[Love a riddle.]
ドン!
赤と金、二色の障壁を貫いて、白い何かが球状化した使徒の中心部を打ち抜いた。
それは零号機の右のあばら骨の位置から伸び出していた。腹部の装甲を破壊して、アンダーウェアを破り抜いて、突き出していた。
――ギキィィイイイイイイ!
使徒の、あるいは空間そのものが軋みを、悲鳴を上げる。
初号機の代わりに前に出て、障壁に手を、爪を立てて襲いかかろうとしていた零号機が、喉をさらしてのぞった。
脇腹から伸びたものが、左右にゆっくりと開いていく。
粘土のように柔らかく見える質感の……。
「腕?」
本部、誰のつぶやきか? 零号機の体より生えたそれはまさしく三本目の腕に思えた。
それも、本当の腕の倍近い長さだ。
抜き手は、使徒の割れ目、向こう側の宇宙をのぞかせようとしていた筋に突き立っていた。瞬間、使徒のATフィールドが弱くなる。
零号機はその隙を逃さずに、自身の、本当の腕を使徒の亀裂へと伸ばした。
ATフィールドが千切れ消える。
触手のような腕が作る傷へと抜き手を突き込む。外側へと手首をねじって、指を食い込ませて左右に開こうと力を込める。
異空間をのぞかせていた割れ目が、徐々にただの肉と代わり、そして鮮血を吹き出した。
「あり得ないわ……零号機は、次元を、異相を越えた相手を、直接攻撃できるというの?」
それだけに済まない。
半分がた引き裂いたところで、指が外れる。零号機はたたらを踏んで地に膝を突いてしまった。
背後で、鮮血を吹き上げながら、使徒が落ちる。
触手は、本能的にか、倒れるのを防ごうとして、地に手を突く角度を作るために、背部側の装甲をもはじき飛ばして、背中の側へと回り込んでいた。
あばら骨が、勝手に肉を裂いて、回り込んだようなものである。零号機は傷みにもがいて苦悶に震えた。
背後へと回った触手は、エヴァとほぼ同じ大きさで立ち、そして折れて、同じ長さで地に落ち、そして手を突いていた。もはや百メートルを超す長大なものになっている。その表皮は無理に引き延ばされたためか、鱗状にひび割れが走っていた。
――フォオオオオオオオ!
エヴァは地に向かって声を張った。
脇腹から背中へ、そして肩胛骨へと、装甲を吹き飛ばしながら回り込んだ第三の腕は、平らに形を変えていく。
「翼……」
「いいえ……あれは……」
血の気が引き、体が震える。
「無数の……手……」
ざわざわ、ざわざわと表面がうごめいていた。
鱗に見えたものは、手と指だった。
手のひらがあり、指があり、指の腹がまた手のひらとなり、さらに指が生え……。
もはやそれは腕ではなく、手のひらによって構成された翼であった。それも、右手ばかりの翼である。
翼を作る羽のかわりに、無数の手と指がざわめいている。その肉眼で確認できる最先端部の指が、手が、その手の元になる指が、手が……、一斉に力を溜めるために曲がり、そして一度に地より跳ねた。
血まみれになり、半分がた割かれていても、使徒はまだ生きていた。
――裂け目が、ぶるぶると震え出す。
ぐり、ぐりっと裏返ろうとしていた。まるで見えない手に押し剥かれ、裏返しにされようとしているように。そしてそれに伴い、内部より現れるものがあった。
「3号機!」
「まさか、取り込んでいたの!?」
最も奥の肉が、3号機の面の形に盛り上がる。盛り上がった肉が後の肉を引きずって、肩の形を盛り上げる。
赤黒いエヴァ……使徒は裏返り、ネバダで消えたと思われて、エヴァンゲリオン3号機へと変わろうとしていた。
――バン!
が、遅かった。
零号機の巨大な翼が、巨大な手のひらが、完全に裏返るのを待たずに、変態途中の使徒を圧殺した。
直上から落ちて使徒をたたき潰した。
引きずられた零号機が地を滑る。
戦闘によって壊れめくれていた地面装甲版の角に引っかかって、跳ねてまた地に落ちる。
ドンッ! と、腹ばいに落ちた零号機の、仮面の顎が壊れ、眼球の保護レンズが割れていた。
零号機は顎だけを上げて、そのぎらぎらとした目を向けた。
――ぶち、ぶちぶち……。
なんの音かと、オペレーターがいぶかしむ。
――ブチブチ、ブチ。
別のオペレーターが、ヘッドフォンに手を当てて、よく聞こうとする。
――ぶちぶち、ブチブチぶちぶち、ブチ!
