室内は照明を落とされ、人の気配はまばらだった。
 頭上のスピーカーから、状況が報告される。
【ガジェットの侵入に対し、フロントアタッカーNは直射攻撃を選択】
 ううっと、胸を押さえるような苦しみの声が、隅から聞こえた。
【収束型エネルギー砲撃によってガジェットは消滅。しかしながらガジェットの爆発、及びNの砲撃の過剰エネルギーによって、最深部は崩壊】
 水没した下層施設の様子が映し出される。
 ダイバーが修復活動を行っていた。
「生きてたら奇跡ね」
 揶揄するのは聞き慣れたアスカの声だ。
【流入した地下水によって最下層二ブロックが水没。これに伴い、機密区画を放棄】
 以下延々と緊急時における対応が報告されるのだが、最終的にはその九十パーセントが稼働されたというのだから、被害の大きさは甚大というレベルを超えていた。
 映像が終了し、室内に明かりがともる。
 中規模のブリーフィングルームであった。正面にモニターと、その脇に上官、上司が一名ずつ。一方、説明を受ける側の席は、二名がけの机が横に三列、後ろに五列並んでいた。
 座っている中に見知った顔がある。なのはとアスカのふたりであった。
「結局……」
 上司であろう青年が頭痛をこらえてうめきを上げる。
 シンジと同程度の年齢の青年であった。だがスラリとした肢体と、甘い顔つきといい、シンジとは対極にある好青年である。
「一番大きな被害を出したのはなのはってことだな」
「ちょ、ちょっと待ってよ、クロノくん!」
 なのはは必死になって訴えた。
「碇さんは!? あと機密区画のなんとかっていうのとか!」
「なんとかって、名前が出せない以上、それは存在しないものとして処理するしかないんだよ」
「大人って汚い!」
 あうあうと必死になって訴える。
 その様子に、上司側の女性が口を開いた。
「あんまりいじめない方が良いんじゃない? クロノ」
「エィミィは甘いんだよ」
「あー、そんなこと言っていいのかなぁ?」
 ねぇっと、なのはを見て、それからうりうりとクロノを肘でつつく。
「なんだよ」
「なのはちゃんに嫌われちゃうぞぉ?」
「そーだそーだぁ! 嫌っちゃうぞぉ!」
「君たちは……」
 まったく反省の色がないなと……クロノは頭痛を堪えた。
 他にも面倒な報告が上がってきていたからである。芦ノ湖に正体不明のエネルギー放出が観測されたというのである。
 湖面から天に駆け上り、夜空の彼方へ消え去ったというのだ。続いてなにかが飛び去ったという話もあった。それも虹色の航跡を残してである。
 この街の地下に存在している地底湖と芦ノ湖との間には、通じているような洞窟はない。これは調査済みのことである。
 だがビームと思われるエネルギー放出のあった地点を調べたところ、穿孔窟が発見された。


 森林の中、フェイトがバルディッシュを振り上げる。
 顕現した光の鎌が、シンジの首を狙って襲いかかった。
 一歩踏み出し、シンジは鎌の内側に入る。柄を左手で受け止め、右手をバリアジャケットの胸に当てた。
「きゃ!」
「はい終わり」
 バリアジャケットが変形する。
 前が合わさり、袖が消え、縛り上げるように彼女の体を拘束した。
 地面に転がりそうになる彼女を、取り落とされたバルディッシュ共々、シンジが腕に抱き留める。
「そう睨まないで欲しいんだけどな」
 苦笑しつつ、木の股の間に彼女を下ろし、バルディッシュもその隣に並べた。
 フェイトはシンジを見上げ、唇を噛んだ。
「わたしをどうするつもりですか」
「暴れるからだよ」
 苦笑する。
「感謝して欲しいとは言わないけどさ」
「あなたのせいで、ああなったのでしょう?」
「君の同僚がやったことだろ?」
