──ザァ!
 夜の山中を一機のヘリが飛行していた。
 奇妙なヘリだった、コクピット以外には窓が無い、輸送用と戦闘用の中間をイメージさせるヘリだった。
 揚げ句ローターは激しく回っているのに音がしない、限りなく無音に近く、機体本体も黒で塗装されていた。
 恐ろしく隠密性の高い機体であった。
 やがて目的地が近くなったのか、その中で待機していた一団は騒がしく動き始めた、銃砲を確認し、あるいはボディスーツを着用している。
 コクピットではパイロットが地形データの照合を行っていた、彼らがゴールとしている地点、そこにある建物は……


 ──それは黒い獣であった。
 今まで気配を断って闇に紛れていたのだろう、しかしこの騒動に隠れている事が出来なくなった、だから姿を見せたのだ。
 毛むくじゃらの怪物、シンジはヒカリのように喚いていたアスカの言葉を思い出していた。
『黒い化け物』も本当に居たのだな、と。
 それはレイやマナに似ている獣だったが、頭部からの毛が長く、背にまで生え揃っていた、そのまま伸びる様に尻尾へと繋がっている。
 割れて左右に垂れ下がっている髪は耳のようだった。
 それどころではないとはっとする。
 見ればまた光度を増して、クリスタルは熱線を放とうとしていた。
「危ない!」
 そのシンジの台詞に逸早く反応したのはレイでもマナでもなく。
 ──ウォオオオオオオン!
 シンジは驚いた、黒い獣が右腕を振りかぶって跳びかかったからだ、爪を長く凶器として尖らせていた、獣の一撃が鋭く切り裂く、クリスタルは傷口から正体不明の液体をしたたらせてよろめいた、地に落ち掛けて何とか浮上しようとする。
 獣は追い打ちをかけようとはしなかった、それどころかしでかしてしまった事に怯えて自分の手を掴みおろおろとしていた。
 シンジはその様子に引っ掛かりを覚えた、それはデジャヴのような曖昧な物ではなくて、はっきりとした印象であった。
(知ってる……、僕はこの子を知っている?)
 目が合った、くりっとした可愛い瞳が、記憶の奥底で合致する。
 その感覚はマナと再会した時と同じものだった、何故か確信が持てた、間違い無いと判断出来た。
「マユミ……、そうだ、マユミ!」
 獣はピクンと反応して動きを止めた、数瞬の後に大きな恐れを抱いて身を震わせた。
 シンジはああやっぱりかと照合を行った、覚えている、何しろあの嫌な事ばかりだった頃に見た幸せな犬と飼い主の姿は、何度も何度も繰り返し思い出していたものだったから。
 見間違えるはずが無かった。
「危ない!」
 クリスタルは最後とばかりに一際ひときわ強く発光した、ドカン!、爆発した、シンジは爆風に転がされたが、痛みに堪えて顔を上げた。
「え?」
 シンジは不可思議な現象に目を丸くした。
 金色の壁が爆煙を押し返していた、張っているのはレイだった、その背後ではマナが覆い被さる様にして黒い獣を庇っていた。
 今までに見た事の無い力だった、姿のことと言い、レイが変わってきているとしか思えない。
(でも……)
 相手を自分に合うように変化させる、その生態については説明されたが、進化していくなど聞いてはいない。
 ではどう言うことなのだろうか?
 シンジに分かるはずも無い。
「あ……」
 獣はむくりと起き上がった、その背に乗っかり、もふもふと噛んでじゃれついていたマナが滑り落ちた。
 獣は怯えた目をシンジに向けると、身を翻して駆け出した、それも四つ足でだ。
(なんで!)
