現れた少女の年齢は、自分と同じか、少し上だろうとシンジは思った。
 背の低い女の子だったが、動作がきびきびとしているし、それ以上に、自身の実力に自信を持っている者特有の力強さを感じ取れるところがあった。
 長い髪を頭の後ろで編んで垂らしているのだが、後ろ姿を見て、シンジはつい「エビみたいだ……」とつぶやいてしまい、睨まれ、首をすくめて反省している。
 灰色に近い髪だった。
「アスカ様の容態は悪いのか?」
 名前をテレサ・テスタロッサ──テッサと言った。彼女は端的に答える。
「問題は毒です」
「毒だって?」
 リョウジが口を挟む。
「ちょっと待ってくれ。城を出てから、毒を受けるようなことはなかったぞ。口にすることだって」
 そうではないとテッサは説明した。
「遅効性の毒物です。おそらくは城で食事に混ぜられていたものでしょう」
「それが今になって?」
「城を出たことで、定期的に摂取していた毒物の供給が絶えたことに問題があるんです。徐々に弱らせ、最後には死に至る。そういう類の毒物なのですが、摂取が途絶えたことで、アスカ様本来の免疫機能が毒の力を上回り、毒素の分解を始めたんです」
「なら良いことなんじゃないのか?」
「毒に対してはそうかもしれません。ですが免疫抗体が過剰に働き、アスカ様の体力を奪っているんです。このままでは衰弱し、死に至る可能性が」
 なんということだと、コウゾウは顔を青くする。
 リョウジが困惑顔をしているのは、話が難しく、理解できなかったからだ。だが、シンジは違った。
「体力を回復させる方法はないんですか? 栄養剤の点滴とか」
 テッサは驚いてシンジを見た。点滴などというものは一般的ではないからだ。
 一応は答え返す。芳しくない答えだったが。
「注射や点滴に使えるような薬剤は、都ならともかく、このような場所には生成し、保存しておく方法がありませんから……」
「取り寄せることは?」
 方法はあるがとコウゾウが口にする。
「間に合わないよ」
「なぜです」
「物理的な問題だ。取りに行って、薬が劣化するまでに戻ってくることはできる。だが時間的に無理だ。アスカ様の体力が先に尽きるだろう」
 どうすればいいんだと、リョウジが頭を抱える。
「毒だって? まさか! 機族のことだってあるのに」
「機族って?」
「違うな。毒は別問題だろう。企んでいた連中もあわてただろうな。姫の暗殺を企てていたところに、機族が出てきのだから。それで焦って、どうにかしようと直接的な行動に出ようとした。そういうところだろう」
 まるで話がわからない。機族とはなんだろうかと思う。
 だが今は口にすべきことは別にある。シンジは自分にできることを見つけていた。
「つまり……自力で乗り切れるところまで体調を整えてやることさえできれば、なんとかなるわけだ」
「それはそうだが、その方法が……」
 シンジの口調に、コウゾウはなにかを感じ取った。
「できるのか?」
 勢い込んだコウゾウに、たぶんとシンジはうなずいた。
「できると思います。でも」
「でも?」
 魔法のような力を使うのだと言えば、気味悪がられるだけだなと、シンジは思っていた。
「みんながどこまで、僕のことを信じてくれるか、それが問題になるだけですよ」


 ──まだ幼い少女が、額に乗せられた手のぬくもりの心地よさに意識を取り戻した時、そこに見たのは……。
「やあ」
 変に汗をかき、はぁはぁと息を荒げている、知らない少年の顔だった。
「くっ、くく……」
 リョウジは必死に笑いを堪える。
 シンジはぶすっくれたまま、口にする。
「いいよ、笑えば?」
「しかし、その、なんだな」
 コウゾウもコメントに困った様子だった。
 シンジの二の腕に噛みあと、左目には青あざができている。
 驚いたアスカに噛みつかれ、悲鳴を上げた。部屋の外でリョウジとコウゾウに押しとどめられていたミサトが、その悲鳴を耳にして部屋に飛び込み、テッサの制止をふりほどいてシンジを一撃。