「それは……」
「安心してくれ。別に君をどうこうするつもりはないよ。放っておけなかっただけだ」
 シンジの背後にはサーバインの姿があり、片膝を立てて腰を落としていた。
 コクピットの縁にはアスカの姿があり、足をぷらぷらと揺らして、二人のやり取りを眺めていた。
「人類保管計画」
 フェイトは必要な情報を得ようと必死だった。
「本当のことなんですか」
「信じて欲しいけどね」
 暴れないでくれと頼み、シンジは拘束を解いた。
「良いんですか?」
 体をほぐすフェイトに、シンジは言う。
「別に俺たちを傷つけたいってわけじゃないんだろう?」
 フェイトはバルディッシュを拾い上げると、サーバインの足下へ歩き、その肌に触れた。
「……知らない質感です。バルディッシュ?」
 バルディッシュが本部との回線を開き、データを検索する。
 そのデータを受けて、フェイトはため息をこぼした。
「これじゃあ、碇さんの話を鵜呑みにするしかないですね……」
「なにがわかった?」
「碇さんが、これを動かしているからです」
 理力甲冑騎のことである。
「今、本部の秘匿情報を検索しました。研究の結果、これの存在をどう証明しようとしても、だめだったということです。この次元、世界には存在するはずのないもの。それがわかっているすべてだということです」
 話を続ける。
「材質は生物そのもの。だけどどこまで遡っても、この地球上には存在しない生物のもの。だからといって人工的な生物ではなく、遺伝子的には問題なし。この外骨格らしい装甲についても、材質の構成素材が、あり得ないものだという以上のことがわからない……」
 一つ疑問が解けましたとフェイトは口にする。
「隣の大陸でも良かったはずなのに、どうしてこの島国に基地が置かれたのか。これのためだったんですね」
「どういうことさ」
「隔離島だったんです。オーストラリアの轍を踏まないための」
「ああ……」
「本当の復興は大陸側で行われるということなんですね」
 シンジへと振り返る。
「話して貰えませんか?」
「なにを?」
「すべてを」
 真剣な瞳に、だけどねえぇとシンジは首をひねる。
「聞いたからって、信じられるような話じゃないぞ?」
 フェイトは即座に返した。
「信じます」
「けど……」
「どれほど非現実的な話であっても、それを信じるしかありませんから」
 そういう考え方もどうかと思うけどと、シンジはアスカを見上げた。
「良いんじゃない?」
「良いのか?」
「人は、信じたいものを信じるし、見たい物だけ見るよ」
「そういう言い方はやめなよ」
「シンジから教わったんだよ」
 ちっと舌打ちし、シンジはぼりぼりと頭を掻いた。
「いいけどさ」
 フェイトに対する。
「突拍子もないって言葉、知ってるか?」
「長い話なのですか?」
「話しをするのは苦手なんだよ」
「話が長くなるのなら、その方が良いです。長い嘘話は、どこかで矛盾が生じるものですから」
「言ってくれるな」
 肩をすくめた。
 それじゃあ、かなり長い話になるからなと、シンジは前置きをしたのであった。
「スタートは二年前。収容施設とは名ばかりの使徒関連技術研究所の消滅事故。君が生まれたというあの場所で、俺は本当なら死んでいるはずだったんだ」


 ──気がつけば、そこは草原であったとシンジは語った。


 ぼーっと、シンジは空を見上げていた。
 大の字になって、背中を草に預けていた。空が狭いのは、草の丈が高いからだ。
 自身の体で押しつぶしている分の空しか見えない。
「知らない空だ……」
 見たこともないような青空だった。
 なによりも、太陽の隣に、真っ黒な天体が浮いている。
