──ハッピーニューイヤー！
タイムカウントに合わせて大勢の人が声を張り上げる。
夜空に大量の花火が咲く。いたるところに『２０１８』の文字がある。
旗に、幕に、電光掲示板に、そして人の手に持つアイテムに。
「凄いな」
「ほんと……」
街中だというのに、お構いなしに花火は上がる。群衆がひしめき合って新年を祝う中に、青年と少女の姿があった。
片方は二十歳代の青年である。
青年の人相はとても悪いものだった。二十歳は越えているだろうが、ただでさえ富士額であるというのに、黒髪を短髪にしていることが、輪をかけて額を広く見せていた。
そして目つきはどこかけだるげで、笑ったところなど想像も出来ないようなタイプの顔つきであった。あるいは真逆に、一人であるときには気持ちの悪い笑いを漏らしているタイプに思えた。
こけた頬と言い、典型的な悪人面、悪相によって作り上げられている顔だった。
薄い茶系のジャケット……今は上は脱いで脇に抱え、黒のタンクトップ姿である。
「シンジ」
「なにさ」
「おんぶ」
「はいはい」
げんなりとしつつも、十代に入ったばかりと思える少女を背負う。
真っ白なワンピースは透けて肌の色が見えていた。下はピンクの下着が、上はそのまま地の色だ。胸を隠すほどの歳ではないらしい。
オレンジ色の髪は両端で赤いリボンが締められている。左右に結って房を作って揺らしていた。
歳の頃を考えると、無防備すぎる格好である。ただ、十分暖かいというのに、白い色をした制服の上着のような、アニメチックなジャケットを羽織っていた。
大きさは子供のためのものにしては大きい。本来は少年少女といった年頃のものが着る大きさのものであった。見た目には暑そうなのだが、本人にとっては大したことはないらしい。涼しげであった。
「どしたの？」
しかめ面が気になった。
了承したというのに動かず、相変わらず天を見上げている保護者の態度をいぶかしみ、女の子は彼が花火の向こう側になにを見ているのか、探そうとして目を細めた。
じっと彼は、空の一点を見つめていた。花火をに眩しそうにして。
そんな態度には覚えがあったのだろう。女の子は気を引き締めて、態度を改めた。
「なにか、来るの？」
ポンと女の子の頭に手が置かれる。
その手はこわばって感じられた。
「アスカ……」
シンジは少女のことをアスカと呼んで、その頭をわしづかみにして振り回し、胸に抱え込むようにしてしゃがみ込んだ。
「ふせて！」
次の瞬間、花火が散った。
火花を吹き散らして戦闘機が現れる。そして戦闘機は機銃を掃射した。
着弾すれば、大きな被害になったであろう。だが弾は空中に現れた紋様のような光り輝く映像によって受け止められた。着弾し、銃弾が破砕され、粉塵が頭上に広がる。
「バリアか！？」
シンジはアスカを胸に抱いたまま、防壁を張った主を捜した。
──彼女はそこにいた。
祭を彩る山車の上で、少女が空に手を突き上げていた。
「レイジングハート！」
皆が耳にし、顔を向ける。そこにいたのは十五、六の少女だった。
長い髪を、頭の両側に黄色いリボンで束ねている。白いジャケットと、それにあわせてふくらんだスカート、それはまるで学校の制服だった。それもコスプレイヤーが着用するような、イベント色の強いものだった。
右腕には冗談のような、自分よりも大きく、そして人がとても持ち上げることのできないような、巨大なピンク色の高射砲の砲身を抱えていた。
砲身が、《Ready》という返事をした。
どすんと砲尻を屋根に落とす。鉄製の山車の屋根が重みにへこみをつけた。
戦闘機が機首を上げ、群衆と少女の上をフライパスする。墜落寸前に機体を引き上げ、水平方向へと無理矢理軌道を変更した。
滑空によって得られた運動エネルギーが、衝撃波となってビルの谷間に吹き荒れる。だがこれらもまた少女が手をかざし、不可視の力を放つことで受け止めた。
「くうう！」
それは戦闘機が通り過ぎ、上昇するまで時間がかかった。だがおかげで風は収まり、人々には被害はなかった。
「逃ぃがさないんだからぁ！」
接地点を基点に方角を固定。戦闘機の予測進行方向に照準を合わせる。
「でぃばいーん……」
彼女はキッと強いまなざしで、逃げ去る戦闘機の後ろ姿をにらみつけた。
砲身に取り付けられた不自然な機械部が、妙な異音を放ち始める。
不思議とエネルギーのうねりが見える気がした。
「ばすたぁあああああ゛あ゛あ゛！」
砲の先端部より、三枚の羽が発生した。いや、それは羽ではなく、砲撃によって発生した噴射炎であった。
声の後半がふるえているのは、高射砲でありながら、機銃のような連射を行ったための振動によるものであった。
火線が戦闘機を追いかける。その攻撃が再上昇のために音速以下に速度が落ちていた戦闘機を捉えるのに数秒とかかることはなかった。が、直撃する……かに思われたとき、シンジはここでさらに驚いた。
「ええ！？」
直撃すると思われた瞬間、戦闘機は背を見せるように垂直に立って空力を受け、減速したのである。
この空気抵抗を利用して、機体を砲火に対して横に向け、見せる面積を減らし弾をよける。
だが低空でのその挙動は自殺行為であった。失速し、墜落する。
その墜落の途中で、戦闘機は真ん中から二つに割れた。さらに折り曲がりジェット部が壊れて分解して、形を変えて再度固まって……。
「ロボットになったぁ！？」
戦闘機からバラバラに部品をうごめかせて再配置を果たし、見事に変形を果たしたロボットは、右手に持っているガトリングガンを連射しつつ、足からのジェットでホバリングし、スケートでもするかのように水平に動いてビルの影に隠れた。
流れ弾が彼女の周辺に着弾するが、人に当たるものは小さな障壁が連続して現れ、受け止めた。
「レイジングハート！」
《Divine Shooter.》
少女はバリアでもって機銃弾を破砕しながらも、次なる戦闘行動を取った。
砲の外側より数個のボールが射出される。
ボールはバーニアから火を噴いて宙に跳ね上がり、いきなりレーザーを小刻みに連射した。
ビルの影から現れたロボットの、バルカン砲の機銃弾を打ち落とす。
ロボットは再び形態を移行した。上部は戦闘機に、だが下部は人の足という形態を取って、足の裏に移動しているジェットエンジンのノズルから火を噴いて、ホバー移動でビルの影から影へと逃げていく。
少女は叫んだ。
「フェイトちゃん！」
──オレンジ色の狼にまたがった少女が四十階はあるであろう高層ビルの屋上にいた。
少女の背丈が百五十を割っているにしても、狼は二メートル前後はあるだろう。
少女──フェイト。金色の髪を左右で縛り、黒色マントを羽織った彼女は、手に持つ杖をおおきく振りかぶって、狼の腹を足で蹴った。
「アルフ！」
エネルギッシュな躍動感を見せつけて、狼は跳ね飛んで、縁を越えて、宙へと舞った。
「バルディッシュ、ハーケン！」
《Get Set.》
重厚な声質で杖は答え、先端部の折り込み部位を展開した。
たたみ込まれていたフレームが横へと広がり、光の粒子を発振、鎌のような形態を生成する。
フェイトはアルフの背から跳ぶと、空中で身をひねり、戦闘機の鼻面へと落下した。
「はぁああああ！」
なのはと同じか、一つ二つ年上に思える……としても、年齢に見合わない、少しばかり低くて重い、迫力のある声を唸るようにひねりだし、彼女は鎌を振りかぶった。
ロボットが足を正規の位置へ格納し、再びただの戦闘機となって飛翔しようとするわずかな静止状態を狙った一瞬の交錯で、一閃、切り裂く。
戦闘機の生む乱流も、フェイトの鎌は切り裂いた。
フェイトは『ブン』とバルディッシュを振るうと、対面のビルの壁を蹴って、あり得ない長距離を往復してきたアルフの首に捉まり、手短なビルの上へと着地する。
「浅かった、けど」
振り返って手応えの結果を確認した。
二キロほど先にある森林公園へと戦闘機は墜落していく。足のある戦闘機である。大破は望めないだろう。
アルフが攫うように、フェイトの股ぐらに頭をつっこみ、持ち上げ、走り出した。落ちてきた狼に驚く群衆の間を縫って走り去る。
フェイトはアルフのたてがみを掴んで体を支持した。その隣に軍服の男の運転するジープに乗ったなのはが並んだ。
彼女はフェイトに一瞬うなずくと、そのまま追い越し、先に主街道を急いだ。
公園へと車を突入させる。木立の先、木の葉の空の隙間に、上半身を引き起こす巨人の姿が見えた。
ロボットは自身の重量に耐えきれないのか、前に倒れ、四つんばいとなって這っていた。翼の変じた前足で倒木をさらに折りつぶし、大木を裂いて道をつくり、どこかへ向かおうと歩み出す。
フェイトは公園の外側を走らせながら、木々の頭越しに見えた姿に、感想を口にした。
「まるで……蟹だ」
なのはの姿を探す。いた。ジープに固定したレイジングハートで、戦闘機を狙い撃とうとして、芝生の上を移動している１。
なのはは片目を閉じて、小さく言った。
「ここで決めるよ、レイジングハート」
再び眼を開いたとき、なのはの表情は、きりりと引き締まったものになっていた。
《Yes, my master.》
「すたーらいとぉ……」
ギュイイイイィイイン……と、レイジングハートがうなり出す。
キュンキュンと音がして、砲身に光の粒子がこぼれ出す。
なのはは叫んだ。
「ぶれいかぁああああああ！」
ドン……と……。
大気が鳴動し、ビームが大樹をなぎ倒す。車両は大質量のエネルギー放出の反動に押されて、ずりずりとタイヤを滑らせた。
ロボットのセンサーがこの攻撃を感知したのか、何か挙動を見せようとしたが遅かった。
ビームはロボットの胸を直撃し、貫通した。
中心に穴が開く。熱量がその周辺を溶かす。衝撃波が亀裂の入った部位から部品単位で構成物質をもぎ取っていく。
すべては一瞬のことだった。そして、爆発。
ドォンと大きな火柱が立った。
黒煙が青空へ向かってもくもくと立ち上る。
シンジは他の被害者とともに、この一部始終を傍観した。……とはいえ、見えたのは地の果てにひょこひょこと見えるロボットの頭と、斜めにロボットを貫いていった光だけだったが、それでも十分だった。
周囲から一斉に歓声が上がった。
「なんなんだよ、一体……」
まるでこのような事態が頻繁に起きていて、みなは慣れている風だった。
今の世界の実態がうかがえる。
「これがこの世界だって言うのかよ」
聞かされた話は嘘ではなかったのだなと、ひげ面の壮年の顔を思い浮かべた。
──みなさんごらんください。新世紀直後、悲劇に見舞われた北半球。その荒れ果てた大地にも、こうして人の集う街が……。
「ようこそ新国日本へ！ 国連管理局武装隊隊員、高町なのはです」
そういって手を差し出してきた少女を相手に、シンジは酷い困惑を覚えた。
自分より、頭一つ分以上は背が低い。そしてただのスーツ姿に着替えた彼女は、あまりにも若く見えた。彼女こそ、巨大な砲塔を振り回していた少女であった。
若くというより、酷く幼い感じがする。
茶系のタイトスカートのスーツである。髪は右側後部に縛り上げていた。
そんな姿を見て口にする。
「武装隊？」
握手しながら放たれた疑問に、なのはは、にははとごまかし笑いを浮かべたのだった。
国連管理局執行行政機関。
それがなのはの所属する組織の名称である。
セカンドインパクトによって発生した、武力による衝突を解決するために発足されたものが国連軍であるが、その国連軍を解体し、各国の共同支援組織という形態から、国連自身の組織へと再編成、そして吸収徴発されたものが、執行行政機関であった。
先ほどの騒動から逃れるように移動したため、シンジたちは職務質問を受け、今は彼女たちの基地である武装隊本部へと連行されることになったのである。
もっとも、手荒なことをされたわけではなかった。
「滅んだのは自明の理。だから北半球には人の手を入れず、自然に任せるべきだという人たちが居ること、ご存じですよね？」
「ブルーコスモスだっけ？ まさかさっきのも？」
「あれは別口です。ブルーコスモスが便乗して行動を起こすことがあるんですよ。彼らにとって、この街に来てはしゃいでる人たちは、みんな粛正の対象ですから」
「俺たちもそう思われたってわけか」
「身元を保証するものをお持ちでしたら、よかったんですけどねー」
街のほぼ中心に位置する大きなビルが彼女たちの本部である。
──新国日本。
それがこの、かつてはただ、日本と呼ばれていた国の、現在の姿であった。
『二千十八』年現在。
『二千』年に世界を悲劇へと誘った『セカンドインパクト』による『北半球消失事件』は、一般的には隕石の落下によるものとされていた。
