「くぅ、アスカと言いミズホと言い、なんでこう敵が多いのよ…」
 ペロペロと今日三つめのソフトクリームを舐めながら歩くレイである。
「おまけにシンちゃんは見つかんないし…」
 おまけに暑いし、お金も無いし。
 どうやらせっかくの日曜だというのに、奢らせようと思った相手が留守だったらしい。
「本部かな?、シンちゃんもせっかくやり直してるんだから、もっと気楽に生きてればいいのに、あれ?」
 目の前で道路を横切っていくのは…
「シンちゃん?」
 レイはニマッと笑うと、今日一日何をするかを即座に決めた。
 すなわちそれは、『尾行』であった。


「なにやってんだろ?、シンちゃん…」
 シンジは車やバスを乗り次ぐと、峠の上、第三新東京市を飲み下ろせる公園でようやく腰を落ち着けた。
「この街で全部が始まったんだな…」
 落ちついた表情とは裏腹に、シンジはこめかみに来る頭痛に苛まれていた。
『ATフィールドが再び切り離し、他人の恐怖が始まるのよ?』
『でもこれは違うとおもうから』
『終わりと始まりは同じ所にあるわ?、あなたはあなたの始まりへと還る』
『どういう…、こと?』
『もう一度他人の恐怖の中で孤独を味わい、同じ苦しみにもがく事になる、それでもいいのね?』
『いいんだ、もう一度逢いたいと思った、その気持ちは本当だと思うから…』
『その結果が、悲しみに満ち満ちたものになるとしても?』
『それ、どういう事さ?』
『それは…』
 シンジはハッとした。
「もう、なの?」
 鼻歌が聞こえたからだ。
 隣を見る、少し離れた柵に、やはりあの少年が腰掛けていた。
「やあ、久しぶりだね?」
 彼はごく自然にそう告げた。
「カヲル君、どうして」
「どうして?、君がそんな事を言うのかい?、アダムの魂は君の中だけにあるというのに」
 意味深なカヲルの発言にシンジの表情が陰りを帯びる。
 フィフスの少年!?
 そしてレイは良く聞こえない二人の会話に、背後の茂みからやきもきしていた。


 夕焼けの峠をシンジとカヲルは並んで歩き、ゆっくりと下った。
「まだ使徒は残ってる、カヲル君に逢うのはもうちょっと先かと思ってた、それに…」
「記憶、かい?」
「うん」
 カヲルはわざとシンジを見ないように夕日を見上げた。
「『彼ら』アダムの使徒は全て過去の記憶を持っているよ、君と同様にね?」
「だから…、『歴史』とは違うって言うの?」
「みな生き残る…、違うね?、真なるアダムの元に戻り、一つになる事を望んでいる、そう、かつての碇ゲンドウや、老人方…、あの愚かな一握りのリリンの様に」
「やはり…、僕なのか」
 シンジは自分の右の手のひらを見た。
 カヲルもまたその手のひらを見る。
「そう、リリスの生んだ使徒が人類と言う群体、魂の散分化を果たし、人の体に行き着いたように、僕達もまたアダムの魂からそれぞれに欠けた魂のかけらを持たされ、蘇った」
「それは…、僕が望んだからだよ、カヲル君ともう一度会いたくて」
「そう、でもそれが使徒全てを蘇らせる事になってしまった」
「でもどうして?、どうして「僕」の元に戻りたがるのさ!?」
「寂しさを知ったからだよ」
 半ば予想していた返事に、やっぱりなのかとシンジは俯く。
 カヲルも見ていられなくなったように前を向いた。
「僕達の魂は、生まれながらに欠けているからね?、人類と同じように」
「だから…、なの?」
「本能的に知っているのさ、甘い死、それこそが唯一にして絶対的な解放なのだと」
「でもそれは間違ってる」
「それはシンジ君の得た真実だよ、でも僕にはまだ分からない」
 カヲル君…
 二人は足を止めて顔を見合わせた。
「…どうしても、この先まで行くのかい?」
 ちらりと横目に見た、そこには第三新東京市との看板がある。
「そのために僕は帰って来たんだ、僕こそ、カヲル君に聞きたかった事があるんだ」
「なんだい?」
 カヲルの顔から笑みが消える。
「全ての使徒を倒し、カヲル君だけが残った後で…、僕を殺して欲しい」
「本気かい?」
「分かってるんだろう?、リリスの使徒が人類に行きついたように、アダムもまた『そこ』へ辿り着かなくちゃ行けないんだ」
「魂の解放…」
「『僕』が弾けた後に、十八番目のアダムの子供達が世界に生まれる、その子達は人類とはなんの区別も付けられないだろうけど、アダムとリリス、それぞれが生んだ人類の間に生まれた子供達は…」
「そう、新たな人類、アダムでもリリスでもない、真に補完された人類が創製される…、そしてシンジ君、それは君の死なくしてはあり得ない事だ」
「だからだよ…、そしてそれは、アダムに最も近く、僕の心を分かってくれるカヲル君に頼みたい、ううん、カヲル君でなくちゃだめなんだ」
 シンジはあの時のカヲルのような瞳で微笑んだ。
「ヒトの定めか…、ようやく君の心を理解できたと言うのに、今度はあの時の気持ちや思いを、僕が体験しなくてはならないとはね」
 逆にカヲルをくびり殺す寸前のシンジの様に、カヲルが苦しみに眉を寄せる。
「じゃあ、行くよ」
 シンジの足取りに迷いはない。
「君も急速に目覚めつつあるということか…、感じているんだろう?、この悲しみと寂しさに溢れた焦燥感を…」
 誰よりも『その補完』を求めているのはシンジだからこそ、今のこの有り様を望んだのだから。
 大勢の中の一人の寂しさと、たった一人きりになるなにもない悲しさは知っているはずなのだ。
 かつて綾波レイのように、シンジ君も『無への回帰』を願っていると言うのか…、それも無意識の内に。
 カヲルは憂いた、それは『碇シンジ』の願いではなく、『アダム』、種の父としての本能に他ならないからだ。
 次の人類を生み出さねばならないと言う、祖としての。
「そうそう、老人方は「弐号機以降の幾つかのアダム」は不必要だと考えるかもしれない、本来は全てのアダム亡き後の真の人類、「エヴァ」となるべき存在だけど、彼らには魂が込められているからね?」
「わかった…」
 シンジの背中が遠くなっていく、日も暮れかけている、カヲルは暫く待ってから振り返り、山の木陰に隠れようとした人影に向かって声を掛けた。
「綾波レイ、そこに居るんだろう?」
 その顔には再び笑顔が宿っていた。


