ミサイルの洗礼を浴びて先に進めずにいる使徒が居る。
 初号機が爆炎の中から飛び出した。使徒の胸にあるコアにパイルハンマーの先端部を押し当てる。
 ──ゴォン!
 強制排出される薬莢。
 撃ち出された鉄棍がコアを叩く。
 しかし金色の光にコアへの直撃はならなかった。
「ATフィールド!」
「だめだわ! ATフィールドがある限り!」
 ──きゃはははは!
 場にそぐわない声が皆の意識を引き寄せる。
「え? あ!」
 なぜ子供が? そんな場合ではないと皆がモニタに目を戻す……と。
「ええ!?」
 使徒が倒れ込んでいく。
 何が起こったのかわからない。
「どうなってんのよ!?」
 しかし誰もミサトのヒステリーに答えを返すことはできなかった。
 同じく見ていなかったためである。

ミステイクス / 計算違い2

「ふぅ」
 黒髪の女性がバッグを落とす。
 第三新東京市駅のホームである。
 雑に切りそろえている髪は短く、着ているものも自らの姿態に無頓着なのか、ランニングシャツにホットパンツと非常識すぎる薄着であった。
 体を起こす。それだけで豊満な胸が張って、人目を引く。外出するときにする格好ではない。
「ここが今日からあたしの街か」
「あたしの街かじゃないでしょう?」
 ぱこんとその頭を丸めた雑誌で叩いた者がいた。
 彼女とそっくりの顔をしているのだが、違っているのは髪の長さと服装だった。
 こちらは首の後ろまで伸ばしている。着ているものはタートルネックのセーターに丈の長いスカートだった。
 年中常に暑いばかりの日本においては、あまりにも異様すぎる格好だった。
「出たな、コウ」
 スッと彼女は目を細めた。
「オツ……と呼んで欲しい?」
「冗談だよ。怒るなよなぁ」
 コウと呼ばれた女性は、着いてきなさいとそっけなく歩き出した。
 やれやれとオツが続く。
「で、なんだってそんな格好してるんだ?」
「おかしい?」
「おかしいだろう……男のくせに」
「あら? 体は男でも心は女よ?」
「だったら身も心もどっちかにしろよ」
「それじゃあ面白くないじゃない」
「このユリ専の変態め……」
「ユリも人類の一側面よ。性癖の多様化には必要だわ」
 二人でそろって改札を抜ける。
 オカマのくせにユリであるというよくわからない趣味については一時棚上げが決まったようだ。
「で、シンジ(にい)は?」
「ネルフよ」
「いやそうじゃなくって、家、住みか」
「ネルフの高級官舎よ」
 ひゅうっと口笛を吹く。
「遊びに行っちゃまずいかな」
「監視装置はそのままにしているはずだから」
「わざとか?」
「でしょうね」
「さっすがだよなぁ……。そうやって油断させてるわけだ。わざと裏がないように見せて安心させてる」
「でも気の安らぐ時がないでしょうね。寝言の一つまで気を付けて生活しなくちゃならないだなんて」
「あの兄貴が一年やそこら眠らなかったってだけでヘタばるかよ」
「それはそうだけど……」
「シナリオはどうしてるんだ?」
「ツェッペリン財団が管理してる養護施設の出身。セカンドインパクトの動乱時に拾われた孤児で、養護施設から軍隊へ。理由は経歴不問の上給料が良かったから」
「で、上り詰めてネルフへか?」
「ええ。ドイツ支部に出向。そして支部長に気に入られて本部に異動」
「どうやって気に入られたのかがぜひとも聞きたいところなんだけどな」
「聞いてどうするの?」
「そりゃアスカ(ねえ)にちくるんだよ」
 はぁっと嘆息。
「知らないはずがないでしょう?」
「……そだな」
「正しくは、見ぬかないはずがない、だけど」
 タクシーを呼び止めて乗り込んだ。
「で、俺の家、どこになるんだ?」
「第一中学校のすぐ近くよ」
「職場の近くか」
「あなたなら他にいくらでもなれたでしょうに……どうして体育教師なの?」
「そりゃジャージだけで良いからだよ」
 コウはあきれ果てた嘆息をつくと、そのまま到着まで口を閉ざした。


