Another Today2

「そやけど、よう惣流が諦めたのぉ」
「僕も驚いたけどね…」
 清掃員の恰好をしたシンジが、何処かの会社のロビー隅で片足松葉杖にトレンチコートの男と話し込んでいた。
 もちろんトウジである。
「一年でここまで来るとは思わなんだわ」
「僕も…、でも元々ネルフ関係だからね?」
「他の会社とは技術力が違うわな?」
 株式会社オービック、ゲームセンターのゲーム機開発を主としている会社である。
 元々は碇ゲンドウの持つ架空の会社の一つではあったが、登録は正規に行われていた。
 それに目を付けたアスカが会社を立ち上げ、元ネルフ職員で面識もあった数人を引っこ抜いた、それが一年前のことである。
「クルミはどないしとるんや?」
「やっと受験が終わってほっとしてるよ、この頃は友達と遊びに行く事が多くなったかな?」
「そりゃあれやろ?、お前に甘えんのにも飽きたんとちゃうか?」
「かもね…」
「寂しいんか?、ま、ほんまのとこはようやくお前が出ていかへんて分かって、安心したってとこやな?」
「そっかな?」
「お、掃除せぇ言うて睨んどるで…、ほな帰るわ」
「うん…、あの!」
「なんや?」
「…綾波に、ありがとうって言っておいて」
「わかったわ」
 十年以上前には知りもしなかったシニカルな笑みを浮かべて、トウジはオービックを後にした。


「あのなぁ碇、もうちょっと真面目に仕事せんと、さすがに首にするしか無いぞ?」
「すみません…」
「社長の関係者だから大目に見てるけどな?、さ、時間内に今日の仕事はやってくれよ?」
「あ、じゃあトイレの清掃に回って来ます」
「わかった」
 清掃主任に頭を下げて掃除具を持つ。
 関係者か…、まあそう思われても仕方ないのかな?
 特に特技が無い、さらにはネルフからの離職者の引き受け会社にもなりつつある現在、コネで入って来る新人は多くなっていた。
 シンジもその内の一人だと思われているのだ。
 腐ってもネルフで働いていた人間達は、それなりにどの道でもエキスパートと言える、もちろんネルフ内では下の下であったとしてもだ。
 そんな中、シンジにできる仕事などは無かった、足手まといも良い所なのだ。
「あらシンジ、なにやってんのよ?」
「アスカ…」
 シンジは苦笑しながらバケツを持ち上げた。
「これから清掃だよ」
「あんたもそんなことやってないでさぁ、家で大人しくしてたら?、その…」
 急に赤くなって照れる。
「クルミだって、喜ぶし…」
「そっかな…」
「それに!、あんたがやんなくっても、いくらでも清掃員ぐらい雇えるんだしね!」
「あ、うん、そうだね…」
 やや声音が暗くなる。
「あ、じゃあ、僕、行くから」
「…わかったわ」
 バカッ!
 シンジが背を向けるのを待って、自分自身の迂闊さを罵る。
「シンジ!」
「え?」
「今日は一緒に帰りましょう?、ちゃんと待ってなさいよ?」
「うん…、ありがとう」
 なんとかお互い、微笑む事には成功していた。