そして『二千十五』年、北半球を復興するにあたり、拠点として選出されたのが日本であり、ここはその地方である箱根と呼ばれていた地域であった。
シンジはそこに、彼の知る街並みを見ていた。かつて宇宙開発名目で研究されていたというテラフォーミング技術の応用によって、この地域一帯は緑を取り戻している。街は、彼の主観では消えてしまったはずの、あの都市に酷似した都を築き上げている。
シンジは人手不足と言うことで現れた年下の少女に逆らうことなく、一通りに質疑応答を終えたところであった。今はなのはの案内を受けて、アスカの元へと移動をしている最中である。
アスカは念のためと行われた診察を終えて、今は他の被害者とともに食堂にいるとのことである。
「戦闘機に襲われて、軽傷者だけで済むっていうのは凄いな」
「それがわたしたちの仕事ですから！」
「質問してもいいかな？」
「はい、なんですかー？」
先を歩いていたなのはは、気を利かせて歩を遅め、シンジの隣へと並んだ。
「何でも聞いてください！」
そのあけすけな態度に、シンジは少しばかり気後れする。
「さっきのあれ……ロボット？」
「わたしたちは、自律思考型の機械生命体、ガジェットって呼んでます。詳しいことが知りたかったら、本とか新聞で読めますよ。情報開示されてますから」
「へぇ」
「ガジェットって名前は、一つ一つのパーツから成り立ってるってところからついた名前なんですよ？ いろんな形に変形できるのは、パーツの集合体だからなんです」
「詳しく調べられてるんだね」
「もともとはただの機械だったらしいんですけど、三年前の事件で……高度な人工知能を搭載していた機械っていうのが、あんな風に勝手に動いて人を襲うようになっちゃったそうなんです」
三年前。
「三年前……ね」
ぎくぎくっとするシンジである。
「はい！ サードインパクト……『北半球』を消失させたセカンドインパクトに続いて、今度は日本を中心とした『東半球』での災害……碇さんも日本人ですよね？」
「悪運だけは強くてね……」
「あっ！ えと、この街へ来たってことは、知ってるんですよね？ セカンドインパクトと、サードインパクトの真相……」
「一応はね。隕石うんぬんってのが情報操作だってことは知ってるよ」
「にはは、じゃあ、話しちゃっても大丈夫ですよね？」
「守秘義務は大事なことだと思うよ？」
と言いつつも、シンジの口元は、素性がばれるとまずいなと引きつっている。
自分には関係のない話である。自身が知る史実とは違う歴史、事件。
だが当事者の名前は同じであり、顔も同じであるのだ。
「ええと、高町さん？」
というわけでごまかしにかかるシンジであった。
なのはは天然なのか、気付いていないふりをしているのか、笑顔で返した。
「なのはでいいですよー？ みんなからはそう呼ばれてますからぁ。碇さんよりは歳だってずっと下だし」
「年下ね……、いくつなの？」
なんとなくで尋ねて後悔する。
「十五です」
「じゅっ」
絶句した。
若いだろうとは思っていたが、そこまでとは思っていなかったのだ。
かたまったシンジに、なのはも立ち止まった頭をかいて笑った。
「にはは……やっぱり驚きますよね？」
「そりゃ、まあね」
十五といえば未成年だ。
どれほど特別であったとしても、国連が就業を認める年齢ではない。
「でもわたし、三年前のあの事件で……碇さんも見ましたよね？」
っと、少しもじもじとした。
「えと……怖がらないでくださいね？ って、碇さんは怖がらないんですね？」
小首をかしげるなのはに、そういうものには耐性があってねとごまかした。
「ジェネレーターか」
「はい。サードインパクトで精神とか生命体としてのエネルギーとか、なにかが解放された、次世代人類のことだって聞かされてます。自分じゃ力持ちになったってことくらいしかわからないですけど……」
もちろんシンジは真実を知っていた。
サードインパクトによって生命体としての枠組みを壊され、解放された人たちが居た。
第十八番目の使徒である人類は、群体という形態を取っていたために惰弱であった。だがこの惰弱さを進歩によって強化してきたのが人類である。
そして、サードインパクトという災害は、人類の意識や認識を一時的にでもつなげてしまうものだった。そんな中、彼女たちＡＴフィールドを開放されることのなかった、あるいは解放されてしまうことに抵抗し、成功した者たちは、深淵において、互いに触れ合い、知恵と知識を共有してしてしまったのである。
その中には、効率的な肉体の使い方や、決して他者に語ることのできない、伝えることのできない、概念的なものさえもあった。
気功、魔法、神通力……言葉は様々であるが、現世にあらざる怪異を発し、操る術がこの世の裏には存在していた。そのような特異能力保有者の認識を意識に焼き付け、失うことなく現世に復帰した者たちのことを、世間一般にはジェネレーターと呼んでいるのである。
「使徒の力に汚染されて、人間じゃなくなって、使徒になっちゃっただけだって説もありますけどねー」
笑い話にするべきものではないが、なのはは笑う。
笑い話にするしかないのかもしれない。
そしてシンジは脂汗をだらだらと流し、右手をぎゅっぎゅっと強く握り込んでいた。
うまく会話をそらさなければ、本当にまずい話になってしまいそうだった。隣を歩くなのはをそんな風にしてしまった原因の一端を、彼と同じ名前を持った人間が担っているのだから。
「あ、でも、じゃあ今は仕事中なんだよね？」
焦りのためか？ シンジは唐突なことを言い始めた。
「いいのかな。俺なんかの案内役をしていてさ」
しかし無駄であった。
「はい！ こういうのもお仕事の内ですから！」
元気なのは良いことだが、シンジとしては逃げ出したい心境であった。なにしろあまり公の場には立ちたくないのだ。犯罪者として登録されているわけではないが、かといって気付かれたなら厄介なことになるのは請け合いである。
「ほんとは手持ちぶさたで……。戦闘要員って、普段はやることがないんですよねー」
さぁてどうしたものだかと、逃げ場を探して、シンジは怪しく視線をさまよわせた。
──そんなシンジのことを、監視モニターで見ている人間が居た。フェイトである。
「どう？」
警備部の中央管制室である。場所は地上施設から、実に三十メートルほど地下になる。
こちらこそが本当の行政機関本部であった。
中央に長方形のスクリーンが、三角形を形作るように立てられている。
下部は円形に席が設けられており、五つの席では都市の情報が集められ、整理され、指示とともに伝えられている。
その最前列の背後の円、一段高い場所には四席増えた九席が、さらに後ろには十八席のオペレーター席があり、騒がしく先の襲来についての被害報告と事後処理の情報が飛び交っていた。フェイトはその一席の側にいた。
「今のところ、検索に引っかかったのは……」
つらつらと顔写真が表示されてスクロールしていくのだが、輪郭や目、鼻、口の間隔と言った、個々人特有のパーツ配置から割り出した、あくまで似ていると思える顔ばかりであった。
背中で栗色の髪を切りそろえた青い目のオペレーターは、「でもあたしも見覚えがあるのよね……」と独りごちた。
うーんと彼女はうなり声を上げる。
彼女はフェイトとさほどかわらない歳だろうが、年上なのは間違いない……そのくらいの年齢だった。少なくとも成年にはなっていない。
彼女は背後に立つフェイトに、首を後ろに倒すようにして尋ねた。
「なのはは、フェイトと同じことを言ってるの？」
「いいえ」
フェイトはかぶりを振って否定した。
「あたしが引っかかりを覚えただけです」
「そう……」
彼女は気のせいだとして処理しなかった。フェイトという子は、こういったことにかけて勘を外したことがないと知っているからだ。
「『アスカ』さんは……」
アスカという名前の少女は、眉間に酷いしわを寄せていた。
「あたしは……知ってるやつに似てる気がしたんだけどねぇ……」
あまりにも曖昧な反応であったが、フェイトは食いついた。
「誰なんですか？」
うーんと唸る。
「ちょっと言えないかなぁ。でも、あいつはあたしと同い年なのよね。いくら会ってない間に老けてたとしても、二・三年会ってないってだけなのよ」
「この人は、どう見ても二十歳を超えてますね」
「そうなのよねぇ……」
だから、あり得ないと彼女は考えた。もし『そう』だったとしても……。
（そもそも、あいつは死んでる。死んだのよ……）
かぶりを振って、彼女は考えを振り払った。
「とにかく犯罪者履歴にないってコトは、それ以外の有名人だってことでしょうね。まあ入国が許されてる時点で、どこかで見たことがある……って程度の有名人である可能性はあるわけだし」
フェイトはうむむと唸って、会話の途中で入った通信に、これ以上は時間を割けないと切り上げることにした。
「滞在先の施設はわかっているから、とにかく情報を洗ってください」
わかったとアスカは応じた。だがこの後に入る追加情報に、彼女は困惑を深めることになる。
彼は開き直ったのか、堂々と碇シンジを名乗った。その名前の持つ意味をわからないはずがないであろうに。
偽名としては、あまりにも不穏当に過ぎるものである。
そして連れだという女の子の顔写真が届いたとき、彼女は怒りに席を蹴って立ち上がったのだった。
その少女の姿は、自分の幼い頃のものに、あまりにも似すぎていたからである。
「疲れたよ……まったくさ」
ぐったりと、シンジは割り当てられた宿泊施設の部屋の中、備え付けのデスクのシートに腰を落とした。
まさに崩れ落ちるがごとくへたりこむ。
ホテルと口にしても良い建物であった。地上十五階建てのビルである。
窓からは街の様子が一望できた。正直酷いものであった。難民が寄り集まって暮らしていると評されても反論できるものではない。
雑居ビルを共同生活所に、大通りを市場に、路地を庭代わりの生活空間として使っている市民が居る。
いくつかの要因が重なったことによる光景であった。
早く日本に帰りたいという人々。そこに新しい商売の種を見つけた者たち。そして襲来したガジェットによる破壊と崩壊。再構築される秩序。
再建する端から、ガジェットによる空爆が行われていた。それでも人は営みを続けようともがく。結果、こうした景色が出来上がってしまったわけである。
見た目よりも治安が良いのは、執行行政機関が、必要十分な治安活動を行っているためであった。
シンジが見下ろしている露店街道は、ショッピングブロックとして分類されていた。物は言い様だとはこのことである。
空の雲は勢いよく流れていた。今日の風は強いらしい。
街の外側との境界線に目をやって一望すると、実は街は、理路整然と縦横に区切られていることがわかった。ビル単位ではなく、ブロック単位で計画されていたらしい。
それが空爆によって頓挫、放棄の憂き目にあい、現在は開き直りの境地にあると、そういうことであった。
主な街道には、路面にナンバーと四角い切れ込みが見られた。その下にライフラインがあるだけとは思えない印象があった。第三新東京市を知るが故に穿ちすぎているだけかもしれないが。
その上を電動カーの動きが見える。エネルギーは執行行政機関から無料、無償で提供されると言うことで、二輪車の利用者がとても多く感じられた。
（自己進化能力者か……）
本部で、後ろに手を組み、くるりと振り向いたなのはの姿を思い浮かべる。
ジェネレーターは、脳の物理的ではない面を認識によって開発している人種である。だが、それだけではなのはたちのような人体そのものの強化を説明することはできない。自重よりも重いものを軽々と振り回せるようになるほど、人を構成している物質は便利なものではない。
生体を形作るＡＴフィールドの強制解放。これを拒否しようとした人々は、自然と自分自身を保とうと意識した。
だが思い浮かべたのは現実の自分ではなく、こうでありたいという願望、あるいはこうであるはずだという姿であったはずなのだ。
そんな自己認識が、肉体の再構成を行う際に、変異変革を付与してしまったと想像できる。
特殊能力、超能力、まとめれば、不可思議な力の発現。
確かに、使徒化した、というのも、あながち間違いではないのかもしれない。
体を椅子の背からおこし、机に突っ伏して、うーんと伸びた。
「ん？ ……なにさ」
そんなシンジの顔を、アスカが机のはじにかじりついてのぞき見ていた。
「お疲れ？」
「まあね」
「動くの？」
「まだだよ。今はお休み」
「じゃあごはんにしよう」
子供は元気だと思う。
ついでに燃費も悪いと財布の中を心配する。
先ほど本部で、特盛りのパフェを平らげて待っていたはずなのにと。
