Episode:9F





 それからの数瞬を、忘れる事はないだろう。
 アスカのスニーカーがトウジの後頭部を直撃した。
「あ、」
「きゃ!」
 よろめく二人が重なりあう。
 ケンスケとコダマが飛び出した。
 しまった!
 ケンスケのカメラにレッドランプが灯っていた。
 こんな時にバッテリー切れ!?
 コダマが膝をつくように滑り込み、コートを跳ね上げて懐から何かを抜いた。
 からからとリールの回る音。
 8ミリカメラ、それも本物の!
 バッテリーの蓋を開ける、バッテリーが落ちる、予備をインサートする。
 ヒカリに倒れこむトウジ、偶然にも、しっかりと触れ合う唇と唇。
 ケンスケの脳裏に8ミリで納めたシーンが浮かび上がる。
 ケンスケの秒間60フレームを誇るスペシャルカメラには及びもつかない、一桁程度のフレームレート。
 フィルムには傷があるだろう、映し出した時には目障りなぐらいに。
 だがそれさえも美しく感じてしまうほどの、色あせないモノクロームの瞬間が焼き付けられているはずだ。
 驚きに満ちた瞳、その重なった唇の形から、二人の心までをも刻みこむように。
 バッテリーオンから再REC、ここまで約1.3秒、レンズを覗けば二人は離れて、お互い唇をおさえていた。
 涙が溢れるケンスケ。
「しっかり撮りなさい、そのカメラでなきゃカラーは録れないんだから」
 ケンスケは唇を噛み締めた。
「あたしに挑戦するには3年足りなかったわね」
 わけのわからない世界だった。






 お互い座り込んだまま、顔も見れないでいる。
 うつむきあって、言葉を探していた。
「ご、ごめんねヒカリぃ…」
 アスカの謝罪もとどいていないようだ。
 右の人差し指と中指、二つの指で唇に触れている。
「すまんっ、委員長!」
 いきなり土下座するトウジ。
「す、鈴原!」
「トウジ!」
 全員の声が重なった。
「事故や言うたらそれだけのもんやけど、わしどついて気い晴れるんやったらそうしてくれ!」
「ちょ、ちょっと頭上げてよ鈴原!」
 じろじろと通りすがりに見ていく人たち。
「トウジ頭上げろって」
「恥ずかしい奴ねぇ!」
「そんなん関係あらへんわ!」
「いいから!、顔上げてヒカリを見なさいっての、ほぉらっ!」
 ぐいっと髪をつかんでひき上げる。
 まだ唇に触れている指を離していなかった。
 すとんっと女の子座りのままで、トウジを見ている。
 なんや、委員長、ちゃうで…
 可愛いとか綺麗とか、浮かんでくる言葉がどれも違って思えた。
「委員長…、わし…、その責任とれいうんやったら…、責任取るし」
「責…、任?」
 その意味を飲み込もうとする。
「あったり前でしょ!、ファーストキス奪っといてごめんですませる気!?」
「お前にいわれとおないわ!」
「アスカ、いいから…」
「でもヒカリ…」
「いいの、あたし、嬉しかったから」
 耳まで真っ赤になって顔をふせた。
「委員長…」
 トウジはヒカリにも手を貸して立ちあがった。
 なんだか無言のまま見つめあう二人。
「一応、うまくいったかな?」
 コダマ。
「でもまだ使ってない秘策があったんじゃ…」
「ばかっ、シンジ!」
 アスカの頭部に角が生えた。
「何よその秘策ってのは」
 ずんずんずんっと、ケンスケを追いつめる。
「うわっ、結果オーライじゃないか、勘弁してくれよ!」
「うっさい、どうもヒカリの様子がおかしいと思ってたら、またあんたがよけいなこと吹き込んでたんでしょ!」
「助けてくれ、シンジ、お姉さぁん!」
 無視される。
「天っ誅ーーーーーっ!」
 ぎゃああああああっと悲鳴が轟いた。
「なんや、様子がおかしいおもとったら、ケンスケの入れ知恵かいな」
 呆れ顔のトウジ。
「ごめんなさい…」
「謝る事ないで、あんな委員長も悪うないし」
「もう!」
 手を振り上げる。
「そや!、やっぱ委員長はその方がええわ」
「鈴原…」
 くすりと微笑みあう。
「あのね、鈴原…」
 トウジは右手を突き出して、ヒカリのセリフを遮った。
「あんなぁ、ヒカリぃ、わしぃ…」
 その後のセリフはシンジには聞き取れなかった、ケンスケの悲鳴が邪魔だったから。
 ただヒカリの嬉し泣きがその答えに思えた、手の平で一生懸命溢れる涙をぬぐっている。
 コダマがまた8ミリをかまえていた、今度は録音もできるミニカセットテープまで手に持って。
「よかったね、二人とも」
 その8ミリフィルムとカセットテープは、きっとヒカリの宝物になるのだろう。






 その夜、電話ボックスの前で深呼吸をしているトウジの姿があった。
 電話にテレカを差し込む、市内のホテルに電話をかけた。
「あ、おかんか?」
 向こうも緊張しているのだろう、声が震えている。
「すまん、わしやっぱりおかんとは行けんわ」
 狼狽する声が聞こえた、ハルカも行かないと言ったのだ、なにが気に入らなかったのか、トウジには言わなかったが。
「そんなんやない、別におかんがどうのこうの違うんや」
 だったら!っと耳が痛くなるほどの大声。
「おかん、わしなぁ、この街を離れられんわけができたんや」
 そういえることが嬉しいのか、トウジの声ははずんでいた。
「できたんや、わし」
 今度は自分に向かって呟いていた。


「うん、これに決めた!」
 チョコを溶かしているヒカリ。
「甘いのと苦いの、両方作っていこう、どっちが好みかな、鈴原」
 浮かれまくっているヒカリ。
 鼻歌がコダマとノゾミの部屋にまで聞こえてきていた。
「今度はあたしから伝えるんだ、絶対」
 その言葉をチョコに書こうと決める。
 ス・キ・デ・ス
「うまく書けるかなぁ」
 ちょっとだけ不安なヒカリだった。



続く








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