なんだかんだとあって結局一緒に暮らし始めたトウジとヒカリ。
「そう言えば、アカリのことを話したかしら?」
 鏡台の前に腰かけ、ヒカリは髪をすいている。
「前の旦那のことか?」
 ヒカリはベッドの上にぼすっと座った。
「…ね?」
 トウジはもう横になっている。
「聞いてくれない?」
「…ええんか?」
「その代わり、今度トウタのことを話してね?」
 トウジは苦笑しながら「わかったわ」とヒカリの体を引き寄せた。

うらにわには二機エヴァがいる!
「ヒカリの旅路」

「ここ…、どこ?」
 洞木ヒカリが我に返った時、そこは何も無い世界だった。
 つい『先程』まで自分が居た町内だというのに気がつかない。
 サードインパクトによる一時的な肉体からの解放。
 歓喜を表わす炎の十字架が、一瞬にして平穏だった街を破壊していた。
 後に残されたのは瓦礫の山だけ。
「コダマお姉ちゃん?、ノゾミぃ…」
 返事は無い。
 ただ空しい風が吹くだけ。
 空は赤く、街はもっと暗かった。
「そっかぁ…」
 漠然とだが、『あそこ』で出会った母の面影を思い出す。
 二人とも行っちゃったんだ…
 そう思えば気は楽だった。
 好きで選んだのよね?
 ヒカリは辺りを見回した。
 同じ様にうなだれている人、誰かを探している人、様々だった。
 ヒカリは一度しゃがみ込み、膝の間から皆を眺めた。
 その瞳が少しずつ輝きを持ち始める。
「よしっ!」
 次の行動は早かった。


 とにかく食料を探した、崩れかけたコンビニエンスストア、すでに略奪は行われていたが、運の良い事に生の野菜などは手が付けられていなかった。
 灯油の缶に燃えそうな物を放り込み、ライターのオイルをかけて火を付ける。
 水は破裂した水道管があった、それで十分だった。
 約三十分後。
 漂う香りに腰を上げる老人が居た。
 何をしているのだろう?
 複数の人達が彼女を遠巻きに眺め始めた。
 一番近くへ寄った老人に、ヒカリはにっこりと微笑みかけた。
 大きな鍋の中身は野菜をごった煮にしてクリーム味でまとめたシチューだった。
「はい、熱いから」
 椀に移して老人へ差し出す。
 腰の曲がったその人は、戸惑うように、だが震える手で受け取った。
「ありがとう」
 それで十分だった。
 胸が温かくなった。
 お互いに。
「さ、みんなも並んで?」
 ヒカリの温もりに逆らえる者は居なかった。


 さらに三十分ほど経って、最初の老人が戻って来た。
「何か手伝わせては貰えんだろうか?」
「じゃあお皿を洗ってもらえますか?」
 次に中年の小太りな女性がやって来た。
「あたしにも何か作らせてもらえない?」
「材料はそこにありますから」
 ヒカリを中心に輪が出来る。
 しかしそれを快く思わない者も出た。
「全部寄越せ!」
 ヒカリの胸倉をつかみ上げる。
「嫌です!」
「この!」
 殴ろうとした腕に誰かがしがみついた。
「やめて下さい!」
「なんだと!」
 二十歳くらいの男性だった。
 彼は簡単に殴り伏せられた。
 でも呼び水としては十分だった。
「な、なんだ、よ…」
 それぞれがそれぞれに武器を持った。
 鉄パイプ、コンクリート、石、何でも良かった。
 男は取り巻きを含めても十人に満たず、ヒカリの食事を待つ者は数百人から千人を越していたのだから。
「大丈夫ですか?」
「はは、情けないよな…」
 苦笑するその態度が、ヒカリにある男の子を思い出させた。


 夜になれば寒くなる。
 適当な廃屋や倒壊の心配のない壊れたビルに人は集まる。
 ヒカリはマンションの一室に居た。
 窓は壊れて吹きさらしになっていた。
「寒くないかい?」
 そう言って彼は隣に座った。
 名前を高橋と言った。
「あの…、さっきは、ありがとうございました」
 二人とも毛布を羽織ってしゃがみ込んでいる。
 床は冷た過ぎて凍えるのだ、とても寝そべってはいられない。
「君は…、探さないの?」
「え?」
「誰かに会いたくて戻って来たんじゃないの?」
「…はい」
 ヒカリは涙がこぼれそうになるのを堪えた。
「でも、もう会えないみたいだから」
「そっか…」
 彼も苦笑する。
「じゃあ僕と同じだ」
「そうなんですか?」
「うん…、僕は彼女と居たかった、でも彼女はそう思ってくれなかったみたいだ」
 辛そうに笑う人なんだな…
 そう思うと我慢が効かなくなった。
 ふわっと温もりに包まれた。
 彼が自分の毛布の内側に、ヒカリの体を抱き寄せたのだ。
「温かいな…」
「はい」
 委員長であり姉であり家長でありトウジを、アスカを支えて来たヒカリが、始めてその男に甘えて擦り寄った。
 自分の妹の部分を解放できた。
「お休み…」
 彼はヒカリの額に口付けた。