シンジはジャケットを手に立ち上がろうとして、ようやくアスカが旅行鞄にしまっていたはずの服に着替えていたことに気がついた。
今度は黄色のワンピースであり、彼が知る少女が着ていた物によく似ている感じがあり、それを着たアスカは、まさにあの頃の彼女の印象そのままだった。
新国日本という呼称は、旧特亜人種に対して非常にウケの悪いものであった。
昭和初期を連想させるものがあるのかもしれない。ともかくも、呼称を決めたのは日本人ではなく、国連である。文句はそちらへという話だ。
その上、行政も国連が取り仕切っている状態である。独立国とはとても呼べる状態にはない。この土地が以前は日本と呼ばれていたから、この土地から日本という名前を奪った場合、他の土地もそうなるのではと暴動が起こる可能性があったから、新国日本という名称を付けることにした、それだけなのである。
「って、こんなぶっちゃけ話、パンフレットに書いていいのかよ？ 特亜ってのもまずいんじゃないのか？」
街に出たところであちこちに観光案内所があるわけではない。
昨夜のお祭りは、あくまで広報用の騒ぎである。
新国日本への入国は、多くの検査、診査と、事前情報の学習を強要されていた。
観光などという浮かれた産業が成立する土地ではないのである。そのための措置である。自身の行動に対し、責任を持った振る舞いを取れない人間は入国を許されていない。彼らは人が住めるようになったというパフォーマンスを実践するために雇われたサクラなのだ。
ということで、見せ物になるものがない以上、雑多な街の中を、ただぶらぶらと歩き回るだけの形となってしまったのだった。
ただ、食べるものについては困らなかった。右にも左にも露天商があるからだ。
つまみ食いを続けているだけで、十分に腹一杯となったのだが、気にかかることもある。
自給自足が成り立たないこの土地では、補給物資がすべてであるというのに、食品が配給ではなく金銭による流通によって手に入るのはどういうことなのかと。
「難しいんだな」
そんなわけで、シンジたちは街の外苑部を目指して歩いていた。そちらには昨日の自然公園があるということだったからだ。
バスを見つけ、皆がそうしているように真似て、飛びついてみた。
バスは二階建てだが、二階席は屋根がなく、一階席も左右のドアは開けっ放しだった。
低速で走り、人は飛びつき、飛び乗り、適当に座り、また適当に飛び降りていく。
運賃は無料であった。
「ふわぁあああ！」
公園に着くと、アスカは公園の遊具に取り付いた。
たわいのない、ブランコにジャングルジム。それにトランポリン……。
他の子供に交ざって、存分に楽しむ。
その後は、公園の隅にある大きな池へと移動した。池を取り囲む林と、小山。
東屋を見つけて、池の鯉を眺めながら休憩する。
落下防止のための柵は、丸太ん棒で作られていた。アスカは細い丸太の柵に手をついて、体を乗り出すようにして、感嘆の声を吐いた。
「魚、魚！ 赤いのがいる！ 赤と白とまだらもいるよ！」
人工的に作られた魚だと教えると、深い感動を覚えたようだった。
「すごいねー……」
目をきらきらさせている。
そんなアスカに苦笑して、シンジはぼんやりと池を眺めた。
「街の外が、まだ人も住めないような状態だなんて、信じられないな」
肩越しに背後を見る。木々の向こうに重機の姿があった。
昨夜の機体を回収しているようであった。
宵闇の迫る頃合いだというのに、家路を急ぐ人たちの姿も、まだ遊びたいとだだをこねる子供たちの姿もない。
店をたたむ人たちがちらほらと見える。帰る家が雑居ビルであるからか、どこか引っ込んでいくという表現が当てはまる感じであった。もちろん高層ビルやマンションに住まう住人もいるはずであるが、この区域にそのような者たちが足を踏み入れることはないようであった。
現在、入国を希望し、許されるのは、街を形作るのに必要な職種技能を持っている、限られたエリート達ばかりである。自給自足にはほど遠い状態であり、輸送物資に頼らなければならない現状においては、選抜はやむを得ない話であった。
そのような彼らが、家を失い、このような姿をさらす羽目に陥っているのである。心中は察するにあまりあった。
日々を過ごしてごまかしているだけと思える有様である。
そして子供がいないのは当たり前のことであった。このような環境に、子供の移住など認められるものではない。
が、まったくいないというわけでもなかった。なのはのように、フェイトのように、特殊な事情のある子供たちは入国している。それが先ほどの公園で姿が見られた子供たちである。
茶系のスーツ姿で歩いている少女が居た。フェイトである。
年齢のことを考えると、タイトスカートは似合わない。子供がビジネススーツを着て歩いているのだから当然であった。だから、目立ってしまうのかもしれない。
「やあ」
彼女は偶然鉢合わせした相手、シンジから、なんの気負いもてらいもなく話しかけられて、とまどってしまったのだった。
帰宅途中に顔を合わせることになるとは思っていなかったからだ。なによりも、自分の顔は見られていないはずである。
「確か行政機関の……なのはちゃんと戦ってた子だよね？」
シンジは尋ねた。
「名前を聞いても良いかな？」
「フェイト……テスタロッサです。国際連合『共同体』の嘱託監査員をしています」
「嘱託？」
「正式採用を受けるには年齢が足りなくて……」
「でも能力的には……か。えと、俺は」
フェイトはぎゅっと唇に力を入れてから、シンジが名を言う前に口にした。
「碇……シンジ。シンジさんですよね」
不敵に笑う。
「俺のことを？」
「知ってます……知って、います」
やけに重い言い方に、シンジは苦笑を浮かべた。
それはただ名前を知っていると言うだけではない口調であったからだった。
「共同体の嘱託ね……なら、どの程度のことを知ってるんだい？」
挑発する。
「てっきりわかってて放置されてるのかと思ったんだけどな。わかってないから放置されてたのか」
取り押さえようという素振りが見られないので、まだ調べが付いていないのかと考えたのだが、どうやらそうでもないらしい。
フェイトは目を合わせられないのか、うつむいたままかぶりを振った。
「まだ気付いてる人はいません」
おやっという顔をシンジはする。
ひとりが気付いて、他に広がっていないなどと言う話があるのだろうかと。
「君は？ どうしてわかった」
緊張の面持ちで、フェイトは相対していた。
提げているバッグの紐が、やけに肩に食い込んで重く感じているのか、何度も手で直している。
直した後は、腕をさすったりしているのだが、手は汗ばんでくることもさながら、震えが出ぬよう力を込めて、右手は左手を、左手は右手を押さえ込むのに必死になっていた。
──碇シンジ。
三年前、使徒戦争最大の功労者にして、サードインパクト事件の中核人物である。
あらゆる生命が消失したセカンドインパクト。その十五年後。人が地球再生を願い進出した北の世界には、使徒と呼称されることになる巨大生命体が闊歩していた。
ＡＴフィールドと呼ばれるバリアを持ったこの生命体に対する術はなく、国連軍は秘密裏に開発していた汎用人型決戦兵器を投入した。このパイロットに選出されたうちの一人が、碇シンジ、彼である。
だがこの兵器の正体は使徒そのものであった。セカンドインパクトすらも、この使徒兵器開発の失敗によるものだとわかったとき、彼らは英雄から犯罪者へと転落した。
この際、扱いに困ったのが彼らパイロットである。彼らは兵器開発に関わってはいない。だが彼らの父母は当事者であった。
結果、記録上、更正施設に収容されたことになっていた。犯罪者としては登録されなかったのである。
これが本部の検索に引っかからなかった理由であった。
他のファイルを開けば、思いの外あっさりと判明していたかもしれない。
答えないフェイトに、シンジは苦笑した。言わずにすませることを考えているのではなく、どう相対すればいいのかを迷っているとわかるからだ。と同時に、内心ではほっとしていた。
恨まれているわけではなさそうだと胸をなで下ろす、と、ふわぁとアスカがあくびをした。
「シンジ」
「なんだよ」
「きょうどうたいってなに？」
えっとねとかみ砕いた説明を試みる。
「昔、たくさんの国が話し合いの場所を作って代表を送り込んでたんだ。それが国連。でもほとんどの国がなくなっちゃったんで、国を一つにまとめようってことになったんだよ。それを頑張ってるのが共同体だよ」
アスカはきょとんとして、本質を突いた発言をした。
「そんなのできるわけがないのに」
「無理だろうねぇ」
「ようは世界統一、世界征服でしょ？」
「まあそうなるな」
フェイトはおかしなふたり組だと思った。できるわけがないと口にするアスカの横顔は、あまりにも大人びていて、なにかを悟っている雰囲気があるし、合わせるシンジも、彼女を子供として見てはいないように思えたからだった。
「それで、どうして俺のことを伏せるんだ？」
フェイトははっとした。
「それは……」
こくりと喉を鳴らしたのは、過度の緊張のためだった。
「あなたは、なぜここに……この街に？」
「観光って言ったら信じるかい？」
フェイトは怒りに目尻をつり上げた。
「わたしは、真剣に聞いています」
「子供だなぁ」
不覚にも、フェイトはポンと頭に手を置かれ、ぐりぐりと撫でられた。
あまりにも動きが自然すぎて、反応できなかったのである。
真っ赤になって、避けて、声を震わせた。
「やめてください！」
「ごめんごめん」
ついねと笑ってみせる。
「でもペースに乗せられてるようじゃ、はぐらかされるだけだぞ。一応、俺たちは正規のルートを通ってこの街に入っているんだ。確認したかい？」
「でも、あなたは死んでいます」
とても堅く口にした。
「三年前の事件後、あなたはオーストラリアに建設された更正施設に収容されました。その施設が更正施設だというのは表向きの話で、実際には禁止された使徒関連技術の研究を極秘裏に続けているものでした。そしてあなたはその研究に協力していたと聞いています」
「協力させられていた、だよ」
「……そして、なんらかの事故があって、一年後、施設は消滅しました。爆発ではなく、消滅です」
「…………」
「なのに、あなたは生きている。蘇って、現れた。その顔は作り替えたものですか？」
「傷つくなぁ……自前なんだけど……」
あああああ、すみませんと慌てるフェイトであるが、笑うシンジに、からかわれたのだと気が付いて肩をふるわせた。
しかしながら、整形かと疑った非はある。怒るわけにもいかず、フェイトはふぅと息を吐いて、肩に入った力を抜いた。
「あなたの仰られるとおり、あなたたちは正規のルートを通っているのですから、拘束する理由などありません」
そうかなとシンジは尋ねる。
「騒ぎになるのを未然に防ぐっていうのは、理由にはならないのか？」
「碇さんが大人しくしていてくださるのなら、問題には……」
「ねぇ！」
突然、アスカが大声を出した。
自分の存在を主張するように。
彼女はフェイトのことを推し量るように見上げていた。
「なに怖がってるの？」
「え……」
「あなた、シンジのことが怖いの？ どうして？」
フェイトは唇を噛み、そしてうつむいた。
アスカは頭にぽんと手を置かれ、その重さに首を沈めて短くした。
「なによ」
シンジを見上げると、彼は小さく首を振った。
「俺だからだよ」
「だから、なにが？」
「今朝みたいに、『機族』と戦えるようになっちゃったのがだよ」
「はい？」
きょとんとした。
本当にわからないようだった。
だから質問した。
「……別に、良いんじゃないの？」
素朴に尋ね返したアスカに、シンジは言う。
「周りの人と違ってしまう、以前の自分じゃなくなってしまったってのは、怖くて嫌なものなのさ」
むーっと不満そうにする。
「だから恨むの？ シンジのせいだって」
「俺のせいだからね、実際に」
それについては、フェイトは否定した。
「違います」
「ん？」
「恨んでなんて、いません」
「そうなのか？」
「はい……」
それでもなにか心情的に複雑なものがあるらしい。
シンジはそれがなんであるのかはわからなかったが、気分は察した。
「一応言っておくけどさ、別に俺はなにかを企んでるわけじゃない。ただ、どうしても北に行きたくてね……。その方法を探してたら、とりあえず北の今を見てきてはどうかって、紹介されただけなんだよ」
「誰の紹介なのか、尋ねてはいけませんか？」
「迷惑をかけることになるから、遠慮して欲しいな」
少なくとも新国日本の建国業務に関わっている人物である。そう考えることのできる言い方だった。
「そうですか」
