ぶつんと途切れる一瞬は、電源を切られたテレビに似ていて、唐突に景色も何もかもが断絶される。
 シンジは瞼を開いた。
 今更思うことは何も無いはずだった、それでも、少しは居心地が良くなっていた世界に未練を感じていた。
「都合の良い話しだよね」
 そう思う。
 これまでは嫌な終わり方ばかりをしていた、だから逃げ出したくて、次に渡るのが待ち遠しくもあった程だ。
 それを少しばかり自分とって都合よく展開したからと……
「僕は、最低だ」
 次に渡って、また同じように幸せな一時を過ごせるのか?
 シンジの意識は逃避を試みようと、わざともう過去の事にしてしまおうとしていた。


「こんなに簡単に死ぬなんてね……」
 ミサトとリツコは、やや呆然とした体でシンジの遺体を見つめていた。
 その気になれば地球どころか太陽系すら消し去れる力を持ちながら、たった一発の銃弾に倒された少年。
 ミサトはカヲルに目をやった。
「でもどうして?、使徒に通常兵器は効かないのに」
「シンジ君は、人間だからですよ」
 溜め息を吐く。
「ATフィールドは心の壁ですからね、他人との境界、拒絶心、自己顕示欲、なんでも構いませんが、他者とを隔てる壁なんですよ、幸せな事に、シンジ君はあなた達に受け入れられた事で、喜びを感じ、心を開いてしまったんです」
「だから、凶弾に倒れた?」
「銃弾も放たれる時には意志が込められますからね、それまでのシンジ君であったなら、存在場と言う名の絶対領域は、その意志の侵入を許さなかったはずです」
「では、シンジ君の力は、孤独から与えられていたって事?」
「それは僕も同じですよ」
 薄く笑う。
「僕も、あなた達も、出来損ないの人類とされていますが、その実は微妙で、積み木程度の差が存在しているに過ぎません、車のカスタマイズと同じですよ、何処かを上げれば何処かが下がる、あなた達は数で孤独を打ち払い、僕は孤独に胸を痛めながらも、誰からも傷つけられる事のない力を手にしている」
「シンジ君は?」
「その中間に位置します、だから僕よりも弱く、そしてあなた達よりも寂しがり屋でした」
 ダンッとミサトは壁を殴りつけて叫んだ。
「じゃあ何!?、ひと一人孤独に追い込んでおいて、そんな事にも気が付かないで、凄いって驚いてたわけ!?」
「過去シンジ君と同じ子は居たはずですよ、見えないものを見て、聞いて、何かと話し、あるいは手も触れずに物を動かす、常人ではあり得ない記録を残す、心を、体を病んでいる人達が」
「その分、他の能力が特出すると言うわけね」
「程度の差はありますが、シンジ君のは正にそうですよ、だからマギは彼を人と判じました、あなた達は使徒ではないのか、人類の敵ではないのかと訝りましたが、僕には笑い話ですよ、だってそうでしょう?、あなた達のそれは、理解し難いから人間ではないと、後ろ指を差す行為と大差が無いように見えますからね」


 初号機のケイジに、多くの人が蠢いていた。
 まずは整備班である、主を失った巨人を前に、誰しもが沈痛な面持ちを見せている。
 そのアンビリカルブリッジの上には、二人の少女が表情を無くしたままに立っていた。
 青い髪の子は、何かを信じるように、赤い髪の子は、何かを思い詰めるように。
「あいつの話し、聞いたわね?」
 アスカの問いかけに、レイは初号機の顔を見上げたまま、頷いた。
「どうするの?」
 ちらりと赤い目を横向けて、レイはただそれだけで返事に変えた。
「そうよね」
 レイを見ないままに、気配だけでアスカは察する。
「やってみなきゃ……」
 なんだろう?
 分からない?
 悔いてしまう?
 それとも希望を夢見てしまう?
 レイが口にした。
「絶望は希望を失った時、感じればいいわ」
「そうね、可能性がある内は、諦め切れない……」
「失敗は幾度くり返しても、落胆を招くだけ……、でも、諦めた時が、絶望の時、絶望は終わりと同じ」
「終わりが来なきゃ……、次なんて考えられない、今は、まだ進もうって気にならないもの」
「だから、結末を望むの?」
「違うわ」
 アスカは言った。
「終焉を、よ、だって毎年毎年、年が替わるごとに、あいつはまた同じ時間をくり返してるんだって、同じように苦しんで、また死んでるんだな、なんて、そんなの、頭の中に在るまま、笑って生きて行けるはず、ないじゃない」


「変だ……」
 唐突に、シンジはおかしな事に気がついていた。
「ここ、どこ?」
 それは空だった、頭上に月、足元に地球、そして天に太陽があった。
 目を通して見える世界は黄金である。
「これって……」
 思い出したのは、最初の終末の時であった。
「そうだ、僕は望んだんだ……」
 傷つけ合ってもいい、だから……
「でも」
 あれから幾度やり直しても、意識の断絶……、死と同時に次の世界へ渡っていたと言うのに。
「どうして、今度は」
 またここへ戻って来てしまっているのか?
「それは、君の死が、君の望む死では無かったからだよ」
「カヲル、君……」