 大の字になっている体は、なにもかもを無くしたあの頃より、とりあえず身長が伸び、そこそこの上背を持つに至っていた。
 顔つきは、まだそれほど悪相が出ていない。面影はそのまま、頼りなさが残っている。
 十六歳の時は、そんなものであった。
 手を胸の上に置く。
「居るのか? 君も……」
 ふぅと息を吐く。そして。
「いてっ!」
 体を起こそうとすると、ぎしぎしと悲鳴を上げた。それでもシンジは我慢をして、起き上がろうとした。
 着ているものは水色の診療服である。
「はぁっ!」
 体が地面から三十度ばかり浮き上がる。
 だがそれ以上は無理だった。
 んーっとしばらく頑張ってみたが、腹筋が痛くなるばかりである。あきらめてまた倒れこんだ。
 空に鳥が飛んでいた。鷹か鳶だろう。旋回していた。
「死んだってことなのかな……これって」
 風のにおい、緑の萌えるにおい。
 濃厚な空気の臭いが、彼の死を否定する。
 そして聞き慣れない音もまた。
「キンキンってさ……」
 あははと笑ってみた。
「まるで剣で戦ってるみたいな音だよな」
 きんきん、かきん、きん……。
 頬が引きつり、固まった。


 丘陵に近い山の斜面を、少年と少女が逃げていた。
「くっ」
 少年は一人振り向き、剣を構えた。
 少女に叫ぶ。
「行け! 先に行け!」
「リョウジ!」
「行くんだ、ミサト!」
 少女はまだ十にもならない女の子を背負っていた。
 追ってきた三人の男に対し、少年は言い放つ。
「姫は渡さない!」
「なら、死ね!」
 少年は剣士ではなく、剣を持っているだけの男の子であった。
 それゆえに、この先の展開は知れていた。
「リョウジ!」
 明確すぎる未来図に、ミサトは悲鳴を上げざるをえない。三人の男が斬りかかる。
 リョウジが身をすくませ、目を閉じようとした、その瞬間。
『くぁ!』
 三人の男が同時に吹き飛んだ。
「な……」
 リョウジには、なにが起きたのかわからなかった。突然、自身と同じ頃合いの少年が現れ、間に割り込んで立っていた。一体どこから現れたのか……その少年の口から驚愕とおぼしき言葉が漏れ出して、止まっていたときが再び動いた。
「嘘でしょ」
 彼はリョウジという少年と、連れの少女の人相に対し驚いていた。
「そっくりじゃないけど……面影はあるし、それで名前が加持さんと同じだなんて」
 ぐ、う……とうめく声に、彼、シンジは、吐息をついて、改まった態度を取った。
 似ている。それだけで、十分に味方をする理由になった。
「なにがなんだかわからないけど」
 シンジは態度を決めると、尻餅をついている大人たちを見下ろした。
「ここは悪役らしく、捨て台詞を吐いて引き下がってもらえませんか?」
 剣士たちは、それぞれ切っ先をシンジへと向けたまま、立ち上がる。
「なにを……貴様、どういうつもりで……何者だ」
「何者……って」
 そっちこそ、ファンタジーRPGゲームの悪役戦士みたいな格好をして、と思う。
「小さい子を連れた子供を、大人が刃物を持って追いかけ回して、死ねとかさ……」
「かまうな」
 男の一人が、話す必要はないと押しとどめた。
「見られた以上、殺さねばならん。話す必要などはない」
「いま殴り飛ばされたばかりで、よくそんな口がきけますね?」
 くぁっと、奇妙な声を発して、男の一人が投げナイフを放った。
「くっ」
 シンジはとっさに首を曲げてかわした。
(雑すぎて、読めない!)
 訓練を受けた身であるから、多少の心得は持っている。
 しかしそれらは洗練された技術を持っている相手に、訓練の一環として授けられた技術であった。
 反射神経に頼るような、力任せの、粗雑な戦いには慣れていないのである。
(だけど!)
