、使うミサイルは範囲攻撃用の起爆型となる。つまりはN2である。
(敵味方なく……)
フェイトは顔に当たる風に、ゴーグルを持ってくれば良かったと思った。
この点においても、急ごしらえのジャケットの能力が不足していると感じられるのだ。
(防御能力はあてにならない)
先の戦闘では、ジャケットの展開してくれた防壁に助けられた。直撃を受けてもダメージを負うことはなかった。
だがそのことは、一つのことを教えてくれる。あれだけの機動力を持ってしても、ガジェットの追撃から逃れきることはできないという事実である。
さらに今度は、被弾から守ってくれる盾がない。
少しばかり慣れた程度では……ましてや速度もなにもかもが劣るコピー品では、である。
機銃にかすめられただけでどうなるか、考えたくもない状況が想像できた。
「見えた」
五十メートルほど下方の、雲の上に漂っている巨人機を発見する。
僚機が展開し、急降下攻撃の姿勢に入る。
フェイトはその場で砲撃の呪的展開に入った。
「フェイト・テスタロッサ。狙い撃ちます」
マントをはためかせ、敵機の進行速度に合わせ、後退し、相対速度をゼロにする。
「バルディッシュ」
《Get set.》
巨人機の翼、上面に半球状の物体がせり上がる。対空機銃だった。
火線をほとばしらせる。機銃に追われながらの、ガジェットと戦闘機によるダンスが始まった。
基地内宿泊施設。
「始まった」
唐突に口にしたのはシンジである。
窓から空を見ていた。
部屋の中はパイプ式の二段ベッドと、事務机が二人分しつらえられている。
後は小さな冷蔵庫があった。中は空であったが。
「わかるんですか?」
白いジャケットを羽織ったなのはが、驚いて尋ねる。
「何千キロも離れてるのに」
なのはの戦闘衣装に似たデザインではあるが、別物であった。
「まさか」
シンジは笑った。
「基地の通信を聞いてるんだよ」
「通信って……」
電波を受信してるんですかーと口にすると、馬鹿にしているようなので、なのはは口ごもった。
「どうやらガジェットだったらしいよ。さて、僕の見立てじゃ、ガジェットってのは人の予想を超えたことをやってくれるものみたいなんだけどな。フェイトちゃんに対応できるかな?」
シンジはアスカを見下ろした。
「なんか、ずっとなにか食べてるか、飲んでるかしてないか?」
「甘いもの、おいしい」
「何でカタコトなんだよ」
俺も何か欲しいなと、シンジはシャツののど元に指を引っかけた。
「あの子も難しい立場にあるんだろうな」
「どんな立場なの?」
そうだなと、わかりやすく伝えようと試みる。
「いくらでもお偉いさんがいるだろうにさ。あの子って、役職的にどうなの?」
振られて、なのは言葉に詰まった。
「その……」
「そう高いものじゃないわけだ」
情報担当職員の一人でしかない。
顔見知りってことで選ばれたんだろうと、シンジはアスカに答え返した。
「お偉いおじさんおばさん連中は、隠れて反応を見てたんだろうさ。これから僕がどういう行動を取るのか、それも観察するつもりなんだろうけど。そうだろ?」
弱ったなのはは、笑ってごまかした。
「あたしに聞かれてもぉ」
そんななのはに、アスカは素朴に尋ねる。
「おねえちゃんは監視役?」
慌てるなのはである。
「そういうつもりはないんだけど!」
苦笑するシンジだった。
「つもりはなくても、役割としてはそういうところなんだろうさ。いじめちゃダメだよ。で、なのはちゃんには悪いけど、付き合ってもらうよ?」
あははとなのはは困った様子で笑った。もう笑うしかないと思ったようでもあった。
「やっぱり何かしでかすつもりなんですね……はぁ」
最後の嘆息に苦笑する。
「別に俺がなにかするってわけじゃないよ。ただ、戦力の増強は図っておいた方がいいだろうと思ってね」
「サーバインを改造するんですか?」
「いや、君たちの、さ」
「え?」
「君も、空、飛びたくないか?」
「アルカス・クルタス・エイギアス。煌めきたる天神よ。今導きのもと降りきたれ。バルエル・ザルエル・ブラウゼル。撃つは雷、響くは轟雷。アルカス・クルタス・エイギアス」
