「アスカ、ご飯だよ…」
あの事件で帰る所を無くした僕は、結局アスカの病室に居着いていた。
国連軍の人達は僕達に対して寛容だった。
沢山の資料がMAGIから出たからかも知れない。
MAGIはそのほとんどを「自己判断」によって隠蔽消去したけれど、僕達に関する、シンクロテストなんかの記録は残されていた。
それを教えてくれたのは国連軍の偉い人だった。
他にも監視カメラなんかに、戦自の横暴が記録されていて、どう見ても無抵抗な非武装職員を撃ち殺していく隊員達に正義があるとは思われない、それが心理的に大きく働いたとか…、聞きたくも無い事まで教えてくれた。
国連内部では人類補完委員会と非公開組織ネルフ設立に当たっての突き上げが起こっているそうだ。
戦自の行いは二度の世界大戦時の日本の体制、気質が今だに受け継がれている事を浮き彫りにした。
結果、スケープゴートに選ばれたのはネルフではなく、日本と言う国になった。
アスカの体を起こして座らせる。
僕はさじで流動食をすくい、口へと運んであげるのだが、注意しなくてはいけないのが決してアスカから目を離してはいけないと言う事だ。
一度僕は、口の端に流れたものを拭ってあげようとハンカチを探した事があった。
ガッ!
その時はなにが起きたのか分からなかった、ただ椅子からひっくり返って僕は倒れていた。
「アス、カ?」
口が切れたのを感じて、アスカを見る。
アスカの形相は酷い物だった、だが視線が合わさると急に無表情な物に戻っていった。
そんなことが何度か続く。
そっかと納得した。
僕が見てないと怒るんだ…
少しだけ嬉しかった。
父さんは沢山の遺産を残していた。
ネルフ以前の研究所勤めだった頃から、まるで自分の時間と言う物を持たなかったからだと言う。
給料として支払われた物は、そのまま口座に残されていた。
国が買えるよ。
査察官と名乗った人がそう笑った。
どちらにしても、今更生きると言う事に対して意思の希薄だった僕にはありがたい話しだった。
働かなくても済むのだから。
他にもチルドレンである僕達は優遇措置が取られていた。
あるいは飼い殺しにしたいのかもしれない、まあそんなことはどうでもいい。
僕達は精神的に追い詰められるよう、心理誘導が行われていたらしい。
それも同情される理由になった。
精神薄弱なのもしかたがないということだろう。
日本と言う国がなくなって一年が経った。
今は国連の保護監視地域の一つとして管理されている、が、不満を言う人は意外と少なかったそうだ、反対運動も外国ほど過激にはならなかったと言うし。
税金と物価が諸外国並みに引き下がったからかも知れない、おかげで日本人は世界一お金の余ってる人になった。
席を立ち、トレイを持ってドアを開ける。
そこには銃を持った歩哨が二人立っていた。
「お願いします…」
その内の一人にトレイを渡し、ドアを閉める。
国連に接収された元戦自の病院、その隔離病棟の一番奥がこの部屋だ。
振り返ると、やはりアスカが睨んでいる。
僕は無表情を装って、恐さを抑えて目を合わせた。
するとアスカの顔から険が取れる。
この一年、僕達の時間はこれで完結していた。
その記者がどういうつもりでそんな記事を載せたのかは分からないし、分かりたくも無い。
ピューリッツア賞だとか叫んでいたそうだが、今では檻の中だそうだ。
『ネルフの実体』『エヴァンゲリオンの真実』『悪魔の制御機構、シンクロシステム』
エヴァには生贄が捧げられていると、見せてもらった新聞には書かれていた。
『碇ゲンドウ、狂気の時間』『妻と子を』
そんな風に続き、そしてその時がやって来た。
僕は一階の売店でミネラルウォーターを買い込んでいた。
「碇シンジ君?」
声を掛けて来たのは知らない人だった。
「君、お母さんが死んだ時、そこにいたんだって?」
「どうして!?」
不用意と言えば不用意に驚いてしまった。
してやったりと笑ったのを見て、僕は自分のミスに気がついた。
『息子はそれを知っていた!』『父に荷担する悪魔の子』
それまで好意的だった国連の人達や、看護婦さんも僕に対する目を変えた。
今更なんだよ…
でももういいんだ、何も感じなかったから。
感じなくなっていた、のかな?、どうせアスカとこうしてるだけだから、…居心地は悪くなったけど、気にするほどじゃなかった。
でも、それも壊された。
病院側から、体裁が悪いって敷地内への立ち入りを禁止された。
病院から出た僕を待っていたのは国連からの召喚状だった。
容疑はあくまで機密漏洩だって、…記者にどうして話したのか?、僕はミサトさん達と暮らした一年間から学んでいた。
…この人達は、どう答えて欲しいんだろう?