 使徒よりはわかりやすい。シンジは次にくる投げナイフを手に入れることにした。
 手のひらをかざす。その人差し指と中指の間に、吸い込まれるように投げられた刃が通り、柄が指にかかって、ナイフはとまった。
 くるりと回して、手に入れた武器を握る。
 それは人間離れした技だった。
 反射神経うんぬんの問題ではない。
(なんとかなるな)
 だが『敵』は、そのような異能を特に意に介したりはしなかった。むしろ当たり前の行為のように受け止め、次撃に出る。
「イェアァ!」
 裂帛(れっぱく)の呼気と共に斬り下ろされる白刃を、シンジはナイフでいなした。刃の軌跡に身を沿わせて受け流す。そのまま男の腹に拳を入れて、気絶させた。
「ヤァ!」
 続く気合いが大気を貫く。その甲高い声にシンジは一瞬しびれたが、それはそれだけのことにすぎなかった。
 薙ぎ払われた剣を身を引いてかわし、過ぎる刃に追う形で蹴り足を入れて、持ち主の手からすっぽ抜けてしまうほどの加速を与えてやった。
 得物が消えたことにぽかんとした男の側頭部に、剣を蹴った回転力を生かして、後ろ回し蹴りを放つ。かかとを鋭くたたき込んだ。
 吹っ飛ぶ二人目。
 三人目は躊躇した様子であったが、迷ったあげくに、身を翻した。
「逃がすな!」
 リョウジが叫ぶ。
「君のことが知られるぞ!」
 ナイフを投げそうになったが、思い直して、足下にあった手頃な石を拾ってスローイング。
「がっ!」
 後頭部に直撃を受けて、男は草の海の中に沈んだ。
 ぽかんとした様子でミサトが口にする。
「助かった……の?」
「ああ、そうみたい……だけど」
 呆然とする二人に、シンジは「はぁ……」と振り返った。
 なにから尋ねればいいのやら……と、シンジは天で輝く太陽に寄り添う、『黒い月』を見上げる。
「あれ……【あれ】とか、言わないよな」


 一人はリョウジ、一人はミサトと名乗り、シンジへと礼を述べた。
「追われてる理由は……」
 シンジは答えなくても良いと遮った。
「わかるよ、言わなくても、想像はつくさ」
 視線をミサトがおぶっている子供へと向ける。
 熱にうなされているようだった。
「大丈夫なのかい?」
 ミサトがかばうように動いて、シンジの視界から隠そうとする。
 そんな態度に、リョウジはすまないと言った。
「熱が下がらないんだよ。だからといって、どうしようもないからな」
「意識もなしか」
「熱冷ましじゃ、もう追いつかないんだが」
 暴漢に襲われていた場で、姫という叫びを聞いている。
「その子がどういう子供なのかは知らないことにしておくけどさ……」
 思い切って、リョウジは尋ねた。
「なぁ、どうして助けてくれたんだ?」
 なにを今更とシンジは答える。
「君たちとあの人たちと、どっちが正気に見えるかで決めただけだよ。放っておけないと思ったから手を出しただけで、深い意味なんてないよ」
 でもなぁとリョウジは詮索する。
「本当に通りすがっただけだったっていうのか? あんな場所で……」
 落ち着いて話すリョウジにいらだちが限界を迎えたのか、ミサトが吼えた。
「あんた、誰よ!」
「おい、ミサト」
「怪しくない? 怪しすぎるじゃない! 猟師だって入らないような山の上で、荷物もなにも持たずに、その上……なに? その服、異国の服? いいえ」
 目を細くした。
「その布、まるで機族の衣装にそっくりじゃない!」
 リョウジが苦虫をかみつぶしたような顔をする。彼は彼で、シンジへと余計な警戒心を抱かせないよう注意して探っているつもりだったのだろう。
 どうにもなぁと、シンジは後頭部をかいた。
 なにか気に障っているようなのだが、キゾクだのなんだのと、固有名詞が理解できないのだ。
 答えようがない。
「わからないことだらけなんだよ……僕だって、どうしてあんなところに転がっていたのか、知りたいんだから」
 本当に知りたいのは、ここがどこで、ふたりが何者であるのかなのだが、それは尋ねなかった。
 これが小説や映画であれば、君たちは何者なのだと問いかけると、明確に、たとえば宇宙人だの、異世界人だのと、答えが返ってくるはずなのだが、人間が人間であると言えるのは、自分たちが人間であると定義付けているからだ。これは学問の問題である。