その音が何の音か気がついたとき……。
――ブチ……、ブチブチ、ぶちぶちぶち。ブチ、ブチブチブチブチブチ、ブチブチブチブチ……ブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチ。ブチブチブチブチブチブチぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちブチブチブチブチブチブチブチぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブぶちぶちぶちチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチぶちぶちぶちぶちぶちブチブチブチブチブチぶちぶちぶちぶちブチ!
「う、げぇ!」
誰かが、吐いた。
無数の指が、手が、3号機を、使徒を、その肉を。つまみ、ねじ切り、ちぎり捨てていく。
手によってえぐり取った肉を、指がねじ切り、放り捨て、それをとらえたさらに小さな手が裂いていく。
まるで肉の一つ、その存在の痕跡までも消し去ろうとするかのように、小さく、小さく、細かく、細かく。人の目に見えぬほどまでに、原子よりも、素粒子よりも、単位すら存在せぬ、値すらない位へと、完膚無き死滅を与えんと分解していく。
肉片は血となり飛沫となり……だが血に降ることも許されず、光となりさらに千切り壊される。
翼がゆっくりと開いていく。だが、使徒をとらえる手を減らしはしない。
手を、指を、増殖させ、扇のごとく、使徒を襲わせたまま平らに広がり、変形し、使徒を飲み込み覆い隠す。
――バン!
零号機の装甲が弾けた。肩であった。
――バン!
続いて、ふくらはぎの装甲が弾け飛ぶ。
零号機が変態を起こしていた。股関節に軋みが入って、角度が変わり、背筋が伸び上がり、反って、曲がり具合に変化が現れる。
地に這ったままで、零号機は悶え、苦しみ、あえいで転がる。
明らかに、零号機は成長し、大きくなろうとしていた。
「何が起こっているの……」
愕然と、リツコはモニターを見上げ……。
「エヴァって、なんなの……」
ミサトもまた、成り行きに飲まれる。
やがて装甲のほとんどを失った零号機の『肢体』が、闇の中に浮かび上がった。
白い、白い肌の女。どこか卑猥な細いからだ。それは少女と呼べる華奢なものだった。
ゆっくりと、手を突いて、体を起こす零号機。
小ぶりの胸が、今にも千切れ落ちそうになっている胸部装甲を支えていた。
丸みの足りない腰は、破裂した内部装甲……黒いアンダーウェアの名残が、かろうじて覆い隠していた。
がこんと……仮面の下部が破損して落ちた。
仮面の上部が、エヴァ頭骨の膨張による圧力に負けて、左右に割れる。
流れ落ちる髪は、青銀。
その隙間よりのぞく瞳は、赤。
「ユイ君……なのか」
コウゾウの呻きを、ゲンドウは否定した。
「いや……あれは」
彼は手元の、シンジが残したテープに目をやった。
「綾波……レイ」
使徒を襲っていた翼が、波打ち天へと伸び上がった。
手の一つ一つが、使徒への未練を残していたが、蛇腹を思わせる引き方で、本体に引きずり戻されまとまっていく。
一転、のっぺりとした起伏のない棒の形をまとめ上げた。
そして先端部より裂けながら、ゆっくりと、ゆっくりと左右に広がり落ちる。
そして落ちながら、先端からさらに裂け、また裂けつつ落ちて、それを数度繰り返した。
零号機が、ゆらりとふらつきながら立ち上がる。
そしてその背に生まれたものを、とても力強く、大きく広げた。
――バッ!