 アスカに腕を取られていたシンジは避けることができず、まともに食らってしまった……という次第である。
「そりゃ驚いたのはわかるけどさ……」
「だが噛みつけるほど元気になってくれたのなら、もう安心だな」
 しかしとコウゾウは顎をなでた。
「実際のところ、魔法でも使ったのか?」
「科学……なのかな? 技術……」
 説明に困るシンジに、おいおいとリョウジは不安顔になった。
「自分でわかってないのか」
 そういうわけじゃないけどと頭を掻く。
「効果はわかるけど……君だってそういうの、あるだろう?」
 そうだなと請け合ったのはコウゾウだった。
「薬を飲めば病気が治る。だがその薬がどうやって作られた、なんというものなのか、知らない人間は大勢いる。似たようなものだろう。生まれつきできることなのか?」
「いいえ。手に入れた力です。僕にもどれくらいのものなのかわからないもので……」
 信じる云々はそういうことかと、コウゾウは納得した。
「助けられるが、その方法や安全性については説明できない。この場合は信用した俺たちの勝ちということだな」


 自由にしていていいとの許しを貰ったことから、シンジは休ませてくれと部屋をもらった。
 ついでに服もである。リョウジが着ていたものと似た服に着替えていた。
 城は中世ヨーロッパ風であるというのに、部屋の窓から見える庭は、日本庭園を思い浮かばせるいい加減さだった。
 夜となって、もう人影もない。
 文化的にごちゃ混ぜなのはどうしてだろうかと、心地良い風に吹かれながら、ぼうっとする。
 歴史があって、そこから文化が派生するくらいのことは知っている。だからヨーロッパ風味……もっと言ってしまえば、中世ヨーロッパ風の世界を築いている住人の美的、知的、宗教感覚と、日本庭園が持っている情緒感には、言葉にはできないズレを感じるのだ。
「面白いだろう」
 リョウジだった。手に水差しの乗った盆を持っていた。
「コウゾウ様の趣味なんだよ。この世界のミニチュアなんだそうだ。着替えたんだな?」
「あの服は目立つからね。コウゾウさんに、普通の子が着るような服を用意してもらったよ。この世界のミニチュアって?」
「山だの谷だの、丘とか河とか、そう言ったものを箱庭として作っているんだと」
 それだけだろうか? だが漠然とした印象を受けただけだったので、明確な言葉には出来なかった。
「ミサトさんは?」
「アスカ様から離れないんだよ。ここの人に任せておいた方がいいんだけどな」
「心配なんだ」
「熱が下がったとは言っても、完全に治ったわけじゃないからな」
「そうじゃなくてさ、ミサトさんのことがだよ」
 ぽかんとしたリョウジに、シンジは笑った。
「気づいてなかったの?」
「笑うなよ」
「実際、ミサトさんって、ろくに寝てないんだろ? 僕のせいなんだろうけどさ」
 旅の間も、ずっと警戒し、見張っていたことはわかっていた。
 リョウジはすまないなと返した。
「やはりシンジのことが信じられないらしい。おかしな真似をされたんじゃないかってな、アスカ様を問い詰めてたよ」
「だろうね……リョウジくんも、よくこれだけ怪しい人間を」
 言葉を切ったシンジに、リョウジはどうしたと身構えた。
 この城にいたるまでの間に何度か見た、シンジの警戒する様子、それと同じものを感じ取ったからである。
 シンジは窓から身を乗り出した。
 夜になって、人の通りも途絶えている。市からは離れているために、夜中にわざわざ前庭まで足を伸ばす物好きもいない。だが……巡視の姿はあったはずなのだが、なくなっていた。
「嫌な感じがする……なんだか変だ」
 リョウジは信じた。
「コウゾウ様のところへ行こう。なにもなければ良いんだが」


「コウゾウ様!」
 シンジたちが階下へ急ぐと、既にコウゾウたちは動いていた。
 中央正面のホールへ急ぐと、鎧を着込んだ兵士たちが隊を成していた。
 そして勤めている者たちが集められ、点呼を行っていた。
「君たちも気づいたか」