攻撃魔法のためのスタートキーを詠唱し、フェイトはバルディッシュを巨人機へと振り下ろした。
《Thunder Fall.》
周囲の雲がどす黒く変じ、雷雲化して、多量の雷撃が巨人機へと集束した。
白熱の中にとらわれた巨人機であったが、フェイトはバリアによってやり過ごされたのを見て取った。
「くっ!」
すぐさま宙返りを打って降下に入る。その動きを追って機銃の火線が伸びた。
「バリアの内側に入るしかない。でも」
ガジェットと戦闘状態に入っている戦闘機隊に目を向ける。
戦闘機に搭載できるミサイルの数は限られている。
だからこそ、魔法などというものを主体としているフェイトが主戦力となりえるのだ。
弾切れを気にすることなく撃ち続けられるということは、それだけで有利なのである。
(でも、戦闘機隊はそうはいかない)
弾切れを起こしたガジェットを目で追えば、フライングキャリアへと帰投していた。
巨人機の後部より腹の下に開かれている穴に飛び込み、その中で補充を受け、再び前方の開口部より飛び出している。
「なんとかして、ドッキングベイを破壊しないと」
ちょうどガジェットの一体が帰投コースに入っていた。
「利用する!」
ガジェットに気付かれぬよう接近し、取り付く。
気付いたガジェットが機体を揺らして暴れた。さらに人型に変形し、腕を回して背中のフェイトをつかもうとするが、腕が届かない。
その勢いのままに、ドッキングベイに突っ込んでしまう。
バランスを失ったガジェットは、受け身に失敗して転がった。
先に飛び降りていたフェイトが、勢いを殺しきれず、そのまま発進口より転落するガジェットを背景にして叫んだ。
「バルディッシュ!」
《Photon lancer, Full auto fire.》
槍のようなエネルギー弾がフェイトの周囲に生成され、全方位に射出された。
止まることなく、生成と発射が繰り返される。
突き刺さった巨人機内壁が割れていく。補給のためのアームが折れる。
そしてついに、補給用のミサイルに引火、爆発を起こした。
爆風と共にフェイトは後部ハッチより放り出された。
ジャケットを当てにせず、身を守る術を行使しているために、ただの浮遊魔術で落下を防ぐのが精一杯であった。ただ浮いているだけのような状態であるために、あっという間に置き去りにされる。
そんなフェイトを、先ほど放り出されたガジェットが狙った。
背後に戦闘機状態でふわりと現れる。
気付いたフェイトが対処しようにも間に合わない。
「あ!」
機関砲が火を噴いた。マズルフラッシュにフェイトは体を丸くし、身を固め、銃弾に耐えようとした。
もちろん彼女の展開している魔法障壁では耐えることのできない。それは事前にわかっていた。
させるかと声が聞こえた。
ミサイルがガジェットの背中に突き刺さり、爆発した。
パスしていく戦闘機のパイロットが、指を立てているのが見えた。
「巨人機は!」
何故か、黒煙を垂れ流しながら、徐々に、徐々に上っていく。
さらに、変形現象が見られた。
翼の尖端が割れ、広がっていく。
その形に驚いたのは、本部のアスカだった。
「まさか……使徒の作戦を模倣する気!?」
空から落ちてきた使徒のことが思い出された。
もし相手が支部ではなくガジェットであれば。
「まずい、フェイト、他の機体の人も、あれを落として!」
え!? と、席を立って叫ぶアスカに、情報室の人々の目が集中する。
一オペレーターが立ち上がって叫ぶなど、あってはならないことなのだが、アスカはかまわなかった。
「届かなくなる!」
もし使徒を模倣しようというのであれば、衛星軌道へ上ってから降下するという攻撃方法が予測された。
質量攻撃を行うつもりであるのか、あるいは小型ガジェットを散布するためなのかはわからないが、今の彼らに大気圏外のものを迎撃できる装備はなく、また、受け止められるロボットもない。
「このままじゃ、終わる!」
──大丈夫、あたしが!
