──終焉。
かつて、ベルリンの壁があった広場は、現在、雑草に覆われ、這うツタによって瓦礫も覆い隠されようとしていた。
周辺の建物も倒壊し、地肌の剥けた場所からは、生命力のたくましい草木が姿を現している。
セカンドインパクトによって放棄された街……古いが故に、建て直されることなく、見放された街の末路である。
この土地に住んでいた者たちは、新たな街を築き上げ、そちらへと移り住んでいる……。よって今この街に残るのは、移住することを嫌った年寄りと、貧民に属する者たちであった。
「姉さん」
一人姿をくらませたアスカは、そんな世界に隠れ潜んでいた姉を見つけた。
あのきらびやかだった姉とは思えないほど、みすぼらしい衣服に身を包んで、外部からやってくるボランティア団体の手伝いをして、日々の生計を立てていた。
白魚のようだった指も、荒れてひび割れてしまっている。なのに、そんな状態であるというのに、オルガの輝きは、むしろ増しているように感じられた。
──だからこそ、アスカはどうしてと問わずには居られなかった。
このような場所に埋もれて良いはずの人ではないのだ。
自分よりも、むしろ社交場に似合うたぐいの人であるのだ。
……姉に誘われて、アスカは街の広場へと場所を移した。そこは壊れた噴水が延々と水を噴き上げている公園であった。
子供たちが水を避けるように、あるいは積極的に水をかぶり遊んでいる。場所を移すことは、少々人に聞かれたくない話をしようとしているアスカにとっても望むべきことであった。
アスカはオルガがそうしたように、公園の隅に積み上げられた瓦礫のベンチに腰掛けた。
「シンジが教えてくれたの……生きてるって」
場所も……と、アスカは沈黙に耐えかねて言葉を発した。
かつては考えずとも、自分を愛してくれているのだと信じられた人……なのに、今は何を考えているのかまったく読めない。
「どうして……姉さん、どうして」
必死になって、言葉を紡ぐ。
なのに、彼女の義理の姉は、アスカの必死さを突き放し、つまらないことを聞かないでと吐き捨てた。
「わかってるはずよ……シンジ君は、この世界に居場所はないんだってことを知ってしまったから、行くべき場所を選んだ。それだけよ」
「それは……」
アスカは、シンジが残したパスコードによって知った真実を口に上らせた。
「シンジが……レイの、ううん、お母さんと、レイ、それに初号機……もしかすると、リリスですらも『あれ』のコピーだったのかもしれないってことを、知ったから」
「ええ」
彼女は視線を子供たちから外さなかった。
「あの子のお母さんは……死んだんじゃない。帰っただけだったのよ。彼のお母さんは人から生まれた人じゃなかった。だから、この世界のすばらしさを、誰よりも未来に伝えたいと思ったのかもしれない……」
当たり前のものとして甘受している自分たちと違い、ここに生まれた奇跡の世界を、失ってはならないものだと考えたのかもしれない。
「だから、残そうとしてくれたのかもしれない……でも」
「でも?」
一拍の、間。
オルガは、感情を宿さない目で、アスカを見た。
「子供には、そんな親の気持ちなんて、わかるわけがないでしょう?」
違うかと問いかけられて、アスカは認める意味合いでの沈黙を持ってしまった。
彼女もまた、母のかける期待などわからずに、ただすがりつこうとして人生を翻弄された経験者であったのだから。
「シンジ君に残されていたのは……絶望だけだったわ」
「それが……それが、希望に変わったっていうの?」
「シンジ君にとってはね」
「そんな……」
勘違いしないでとオルガは批判した。
「アスカが認められなくても、辛いと想像してしまっても、シンジ君には関わり合いのないことよ……だって、彼が決めた幸せの形だから。人の幸せの形が、誰にも平均化できないように、彼自身の幸せに至る道は、彼自身が決めるしかないことだったのよ」
ここに至って、アスカはオルガが怒っている理由を悟った。
(ああ……)
自分が来たから、不機嫌になったのではない。
すべてを胸に秘めることなく、アスカに漏らしてしまったシンジの甘さと、弱さに対して憤っているのだ。
最後の最後に至ってなお、誰かにわかってもらいたかったとすがるような真似をした彼のことを……。
「姉さん……」
だから、と、アスカは内心の思いを確かめずに、会話の続きを望み、選んだ。
「だから、シンジは……ママのところに行きたくて、あんなことをしでかしたの?」
非常に長い間を取って、彼女は明かした。
「それだけじゃないわ……」
嘆息する。
それは、本当なら、自分一人が知っていればいいはずのことだったのにと、話さなければならなくなってしまっていることへの、憂鬱さから来る吐息であった。
「リリス……ね」
あれが問題なのだと解説した。
「地下に残されたもの……あれは、目立つのよ」
「目立つ?」
オルガはわかるように付け加えた。
