朝靄の立つ曇り空の朝、渚カヲルは参号機の前に立っていた。
その周囲に、黒い石版が浮かび立つ。
『なにを考えている』
カヲルは薄く笑う。
「全てはリリンの流れのままに」
そして悪夢は、くり返された。
鳴り響く警報、焦るミサトとリツコ。
「使徒、やはりあの子が……」
「隔壁は参号機によって破られていきます」
「何処に向かうつもり?」
「分からないわ、地下のあれは既にシンジ君が……」
ミサトは疑問をぶつけた。
「なら何故使徒はここに来るの?、シンジ君が居たから?」
「だとすると、シンジ君が死んでくれて良かった?」
「殴るわよ」
「せめてぶつだけにしておいて」
ジオフロント内、本部ピラミッドが内側からの爆発で吹き飛んだ。
宙を浮き、舞い出る参号機、その前にはカヲルが浮いている。
「さあ、全てはくり返される、僕はまだ、君のように他の道を手繰ってはいないからね、まずはここから始めるしか無いんだよ」
カヲルは正面の、森に包まれた湖を見た、と、少し離れた場所の天井が爆発し、湖からの水が滝のように落ちて来た。
発令所は息を飲んで、皆動きを止めていた。
「どうなってるの……」
「これが、初号機?」
マヤは呆然と手元のデータに対して呟いた。
滝の中に影が見える、光る瞳、人型。
「まさか、再生したの?」
「あり得ないわ!、ヘイフリックの限界を越えていたのよ!?」
リツコは悲鳴を上げた、だが、事実だ。
初号機は地に足を着けると、屈伸し、水の中から姿を見せた。
兜は溶解してドロドロに溶けていた、胸の装甲もだ、手足は剥き出しである、青白い肌を晒していた。
突然、雄叫びが上がった、参号機だった。
「参号機、初号機に向かいます!」
激突する二体は、遠慮無く拳を振るい、噛付き合った。
そんな中で、ミサトだけが使徒の少年を追いかけていた。
オペレーターにクローズアップを命じ、そして目を細める。
「あれは……」
湖の波が奇妙に波紋を広げていた、エヴァ同士の激震に関係無く、中央から同心円を広げているのだ。
「あれは!?」
「ATフィールドの発生を確認!」
「新たな使徒!?」
「いいえ、違います、人です!」
「シンジ君!」
複数の人間の声が、折り合い、絡み合って響き渡った。
浮かび上がるシンジ、手首と足首、それに背中と、合計十二枚の輝く翼を広げていた。
「シンジ君」
「カヲル君……」
シンジは複雑に返した。
数十メートルの高みに浮いていると言うのにだ、お互い百メートルは離れているのに、まるで耳元で囁いているかの様に言葉を拾い合っていた。
「また逢えて嬉しいよ、シンジ君」
「やっぱり……、そうなの?」
カヲルは頷いた。
「君のことも聞いたよ、それから察するに、どうやら僕は君が初めて出会った僕らしい」
苦笑する。
「おかしな物だね、死を願った僕が、また君に殺されるためにここに居る」
シンジは嘆いた。
「遅いよ……、カヲル君」
「そうだね」
「遅過ぎるよ、どうして今更なんだよ!」
「これが僕達の宿命だからだよ」
「なんの!」
「君が生きて、僕が死ぬこと、君には生きていて欲しいからね」
目が湛えられる物は何か?