 しかし学問をする暇もなく、歴史を書として残す慣習もなければどうであろうか? 自身が何者であるかなどという哲学が通じる世界が生まれることはない。答えを持っているはずがない。ましてや足下の大地に、星としての名前を付ける慣習などは発生しないだろう。
 ここがどこなのかはわからない。だがシンジとて自分が住んでいた『世界』の名前など知らない。強いて言うならば『三次元:地球』が限界だった。彼らに尋ねてみたところで同じことだろうと思えた。ここはシンジの住む地球から、何十次元離れた世界だ……などという明確な答えが得られるとは思えない。せいぜいが、どこそこの誰それという、知らない地名と名前が聞き出せる程度だろう。
 彼らが生きるにおいて、それは十分な情報であろう。
 もっとも、もし答えが返ってきたのなら、それはそれで処置に困るというものである。
「まあ、怪しいだろうけどさ」
 シンジは妥協案を提案した。
「だったらここで別れることにしようか。それで君たちが安心できるってんなら、それでいいだろ?」
 ミサトが激しく噛みついた。
「できるわけないじゃない! 本当は連中の仲間なんでしょう!? だから誰も殺さなかった。違う!? ここで別れるっていうのも振りだけで、あの連中と合流して、それから」
 きょとんとしたシンジであったが、ミサトがなにを心配しているのか、理解すると同時に、吹き出した。
「なにがおかしいのよ!」
 ミサトはあくまで真剣である。
 ごめん、ごめんと押しとどめる。
「だってさ……」
 目尻に浮かんだ涙をぬぐってシンジは言った。
「僕がその気になったら、この場でふたりとも、どうにでもすることができるのに?」
 ミサトの表情がこわばり、リョウジもゆがめた。
 その通りであるからだった。ふたりの技量は、シンジに対して通じるものではない。
 先ほどの戦いがたとえ演技であったのだとしても、ふたりには目で追うことのできないものであったのだ。
 リョウジは、現実的な提案を行った。
「君はここがどこだかわからないんだな?」
「まあね」
「じゃあ一緒に行くか」
「ちょっと、リョウジ!」
 焦るミサトに、黙ってろと言い含める。
 軽薄に見える顔つきをしているが、同時に食えないものを滲ませている。ミサトはリョウジの顔つきにそういったものを嗅ぎ取り、黙った。
 改めてと切り出す。
「俺たちは山を抜けて、向こうにある独立領に入るつもりだ。その土地の領主様ならかくまってくれるから……領には(いち)もある。そこでならここがどこなのか、自分で調べることだってできるはずだ」
 どうだろうかという提案に、シンジは不服そうにしているミサトを一瞥(いちべつ)してから、助かるよと肩をすくめた。


 背中から突き刺さるのは、怪しい、怪しいと疑うばかりの、きつい視線だ。
 はははと猫背になりながら歩いているから、背中が凝ってしかたがなかった。
「悪いな」
 隣を歩くリョウジが、苦笑とともに謝罪する。
 山を下り森林を抜け、雑木林に入ることになった。猟師道らしい、かろうじて存在している道を頼りに進んできたのだ。
 リョウジが先頭に立って剣で枝を払い、シンジが続いて、最後にミサトである。
「だがまあ、君にとっても、俺たちは似たようなものだろう?」
「似たようなものって?」
「怪しいだろうってことさ」
 笑い合う。
「確かにそうかも知れないけどさ」
「どうした?」
「僕ほど怪しくはないと思うよ」
 嘆息する。
「追われてるってるのは、事情があるってことじゃないか。事情っていうのは、関わってる人間、人物、背景があるってことだろう?」
「なんだそりゃ?」
「君たちがどこの誰なのか、調べればわかるってことだよ。でも僕にはなにもないんだ。僕自身どうしてこんなところにいるのか説明できないし、どこを調べたってなにも出てこないよ」
 ああとリョウジは納得する様子を見せた。
「そういうことか。少なくとも俺たちには、名前を呼んで追ってくる連中が居るものな」
 だがまあおかげでと、リョウジは口にする。
「安心してコウゾウ様の独立領に近づくことができる」
 シンジは引っかかりを覚えた。
「なんだって?」