 これから地下室へ避難するというのである。
「食料庫だが、そこらにいるよりはマシだろう」
 残っているのは武器を扱える者たちだけになろうとしていた。
「やっぱり、あんたが知らせたんでしょ!」
 いきなりシンジの胸ぐらをつかんで喚いたのは、ミサトだった。
「やめないか!」
 それをリョウジが押しとどめた。
「リョウジ!」
「少しは考えろ! もしそうなら彼がここに残ってるはずはないだろう!? 消えてるはずだ!」
「それこそ、だましてるだけかもしれないじゃない! あたしたちを安心させて、油断させるために、一芝居打ってるだけで、一網打尽に……そうよ!」
「それも、何度も話したろう!」
「やめないか!」
 彼のせいではないと、コウゾウもかばう発言をした。
「強いて言うなら、君たちのせいだ! 君たちが頼る先など知れていたのだから、もっと用心すべきだったんだよ。裏門から入ったところで、ここには一本道を通ってきたんだろう? 見張られていて当然だった。わたしもうかつだったよ。考えが至らなかった。直接の接触は避け、もっと用心すべきだったんだ」
 そう言われてしまえば引き下がるしかない。リョウジはそんなミサトの肩をつかんで、彼女を地下室へ押した。
「お前は避難してろ。俺たちはどうすれば」
「剣は使えるのか?」
「俺は……」
 シンジを見る。
「一応は使えますけど」
 こちらも歯切れが悪い。
 なんだとコウゾウは急かした。
 思い切って話す。
「僕には人殺しはできません」
「なに?」
「そりゃ、いざとなったら殺してしまうかもしれないけど、でも」
 ああと、コウゾウは理解した。
「君は、そういう育ちのものなのか」
「そういうっていうのが、どうなのかはわかりませんけど」
「いや、おかしいとは思わないよ。誰も彼もが人を殺せるように育つわけじゃないからな」
 誰も軟弱だとなじったりはしなかった。
 人を斬り、断ち、肉に刃を食い込ませ、血を浴びる。
 それができない人間は、一生できない。これは生理的な問題であるとわかっているからだ。
 乗り越えるためには、どこかで精神のタガを外すしかない。壊れるしかない。
「殺せなくても、倒すことはできるな?」
「それなら」
「十分だ。とどめはこっちでやろう」
「お願いします」
 ほうっと、コウゾウは感嘆した。
 殺せはしない。だからと言って、殺しを否定したりはしない。
 殺すことが必要な場面もあると知っている。経験しているとわかったからだ。
 その上で自分の代わりに、人に殺しをさせる卑怯さや汚らしさも持ち合わせている。
 見た目通りの軟弱な子供ではないと理解できた。
「しかし守りを固めると言っても、この数では足りんな」
 テッサが提案する。
「あれを使っては?」
「あれ? ……あれか! しかし、あれは……」
 大丈夫なのかと問う視線に、テッサは大丈夫ですとうなずきで返す。
「研究用としていますけど、整備は十分です。動きます、いけます」
 だがとコウゾウ。
「誰に頼むんだ。乗り手がいないぞ」
「彼ならやれます」
 シンジはテッサの視線に、僕? と自分を指さした。
「なんの話さ?」
「彼が?」
 取り合えってもらえない。
「アスカ様を癒すために彼が使った力は、おそらく、騎士があれとシンクロするために必要とされているものと同系のものです。それを応用したんだと思えました」
「そういうことか」
「はい、だから」
 考え込むのは数秒。そして決断する。
「希望が見えたな。抜け穴を使ってくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいってば!」
「西の林を抜けた先に工場(こうば)がある。君は彼女とそこへ行ってくれ。頼む」
「工場? っていうか、抜け穴があるなら」
「逃げるためのものではないんだよ。抜けた先には、工場があるだけでな」
「そんなところに行って、なにをしろっていうんですか」