 惣流・アスカ・ラングレーはこの会社の実質上のトップである。
 一年前、シンジの帰宅と引き換えに研究員への道を諦め、シンジの持つ碇ゲンドウの遺産の一つである架空会社での事業を開始し、現在に至ってた。
「社長、米インテクリアムのジョン・トラスト氏がおいでです」
「わかったわ、通して」
 ジョンと言う男は一言で言えば優男だった。
 加持の様にだらしなさの中に惹きつけるものがあるのではなく、ブランド志向とその結果のような男であった。
「ジョン・トラストです」
「アスカ・ラングレーです、どうぞ」
 二人は握手を交わしてから席に着いた。
「それで、アメリカ最大手のコンピューター会社が何用で我が社に?」
「これはご謙遜を、ジャパンでもトップクラスのプログラマー、いえ、技術者集団で構成されているのは我が国でも有名な事ですよ」
「ですがうちはただのゲーム会社ですわ?、電卓から軍需製品まで開発成されているそちらとは…」
「ネルフ…と繋がりがあるのは周知の事実、今最も怖れられているのは貴社であるとご存じでしたか?」
「初耳ですわ」
 にっこりと微笑み、アスカは足を組み替えた。
 もちろん知らないはずが無い、第一ネルフはその性質から兵器開発と運用を行っているのだから、ノウハウも会社ではなく社員全員に蓄積されていると言える。
「我が社といたしましては、日本進出にあたってまず、競争の相手となるオービック社との提携を考えておりまして」
「提携?」
「うちのシェアは貴社に対して十分魅力あるものではありませんか?、代わりに我が社のプログラム開発にご協力願いたい」
「それは軍需関係、と考えてよろしいのですか?」
 ジョンは肩をすくめた。
「我が社のイメージを考えればそうお考えになられて当然でしょう、ですがうちが必要としているのは「電化製品」「娯楽関係」でのノウハウです」
「…やはりわかりかねますわ、なぜオービックに?」
「日本と言う風土は世界でも特殊な文化形態を持ちえております、我が社がそのままの製品を持ち込んだとして、それが受け入れられる確率は非常に低い」
「なるほど、独自の技術と土着のセンス、というわけですか」
「はい」
 ふぅん、面白い男ね?
 アスカは多少の興味を持った、ジョンが嘘を言っているのは分かり切っている。
 社員の引き抜き、そんな所でしょうね?
 提携すれば出向や社員交換が行われる、その中で個人へのコンタクトを行い、提携が切れる期限までにできる限りの人員を引っ張ろうというのだろう。
「…わたしの一存では決めかねる、と言うのが正直な所でしょうか?」
「ほう、いや、すみません、お話に聞いていたお姿とは違いましたもので」
「面白そうなお話ですわね?」
「即断即決、判断にイエスとノー以外のものはなく、迷いはないと言うのが人物評でしたもので」
「うちの社員構成を見てお分かりの通り、社の特殊性から外部との接触には国連から多くの制約を受けておりますもので」
「なるほど、わかりました」
 ジョンは立ち上がると、もう一度握手を求めた。
「近い内に良い返事が貰えるよう祈ります」
「では」
 アスカも笑顔を返したが、内心では「べっ!」っと舌を出していた。


「お母さんひどーい!」
 クルミは帰って来るなり鞄を放り出して怒り出した。
「仕方ないよ、お仕事なんだから」
 ジョンの訪問により、緊急の役員会議が行われていた、シンジは会社の外で待っていたのだが、秘書からの伝言で一人とぼとぼと帰宅したのだ。
「でもお父さん…」
「僕に借りてたお金を返すって頑張ってるんだから、大目に見てあげないと…」
「でも結局前となんにも代わってないじゃない!」
「クルミ?」
「あたしはお父さんが寂しそうにしてるのが嫌なの!」
「っと、危ないよ…」
 料理中のシンジの背中に抱きつき甘える。
「もう居なくなっちゃ嫌だからね?」
「わかってるよ…」
 しかしわずかなしこりが、再び疼き始めていた。


 二社の提携は一部の新聞を賑わせ、さらには軍需関係での憶測を呼んだが、とりあえずは電化製品、特にオーディオ製品の開発と無難なものだけが行われた。
 お互いの様子見と言う見方もあったが…
「ミセス・ラングレーの英断に感嘆せねばなりませんな?」
 インテクリアムの社長はジョンに輪を掛けたような男だった。
 全身から吹き出すフェロモンが女を誘う、もちろんその対象に既婚未婚は関係が無い。
 が、アスカに効力は無いようだった。
「ありがとうございます、と言いたい所ですが、二つほど間違いがございますわ?」
「ほう?」
「まず第一に、提携は多数決により行われました」
「それで、ミセスのご判断は?」
「ノーです」
 にこにこと言い辛いはずの言葉を口にする。
 ここはジョンの日本での私邸である、第二東京インテクリアム日本支部の最上階。
 現在はパーティー会場となりアスカ達の周りにも大勢の人が集まっていた。
「それで二つ目というのは…」
「わたし、まだ結婚はしておりませんの」
「これは!、失礼を…」
「いいえ、娘はおりますので、そう言う女の操る会社である事をお忘れなく」
 誰にも感じられないほどの一瞬、アスカとインテクリアムの社長、ウェイン・バウンとの間に鋭い緊張が駆け抜けた。