欲しいのはきっと真実じゃないし、僕の思いや考え方じゃないはずだから、早く終わらせるためにそのことばかりを考えていた。
シンジは法廷に立たされた。
おおむね雰囲気は好意的である。
多くがネルフと言う存在の特殊性と、シンジもまた被害者であると認識していたからだ。
傍聴席には懐かしい顔があった。
日向さん…
今では国連で働いている。
質問がシンジに投げかけられる。
十四歳の頃の事を、今の、十六歳寸前のシンジに「そんなことも自分でわからなかったのか?」と尋ねられた。
何も知らないまま乗せられていたと言うのに、全部を知った今、問いかけているのだ。
汚い…
それが日向の感想だった。
当時十六歳であったのなら、自己責任は問えるだろう。
しかし今、十六歳なのだ。
当時の判断を十六歳のシンジにできないのかと尋ねている。
あまりにも理不尽な話である。
そう言った攻撃的な物は、おおむね何も知らない下位の者から出されていた。
MAGIから収拾されたデータの大半は、その性質から公開されなかったからである。
「君は、母親が生贄にされたのを知っていたのかね?」
来た!
マコトは身構えた。
だがシンジが同情的な態度に出れば問題は無かった。
シンジを保護する手筈はすんでいたのだから、そして日向はシンジがおどおどとすると信じていた。
だが…
「はい」
裏切られた。
シンジにとってはもうどうでもいいことだった。
それに…、本当のことだもんな…
いつかの時から、母が中に居ると疑っていた。
綾波レイはもうこの世には居ない、だから触れる必要は無いだろう。
綾波は死んだんだ…
リリスと融合した時点でレイは消滅した。
アンチATフィールドによって丸裸にされたシンジは、その願望をリリスに投影した。
そこでレイの姿をとったのはあくまでシンジの心にシンクロしたからである。
シンジのパンドラの箱からは、あらゆる恐怖が吹き出した。
それに同調した魂が弾けていく。
そして最後に、シンジは自分の願望、希望を残した。
それが綾波レイ、そして渚カヲルとなって現われる。
…あれは僕が作った幻だったんだよね。
もうあの時には二人ともいなくなっていたのだから。
MAGIが記録していたはずの失われたデータには、当然リリス、アダムのことも含まれていた。
それを知っている者、碇、冬月、葛城、加持、赤木、そう言った面々は、一人足りともこの世に生き残ってはいない。
そして碇シンジは、知識では無く経験としてそれを覚えているただ一人の人間なのだ。
日向以下、幾人からか声にならない悲鳴が上がった。
碇シンジを断罪することは出来ない、事実を知る人間にとっては当然の思いも、真実を知らない大衆には通じなかった。
かろうじて死刑判決に至らなかったのは、シンジが未成年であったからに他ならない。
代わりに懲役五百年と言う、意味のない数字を頂いた。
シンジが投獄されたのは南の島だった。
日本からジェットで十四時間、そこから小型機で四時間、さらに船に揺られること八時間。
まさしく絶海の孤島である。
…昔の南国のイメージそのままだよな。
何も無い海岸は自然のままに澄んでいて、シンジはそこにある板切れの桟橋で釣り竿を垂らしていた。
「シンジぃ、ご飯よぉ!」
元気に手を振る、栗色の髪の少女。
見覚えのあるその顔はマナだった。
この島は僕のように複雑な問題を抱えている囚人を閉じ込めておくための島らしい。
人口は百数十名。
監視はされていても、ネルフほど露骨にはしていない。
そのため島から脱出を試みる人がたまに出るけど…、どうしたんだろう?
どれ程いけば何処かの島に辿り着けるのかわからない。
帰って来ないから上手く逃げたのか、死んじゃったのか…
ううん、それよりなんで逃げだすんだろ?
集落のように樹や草で組んだ小屋を固まった場所に作って住みついている。
皆は犯罪者ではなく、僕のようにやむを得ない事情で拘束される必要性が出たからと放り込まれていた、だから危ない人が居るわけじゃないし、いや、むしろ政情の不安と言った物を感じなくて済むんだし、食べ物だって僕のように魚を釣るのも、配給所で分けてもらうのも自由だ。
働く必要すら無い、なのになにが不満なんだろ?