割って入った声に、誰もが驚いた。
「なのは!」
なのはは訓練用のグラウンドに立っていた。
手に携えているのはレイジングハートである。
「なのは、なにをしているの!」
通信に対し、なのはは言う。
「あたしがやります」
「なに言ってるの! そこから何千キロあると思ってるの。第一、あんたの攻撃じゃ……まさか!」 なのははにやりと笑う。
「バリアブルジャケット、レンタル済みです」
バカンと音がした。
それはレイジングハートからのものであった。
無骨な外装が外れていく。
ドン、ガゴンと、音を立てて地に落ちる。
そしてなのはの手に残ったのは、杖であった。尖端がピンク色で、クエスチョンマークを描くように曲がっているのだが、中心部には赤い玉がはめ込まれていた。
プラスチック製の錫杖に見える。もちろん、そんな柔な材質でできているものではない。
レイジングハート。その正体は一本の杖であった。サイズはバルディッシュとほぼ同じである。
実際のところ、なのはとフェイトの能力に差はなかった。だが魔法に関わる回路を持って生み出されたフェイトと違って、後天的に魔法使いとなったなのは、修練、習熟によって強大な力の制御法を編み出さねばならなかったのである。
しかし、フェイト、なのはほどの能力者ともなると、能力開発は実験と言い換えるものに等しかった。前例がないためである。
結果、なのはは膨大な魔力を巨砲の砲弾加速用、あるいは加速変換してのビームとして使用するほかなかったのである。レイジングハートの外装は本体をただのエネルギー機関、電池と見立ててのものであったのだ、が、これは宝の持ち腐れと言えた。
だが、いま、バリアブルジャケットを得たことによって、フェイトが体験した革新、進化にも等しい変革を迎えていた。
「でも、だからって、成層圏には……」
──それは俺がなんとかしよう。
アスカの端末ではなく、情報室のスピーカーそのものからの声に、アスカは声を荒げた。
「シンジ!」
「認める気になったのか?」
メインモニターに、碇シンジが映し出される。
股ぐらに小さなアスカを座らせている。サーバインの操縦席からの映像であった。
「時間切れだ」
シンジは皮肉を顔に浮かべた。
「なに?」
重く強い声でシンジは告げた。
「現時刻をもって、碇シンジは国連管理局執行行政機関武装隊、魔技戦技教導隊戦技教導官として着任する。なお初回戦技教導は実習を持って行う」
「あんた、なに言って」
「許可する」
「総督!?」
「ここを乗り切らねば、我々に未来はない」
アスカははっと気付いた。
「彼が来たんじゃない、呼び寄せたんですか、総督が!」
にやりと、どこかで見たような笑みを総督は浮かべる。
アスカはやられたと歯がみした。
サーバインの移送許可が下りなかったのも当然である。彼のために残されたのだ。
「この切り札を切るつもりはなかったんだがな」
シンジの独り言である。
この役に就いたが最後、共同体に組み込まれ、自由はなくなる。
しかしシンジは現状を優先したのであった。
総督となった碇ゲンドウが口を開く。
「シンジ」
「なにさ」
「高町君を頼む」
「言われなくても!」
アスカはぎりぎりと歯ぎしりをした。
碇シンジのことを理解し、承知していて、その上でこの基地に招き入れることが出来、すべてを秘匿する権限を持つ者。考えてみればそのような人物は限られているのだ。
「謀りましたね、総督……碇司令」
「司令はやめろ。いきなりでは、問題が起こるかと思っただけだ」
「問題?」
「君たちが……とりわけ君が、あいつを受け入れることができるのか、不安だったものでな。第一、本人だとどうして信じられる? あの姿を見て」
だからこそ。
「多少の被害はかまわん、好きに暴れて見せろと許可を与えた」
サーバインの纏うオーラバリアが、虹色の残照を残して散っていく。
有害な放射線を弾いているために起こっている現象であった。既に高空、大気圏外である。
「うわぁ……」