「ふん、いけ好かん女だな」
「ですが、良い女ですよ、あれで三十四・五だと言うのですから驚きでしょう」
「娘も居ると言っていたな?」
「強気な女ほど崩れた時は脆いものです」
「ふむ、ではプロジェクトは予定通りに、米国の支部とは違って本部のガードは堅い、我が社が食い込むにはそれなりの門が必要だからな?」
「わかっております…」
 誰も居なくなった会場で、二人はグラスを軽く合わせた。
 ここが第二東京であること、それが多少の不機嫌さを通わせている。
 第三新東京市に一般の入居者や企業が土地を構えられないこと。
 そう言った事が、二人に壁の厚さを感じさせていた。


「とうとうやって来たって感じよ」
「え?、なにが…」
「あのスケベ社長達よ!」
 仕事の忙しさからか?、結局一緒に食事を取れるのは朝食だけと言うのが惣流家の始まりである。
「こちらの仕事を見に来ませんか?、ですって!、あーもう下心丸出しったら!」
「だったら行かなきゃ良いじゃない…」
「そうもいかないのよぉ〜、役員のバカ共なんにも考えてないし、ねぇ?、クルミとシンジも行かない?、アメリカ…」
「アメリカぁ!?」
「出張って事?」
「そっ!、どうせ資本力の違いを見せつけて焦らせようって腹なのよ、ディナーでもどうですか?、だって!、一人暮らしの癖にいやらしい、反吐が出るわ!」
 そのいやらしさにつけいるために体を提供していた事もある。
 それだけにアスカはそう言った事に過剰なほど反発するようになっていた。
「アメリカかぁ、いいなぁ」
「でしょ!?、あんたが一緒ならなんとかなるじゃない?」
「でもパパはどうするの?」
「もちろん一緒に行くわよ、でしょ?」
「え?、でもいいの?」
「なにがよ?」
「いや…、だってホテルとか」
「そんなの一緒でいいわよ!、家政夫とか言って一緒に泊まってりゃいいわ」
「適当だなぁ…」
「とにかく!、一緒に行くのよ?、いいわね!」
「はいはい…」
 でもなぁ…
 シンジは少し心配していた。


 オービックからは数名の技術職人とアスカを含めた重役達が乗り込んだ。
 その結果と言えば…
「凄いっすよ!、民間でもこんな事ができるなんて!」
 とまあ、大体が感化されてしまったようである。
「お気に召しませんか?」
「…そうですわね、わたしの求めている会社理念からはかけ離れた光景だと思えますので」
 一人一人の技術を活かすことなく、一部の人間の発想により生まれたものを、大量の人間がマニュアルに従って構成していく。
 その流れの中には個々人の人間性は薄かった。
「旧態依然とした流れ作業には飽きが来ますわ…」
「しかし多くの人に労働の場を与える、給与を得たものが製品を買い、そして利益は循環する」
「まあ大勢は決してるようですし、わたしは…」
「社長としてのお言葉とは思えませんなぁ」
「ですわね?」
「では、この後はお約束通りディナーでも」
「ご遠慮いたしますわ?、家族が待っておりますので」
「ちゃんとご招待済みですよ、さあ、参りましょう」
 スケベオヤジが!
 ケツを蹴っ飛ばしたくなるのを我慢して、アスカはウェインの背中に従った。