 分からない。
「待って!」
 前を塞がれてたたらを踏む。
「綾波!?」
 その目にシンジは乗れと言う命令を読み取った、どうして意思の疎通が出来たのか深くは考えなかった。
「うん!」
 四つんばいになったレイの腰に乗せてもらう、シンジは体を倒し、お腹に腕を回して抱きついた。
「わっ!」
 いきなりのスピード、シンジは跳ねる視界に、目が回る思いを味合わされ、マナは……
「……」
 追いかけようとしたのだが、瓦礫の下から覗く白い腕に気がつき、後ろ足で砂を掻けるようにして木片を集め、きっちり見えないように埋めたのだった。


 ──マユミは逃げた、力の限り逃げようとした。
 シンジは追った、実際に疾駆しているのはレイであったが、シンジは正直助かったと安堵していた。
 夜の林の中、雑木の枝に服を裂かれる、前も良く見えない、目を閉じて張り付くように身を伏せていないと、何に肌をやられるか分からなかった。
 ばしばしと頻繁に何かにぶつかる、このような場所で遁走する獣を追うなど、シンジだけでは到底出来ないことだっただろう。
 シンジは必死になりながらも、レイが追いかけてくれる訳を探していた、ここに来てからの不審な態度、きっと知っていたのだなと思った、気がついていたのだなと。
 窓の向こうにあの子を見付けていた、アスカを驚かせて一緒になって笑っていた。
 レイが転がり込んで来た頃の事が思い出された、妙に懐こうとする態度、そして一人は寂しいでしょうと、慰めてもらったことがある。
(綾波は、優しいから……)
 きっとあの子のことも、そう思う。
 ──やがて開けた場所に出た。
 シンジはレイが止まったので顔を上げた。
 そこは昼間に遊んだ河原であった。
 背から下ろしてもらう、前に歩き出す、何故か『彼女』が居る場所ははっきりと分かった、一直線に向かう。
 レイは黙ってその後を着けた。
(居た……)
 彼女は藪の中に居た、しゃがみこみ、胸を抱くようにして震えていた。
 白い裸身が月明かりに映える、背骨が描く線が艶めかしい、さらりと流れる髪が肩に掛かっていた。


 生唾を飲み下してシンジは問いかけた。
「マユミちゃん……、だよね」
 ビクリと反応を示すのを見る。
 マユミは震えながら肩越しに振り返った、シンジと目を合わせてゆっくりと頷く。
 人の姿もまた、どこか気弱なものを感じさせた。
「……こっちにおいでよ」
 さあとシンジは手を差し伸べた、しかしマユミの反応は酷かった。
「来ないで!」
 来ないでと弱々しく繰り返す、その姿は痛ましかった、胸が痛くなってしまう、こんな風になってしまったなんて。
(何があったんだよ……)
 余りにも昔の姿からはかけ離れている、あの頃は自分とっての夢の姿そのままだったのにと泣きそうになってしまった、あれほど幸せそうだったのに、と。
「来ないで……」
 マユミはもう一度訴えた。
「お願いだから来ないで……」
「どうして」
「来ないで」
 埒が明かない。
 だがシンジには懸ける言葉など見つからなかった。
 悔しさに歯噛みする、そんなシンジを救ったのはレイだった。
「怖いのね」
「綾波?」
 シンジは振り返ってゾッとするような瞳を見付けた、余りにも冷淡で、寒々しい。
 マユミも気がついたのか、蒼白になった。
「ならいつまでもそうしているといいわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、綾波」
 激しくうろたえているのが見て取れた、どうしてと思っているのだろう、マユミは。
 一緒に遊んでくれたのに、と、優しい人だと思ったのに、と。
「行きましょう碇君」
「でも」
「その子は一人が良いと言ってるわ」
 マユミは反射的に否定した。
「違います!」
「マユミちゃん……」
 マユミは泣きべそをかいていた。
「違います……」
「じゃあどうして……」
「違います、一人は嫌です、寂しいから、けど!」
 訴える。
「もう嫌なんです!、誰かにかまってもらうのは、裏切られるだけだから、それなら一人の方が良い……」