「追ってくる連中は、子連れの三人組を探しているはずだからな。一人増えてるだけでも」
 そうじゃなくてとシンジは独りごちた。
「コウゾウ様、だって?」
 また知った名前だと、眉間にしわを寄せる。


 ──シンジの感想としては、やはり中世がテーマのゲームの世界に迷い込んでしまった、といったものだった。
 コウゾウという領主が治める独立領は、彼の功績をたたえる意味で、国王から特別に分領されたものであった。
 湖畔に広がる市は、もう街と言ってもいい規模のものだった。石造りの住居と商店が軒を連ねて、自然と通りが出来上がっている。
 それらを見守る形で城があった。リョウジの言葉通り、シンジたちはよそ者の子供たちといった目で見られる程度で、城への大通りを歩んでいた。
 小さな領とはいえ、一つの国として栄えていた時代を持つ土地である。出入りする商人や旅行者の数はそこそこにあり、よそ者だからというだけで、そのまま怪しまれるようなことはなく、自然と紛れられる状態にあった。
「ってわけで、こうして歩いていても、噂の逃亡者だとはばれずにすんでるわけなんだがな?」
 雑踏の中を歩いていてさえ、王都の醜聞が耳に入った。
 王の寵愛を盾に、後妻に入った王妃が、連れ子を立てるためと先妻の子の暗殺を謀ったというのである。
 そしてその子を連れて、学士の娘と馬家番の息子が、追っ手をまいて逃亡中であるというのだ。誰のことかなど考えるまでもなかった。
「一応言っておくが、表向きの噂だからな」
「真実は別にあるって?」
 どこかで聞いた台詞だと思う。
「で、あの城まで行くわけか」
 背の低い山にめり込むように城はあった。
 城とは言っても、城壁や堀のようなものはなく、居住用に整えられた外見だけの物であるという話だった。行政府代わりの機関もそこにあるということで、城に向かう人の流れもある。
 近づくと、前庭代わりの公園があった。馬車道の左右には芝生があり、木も植えられている。花もあった。孫の面倒を見ている老人たちがくつろいでいる。
 一行は正面口を避け、城の左側にある林へと入った。城の人間が使うのであろう裏道をつたい、斜面を上る。先に少しだけ開けた場所があり、そこには複数の荷馬車が止まっていた。
 馬車の向こうには警備のものであろう衛兵と、小作人の姿が見える。小さな扉があって、格子が下ろされ、簡単には押し入ることができないようになっていた。。
 三人が近づくと、気付いた衛視が怪訝そうな顔を見せた。子供がおふざけで来ることはあるが、用件を持って来るということはない。リョウジは衛視に話しかけ、懐から手紙を出して、コウゾウ様に取り次いで欲しいと話をした。
 衛視は手紙の封を……蝋に押された判を見ると、邪険に追い払ったりはせず、扉の小窓から手紙を中の人間へと渡した。一行が城の一室へと招き入れてもらえるまでに、それから十分とかからなかった。


「よく来たな」
 出迎えたのは初老の男だった。コウゾウ様とミサトが泣き崩れ、彼は柔和な笑みをもって彼女を支えた。
 シンジは自分の知るコウゾウよりも、力強く、かくしゃくとしているのを見て、若いのかもしれないと思った。リョウジとミサトがそうであるからだ。
 コウゾウは居場所に困っているシンジを認めて、リョウジに尋ねた。
「知らない顔だな」
「シンジというそうです。途中で助けられました」
「助けられた?」
 目を向けられ、シンジはおどけて見せた。
「偶然、襲われてるところに出くわしただけですよ」
 そうかとコウゾウはシンジをねぎらった。信じている様子はない。
 余裕を見せてみたが、見抜かれたなと感じられた。第一、話を聞けば、人も分け入らない山の上での、偶然の遭遇だというのだから怪しすぎる。
「アスカ様だが、わたしの見る限り大事はないよ。一応、一番医学に明るい者を呼びに行かせたが」
「医者は?」
「医者ともなれば、王都で学んできている可能性がある。となれば、城との繋がりがあるだろうからな。呼ぶわけにはいかんよ」
「そうですか」
 ミサトが頼み込む。
「あの、アスカ様のところに……」
「ああ、行ってきたまえ」
「ありがとうございます」
 飛び出していった彼女の背中に、コウゾウはやれやれとため息をこぼした。