「パパ捕まった?」
「それがホテルに戻ってないのよ、どこ行ったんだか、あのバカ!」
 携帯をバッグの中に放り込む。
「それにしてもシンジを追い払うとは、やってくれるわね?」
 二人は自慢げにバーでワインを注いでいる男を見た。
「…あのガキって、もしかして」
 ウェインの他に、そこそこ良い顔をした少年が用意されている。
「間違いなくあんた用よ?」
「げぇ…」
「どう?、若い内は良い男と付き合ってみるもんよ?」
「嫌よ!、あたしの理想はパパなんだから」
「だめよ!、シンジはあたしのなんだから」
「パパだって若い方がいいわよ、同じ顔ならね?」
「言ったわね…」
「おや、楽しそうで、何をお話に?」
「ほほほ、うちの宿六と連絡がつきませんの」
「宿六…、ああ、あの家政夫ですか」
「パパは家政夫なんかじゃないわよ!」
「パパ?」
「まあ、そう言う事ですのよ」
「なるほど、これは失礼を…」
 しかし内心では『邪魔だな』などと考えていたりする。
「彼も羽を伸ばしておいでなのでしょう、この街には遊ぶ場も多いですからな?」
「あの人は海外に出るのは始めてですので、それに一人で遊びに回るほど飢えてもおりませんから」
「でしょうなぁ、これだけの女性と過ごせるのですから、ほらエリック、お前もこちらに来なさい」
「はい、おじさん」
(おじさんだって)
(ばっかじゃないの?)
(ねぇ、逃げちゃおうか?)
(ダメよ、一応仕事の付き合いなんだから)
(そんなのあたしには関係無いじゃない)
(そうなのよねぇ…)
 アスカにも誤算はあった、ここでシンジを使おうと思っていたのだ。
 もう、どこ行ったのよ、ばかシンジ!
 その頃シンジは、誰も想像していない様な人物と会っていた。


「ケンスケ…、どうして」
 買い物の途中で連れ去られるようにクルミが消え、代わりに車から降りて来たのは、死んでしまったはずのケンスケであった。
「まあ座れよ」
 寂れたバーの奥の一角は、ライトからも外れていて暗かった。
「まあ、いろいろとな…」
「いろいろって…」
「アスカ、どうしてる?」
 シンジは一瞬言葉に詰まった。
「研究所はやめて、今は会社を経営してる」
「そうか…」
 シンジはその物言いにピンと来た。
「ケンスケ…、知ってたんじゃないの?」
「…まあ、な、それが俺の仕事だったから」
「仕事?」
「戦自でネルフの動向を探ってた」
「ケンスケ!?」
「この間までだよ、ようやく解放されてね?」
「解放?」
「お笑いだろ?、やっと逃げられたってのにもう戸籍は無いんだ、全部消された」
「そんな…」
「代わりにアメリカ国籍を貰ったよ、やっと…、やっとアスカに会える」
「え?」
「…お前とアスカ達との関係は知ってる、けど、な?、やっぱり会いたいんだ、娘に」
「ケンスケ…」
「この十何年、ずっとアスカとクルミを見て来たよ…、好きなんだ、今でも、愛してる」
 ケンスケの言葉にシンジは返すものが無かった。
『愛してる』
 その一言をシンジは伝えた事が無かったから。