それは、十二枚の翼であった。
「綾波……レイ」
痩身の少女。ずたぼろの衣装に身を包み、彼女は十二枚の翼を広げる。
シンジは知らず、呻いてしまった。
「どうして……」
事態について行くことができず、彼はもはや動けなかった。
二割から三割ほど体躯の増した零号機は、綾波レイの姿を模していた。あるいは写し取っていた。
そして肉塊の山を冷たく睥睨している。視線で射ているそれは、すでに生きているものではない。痙攣も、ただの生体反応であろう。
まさに肉の小山だった。ミンチ肉の山から、四肢やあばら骨が突きだし、そして上部には首が半ば埋もれていた。
頬と顎の肉がそげ、目玉がこぼれだし、鬱血した舌がでろんとこぼれていた。
3号機の頭部である。
それを冷めた目をして見ていた『顕現したもの』は、右の腕をゆっくりと持ち上げ、手のひらを死骸へと……振り下ろした。
――そして。
彼女にとっての許されざる者を、巨大な炎が浄化した。
Bパート
格納庫にて、洗浄されている『零号機であったもの』を前に、碇シンジは立っていた。
黄色いコートで身を守っていても、エヴァを洗浄するための水圧で飛散してくる飛沫である。
それでも濡れることなど気にしている様子ではなかった。苦々しい顔をしているのは、綾波レイとおぼしき顔つきのそれが、うれしげな瞳で自分を見ているからなのか、それとも、その瞳に心がざわめく自分がいるからなのか、それはシンジにもわからなかった。
「それで、マユミは……」
――発令所。
シンジと零号機の様子が、現在の情報と共にメインモニターに表示されている。
ミサトの問いかけに、リツコはその映像を切り替えた。
それは零号機エントリープラグ内の画であった。
「なによ、これは!?」
そこには、なにもなく……。
そこには、誰もいなかった。
ただ、LCLが漂っている。
「これが計測不能なまでにシンクロした結果よ……」
マヤが補足する。
「シンクロ率の最終値は四百パーセントを記録していました……」
「四百……」
リツコがため息をこぼす。
「わかっていたのに……シンクロ率を上げすぎればどうなるのか」
「わかっていた?」
テープの存在は明かせないのだから、今のは失言だったと、ごまかしにかかる。
「碇博士……シンジ君のお母さん、司令の奥さんが実験で亡くなったのは知ってるでしょう?」
「でも初号機は変質なんて……」
「しているのかもしれないし、していないのかもしれない……」
今度のことでわかったわとリツコ。
「見た目やデータをどれだけ検証しても、わからないものはわからないのよ。わたしたちは知っているつもり、わかっているつもりになっていただけで、エヴァのこと、使徒のことなんて、何一つ理解できていないんだわ」
ともかくと口にする。
「エントリープラグが残ってくれているだけでも、僥倖と思うほか無いわ」
――司令室。
場を変えてリツコは話を伝え直す。
「サルベージの概要が固まりました」
総司令、副司令、技術開発部主任と、特殊監察部主任、そして初号機専属パイロットが、難しい顔をして集まっていた。
リツコはちらりとシンジの顔色を窺ってから、総司令への報告を再開する。
「基本は十年前の計画を参考にしました。ですが……」
「ふむ……」
コウゾウ。
「成功の確率は十パーセント以下か」
ですがとリツコは正直に訴えた。
「正直、この確率も、こちらの理論が正しいものだとしての数値です。実際のところは……」
コウゾウがシンジに目を向ける。だが、口を開いたのはゲンドウだった。
「おまえの話では、成功しなかった……ということだな」
うん……と、シンジは傍目にも落ち込んでいた。
これがあの不敵であった少年かと、加持が複雑な思いにとらわれている。
シンジは答える。
「でも、取り込まれていたのは僕だったからね……なにがあって、何が起こって、僕は助かったのか……まったくわからないんだ」
「なにも覚えていないのか?」
「母さんに……会ったような気がする。それ以外のことは」
「そうか」
ふん……と、ゲンドウは鼻で息をした。
「お前の話は信じよう」
「どうでも良いよ……」
「つまり、お前は俺の息子ではないということだ」
「そんなのどうでも良いって言ってるんだよ!」
「そうはいかん。お前は俺の息子を消し、その場にいるのだろう?」