 初号機には、リツコ指導の元で幾つもの改装が為されていた。
 周囲に人が多く集まっている、アスカとレイは、プラグスーツ姿でかしこまっていた。
「後は君達次第だよ」
 言ったのは、リツコとミサトを従えたカヲルであった。
「LCLとはつまり使徒の体液、血、羊水と言ってもいいね、今現在はシンジ君の肉体を取り込んだ事で、原始組成を備えている、まあ、シンジ君の死体が溶けていると聞けば、気持ちの良いものじゃないだろうけどね」
 少々、意地悪な物言いだった。
「それで?」
 アスカが促す。
「シンジ君のレポートにもあったろう?、シンジ君は過剰シンクロによって取り込まれた時、そのイメージによって形而化した物体を作り出した、プラグスーツだったけど、神とは人間が想像し、創造したと言うのが理論の一つさ」
「人のイメージが……、現実化したって事よね?」
「そうだよ、でも、今の人間は、それだけの強いイマジネーションを持ち合わせていない、想像力の欠如が難点でね、だから君達には、コアがインストールされていない初号機に、取り込まれる事で同化してもらう」
 ミサトが何かを言いかける、それをリツコが制した。
 胸の前に来た腕に、恨めしげにリツコを睨む、しかし、怒鳴りはしないで、我慢した。
「かつてシンジ君がこちらの世界に帰還できたのは、碇ユイ、あの人が彼を産む事を願ったからだよ、あの人は確かに、シンジ君が生きてくれる事を願っていた、そのための世界を残そうとしたと言うのに、結末がこれではね」
 カヲルは初号機の赤いコアに手を触れた。
 装甲は取り払われ、データを得るためのコードが張り付けられている。
「初号機は模したとは言え、神様に最も近い存在だよ、あらゆる世界と繋がっている、君達が望めば、恐らくシンジ君の手を引く事が可能だ」
「問題が……、あるの?」
 カヲルは頷いた。
「それこそ言い出したら切りがないよ、君達が取り込まれたまま死んでしまう可能性、シンジ君を見付けられなかった場合、拒絶された時、あるいはシンジ君が再構成されたとしても、それが君達の望むシンジ君になるとは限らない」
「どういう事よ?」
「言ったろう?、作り出されるのはイメージだ、君達の偶像が作り出されるだけかもしれない、それはシンジ君に良く似た人形だよ」
 ぴくりと反応したのはレイだった。
「そう、綾波レイ、君はそうだったね?、碇ユイのサルベージを焦った碇ゲンドウによって、彼女は自我意識の境界線を再構築するよう誘導された、その結果生まれた神像が、君だ」
 驚きの目が向けられる。
「レイが!?」
「そうだよ?」
 目を丸くするアスカ、そこに写り込むレイは、確かにこの世のものではない『白さ』を感じさせる。
 それは希薄さだ。
「彼女は使徒ではない、人間でも無い、かつて人間が神を、精霊を、悪魔を現出させたように、彼女もまた神として生まれたんだ、そう、この新世紀に誕生した女神と言った所だね」
 肩をすくめる。
「そして神としてシンジ君が居る、しかし神は時折女神を裏切り、人の女に手を付ける」
「それがあたしだっての?」
「肉体関係とか、即物的な話しじゃないよ、現にシンジ君が、君達に何かをしたかい?、求めたかい?」
「それは……」
「彼が求めたのは君達の精神的な自立と独り立ちだ、そう言う意味では、彼は父親であり、神様として、人の心を失ったと言えるね」
 カヲルは悲しそうだった。
「悟りを開いた、と言えば聞こえはいいかもしれない、けれどそれは諦めだよ、全ての絶望が彼に心の平穏をもたらしてしまった、平らなのさ、波一つない心、だがそれは多くの裏切りや悲しみと言う名の重みによって圧し潰された、均された大地、それが彼の心だよ」
 そして、二人に真摯な目を向ける。
「君達は、彼の心を波立たせる、分かるかい?、君達は、彼に人の心を取り戻させるきっかけになれるんだよ、それは辛い事かもしれない、君達が人を愛し、伴侶を見付けた時、彼は嫉妬せずにはいられないだろうね、でもそんな事もまた、彼にどうしようもなく人間なのだと言う自覚を促す薬になるんだよ、僕は、君達に期待するよ」