「相変わらず過保護なことだな」
 かけたまえと、コウゾウはシンジたちにソファーを勧めた。
「わたしは、元は王城につとめていた学士でね。その功績を前の王に認めてもらい、こうして地方に土地をいただいたという人間だよ。今は隠居を決め込んで、好きに学問に勤しんでいる身だ」
「そうですか」
 シンジは適当に合わせて相づちを打った。考えているのは別のことだ。この、出くわす人物の一致具合はなんだろうかと、そればかりが気になっている。
(わかったことはって言えば、若いってことくらいか……でもそれだって)
 リョウジたちはおおよそ十四・五才若いだろうか? しかしそれをそのままアスカに適用すれば、アスカは誰かのお腹の中にいなければならない計算になる。
 コウゾウもだ。十五より、もっと若がえっているように見える。
 どの程度、自分が知る人物よりも若いのかは、個人差があるのかもしれない。
「しかし実際よくたどり着けたものだな。噂はずっと早く、この領にまで届いていたというのに」
「関所を押さえるためでしょうね。わざと噂をばらまかれたようです。それもおかしな噂を」
「賞金をかけやすくするためだろうな。そのうち君たちには賞金がかかるだろう。時間の問題だ」
 その時はと、ふたりは沈痛な面持ちでため息をこぼした。
「君たちふたりは、人さらいとして、生死は問われないことになるだろうが」
 わかっていますと、リョウジはうなずく。
「ただ、俺たちはアスカ様をコウゾウ様の元へお届けしろと命じられただけで、これからどうすれば良いのか、それを指示してもらいたいんですよ」
「うむ。君たちを匿うくらいのことは簡単だが、君にそう命じた者は?」
「ユイ様の使いの者と言うことでしたが……どうした?」
 シンジが突然咳き込んだのだった。げほ、ごほっと、飲んでいた茶を気管に詰まらせてむせている。
 リョウジは怪訝な顔をシンジへ向けた。
「飲み慣れないものだったか?」
「ああ、うん……ちょっと、面白い味だね」
 君の問題もあるなと、コウゾウは興味を移した。
「見慣れない格好をしているが、どこの生まれだね?」
「たぶん、言っても信じてもらえないと思いますから……」
「面白いことを言うな。言ってみなければわからないだろう?」
「あなたの知らない、わからない、想像もできない土地の話がでてきたとして、信じてくれるんですか?」
 ふむと、コウゾウは顎を撫でた。
「つまるところ、信用のない時点で口にしても、無駄だと思っているわけだな?」
「そうなりますね」
 コウゾウは考え込む。リョウジはコウゾウが気分を害したのではないかと、少しはらはらとしたようだったが、コウゾウの様子に不快感は見られなかった。
 シンジの態度に、はぐらかそうという意図が見られなかったからである。心底そう思っているとわかるものだった。
「リョウジ君」
 相手を変えた。
「彼に事情は?」
「詳しくは話していません」
 シンジが割り込む。
「できれば知らないままでいたいんだけどな。厄介ごとに深く関われるほど、のんきでもないし」
「だが君はもう、巻き込まれているようなものだぞ?」
「巻き込まれ?」
 うむとリョウジはコウゾウとうなずき合った。
「つまりだな」
 リョウジが話す。
「お前は確かによそ者で、俺たちの問題には関係がないのかもしれないけど、俺たちを追ってる連中には関係がないってことさ」
 嘆息するシンジである。
 確かに、シンジが何者であろうとも、リョウジたちと一緒にいる時点で、無視できない存在と考えるだろう。
 降参だと手を挙げた。
「わかったよ……。じゃあ、どれだけまずい状況にいるのか、教えてもらえるかな」
 むろんだとリョウジはうなずく。
 それからしばらくの間、これまでの経緯について語られたのだが、さほど目新しい話が出てくるわけではなかった。
 シンジとしては、先ほど出てきた『ユイ』という人物について知りたかったのだが、話の中に出てこなかったため、諦めた。
 そうこうしているうちに、アスカを看てきたという少女が顔を見せたのである。

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