ぐっとシンジは唇を噛んだ。
その通りだからだ。このゲンドウは、母のために狂ってはいない。なら、息子のことは大事にしていたのかもしれないのだから。
自分はそれを……。
「だったら……」
昏く、笑う。
「だったら、僕を殺す?」
ゲンドウは馬鹿を言うなと返した。
「そうはせん。それでは無駄になる」
「そうだね、父さ……」
首を振り、言い直す。
「司令なら、きっとそう言うと思ってたよ」
加持とリツコ、それにコウゾウまでもがぴくりと顔を歪めた。
が、ゲンドウだけは揺るぎもしない。
「零号機のアンチATフィールドを破ることはできるのか?」
シンジはかぶりを振った。
「わからない……。アンチATフィールドについては、殻のようなものだってことを知っているだけで、具体的なことなんて……ATフィールドとなにがどうってことも、まったくわからないんだ」
専門職へと話を振る。
「赤木博士」
リツコはうなずいた。
「はい。その点については、レクチャーは可能です。と、同時に、こちらからアプローチを試みない限り、危険がないことも保証できます」
なぜだねとの、コウゾウの問いに答える。
「殻……というのは言い得て妙ですが、エヴァ……仮にあれが今でもエヴァと呼べるものであるとするならば、あの零号機には心と呼べるものが確認できます。それも自閉症モードのさらに強固なものです。おそらくマユミの感情……思考が、一点に収束、他の感情、思考を排除し、一つの目的のためだけに自我を固定、凍結させた結果かと……」
結論を求める。
「崩せるのかね?」
「もはや、『聞く耳を持たない』状態でしょう」
「目的というのは?」
リツコ……のみならず、皆の視線がシンジへと向けられる。
それだけで、認識の一致は確認できた。
「だとすれば、この修正案は了承するしかあるまいな」
コウゾウの嘆息混じりの確認に、ゲンドウは「ああ」と短く答えた。
司令と副司令の手元にある修正案。そこには、初号機を用いての、零号機への接触プランが追加されていた。
――零号機格納庫。
全高の変化した零号機のために、冷却水は通常の百四十パーセントの水位にまで上げられていた。つまり、アンビリカルブリッジは水没していた。
顎先から上を出している零号機は、それでも瞳を閉じずにいる。その赤い目に、職員の乗る複数のボートと、それによる航跡が映り込んでいた。
技術部の人間である。彼らは急ぎ、規格の合わなくなった拘束具を回収し、零号機をケージへつなごうとしていた。
そんな人たちの動きが、彼女の瞳に映っていた。
――ここは。
山岸マユミは思った。
――エヴァの格納庫?
死んだつもりはない……が、生きている感じもしない。
(わたし……死んだの?)
不意に声が聞こえた。
『来い』『笑えばいいと思うよ?』『アンタなんて!』『好きってことさ』
時系列もなにもかもがむちゃくちゃな、だがただ一人の記憶をなぞる人々の声、声、声。
マユミの意識に、膨大な情報が流れ込む。
誰かを通して見る景色。歴史と記憶。
「あ……あ、ああ……」
マユミは頭を抱えて呻いた。あまりにも一度に情報を与えられたためか、あるいは真実に耐えきれないがための頭痛か……。
眼を開いて、血走った目に涙をにじませて、彼女は頭を抱えてうずくまる。
そんなマユミの視界に、誰かの足先……靴が映った。
マユミは、涙と鼻水でまみれた、汚らしい顔を上げた。
そしてそこに居る人に、ああ……と歓喜と安堵の表情を形作る。
「碇君……」
――発令所は騒がくなっていた。
「コードA31からのデータを確認」
「プログラムは正常。初号機側の……」
これで……とミサト。
「マユミを助けられるの?」
背後のリツコは、オペレーター席のモニターから顔を離した。
「運が良ければね」
投げやりな言葉に彼女はかみつく。
「運って……あんたね!」
しかしリツコは取り合わなかった。
「正直なところよ。本当に助けたいのなら。確実に助けられる手段が見つかるまで、触れずに放置しておくべきよ」
ミサトはぎゅっと唇をかんだ。
それはそうである。わずか数週間で、魂のサルベージなどという、わけのわからなことを行うというのが、土台無理な相談なのだ。
彼女は我が身の無力を嘆く。
「それでも敢行するしかないのよ……今は」
「いかり……くん?」
本当に、そうなのか?