なのはは地球の姿に感動した。感動のあまり目を丸くし、大口を開けている。
サーバインのコクピットハッチを開放し、手を腹の前に合わせている。その手のひらの上になのはは立って、闇の中、青く光る星を見下ろした。
星とは言っても衛星軌道まで上っているわけではないため、弧を描く地平線を眺められるだけなのだが、それでも宇宙の闇と水の大気の青さとのコントラストはすばらしいものだった。
「チャンスは一回だ」
背後のシートで、シンジが忠告する。
「相手は母艦クラスだ。ヘタをすると、中にガジェットを山ほど抱え込んでる可能性がある。もしそれが墜落と同時に解き放たれたら、もう手の施しようがない乱戦になる……はずだったろうけどさ」
「サーバインがここにある。ですね」
「うん。連中の目標がこいつなら、間違いなくこっちへ向かってくる。ここで撃ち落とせば、大気摩擦で落ちながら消えてくれるはずだ」
ちらりとシンジは極の北方向に目を向けた。
めざとくなのはが指摘する。
「行きたいんですか?」
「まあね。このまま突入っていうのもありだろうけど」
「行かないんですね」
「俺は俺が無敵だなんて思ってないよ。だから無茶はしないし、助けてくれる人がいるなら、遠慮なく手を貸してもらうよ」
なのははそれ以上は問い詰めなかった。時間がなくなったためである。
眼下で大陸が高速で移動している。もちろん、目標も一瞬で通り過ぎることになるだろう。
なのはは目を閉じ、深呼吸をするとレイジングハートへ命じた。
「レイジングハート」
《Hi, Master.》
「おっきいの、やるよ」
《Stand by ready. charge set.》
外装を解いたレイジングハートは、まるで注ぎ込まれた膨大な魔力の余剰分を吹き出すように、錫杖型擬装の先端部付近より、羽、翼のように光の粒子を吹きこぼしていた。
彼女は両手でレイジングハートを支持すると、足下、靴の外側に光の翼を生んだ。
それもまた、余剰エネルギーの放出であった。
小さなものと大きなもの、左右合わせて四枚の翼に見える。
「ぶっつけ本番で大丈夫かい?」
「バリアブルジャケットのオート回路が、ちゃんと補正してくれています。やれます。いけます。だいじょーぶです!」
にやーりと笑っているのだが、シンジから見えるのはなのはの後頭部なのでわからない。
「なのは……」
ぎりりとアスカは歯をかみしめる。
「すっかり懐柔されて」
呻くアスカを、碇ゲンドウが観察している。
「見えた」
シンジが言う。
「直上から降下。相手の正面に出る。攻撃はこちらが引き受ける。君は撃つことだけに集中して」
「はい」
「行くよ!」
サーバインが急降下を敢行する。
ハッチは開いたままだが、なのはは上下が逆さまになった状態で耐えた。荷重が足を、体を、落下しないようへばりつかせてくれている。
一瞬の無重力。視界がぐるりと回ったかと思えば、真正面に巨人機が迫っていた。
あちらも慌てたかのように機銃座を解放し、防衛に移る。
「ATフィールド!」
迫る砲弾が直撃寸前で、壁に当たり、弾けて割れ、飛び散った。
あるいは爆発するが、どれも金色の壁の向こう側のことである。
なのはは凄いと思った。
(これが、絶対領域)
《Master》
「いっくよー!」
なのはむんっと踏ん張り、両手で支持したレイジングハートの尖端を突き出した。
「ディバイーン……バスター!」
直後、閃光が世界を白と黒に塗り分けた。
シンジが絶妙のタイミングでATフィールドを解除する。
飛び込もうとした砲弾が、なのはの放ったビームに呑み込まれて消失する。
あまりの威力に、反動がなのはを押し下がらせる。これに対応したバリアブルジャケットが、なのはの足下に魔法陣を展開した。
本来、なのは自身へかかっている反動を、魔法陣が吸収する。
地上でなのはが使用していたものとは違う、それはシンジの知る、未来の魔法使い達が使っていたものと同様の魔力光であった。
(でも、威力がありすぎないかぁ!?)