残念ですと、フェイトは返した。
「共同体にとって……あなたは犯罪者としての登録はされていませんが、死んだはずの人間であると言うだけでも、監視対象とせざるを得ません」
「監視する？」
「はい」
「君が？」
「はい……えと」
シンジは「いいけどね」と苦笑した。
「まさか部屋に押しかけて来て、一緒に泊まるとか言い出さないよな？」
フェイトは顔を真っ赤にした。
そんなわけで、散歩はふたりから三人になったのである。
「有名人なんだ、シンジって」
手を繋ぎ、表面上は仲良く歩くシンジとアスカであった。
「いまさらなんだよ」
「なーんか、『伝説』と違うのよねぇ」
ふたりでぷらぷらと歩き続ける。
今度は食事のできる場所を探しての散策である。
フェイトは一歩遅れて着いてきていた。
とても食事のできる場所を聞き出せる様子ではない。監視すると言っても、上に報告するつもりはないらしく、だとすればどうするべきかと悩んでいる様子であった。
そんなフェイトの苦悩に、アスカはちょっとだけ同情した。
「ねぇ」
「なにさ」
「あの人……いいの？」
「悩んでるみたいだからね……放っておこう」
「なんか可哀想なんだけど」
「だからって、俺たちの立場を説明したって、信じてくれるわけがないだろう？ 嘘だって思われるだけだよ」
「あの人も……あれなのよね。生体汚染者」
「そうだよ。サードインパクトの被害者だな」
「肉体からの精神の解放現象だっけ」
「そう、それがサードインパクト」
「で、それにあらがって、肉体のくびきから解放されようとした精神が、自身の宿っている肉体のレベルを何段階も引き上げたのが生体汚染？」
「そんなとこ」
「ふぅん……」
ちらりと彼女は振り返る。
そこには理解以上の感情があった。
「じゃあ、あたしたちなんてイチコロ？」
「イチコロさ。力比べじゃ勝てないな」
「じゃあ、大人しくしてる？」
「まさか」
「さっきはなにも企んでないって言ってた」
「今はまだね」
にやりと彼が笑うと、同じくアスカもにやりと笑った。
「なぁ！」
彼は立ち止まって、フェイトに言った。
「どうせだったら、教えてくれないか？」
「はい……なんです？」
「この街で戦ってるのって、君たちふたりだけなのかい？」
「それがなにか」
「子供だけなのかなって気になってな」
「他にもいますが、戦闘に耐えられるのはわたしたちだけです。あとは正規の軍隊が」
シンジは不安になって尋ねた。
「ふたりだけじゃ大変じゃないのか？ 良くあることみたいだし」
「ガジェットは週に一度か二度来る程度ですから……それほど苦にはなりません」
「苦になるかどうかと、大変かどうかは違うと思うけどな」
「わたしは、以前は、この力を持って生まれたことを悩んでいました」
「持って生まれた？」
それはおかしな言い方だった。
ジェネレーターと呼ばれる人種の発生は、三年前が初めてだからである。
「はい。わたしは、あの施設で生まれたんです」
「あの施設……って、まさか」
シンジの目が、理解とともに丸く、大きく見開かれる。
だから先ほど、なにかを口ごもったのかとわかってしまった。
「君も居たのか、あの施設に」
ゴウっと大きな音がして……。
あるはずのない、今までにはなかった、一日に二度目のガジェットが飛来した。
──本部レーダー室は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
「接近に気がつかなかっただと！」
「ステルス戦闘機です。目視による警戒は山を利用してかわされました」
「なのはとフェイトを呼び出せ！」
「はい……はい、わかりました」
携帯電話を中折りして胸ポケットに片付け、フェイトはシンジに顔を向けた。
「わたしはこのまま行きます。ふたりは避難を」
「どこに？」
「え……」
「避難場所とか、知らないんだけどな」
「あ…………」
この街に来たばかりで、詳しい地理など知るはずがないとフェイトは気付いた。
「だったら、えと、あの」
シンジの手を、アスカがぐいっと引っ張った。
「シンジ、来る」
シンジが見上げると、ちょうど飛来した戦闘機が頭上を駆け抜けていくところだった。
黒い影が空を過ぎ去っていった。それなりの高さを飛んでいたが、それでも人がガジェットだと気付くには十分な低さであった。
空を指さし、騒々しくなる。建物から飛び出し、あるいは飛び込む動きが起こる。
シンジは呆れるように感心した。
「国連の飛行機と区別がつくんだ……凄いな」
「慣れてしまっていますから」
「シェルターはあるんだよね？」
一応はというのがフェイトの回答だった。
「建設中のものですが」
「戻ってくるよ」
あらぬ方向を見ているアスカに、フェイトはあわてて身構えた。
機銃弾とミサイルが近場のビルの屋上付近に直撃した。
まるで波止場で砕け散る波のような粉塵が生まれ、一帯に降り注ぐ。
「こっちだ！」
シンジに腕をつかまれ、フェイトは振り回されるようにして、落下物の外へと引っ張り出された。
瓦礫が落ち、砕けて足下を転がった。
シンジが怖い怖いと口にする。
「今朝のと違う機体だね。どこから来たのかな」
シンジの腕の中、はっと自分を取り戻し、フェイトは空をあちこち見回した。
「北半球にあった軍事基地のものではないかという話です。専門家は野生化したものだと」
「野生化ねぇ」
「有機コンピューターを搭載した機種ばかりだって話です」
シンジはなのはの話を思い出した。
「サードインパクトは見境無しだって？ 有機コンピューターのジェネレーター化ってのは面白いけど」
「それは……」
シンジは「いいよ」とフェイトを解放した。
フェイトたちのような特殊人のことと同じで、おそらくは、たぶん、などと言った推測の話に過ぎないのだろうとわかったからだ。
「アスカ」
「ん」
シンジが腰に手を回すと、アスカは素直に抱き上げられて、シンジの首にかじりついた。
それはとても慣れた動きだった。今まで何度も何度も繰り返してきたとわかる呼吸だった。
「フェイト……ちゃんでいいかな？ 悪いけど、シェルターまで案内してくれ」
「それは……」
「案内してくれないなら、勝手にするけど、いいんだな？」
それは脅しだと、フェイトは思った。
なのはは、本部の通路を小走りに駆けていた。
「フェイトちゃん、遅れるって、どうして？」
電話の向こうで、ごめんなさいと、重苦しい声が発せられた。
本当にすまないと思っている、そんな声音だった。
なのはは、追求しないことにした。
「大事なことなんだね？」
『うん。ごめん』
「わかった。いまどこにいるの？」
『待避所に向かってる』
「……いいよ、わかった。できる限りこっちでやるから。本部の了解は？」
『これから取るところ』
空を見上げて走るという行為は、目を回しそうになるものだとフェイトは知った。
空爆といった事態に備えて、イルミネーションや看板は規制されていた。無機質なコンクリートの塔が建ち並んでいる。それらが自分の走るという行為によって、ゆっくりと後方に流れていくのだが、振動に合わせて上下に不規則に揺れるものだから、目に酔って、胃の腑が気持ち悪くなってくる。
オレンジ色に染まる空を、黒い鳥がゆったりと舞っていた。それは高度があるために遅く動いて見えるだけで、実際には音速の前後域で飛翔しているはずだった。旋回時に、時折白い雲を引いている。
基地から発進したものであろう戦闘機三機が現れると、まるで踊るように、くるくると位置を入れ替える動きを見せた。時折火線が走っている。
前を見る。子供一人を抱えたままで駆け走るシンジの背中があった。
（全力を出しているのに）
それでも前を走られている。ジェネレーターと同一視されている自分がだ。だから彼もまた、特異能力者であるのかといぶかしむが、直感がそれはないと知らせてくれていた。先ほどの会話のこともある。
「アルフが来てくれたら早いんだけど」
到着にはまだ間があると思い悩むと、急に追っていた人物が立ち止まった。
「碇さん」
シンジは首にかじりつくアスカを両腕で抱いたまま空を見上げていた。
「そんな気はしたんだけど」
「なにが……」
シンジが見ているのはガジェットであった。
降下しようと試みては、防衛隊の機によって阻まれている。
「追ってきてない？」
「まさか！」
「狙いは俺……なんてことはないよな」
「そんな」
なぜとフェイトは唸った。
「ガジェットが個人を識別していると言うんですか？」
「恨んでいるってことはないか？ 俺を……よくもこんな風にしてくれたなってね」
ひねくれた物言いに、フェイトは少し口ごもった。
シンジが過去に、そのような歓迎を受けたことがあるのかもしれないと思い至る。だがそれは自業自得というものだ。
と、しつこくダイブを繰り返すガジェットの翼を、左下方、山の頂から放たれた火線が、軽くかすめた。
ちりちりと翼の端を焼かれ、破砕され、ガジェットが大きくよろめく。
「なのはだ」
「あの子か」
「はい、でも……まずい」
「どうして？」
「ガジェットは、複数の機械が一つの形にまとまっているものなんです。ですから、倒すときには、核を撃ち抜くか、一度に消滅させなければなりません。そうでないと、破損部分を分離して、別の形態に移行して逃げられてしまいますから……」
ああとシンジは気がついた。
「だから夕べは、君が追い込む猟犬役をやっていたのか。それでなのはちゃんが撃ち抜く猟師役を」
「はい。なのはの持つ武器、レイジングハートの出力は、とてつもなく大きなものなんです。それこそ、衛星でも撃ち落とせるくらいに」
「そりゃ……すごいね」
「はい。さっきの砲撃が直撃していれば……。でも、かわされた以上は、警戒されて……」
「あれだけの出力だ。不意を突かない限り、充填中に察知されるな。空から引きずり下ろさないと、どうにも……ってわけだ」
フェイトはくるりと左へ向いた。
カッカと、地を蹴る獣の足音を拾ったからだ。
「アルフ！」
オレンジ色の狼がやってきた。
フェイトが両腕を広げて出迎えると、狼はその体に突撃した。
ドンとぶつかるアルフを受け止め、フェイトはその口にくわえられていた、棒と板を組み合わせたような、三十センチ程度のアイテムを受け取った。
よしよしとその首を揉むようにして撫でてやる。
そしてくるんと棒を回転させる。三十センチほどだった棒が、一メートル以上に伸び、さらに三つに割れてふくらみ、隙間を埋めるように内側から遮蔽される。
板の部分も同じようなギミックで変形し、それは杖となった。
そしてシンジへと向ける。
「待避所には、この道を真っ直ぐに進んでください。すぐに着きます」
「でもさ」
先ほどの、自分が狙われているのかも知れないという話だと直感し、フェイトは彼の口をふさいだ。
「約束してください。大人しくしているって」
「巻き添えが出たらどうする？」
「それでも、あなたは入国した時点から、わたしたちが守るべき民間人なんです。それに、本当にガジェットがあなたを狙っているのなら、調べたいこと、確かめたいこと、聞きたい話がたくさんありますから」
「容疑者ってわけだ」
とたんにフェイトはおろおろとした様子を晒した。
「そういうわけでは……あの」
悪い子ではないんだよなと、シンジは苦笑混じりに手を挙げた。
「困るなよ、冗談だ」
「はぁ……」
「約束する。逃げない。大人しくしてるさ」
「お願いします」
ついでに、碇シンジであるということを、吹聴するなと念を押した。
「ここに碇シンジが居ると知れ渡れば、混乱を招きます。わたしたちには、その混乱を押さえ、事態を収拾する能力はありませんから……」
ふむ……とシンジは空を見上げて、少し考え込むそぶりを見せた。
それはそれとしても、やはり手だてがないことには、話にならないだろうと思うのだ。
見ればフェイトを気遣い、アルフが鼻先を彼女の右手の甲に押しつけている。
「アルフ……」
空戦か……シンジは断続的に行われている、なのはの対空砲火も、そろそろ弾切れで息が切れるなと考えた。
それから腕の中のアスカに目を落とす。話に付いてこられないからか、アスカは戦闘機が空に立てている爆音を追って首を巡らせていた。
よく見れば、アスカの服装が変わっていた。羽織っていたジャケットの裾が伸びて、コート状にになっているのだ。体を覆う面積を増やしていた。
そういえばと思いつく。
「こいつがあったな」
「う？」
「アスカ、そのジャケット」
アスカはきょとんとしたが、すぐに気付いた。
「貸すだけだからね」
「りょーかい」
地に下ろしてやると、アスカは裾を引きずりながら上着を脱いだ。
「はい！」
そして丸めて、背伸びをするようにして、フェイトへと押しつけた。