マユミは眼前の少年に違和感を覚えた。
気づけば、そこは妙な世界であった。
頭上と足下に水面があって、それは地平の果てまで続いている。最果てに見えるのは星々だ。
天の水面にも地の水面にも、人の世界が映されていた。
街があり、森があり、川があり、海がある。
そしてここは、まるで水の中にいるような、ふわふわとした、それでいて温もりのある感覚に包まれていた。まるでここは……、そう、母の胎内にいるかのような……。
「あなた……は」
「碇シンジ」
彼は、ポケットに両手を入れたままで、小首をかしげるようにしてほほえんだ。
「僕は碇シンジ。君の中の碇シンジ」
確かにその顔はシンジのものだ。だが違う。シンジはこんな風には笑わないと、彼女は本当を知っている。
「あなたは」
「今の君には、こう言った方がわかりやすいかもね」
彼とは違う、碇シンジ。
エントリープラグに乗り、シンジは発令所からの誘導に従って、エヴァを拘束具から解放する。
零号機にあわせているために、完全に水没した状態から歩き出すことになったが、それはたいした問題ではない。
ゆっくりと歩くだけでも、ケージには大きな波が発生することになった。そのあおりをざぶりと受けた零号機――綾波レイの顔が、歓喜に満ちて、初号機と視線を合わせる。
発令所で、オペレーターが状況開始を知らせる。
『零号機、コンタクト』
「違う……碇君?」
彼はほほえみを崩さない。
「そう。僕は君の知るシンジではなく、彼が誕生する元となった世界のシンジ。あるいは元となった世界から派生したシンジ。彼と同じ別のシンジ」
「なに……?」
理解できないかと肩をすくめる。
「僕が最初のシンジなのかはわからない。だけど、ここに来るべきは彼であったはずなのに、君が来た」
なんでだろうねと首をかしげる。
「ここで僕たちは自身の不明を恥じて、考え違いを突き合わせるのが、定例なのに」
「なに? なにを……」
「イレギュラーなのさ。僕が……あるいは僕でない碇シンジが期待した、イレギュラーが発生した」
彼は語る。
「君は見たろう? 本来の碇シンジが辿った道筋を。そしてこの世界にいる碇シンジは、これと酷似した筋書きをなぞるはずだったことも、今なら理解しているはずだ」
認めるんだとの強制に、マユミは頭を振って髪を振り乱した。
「なんのために!」
「アスカのためさ」
「綾波……レイ」
姿だけだとわかっていても、シンジはのぞき込んでくる彼女の笑みがモニターを埋めたとき、身構えた。
「アスカ……」
またか、ここでもか。
そんな感情がマユミを占める。
碇シンジは肩をすくめる。
「アスカはね? かわいそうな子なんだ」
だからどうしたとマユミは思う。
「かわいそうな子だったんだ。だから」
マユミは思い出す。
そっと、自分の首を手で撫でる。
だからとシンジは話し出す。
「死に際のね? 一瞬……そのくらい、それくらいは、もし、こうだったらって、そんな夢を見せてあげることくらい、良いんじゃないかって思ったんだよ」
マユミは先ほど強制的に与えられた情報と、彼の話とをすりあわせていく。
「でも、じゃあ、どうして弐号機のパイロットに、わたしが」
だってと碇シンジは肩をすくめる。
「それじゃあ、アスカがまたかわいそうなことになるだろう?」
だから。
「アスカは普通の女の子なんだよ。ちょっとかわいくて、ちょっと頭が良いくらいの、彼女がなりたかった女の子として『そこ』では生きてる。そして、『王子様』が現れるのを待っている」
それは先のことになるであろうが……。
「王子様……」
それが誰なのか、今更言うまでもない話である。
「そう。世界を破滅から救う、王子様さ」
「零号機からのATフィールドの発生を確認」
そんな……と、彼女は震えた。
「それじゃあ、碇君は……」
「そうだね」
微笑む。残酷なまでに、爛漫に。
マユミの記憶の、シンジの必死な姿を、想いを……。
その傷だらけの姿を、彼は。
「ただの当て馬さ」
嘲笑する。
「零号機と初号機の融合が始まり……」
オペレーターの声が、エラー音にかき消された。
「どうしたの!」
「ATフィールドが反転、同時にアンチATフィールドを展開」
「初号機を……シンジ君を拒絶するの?」
――その瞬間、シンジは目がかすんだ気がした。
(なんだ?)