 翌朝からヒカリはまた明るくなった。
 その中で、何故か高橋にだけははにかむように笑って感情を押さえていた。
 それが照れ隠しだと容易にわかるので、皆はヒカリをからかった。
 ヒカリはそれからも高橋の懐で眠っていた。
 昼間は小さなお母さんで、夜は大きな子供になった。
「高橋さんは、寂しくは無いんですか?」
「…どうして?」
「だって…、会いたかった人がいないなんて」
 高橋は笑う。
「最初は寂しかった、でも彼女は自分で幸せを選んだんだ、なら僕だけ不幸な顔をしているのは不公平じゃないか」
 そう思うだろ?
 問いかけられてヒカリは頷く。
「それに今はヒカリが居るから、暖めてくれたから」
 ヒカリは真っ赤になってうつむいた。
 その様子がおかしくて、高橋はつむじにキスをしようと体を屈ませる。
 不意にヒカリが顔を上げた。
 じっと高橋を見た後、ヒカリはそっと瞼を閉じた。
 二人の唇が重なる。
 睫が微妙に揺れている。
 その後ヒカリは、少女のままで女になった。


 翌朝。
 横に居たはずの人が居なくなっていた。
 ヒカリは不安になって立ち上がる。
「きゃ!」
 自分の恰好に驚きしゃがむ。
 毛布で隠して誰かいないか辺りを探る。
 マンションの一室には、やはりヒカリ以外の誰も居ない。
 ヒカリは慌てて下着を付けた。


 階段を駆けおりる。
 倒壊を免れたとはいえ、やはり階段の一部は脆くなっていて危なかった。
 お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!
 ヒカリは兄を探す妹だった。
 マンションの前に出る。
 そこで抱き合っている男女の影。
 はっとする男。
 その瞳はヒカリを見付けた高橋のもの。
 …お兄ちゃん。
 彼女が誰なのか?、それは聞くまでも無い事だった。
 よかったね?、お兄ちゃん…
 ヒカリは女になっても妹だった。


 高橋はヒカリを紹介した。
 ヒカリは極普通に振る舞った。
 しかし高橋は気が気でなかった。
 ヒカリにはそれが辛かった。
 大事なのはお姉さんでいいのに…
 あたしは妹で十分なのに。
 十四の女の子を抱いた事に不安があったのかもしれない。
 しかしヒカリは、男の取り合いをするには物分かりの良い子供過ぎた。
 彼の心配は杞憂に終わる。
 さよなら。
 三ヶ月後、ヒカリは消えた。
 三ヶ月が何を意味しているのか、気付く者は居なかった。


「やっぱりあそこへ行こう!」
 第三新東京市。
 今はどうなっているのか分からない、だがヒカリはその地を目指して歩いた。
 時々温かい歓迎を受けた。
 野党のような連中でさえ、ヒカリのお腹を見た瞬間にその警護を買って出た。
「生むのか?」
「はい」
「父親は?」
 ヒカリは首を振った。
「そっか…」
 薄汚いを通り越し、アンモニア臭が鼻につく男だった。
 髭も伸び放題で汚らしいが、ヒカリにはとても優しかった。
 彼はヒカリをとある老夫婦の元へ送り届けた。
「俺達も世話になっているんだ」
 そう言ってニカッと笑った。
 ヒカリは何度も頭を下げる日々を送って出産した。
 …まるで碇君みたい。
 その実はまるで違っていた。
 ヒカリの言葉はいつも感謝で溢れていたから。