「工場は今、研究施設として人に貸している。そこに研究用として保管されているものが戦力になる。……使えればの話だがな。それは使い手を選ぶんだ」
「なんですかそれは。それを、僕が使えるって?」
「好きにやらせているからな、いまどうなっているかわからんが、賭けるしかないと言うことだ。どのみち君は人を殺せないのだろう? ならここで微力をつくしてもらうより、期待できる」
 コウゾウはシンジを見た。
「行ってくれ……せっかく助けた命がつみ取られるのは、寝覚めが悪いだろう?」
 シンジはうつむき、悔しげにうめいた。
「そういう言い方は、ずるいですよ」
「だろうな。だがあれの姿を見せることができれば、それだけで志気をくじくことができる。なんとかなる。そういうものがそこにはあるんだ」
 そして最後の後押しはリョウジが行った。
 シンジの肩にポンと手を置く。
「シンジならきっとやれる。だからシンジは、シンジにしかできないことをやってくれ」
 シンジはなにか、脳髄に衝撃を受けたのだろう。ばっと顔を上げた。
「加持さん」
「あ?」
 なんだとリョウジは聞き返したが、シンジには聞こえていなかった。
 呆然としているシンジに首をかしげて、リョウジは話を続けた。
「俺はミサトと違って、運命ってものを信じてるんだ。あの山で出会ったのは、きっと偶然なんかじゃない。頼んだぞ」


 前庭の林の中に、いかめしい顔つきの男が居た。
 筋肉のみで構成された体に、鈍い銀色の鎧を着込んでいる。
「ふん、気づいたか」
 大剣を肩に担いで、にやにやと笑っていた。
「まあこれだけ大人数で囲い込んでるんだ、間抜け揃いでもなきゃあ、気づくってもんだな」
 なぁと、背後に控える人間ににやついた笑みを向ける。
 彼の背後には、十代後半の少年と、二十歳前後の女、それに黒づくめの覆面の一団が控えていた。
 少年と少女はそれぞれ自然体で振る舞っているが、黒の一団は跪いて指示を待っている。
 無言であるどころか、呼吸をしている素振りさえ怪しいくらいに、身じろぎをしていなかった。
「どうだカシム、お前一人で片付けてみるか?」
 少年は吐き捨てるように応じた。
「くだらんリスクを背負うつもりはない」
 それにと続ける。
「その名は捨てた。今の俺はソースケだ。ガウルン」
「はっ! 名前なんぞにこだわるたぁな」
 ふぬけたなと見下す。
「それもコードネームだろうが。……んじゃお前はどうだ? シグナム」
 下ろせば地にまでつくであろう長い髪を結い上げた女は、無言を通した。
 ガウルンは鼻白む。
「病弱の(あるじ)を盾に、望まぬ汚れ仕事を請け負ったとはいえ、か?」
 それでも人殺しはしてもらうぜと、こちらには冷たく言い放つ。
「んじゃ、いくぜ」
 ガウルンは顎をしゃくって、黒の一団に命令を発した。
 静かに、音もなく一団は立ち上がり、動き出す。
 それはまるで浜に押し寄せる波のように、静かに、そして拙速に、城へと押し寄せた。


 隠し通路を抜ける。出口は石碑に偽装されていた。
 数人がかりでも持ち上げられそうにない巨石の上に、人ほどの大きさの岩が立てられている。それがぐらりと揺らいで倒れ、背後の土壁にもたれかかった。
 下から押し上げたのはシンジである。
 そこは小川の脇だった。岩は腰ほどの高さの段差を背にしていた。今は岩が倒れかかって、重みにへこみを作っている。
 小川はこの段差で、ちょっとした滝を作っていた。
 小川のせせらぎと虫の音、そして木々の梢が唱和し、騒音を作り上げている。
「行こう」
 虫の音がすごすぎて、逆に音が聞こえない。なのに、シンジの声は不思議とテッサの耳に通った。
 テッサはシンジの手を借り、隠し通路から引き上げて貰った。迷いのないシンジの横顔に、大事なものを預けたとしても、悪用されることはないだろうと確信する。
 悪く言えば臆病であり、よく言っても慎重なつもりで怖じ気づく、そういう類の人間だと思えたのだ。
 そんな人間に、戦えるのかは疑問であったが、気弱さをごまかして前に進むだけの意気地は持っていると感じられた。