 一人は嫌?、裏切り?、何の事だろうかと訝しむ。
 マユミの心は凍っていた。
 ──それはシンジが捨てられるように今の部屋に押し込められた頃のことだった。
『来るな!、こっち来るな!』
 どうして?、そう思った、どんな姿になっても自分は自分なのに……
 化け物と罵り、包丁で、ホウキで、バットでもって追い回された、逃げ出した、もう居られる場所では無くなったから。
 最初は飼い主であった人達だった、次は警察だった、次は怖い男達だった。
 後を追われて、潜んでいるしか無かった、辛かった、寂しかった。
 ──安らぎが欲しかった。
 それは辛い記憶だった、大好きな人達が酷く怯えて歪んだ顔をして喚いていた。
『お前も話せたら良いのにな』
 そう言ってくれたから、話してみろと口にしてくれたから……
 一生懸命、話そうとした。
 それだけなのに……
「マユミちゃん……」
 シンジはどうして良いものか分からなくなって途方に暮れた、その時だった、がさりと大きな音が鳴ったのは。
 周囲でだ、複数だった、囲まれていた。
 ──それはヘリに乗っていた男達であった。
 ドシュ!、放たれた物は網だった、銃砲から広がって『レイ』の上に被せられた、シンジとマユミを巻き込みながら。
「綾波!」
「あ……」
 マユミは体を強ばらせた、抱かれたからだ、シンジに。
 シンジは庇いながらもレイを心配し、何事なのか見極めようとした。
 周囲の藪から立ち上がったのは、迷彩服を着込んだ兵隊のような連中だった、ケンスケの様な趣味人でないのは明らかだ。
 ──彼らの目的はマユミであった。
「目標確保!、麻酔を!」
 一斉にライトが浴びせられる。
 ──レイへとだ。
「待て!」
 その先頭に立っていた男が、酷く慌てた声を出した。
 明らかに動揺していた。
 何だろうと訝しむ。
「プロトタイプ!?、テストタイプじゃないぞ!、なんでこんなところにぃ!」
 それは泣き叫びに近かった。


 ──ここはわたしだけの世界、誰も来ない世界。
 ここは怖い人間が来ない場所。
 追いかけられる事も無いし、追い立てられる事も無い。
 好き。
 大好き。
 でも本当に好きなのはあのお家だった。
 あのお家の庭が好きだった……
 期待して待っていると、いつも遊んでもらえたから。
 遊び過ぎても、叱られることは無かったから。
 みんなが好きだった。
 わたしを誉めてくれるから。
 わたしに笑ってくれるから。
 喋れなくてもわたしのことを分かってくれて……
 でも時々、喋れないから勝手にわたしのことを思い込む。
 おとなしい子だと勘違いする。
 嫌い。
 そんなのは嫌。
 わたしはわたし、それ以外じゃないのに、勝手なイメージを押し付ける。
 本当はそんな人ばかりだった。
 あの人達も……

 この人。
 わたしと同じ人を連れていた。
 シンジと言う人。
 二人を見ても驚かない。
 彼みたいな男の子は今までいなかったけど。
 だけど期待はしない。
 何度も裏切られたから。
 今まで沢山怖がられたから。
 みんなわたしを嫌うから。
 だから一人が好き。
 でも、わたし、泣いてるの?
 どうして?
 どうして……
 どうしてわたし、逃げようとしないの?


 マユミはすっかり困惑していた、襲いかかって来るのが人間なら、今守ってくれているのも人間なのだ。
(どうして……)
 温かいのだろう?
 マユミは泣いてしまっていた。
 そんな彼女を男達は怯えさせた。
「テストタイプはどこだ!」
 マユミは体を強ばらせた、これまでのことでそれが自分を指しているのを知っていたからだ、ずっと追われて来たのだ、この連中に。
 シンジはそれを察してか、より強くマユミを抱きしめた。
「そっちだ!、ヒューマンスタイルに移行してる!」
 引き裂かれる音が耳朶を打った、レイが牙と爪で網を裂いたのだ。
「チタン繊維で編み込まれているんだぞ!」
 そんなことは関係ない。
 レイはこの無法者共に制裁を加えるために跳ね飛んだ、月を背にするほど高く、高く。
 ──ガァ!