「ほぅ? それでは君のお義父さんは開業医なのかね」
 はいと彼女は頷いた。
 ネルフ本部のラウンジである。エイカの相手をしているのはコウゾウだった。
「とうは言っても、資格は救命士のものしか持ってないそうなんですけど」
「ああ……では特例措置だね」
 コウゾウは懐かしげに目を細めた。
「日本政府が出したものでね。セカンドインパクトの混乱で医者不足に陥って……。多少なりとも医療技術を持っている者については医者として活動できるようにその権限が認められたんだよ」
「そうらしいですね」
「わたしも一・二年ほど医者のまねごとをしていてね……あのころはそれでも、っと、来たようだね」
 それでは退散するよとコウゾウは席を立つ。
 入れ替わりにやって来たシンジは、なに? とエイカに訊ねた。
「さあ?」
 微苦笑を見せる。
「多分……探りに来たんでしょうけど」
「僕たちのことを? ウミは?」
「あそこに……」
 女性職員の固まりができている。
「いいの?」
「赤ちゃんはあれくらいでやっと疲れてくれるんですよ」
「元気だからねぇ……じゃあ今日はぐっすりと寝てくれるかな」
 その前に住むところはどうなりましたかと彼女は訊ねた。


 ──疑似会議場。
「碇君……君のところからの報告書は読ませてもらった」
「初号機の戦闘力。高過ぎはしないかね?」
「使徒の自己進化能力。これが過剰に反応した場合、対処のしようがないように思われるのだが?」
 ──くだらない。
 ゲンドウはその感情を隠しもせずに言い返した。
「我々には時間がないのです。人類補完計画……この推進こそが急務であり、使徒戦に後れを取るようでは、それこそ問題となるのでは?」
 むっとした様子で男は言い返した。
「わかっている!」
「そうだな……そのためにツェッペリンを本部に移してあるのだ。あれは有能な男だからな」
 暗にしもべであるとふかしている。


 ──そのしもべとのたまわれた男はと言えば。
「へーっくしょいっと」
 マヤは汚いなぁと彼を見た。
「風邪ですか?」
「いや……これは誰かに噂されてるな」
「もてますからね、ツェッペリンさんは」
 二人連れだって、技術部の責任者の部屋へと向かっている最中である。
「しっかしまぁ、あの作戦部長さんはどうにかならんもんですかね」
「葛城さんですか? あの人嫌われてるから」
「そうなんですか?」
「性格的にっていうのかなぁ? 技術部とそりが合わないんですよね」
「へぇ……」
「あんまり理路整然とした物言いができない人なんですよね。だからいっつも曖昧で、感覚で物言ってるなって感じがして、何が言いたいのかよくわからないんですよ」
「それならわかります」
「いっそのこと大佐に全部任せてくれればいいのにってみんな言ってますよ」
 でもねぇと彼は言う。
「ほら……俺はドイツの、それも軍の人間だからね。ネルフにとっては本シフトに組み込めない人間なんだよ」
「おかしいですよ……サードインパクトを防ぐって言うなら、みんな協力しなくちゃいけないのに」
「だからこそ……じゃないのかな?」
「え?」
「葛城さんを見てるとわかるだろう? セカンドインパクトへの恐怖心があるからか、暴走しがちなんだよね。だから俺みたいに達観してる人間が必要になるのさ」
「軍人さんは頭に血が上りやすいから……ってことですか?」
「そうだね。必死になりすぎるとあまりうまくいかなくなるんだが……。そのあたりのさじ加減がね」
「そうですね……」
「葛城さんもドイツにいた頃は、もうちょっとマシだったんだけど」
「ああ……葛城さんもドイツからの異動でしたね」
 そこで彼らは世間話を打ち切った。
 それは赤木リツコの研究室に到着したからである。
「入ります」
 二人は来訪を告げてロックを解放してもらい、入室した。


「失礼します。これがミーティングの議事録です」
 大佐は丁寧にファイルを渡した。
「ありがとう。悪いわね」
 椅子に座ったまま受け取るリツコだ。
「いえ。エヴァの再調整は赤木博士でないとできないことですからね」
「え? でもドイツから来ている技術部三課でもできるんじゃないんですか?」
「彼らは武器兵装の開発陣だよ。エヴァの調整はゲヒルン時代からの研究者でないとできないのさ」
「へぇ……」
「開発って意味じゃ今でも開発の初期段階だからね。きっちりとした『取扱説明書』を作れない以上は、技術陣の経験に頼るしかないのさ。……ですよね?」
「そうね。そこ、いいわよ」
 リツコは立ちあがると、二人のためにコーヒーを淹れた。
「ありがとうございます」
 受け取り、二人とも腰掛ける。
「で……ちょっとだけ問題が」
「なに?」
「葛城一尉がまた……」
「またなの?」
「どうもよく理解されておられないようで」
「おかげで三十分ほど長引きました」
 彼は苦笑混じりに、その時の様子をリツコに語った。