吹き出すエネルギーに終わりが見られない。
ふくれあがる一方である。
「くふ、くふふ」
そらに嫌な感じの含み笑いが聞こえてきたことで、シンジは自分の過ちに気がついた。
(なにかのスイッチ入ってる!)
「シンジ!」
一方で冷静に観察していたのはアスカだった。
「弾いてる!」
「え!」
ただの戦闘機であれば光に呑み込まれ粒子に変換されるほどのエネルギーである。
その奔流を受け流し、割り散らしながら、航空母艦型ガジェットは機首を上向けた。
「アスカ!」
「お姉ちゃん!」
シンジの声にアスカが跳ね起き、なのはの腰をつかんで引っ張った。
「ふぇあ!?」
ビームの放射を途切れさせ、なのは引き倒されるまま、コクピットへと引きずり込まれた。
ハッチが閉じる。
「なになに!?」
素早くアスカがシートの背後へと回り込み、なのはのためにシンジの膝を空ける。
なのははシンジの上に横座りになる格好になって、うひゃあと奇妙な悲鳴を上げた。
「ええっとぉ!」
しかしシンジはおかまいなしに、右腕でなのはの背を支えたまま機体に回避行動を取らせた。
「来る!」
ガジェットの尖端が左右に割れて、ビームの発射口が姿を現す。
そしてガジェットはビームを発射した。
火線がかすめ、干渉によってサーバインのバリアの形が浮き彫りになる。
圧力に弾かれた格好で、サーバインは位置を変えた。
「なんて威力なんだよ! でも」
「やれるの?」
「ガジェットは結局機械なんだ。ビームを撃ったらバリアの出力が下がる。そこを狙うんだ」
「でもサーバインには武器がないよ」
ガジェットの形状が変化する。
腹を前にするように機首を立てる。
中央で左右に割れ、機体を広げる。
なによりも驚いたのは、その内部より姿を現したものにである。
「まさか、エヴァ!」
腹部に巻き込んでいた頭を引き抜くように顔を上げる。
それは量産型エヴァンゲリオンであった。
腕も足もなく、胴部と頭だけで、飛行機の中央部に収まっていた。
「碇さんの話じゃ、エヴァンゲリオンは十三機作られるはずでしたよね? 未来の世界で出てきたのが二機」
「あれが、最後の一機だ……けど」
生き残れば最後の一機ではなく、未来に出てきた二機のうちの片方になる。そう思ったなのはであったが、肩越しに見たシンジの思い詰めた表情に息を呑んだ。
ここで倒す気だとわかったからである。
「悪い、下ろしてる暇はない」
「かまいません。やってください」
「後ろに回って!」
アスカがわずかに場所を空け、なのはは左側に収まった。
「行くよ!」
大気層を、シンジは特攻させた。
瞬時にバリアが燃え始め、サーバインは火の玉となる。
それほどの加速を持って、シンジたちはエヴァンゲリオンと接触した。
接近してみると、エヴァンゲリオンはまるで蝶のような形状をしていた。
左右に割れたフライングキャリアの巨体が羽、その中心でエヴァが不敵に笑っている。
「蝶というより、蛾だな!」
「大きい!」
「碇さん、コアですよ、コア!」
あからさまに弱点とわかるものが腹部にある。
「!」
シンジは機体の進行方向を曲げた。
エヴァの左右の羽に目玉のような模様が開いたからである。
擬態のようにも見えるが、そのような大人しいものであるわけがなかった。
目玉が発光し、ビームが放出される。
幾十もの筋に別れ、右に左にかわすサーバインを追ってビームは曲がった。
「ホーミングレーザー!? そんなの、実用化なんて」
「ただのレーザーじゃない! 高度を落として大気圏内戦闘に入る。ビームを少しでも大気で削るんだ!」
「はい!」
引きつけるように、置き去りにしない微妙な距離を保ってサーバインは洋上へ落ちる。
大気摩擦で二機が蒸気の尾を作る。それを空母に帰投していたフェイトが見つけた。
「行きます」