「あっちです」
 テッサは先に立って走り出した。シンジが後を追いかける。


 黒の軍団はなんの考えもなく、城の正面から攻め()った。
 待ちかまえていた防備の衛視が(いしゆみ)を放つ。
 胸に矢を受けた兵士が複数、もんどり打って倒れたが、後続はもがく仲間を見ることもなく、飛び越え、攻める。
 これを迎え撃つために、剣を持った衛視が飛び出した。
 一人が剣をたたきつける、が、襲撃者は切り伏せる剣を逆手に握った小型の曲刀で受け流し、流れるような動作で彼らの喉を刃で撫でた。
 前庭が血で染まった。
「守りを固めてやがるな……まあ、時間の問題だが」
 林の奥、木の陰。
 ガウルンは一本筒の望遠鏡を下ろすと、ふぅむと無精ひげだらけの顎をなでさすりうなりを上げた。
「抜け穴でもあるのか、あるいは助けが来る手はずでも整ってんのか? まさか本当に逃げまどってるだけじゃあるまいな」
 シグナムが何かに気付く。
「ガウルン」
「なんだ」
「コウゾウ様は工場を持っていたな」
 それがどうしたとガウルンは応じる。
「手は回してあるぞ。なんだ」
「エイリアスがやられた」
「んだぁ?」
 ガウルンは目を剣呑に細くした。
「鉄の傭兵団のエイリアスを、ぶちのめすやつがいるってのか?」
 視線が隠者へと走ってしまう。城を襲っている黒服の人形(ひとがた)、隠者の顔を覆っている面の下に、顔はない。
 顔どころか、肉体そのものが彼らには存在していなかった。不可思議なエネルギーで、人の形をした着衣をふくらませているだけなのだ。
 彼らはこの人形をエイリアスと呼んでいた。
 それは生きているわけではない。剣で斬りつけたところで死にはしない。行動不能になることはあっても、間をおけば自己回復して再起動する。そういうものだった。
「やられた、だと?」
「ああ」
 これを破壊できるのは、騎士レベルの力を持つ者だけだという認識があった。
 眼光を鋭くする。つまり、倒れたというのであれば、そこには騎士レベルの危険な存在が位置していると言うことになる。
「シグナム、お前が行け」
 顎をしゃくるガウルンに、ソースケが待ったをかけた。
「俺が行く」
「ダメだ」
「なぜだ」
「工場にはお前の女がいる。そのまま裏切られたらかなわん」
 シグナムも、その女のことを知っているのか、まかせろとソースケの肩を叩いた。
「無駄な殺しはしない。そうだな、ガウルン」
 そういうことだと、ガウルンは嘘くさく話す。
「仕事がうまく片付けば、女には手をださねぇよ。だが後から来る奴らは別だぜ? 騎士団は皆殺しをやるつもりだろうからな。だがよ、俺たちが上前をはねてやれれば、ここの連中は騎士たちに言い訳ができるようになる。お探しのものはここにはありません、どうぞ好きなだけお探しくださいってな? だから女を助けたかったら、計画通り、うまくやるこった」
 ソースケは渋々の様子でうなずいた。
「わかった」


「このっ!」
 後ろ回し蹴りをたたき込む。
 しかしかかとは、空気袋を蹴ったように、ぐにょりと衣服の中にめり込むだけだった。
「シンジさん!」
「隠れてて!」
 下がらせて、手刀を突き込んだ。
 彼女には知られているのだからと、遠慮はしない。
 アスカを癒したときと同じ要領──エヴァにシンクロするつもりで、体内のものを意識する。
 人の持つ力、波動、固有結界……つまりはATフィールドが、シンジの手刀を強化する。
 人の持ち得るものではない力が、今のシンジには宿っていた。右腕に流れ込んだ熱が、手刀を介して顕在化し、鋭い刃となってエイリアスを貫いた。
 エイリアスはバンと破裂し、散華する。
「やっぱり人間じゃない! なんだよこれ!?」
 木陰からテッサが叫ぶ。
「エイリアスです! 戦争で使われる疑似歩兵で、人型を精霊とか悪霊と呼ばれるものでふくらませているんです! どこかに司令塔がいるはずです!」
 隠れてろって言ってるのに!