 爛々と輝く瞳はけだものそのものだった、一人、また一人と藪の下に引き倒され、あるいは押し倒されて悲鳴を上げる。
 その狂暴性にはシンジでさえ目を見張るものがあった、レイの心が感じられた、どうしてあの子を苛めるのと憤っていた。
「スタンスティックを使……」
 慌てた指示だったが、それも中途半端に終わる。
 男は白目を向いて倒れ伏した、どさりと。
 その背後に立つ影、それは……
「シ〜ンジぃ……」
 ──シンジはそこに鬼を見た。
「アスカ……」
 歯を剥いて笑っていた。
「何か言い残すこと、ある?」
「あ、あのぉ……」
「アタシを放っておいて、こんなところでそんな女といちゃついて、良い度胸してるじゃなぁい?」
「こ、これは!」
「なんなんだ!?」
「誰だ!?」
「うっさい!、マナ!」
 ウォンと吼える、動揺した男達は更なる獣に怯えを持った。
「ロストタイプ!?」
 普段の気の抜けた様子とは違う、マナは戦闘意欲丸出しで跳びかかった、腕で身を庇おうとする男の直前に下り立ち、その胴へと回し蹴りを見舞った。
「がっ!」
 獣の膂力りょりょくは凄まじかった、男は一メートルは軽く飛んで、雑木に引っ掛かりオブジェと化した。
(あれがマナの……、本当の姿なんだ)
 その分普段は気を抜いているのだろうか?、シンジはそんな風に考えた。
 本来の気質か、性格か、性質か、野生か、それが解放されているように感じられた。
 ──それともう一つ。
 レイと同じで、怒っていた。
「シンジぃ!」
「へ?」
「お仕置き、良いわね?」
 ──怒髪天。
「ちょ、ちょっと待って!」
「待たない」
 シンジは悲鳴を上げようとした。
 ──ジュバ!
 歩み寄ろうとするアスカとシンジの間を、見覚えのある光が走り、藪を焼いた。
 へ?、そんな間抜け面をシンジは晒した。
 草木が発火して燃え上がる。
「!?」
 マナは焦って空を見上げた、よたよたとクリスタルが浮かんでいた、まだ生きていた。
「良いぞ!、ラミエル!」
 拍手でも起こりそうな雰囲気だった、愕然とする。
(あれって、この人達の……)
 仲間だったのだと知った、レイ、マナ、アスカともに悔しげに後ずさりを始めた、追い込まれていく。
 この男達はアダムの子を使ってまでマユミを取り押さえようとしていたのだ、シンジは想像してしまった、ラミエルと言うクリスタルに追われて、一人震えてあのような建物の中に潜んでいるしか無かった怖さというものがどれほどなのかを。
 男の手に持つスタンスティックに這うような放電が見られた、それを見たからかマユミは竦み上がって目を閉じた。
 もう終わりだと。
 今度こそと。
 ごめんなさいとマユミは竦んだ。
「動くなよぉ……」
 引きつった笑みを浮かべて男は近づいて行った、これで終わりだと言って握っていた棒を振り上げた、マユミは知っていた、その棒に触れると痺れて動けなくなる事を。
 一度、手酷くやられているから。
 マユミはぎゅっと目を閉じた、縋り付くようにシンジの衣服に指を絡めた。
 体を強ばらせてマユミは呟いた、もういや、こんなのいや、どうして自分だけがこんな目に合わなくてはならないのだろうかと。
 もう嫌、それと同時にこれで楽になれるとも思った、だが彼女は自分の声に重なるもう一つの声に気付いてしまった。
「……ちゃだめだ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ」
 そうだと思った、この人は人間だから、自分を置いて逃げれば良いのだ、この連中の目的は自分なのだから、きっと見逃してもらえるだろう、なのに逃げないで守ってくれようとしている。
 ──無理をしてまで。