「君はいま戻ったばかりだろう!」
「それが仕事ですから」
サーバインの武器は失われている。
だが元から近接戦闘を主目的とした兵器である。接近しなければ攻撃力を生かせない。
サーバインが距離を詰めようとすれば、意外な速度でエヴァは下がる。
巨大な板が立っているようなものだ。空力的には抵抗を受けて挙動が乱れるはずなのに、それも見られない。
下がり、そして今度は前に出てくる。
慌てて距離を取り直さなければ、ぶつかり、跳ねとばされているところだった。
背後からアスカが尋ねる。
「やれるの?」
「勝てるわけないな。こいつも、これ以上無理をさせたら分解するよ」
「じゃ、どうするの?」
あたしがと言うなのはに、シンジは頭を振る。
「無理だ。エヴァンゲリオンのATフィールドを撃ち抜けるほどのエネルギー量は、君たちの魔術じゃ引き出せない」
「じゃあどうするんですか?」
勝てないとわかっている。なのに彼に引くつもりはない。倒す気でいる。
そうわかっているからこその質問である。
「ATフィールドはATフィールドで中和するしかない。取り付くことはできる。あとは弱点を叩けばいい。胸のコアか、どこかにある制御ブロックだ」
なのはは冷や汗を流した。
取り付くことができるかどうか、今試したばかりではないかと。
「そういうわけだから」
「え?」
「いつも通りなんで、ごめん!」
「ふえ? え!?」
一瞬の加速。雲が流れ、エヴァが豆粒のように小さくなったところで、今度は急減速。ハッチが壊れたように開き……。
なのはは慣性の法則に従い、放り出された。
「はうあ!」
落ちる! バリアジャケットがなのはの意識を危険信号と受けて浮遊魔術を発動。が、効果が現れる前になのはの体は受け止められていた。
「大丈夫」
「フェイトちゃん!」
「あの人は」
「エヴァをやるって!」
すでにサーバインの姿は遠い。反転、飛翔していた。
「アスカちゃんを乗せたまま?」
「そ、そうだよ! どうしよう!」
フェイトはなのはの格好を見て、眉間にしわを寄せた。
「やれるかも」
「え?」
「レイジングハートのプロテクトは?」
「解除済み!」
「うん、じゃあ」
行こう、と、フェイトはサーバインの去った方角を見やる。
速度を上げるサーバインの中で、シンジはアスカに語りかける。
彼女の位置は元に戻って、シンジの股ぐらだった。
「いつもどおり、危ない目に遭わせて、悪いね」
シンジの口元と同様に、アスカの口元にも笑みが浮かんでいる。
「でも、やるんでしょ?」
笑ってしまった。
「やらずにいられないんだよね」
「怖いからだよね」
「ああそうさ。怖いんだよ!」
正面の積乱雲が中央から穴を開くように吹き散らされた。
身をひねってサーバインが軌道を変更すると、高出力のビームが抜けていく。
眼下の海に円を描いて蒸気の爆発が起こる。直径何百メートルあるのかわからないものになっている。
雲を突き抜け、散らし、飛来してくるのはエヴァである。
「速さは勝ってるよ!」
「こんな怖いものぉ!」
最大戦速のまま、軌道を曲げる。
エヴァのATフィールドの上を、サーバインの障壁をボード代わりにして滑り、エヴァンゲリオンの背後へと回り込む。
ATフィールドに右手の爪を立て、引っ掻きブレーキとして百八十度反転。遠心力に振り回され、荷重に負けそうになりながらも、シンジも、アスカも、苦悶の欠片も見せず、闘志をむき出しにした。
「放っておけるわけ、ないじゃないかぁ!」
ドン、と。
続いて無音状態が生まれるほどの衝撃音が響き渡った。
遅れて衝撃波が雲を蹴散らし、洋上に大きな窪みを生んで、真円の津波を発生させる。
空中に金褐色の光が瞬く。ATフィールドが独特の波紋を広げる。
「レイIV!」
《Full Power.》
二機の間でATフィールドが薄くなっていく。