「パイルアンカーの有用性はわかったわ……。それで? パレットガンについてはどうなっているの?」
 ミサトの質問に、一人の技官が答える。
「現在開発は停止状態にありますが」
「なんでよ!?」
「設計の見直しについては、作戦部との合意が得られておりますが」
「あたしはそんなこと許可していないわよ?」
 いえ……と作戦部の人間が口にする。
「この件に関しましては、報告の上、書類にサインもいただいております」
「あたしは見直しを許しただけで、開発中止を指示してはいないと言っているんだけど?」
 ギロリと睨む。
「開発を継続しなさい」
「無理です」
「なんでよ!」
「原因は主に砲弾にあります。エヴァンゲリオンの素体を基準とした装甲値への必要十分な破壊力が得られなかったため、開発は一時中断」
「そんなことは聞いてないでしょ!」
 はぁっと男は忍耐力というものを見せた。
「砲弾の設計が完了しない限り、それを撃ち出す砲身もまた設計できません。パイルアンカーはパレットガンの見直しの結果、試作品として開発されたものであります」
「それのどこに開発中止の理由があるのかって聞いてるのよ!」
「技術的に無理だと言っているのです。不可能な兵器の開発に費やす時間も予算もありません」


 聞き終わり、リツコはなるほどねとカップを置いた。
「他には?」
「牽制に必要だとか何とか……。まあこれは大佐に否定されましたけど」
「あなたに?」
「ええ。使徒に攻撃されていると認識するだけの知能があるかどうかが不明のままですからね。この間の様子を見る限りじゃ、反応したのは弾道弾かと思うようなミサイルが直撃したときだけでしたし」
「あののけぞった時のやつね」
「そうです。豆鉄砲じゃ邪魔だとすら思われないかもしれない。まあ重火器が必要だという意見には賛成なんですけどね、砲弾……弾丸じゃなくて、まだレーザーかビームの方が好いんじゃないかと」
「その根拠は?」
「ATフィールドは可視光線なんかを通してますからね」
「透過する波長や波動は、必ずあるということね」
「それを見つけるためにも、エヴァの実験は必要なんですが……」
 さてとと彼は訊ねる側に移動した。
「そちらはどうなってますか?」
「シンジ君? 喜んで協力してくれるそうよ」
「そりゃよかった!」
「しっかりしたものね。あの歳でもう子供のためにとか言ってるんだから」
「そりゃ凄い」
「っと、ちょっとごめんなさい」
 携帯電話を耳に当てる。
「ああ、ミサト? なに? 引き取るって……ちょっと待ちなさい! ……切れた」
「なんです?」
「ミサトよ……シンジ君たちを引き取るって」
「はぁ?」
「なに考えてるんでしょうか? 葛城さん」
「とりあえず保安部に連絡します」
「え? どうしたの……」
「あの二人の保護は俺が命じられてるもんでして。葛城一尉の生活態度については本部中知らない人間はいませんからね」
「赤ちゃんには悪そうですもんねぇ……」
「それもあるけど……な」
「なんですかぁ?」
「いや……葛城一尉だと、夜泣きする赤ん坊になにを怒鳴るかわからんなと思ってな」
 マヤはまさかぁとリツコに振ったが、リツコは答えはしなかった。