 それはどうしてと訊ねたくてマユミは顔を上げ、そして驚愕に目を剥いた。
 ──少年は牙を向いていた。
 唇を剥き、立派に生えた犬歯を晒していた。
 そんなはずはないと思った、この少年は違うはずだと、他の二人は自分と同じ感じがした、だけどこの人からは何も感じなかったはずなのに、と。
 そこでいきなり気がついた、何も感じなかった、そう、嫌な人間と同じにも感じなかった。
 それは重大な事実であった。
 ──急激に匂いが増して行く、それは自分と同じ匂いであった。
 シンジは何も出来ない自分に歯がゆさを感じていた、悔しい、だがそれ以上に目の前の男に対する怒りが込み上げてきているのを自覚していた。
 怯える者を脅すなどとは許せない。
 彼らにも言い分はあった、最初にマユミを追い込んだ時、暴れられて怪我人が出ていたのだ。
 元々普通の力ではない、その力で目いっぱい抵抗すればそういうことにもなる、押さえつけようとした男に怯えて、マユミは逃れるつもりで跳ね飛ばしたのだ。
 腕一本とあばら三本、それが折れた骨の数だった、重体と言って良い、警戒されて当然だろう。
 だがシンジにはそんな事情は関係無かった。
 あれだけ無邪気だったこの子から『笑顔』を奪い、それだけでは飽き足らずに痛めつけようとしている。
 その事実だけで十分だった。
 男は振り上げた棒でマユミを打ち据えようとした、青白いスパークがスティックの表面を走った。
「!」
 男が棒を振り下ろしたのと同時にシンジは顔を上げた、シンジを案じる複数の声も重なった。
 ──ウォン!
 次の瞬間に訪れたのは静寂であった。
 吼えたのだ。
 シンジが。
 マユミは目を丸くしてシンジの顔を見つめていた、頬が紅潮して赤くなっている。
 最初に動きを取り戻したのはアスカだった、ぺたんと腰を抜かしてへたり込む。
 次に男達が転がった、誰も彼も白目を剥いて泡を吹いていた。
 シンジ達にスタンスティックを振り上げていた男は、心臓を押さえて膝を突いた、破裂しそうで動けない、息も出来ない、男は目玉を剥き出しにして涙を滲ませた。
 恐ろしい、震えが来る、吼えられた、ただそれだけだ、なのに全身が強ばった。
 その迫力に心臓を直接鷲づかみにされたような気がした、余りの怒りにさらされて意識が飛びそうになってしまった、実際幾人もが飛んだようだが。
 怒り、それは純粋な怒りの声だった、許さない、確かにそう頭に響いた、言葉など関係無かった、純粋な意思は言葉を必要とせずに伝わるものだ。
 恐ろしかった、憎まれたと言うその事実が、この『生き物』の勘気に、そして逆鱗に触れてしまったのだ、自分達は。
 裁かれると男は信じて抗おうとした、釈明の機会を求めようと顔を上げた。
 そこにはまだ、網に囚われている二人が居たが、男がマユミを意識することは無かった、シンジだけを注視していた。
 それ程までに噴き上がる狂気に気を奪われてしまっていたのだ。
 殺される、男はそう思った、だめだ、上辺の言葉など通じない、それ以外には何も思えなかった、そこに大きな声が轟いた。
「シンジ!」
 ぷつん、かろうじて繋がっていた男の意識はそこで途絶えた、どさりと倒れる、気を失ってしまったようである。
 シンジは唐突に現れた人物にきょとんとした。
「父さん?」
 そう、そこに出て来たのは、シンジの父であるゲンドウだった。


 何もかもが唐突に起こって、そしてまた唐突に幕が引き下ろされた。
 誰もが惚ける、ゲンドウはざっと場を見渡して口にした。
「何故ここに居る」
「え?、……キャンプで来てるんだけど」
「そうか」
 それだけで切り上げ、今さっきの一喝で起き上がった者共に対して、ゲンドウは威厳ある声で命じた。
「撤収……」
