実の所、アスカとレイの依存はシンジに苦しみを与えていた。
必要とされている、愛されている、好かれている。
そう実感すればするほど、別れは辛くなるのだから。
第十六使徒。
シンジは言った。
「エヴァに融合するタイプですから」
そして通常兵器では追い切れない。
だからドラクーンも温存したまま。
前回の攻撃が効いたからか、使徒は遠距離での戦闘を諦めた、地上戦に出たのだ。
生活圏を守ろうとする基本姿勢を見抜いたのだろう。
シンジは一人で出ると言った、これまでの強さから、皆それで了承してしまった。
ミサトは今、何故気が付かなかったのかと悔やんでいた。
シンジのレポート、そこには幾つもの分岐路があるのに、何故だか第十六使徒に関するものは少なかった。
それまで生きていなかったか、逃げ出していたか、相手にしなかったか。
どれにしてもだ、使徒を倒したのが誰かの違いはあっても、必ずその手法はエヴァを囮にしての自爆であった。
そして使徒は、ATフィールドの発生をきっかけに活動を開始する。
発生源に強襲して。
初号機は融合された、初号機エントリープラグとの通信途絶、自爆シーケンスの作動、喚くアスカとレイ、ここまでやるのかと青ざめる少年少女が三人。
激震。
映像が回復した時、街は失われ、芦の湖からの水が流れ込み……
初号機は、上下半身を千切れさせ、融解した装甲に体を焼かれて、その縁の一部に埋まっていた。
「エントリープラグは見つかりましたが……」
写真が見せられる。
「二つに折れ、パイロットは……」
放り出されてしまったのだろうと言うのだ。
「じゃあ、脱出を?」
「かも知れないわね」
ミサトとリツコの会話である。
「自爆を試みたものの、ATフィールドが消失しては使徒を逃がす事になる、そこでエントリープラグをぎりぎり射出しようとして」
「失敗して……」
「使徒も葬り去る爆発ですもの、幾らシンジ君でも」
リツコは憐れみを込めて言った。
「馬鹿ね、あの子……」
「そうね」
「これであの子にとっては歴史通り、わたし達は未知の世界を自分達だけで歩く事になる」
どうしたの?、と訊ねると、ミサトは渋々白状した。
「ほんとはね、わたし、シンジ君を殺そうと思ってた」
「そう……」
「だって人間じゃないから……、使徒だから、何があったかは知らないわ、どうしてそんな事になったのかも、わたしには関係無いもの」
「でも殺せなかった?」
ミサトは頷いた。
「それが自分から死んでくれたって言うのに……、ちっとも嬉しくないのよ、変ね」
「そう言う物でしょ?」
リツコはタバコに火を点けた。
碇シンジの唐突な死は、予想以上の波紋となって広がった。
一つは本部司令、碇ゲンドウの復帰である。
国連は本部内における人事異動を、不当な物であるとして通達を出した、もちろん、これが何処から出た物か、上層部においては周知の事実だ。
戦略自衛隊からの出向については中断、だがネルフ内における装備品は、予算が戦自から出ていた事もあり、これはそのままと言うことになった。
「これもシンジ君の狙い通りってわけね」
そう評したのはミサトであった、引き上げていく戦自のトラックを列を見ながらの言葉でもある。
ミサトは別れ際、子供達に伝えていた。
「いつかネルフが敵になるかもしれない、その時のために、対エヴァ兵装を付けた事、知っておいて」
使徒戦を想定した物ではないと、真実を告げたのだ。
一方、綱紀粛正の名目で、国連から団体が到着した、これは司令の直轄であり、私兵であった。
中学校からは綾波レイの姿が消えた、全員である。
もちろん、ゲンドウが連れ戻したのだ。
しかし当人達からの苦情は無かった、全員の目が死んでいた。
たった一人、そう、たった一人保護者を失っただけで、その喪失感は多大な物となってのしかかっていた。
まるで心を持っていなかった頃のように、無表情に能面面を晒している。
一時は裸を見せる事に対する嫌悪感すら持ちえていた子も、命じられるままに下着を脱ぎ、診断を受ける従順さを見せていた。
アスカは、そんな状態に焦りを感じながらも、シンジを失った事に対する倦怠感から抜け出せずにいた。
「何でよ……」