 日本に戻ったアスカではあったが、こちらはこちらでジョンの攻勢が再開されて似たような事になっていた。
「日本ではもてなしにディナーに誘うらしいですからな?」
 しかしそれも連日となれば嫌気がさす。
「それは格下のものが機嫌を伺っているだけのこと、習うならわたしがご招待しなければならないのでは?」
「女性に口にさせるわけにはいきません、それは紳士のする事ではありませんでしょう?」
「あら?、なら紳士としてのお時間には解放して下さいますか?」
「これは…、誤解させてしまいましたかな?」
「警戒して、当然でしょう?」
 ここはホテルのラウンジである。
 いくら食事が豪華ではあっても、気を許すようなアスカではない。
「失礼を、ですがこのホテルに泊めているものが、どうしてもあなたに会いたいともうしまして」
「…誰です?」
「紹介しましょう」
 ジョンの呼び掛けに、アスカの背後の席に座っていた男が席を立った。
「…ケンスケ・アイダ、ご存じでしょう」
「久しぶりだね?」
 さすがのアスカも目を丸くした。
「あんたが、どうして…」
「色々とね?、今はジョンの元で働いている」
「そう言う事…、汚いわね?」
「…誤解を生んでいるようだが、わたしは彼の意志を尊重しただけだよ」
「尊重ですって!?」
「娘に会いたいというのは、父親として当然の思いではないのかね?」
「あの子に父親なんて居ないわ」
「それを決めるのはクルミだ、アスカじゃない」
「馴れ馴れしく呼ばないで!」
「アスカ…、頼むよ、僕はまだ君のことを愛してる」
「あたしは愛した事なんて無いわ」
「耐えられないんだよ!、アスカがシンジなんかに、あんな奴に…」
「そうそう、碇シンジ君についても調べさせてもらったが…、正直わたしには何故君ほどの女性が?と言うのが正直な感想だよ」
「なぜ、ですって?」
 アスカは訝しんだ、シンジと言う個性に対しての反発は確かに尋常では無かったが、アスカと言う少女の人生の中にあった『男性に対する選択』の中ではほぼ唯一と言ってもいい存在と対象であったからだ。
 そしてそれは、ケンスケとて知っているはずのことである。
「親がネルフの高官であったことを除けば平凡、いや、平均以下、そんな男に君のような聡明な女性が好きにされている、…下世話な想像かもしれないが、男としては嫉妬する」
「じゃあ相田ならいいってわけ?」
「まだ納得できる」
「あんたの魂胆なんて見えてるわよ…」
「…なんだね?」
「あんた、部下のワイフの何パーセントに手を付けたのかしら?」
「わたしはその様な事はしていない」
「エリス、レイラ、ユース、グレイス…」
「な、ぜ…」
「…うちを甘く見ない事ね?、ご馳走様」
 アスカは去り際に一つだけ確認した。
「そうそう、相田、中学の卒業式、覚えてる?」
「え?、あ、ああ…」
「ふん、よかったわね?」
 なんだ?、と言った顔をケンスケはしたが、アスカにはそれで十分だった。
 あの戦いの混乱のために、卒業式などは無かったのだから。


「色々動いとるようやな?」
 トウジはロビーのモップがけをしているシンジに、柱にもたれたままで口をきいた。
「惣流の立場も危ういで、それにわけわからんのも動いとるし」
「…ケンスケのこと?」
「そや、あいつは死んだ、死体はぐちゃぐちゃやったけどな?」
「僕のことはいいよ」
「ほんまにええんか?」
「うん…、それより、クルミを見てて」
「わかった」
 トウジが会社から出て行くのと入れ代わりにウェインが乗り込んで来た。
 …始まる、のかな?
 シンジはなるべく柱が壁になって隠れるように、わざと動いてモップを掛けた。