え、え？ と、フェイトは困惑する。
「あの……」
「貸すだけだからね！」
腕にコートを抱きかかえ、フェイトはおろおろとシンジを見た。
「貸すって、これ……」
苦笑と共に教えてやる。
「それは、君たちのデバイスと同じものだよ」
フェイトはきょとんとした。
「デバイス？」
「杖のことさ。俺たちがそう呼んでいるものと、それはたぶん同じものだ」
自律思考型……などと口にするよりは良いかもしれないとフェイトは思った。
「同じもの……って」
「君たちのデバイスは、そのままじゃただの兵器だよ。でもデバイスはただの武器じゃない。武器という枠組みに収まる物じゃないんだ。君の力を君の望む物に変えてくれる物なんだけど、君自身がまだ君の力を解放できていないから、単純な機能を発動しているだけにとどまっているんだよ」
「わたしの……力？」
ああとうなずく。
「その『バリアジャケット』が、きっと君にきっかけをくれる。着て行くと良い」
とにかく着てみろと急かされて、フェイトは思い切って、振り回すように袖を通した。
らちがあかないと、なのはは砲撃を中断した。
レイジングハートは、一撃ごとに使用者との接触部位である手のひらからエネルギーを要求する。
砲身内部に電気的に形成されるリニアチャンバーから撃ち出されるのは、ただの砲弾ではない。なのはから供給されたエネルギーを触媒に形成された非物理弾である。
空気抵抗、干渉、減衰、摩擦……そういった物理現象を否定する砲弾こそが、なのはの攻撃力の正体であった。
しかしどれほどの加速力によって撃ち出された砲弾も、直線に走るだけの物であることには変わりない。
戦闘機は、ジェット部位を変形した『足』を機体前方へ放り出して急制動をかけ、そのまま軌道を直角に変えて上昇し、あるいは横に移動する。
それは通常の戦闘機にはありえない軌道変更であった。あまりにもありえない動きに翻弄されてしまい、なのはの軌道予測はまったく追いつかなくなっていた。
砲撃は戦闘機の居た箇所を通過するだけだ。おしくは見えても、実際にはかすりもしない。
まだアクロバット飛行を披露する戦闘機隊の機銃の方が、おしいところを追いかけている。
《Master.》
レイジングハートが、生体エネルギーの枯渇を警告する。
なのはの魔力と称されているエネルギーの貯蓄量は大したものであったが、彼女ほどの巨砲で放出し続けていれば、底がつくのも早かった。
「どうしよう……」
悩む、悩む、悩む。
さらに、このままでは好きにさせてしまう、地上に降りられてしまうという焦りが、彼女のひらめきを妨げる。
対空砲火は終わったと見たのか、ガジェットは防空隊の戦闘機との追跡劇に専念し始めた。絡み合うように空を舞い、そしてまたどこかに戻ろうとターンし、その鼻面に張られる弾幕を避けて後退……を繰り返している。
手詰まり。なのは悲嘆に暮れた。だがその目はまだ諦めてはいない。
《Master!》
これまでと違う、焦りの声にはっとする。
「あっ！」
地平へと遠ざかる素振りを見せたガジェットは、夕日と重なったところでアフターバーナーを全開にした。目指すは……なのはが砲台としていた禿げ山であった。
ミサイルが放たれる、機銃が掃射される。
逃げられない、かわせない、間に合わない。
なのははぎゅっとまぶたを閉じた。
戦闘機が通過した。
機体をロールさせながら高度を上げていく。
──なのははぎゅっと閉じていた目を開いた。
「へ、え？」
そよそよと髪が風になびく。
足下に街がある。流れていく。
背に感じるのは、ぬくもりで──。
「だいじょうぶ？」
なじみのある声にはっとする。
「フェイトちゃん！？」
「うん」
ここでようやく、フェイトに抱かれて飛んでいるのだと気が付いた。
なのはの腰に両腕を回して抱え、まっすぐ、ゆったりと飛んでいる。
それも、レイジングハートという巨砲を両手に提げているなのはを抱えて、軽々と……。
なのははぶらぶらと足を揺らした。
「フェイトちゃん、そら、そら飛んでるよ！」
「うん、そうだね」
「そうだね、じゃないよ！ すごいよフェイトちゃん！ すごいよ！ フェイトちゃん飛べるようになったんだね！」
なったんだね、ですませるなのはもすごいよと思う。
はしゃぐなのはに苦笑いを返しつつも、フェイトは本当に……と、自分が着ているものを思った。
彼女は今、黒いアンダーウエアの上に、白から変色した、黒いマントを羽織っていた。
シンジたちはそんななのはたちの様子を、手を額にかざし、遠目にして見守っていた。
「これであっちはなんとかなるかな」
「それじゃあやる？」
にやりと笑う。
──フェイトはなのはを街の大通りに下ろした。
「じゃあ……作戦通りに」
「うん！」
作戦はシンプルである。
フェイトが囮となって、ガジェットをなのはの正面へと誘導する。
時間がないからと、フェイトは急に飛べるようになったことなど、全ての説明は後でとお願いした。今聞かれても答えづらいことばかりであったからだ。無駄に時間がかかることは間違いない。
そしてここから、なのはが驚くようなことばかり、自分は行う。説明は一度にまとめてしまった方が良いだろう。
市街地中央にある六車線の大通りへと、なのはが降下していくのを見送る。彼女の砲は強力すぎるから、狙うのであれば、空に向けて撃つのがベストだ。
一撃必殺の威力でとなれば、街へ向かっての撃ち下ろしはできない。
必ず、空に向かって放たねばならない。
そしてついでに、もう彼女には、連射できるだけの魔力がない。
ならば加減のない一発を放ってもらった方が良いだろう。
舞い上がり、ガジェットを追って、フェイトは今のガジェットの形状を注視した。
戦闘機左右後部にあるジェットエンジンを、片方は前に、片方は後ろに、あるいは上に、下にと振り回して、くるくるとコマのように宙を回っている。
そうして全方位へ弾をばらまいている。通常の飛行能力しかもたない防空隊の戦闘機は、距離を取って避ける以外の方法を取れないようだった。
ジェットエンジンが足となる機能は、昨夜のガジェットが初めて発現したものだ。
「機種が違うのに」
情報のフィードバックが行われているのだろうか？
彼女はそのことについても、シンジがなにかを知っているような気がした。
しかしそのこともまた、ひとまずは置いておく。
「バルディッシュ、フォトンランサー」
《Yes sir.》
ふいと舞うような軌道を見せて、フェイトは敵機後方へと位置した。フェイトの周辺にプラズマ球が三つ生成される。
閃光が、各球一つに付き十六射放たれた。あわせて四十八の電磁射撃が戦闘機を追い詰める。
一つ一つの光線は、ホバリングしていた戦闘機を叩き、がくんと沈ませる程度の威力でしかないのだが、飛行を乱される程度には強く、無視できるほどの弱さでもないのか、ガジェットは無駄な回転行為を中止して、地に対し水平に状態を回復。その場でゆっくりと機首を回頭し、バルカン砲を斉射した。
ガガガと音を立てて、フェイトの背後に屹立していたビルの上階が削られた。
階の一つが粉砕されて、瓦礫が宙に投げ出される。
フェイトはくんと一瞬だけ体を沈ませて、まるで地を蹴るように宙を蹴って、上昇した。この軌道に合わせて、戦闘機は空中に静止したままの状態で、機首だけを上げた。
機銃の航跡がフェイトを追って、放物線を描いて流れる。
戦闘機は直立した状態になるまで機首を上げた。足が後方の正位置に戻ったところでジェットをふかし、加速上昇を開始。フェイトの後を追いかける。
「よかった、追ってくれて」
なのはとの約束のポイントへ向かう。高度を保ったまま、右に左に、位置を水平に滑らせて、追撃をかわす。
バルティッシュの『体』に光の筋が走った。それはフェイトの黒いグローブごしに、彼女の脳へと、情報となって伝わった。
これは初めて行う、意思伝達の方法であった。
黒い表層に銀色の光で、一瞬の幾何学模様が描かれるたびに、莫大な情報が送られてくる。
改造が施されたわけではない。バリアジャケットの効果だとシンジは言っていた。
「たとえば人間は、深層部分でたくさんのことを複雑に考えて、決断を下しているけど、意識しているのは表層のことだけで、深層意識については気にもしていない。だろ？」
伝え合うのは言葉にしている部分だけ……だがそれではいけないとシンジは教える。
「バルディッシュ？ ……には、目も耳もない。力……波動を感知して反応しているだけだ。でもそれじゃあ、君の判断とにズレが出る」
そこでバリアジャケットの意味が出ると言う。
「二の腕なんかは露出してるように見えるけど、ジャケットが放つ波動は君を守るように展開されてる。そのフィールドは君と杖を一体化する作用も持ってる。その状態なら、杖は君の意識や感覚が察知した情報を、フィールドの波動から読み取ることができるようになるんだよ。知覚情報が爆発的に増えるんだ。そうなると、その子は自分自身に不満を持つようになる」
「不満？」
「君がなにをどう認識し、把握して、判断しているのか。それがわかるようになるだろう？ そうすると、いかに自分の機能が足りていないのか、なっていないのかもわかってくるんだ。じゃあ的確なサポートをよりよく効率的に行うためには、変化を求めるのは当然じゃないのかな？」
「バルディッシュが自己進化を行うというのですか？」
「デバイスはただの機械じゃない。生きてるんだ。君にはわかってるはずだよ。今までは自分の感じる範囲のことと、使用される度に得た経験から、自分を調整していくことしかできなかったんだ。でもバリアジャケットのおかげで、今の君の身体的特徴、まだ引き出されていないエネルギー保有量と、一度にはき出せる使用量、なにもかもを把握できるようになった。そうなれば、いままで、いろんなことに対処できるようにって、散漫なものにしているしかなかった機能を、君にあったものに調整して、引き出す機能も作り出して、大幅なパワーアップができるようになるんだよ。なら、それを行う機能も持っているんだから、やろうするのは当たり前じゃないか」
──その結果が、これである。
バルディッシュは、フェイトを主と定めた武具である。ならばあれもこれもできる武具になるのではなく、フェイトの癖や、彼女の特技にあったものへ自己を改革すべきなのである。
一応、それらのことは、これまでにも行われてきてはいる。
だがやはり、日々の戦闘と訓練から得られる経験値だけでは、足りていなかったのだ。バルディッシュは今、これまでは感知できなかった、フェイトの本当の実力……潜在能力を把握するに至っていた。
バルディッシュはすでに、新たに得られたデータを元に、フェイトの負担となっていた自身の形状について、手を加えていた。具体的には重さである。
その上で、機能についても、オーバースペックとなる部分を排除して、彼女が扱えるレベルから、ほんの少し上の機能だけを残すように自己を改変、設定し直していた。これによって、エネルギーの生成から、放出までの間隔は、格段に減少している。
なによりも、飛翔能力という、人間にはあるまじき現象を引き起こせるほどのエネルギーの抽出と、変換に成功している。
もちろん、その時々に応じて、機能を強化する性能は残していた。
──Ｓ２機関は、誰にでもあるものだけど、程度の差があるくらいで、潜在能力に大きな違いを生むほどのものじゃないんだよね……。
だが人間にはそれを引き出す『機能』がない。これはもう外部機関に頼る他はないのだ。
それをしてくれるアイテムが手に入ったのなら、あとは効率の問題で、その効率をなんとかしてくれるのもまたデバイスなんだよなと、彼女を見送ったあとに、シンジが誰にでもなくつぶやいていた。
街の地図、なのはの位置、敵、注意事項、それから……。
「うん」
うなずき、それからフェイトは苦笑した。
「おかしいね。今までだって、ずっと一緒だと思ってたのに」
《Me too.》
今はそれ以上の繋がりが感じられる。
体を水平に、高速で空を舞っている。
地上の建物があまりの早さに一つの色として流れて見える。
フェイトはくすりと笑った。
「力が、あふれて来るみたいだ」
顎を上げて高さを取る。瞬間、腹の下を機関砲の弾が通過する。
この状態こそが、シンジのつぶやきの意味でもあった。
魔力だなんだと言い換えたところで、絞り出しているのはＳ２機関だ。人に宿されている生命の実である。
あとはサードインパクトでの知識共有のレベルであった。なのはたちのようにサードインパクトの知識共有を通じて、最上位の体系を学んだわけではないフェイトには、本能的な把握があったのみである。
それが具体性を持って、体系化していく。