−Bパート−

 赤い車が走っている。
 運転席で、気楽に片手でハンドルを操作しているのはツェッペリン大佐だった。
「で、どうだった? ミサトさんの部屋は」
「最悪でした……」
 げっそりとエイカ。
「あんな衛生面もなにもない部屋で暮らせといわれても」
「だな……。もし仮に見た目だけ片づけたとしても、ダニだのなんだのどうにもならないだろうし……」
 大佐はルームミラーで、助手席のシンジはシート越しに母子を見た。
「一応、その方面についての心配はないって保証されていてもな。やっぱり無菌に近い世界で生まれたんだ。抵抗力には不安がある」
「せめてあっちの緑化が終わる頃には、ちゃんと病気ができるようになってて欲しいんだけどな……」
 今は風邪を引くことすら許されない。
 病気をすると、抵抗力のなさから死ぬかもしれない。
 二人はそう考えていた。
 もっとも使徒と使徒になった人間との間に生まれた子供であるから、病気になるかどうかすらわからないのだが。
「あっちの緑化の方はどうなってるんだ?」
「こっちの世界の植物をいろいろと試してるみたいだけど、向こうで作った環境開発用の人工生物とじゃ相性が悪いらしくて、かなり手間取ってるみたいだよ」
「まあのんびりやってくれればいいさ」
 赤信号に車を停める。
「とりあえず、お前たちの新居は俺の部屋だ」
「はい……って、大丈夫なの?」
「ああ。時々留守の間に勝手に人が出入りするくらいで、安全なもんさ」
「父さんか……」
「お前たちにまで俺みたいな演技力を期待したりはしないよ。チルドレンを預かるって名目で掃除の許可をもらって、ついでにシールドを強化した」
「どんな風に?」
「どこかの誰かに、なにか仕掛けられているかもしれませんので、大事なお子さんを守るためにも、人手を貸してはもらえませんでしょうか? ってな」
「なにをする……とは言ってないわけだ」
「まあな」
 にやりと笑う。
「で、ネルフの人に掃除してもらったの?」
「ああ……と言っても、バルディだけどな」
「バルディ=エル? ネルフに居るんだ」
「保安部で働いてるよ。あいつに頼んで壁の中や床の中、天井の裏も『盗聴防止剤』で埋めてもらったんだ」
「うえ……垂れてこないだろうね?」
「大丈夫だろう……たぶんだけどな」
「適当だねぇ……」
「とりあえず電波系のものは完全に遮断されるようになってるから、携帯電話も使えない状態だ。電話機なんかの有線はOKだけどな」
「カメラなんかは?」
「バルディの準備が終わってから電磁波爆弾を使ったからな。もし内部に残っていたとしても、死んでるはずだ」
「無茶するなぁ……」
「その後でロウル謹製の電化製品を入れた」
「……爆発しなかった?」
「今のところはな」
「使ってないんでしょ?」
「使う暇がなかったからな」
「……酷いや」
「ま、親として子の安全確保に努力してくれ。バルディのシールドで被害は内部に収まるだろうし。そういうわけで、新たに仕掛け直されたりしてない限り、問題のあるものはない」
「当然、これからは侵入なんてさせないんだよね?」
「機械的なものはバルディが潰してくれるさ。人間については……ペットを買うことにした」
「ペット?」
「ああ」
 窓枠に肘をかけていた右腕を動かし、人差し指と親指でつまんで、赤い玉をシンジに見せた。
「こいつをやった」
「へぇ……なに?」
「猫だ。名前はまだ付けてない。お前が付けろ」
「いいの?」
「俺はセンスがないらしいからな」
 ぶすっくれる大きい自分に、シンジはエイカと顔を見合わせて一緒に笑った。