「使徒は強羅絶対防衛線を突破、現在はここへ向かって進行中よ?」
「僕が出ます」
「いえ、シンジ君とレイはバックアップ、ミズホちゃんが先行して、いいわね?」
「どうして僕じゃないんですか?」
「いいから、言うことを聞きなさい」
「…わかりました」
「エヴァ各機、発進!」
 ミサトは射出されるエヴァを見ながら考えていた。
 まあミズホちゃんの方が安心できるからなんだけどね…
 レイにはまだ不安定性が残っているし、なによりも恐いのだ。
 そう、恐いのよ…、シンジ君の、まるでエヴァに魅入られている様な感じが。
 他にはない絶対的な能力を見せはじめた初号機と、どれほどの重傷を負っても泣き言一つ言わないシンジの姿が。
 恐いのよね…
 優しく甘いという本当の自分がありながら、目的のために省みない部分がどこか似ている。
 そう、似てるのよ、あたしに…
 ミサトは軽く頭を振ると、前に出た参号機に意識を切り換えた。


「うぇえ、気持ち悪いですぅ」
 敵はまさに蜘蛛そのものだったのだが、参号機が接近するとその姿を変化させ始めた。
「まるで動くイソギンチャクね?」
 半円球、下が丸くて上は平らだったのだが、そこにうねうねと触手が蠢き始めたのだ。
「レイさんは黙ってて下さいぃ〜」
「あれ?、ミズホってこの手のダメなの?」
「普通はそうですぅ、レイさんって変なんじゃないですか?」
「集中して、ミズホ!」
「ふぇ?、ひゃああ!」
 シンジの声に気がついたが遅かった。
「ミズホ!」
「ふええっ、シンジさまぁ!、ふあ、だめですぅ、そんなとこ触っちゃダメですぅ!」
 ごくり…
 誰の喉が鳴った音だったのだろう?、突然触手がうねうねと伸びた。
 抵抗する参号機を絡め取り、ずりずりと引きずり捕食する。
「ふんぁ!、そんな所を触られてしまっては、シンジ様のお嫁様にすらしてもらえなくなってしまいますぅ!、ふぇえっ、シンジ様ぁ!」
 それに対して、参号機は何故だか「変な悶え方」をした。
「はっ!、ミサトさん!」
「リツコっ、録画の準備!」
「わかって…、じゃないでしょ、ミサト!」
「ごめん、つい…、レイ!」
「嫌っ!」
「嫌じゃないでしょ、嫌じゃ!」
「フケツ!、いやらしい、あたし録画なんてされたくないもん」
「ミズホしっかりして!、あなたの体じゃないのよ!?」
「そ、その様なこと申されましても、あうん!」
 参号機はついにお尻から口に飲み込まれ始めた。
「シンジ君なにやってるの!」
「ふぇええええん!、なんか舐められてますぅ!、びええええええ!」
「なんだか便器にはまってるみたいだ…」
「シンジ君!」
「はっ!、で、でもこれじゃあ下手に攻撃できませんよ!」
「なに言ってるの!、未来の花嫁でしょう?、自分のお嫁さんぐらい自分で守りなさいよ!」
「シンちゃん!」
「ち、違うってばぁ!」
「シンジ様ぁ!」
 ぐじっとミズホ。
「うっ…」
 上目づかいなミズホ。
「ううっ…」
 ミズホはついに背中を向けた。
「わかった、わかったよぉ!」
「やっぱりシンジ様はわたしのシンジ様ですぅ!」
「あれは敵、倒すべき敵…」
「零号機の照準が参号機にロックされています!」
「なにやってんだか…」
「無様ね?」
「たぁあああああああ!」
 初号機が突っ込む、触手がうねる、が、どうやら参号機を弄ぶので精一杯だったらしい。
「口を狙って!」
 頭頂部、触手の中心に口が開いていた。
「ますますイソギンチャクね?」
 レイの間抜けな声が聞こえる、初号機からの映像をモニターしていたのだろう。
「この!」
 多少絡んで来る触手を押しのけ、シンジは参号機のお尻と開口部の縁との隙間に、強引にパレットガンの銃口を押し込んだ。
 パパパパパパン!
「あつあつっ、痛い痛いですぅ!」
「我慢して!」
「うう、シンジ様の愛の鞭ですぅ」
「そんなんじゃないって…、あっ」
 閃光が弾けた、コアに直撃してしまったらしい。
あついですぅーーー!
 ミズホの悲鳴と共に、初号機と参号機は使徒の炎に仲良く包まれ、燃え上がった。


