「なんでっ!」
 一言ごとに景色が変わる。
 赤い海の波打ち際。
 彼女の隣に身を横たえて、その手を握っていたはずだった。
 ──緩慢な死。
 彼女との思い出を胸に、息を引き取る……はずだったのに。
「なんで!」
 自分は、ここに立っている。
「なんなんだよ!」
 彼女を見下ろし、立っている。
「なんで!」
 くすんでいた空が晴れ渡り、湖は町並みに、そして遠くの『死骸』が山へと変わる。
 眠っているかのように穏やかな表情を浮かべていた彼女の骸までが、ただの縁石と変わってしまう。
 少年はあまりのことに唇を噛み締め、目尻に涙をにじませ訴えた。
 寂れた町に、虚しい風が吹きすさぶ。人気の無い道を真っ直ぐ向こう側にまで目を向けると、そこには山間より歩み出して来た奇妙な姿態を持った、巨大な怪物の姿が見て取れた。
「なんでさ……」
 うつむく。考えるまでもなく、ここはあの駅だった。
「なんでっ」
 あの時だった。
 ──辛さに右手で顔を被い隠す。
 爪を立て、食い込ませる。面の皮を引っぱり、傷つける。
 ──痛みが現実なのだと知らしめる。
「なんで……」
 人はいない、逃げたのだろう。
 山の向こうに、怪物──使徒。
 使徒は飛行艇──重戦闘機の取り巻きを連れて、進んで行く。
 頭上を巨大なミサイルが抜けて行った。ミサイルは使徒にぶち当たり、炎の雨を町に降らせた。
 攻撃のための炸薬とは別の、ロケット燃料に引火した物なのだろう。酷く粘っこい塊となって降り注ぐ。
 使徒が反応を示す。『以前』と同じく、光の剣で重戦闘機を貫いた。
 こちらへと……残骸が落ちて来る。だが怖くは無い。
 現実感に乏しかった。
「なんだよ、これ……どうして」
 背後、駅の構内に落ちたのだろう、爆発。
 炎が改札口から噴き出して来た。
「わっ」
 背中を押されて車道に転がる。
「冗談じゃないよ!」
 肘の痛みに舌打ちする。
「なんでこんなことが起きるんだよ!」
 叫びを打ち消す轟音が、大気を震わし襲いかかる。
 使徒に叩き落とされた機体の一つが、ビルに激突して爆散した。
 倒壊するビルが隣接している建物群を巻き添えにする。そうして押し倒された建造物が、さらに数棟の建築物をも将棋倒しにした。
 そんなあまりにも凄まじい轟音の中、少年──シンジは、ぞくりとした悪寒を受けた。
 ──使徒が、見ていた。
 自分を──見ていた。

