カシャン!
 軽い音を立てて窓を割り、張り出しのような瓦屋根に足を突ける。
 カチャカチャと踏まれた瓦が悲鳴を上げる、立ち上がったのは……、ミズホだった、様子がおかしく、ゆらりと体を揺らめかせている。
 だらりと垂らされた両手には、見覚えのある輝きが見受けられた。
「あれは……」
 シンジは左肩を押さえて苦痛に呻いた。
「碇君」
「大丈夫」
 裾をはだけ割り、ミズホは生白い足を腿から見せた、屈んだ拍子に乳房がほぼ丸見えた、そのまま跳躍。
「ミズホ!」
 身を乗り出すシンジを掴み、引き戻す。
「綾波?」
「あなたは待っていて、わたしが追いかけるわ」
「綾波!」
 ひらりと飛び出していく彼女に慌てる。
「くそ!」
 肩がずきずきと痛んだ、障子は破れ、木枠は壊れている。
 肩が痛いのは綾波に突き飛ばされて、変な態勢でぶつけたからだった、しかしそうしてくれなければ、間違いなくミズホの剣で貫かれていただろう。
 頭を。
「なんで!」
 シンジは焦るようにして部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。
 毎度毎度と思っていたのに、やはりこんな事になってしまう、アスカのこともあって苛立ちはてっぺんに近く憤っていた。
 無人の玄関、鍵は開いたままだ、夜、外の露天風呂に行く者が多いからだろう。
 シンジは二人が飛び去った方向へ足を向けた、海岸沿いの道路だ、防波堤代わりの壁、その上に人影が見えた、対峙し合っている。
「綾波!、ミズホ!」
 懸命に叫ぶ、しかし二人からの返答は無い。
 ゆらりと動いた後、駆け走ってミズホは剣を繰り出した、それを受け流すようにして躱す綾波。
 ミズホは回転を加えられ、翻弄されて壁から落ちた、くるりと身を曲げて足から下りる。
「ミズホ……」
 それはシンジの前だった、ゆらりと立ち上がる動作に気圧されてしまう。
 挟むように、ミズホの向こう側に綾波が降り立つのが見えた。
「碇君、下がって」
「でも!」
 改めてミズホを見やる、俯き加減、長い髪がばさりと垂れて、まるで幽鬼を思わせる。
 両手の剣は血の色を思わせる赤だ。
「ミズホ!」
 シンジの呼び掛けに答えて、ミズホは駆け出した。
 引きずるようにした剣を、ぐるりと肩を回して振り下ろす。
「碇君!」
 シンジは両腕で体を庇って目を閉じた、しかし、来るべきはずの瞬間は来ない。
 ゆっくりと腕を開いて瞼もあける。
「ミズホ?」
 ミズホは目を見開いていた、赤い目の瞳孔は開き切っている、そのままふらりと前に倒れる、シンジは慌てて受け止めた。
「ミズホ?、ミズホ!」
 べしゃりと何かが落ちる音。
「なんだ……、なんだよ?、これ!」
 浴衣の裾、内側から、まるでミズホが産み落としたように落ちた物は、ナマコと蛭を足したような緑色の怪生物だった、両手で持って余るほどの大きさがある。
 首で別れ前に垂れた髪、丸見えの首筋から続いて背中が覗き見える、そこには張り付いていたのだろう、赤い腫れが残っていた。
「なんなんだよ、これ!」
 シンジは慌てて蹴り飛ばそうとした、しかし、ふわりと動いて、それは避けた。
「蹴るとは、酷いね」
 違う、漂ったのだ、それも何か不可視の力に拾い上げられて。
 シンジは慌てて側にある電灯の上を見上げた。
 電柱に取り付けられている電灯、決して人の体重を支えきれるような物ではない、なのにそれに彼は片足立つようにして立っていた。
「浩一……、くん?」
 クルス浩一。
 その手に怪生物を引き上げる、それはテレキネシスと言う力なのだが、シンジには細かいことは分からなかった。
 重要な事は……
「そんな……、じゃあ、それは、浩一君が?」
 浩一は苦笑気味に頭を振った。