「色々な人から話を聞いたよ……、皆の中に君は居る、僕は所詮君の代わりにすぎない、それを嘆いたとしたら……、贅沢なのかな?」
「でもそれなら、君でも良いはずだよ、僕じゃなくても」
「ああ、これを渡しておくよ」
放り投げられた物は、違いなくシンジの手のひらに納まった。
「これは……」
「アダムだよ、固められてるけど、生きてる」
琥珀色の鉱物の中で、胎児がぎょろりと目を剥いていた。
「あっちじゃ君のお父さんが宿すはずだったけどね、ついでだから盗んでおいたんだ」
「こんなもの……」
シンジは握り潰した、豆腐よりも柔らかにぐしゃりと潰れる。
「こんなものがあったから」
「そうだね」
寂しげに言う。
「でも、僕もそうなんだよ?、シンジ君」
「アダムもリリスももう無いんだよ、カヲル君!」
「でも僕が居る、そして初号機がある、君が居る」
「カヲル君……」
「さあ、僕を消してくれ」
カヲルはいつかのように、腕を広げた。
「君がどう思おうと、僕はくり返し言うよ?」
「やめてよ……」
「君は、死すべき運命にない」
「やめてよ!」
カヲルの背後から巨大な腕が伸ばされた。
初号機だ。
トリガー代わりに、人差し指が首に掛かる。
「また逢えるかもしれないね」
だが……、死は訪れなかった。
シンジが何かをしたのではない、初号機の手首が斬り飛ばされたのだ。
シンジは目を見開いた。
「アスカ!?」
弐号機がナイフで切り上げていた。
飛んだ手は、カヲルごと零号機が受け止めた。
「綾波、レイ」
カヲルも目を丸くする。
『やっぱり生きてたわね!』
元気過ぎる声だった。
『そんなことだろうと思って、のこのこ出て来るのを待ってたのよ!』
「待ってたって……」
『死んだことにして、どっかに行こうたってそうはいかないんだから!』
『碇君……』
「綾波……」
零号機の目でカヲルを見る。
「なんだい?」
『あなたは……、希望、だから』
「希望?」
『ええ』
要領を得ない、アスカが焦れた。
『つまり事象は無限に平行を重ねてても、どこかで重なる事もあるって証明なのよ!』
それは以前、リツコによって否定された話しだ。
『だから渚と色々話して確認したのよ、使徒は本当に人の心を理解できるのかってね!』
「え?」
『使徒が死ぬ度に進化してまた出て来るなら、一番の方法は殺さず捕まえておく事でしょうが!』
カヲルはその意を得てなるほどと笑った。
「それで、僕なのか」
『そうよ!、今までの使徒じゃ大人しくしてないでしょうけどね、あんたなら……』
「シンジ君を悲しませてまで破滅を運ばない、ふむ……」
考え込む。
『シンジのレポートでもあったわ、あんたは過去にアダムとリリスを誤認してる、それはあらかじめ与えられた情報を信じたからでしょ?、どうして?、それまでの使徒はプログラムされたわけでもなく自分で目指してたのに、どうしてあんたは他人の指示に従ったの?、もっと純然とした使徒なら本能で嗅ぎ分けるはずだわ、つまりそれだけ、あんたは人間並に鈍感なのよ!』
カヲルは吹きこぼした。
「そうか、そういうことか」
零号機を見上げる。
「離してくれるかい?」
ためらいを見せたものの、零号機はカヲルを解放した、その手のひらに立って、シンジを見つめる。
「君の翼は美しいね」
「カヲル君……」
「でも君は翼を生まなければ空を飛ぶ事も出来ない、力の点では僕の方が洗練されている……、君はあらゆる点でこの世界の頂点に在る存在なのに」
シンジも降下する、アスカは自然と弐号機を動かし、その手のひらにシンジを立たせた。
「カヲル君自身の言葉さ、この世界で生きるために、人と同じ形に行き着いた」
「そう、でも完璧ではない、最善の形態なんだ、僕は人の真似をし過ぎて感覚を鈍くした、シンジ君はその点さえ克服している」
「でもその分、形がいびつになったんだ」
カヲルは弐号機を見ていった。
「アスカさん?、発令所に繋いでくれるかな」
ノイズ交じりに、ミサトの声が発せられた。
『何かしら?』
「投降します」
ざわつきが聞こえた。
「見ての通りですよ、僕と……、彼は使徒ですからね」
『なっ!?』
カヲルはニヤリと笑い、アスカの否定を跳ね付けた。
「一緒に捕まってくれるかい?、シンジ君」
シンジははにかんで頷いた。
「こんな展開は初めてだよ、カヲル君」
もちろんそれは、承諾を意味する言葉であった。
[BACK]
[TOP]
[NEXT]