サァっと降り出した雨はまるで撫でるように心地好く、走るよりもむしろ濡れて帰りたくなる様な雰囲気だった。
「ほらシンジ!」
「待ってよぉ!」
 走る順番はアスカ、レイ、シンジ、ミズホだ。
 ミズホはポニーテールが左右に揺れて首が痛いらしく、それで全力疾走出来ない模様である。
「もう!、だから傘持っていこうって言ったのに、アスカが大丈夫だって言うから」
「はいはい、わるぅございましたわね!」
 まともに取り合わず一人先に逃げていく。
「いっちばぁん!、ただいまぁ!」
「ふわぁ、びしょ濡れ……」
「もう!、ここで脱がないでよ」
「えー!、だって廊下濡れちゃうもん」
「ああもう!、ミズホ、全員分のタオル持って来て」
「はいですぅ」
 アスカの指示で上がっていく。
 その間にも、レイはせっせと靴下を脱いでいる。
 シンジの肩を借りてだ。
「うわっ、くっさー」
「って、なに臭いでんの、馬鹿!」
 こつんと叩かれるレイに苦笑する。
 シンジは……、右肩に掛かるレイの体重に堪えながら、階段の上に視線を投じた。
 静かだ、やはり今日もカヲルは帰っていないらしい。
(カヲル君、本当にどうしちゃったんだろ……)
 こうも長い間帰って来ないとなると不安にもなる。
 しかし時々姿を見かける事から、そう遠くをうろついているわけでも無いと安心してはいた。
 カヲルを見た、と言う話も聞くから、電車に乗らずとも行けるような範囲には居るのだろう、それぐらいは分かるのだが。
(何も言ってくれないのに、何かを分かってくれなんて、そんなの無理だよ、カヲル君……)
 カヲルが何かの言葉を求めている、それは分かるのに。
 それがなんであるのか、見当も付かないシンジであった。






 雨は時間と共に強くなる。
 暗くなって冷たさも増す。
 奪われる体温、濡れて目に入る髪が多少では無く鬱陶しい。
「髪、切った方が良いかな……」
 重い気がする。
 まるで今の気分のように。
 指を絡めて押し上げる。
 代わりに視界を悪くするのは垂れ落ちる水だ。
 甘い、ね……
 都市部の雨だ、排気ガス等々、汚染を気にすれば切りがない。
 雨に付いている味も、そのような汚らしいものを含んでいるとすれば気持ちが悪い。
 それだけでなく、肌にもきっと有害だろう。
(有害、か……)
 空を見上げ、目を叩く雫に顔をしかめる。
(まるで僕のようだね、君は)
 優しく穏やかに包んでくれているようで、曝され続けると風邪を引く。
(僕はシンジ君にとって、いや、みんなにとって)
 居心地の良い存在だっただろうか?
 時には忠告をし、アスカの時などは第二東京にまで同行している。
(このままではいけない)
 その想いは強い、強いのだが答えは見えない。
 指針を示すと言う意味では、確かに手助けはしている。
 してきたし、その手応えは感じてはいた、だが。
(僕では守り切れないのか……)
 ポケットから手を出して、掌で雨を受け止める。
 くすぐったく叩く雨が心を乱す。
(あの時)
 甲斐の元を訪れた時。
(どうして僕は、あの時、ためらってしまったんだろう)
 甲斐を目の前にして、何も出来なかった。
 手をだしあぐねたとか、引いたのではない。
 出来なかったのだ。
(一線を越えられなかった、僕は……)
 臆病なのか?
 それは違うだろう。
 しかしだ。
(出来なかったんだ、僕は……)
 それはこれからに大きく影響するだろう。
 甲斐、彼が善人であるはずが無い。
 カヲルはそれを良く知っている。
 彼の元に居る仲間は心配であるが、もはや自分達の選択肢はたった一つではない。
 良い例が、ミヤだ。
 ならば彼は害毒に過ぎない。
 切って捨てても構わないはずだった。
 なのに、出来なかった。
(あの人が、それを見逃すはずが無い……)
 自分には、傷つけることは出来ても殺すことは出来ない。
 これは大きい。
(もし、あの人が動き出した時、僕は……)
 きっと役には立たないだろう。
 いや、足手まといになるかもしれない。
 今の関係のままであれば、きっとシンジ達が頼りにするのは……
(僕だ)
 また自分も、その責務を果たしたいと思うし、果たそうとするだろう、しかし。
(この甘さが有る限り)
 追い詰められるのは自分だ。
 見えるようだった。
 追い詰め、倒した誰かが転がっている。
 しかし自分は殺せない。
 そのためらった隙を突いて……
(僕の敗北は)
 現状の瓦解を意味する。
 カヲルには分かっていた。
 シンジ、アスカ、ミズホ、その潜在能力が如何様であろうとも、それが戦力としては計算出来ない……、いや、してはいけない事を。
(唯一選べるとすれば)
 レイだが。
 パートナーとして、今の自分がレイに並んでもらう資格があるのだろうか?
(レイは、レイでもね)
 レイが『あの子』と呼ぶもう一人の『綾波レイ』は、きっと迷いはしないだろう。
 冷酷さと慈愛が同居している、あの存在は。
(愛情故に人も殺せるか)
 では自分には愛が足りないのだろうか?
 本当に大事なものが失われる事になっても迷うのだろうか?
 それを否定できるものが見付からない。
 見つけられない。
 思考は果てしなくループする。
 まるで纏まらないし、進展を見せないままに。
「カヲル、くん?」
 そんな時、頭を動かすきっかけをくれるのは……
「薫?」
 赤い傘の下、きょとんとしている彼女のような。
 あるいはそんな、存在であるかも知れなかった。


