「まさか使徒が定められた摂理を放棄するとはな」
「やはり人工だからではないのか?」
「いや、サードインパクト、我らの知らぬ世界での紛い物が、何処までも影響していると言う事だろう」
 使徒捕獲。
 この報に世間は踊った、国連はネルフ本部へ引き渡しを要求したが、これは酷く現実的な理由によって拒否された。
 現在も使徒は活動中であり、この拘束にはエヴァンゲリオンが常時稼動する事で檻をなしていると言うのである。
 エヴァンゲリオンを起動したままの輸送には酷くリスクが付きまとう、また、観測されたATフィールドの数値は、エヴァンゲリオンが三機がかりでも抑え切れないと言う結論が提示されていた。
 この矛盾については、エネルギーは加速してこそ巨大になると言う、実に分かり易い論理で説明されていた、助走する距離さえ与えなければ、抑えたままで居られるというのだ。
 これに関して、国連は査察団を組織する、もちろん、その内実がどこにあるかは言うまでもない、しかし、これが国連本部を出発することは無かった。
 全ネルフ支部が本部からのハッキングにより掌握されるという、大事件が起こったからだ。
「あなた……」
 ユイはゲンドウの肩に手を置き、労った。
「これが最後だ」
 その手を払いのける。
「全ては夢だったのだな」
「わたしも、ですか?」
「そうだ、お前と研究を共にしていた時、わたしはこの心地好さが続けば良いと願っていた、わたしを恐れず、笑いかける女はお前だけだったからな」
 席を立つ。
「再びお前に会いたいと願ったのは、捨てられたのではないと信じたかったからだ、だが、それも幻想だった」
「あなた」
「レイの……、クローン体にインストールされた魂のデータは、偽のものを渡してある、後は好きにさせればいい」
「どこへ……」
「帰るまでだ、一人だった、あの頃へな」
 去っていく男へと、妻だった女は頭を下げた。


 そのネルフ本部であるが、もちろんマギ一台で全てのコンピューターを墜とす事など不可能である。
 不可能を可能としたのは、ペアになったジョーカーであった。
「恐ろしいもんね」
「なに?」
「シンジ君と、あの子よ」
 と言ったのはミサトで、聞き役はリツコであった。
「大体、シンジ君ってなんなの?」
「なに、とは?」
「ん〜〜〜、人間じゃないとか、そういうこと言ってんじゃなくて、散々あんたのとこでキー叩いて設計してたじゃない?」
「ええ」
「でもあんなことも出来たのよね……」
 それは先日のコンピューター戦のことだった。
 シンジは初号機をカヲルは参号機を取り込み、コンピューター化し、マギ以上のコンピューターを二台仕立て上げたのだ。
 その様な事が可能であるのに、何故キーボードなどを叩いていたのか?
「融合して、あっという間にマギを落して、ねぇ?、あの子、自分のことが分かってないんじゃない?」
「そうね」
 リツコは肯定して、マグカップに口をつけた。


「リーチ」
「え?」
 そのシンジはと言えばだ。
「えっと、これ」
「ロン、上がりだよ」
 ネルフ本部地下実験施設特設牢獄にて、麻雀に明け暮れていた。
「これで四千十二回中三千百六敗かぁ」
「統計的に見て、やはり君の発想は荒いね」
「カヲル君が洗練され過ぎてるんだよ、もうちょっとブレは大きくてもいいんじゃない?」
「勝負は勝ってこそ華だよ、思い通りにならない事を望む方向へ導くためには、必要な落ち着きさ」
 真っ白な部屋だ、真四角、その中央にこたつがある様は実にシュールである。
 裏返しにされたこたつ台の緑の上に、安物の麻雀牌が転がっていた。
「でも、退屈だねぇ」
「カヲル君でもそう思うんだ?」
「せめて音楽が欲しい所だね」
「今度持って来てもらえば?」
「いや、風を浴びたいよ、覚えてるかい?、あの夕焼け」
 シンジは微笑を浮かべ、もちろんだと答えた。
 ネルフ側の誰もが、使徒とその正体に困惑していた。
 とりあえずは、シンジにだ。
 味方として最も信頼できた少年が使徒であり、使徒であった少年はあなた達の上位組織から来たと言うのだ。
 誰が味方で、誰が敵なのか、全ては混乱の中にある、とりあえずはその元凶である二人だ、今は刺激を与えぬよう、人目から遠ざけられていた。


「ああん、もう!」
 一方、アスカは悲鳴を上げていた。
「なんであたしが、こんなことしなきゃいけないのよぉ!」
 はっきり言ってしまえば補導員である。
 解放されたレイ達、しかしシンジが無事であったと知った事から想いを募らせ、一目逢いたいと抜け駆けしようとするのだ。
 しかし本部へのパスを持っているのはただ一人だけである。
「ちょっとレイ!、あんたの姉妹でしょうが、なんとかしなさいよ!」
 レイは冷たく口にした。
「碇君が呼んでるから、じゃ」