「シンジ!」
「くそ!」
似合わない毒づき方をする。
シャコンと音が聞こえた気がした。エヴァが羽としているフライングキャリアの翼の上部が開き、マイクロミサイルの発射口が姿を覗かせたからだ。
ミサイルの爆炎が二者の間で起こった。
黒煙の中より煙を引きながらエヴァが泳ぎ出る。
追いすがる形でサーバインが突撃する。
気付いたエヴァが振り返る。右の羽が変形し、三分の二を巨大な手のひらとし、残りを腕代わりの延長部分として振り回した。
身をひねり、サーバインは指の間をすり抜ける。
かわしきれずにオーラコンバーターが接触し、外装が砕け、バランスが崩れたことからサーバインはきりもみ状態に陥った。
「なんとぉ!」
立て直す。真正面にあるのはエヴァの首だ。コアは論外である。固いコアを砕けるほどの力は、今のサーバインにはない。
吼えるように、威嚇するように、エヴァが口を開く。その口にサーバインは突撃し、延髄を抜いて飛び出した。
「そこだ!」
血と唾液にまみれたサーバインが、右手を突き出す。
腕より伸びた閃光が、剣となってエントリープラグを撃ち抜いた……はずであった。
「違う!?」
シンジは失策を悟った。
フライングキャリアと合体、変形していることで、コクピットの位置がいずこかへ移動していたのだ。
横殴りの衝撃に、シンジは身を前に折って、アスカがコクピット内を跳ね回らないようかばった。
エヴァの巨大な右手に張り飛ばされたのだ。
(ATフィールドが間に合ってなければ、死んでいた!)
失速し、高度が落ちる。
見上げる。エヴァが力を溜めているようだった。
「くそ! 出力が落ちてく!」
「シンジ!」
「コンバーターが、限界なのか!?」
「シンジ、来る!」
(アスカはまだ諦めてない!)
絶望から、何とかしてくれと喚いているのではない。
端的に状況を知らせ、逆転のタイミングを見ろと啓発してくれているのだとわかる。
(答えたくなるじゃないか!)
エヴァがビームを撃とうとして、羽の紋様を光らせている。
「僕のお姫様は!」
ふ……と。
なにか、声が聞こえた気がした。
「え……」
──行きます。
それはなのはの声だっただろうか、それともフェイトであったのだろうか?
──全力全開!
──疾風迅雷!
『ブラストシュート!』
高エネルギーを叩きつけられ、エヴァはATフィールドの繭ごと揺らいだ。
羽のビームはサーバインを逸れて海に落ち、水蒸気と何度目かの津波を発生させる。
大きく膨れ上がり、山のような高波となって高低差を生み出している。
遠距離からのビーム攻撃はやむ気配がない。
エヴァはATフィールドを繭ではなく見慣れた面の形に固定した。
受け止めながら、押し返そうとするように、羽のブースターを点火する。
「今だ!」
シンジは相棒達へ叫んだ。
「今やらなくちゃ、今やらなきゃ、だろっ、サーバイン! レイIV!」
レイIVの姿が巨大化してサーバインより溢れる。その背中に白い羽根を作り、そしてサーバインへ収まるように姿を縮小し、羽根だけをサーバインの背に残す。
サーバインは顔を上げ、吼えた。背の借り受けた羽根を大きくたわませ、羽ばたかせ、飛翔する。
エヴァの背後を取って、頭上へ、そして羽根を綴じて一つとし、両手を組み合わせるように掲げ、つかんだ。
「墜ちろぉ!」
そして振り下ろす。
羽根はもげ、代わりに剣と変じた。それも長大なものとなり、エヴァを頭頂部より両断せんとする。
だがここでエヴァが頭を、鎌首をもたげた。
「赤い光の剣!?」
空中に棒状の閃光を生み出し、握っているかのように振り回し、サーバインの一撃を受け止めたたのだ。
「ロンギヌスの槍のつもりかよ!」
レイIVに無茶をさせての一撃である。
瞬間的な力だけに、押し合いとなると不利になる。と……声がした。