「撤収!?、しかしテストタイプの捕獲はまだ!」
「構わん」
 ニヤリと笑って口にした。
「テストタイプは保護者を得た、もはや保護する必要は無い」
「ですが」
「撤収だ」
 はい、有無を言わせぬ迫力に屈して、男達は仲間を起こして肩を貸し合った。
「父さん……」
 ゲンドウは上着を脱ぎつつ歩み寄った。
「これを着せてやれ」
「……うん」
 言われた通りに、シンジはマユミに羽織らせた。
 縋るような目が妙に保護欲を掻き立てられる。
「でも……、どうして父さんがここに」
「その子を追っていたからな」
「え!?、じゃあ父さん……」
「勘違いするな」
 なおも庇おうとするシンジに説明をくれた。
「元の飼い主が騒いだために噂が先走りを始めた、我々は表沙汰にならぬよう、その子の回収に乗り出したのだ」
「回収って……」
「犬のまま生きてくれれば問題は無かったが、彼女は目覚めてしまった……、その子と同じだよ」
「マナと!?」
 きょとんとしているマナに驚く。
「お前に話を聞かされてから、研究所全体にも監査を入れたのだ、その結果多数の検体が持ち出されている事が発覚した」
 まだ居るのか、そんな風に愕然とする。
「何しろ発現しない以上はただの犬だからな、気付かないまま処分するのは可哀想だと持ち出した者が、予想外に多かったらしい」
 そしてこの男もその一人である。
「どうして彼女がここに来たのかは分からん、あるいは同種であるレイに惹かれたのかも知れん」
「うん……」
 あれ?、っと思った、父がややびくびくとしていると気が付いたからだ。
(まだレイが恐いんだ……)
「シンジ」
「はい」
「その子も可愛がってやれ」
「ちょっと待ったぁ!」
 叫んだのは再起動を果たしたアスカであった。
 まだちょっとふらつくのかマナに肩を借りている。
「なんでシンジなのよ!」
「なんだね?」
「どうしてシンジなのかって聞いてるの!、別に他の奴でも良いじゃない!」
 ふっと小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「懐いてしまったようだからなぁ」
「なっ!?」
 見ると、きゅうんと鼻を鳴らして、シンジの肩口に隠れようと引っ付いていた。
「くくくくく」
 悔しげにする。
「アスカ」
 シンジの仕方ないよという声音に、アスカは意気をくじかれた、マナの時と同じだ、勝てるはずが無いのだ、それでも喚いたらどうなるか?
 アスカは知っていた、シンジは意固地になるだけだ、自分の言葉など聞かないで無理をし通そうとするだろう、頑になって。
 何故と思う、どうしてこういう所だけ自分の望むシンジなのだろうかと、弱者に出逢った時、自分に出来る事を見付けた時、見つからなければ見つかるまで、消して引こうとしないのだ。
 ──この馬鹿は。
(カッコ好過ぎよ!)
 シンジは爆発寸前に昂ぶるアスカに、内心びくびくと警戒していた、しかしそれは不発に終わる。
 ぷしゅうっとしぼんだ。
「……わかったわ」
 アスカは一応納得した。
「アスカ」
「でもね!」
 ビシッと指差す。
 マユミをだ。
「あんたはケダモノなのよ!、シモベ!、犬なんだからそこんとこ頭に乗るんじゃないわよ、分かった!?」
「は、はい!」
 マユミは反射的に答えてしまって狼狽えた、どうしたものかとおろおろとし、シンジの半笑いの困り顔に気がついた。
 ──それは一世一代の決意であった。
 マユミはこくりと喉を鳴らして言葉をつむいだ。
「わかりました……、わたし牝犬としてご主人様に忠実なペットになりま 」
 ぶっちんと聞こえた。
「ちがうでしょうがぁ!」
「ええ!?、違うんですかぁ!?」
 いや、確かに何かが間違ってるけど、それもアリとか?