「緊急の役員会議だというから、何かと思えばこういうことね…」
 皆なるべくアスカの方を見ないようにしている、見ているのは真正面、長い机の向かいに座っているウェインと、その横でニヤニヤとしているジョンだけだった。
「満場一致、よって現時点よりジョンがこの会社の社長だよ」
「…わたしは用済みってわけね?」
「いいや?、そうだな、君には社長専属の秘書でもやってもらおう、それだけの体だ、歳を引いてもお釣りは来る」
「セクハラって言うのよ、そういうのを」
 アスカは一同を見渡した。
「…これがあんた達の選択ってわけね?」
「分かって下さい」
「会社のために一番良い方法を…」
 最もらしい事を言う態度に鼻白む。
 買収されたわね?
 見え見えの嘘にアスカは溜め息をついた。
 せっかくの『シンジ』の会社だったのに、いいわ。
「わかりました」
 アスカは感情を切り換えた。
「ではすぐにでも辞令を出そう」
「あら?、何か勘違いなさってませんか?」
「なにをだね?」
 アスカはニヤリと笑った。
「解任されたのは『社長』で間違いありませんね?」
「そうだ」
「…わたしは会社創設時に雇われた『社長代行』に過ぎませんのよ?」
「なに?」
「言いませんでしたか?、わたしは役員の意志決定に従うと、ですがそれも『社長に個人的に雇われている』と言う前提があったからです、社長が更迭なされた以上、わたしも社にとどまることは不可能となりました、よって現時点より社長解任に伴う手続きに入らせて頂きます、少々お待ちを」
 なんだ?
 アスカが内線電話を使うのを見てウェインは気色ばんだ。
 なんだ、これは?
 奇妙な焦りに囚われる。
「お待たせしました、すぐに社長…、元社長が参りますので」
 確かにすぐにドアがノックされた。
「碇、何しに来た!」
「そうだ、今は会議中だぞ」
「え?、でも、あの…」
 シンジは縋るようにアスカを見た。
「社長、お待ちして下りました」
 アスカが頭を下げたのを見て、一同に衝撃が走った。
「社長だと!?」
 ウェインが立ち上がる。
「この度、社長の解任が決定しました、後任はジョン・トラスト氏とのことです」
「…そうなんだ」
「社長及び、わたくし社長代行の退社に基づき、株式会社オービックに対するネルフ及び国連の特別条項、第284項は失効されます、本社ビルは本日ただいまをもってネルフにより徴収されます、社員及び関係者は速やかに退社するよう勧告いたします」
「待って下さい、社長!」
「わたくしは昔も今も社長ではありませんわ?」
 アスカは役員の悲鳴に意地悪く笑った。
「社員にも同様の勧告をいたします、社員の本社での経歴は抹消、これは各種保険、金融機関の記録にまで及び、全ては本社採用以前に戻されます」
「そんな!」
「家屋についても同様です、立ち退きが成されない場合はネルフ保安部により警察及び自治体に対して協力が要請されます、これに裁判は行われません、全て実刑のみです」
「無茶な…」
「ニセモノの男なんかで人を騙そうとするからよ」
 アスカはウェインとジョンにも言い放った。
「ニセモノ、だと?」
「相田のバカは死んでるのよ、それは確認済みって事ね?」
「…彼は生きていたのだ」
「それが嘘だっての」
「信じたくないのは分かるが」
「あ、そうそう、あんたがここで行おうとしてたプロジェクトなんだけど」
 アスカは強引に話を切った。
「あれにかかった資金も当然白紙に戻るのよねぇ?、でもさぁ、アメリカの金融機関には効力が及ばないの、わかる?、この意味」
「…まさか!」
「そ、ここに投資したお金は全部消滅、アメリカもネルフに協力的だったらちゃんと銀行に戻してあげたんだけど、惜しいことしたわねぇ?」
「あの…、アスカ、いいかな?」
「なによ?、今いいとこなんだから」
 けっこう遊んでいたようである。
「…お客さんが居るんだ」
「客ぅ?」
「どうぞ」
 シンジの声に従って、開いたままになっていた扉から女性が一人入ってきた。
『三十代半ば』にあっても化粧すらしていないその肌はやや荒れ気味で、口元や目元にも多少の皺が見え始めている。
 それでも、だからこそ彼女の本質である神秘性はより強さを増していた。
「…レイ、なんであんたが」
 綾波レイ。
 特務機関ネルフの総司令である。
「こちらにいる、インテクリアムの社長にお話しがあります」
「こ、これは!、まさかこのような場所で、いや、このような場所だからこそお会いできたと申しましょうか…」
「…米インテクリアム社は解体、社長ウェイン氏とジョン・トラストに逮捕状が出ています」
「馬鹿な!」
 ウェインは下げた頭を跳ね上げた。
「罪状はネルフに対する謀略…」
「わたし達はなにもしていない!、…まさか一会社の乗っ取りなどと言うのではないでしょうな!?」
 レイは小さく首を振った。
「…違います、元エヴァンゲリオン適格候補者、相田ケンスケの記録詐称に対してです」
「エヴァっ、適格…」
 ウェインもその単語を知らないほど、軍需から遠い位置に居たわけではない。
 相田ケンスケの遺体については、ネルフで執拗に検査されている、だからこそケンスケが生きているなどあり得なかった。
「行きましょう、碇君…、アスカ」
「あ、待ってよ綾波!」
「ちっ、おいしいとこ持ってかれたわね?」
 三人が出て行くと、不安げに扉とウェインを見比べていた重役達も駆け出した。
 それは入り口にネルフ保安部員の姿が見えた事も関係していた。