一応衛星アンテナと通信端末は与えられている。
その内容は記録されるし監視もされるけど、僕は気にしてない、せいぜいネットの通販でディスクやシャツを買い足したり、暇潰しの読み物や曲を漁ったりする程度だから。
買った物は一端手前の島でチェックを受ける、その後、月に一度の決まった日に運ばれて来る。
その日はみんなが楽しみにしていた。
ここはなんの不安も不満もなく、ただだらだらと暮らすだけの世界だ。
でもそれ程閉鎖されているわけではない、少なくともネットではそれなりに自由を楽しめるんだから。
ある意味楽園かもしれないな、ここは…
僕の隣の小屋にはマナとその仲間、ケイタとムサシが住んでいる。
初め僕を見たマナは泣き出したし、ムサシはそれを憮然と見つめていた。
今でも時々、僕達の関係を疑ってる、なにもしてないのに…、違うな、僕にその気が無いだけなんだ。
初めて知ったのは島を知ろうと反対側まで歩いた時のこと。
ムサシが道から外れた所でマナを木に押し付けていた。
マナは木にもたれ掛かって喘いでいた、そのワンピースのスカートは不格好に膨らんで…
内側に入り込んだムサシが、何かしているみたいだった。
それだけじゃない、マナはケイタともしている、時々小屋で、三人一緒にもしている、これにはさすがに呆れたけども…
だってうるさいんだよ、声が大きいから。
冗談交じりに眠れないから外ですればいいのにって言ったら、マナは悪びれもせずにペロッと舌を出してた。
ケイタには慈しむように、ムサシとは貪るようにしているって教えてくれた。
愛し合っているのとは違うらしい、僕には違いが分からないけど。
「ねえ、シンジって童貞?」
ご飯時になに聞くんだよ?
苦笑しながら僕は頷く。
「なんだ、したことないのか?」
ムサシも驚いたようだ。
「僕がもてると思う?」
これは本当のことだ。
この島にエヴァは無い、ネルフも関係無い、顔も普通、性格は陰気、そして特技もない僕には、言葉のとおり何も無い。
「マナには手を出すなよ?」
「もぉ、なに言ってるの!」
マナはお玉でこつんと叩く。
「それにぃ、シンちゃんには見せたことあるもんねぇ?、裸!」
一瞬だったから覚えてないけどね…
そんな言い訳は通じなかった。
この島に同年代の子は結構居る、僕より小さな子もいた。
何故だか僕は子供にもてた、どうしてだろう?、わからない。
自分で言うのも何だけど、僕は無口で、愛想も悪い。
大人の人達も、そんな僕に苦笑いを浮かべる、嫌わないのは僕にも事情が有ると知っているからにすぎない。
でも小学校をようやくでるかどうかって子達には関係無い。
じゃあ、どうしてムサシ達じゃなくて僕なんだろう?
「おかしが貰えるからじゃない?」
マナの答えは真実の一つに思えた。
相変わらず暇な僕は、配給所で砂糖を多めに貰って飴なんかを作る。
でもそれならマナだって…、と思ったが、多分マナは敬遠されているのだろう。
理由は聞かなくても分かる、多分僕と同じだ。
マナの体はどこか「えっち」だった。
嫌らしいものがある、それを素直に口にしたら…
「ムサシとケイタのせいだと思う」
どうも触られる内に肌理がつるつるになったらしい。
僕は自分の腕を見て見た、なるほどと思った。
皮が堅そうで、皺も凄い。
ま、理屈はともかくマナは僕の知っている女の子では無くなっていた。
マナは女の人だった。
だからミサトさんやリツコさんと同じで、惹かれるけども距離を置くのが正しいと感じた。
それがマナの誘いに乗らないわけだったりする。
マナはどこか他人の女なのだ。
僕に残ってる倫理観が、それに手を出す事をためらわせているし、また正しいとも感じるので従っていた。
「おそまつさま、シンちゃんは午後も釣り?」
「だーめーだ!、今日は五十メートル泳いでもらう!」
「そんなぁ…」
ムサシは聞く耳持たないと腕を組んでニヤニヤする。
「頑張ってね?」
そんなムサシを挑発するよう、マナがキスをしてくれた。
おかげで鬼コーチは大荒れだった。
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