風呂に浸かり、ぼうっと天井を見上げている。
「あたしに選ばせてくれるって、言ったじゃない……」
湯はすっかりぬるくなっていた。
一方、もう一人の少女は、こちらはなぜかしら平然としていた。
第二芦の湖となりつつあるクレーター、その縁に立ち、水の下に沈んでいる物を見つめている。
初号機だ、装甲は融解し、あるいは外れ、千切れた胴部からは内腑が流れ出し、漂っている。
その目は何を判断しているのか、揺れることなく、まっすぐだ。
ふと、レイは顔を上げた、近くの木の枝に、少年が優雅に腰掛けていた。
鼻歌を歌っている。
「歌はいいねぇ、歌は心を潤してくれる、リリンの生み出した文化の極みだよ、そう感じないか?」
白い肌、銀の髪、赤い瞳。
「あなた、誰?」
「国連からの派遣と一緒にフォースの到着、出来過ぎてるわね」
「そのフォースなんだけど、レイと接触したそうよ」
「レイと?」
「それが、フォースじゃなくて、フィフスと名乗ったそうよ」
「フィフス?、どうして……」
「分からないわ」
街中を歩くレイ、その数歩後ろを、彼は楽しそうに着いて歩いていた。
「何処へ行くんだい?」
「帰るの」
「家、帰るべき場所、ホームが在ると言う喜びは何物にも替え難い、でも、君にはそれがあるのかい?」
レイは立ち止まる。
「わたしには、他に居るべき場所なんてないもの」
「そうだね」
カヲルは微笑む。
本部に出て来たアスカは、偶然渚カヲルに出会った。
「やあ、惣流さん」
「あんた誰?」
「フィフスチルドレン、渚カヲル、カヲルでいいよ」
「……アスカでいいわ」
「それはありがたいね、どうだい?、お近付きの印に奢るよ」
「ありがと……」
ジュース一本で買収されるアスカである。
「どうだい?、調子は」
「調子?」
「サードチルドレンを失った感想だよ」
アスカの目がきつくなる。
「あんたには関係……」
「あるよ、まるでおつやの様でね、みんな僕に、彼の代わりになるのかとそんな目を向けるんだ」
「はんっ、あんたなんかが、シンジの代わりになるわけ」
「そうだね」
その微笑みに負けてしまう。
「なによ……」
「人は誰しも寂しさを感じる、心が痛がりだから一人を好む……、でもそれでは永遠に孤独を忘れることは出来ないよ、そうは思わないかい?」
カヲルの言葉は、シンジの事を思い起こさせる。
「けど、あいつは……」
「君の心は、ガラスのように繊細なんだね」
「え?」
「好意に値するよ」
「好意?」
「好きって事さ」
実際の所、カヲルがシンジの代わりにはならない、というのは嘘であった。
技術面では十二分にリツコへ上申し、そして染み入るような微笑みが、人の心を安心させる。
ミサト、リツコは警戒を忘れることは無かったが、それでも平坦に過ぎる毎日に、どこかカヲルを受け入れ始めていた。
それはアスカやレイが、別段警戒しなかったからかもしれない。
三人が一緒に居る所は、非常に良く見かけられた。
カヲルは微笑み、何かを話し、アスカがそれをくだらないと、バカバカと言い、レイがそのやり取りの観客に回っている。
傍目には実に良い関係に見受けられた事であろう。
誰しもがあの少年は良い子であったと、碇シンジの名を記憶の隅に追いやろうとしていた。
急ピッチで進められていた参号機の修復が完了し、シンクロテストが実施された、その日までは。
「この数値、間違い無いのね」
「はい……、でも理論上あり得ません、コアのインストールも無しに、こんな」
マヤの言葉に、リツコは呟いた。
「前例がある以上、認めないわけにはいかないわ」
「シンジ君……、ですか?、でも」
マヤはシンジのレポートの存在を知らない、逆に読んでいるからこそ、リツコは判断に迷っていた。
あるいはアスカ達も同じなのかもしれない、何故か?
レポートの中にあった、渚カヲルの行動パターンが、今ひとつ掴み切れないものだったからである。
敵なのか、味方であるのか?
その判断がつかないままに、ただ日々は過ぎさって、唐突に物語は運命の歯車を加速させていくのであった、そう。
脱輪するほど、強引に。
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