「ま、好き勝手言ってたバチが当たったってわけで」
「酷いですぅ…」
 病室、ミズホはお尻を包帯でぐるぐる巻きにされて吊り上げられていた。
 そのお尻にキュキュッとマジックで落書き中のレイ。
「し、染みるですぅ!?、こ、こんな恰好を見られては…」
「あれぇ?、この部屋ってモニターされてると思うけど」
「ひえぇええ!、嫌ですぅ!、レイさんどこですか?、どこ!」
「ちょううううど、ミズホがお尻向けてる辺りだと思うなぁ?」
「ふえぇええええええん!」
「ま、ほんとに火傷したわけじゃないんだから、すぐに退院できるわよ」
「ふえええええええええん、シンジ様ぁ!、ってこんな所を見ちゃ嫌ですぅ!」
「と言うわけでシンちゃん、こっちに入って来ないでね?」
「わかったよ…」
 開けっ放しのドアの外からシンジの声、看護婦がくすくすとその様子を笑いながら通り過ぎて行ったりした。


「それにしても、同じ爆心地に居てこれほど損傷率が違うとはね?」
「直前まで触手からの溶解液で侵食されてましたから…、それに」
「口に咥えられて舐られたんじゃねぇ?」
 ははは…、と困った顔をしてマヤはファイルブックで口元を隠した。
 ミサトとリツコは溶液に浸された参号機の顔を見つめる。
「で、修復はどうなの?」
「腰…、がやられたのは痛かったわね?、時間がかかるわ」
「あちゃ〜〜〜、腕なんかと違って、多少ヤバくてもどうにかなるってもんじゃないもんねぇ…」
 腰部関節、特に骨盤と背骨の接合点がやられていた。
 回収時にレイの「腰が抜けちゃった?」との冗談の後に発覚したのだが、参号機は立てなくなってしまっていた。
「まあそろそろ弐号機が戻って来るから、なんとかなるとは思うわよ?」
「弐号機?、アスカが!?」
「やたら張り切ってたわよ?、楽しみね…」
 向こうでの頑張りを知っているリツコは、ニヤッと口元を釣り上げた。


 ゴゥ!
 F装備のエヴァが飛び立つ、巨大な輸送機に固定されてはいるのだが、赤いエヴァは起動状態を保たれていた。
「ふぅ、上手くいったわね?」
 いつまでも準エースに甘んじているつもりはない。
 アスカはシンジの行った『空中落下』と同じ現象を、別の力として発現させていた。
 すなわち、空中遊泳である。
「ブースター無しで飛び立てれば十分よね?」
 今は輸送機のエンジンに任せて飛行中である。
 アスカは外の景色…、正確には真下に広がる海を眺めた。
 周囲は輸送機の固定部、空は位置の関係でわずかに背後に見えるだけだった。
「しばらく眠らせてもらおう、起きたらもう日本のはずだし」
 目を閉じて、ゆっくりと誰かの顔を思い浮かべる。
 自然と口元がほころび始め、過度の緊張からも解放されていく感じが伺えた。



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