 三年が経った。
 物事というのは三をいつも区切りにする、そんな言葉をヒカリは思い出していた。
 老夫婦が死んだ。
 おじいちゃんお婆ちゃんとアカリが口にする度に泣いていた。
 嬉しくて泣いていた、帰って来てくれたようだと言って。
 その二人が死んでしまった。
 アカリと名付けたのは、光を灯してくれる事を祈ったからだ。
 だがしばらくは暗く沈んでいた。
 ヒカリは家を預けることに決めた。
 相手は野党をしていた男達だった。
 彼らももう真面目に畑を耕していた。
「これをやるよ」
 そう言って車をプレゼントされた。
 車があれば、ものの数時間で辿り着ける。
「あそこのおかげで俺達も盗みをしなくてすむ様になったから」
 第三新東京市であれば安心できる、そう言っているのだ。
 あれからまだ数年しか経っていない。
 山の中で暮らしていたヒカリには、どうにも信じられない話であった。


 そしてヒカリは戻って来た。
「…ほんとに街なんてあるの?」
 真っ平らだった。
 良く見ればすり鉢状に落ち窪んでいる事が分かった。
 でこぼこだった道は、少しずつ真っ平らなアスファルトに変わった。
 おかげでアカリが騒がなくなった。
「凄い…」
 そこには街があった。
 以前よりも大きなビルがあった。
 文明や分化で溢れていた。
 しかしヒカリは孤独になった。


 以前とは違う街並み。
 知り合いのいない街。
 つてが無ければ当ても無い。
 街は異邦人には冷たかった。
 温もりを求めようにも話しかけることはできなかった。
 他人の壁を強く感じた。
「どうしよう?」
 中心部にあるピラミッドを見る。
 それはどうもネルフらしいのだが。
 ダメよね、やっぱり…
 そこに知り合いが居る可能性は低い。
 それにそこまで親しかったわけでも無い。
 しかし偶然は味方する。
「え?」
 信号待ち。
 前を渡る女の子。
「ほら早くぅ!」
 赤い髪の女の子が手を引っ張っていた。
「急ぐと、転ぶから…」
 従っているのは青い髪の女の子だ。
 青い瞳と赤いまなこ。
 あまりにも似過ぎた二人の少女。
 そして…
「二人とも横断歩道は危ないって言ってるだろ!」
「「はぁい!」」
 微笑みながら叱る青年。
「お母さん?」
 アカリの声にはっとして、ヒカリは慌ててクラクションを鳴らした。
 シンジが、レイが、アスカが驚いて振り返る。
 車も歩行者もお互いしか居なかったからだ。
「…委員長?」
 ヒカリはハンドルを握ったまま泣いていた。


 シンジは自分が住んでいるマンションまで案内すると、今はどうなっているのか説明した。
 MAGIとバグにより以前以上に進んだ世界が生み出されつつあること。
 合成たんぱく質生成工場。
 使徒の持つ生命の実を元とした無尽蔵の食料供給システム、これにより飢える心配が無くなったこと。
 とはいえ、緑黄色野菜は人でなければ育てられない。
 これについてもいずれはバグを利用して、かなり楽が出来るようになるだろうと説明した。
「それと後は学校なんだよね?」
「学校?」
「そっ」
 働かなくとも食料の宅配サービスは受けられる。
 しかし人的なサービスのために、従事する人員が必要になるのだ。
 何もかもがセルフサービスと言うわけにはいかない。
「それでさ、委員長、先生やってみない?」
「え?」
「今度小学校が出来るんだ、でも教員免許なんて残してる人いないしね?」
「で、でも」
「ああ、大丈夫、僕いまネルフで働いてるから」
 しかし最高司令官だとは思ってもいなかった。
 ヒカリはこの街で最も強力で強大なコネを手に入れたのだ。
「そうそう、それと今晩泊まるとこなんだけど、当てはあるの?」
「え、あの…」
 シンジはニコッと微笑んだ。
「そう思ってトウジに電話しておいたんだ」
「え?」
「かなり慌ててたけど、もうそろそろ来るんじゃないかな?」
「ええ!?」
「足は悪いまんまだけどね?、この間リツコさんが手だけで動かせる車をプレゼントしたから」
「鈴原…」
 自然とその目は玄関へ向かう。
 あの大声を出して駆け込んで来る。
 幻影が現実と重なり合う。
 シンジはそんなヒカリを温かく見守った。
 時に西暦2020年。
 洞木ヒカリ、18歳。
 彼女は何の変哲も無いリビングで不安と共に夢を見た。
 もう一度、今度は好きって言いたい、鈴原に…
 話し終えたヒカリは、そっとトウジの顔を盗み見た。
 昔はトウジを支えていようと思っていたのに。
 だけど今はどうだろう?
 あやすように抱きしめられて、髪を優しく撫でられている。
「鈴原?」
「なんや?」
「好き…」
「わしもや」
 そして西暦2022年。
 ヒカリの願いが、ようやく叶った。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。