「カヲルくぅん」
 脱衣所からの声に顔を上げる。
「着替え、あたしのだけど置いておくから」
 答えようとして声が出なかった。
「ゆっくり温まってねぇ」
 喉が張り付いているようだとはこのことだろう。
 鼻歌が聞こえる、すりガラスの向こうで濡れた服を乾燥機に掛けてくれているのが分かる。
 なのに何も発する事が出来ない、結局、湯船の中に目を戻してしまった。
 お風呂、それも他人の家の風呂だ。
 ここまで落ち込んでいなければ、人の、それも女の子の家の風呂を借りるなどと言う、ある種誤解されても仕方の無い状況を受け入れはしなかっただろう。
 カヲルの目は、それ程までに濁っていた。
 お湯が揺れる。
 湯面の下は屈折して曲がって見える、針金のように細い体。
「風邪を引く、か」
 そんなことはない、あるはずが無い。
 普通ではないのだから。
 珍しい事だろう。
 カヲルの顔に嫌悪と邪悪さが同時に浮かんだ。
 脱衣所を見る、まだおぼろげながら薫の姿が確認出来た。
 カヲルは……、音を立てないように湯から上がり、その扉に手を掛けた。
「え?」
 突然開けられた扉にギョッとするよりもキョトンとした。
 薫は……、何が起こったのか分からなかったのだろう。
 風呂場から噴き出した湯気が、さっと瞬時に晴れていく。
 そこには真っ白な肌が曝されていた。
 上がったばかりだというのに濡れてもいない、いや、濡れているのにそうは見えない。
 湯は張り付くように、肌を薄く覆っていた。
 体は白磁器の様な、と言うには爬虫類の腹を思わせる弾力が見受けられた、なのに固く筋張って見える。
 それでいて確かな力強さを引き締まり方に封じ込めている。
 鍛えた、あるいは育てた筋肉では無く、あまりにも自然なままに強さを秘めている。
 奇麗、と陶然とするには肉感的過ぎた。
 狭い脱衣所に洗濯機と乾燥機があるのだ、洗面場もある。
 カヲルとの距離の近さから、上半身だけが目に入った……、訳でもない。
 なのに羞恥が沸いて来ない、何故か?
 薫の目は、そのカヲルの赤い瞳に吸い寄せられていた。







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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。

Q'Genesis Qnaryさんに許可を頂いて私nakayaが制作しているパロディー作品です。
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