「でも、驚きは後回し」
ついでにこのようなことに精通している、シンジへの詮索も後回しにする。
《Get set.》
バルディッシュのフォームが変更される。
先端が横に伸び、光の鎌を生み出した。
「んっ！」
くるりと振り向いて鎌を構える。だが速度は落とすことなく、後ろ向きのまま、進行方向を維持し、追いすがってくるガジェットに対して、鎌の光をふるって撃ち出す。
「アークセイバー！」
三枚の光刃が走る。全速で追っていたガジェットはよけることもできず、コクピットと左の吸気口に刃を受けた。最後の刃は機銃で弾いた。
フェイトは身を回して機銃を避けた。と同時に制動をかけ、わざとガジェットに追い抜かせる。
彼女はそのような挑発を繰り返しながら、直線に飛んでいるように見せて、ゆっくり弧を描き、なのはの待つ大通りへと誘導していった。
このガジェットにどれほどの知能があるのかはわからないが、バルディッシュと同じならと思い、油断はしない。
ゴウッと音と風が一緒くたになってフェイトを襲った。
ガジェットが急加速を行ったのである。人が乗っていてはできない加速だった。
彼女の展開している球状結界の内と外の大気状態の差が、空間が歪んでいるような形で見えた。
まずいっと思ったときには遅かった。フェイトの減速を隙と見て、ガジェットは機体を横にロールさせ、右翼の変形を行った。翼は上下に割れて浮き、外側へとスライドして内部構造を挟んで閉じる。これを三度繰り返し、倍以上の長さの刃を形成した。
バランスが悪いことこの上ない。空力も完全に無視している。だのに失速する気配も墜落するそぶりもなく、フェイトの背後に間近へと迫り……。
フェイトはようやく、なのはの立つ大通りの真正面へと到達した。
なのはに合図を送ろうとする、しかしそのとき、本部から悲鳴のような助けを求める声が、バルディッシュを通じてフェイトを叩いた。
それは刃をかわそうとしていたフェイトをひるませるのに、十分すぎるものであった。
オペレーター──アスカが悲鳴を上げる。
「ガジェットに侵入されました！ 現在Ｄブロックを侵攻中！！」
報告を受けた上司が叫び返す。
「Ｄブロックだと！？ その先は」
「地下基地へのエレベーターシャフトがあります！」
「どこから侵入されたんだ！」
「おそらくは今朝の奴から分離したガジェットです！」
「核は潰れていなかったのか！？」
別のオペレーターが報告を挟む。
「形状はサソリに酷似している模様、カメラがやられました！」
アスカは歯がみして耐えた。
酷い焦燥感に苛まれる。エヴァに乗っていた頃は感じたことのない感覚だった。先頭に立っている分には、感じることのない苛立ちだった。
見ていることしかできない。喚いていることしかできない。
今、ここにエヴァがあればと思う。なにもできないという無力感。うろ覚えのネルフの面々を思い出し、あの頃の皆は、こんな気持ちであったのだろうなと思い至った。
駆けつけることができる。駆けつけることが許されるという立場は、なんと気楽なものなのだろうか？
「え？」
そしてガジェットを追いかけるために、カメラを切り替え、彼女は人影を見つけた。
まさかと思うが、間違いがなかった。
「シンジ！？」
「まいったね」
ここではまだ、偶然が重なっただけなのか、判別がつかない。
待避先には国際会議場と看板の掲げられている建物があったが、それはドーム状の建築物であった。
一階部分の出入り口が開放され、人々を収容している。
「これがシェルターなのか」
とても爆撃に耐えられるようには見えないが、人々はその奥へと進んでいく。
収容が終わり次第、建物は地下へと収容され、天井は隔壁によって閉ざされると、係員が説明していた。
収容作業は順調に行われているように見えた。そうしたところに現れたのがさそり型のガジェットである。
悲鳴が上がる。同じく避難してきた誰かの上げたものだった。すぐに唱和が始まって、誰の悲鳴だかわからなくなる。
ガジェットは逃げ惑う人々を無視して、ドームの入り口へと突進した。全長三メートル。高さは二メートルもないが、人々にとっては巨大である。
どんと巨体を玄関口へ衝突させて、ホールを壊し、ガジェットは施設奥へと体をねじ込ませていく。
「やるしかないのかな？」
シンジがそうつぶやくと、彼の背後に、赤い影が立ち上った。
本部からの非常通信に驚いて、フェイトは挙動を乱してしまった。
バリアジャケットが放つフィールドによって身を守られ、切断されることはなかったが、それでも跳ねとばされた形になった。
なのはが悲鳴を上げる。
「フェイトちゃん！」
ガジェットがさらなる追い打ちをかける。形態変化を敢行する。左右のジェットノズルが機首の両端を軸に、下から前に大きく回転して回り込むと、噴煙が消えて、先端部から上下に割れた。
鋏である。
ジェット以外の推進力によって瞬間の加速を行い、フェイトの真上に躍り出る。
そして鋏を残像を作る勢いで振り上げ、ブンと音を立てて振り下ろし、フェイトをたたき落とした。
「かっ、は！」
バリアジャケットの防御フィールドでも、吸収しきれない衝撃に息を吐く。
そこにあったビルへと打ち込まれたフェイトは、壁を貫き、反対側へと放り出された。
「フェイトちゃん！！」
砲を構えたなのはの悲鳴が、飛びかけたフェイトの意識を引き戻す。
「く……」
ダメージはない。バルディッシュの感覚が右手の中にある。手を離さなかったことは僥倖。しかしそれ以上に……。
（すごい……）
ビルに突っ込まされ、外壁と内壁を貫通し、反対側から飛び出す。それだけのことをしても傷一つ負っていない。
そればかりか、バリアジャケットの展開しているフィールドに、出力の低下は見られなかった。
大丈夫となのはに返し、「フェイトちゃん……」とほっとする声に、もう一度、大丈夫と彼女は応えた。
くんと体をロールさせて、軌道を水平から垂直に、そしてそこにいるガジェットをかわして天を取る。
フェイトのためにガジェットを引きつけてくれていた戦闘機隊が散開した。
「バルディッシュ！」
《Get set.》
「撃ち抜け……轟雷……」
ボイスコマンドがバルディッシュを解放する。
先端部が折りたたまれ、砲となる。
「サンダー・スマッシャー！」
エネルギー型の砲撃である。収束された雷光が天と地を一直線に繋ぐ。それは空が一瞬、白く染まるほどのものであった。
フェイトの中から、ごっそりと何かが……生命力とでも呼ぶべきものが削られる。
撃たれた戦闘機は、雷光のうねりに巻き込まれ、そのまま押し流されて地に押しつけられて、滑り転がった。
「うええええええっ！？」
なのはが、雷撃の爆流に押し流され、迫ってくる機体にあわてて走って逃げようとする。焦りのために、横に避けるという頭が働かないようだった。
そんななのはの背後で、ガジェットはまたも変形を行った。左右の翼が下部、腹側へと、巻き込むように折りたたまれる。
代わりに、上部から外側へ三対の節足が開かれる。
エンジンが変形した鋏はそのままに、機首が下を回って背部へと移動し、関節を作りながら伸びる。
そして足で地面を引っ掻いて、過重に横向けに滑りながら停止し、鋏を天に向かって振り回し、フェイトの雷を払い散らした。
がしゃりと異音を立ててうごめく。
大きさは違えど、待避所に現れたものとそっくりな形をしていた。
「うええ！？ さそりぃ！」
げっと、なのはは嫌悪感から、反射的に砲をかまえた。
《stand by.》
レイジングハートが正しく反応し、エネルギーの集束と凝縮を開始する。
「こっちこないでぇ！」
ドンッと一発。
至近距離からの直撃にサソリが一瞬浮き上がる。
半ば立った状態となって、そのままひっくりかえ……らずに、自重のおかげか、ずしんと地響きを立てて元に戻った。
ぎろりとなのはを睨んだ気がした。
「い……」
ひくりと、なのはの頬が引きつる。
「いやぁあああ！」
がしゃがしゃと機械そのものが奏でる音を立てて、ガジェットはなのはを追い立て始めた。
「なのは……」
巨砲を担いで逃げまどう姿に、フェイトは助けに行くべきか、本部の緊急救助要請に応えるべきかで悩んだ。
「行ってフェイトちゃん！」
なのははこのぉ！ っと、振り向き様に一発たたきこみ、それから速射モードでサソリの殻を叩き、へこみと傷を付け始めた。
もはや魔力切れがどうという考えなど捨てたかのようなキレっぷりだった。
「こっちは大丈夫、なんとかするから！」
迷う、が、結局、わかったとうなずいて身を翻した。
ガジェットはなのはを狙っている。なのはのことだから、大丈夫。
それは信頼と言うには足りない、ただの希望と期待でしかなかったが、待避所を襲っているものは、少なくとも、通常兵器では歯が立たない相手である。
自分かなのはが行かねばならない。
フェイトは、ジャケットの襟元を掴み、彼は大人しくしてくれているだろうかと不安に思い、同時に、ただの人間を相手に、無事ではなく、不安を抱く自分に悩んだ。
外のものに比べると、シンジの目前に立つサソリは、何割も小さいものだった。
それでもその鋏は、人を一人つかみ上げて、振り回せるほどに大きいものだ。
だがガジェットは、そこにいる人間も、シンジたちですら相手にせずに、走り出した。
泡を食って人がよけて道をつくる。
危うく跳ねとばされそうになったり、踏みつぶされそうになった者が見えたが、皆無事だった。
「なんだ？」
ガジェットは壁を突き破り、施設内のホールに出た。そこは講演を行う設備であるらしく、すり鉢状に沈むように、座席が設置されていた。
その中央へと席を踏みつぶして進み、後ろ足に立ち上がり、それから床に向かって体を落とした。
閉じた鋏を床に突き立てる。すると床が溶解し、その下の鋼鉄までも溶かし始めた。
キーンと耳を打つ高い周波数の音に、耳をふさぐ。
「高周波穿孔ドリル！？」
ここにいたって、シンジはようやく確信を抱いた。
「……連中が探してるなにかと、俺たちが逃げ込もうとしていた先が、たまたま同じ方角だったってだけか」
「シンジ」
「ん？」
「悪い顔ー」
「え？ そんな顔になってる？」
シンジは、そっかなと、自分の顔をなでさすった。
「だって、気にならないか？」
「なにが？」
「あれがなにを狙っているのか、だよ」
「ってゆーかー」
あきれ顔で言う。
「なにを隠してるか、でしょ？」
まぁなとシンジはいやらしく笑った。
街の地下には巨大なジオフロントが存在していた。
生命のない土地で、なおかつガジェットから身を守りつつ生活していくためには、地下に基地を作るほか無かったのである。
フェイトは本部経由で話を通して、すべての扉を開放してもらうことにした。
別の経路で突入し、狭い通路を飛翔する。
曲がり角では体を反転させて、足で壁に立って膝で勢いを吸収し、蹴ってベクトルを変更、直線の通路では可能な限り加速する。
一般人には公開されていない施設であるが、住人たちは地下基地があることを知っている。建設に従事したのは彼ら自身だ。
吹き抜けのホールに出て、そのままふわりと、おしりから落ちるように降下する。軽く腕と足を曲げて、まるでとすんと布団の上に飛び跳ねて乗るように、一気に数階分の階層を下った。
このとき、天井に当たる部分が融解、赤く焼けた鉄の雨が降り始め、すぐさまサソリが頭を見せて、そのままずるりと滑って落ちてきた。
「バルディッシュ」
ズンッと、杖の尻を床に突き立てる。
《Get set.》
尖端はもちろん……。
「サンダー、スマッシャー！」
地上で使用したものを、今度は天に向かって撃ち放った。
雷光に飲み込まれたガジェットの装甲が剥離し、はげた部位から消滅していく。
あまりのエネルギー圧に、ガジェットの体が押し返されて浮き上がった。
「うわっちゃあ！」
間抜けな声に、フェイトははっとし、スマッシャーを停止した。
「碇さん！？」
どこにと探して、フェイトは天井に見つけた。
左手にアスカを抱えたまま、右手でまだ熱を持っているはずの穴の縁につかまり、ぶら下がっている。
フェイトは悲鳴を上げそうになった。飛翔して、残骸となって落下するガジェットとすれ違う。
ガジェットが床に落ちる。たたきつけられて、床をくぼませ、部品を当たりに散らばらせた。
「しまった」
フェイトは焦って、杖を構えた。ばらばらになった部品が、それぞれ勝手に跳ねている。
核を仕留め損ねていた。
シンジは足下の光景に、なるほどなと理解した。
「確かにあれじゃあ、一度に倒さないといけないわけだね」
ぱっと手を離す。
「フェイトちゃん、下がって！」
フェイトは首筋に走った怖気に従った。
シンジたちを受け止めようとしていたはずなのに、気がつけばそのまま追い越して、彼らの背後にまで上昇していた。