ASUKA / 序章

(なんでこんなことになってるんだろう)
 自分は死んだはずなのに。彼は一人苦悩する。
 あの赤く寂しい広いだけの世界を、たった二人っきりで生き抜いた。
 彼女──アスカと。
 ひたすら喧嘩と和解をくり返し、それでも終わりの時まで一緒に暮らした。
 彼女の死を看取ったのは数時間前のこと。そして自分も横たわり、生からの解放を待っていた。
 ──そのはずだった、なのに。
(どうして死なずに生きてるんだよ)
『伴侶』の死を看取ったのだ。自分も意識を失った……はずだった。だが現実には意識は朽ちた肉体より遊離しただけで、壊れてはくれなかった。
 散ってはくれなかったのだ。
 目の前には自分と彼女が並んでいた。
 並んで横たわっていた。
『なんで!』
 ──だから叫んだのだ。
『どうして!』
 ──そして聞こえた。
『あんたは……』
 ──遺体に浮かんでいた笑みは残酷だった。
 死体は確かに微笑んでいた。
「アスカ……」
「え? なに?」
「なんでもありません……」
「そう?」
 助手席のシートに身を預ける。
 ハンドルを握る女性……怪訝に首を傾げる彼女を、少年は疎ましく感じていた。
「シンジ君」
「はい」
「ダッシュボードの中に資料があるから、読んどいてくれない?」
 シンジは彼女、葛城ミサトの指示に従い、資料とおぼしきものが詰まった封筒を取り出した。
「これですね」
「ええ」
「特務機関ネルフ……」
「それがお父さんの働いてる組織よ……ってごめん」
「え?」
「IDを見せてもらうのを忘れてたわ」
 うっかりやさんと舌を出すミサトに、シンジは歳幾つですかと言いそうになって、なんとか堪えた。
「IDってこれですよね」
「ありがと」
 書類をシートの横に落とすミサトに、シンジはくだらない嫌がらせをした。
「でもなんだか大袈裟なんですね……。父さんに会いに来ただけなのに」
「え!? なんにも聞いてないの?」
「聞いて……って?」
 おっかしいなぁとミサト。
「まあ好いわ。どうせ後でわかることだから」
「はぁ」
「ネルフ……特務機関ネルフは、碇シンジ君に対して徴兵令を発令しました。その資料の最後のページに挟んである用紙にあなたのサインが入れば、手続きは完了するわ」
「手続きって……」
「驚くのも無理ないか……。でもこれは国連が定めてる有事法に基づいてるから拒否権はないわよ。シンジ君の周りにも戦自に引っ張られた子供って居るでしょう?」
(居ませんよ、そんなの)
 余程そう口にしたかったのだが、シンジは堪えた。
(そんなに酷い感じなのかな)
 この世界ではそうなのかもしれないと身構える。
 シンジはすぅはぁと呼吸を整えて、ミサトが調べたであろう自分を演じた。
「そうですか……」
「正直、気は進まないけどね」
「え?」
「だって向いてそうには見えないしね」
「そうですよ」
 僕もですよとやはり思う。
「じゃあ僕は人殺しをやらされるんですか?」
「今のところはそんな心配しなくて大丈夫よ」
「じゃあなんです?」
 ミサトはどう説明したものだかと苦笑した。
「さっき見た怪物ね、あれと戦って欲しいのよ」
 ミサトはシンジのやはりかという溜め息を、「はぁ?」と問い返すものだと勘違いした。
「やっぱ現実味ないか……。そうよね、でもマジ、大マジなのよ。あたしたちの作った決戦兵器がさ、子供でないと反応しなくて」
「何故ですか?」
「そういう仕様なの」
「仕様って……」
 実に便利な言葉である。
「でも僕でなくても……」
「そうね」
 彼女はもちろんと頷いた。
「納得できない点が多いのは理解できるけどねぇ……、あたしから話すと問題になることも多いのよ。一応国連軍に準じる機関だしね。だから後はお父さんに聞いてちょうだい」
「父さんに……」
 ミサトはおやっと言う顔をした。
「もしかして……お父さんがなにやってるか知らないの?」
「……人類を守る大事な仕事だって聞いてます」
「そうなんだけどさぁ、その人類を脅かす存在がさっきの化け物なのよね」
「はぁ……」
「それでもって、シンジ君のお父さんは、怪獣退治の総指揮者」
「……司令ってことですか?」
「ご明察」
「へぇ……立派なんだ」
 白々しい物言いが感に障ったのか、ミサトは訊ねた。
「嫌い? お父さんのこと」
「苦手なだけです……よく知らないし」
「あたしと同じか」
「そうなんですか?」
「あたしの父さんもねぇ、仕事仕事でろくに家に帰って来てくれなかったのよね。だからどう付き合って良いのかわかんなくて、どんどん離れて行っちゃったわ」
 そんなところじゃないかと共感を求めるミサトに対して、シンジはそうかもしれませんねと護魔化しておいた。
 もちろん複雑なものは胸中に押し隠して……。そしてそんな会話を交わしている間に、車は地下へと向かう長いトンネルへと到着していた。