 シンジは苛立ちを募らせる。と、エイリアスが距離を取りだした。
 林の闇の中へとけ込むように消えていく。
 きょとんと、テッサが口にする。
「諦めた? そんなわけ」
「みたいだね」
 シンジが見ている方角に人を見つけて、テッサははっと身を固くした。
 ゆっくりと林道を歩いてくる影がある。背の高い女だった。
 儀礼用にも見える装備を身につけている。甲冑と衣服の中間……衣服の上に最低限の鎧を身につけているというように見えた。
 腰に剣を下げている。その鞘は、結い上げている長い髪とシンクロして揺れていた。
 月明かりの下に出たところで彼女は立ち止まった。その顔を見て、テッサが呻いた。
 呆然とつぶやく。
「そんな……シグナム副隊長、あなたが」
 シグナムもまたテッサを認めて、顔をしかめる。
「言うな。テスタロッサ。今のわたしは職を失った、ただの雇われの兵士に過ぎない」
「そんなわけ」
 シグナムはしゃらりと剣を抜き放つ。
 刃と鞘の擦れる鉄の音が、テッサに口を閉ざさせる。
「姫の姿がないな。先に行かせたか? いや気配がない。ならばまだ城の中か」
「…………」
「図星か。ならお前たちは? まさかふたりだけで逃げるというわけでもあるまい」
 そうかと感づく。
「テスタロッサが居るんだ。工場になにがあってもおかしくはないか」
 テッサに追求させまいと、ことさらごまかすように話を進める。そんなシグナムに、テッサは痛々しそうな目を向けた。
「副隊長……」
「シグナムだ」
 シンジは小声で話しかけた。
「知り合いなの?」
「……王室の片翼を担うとまで口にされている、ベルカ騎士団の副隊長です」
「だった、だ」
 聞こえていたのか、シグナムは訂正した。
 切っ先をふたりへ向ける。刃が月の光を反射した。
「そして今はただの刺客(しかく)だ!」
 放たれた剣に、テッサは瞬きをすることもできなかった。
 まず踏み込みがすさまじい、数メートルの距離などものともしない。
 さらに剣速がすさまじく、テッサの理解が追いついたのは、シグナムの剣がはじき返され、彼女がよろめき、泡を食っている様子を見てからのことになった。
「ええ!?」
「走るんだよ!」
 腕を暴力的に引かれて、テッサは我に返った。
 まさかと思ったが、シンジにはシグナムの剣が見えたらしい。彼はエイリアスの持っていた曲刀を拾い上げていた。
 顔を見る。シンジに余裕はないようだった。必死で、一目散に逃げることだけを考えているようだった。
「待て!」
「待てと言われて待つやつはいない……って、誰の言葉だったかな!」
 のんきなことを口にしても、やはり顔は引きつっていた。
 もはや忍んで歩む必要はない。工場への小道をまっすぐに駆ける。
「待てと言っている!」
 追うシグナムの足下が爆発した。
 彼女の蹴り足が土を掘ったのだ。
 まさに飛ぶように、一蹴りごとに土煙を上げて十メートル単位で跳ねる。
「シンジさん!」
 背後の殺気にテッサが叫び、シンジは「くそっ」と毒づき、走る足に制動をかけた。
 振り向き、曲刀でシグナムの剣を弾く。
「くぅっ!」
 シグナムは手のしびれにうめいた。
 あり得ないと動揺する。彼女の剣戟は力任せにどうにかできるものではない。
 特にシンジが持っているのは曲刀だ。刃に沿わせて受け流すことはできても、ぶつけて弾くという使い方にはふさわしくない。
 普通は応力の問題で手首を痛めるはずだった。だがシンジの刀の使い方に特別な技術は見られない。
 なら……。
「身体強化、術士か!」
 そんなものじゃない! と叫び返す前に、ターンと軽い音が響いて鳴った。
 ヒュンと風を切って飛来したものを、シグナムが剣の平ではじいて防ぐ。
 シンジは飛来物がやって来た方角に顔を向けた。
「今の音、銃、銃声!?」
「工場のみんなです!」
 剣の世界じゃないのかよと、シンジは驚く。
 銃声は続いた。今度は連続で、タン、タタンと、シグナムへと集束する。
「くっ!」
 ついに根負けして、シグナムは体術と剣でさばくのをあきらめた。
 剣を縦に構える。その剣が言葉を発した。
《Panzerschild.》
 銃弾が当たる度に、闇の中に桃色の光が瞬き、消えた。
 それは障壁だった。