まるで巻き添えを恐れたかのように、本能の領域で行動していた。
「レイ・ＩＶ！」
《命令は、正確にと言っているのに》
抑揚がないこと。それが特徴と言える声が応えた。
次の瞬間、ガジェットを中心に地獄がふくれあがった。
ホールの底で熱量が増大。一気に弾け、熱波が吹き上がる。
鋼鉄の床がどろどろに溶けて、あぶくを立たせ、溶岩の沼が生まれ出た。小さな部品から高熱に溶かされ、呑み込まれ、沈んでいく。身もだえを断末魔の声の代わりに、消失する。
それでもガジェット本体は、溶けきらないほどの大きさを残している。
身をよじりながら、手短な通路へ逃げ込もうとする。灼熱の海に、粘性の高い波と、航跡が残される。
「逃がしちゃダメだ」
《命令は、正確に》
再びの熱波。吹き上がる熱風に、フェイトは右腕を顔にかざして目を守った。
風が吹き抜けた後、愕然とする。床が抜けていた。
吹き抜けのホールの床であった部分が消えてなくなり、真っ黒な縦穴が生まれていた。溶けた鉄と火花、そして熱に節足を溶かし、芋虫のようになったガジェットが、火の粉をまとわりつかせ落ちて小さくなっていく。
ゾッとする。
床といっても特圧の鋼鉄製だ。それも隔壁に使われているものと同じ材質のものである。
それが丸ごと溶けるなど、どれほどの熱量が弾けたというのか。
なのに熱波は熱かったという程度にとどまっていて、大した被害は広がっていない。
追って落ちるシンジが見えて、フェイトは自分を取り戻した。
「碇さん！」
あわて、くるりと上下を入れ替え、空を蹴ってダイブする。
手を伸ばすが、ゆっくりと回るシンジは、フェイトと目があったところで、必要ないよと笑いかけた。
フェイトの手が弾かれる。
指を弾いた金色の干渉光に、フェイトは愕然とした。
彼女はそれを知っていた。
「ＡＴフィールド！」
「そういうことさ」
シンジの姿がかき消えた。違う。浮力を発生させて落下速度を削ったのだ。
自分が先行してしまっただけだと天を振り仰ぐ。
フェイトは見上げて、シンジたちが横穴に姿を消すのを確認した。
「本部！」
応じたのはアスカで、シンジのことは任せろと言った。
「止まれ！ 止まるんだ！」
シンジたちが通常通路に戻ってしばらく進むと、そこには銃器を構えた一団が網を張っていた。
前後衛三人ずつが、銃口を構えている。
前列は片膝を付いて、後衛は立ったままだった。
「武器を向ける相手が……正しいのかな？」
シンジが肩をすくめると、彼らは一斉にライフルの引き金を弾いた。
無数とも思える銃弾がシンジたちを襲った。秒間百に達する弾丸であったが、そのすべては不可視の障壁によって砕かれ、弾かれ、あらぬ方向へと飛び、壁、床、天井に穴をうがつにとどまった。
誰かが喚いた。
「ＡＴフィールド！ やはり、使徒なのか！？」
「似たようなものかもね」
すっと腕を伸ばすと、それに沿って赤い風が生まれ、吹き抜けた。
警備兵たちは、なにが起こったのか把握できないままに気絶した。
風にはじかれ、背をしたたかに打ち付けて、崩れ落ちる他なかった。
為す術もないとはこのことだった。
シンジは道の先にエレベーターホールを見つけた。本来、開閉ボタンがあるであろう場所に、訳ありな認証装置が取り付けられている。
「その先か」
──エレベーターの扉に光の筋が無造作に走る。
扉であったものはシャフト内側へと倒れ、落ちていった。
シンジは暗闇の底をのぞき込んだ。落ちていった残骸の音が返ってこない。
「どれだけ深いんだよ……」
うんざりとする。
「地下空間はどうなってるんだ？ ここにもあるのか……この基地が土の中なのか空洞の天井にぶら下がってるのか」
同じ土地であるのだから、同じ地下空間があっても不思議ではない。
前者であれば多少暴れたところで問題はなかろうが、後者であった場合は、もし墜落などすれば大惨事となる。
シンジはなにかを感じて振り返った。
「来たね」
「ふえ？」
「フェイトちゃんだよ」
「ああ」
アスカは苦笑した。
「すごいね、あの子」
「まさかあそこまでジャケットを使いこなすとは思わなかったな」
ガジェットとシンジ、行く先が同じならと、フェイトはシンジを追うことにした。
通路を飛び、抜けて進む。倒れている職員を見かけたが、命に別状はないと、バルディッシュとバリアジャケットの探知能力を使って確認した。
気を失っているだけだった。
「本当に、使徒なんですか」
本部のアスカが応える。
『パターンは青ではないわ。でもＡＴフィールドを見たでしょう？』
「碇さんが、使徒」
信じられないという口調に対し、アスカは即座に否定した。
『違うわ』
「え？」
『あの男は使徒じゃない……人間よ』
「でも」
『あの男のパターンは別に確認できてるわ。人間の反応が』
「じゃあ、あの女の子が？」
『いえ、あの子のパターンも……ちょっと変わってるみたいだけど、やっぱり人間よ』
「それじゃあどういうことになるんですか？」
『目には見えない、あるいは見えない形で、第三のヒトがいるのよ。あのふたりの側にね』
「来たね」
真四角のシャフト内部は、四隅にエレベーター用の電磁レールがセットされている。
人専用エレベーターのシャフトであるから、当然に狭い。人ふたりが両腕を広げれば一杯になる幅があるだけだ。
シンジは抱き上げているアスカと共に見上げ、落ちてくるフェイトに目を細め、笑った。
「おしり丸見えだよ」
ぱっとフェイトは手で押さえた。
「そういう場合では」
羞恥に頬を染め、体勢を変更。頭から落ちる。
「バルディッシュ」
《Sealing Form.》
頭を反転。光の翼が吹き出す。
尖端からは光があふれ、まるで槍であった。
突撃する。
「無茶するよ！」
アスカの頭を強く抱く。
フェイトの槍はふたりを貫く直前で、ＡＴフィールドにぶちあたり、遮られた。
切っ先がギチギチと異音を放って、小刻みに滑り、位置を戻し、こすれ、切っ先をわずかにでも刺し入れようと奮闘するが、拮抗するばかりである。
独特の干渉光が瞬き、三人を照らし出す。
そのときフェイトははっきりと見た。
シンジの背後……いや。重なりあう、女の子の姿を。
「使徒……」
知っていた。
その少女の顔と姿。
「ファーストチルドレン、綾波、レイ！」
まさかと思った。
「使徒と共棲しているんですか、あなたは！」
違うよとシンジは答えた。
「融合だよ」
「融合！？」
「融合型のデバイスなのさ。君のバルディッシュとはまた違った機能を持っている。ただの道具だよ」
デバイス？ フェイトは一瞬気を抜いた。
「使徒では……ない？」
「君は人類ホカン計画っていうのを知ってるかい？」
唐突だった。
ＡＴフィールドが消える。勢い余ったフェイトは真っ逆さまに落ちる。あわてて壁に手をつき、支点を作って上下を正常な位置に戻す。
「あ」
正面を取られた。開いている左腕で腰を取られた。
きつく抱きすくめられる。
「離してくだっ」
真正面、間近にシンジは顔を近づけた。
「ホカンの字は保存するの保管。人類保管計画。ゼーレという組織が立てていた予備の計画の話だよ」
キスされる寸前、唇が触れるかもしれない、ぎりぎりの距離での会話に、フェイトは反射的に身を引こうとした。
しかし、下手に暴れると、小さなアスカを傷つけてしまいそうだった。それが怖くて、フェイトは身じろぎ以上のことができなかった。
シンジは語る。
「それは読んで字のごとくって奴さ、そのままのものだよ。第一目的である人類補完計画が成功していた場合、サードインパクトによって人類は昇華され、消える運命にあった。だけど失敗した場合はどうなるんだ？ 人の形を失った魂は、器をなくしたまま霧散する？ それではただの集団自殺だ。だから、ゼーレは保険をかけていたんだよ」
「なにを……言ってるんですか？」
「三年前の裏の話さ。人が人の形を失ったとしても、そこに魂を受け入れる器が用意されているのなら、魂は器に宿って、再び命となるかもしれない。魂がなくても器は作れる。そして器があれば魂は吸い寄せられる。そしてそれは実証されていた」
はっとする。
「ファーストチルドレンの、コピー」
うんとシンジはうなずいた。
二人目、三人目と続いた綾波レイ。
「オーストラリアの施設には、頭のおかしな人がいたよ。死んだ娘を生き返らせようとして、まるでどこかの奥さんを生き返らせようとしていた親父と、同じようなことを、別の方法で考えている人がいたんだよ。きっと保管計画の資料でも手に入れていたんだろうな」
あるいは当の立案者かとも口にする。
聞かされるだけのフェイトの顔に陰がよぎったが、シンジは気付かなかった。
「君も居たんなら、知っているだろう？ プレシア・テスタロッサ博士だよ」
「知っています」
フェイトの声は震えていた。
「わたしの……お母さんです」
身をこわばらせるフェイトに、シンジはそうかとつぶやき、優しく力を入れ直し、抱きしめた。
「ごめん」
「いえ……」
理解する。彼女が生み出された経緯を。人類保管計画を利用して作り出された器であるのだと。そして宿された魂が違っていたために、別人としての人生を歩んでいるのだと。
シンジは語る。慰める言葉もないままに。
「レイＩＶはね、プレシア・テスタロッサ博士の研究を応用して、使徒の再生と人型への固着を行おうとしたサンプルなんだよ。人型の器を作れば、綾波レイの魂が宿るんじゃないかってね」
ドンと振動が聞こえた。
「来たな」
「え？」
「機族……ガジェットだよ」
頭上に目をやる。
「あのガジェットも、たぶん、人類保管計画の産物だ」
「ガジェットも？」
「魂の器、それは有機物で構成されたもののことだって知ってるよな？ だがサードインパクトが起こったとしたら、形のあったものは残らない。それがたとえ、魂のない、コンピューターの部品であったとしてもだ」
彼女には思い当たる節があった。
「それは、ＭＡＧＩシステムのことを言っているんですか」
そうだとシンジは肯定する。
「バイオコンピューターは高速ではあったけど、そういう意味じゃ、サードインパクトを乗り越えられるものではなかったんだ。だから人類保管計画……生命体が途絶えた世界の管理と記録には使えない。そこでゼーレは、旧世代の、完全機械式のコンピューターを頼ることにした」
「管理って」
「保険としての、人類復活プログラム。それが人類保管計画なのさ」
話が戻る。
「魂が霧散するまでに、魂の受け皿となるものの生成とクローニングを行う。そうすれば、魂たちは自然とそこに帰還して、人類……いや、地球の生命体は復活すると考えられたんだ。だけどそれだけじゃ、自然に滅んでしまうかも知れないから、見守り、導き、監視し、監督するなにかが必要だと考えられ、用意された。そしてそのために手足となり、働く機械のことが考えられた」
「それがガジェットの正体だって言うんですか？」
「確証がある訳じゃない。あれは俺の知っているものとはまた違っているからな」
ただと付け加える。
「あれにはバイオコンピューターが搭載されているって話だったよな」
「はい」
それはどこから来たものなのか？
「機械式のコンピューターの計算力では、突発的な事態に対処できるフレキシブルさとスピードは期待できない。そこで考えられたのが、まず機械式のコンピューターに、バイオコンピューターを作らせることだったらしいんだよな。どうせ保管って予備計画が動き出すのは、サードインパクトのあとのことになるんだから、生きているものなどいない世界の、外敵なんて存在しない状態での話になるんだから、そのくらいの時間を追加しても、別段問題にはならないだろうってな」
まるで初めてエヴァンゲリオンの起動実験が行われたときのように、と、彼は冗談を言った。
「そしてサードインパクトが発生した。旧世紀の機械式のコンピューターは、予定通りに起動し始めた。だけど起動した世界には、予定外のものがうごめいていた……ここからは憶測だ」
「予定外のものって」
「人間……いや、旧世代の生物さ」
フェイトは口を開くのをやめ、本部の指示にしたがった。
好きに喋らせろという指令が届いたのである。
「コンピューターのプログラムは、再生生命体について、クローニングのミスなんかによる不良固体を間引くように設定されていたはずなんだよ。だけど実際には世界は滅びなかったし、人もそれ以外の生物だって生き残っていた。生き残ってしまっていたんだよ。だったらどう判断するかな？」
シンジは真っ直ぐにフェイトと目を合わせた。
あるいはその向こうにいる人たちに、話して聞かせようとしているかのようだった。