Bパート


「ようこそネルフへ、碇シンジ君」
 シンジは照明の眩しさに目をくらませて顔をしかめた。
 ついでに後ずさってしまい、足を踏み外してプールの中に落ちそうになる。
 仰々しく迎えられた場所は格納庫だった。
 目前にとても懐かしい顔。
 巨大な兜がそこにはあった。
(エヴァンゲリオン初号機)
 一瞬の邂逅に浸り切る。
 ──お前がこれに乗って。
 ──うわぁああああ!
 ──お願いだから動いて……。
「どうしたの?」
 そんなシンジの様子に不審なものを感じたのか、ミサトは怖々といった調子で声をかけた。
「いえ……。あの、これって」
「我々人類に残された……最後の希望。究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。その初号機よ」
 反応を面白がっている様子で、白衣姿の赤木リツコは解説を続けた。
「これこそが使徒を倒せる可能性のある、唯一の……」
「久しぶりだな、シンジ」
 シンジは説明を遮る声に、顔を上げた。
「父さん……」
 頭上のボックスに人影を見つける。
 少し距離があったが、シンジには父の口元がにやりと歪んだのをはっきりと認めた。
「出撃……」
 あまりにも手順を飛ばした命令に、至極常識的な反応が示された。
「そんな! 今連れて来たばかりの彼には無理です!」
「ミサト」
 リツコが諌める。
「今は少しでも可能性のある方向に賭けるしかないのよ。わかっているでしょう?」
 どうしたものか? そんな思考を遮る声が、ケージに響いた。
 ──あたしが乗ります!
 シンジはその声にぎょっとした。
 まさかと思った。
 居るはずが無いと信じた。しかし期待は裏切られてしまった。
「マナ!?」
 ミサトが希望を打ち砕く。
 ──マナ!?
 シンジは瞳孔の開き切った目を向けた。かちかちと歯がかち鳴っていることにも気付かずに。
(なんで!?)
 そこには確かに彼女が居た。
 アンビリカルブリッジの上を歩いて来る。怪我をしているのか足元がおぼつかない様子だった。
 慌てたミサトが駆け寄って行く。
「なにプラグスーツなんて着てるの!」
 その少女は決意に満ちた目でミサトを見据え、次に総司令を振り仰いだ。
「あたしが初号機で出ます!」
「無理ね」
 断言するリツコ。
「理由はあなたが一番よくわかってるはずよ」
「でも!」
「射出時のGにも堪えられないような体で、なにをしようというの? 実戦なんて無理よ。シンジ君……シンジ君?」
 シンジははっと我を取り戻した。
「あ、はい」
「どうしたの?」
 シンジは適当な言葉を見つけられず、ぎゅっと手を握り込んで頭上を見上げた。
「父さん」
「なんだ」
「この子、怪我してるの?」
「そうだ」
 追い詰めるつもりでもあるのかと疑いたくなるような言い方だった。
「『セカンドチルドレン』は戦自から異動した少年兵だ。だが戦自で無理な訓練を強要されたために、内臓に疾患を負っていた。先日これの治療手術を受けたばかりだ」
「じゃあ……」
「戦闘に出すなんて、できないのよ」
 マナに手を貸しつつ、ミサトが呻くように洩らした。
「確実に寿命を削ることになるの」
「ミサトさん」
 そんな言い方をする上司に対して、マナは儚げな微笑みを向け、次いでリツコに対して言い放った。
「リツコさん」
「なに?」
「戦闘に出たからって、すぐに死ぬわけじゃないですよ。今日来たばかりの人を訓練も無しに放り出して戦わせるのと、勝率は変わらないと思います」
「それは……」
「碇シンジ君?」
「…………」
「大丈夫、あたしが出るから、安心して……」
 ギッと嫌な音がした。
 それはシンジが歯を噛み鳴らした音だった。
「シンジ君?」
 訝しげな視線が集中する。ミサトたちだけではなく、ケージに働く作業員たちもまた彼を見ていた。
(ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!)
 シンジは喚いていた。心の中で。
(なんで、なんでだよっ、なんで!)
 父を見上げる。
 じっと答えを待っていたのだろう、目が合った。
「僕が乗るよ」
「そうか」
「シンジ君!」
「碇君!」
「良いのね?」
 それぞれの言葉に対して、首肯する。
 良いわけがない。
 だが……。
(断れるわけ、ないじゃないか!)
「さあ」
 シンジは急かす言葉に顔を上げた。
「こっちへ来て。簡単なレクチャーを行うから」
「わかりました」
(やってやろうじゃないか)
 今、自分の身に降りかかっていること。それになにかしらの意味があるのか?
 シンジはそれを確かめるためにも、不安げなマナに振り向きもせずに歩き去った。


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