「着いたぞ、この部屋だ」
 扉を開き、無造作に入った保護者に続こうとして、シンジは思わず固まってしまった。
「に……兄さん?」
 こわばった表情のままで彼は訊ねた。
「それ……それ!」
「猫だ。名前はまだ無いと言ったな?」
「どこが猫なんだよ!」
 うにゃあとその猫は大佐の足に体をすりつけた。
 体長1.5メートル。毛色は白。額から頭の後ろまでが髪の毛のように黒く、金色も少し混じっている。
 尻尾は白と黒のストライプだった。
 その左目だけが赤く、色を濁している。
 石玉を使った義眼だった。
「捨て猫だったんだ……馬鹿なガキに目を潰されててな。それで玉をやった」
「そんな簡単に……」
「思ったより変化は少なかったな。ちょっと大きくなっただけで止まったよ、後は」
「なにさ?」
「ちょっと肉食が進んでな」
 座った巨猫が、ぺろりと口元を舐めて手と顔を洗い出した。
「大丈夫だよ、まっとうな生き物しか食べないから」
「まっとうって……」
「俺たちみたいな変な肉は食わないよ」
 壁際に這うようにして避けるシンジだ。
 だが対照的に、エイカはよろしくと無頓着に彼女の頭を撫でてやった。
 にゃあんとその手に頭を押しつけ、今度は体ごとこすりつける猫である。
「可愛い」
「そう言う問題かなぁ……」
 きゃっきゃとウミが手を伸ばした。
「名前、どうしましょうか?」
「ソラ……でいいんじゃない? そう決めてたんだし」
「なんだ、それ?」
 スポーツドリンクを手にキッチンから戻って来た兄に、シンジは簡単に説明した。
「そう決めてたんだよ……。名前はウミ、ソラ、リクって付けようって。付けることがあったらだけど」
「なんだ……あと二人も作る気だったのか」
「兄さん!」
「赤くなるなよ……エイカはどうなんだ?」
「欲しいです……」
「お前もエイカくらい素直になれよ」
 二人の寝室はこっちだと案内する。
 もちろんぶちぶちと拗ねているシンジは無視だ。
「俺は基本的にはネルフにある事務室に泊まり込んでるから、好きにやってくれ」
「いいの?」
「ウミってイレギュラーに、あの連中がどう反応するかわからないからな」
「そうだね……」
「最悪、二人を狙ってくるかもしれん」
「僕を壊すために?」
「ああ。ネルフの二人はそこまであくどくないかもしれんが、その上はわからんからな」
「わかってる……エイカとウミは僕が守るよ」
「気負いすぎるなよ? 悪巧みは俺が対処してやるよ。そのための泊まり込みでもある」
「ごめんね」
「いいさ。そういうゲームだ。最悪の場合は切り上げるだけだ」
「みんなの迷惑は考えないの?」
「ゼーレとネルフを片づけてやる。それで許してもらうさ。それだけでも世の中は何倍もマシになるだろう?」
「ま、僕としてはエイカとウミにいろんな世界があるんだよってことを知ってもらえれば十分なんだけどさ」
 いつの間にやらベッドに腰掛け、エイカは服をはだけてウミに左胸を吸わせていた。
「こういうところあるし……」
「そうだな」
 二人して部屋を出る。正確には気まずげにしたツェッペリンが誘ったのだが。
「羞恥心っていうんじゃないな、あれは」
「魂の波動なんだってさ。僕と兄さんは同じだから、気にならないみたいだよ」
「気配で読んでるとそうなるんだな」
「複雑な気分だけどね」
 キッチンのテーブルに向かい合って座る。
「それで、計画の方は?」
「とりあえず、次では窮地に陥ってくれ」
「いきなり?」
「そう、いきなりだ。そこを謎の組織が助けに入る」
「謎の組織ねぇ……」
「そして続いては完全なる敗北だ。そして再戦でなんとか勝ちを拾う。これに危機感を抱いた委員会は、弐号機の本部移動を了承するからそのつもりで」
「委員会なんて形骸化してるんだろう?」
「いや……そこまではな」
「無理だったんだ?」
「こっちの人間を一人入れるので精一杯だった」
「……死にかけなくちゃならないのか」
「悪いな」
「いや……死にかけるってのは問題ないよ。死のうとしたって死ねないんだし」
「じゃ、なにが不安なんだ?」
「母さんが反応しないようにってのが、難しいなって思ったのさ」