そしてかすんだ視界に、あの金色の世界と、髪を怒りにざわめかせるマユミの背中と……。
その肩越しに見える、まるで『渚カヲル』のような、泰然自若としている、自分の姿をかいま見る。
「ゆる……せない。許さない!」
マユミの怒りに呼応して、世界が赤黒く変わっていく。
地平の果てから地平線の先へ、色が変化し、天から地へ、落雷が無数に走る。
「まるで地獄だね」
それでも、彼は揺るがない。
「アンチATフィールド……やはり、君は」
かつて、自身も自我を破壊され、自己の世界へ逃避したように……。
「碇シンジという枠に自らをはめ込んだのか」
マユミは、うるさいと叫んだようだった。
(山岸さん?)
零号機がのけぞり、身もだえを起こす。
仮の拘束具を引きちぎって、頭部を押さえて髪を乱す。
シンジは初号機で取り押さえようとして、かえって施設を破壊することになった。
(なんだ、なにを話してるんだ……)
かすかに聞こえる、だが、はっきりとは聞こえない。
現実と幻像、綾波レイの胸元と、その奥に立つ二人。
区別が付かなくなっていく。
(……は……で)
何かは聞こえる。
(でも、それは……)
だが詳細がわからない。
(は、……めに、命がけで)
マユミは怒っているようだ。
(だから、彼のために……か?)
自分は諭しているらしい。
(わたしは!)
しかし、マユミは受け入れない。
(全てを捧げたのか、彼に)
感情の高ぶりが、声の大きさを増し、シンジに聞かせる。
(わたしは、碇君に生きて欲しいと思った、笑って欲しいと思った、だから碇君のためならなんでもする! シンジ君のために!)
自分にできることを考えて。
自分にしかできないことを見つけて。
そんな自分を、捧げることのできる相手を選んで。
捧げた相手の幸せを祈って……。
だが、そんなマユミの思いを、台無しにする。
「それじゃあ、ストーカーと変わらないじゃないか」
うるさいとマユミは叫んだようだった。その声はギチリと世界のきしむ音となって、シンジの耳朶を打った。
「あああああ!」
マユミは雄叫びを上げて襲いかかった。
二人の間に赤と金の干渉光が発生する。飛びかかったままの体勢で、空中でマユミは狂気の目で光の向こうをにらむ。そして叫ぶ。
「シンジ君のためになら、あたしはなんだってする、なんだってやる! だからお願い、殺させてっ、この人を、あたしに!」
マユミは自分が手に入れた力に願う。しかし……。
「頼るな! 祈るな、甘えるな!」
碇シンジは叱責する。
「何かを成すのは自分の力だっ、決めるのは自分だ! 自分で考えて、自分でやり遂げるんだ! そうでなくちゃ、僕たちみたいな人間は……」
「あたしはあなたじゃない!」
「君も、碇シンジじゃないんだよ……」
その言葉は……優しい声音は……。
マユミの心を、打ち砕く。
「零号機が……」
零号機は、断末魔の悲鳴を上げるがごとくのけぞり、そして……がくんと、前のめりに倒れ、初号機へとのしかかった。
シンジは急におとなしくなった零号機に不審を覚えた。
(返すよ)
なんだ!? と思うよりも早く、零号機の眉間に縦の筋が入る。
肉が左右に割れる、その下から眼球が現れる。
眼球は小さくなりながら、場所を空けつつ上に移動した。
割れてまぶたを形作った肉壁は、まるで女性の陰部のようにヒダとなる。
そして眉間に生まれた女陰より、人の姿が見え始める。
頭より現れ、首、喉と抜けだし、四肢を女陰に残したままでかくんと前のめりに倒れ、ずるりと這いだし、プールに落ちた。
「山岸さん!」
慌ててシンジは初号機に彼女を救わせた。すくい上げて、水面よりも高い位置へと掲げさせる。
さらに支えていた零号機を放棄して、零号機が破壊した拘束具を足場に、初号機の上半身を水面より上げ、急いでエントリープラグをプラグアウトした。
ハッチを開き、LCLを吐き出す手間ももどかしく、エヴァの体の上を駆ける。
スピーカーからは、ミサトやリツコの、ボートを出せと言った叫びが響く。
シンジはおさまりきらない動悸に耐えて、初号機の両手の上にはい上がり……。
そして、裸身のマユミの、その胸が上下しているのを見て、安堵と共にへたり込み、彼女の頭を優しく持ち上げ、抱きしめた。
胸にざわめきと、目には先ほど見た光景、そして耳の奥に謎の声。
シンジは、今はマユミが心配なのだと、無理に気持ちをコントロールした。
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