 実際には呼んでいない、シンジはカヲルが居る事で安定していた。
 ようやく出会えた人である、常に孤独であった百年に比べれば、甘えたくなるのも当然であろう。
「君は、まだ恐れているのかい?」
「恐れる?、何を?」
「未だに一時的な接触をくり返しているのは、嫌われたくないからかい?」
 カヲルはそんなシンジについてを、ちゃんと見抜いていた。
「うん……、おかしいよね、自分じゃあ、もうおじいさんだって分かってたつもりなのに、一人にされるのが恐いんだよ」
 シンジは自嘲した。
「今まで一人だったから……、カヲル君に一緒に居てもらいたいと思ってる、でも迷惑になると嫌われるって知ってるからね、おかしいかな?」
 カヲルは微笑んだ。
「必ずしも迷惑が嫌がられるわけじゃないよ、頼りにされている、必要とされている、その想いは迷惑をかけてくれたからこそ味わえる物なんだよ?、君には……、君が甘えてくれる事を願ってる人が沢山居る、そうじゃないのかい?」
 薄く笑う。
「だめだよ、カヲル君」
「何故?」
「九十何回目だったかな?、僕はこう罵られた事があるんだ、神様ってね」
「神様、か、そうだね」
「うん、確かに僕は神様かもしれない、でもね?、神様なんて人に忘れられていく物だよ、だって困った時に頼れる相手が欲しいだけだもの、神様が居なくても人は生きて行けるんだよね」
「そして、彼女達にはもう、君は必要ない?」
「……ありがとう」
「なんだい?、急に」
「うん……、カヲル君に逢えて、嬉しかったから」
 シンジは自分の手のひらを見つめて、握り込んだ。
「もうすぐ、時が来る」
「……そうだね」
「もし……、カヲル君だけでも残れたなら、二人を見てて上げて欲しいんだ、勝手だと思うけど」
「いいよ、人は努力する事で時間を費やし、楽しみを見つける生き物だ、でも、僕には努力しなければならない物は何も無いからね、敢えて言うのなら、人の心を支えること、これに挑戦するのも、悪くはないさ」


 シンジとカヲルが解放されたのは、それから二週間後のことだった。
 この背景にはネルフ司令の辞任と交替劇等、様々な問題があったのだが、結局の所マギの解析結果によって、シンジを使徒として判断することはない、との結論に到ったのだ。
 使徒と同じ力を操ると言うが、それはエヴァも、そして人間も同じである。
 そしてマギのセンサーは人と判断している。
 揚げ句、初号機を用いての戦闘記録だ、シンジはATフィールドによって小型ながらも重力の井戸を出現させている、初号機を利用したからだと言う意見は黙殺された、碇シンジはその単体で、エヴァンゲリオンにエネルギーの供給すら行っているのだ。
 そして渚カヲル、フィフスチルドレン、第十七使徒は、それを上回る潜在能力を秘めている。
 ブラックホールすら生成できるのだ、二人がその気になれば、冗談抜きで地球を破壊できるのである、これをしないのは地球そのものに害する存在ではないからか、あくまで人類のみの敵だからなのか?
「好きなんじゃないの?、人が」
 ミサトがこぼした言葉は当たっていた、シンジにとっては切っても切り切れない縁の在る人間が多過ぎるのだ。
 そしてカヲルは言う。
「次の世界の住人と言う意味では、僕はあなた達と同じ欠陥品ですからね、そしてまたその差は隣の人ほどに小さい、シンジ君との差は更に小さく、けれど無限でもある」
 形態としてカヲルは人と同一の器官を有している、これは遺伝学的に見ても間違いの無い所だ。
 そしてそのカヲルとシンジを繋ぐ進化の中継点に入るのは人類だ。
 カヲルにあって、シンジにもあって、だが人間にはATフィールドを操る力が無い。
「生命の実を持たない人間には、仕方の無い事ですよ」
 なら、カヲルは?
「知恵の実、そう、僕には心が欠けている」
 とてもそうは見えないのだが、これは簡単な事だった。
「レイと同じね」
 判断したのはリツコであった。
「人は例え、生きる事を放棄しても体が朽ちるなんてことは無いわ、点滴さえ与えられれば、心が無くても生きて行けるもの、心というよりも、魂と表現すべきね、あなたには魂が無い、だから心の消失は肉体の消失に繋がる、生きる事の放棄は存在の放棄に繋がってしまう、貴方は常に生きるための目的を探し、喜びを求めなければならない」
「それが僕の宿命ならば」
 カヲルはあえて受諾する。


 渚カヲルがシンジの言うその日の日付を知らなかったとしても、これは責められた物ではないだろう。
 彼はその時、既に死亡していたのだから。
 初登校日。
 カヲルは訳も無く落ち着かずにいた。
「緊張するね」
 通学路を真っ直ぐに歩く、事情を知らぬ少年少女達は、無事であったと聞いた少年と、共に連れだって歩く銀色の髪の子に目を引かれていた。
「どこだって天国になるよ」
 そう、確かに生きてさえ居れば幸せになれるかもしれない。
「君が居なくなってもかい?」
「不吉なこと言わないでよね」
「ええ」
「ごめんごめん」
 カヲルはふてくされている二人に謝り、シンジと目を見交わして苦笑した。
 時は過ぎるし、流れる。
 そしてその瞬間は確実にやって来る。
 いつもの笑みに戻ろうとしたその顔は、そのまま驚きを張り付けた。
 頭に引きずられるように流れる、シンジが倒れていく、人形のように手を残して。
 咄嗟に伸ばした手は間に合わず、どさりと無情な音がした。
「シンジ君!」
「きゃーーー!」
 悲鳴、誰だっただろうか?、狙撃二発目はカヲルを襲う、しかし金色の壁が弾いた。
 シンジを抱き起こしながらビルの一つを睨んだ、一キロは在るだろう、しかしカヲルには距離など意味は無かった。
 ビルの屋上が吹き飛んだ、爆発、もちろんやったのはカヲルだが、子供達には分からない。
 アスカとレイは、カヲルの腕の中で動かないシンジに青ざめ、寒気から唇を震わせていた。
 ぐったりと落ちた手、膨らまない胸、見開いたままの目、そして右の眉毛から後頭部へ抜けている弾痕。
「い、や、あ……」
 アスカはようやくそれだけ口にし、レイは膝を突くようにして気絶した。



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