くっくく……と、笑い声であった。
サーバインのハッチが震えている。声を再現するために震えているのだった。
「誰だ!」
「まさか会えるとはね……碇、シンジ」
「人!? 人間?」
「あたしが誰だかわかる?」
「この声……知ってる。僕の知ってる人? でもまさか!」
「覚えていてくれたみたいでうれしいわ!」
「そんな! あなたのはずがない! あなたは死んだんですよっ、ミサトさん!」
互いに剣を弾き合って距離を取る。
「そう、あたしは死んだ。でも生きてる。生まれ変わったわけじゃない、あたしは」
エヴァが剣を振り上げる。
「クローンよ!」
そして振り下ろす。
その剣に、横合いからのビームが直撃した。なのはたちであった。
ふたりがまたも協力して魔法を放ったのである。舌打ちが聞こえて、エヴァが離れた。
「まずはそこのふたりから!」
「やらせるか!」
呆然としていたのも瞬間のことである。
「父さん!」
とっさに説明を求めたが、この相手で正解であった。
「彼女はセカンドインパクトにおける爆心地での唯一の生存者だ。個体の情報を調べるために、クローンを作成していたとしてもおかしくはない。お前の話にもあったはずだ。サンプルのクローンだ」
「そういうことか!」
未来のアスカのことを思い浮かべる。
最終的に求められた遺伝子は自分であったが、確かに、大本としてはミサトのクローンもおかしくはない。
「倒す!」
「やってみなさいよ!」
なのはたちへビームを、そしてシンジには剣を振るう。
なぎ払うかのようなビームは途切れることを知らず、自在に振り回され流れていく。
長大な蛇を身を捻ってかわし、なのはとフェイトは魔法を撃つ。
「あたらない!」
「届かない!」
魔力砲による攻撃はビームに呑み込まれてしまう。
そしてサーバインの視界には剣の平が流れていく。
太さだけでサーバインの幅を超えている。
シンジはその剣にサーバインの手をかけさせた。
コンバーターを失ったサーバインの浮遊方法はATフィールドによる重力遮断のみである。
離されるわけにはいかなかった。
「いっけー!」
片腕で一回転ひねりを決め、剣の上に立つ。そしてサーバインは胴体めがけて走った。
「なめたことを!」
クローンは剣を横薙ぎに振るった。サーバインを振り払おうとしたのだろうが、その前にサーバインは跳んでいた。
「この近さならATフィールドで受け止めることもできないだろう!」
「武器もない癖に!」
「武器なら……あるさ!」
コンバーターが爆発する。
いや、爆発したように見えるほどの光を放射した。
「光の、翼!?」
「いっけぇ!」
足の裏を蹴って飛翔する。
翼が羽ばたき、左右へ広がる。
敵機の右脇をすり抜ける。
翼は透過してすり抜けたようにも見えた。実際そうであり、その光は無機物で構成されている部分を切断せず、有機体で造られている部品だけを消滅させていた。
ATフィールドが消失する。
『いま!』
なのはたちの魔法が直撃し、貫通する。
火球となって、エヴァは消える。
この様子に、基地の者たちは唖然としていた。
「エヴァを、倒した?」
確かに、サーバインの一撃はとどめとなったかも知れない。
だが真に恐ろしいのはなのはたちであった。
「エネルギー総量は、ヤシマ作戦の際に使われたものの二倍か」
ゲンドウの声に、アスカはおそるおそる振り返る。
その作戦は、彼女の参戦前のものではあったが、情報は知っている。
そして恐れていたとおり、そこにはにやけた笑みを口元に貼り付け、往年の、司令であった頃の姿を取り戻している碇ゲンドウの姿があった。
その姿に、彼の中に眠っていた野心に再び火がついたのではないかと、アスカは疑いの目を向ける。
しかしそれも、まだ早い油断であった。
──哄笑が、響き渡る。