 一方、こちらは下校中のクルミである。
「クルミ…」
「は?」
「大きくなったな」
「誰?」
 クルミは『ヤバい人』かと思って逃げようと身構えた。
「おまえのパパだよ」
「…ふぅん」
 ジロジロと見る、パパ?、その単語に違和感が膨らむ。
 クルミの中でのパパとは、お人好しな上に何につけても我慢する事しか知らない馬鹿な男の代名詞なのだ。
「驚いてくれないのかい?」
「何の用?」
 だからクルミには用が無かった。
「お前を迎えに来たんだ、これから三人で暮らそう」
「嫌」
 実に簡潔な答えに、一瞬ケンスケの思考が停止する。
「な、なぜ!」
「だって三人ってあんたとあたしとママでしょ?」
「そうだよ…、まさかシンジの事を言っているのか?」
「そうよ」
「シンジは…、ずっとママを苦しめて来た、アスカがあんなに辛い思いをして来たのは」
「…あんた何も知らないのね?」
 こういう部分はアスカ譲りである。
 ケンスケはクルミの剣呑な視線に気圧された。
「あたしとママはパパが居るから幸せなの、あんたなんかいらないわ」
「クルミ!」
 ぱちぱちぱちぱちぱち…
 ややからかうようにゆっくりとした拍手が鳴った。
「よう言うた、よう言うたなぁ」
「おじさん!」
「…トウジか」
「やめぇや、気持ち悪い」
 杖を突きながら近寄るトウジ。
「なんでだよ、俺達親友だったじゃないか!」
「…なぁケンスケ、わしがシンジを殴った時のこと、覚えとるか?」
「あ?、ああ…」
「妹が怪我して、辛かったんや」
「なんだよ、いきなり」
「なんで怪我したか覚えとるやろ?」
「それは…、シンジが自転車で跳ねて」
「ま、そういうことや」
 それは記録上でのことである、もちろん真実は別にあった。
 ジャキ…
 トウジが抜いたものに、ケンスケを騙る男は後ずさった。
「や、やめろよ、トウジ…」
「そやな?、お前の相手は後ろのやつらがやってくれるわ」
「え?、あ、なんだよ!」
 ネルフの保安部員である。
「素直に喋った方がええでぇ?、ネルフはわしほど甘ないからなぁ」
 銃を持った手をふらふらと振ってから、トウジはタバコを咥えてライターの銃口を当てた。
「まだ使ってるの?、そのライター」
「アホが騙されおって、今度会うたら笑ろたるわ」
 トウジとクルミは、顔を合わせて笑みを浮かべた。


「ねぇアスカ、あれは無いんじゃないの?」
「なにが?」
「だって…、銀行の貯金なんかも無くなるって事でしょ?、社会保障とか…、ねぇ綾波、あれってなんとかならないの?」
 レイは立ち止まると、振り返ってアスカを睨んだ。
「な、なによ…」
「そんな条項、ネルフには存在しないわ」
「え?、え、じゃあ…」
「あははぁ〜、ちょっとねぇ、あんまり腹立ったから、つい」
 後頭部をポリポリと掻く。
「酷いや…」
「酷いのはこの女よ!、インテクリアムって会社がどれだけ従業員を持ってると思う?、それを全部路頭に迷わせるってんだから…」
「そんなことは、しないわ…」
「じゃあどうすんのよ!」
「…インテクリアムは企業解体を受けて存続」
「トップ集団は首切りってわけ?」
「解体され、新設された会社は全てネルフの監督下に置かれる、米国も認めたわ」
「…やっぱりあんたの方が汚いじゃない」
「そ?」
 レイは事も無げに答えたが。
 シンジはしっかりと見てしまった。
 その口元が、ニヤリとかつての誰かの様に笑んだ所を。

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