 昨日、帰って来た時は気のせいだと思った、だからそのまま出かけた。
 今日、帰って来た時はおかしいと思った、それは玄関、台所、洗濯機、洗面所の歯ブラシに到るまで、全く動いていなかったから。
 恐れるように震える指でミズホ、レイの部屋を覗くと、きっちりと布団は畳まれていた。
 恐怖に脅えてロフトへ上がる、結果は似たような物だった。
 きっちりと戸締まりのされた部屋には、寒々しく埃が明かりの中に漂っていた。
「どういう……、ことよ」
 やがて感情が切り替わる。
「どうなってんのよ!」
 青ざめていた顔に朱が差して、やがては怒りの赤色へと変化した。
「何処に行ったってのよ!」
 叫んだアスカに返事が聞こえた。
 自分を一人にして。
「何処に!」
 一人置き去りにして。
「旅行」
「誰!?」
 振り返り、アスカは愕然と後ずさった。
「あんた……」
 そこに居たのはレイだった、間違いなく。
 だが雰囲気が違う、暗く、重い翳を背負っている。
 こんな暗がりはこの部屋に出来るはずが無い、なのに暗闇から月光の下へと進み出て来る。
 アスカは息を呑んだ、青く薄く透けるはずの髪は、何処までも黒いままだった、艶さえも無い。
 その瞳もだ、瞳孔もなく、ただ黒い。
 口に浮かべられた薄い笑みに気圧される。
「あんた、誰よ!」
「綾波レイ」
「嘘!」
「その影の一人」
「影?、影って!」
「あなたがわたしを憐れむから、わたしはあなたを疎むの」
 冷笑を浮かべる。
「わたしは、そのためにここに居る」
「そのためにって」
「同情なんて、いらない」
「ちょっと!」
「わたしはただ、笑っていたいだけ」
 くすくすと笑う。
「だから、邪魔なの、あなたいらないの」
「いらないって何よ!」
「だって」
 昏い眼窟の奥で、赤い光が燈された。
「だって……、あなたは、いらないことを思い出させるから、仲良くしていたかった、ただそれだけなのに、どうして、余計な事をするの?」
「余計な、ってなによ……」
「知られたくないこと、騒がれたくないこと、触れられたくないこと……、沢山あるのに、どうして、そんなことするの?」
「そんなの……、分かんない、分かんないわよ!」
「そう、だからいらないの、あなた」
 アスカは顔を上げた、いつの間にか膝をついてしまっていたのだ、涙で顔を崩し切って。
「だって、しょうがないじゃない!、恐いのよっ、寂しいの……、一人は嫌なのよ!」
「ええ、でもわたしはもう、一人じゃないもの」
 ハッとする。
「シンジ……、みんな?」
「その中には、あなたも居た……、もう忘れかけていた事なのに、どうして、余計な事をしたの?」
「だって、だって、あたしだけ!」
「仲間外れ?」
「あたしだけ、何も知らないで!」
「それは皆も同じだわ」
「違う!」
「あの人も」
「違う、違う、ちがう!」
「好奇心を正当化して、満足を得た代償が、今のあなたよ」
 糾弾する。
「わたし達の苦しみと、悲しみに囚われ、自分の本当の思いを、願いを、自ら妨げている、心を閉ざし、姿を重ねる事で、あなたは何を救おうとしているの?」
「何、って……」
「自分が、可愛いのね」
「!?」
「そう、誰でも無い、自分が傷つきたくないだけ、だから庇うのね、守りたいのね、痛いから、心が痛いから、笑顔の下の悲しみが読み取れてしまうから、でもね」
 嘲笑う。
「それを隠す強さも、傷みを乗り越えた勇気も、支えてくれた人の想いも、この中にはあるの」
 鳩尾が光る、赤く。
「そしてわたしは、ここにいる、なのに」
 睨む。
「あなたは、何の権利があって、この健気な想いの積み重ねを、えぐり崩そうとしているの?」
 瞬きすらしていない、なのに、その綾波レイは唐突に消えた。
 フッと、それこそ、瞬きする間に。
 しかしアスカは気にしなかった、気にはしていられなかった。
「あた、し……」
「余計なお世話さ、だけど他人事でも無い、難しいねぇ」
 アスカは瞳孔を開き切ったままで窓を見上げた。
「カヲル……」
 いつの間にか天井にある窓は開かれ、その窓枠にはカヲルが優美に腰掛けていた。







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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。

Q'Genesis Qnaryさんに許可を頂いて私nakayaが制作しているパロディー作品です。
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