 シンジはドキドキしながらいやんと思った。
 ──そんな子供達を置いて、ゲンドウはそっとその場を後にした。
 誰もそれには気付かなかった。


 そして翌早朝。
「そうですか」
 ゲンドウは研究所に帰るなり、リツコに対して語っていた。
「ああ……、シンジも相当毒されているようだ」
「良いのですか?」
「わたしと再会する以前に、既にレイによって生殖行動は行われていた、今更どうにもならんことだよ」
 ──ゲンドウはシンジに対して、敢えて語らなかった事があった。
 レイ達は生殖相手を自分に合うよう変態させる特性を持っている。
 レイが望んでいるのなら、シンジが影響されていないはずが無いのだ、そして実際、過去にもシンジは人とは思えない力を発揮している、カヲルの前で。
 そしてシンジが変質していると言うのであれば……
(同種同士は引き合う性質を持っている)
 元はレイに惹かれてアダムの子らはやって来ていたのかもしれないが、これからはシンジに惹かれてマユミのような子らが集まってくることになるかもしれない。
「持ち出された検体の数は百を越えている、未確認のものを含めると想像もできん、その全てがレイ達のように成熟していると言うのなら、一匹が一体、あるいは二体生むとしても爆発的に増殖する事になる、ならば」
「餌……、ですか、シンジ君は」
「そこまでは言わん、せめて受け入れる体勢が整うまで、面倒を見させるだけだ」
「そうですか……」
 アスカが語った昆虫の話のように、自然繁殖しているとすれば、それはもう駆除か保護かするしかないのだ。
 リツコはわざとらしく苦悩して見せるゲンドウに、分かりましたとファイルを閉じて一礼した。
 含み笑いをしながら出ていった、ゲンドウはせいぜい威厳を取り繕ったが、内心ではかなりきつく怯えていた。
(すまんな、シンジ……、不甲斐ない俺を許してくれ)
 本当に息子のことを思うのならば、レイから引き離すのがベストだろうが……
 ゲンドウは怯えて身震いをした。
 レイから取り上げるなど、とんでもない事だと居竦んだのである。


 ──そして子供達はと言えば。
「っかれたぁ」
「そうね……」
 だぁっとうなだれてシンジ達は駅を出た。
「ほなわしら」
「うん、バイバイ」
 駅でトウジ、ケンスケ、ヒカリの三人と別れる。
 手を振って数秒後、シンジは背後の殺気にひきつった。
「あのぉ……、アスカさん?」
「なにかしら?」
 にっこりと。
 誰も気付かなかったのだが、シンジの左半歩後ろにはぴったりとマユミがくっついていた。
 気配を断っているのか存在感が無い、そのためアスカのように最初から存在を認知していなければ、絶対に認識することは出来無いだろう。
 完璧な陰となっていた、この能力があったから、保健室に潜めていたのだ。
「いつまでくっついてんのよ!」
 アスカはシンジをはり倒した、マユミを殴ると動物虐待のような気がしたからである。
 そしてレイとマナは……
「わたし、先帰るから、ドッグフードを忘れないでね」
「びーふじゃーきーおいしいよぉ?、マユミちゃんも食べるぅ?」
 あまり意識していないらしい。
 至って呑気なものだった。


 ところで。
 ──廃校。
 その保健室。
 さらに床の上。
 瓦礫の下。
「しんじくぅん……」
 ──しくしくしくしくしく……
 無人の校舎に虚しく響く。
 それはいずれ誰かを驚かせ、新たな噂を呼ぶだろう。
 ──霊の出る廃校だとして。








To be continued...



[BACK][TOP][THE NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。