「カヲル、君……」
 いや、違うとシンジは思い直した。
「君は……、僕だね?」
「そうだよ?、僕は君の中の渚カヲルさ、そして」
「わたしは、あなたの中の綾波レイ」
 二人が揃う。
「希望、か……、それとも、期待?」
「分かり合えるかもしれないと言う事のね」
 カヲルの返事は答えそのものだった。
「僕は……、分かり合えたのかな?」
「少なくとも、君は彼女達の心を知り過ぎるほど理解していた、そしてあの子達も、君と言う人を理解し始めていた」
「でも、僕はまた何も出来なかった」
「そう、けど、君の死には、大きな違いがあった」
「違い?」
 レイがカヲルに代わって前に出た。
「あなたは、あなたの望む世界を、欲望に満ちあふれた世界を、傲慢を押し付けなかった」
「え?」
「思い出して、あなたは、あなたが描いた幸せを、いつも押し付けようとして来たわ……」
 何もかもが上手くいくように、痛みのない世界を夢描いて。
「けれど、あなたは、皆に助けを求めたわ」
 今度は、みんなも手伝ってくれと。
「その違いが、これ?」
「そう、君は百八回も囚われていたと思っていたんだろうけどね、実際はみんなの願いでもあったんだ」
「みんなの?」
「だって、この世界は、みんなが一つになった、世界だから」
「君の悩みも、苦しみも、全てがみんなのものだから」
 レイとカヲルの存在が一つに重なる。
『何が最良かを悩み、考え、くり返し想像し、その結論を実行に移した』
「それが、僕が囚われていた時間?」
『碇シンジと言う心の葛藤は、みんなに通じている、だから君の想いは、また無数の魂達の想いでもあった』
「……僕の想い」
「その願いが、夢に共感する心を分かち合えたように、君も希望を」
「想いを、通じてはいなかった?」
 レイ、アスカとの約束、それは夢の中の出来事であったとしてもだ、彼女達が望んだ事なのだ、確かに。
 夢を現実にするための道を摸索したいと願った碇シンジ、それにみなが呼応した様に、またシンジも、綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレーの願望を受け取っていた。
『けれど、碇シンジの傲慢さが、強引さが、不平不満が、世界の反発心となって歪みや軋轢を生じさせた』
「僕は結局……、人のことなんて考えてなかったって事か」
『だけど、それは今も』
「え?」
『ほら、悲しみの声が聞こえる……、求める感情が、求めている魂が在る』
 何かが聞こえた。
 呼んでいるのだろうか?
『願いは、叶えてあげられた?、願いを、叶えてもらえた?』
 それは、まだだ。
 何もかもが、中途半端なままだった。
「君にも」
「あなたにも」
『その身の内に、まだ諦め切れないものがあるのなら、その欲望は、とても素敵なものだから』
「打ち明けてもいいんじゃないのかい?」
「求めても、構わないはずのものだから」
 シンジは柔らかに微笑んだ。
「そうだね」
 目を閉じる。
「僕だけが楽しく生きていける世界なんて、僕だけの価値観が生きている世界で、それはみんなの存在を無視するものなのに、僕はみんなの存在を、人格を、結局認めてはいなかったんだね」
 だから、歪みが生じて、輪廻の輪が作られていた。
「結局……、僕は誰も信じてなかったんだ」
 けれど、と言う。
『今は、信じられる?』
「わからない」
『好き?』
「わからない、けど」
『寂しい?』
「独りは恐いんだ、僕だけじゃなくて、みんなもそうなんだ、誰かに側に居て欲しいんだ、誰かに守ってもらいたいんだ、……誰かと、笑っていたいんだ」
『誰と?』
 いくつもの顔が、瞬きの中に淡く浮かぶ。
「僕を……、好きで居てくれる人達と、じゃなくて、僕が好きな人達と、かな?」
『愛してる?』
「わからないよ、そんなこと」
『その願いもまた、みんな同じように持っているのに?』
 苦笑して、目を開く。
「え?」
 光り輝く人影が二つ、抱きつくように飛び付いて来た。
 それは輪郭もおぼろげであったが……
『……』
 声、人の名を呼ぶ声だった、自分を求める叫びだった。
 心落ちつく、二つの香り。
 胸に沸き起こる感慨、それは……
(そうだ、僕は二人をあやしてたんじゃない、僕が甘えたかったんだ、落ち着きたかったんだ、……好きだったんだ)
 かつてレイに語って聞かせたこと、あれは紛れもなく、本音であったのに。
(ようやく分かったの?、馬鹿シンジ!)
 それに気が付いた瞬間、自答のための虚像ではない声が炸裂した。


「……ンジ、シンジ、シンジ!」
 必死の呼び掛け、その中に込められた焦りがどれ程のものかは想像するしかない。
 ゆっくりと……、ほんとうにゆっくりと瞼が開かれる。
 本当にシンジなのか?、カヲルの言葉が頭を掻き回す、しかし。
「……アスカ」
 堪え切れなかったものが溢れ出し、アスカはシンジに抱きついた。
「綾波……」
 レイは、そんな二人の上から、さらに覆い被さった。
 吐息をつく。
「……もう一度、会いたかったんだ」
 シンジはそんな二人を抱き締めた。



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