 ──ドイツ。
 第三支部。
 ここには日本にある松代と同じく、基地を改造された作りとなっている施設が存在していた。
 広大な敷地に地上六十階、地下十階建てのタワーと、航空機の離発着場が建設されている。
 そしてほぼ中央の位置に、百メートルほどの深さを持つ縦穴が掘られていた。現在はハッチが開かれている。
 中を覗けば、赤い頭があり、肩から下を液体に沈めている、エヴァンゲリオン弐号機の姿を確認できる。
 顔を正面から見られる位置、外壁のタラップに、少女と女性の姿があった。
「……凄いじゃない」
 ポータブルプレイヤーで初号機の戦闘記録を見ているのはアスカであった。
 惣流・アスカ・ラングレー。十四歳である。
「まっ、あたしならこんなぶっさいくな武器使わなくったって、勝てたでしょうけどね!」
 強がる彼女にくすりと笑う。
 それもまたアスカだった。こちらは三十を超えている。
「所詮は茶番よ。本部のトップ4をからかっているだけ」
「なぁんかしまりの悪い数よねぇ……」
 少女はそう言って、手すりに腰を預けて体を休めた。
「あたしはそれがわかんないのよねぇ……。あんたから聞いた話、過去の真実と未来の出来事っていうのには疑いを持っていないんだけど、でもやっぱりミサト? たとえばミサトに(あがな)わせるだけの罪があるのかどうかってことになるとさ、やっぱり疑問が残っちゃうし」
 どうなの? と彼女は訊ねた。
「その辺りはさ? ツェッペリン少佐」
 大きなアスカ──アスカ・ツェッペリン少佐は、壁の側にもたれて言葉を返した。
「どんな目に合ったか、どんなことがあったのか? それは体験したものでなければわからないわ。言葉にしてしまうと単純な構造だけが伝わることになるものだからね」
「よっぽどいい加減な目に遭わされたのね……」
「シンジはあなたを嫌ってた……殺したいと憎むほどにね? それでもそれをしなかったのは、あたしとあいつが言い聞かせたからに過ぎないわ。それと……」
「ウミ?」
「そうよ……。それにエイカ。あの二人を得たから、大人になろうとしてるのよ」
「あんたとシンジ兄はあんなに仲が良いのに」
「そうね」
 くすりと笑う。
「うらやましい?」
「べっ、べつに!?」
「あげないからね?」
「いらないわよ!」
「そう? 貸すぐらいないいんだけど……なに?」
 人の袖を取って頭を下げている。
 その顔を上げて、ちょっと半泣きの状態で、彼女はすがった。
「イジワル……」
「はいはい」
 だから泣くなとハンカチを貸す。
「あいつだって元は似たようなものだったんだからね」
 チーンと音。
「あたしの努力があって、あいつの理解があるだけよ。でもあの子は違うわ。あの子はあの子の世界でのあたしと別れてしまってる。そのせいで、分かり合うって機会を永遠に失ってしまった……。洗ってから返して」
 ポケットにしまいつつ、アスカは諦めたように口にした。
「それで……あたしに苛立ちをぶつけてるのね」
「どうしようもないんでしょうね……。あたしだと歳を取っちゃってるから、同一人物だって感じがしないんでしょうけど」
「そんなに似てるのかな……。あたしは。あいつの嫌いなあたしに」
「それでも努力はしているんだから、認めてあげなさい? でなきゃウミを抱かせてなんてくれないはずよ」
「わかってる。……ただ」
「ただ?」
「悲しいだけよ……辛いだけ。自分のせいじゃないのに殺したくなるほど憎まれてる。どうしてって言いたくもなるじゃない?」
「そうね……」
「これからのことを思うとそれだけでもないんだけどね……。結局あんたたちって、ここで憂さ晴らしをするつもりなんでしょ? でもあたしは違う。ここはあたしが生まれたあたしの世界だもん。あたしががんばって守らなくちゃいけない。だから……」
「なるべく敵対することにはならないように努力するわ」
「お願いね。まともな人間同士ならともかく、あんたたちと戦うなんて、冗談じゃないから」
「それがわかってるなら」
「なに?」
「シンジね、あの子はあなたを避けてるけど、憎んでるわけじゃないのよ? だからヘタに関わろうとするのはやめておきなさい」
「なんでよ?」
「あたしとあいつは、あの世界で二人きりだったわ……。だから離れられなかった、怖くてね? ひとりぼっちは嫌だったから……。でもそのおかげでわかったことが一つだけあるの」
 じっと目を見て口にする。
「人は……人が分かり合うためには、死にたくなるほど傷つけ合わなくてはならないのよ」
「そう……」
「だから下手に理解しようだなんて思わないことね。世界にはいくらだって逃げ道があるの。無理してつき合わなくったって生きていけるわ。ならうっとうしいって思ったら、嫌ってさよならするのが一番楽でしょ? そしてそれができちゃう以上は、やってしまわないって保証はないの。そうなったら……不幸よ?」
 アスカは何かを言い返そうとしたが、結局ふいっと顔を背けて歩き出した。
「おいで、アインス、ツェーン」
 ばしゃんと水音が二つ跳ねた。冷却水から飛び出して、タンッとタラップに音を立てて乗ったのは、一匹は白いイタチであった。
 体を振って水気を飛ばす。体長は一メートルはあり、赤い宝玉が額に埋め込まれていた。
 両目が赤いこともあって、まるで三つ目のように見える。
 そして少女の隣へと宙を漂い泳ぎ寄ったのは魚であった。
 深海魚のように身が細長い。そして美しく透明なひれを持っていた。
 長さはやはり一メートルほどで、鱗は青く光っている。
 それはアスカの首に巻き付くような動きを一度見せて、それから胸の高さの辺りを泳ぎ始めた。
 両目はなく、黒い穴があるだけだが、その奥に赤いちらつきを覗くことができた。
 頭の中心に、宝玉が押し込まれてあるのだ。
 アスカはもう一人の自分に言葉を残した。
「それでも、友達になりたいのよ……」
 ──魔女(ウィッチ)
 使い魔。あまりにも自然でない生き物を従えているこの少女のことは、第三支部ではそのように呼ばれ、恐れられていた。


「ところで兄さん……」
「なんだ?」
 ──再びニッポン。
「綾波はどうしてる?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……忘れてた?」
 何も言い返せない兄だった。