「あれは、暗闇の中に浮かぶ、灯火のようなものだったのよ……。だから、放っておけば、さらなる使徒が引き寄せられてくる可能性があったの、だから、一刻も早い処分が必要だったの……」
「え? けど、そんなことなら……」
彼女は、自分たちに協力を求めることもと言いつのろうとする妹の言葉を遮った。
「わからないの?」
すぐさまアスカは、自身の甘すぎる思考を修正した。
「誰かが……あれを、この世からなくさなくてはならなかった……でも、あれがある場所は……」
「そう……あの子を殺したくて、探し続けてた人たちの守っている場所だった」
それは、事後になってアスカも知ったことだった。
アスカをただ一人の英雄とするために暴走した第三支部……ドイツの職員たち。彼らは同時に、ゼーレの残した遺産を管理し、いつの日かと、希望に満ちた未来を夢想していた一派でもあったのだ。
「一刻も早く……。そう、自分の手で、すべてにけりをつけてしまいたかったのね、だから……」
「あんな方法を……でも、本当にあんな方法しか、なかったの?」
それでも、急ぎに急いで、三年も費やしてようやくの結末であったのだと彼女は語った。
「怖かったでしょうね……。三年間、いつ、また、使徒が襲来するかわからないと、一人で奮闘していたんですもの」
自嘲気味な、声音であった。
「姉さん……」
アスカは話を終わりにし、立ち去ろうとする姉を呼び止めた。
「これから、どうするの?」
オルガは自己満足に浸っている表情をのぞかせた。
「生きていくわ……『二人』でね」
おなかをなでる仕草に、まさかと思う。
「姉さん……」
妹の想像に、くすりと笑うオルガである。
「三年前にね……あの子からもらっておいたのよ」
採取してあったものを、先日、卵子と結合して腹に入れたのだと彼女は語った。
「でも、使徒の子孫になるこの子のことを、ネルフが見過ごしてくれるはずがないでしょう?」
「姉さん……」
「せめて、この子が一人で生きていけるようになるまでは、生きるつもりよ」
それは、責任を取って、シンジの後を追う用意があるとの告白でもあった。
「姉さん!」
「皮肉なものね……誰からも見放された人の子供であるあなたが、今ではみんなに愛されて、守られていて……そして、大事に育てられたわたしが、あなたのお母さんのように見放される道を選んで、あなたのように疎まれることになる子を産もうとしている。あべこべっていうのね、こういうことを」
お互いの親を取り違えたかのような道を歩んでいると、彼女は自嘲った。
「たぶん、あなたが来たってことは、ここは調べられるだろうから……。さよならね」
「姉さん……」
流浪し、次の宿営地を探さねばと旅立とうとする姉に、アスカはすがりつくような声をかけた。
「最後に教えて! なんで、どうしてシンジを助けたの! どうしてシンジを、あんな風に!」
シンジが言っていた。
シンジの告別式が開かれた日、彼は移送という名目で国連本部より運び出されたと。
そして、襲撃を受けたのだと。
その日、彼女の姉は、アメリカはS州にスクールからの旅行に出ていた。
そして道に迷い、はぐれていたのである。
シンジが襲撃を受けたとされている時間と、彼女が行方不明となった時間とは一致している。
場所もまた、同一地区といえる近さだ。
アスカにはこれを、偶然の一致としてすませることができなかった。
疑惑はふくれあがる……もしかすると、姉はシンジに誘拐されたのではなく、最初から共謀しており、自ら連れ出されたのではないのかと。
そして、今日の対話で、彼女は確信するに至ったのだ。
──アスカの姉は、そんな妹の涙目に、最後の言葉をたどたどしく選んだ。
「そうね……なんとなく……あの子のことが気になって……」
父の書斎で見た、汚らしい世界のこともあって……。
そんなことをアスカに告げようとしている自分の愚かしい一面から、オルガは最後にアスカに真実を残したシンジの馬鹿さ加減と共通しているものを感じ取り、彼女は一旦口を閉じて、改めて理由を選び直したのである。
「そうね……」
目に暗いものが宿されて、アスカは自分を見たシンジの目と同じだと感じて、姉に初めて恐怖心を持った。
「ねえ……さん?」
オルガは、言った。
「本当の理由は……あなただったのかもね」
身をこわばらせ、言葉をうしなっている妹を一瞥し、彼女はすっと身を翻した。
「なんでも持ってるくせに……自分には何もないみたいなことを言って、みんなの気を引いてるあなたを見ていると、とても気持ちが悪かったから」
それが、あの子の昔の姿そのもののようで……。
──アスカは、追うことができなかった。
吐き気がしたの……と、言い残し……。
立ち去る姉を、アスカは呼び止めることができなかった。
─終わり─
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