「全生命体が消失した世界であることを前提にして、プログラムが組まれていたとしたらどうかな？ コンピューターに、生き残った生命体と、再生された生命体とを、区別して間引くような話が教え込まれていなかったとしたら？ だったらプログラムは、プログラムされているとおりに、生命体の健康診断を実行するんじゃないのかな？ そして不良体と判別した旧人類を、間引こうとして動き始めたとしてもおかしくはないよ」
「憶測……なんですよね」
もちろんと笑う。
「もしその通りなら、ガジェットは人に対して殲滅戦を仕掛けてきているはずだよ。だから、さっきのはあくまで俺が調べ上げた上での話だ。どこまでが真実かはまた別の話さ。そして確かめる方法はただ一つだ」
「北へ」
しかしフェイトには、彼の話が真実のような気がしてならなかった。
ドッと音がして、いままさに通り過ぎた場所が側面から破壊された。ガジェットだった。
破片と共に落ちてくる。
エレベーター最下層乗降口の扉が、内圧によって吹き飛んだ。
煙の中から転がり出たのは、シンジとアスカにフェイトである。
「無茶するよな、まったく」
ねぇっと、フェイトの頭を押さえるように手を置いて、くしゃっと撫でてから立ち上がり、彼女が顔を上げる前に駆けだし、逃げた。
「待って！」
もちろん、待つわけがない。
追うため片膝立ちになり、立ち上がろうとして、彼女は背後の破壊音に足を止めて振り返った。
乗降口を押し広げ、壁にヒビを入れて、巨大な蛆と成り果てたガジェットが頭を覗かせている。
フェイトはマントを払い、バルディッシュを構え直した。先端部を折りたたみ、砲撃フレームへと変形させる。
「サンダースマッシャー！」
彼女はガジェットに向かって牽制の攻撃を放った。至近距離での一撃。雷光が目前で派手に弾ける。
反動で一瞬後退するが、マントがはためき、反動を相殺する。
「くっ」
反転、シンジたちを追う。どうせ破壊することはできないのだからと、ガジェットは置き去りとすることにした。ガジェットを屠るほどの攻撃はできないからだ。施設の階層位置を考えれば、威力を強めることはできない。施設の底面を抜いてしまう可能性が恐ろしかった。
箱根の地下に、彼らは巨大な古代湖を発見していた。この基地はその古代湖にまで達している。
もし外壁を破壊してしまうと、水没は免れない。
フェイトは先を走るシンジの背中に疑問符を投げかけた。
不思議でならない。どういうつもりかと考える。
こうして追いすがることができるのは、彼が与えてくれたこのバリアジャケットの力があるからだ。彼がバルディッシュと深くつなげてくれたからである。
これらのことに関して、彼にはなにも得がない。感謝して、見逃せとでもいうのならまだわかるのだが、逆に追いかける手段、そして止める手だてを残してくれているように思えてしまう。
なによりも、自分が追うことを許してくれている。
「いったい、なにを考えているんですか、あなたは」
「逃げられる、まずい、まずいよ！」
一方、なのはである。
偉そうなことをいったものの、手詰まりの状態に陥っていた。
サソリとなった戦闘機は、ガシャガシャと動いて建設中の地下鉄構内への搬入口へと潜り込んでいく。
走って追うなのはであるが、通常人以上の脚力を持ってしても、時速は自転車よりも上といった程度であり、フェイトのように飛べたらと願う。
飛ぶという行為は、実に複数の魔法──魔術、方程式によって成り立っていた。
舞うための浮遊魔法、移動のための加速魔法、大気圧に耐えるための防御魔法、ｅｔｃ．……。
フェイトはこれらの計算と実行を、バリアジャケットに頼っている。それを知らないなのはは、やろうと思うと自分の頭で計算するしかなく、それほどマルチな計算ができるほどには、人類の脳は便利ではなかった。
魔術には、あまりにも複雑な演算能力が要求される。これができるからと、ジェネレーターに分類されている人間もいるのだが、あいにくなのははそうではなかった。
そんななのはに、本部からの通信が入った。
『なのは！ 地下基地の機材搬入口を開けるから、先回りして』
「わかりました！」
「さてと……終点だ」
アスカを下ろし、シンジは巨大な隔壁を見上げた。
「まるでドグマの扉だな……」
手で触ってみる。
もっとも、スケールとしての話である。自分がエヴァのサイズなら、そう感じられる扉だという話であって、実際にはただの大きな扉である。
命じるまでもなく、レイＩＶがフィールドを展開。右腕に集束し、光の鞭を発現。隔壁に鞭を走らせた。
厚みや鋼材の質など問題にはならない。切れ目を入れたところで、鞭は手のひらに収縮、光球となり、回転した。
そして、放出。
ビームが隔壁を吹き飛ばした。
ゴン！ 大きな音を立てて、扉だった物が倒れた。それを踏み、シンジとアスカが室内に入る。
「うわ……なんだこれ」
「すご……」
ふたりは空間そのものに驚いた。
天井は五メートル、左右の直径は二十メートルほどの空間だった。
その中央に、半身を床の窪地に沈める形で、異形の存在がたたずんでいた。
甲羅のような兜に、騎士のような鎧。
しかし全体的にはどう猛な怪獣そのものだった。
甲冑には昆虫の殻のように筋が入っているし、鎧の下の体には筋肉や血管が見られる。怪獣を無理矢理に人の形に整形している。それは立ち上がれば五メートル弱の身長であろう巨人であった。
周囲には観測機械や操作盤が配置されているのだが、巨人を中心にあふれ出している苔や草木、つまりは『緑』が、隔離施設を埋め尽くそうとしていた。
ふたりの背後にフェイトが降り立つ。彼女もまた驚いていた。
「これは……。なに？ どうなって」
「あいつのせいだよ」
顎をしゃくって教えてやった。フェイトは中央の巨人に、眉間にしわを寄せた。
「なんです、あれは」
「理力甲冑騎だよ」
「理力……？」
「無事だろうとは思っていたけど、こんなところに運ばれていたとはね」
ぶんと、兜の下の目に光が灯った。
顎がわずかに開いて、熱い息がこぼされる。
歯ではなく、並んでいるのは牙だった。太い舌が奥でうごめく。
「生きてる！？」
フェイトは驚き、杖を構えた。だがその杖は、シンジの手に押し下げられた。
「そういうものなんだよ」
頭上に話しかける。
「これが、君たちが必死になって隠そうとしていたものの正体か！」
カメラのレンズをにらみつけると、背後で破壊音がした。ガジェットだった。近づいてきているのだ。
あわせるように、大きな振動が引き起こされた。フェイトはびくりと身をすくめた。
それは巨人が、腕を窪地の縁にたたきつけた音だった。体を穴より引き抜こうとしているのだ。
抜け出そうとしている。そして腹の部分に座席が見えた。
体を埋めるような座席だった。シートの肘掛けに腕を入れるのであろう覆いがある。
元は腹にも鎧があって、その『操縦席』を隠していたのであろうが、今は丸裸だった。
「使徒でもない？ 一体これは」
「君たちが信じない、信じることの出来ない、信じられないようなところから来たものだよ」
「あなたを拘束……いえ、そうではなくて」
フェイトは混乱する頭を振った。自分自身に対して、混乱するなと命じる。
「ガジェットの狙いは」
「これだろうな」
フェイトは剣呑に目を細くする。
「すべては計算通りというわけですか？」
「まさか！ なにがあるんだろうってね。言ったろ？ 北に行きたいって。もし使えそうなものならって……怒るなよな」
頭を撫でようとしたのだが、今度は手で跳ねられた。
ちょっとすねるシンジである。
フェイトはバルディッシュごしに、地下鉄路から本部地下へと侵入したガジェットの位置を知らされた。
向こうもこちらを目指していて、巨体を滑り込ませる道を探しているようだった。
「外のガジェットも、ここを目指しています」
「行くよ」
「行くって……これに乗るんですか！？」
もがき、主を求めている理力甲冑騎を背景に、シンジは笑みを見せた。
先にアスカが駆けていく。
「君も乗るかい？」
一方、なのははテンパっていた。
エレベーターの中で通信機を相手に不思議な笑みを浮かべている、主に口元に。
「構造図見た？ うんそう。第七のＡ区画から第八のＦ区画に向ければ重要区画は避けられるから、……いけるよね？」
うつむき、前髪で顔が隠れて表情は読めない。だが口元に浮かんでいる笑みだけで、かなりなことを予想、想像、妄想しているとうかがい知ることができる。
くふっ、くふふっと、奇妙な笑いが漏れ、こぼれた。
その笑いから想像できるそのままの表情で顔を上げた。
「おっきいの、いきます」
「狭いけど我慢してくれ」
中央のシートに座るが、背後には肉の盛り上がりがあるだけで隙間などはない。
ただ後頭部の真上には、なにかをしまうのであろうハッチがあった。壊れているのか、蓋は開きっぱなしになっている。
フェイトは、失われてしまっている、正面ハッチの底面部分の縁に腰掛けた。左側である。
片手は頭の上のフレームに、そして足でつっぱって体を固定する。
アスカはシンジの左胸に頭を預けるように、膝の上に座った。
「これでいけるよね」
巨腕が動いて、フェイトの体勢を補強する。
合わせたように、部屋の入り口からガジェットだったものが飛びかかってきた。
全身が焼けただれていた。融解した金属がゴムのように垂れている。顔面がえぐれているのは、フェイトの一撃が原因だろう。
もはや野太いミミズだった。ただし、頭の先に胴体と同じ大きさの丸い口を持っていた。
鋭利な牙が胴の奥まで、螺旋を描いて並んでいた。
──フェイトには知覚できなかった。
気がつけば理力甲冑騎の右腕がガジェットを掴んで振り回しているところだった。
上半身だけを使い、腰を回し、投げ捨てる。
壁にたたきつけられたガジェットがのけぞった。
「シンジ！ 剣がない！」
「レイＩＶ！」
シンジから身を投げ出すように、少女をかたどった赤い霧が剥離し、そのまま倒れて理力甲冑騎へと消えていった。
途端、唸るような振動が理力甲冑騎より発生した。
「理力動力炉、全開！」
「いっけー！」
アスカがぶんっと拳を突き出す。
合わせて理力甲冑騎が右手を開いて突き出した。
その手より放出されたビームがガジェットを貫く。
バラバラに分解し、四散する。核とおぼしきものが熱によって蒸発した。
残骸が転がる。どれも動かない。もう動かなかった。
フェイトは愕然とした。
「こんなに、簡単に！？」
「まだだ！」
シンジは叫ぶと、操縦筒に差し込んでいる腕を支えに、席から立つように踏ん張り、腰を浮かせた。
──併せて、巨人が立ち上がる。
同じタイミングで、天蓋の一角に亀裂が入った。ばたばたと壁材のパネルが崩れ始める。
キシャオゥンと鳴き声を上げて、完全に機械生命体化したガジェットが現れた。
開けた穴より半身を乗り出し、右の鋏を理力甲冑騎へと向けた。鋏の奥に、エネルギーの集束する光が見えた。
「そんなものでぇ！」
シンジが吼えると、理力甲冑騎はくんっと顎を上げた。
ＡＴフィールドが発射されたレーザーを弾く。まるで眼光が光の帯を散らしたようであった。
弾かれたレーザーが幾条もの雷光となって暴れ狂って、原生林を焼いた。
レーザーがとぎれたところで、理力甲冑騎が一気に動いた。無理矢理引き抜いた右足をくぼみの縁にかける。足は前二本、後ろ一本指の三本指で、指の先には猛禽類の爪があった。それが縁に強く食い込む。
膝の力だけで体を抜き、伸び上がり、右腕をガジェットへと伸ばす。その手をガジェットは鋏で弾き……。
二者が狭い室内で絡まり合った。互いにもつれ合いながらも、取り押さえようと暴れ回り……。
そのときだった。
どこからか聞こえる、高い声。
──すたーらいとぉ……。
「なのは！？」
上に下にと景色が入れ替わる中、必死に耐えていたフェイトの顔が一気に青ざめた。
──ばすたぁああああああ！
シンジも本能的に危機を感じたのか、身をすくめ、理力甲冑騎の名を叫んだ。
「サーバイン！」
ドクンと鼓動がシンジから発せられ、それがサーバインへと伝わり、そして大気、空間へと、物理的波動となって発生する。
直後、爆発。
天上より貫いてきた巨大なエネルギーが、ガジェットを臀部より頭頂部へと貫き、飲み込み、蒸発させて……サーバインを直撃した。
フェイトがなにか叫んだが、サーバインの展開しているバリアとエネルギーの衝突、摩擦音でかき消された。
バリアで拡散されることになったエネルギーは、それでも施設を切り刻み……爆発を誘発。
あげく、とうとう隔壁を抜いたのか、サーバインの足下から水が吹き出し、噴水となってシンジたちを飲み込み、水没させた。
そしてこの結末に、撃ったなのはは、「ありゃ？」と、非常に端的な感想を残したのである。
続く！