 シンジは目を丸くして驚いた。
「魔法まであるのかよ!?」
 どうりでアスカを癒した力について、それほど驚かれたり、気味悪がられたりしないわけだと納得する。
「急いで!」
 シンジさんと、先ほどとは逆に手を引かれ、こっちだと呼ぶ声に、ふたりは走った。


「艦長!」
「艦長じゃないです! シンジさん、こっちです!」
 工場は、シンジには倉庫と感じるものだった。
 テレビのニュースで見るような、港にある巨大な倉庫だ。内部は鉄や木、バラバラな材質で組み上げられており、なにかの生き物の臓物をつるして加工しているかと思えば、巨大な、人ほどもある甲虫の背の殻を磨いていたりもする。その向こうでは鋳造作業を行っていて、ここは一体なにの工場なのかといぶかしんだ。
 高熱を発する筒があるかと思えば、触れるだけで肌が張り付きそうに冷えているガラス管がある。
 ふたりは作業台や工具の山の間を体を横にしてすり抜け、奥へと向かった。
 そこに、それは鎮座していた。
「なんだ……これ」
 シンジは息を呑まされた。
「ロボット……巨大ロボット?」
 それは奇妙なものだった。
 ロボットと言うよりは、まるで怪獣のパッチワークだった。
 牙を持つ口のある顔。猛禽類の爪を持った手と足。
 装甲を付けているが、隙間から見えるものはむき出しの筋肉だった。なんの冗談か、頭にはヘルメットが被せられている。つまりは、鎧兜によって武装されていたのだ。
 全高で五メートルほどだろうか。そんなものが背中を預けるようにして、固定台に立てかけられていた。
「こんなものまで……どんな世界なんだよ」
理力甲冑騎(オーラバトラー)です」
「おーら……なんだって?」
理力甲冑騎(オーラバトラー)、です。オーガニック的な……人の精神力とか、生命力とか、魔力とか理力。そういったものに反応して動くものです」
 まさかとシンジは叫んだ。
「これのことなの!? 僕がどうこうっていうのは!」
 テッサは真顔でうなずいた。
「はい」
「無茶だ! 今初めて知ったもので、うまくやれるわけ」
「乗ってくれればいいんです。あとは考えるだけで動きます」
「だったら他の人でも」
「理力甲冑騎は騎士だけのものなんです。普通の人には乗れません。取り殺されてしまいますから」
「とり……」
 二の句が継げなくなる。
「僕なら死んでも良いってのかよ」
「違います!」
 テッサは本気で怒った。
「この国では、理力甲冑騎に対して適性試験を奨励しています。もし適性があった場合は、生まれにかかわらず、家を興すことが許されるくらいなんです。この国のための騎士となって働くならばと」
 むちゃくちゃだとシンジは思った。
「動かせると見込まれることが凄いってことはよくわかったよ! だけど本当に僕が動かせたらどうする気なんだよ? この国のためのロボットに、この国のものじゃない人間を乗せるなんて、正気じゃないよ」
 家を興すことが許される。それがどういうことなのか、具体的にはわからなくとも、ニュアンスで大事(おおごと)なのだとうかがいしれた。
 それほどの便宜を図ってまで国へ縛り付けようとするほどに、理力甲冑騎を操れるという資質を重大視しているということになる。ならばそれは国家レベルの事業だと見て間違いはない。機密情報そのものであるはずなのだ。
 そんなものに素性の知れないシンジを触れさせるなど、正気の沙汰だとは思えなかった。ここでの問題を免れたとしても、さらに別の問題が浮上してくることは容易に想像ができるのだ。
「反逆罪に問われるかもしれないってことはわかってます。でもどうせ、ここでアスカ様をかくまっていたことが公にされたら、終わりなんですから」
 ソースケという人間が、それをさせまいとしていることは、わからない。
 これは相手の素性がわからないのだから、しかたのないことではあった。
 話しながらも、着々と指示を飛ばし、テッサは理力甲冑騎へと接続されていたパイプなど、よけいなものをはぎ取っていった。
「一蓮托生だってことです。シグナム副隊長が出てきた以上、あなたがこれを動かすことができなければ終わりです」
「そして動かせたとしても、って、自棄になるにもほどがあるよ」
 絶体絶命ってわけかとこぼすシンジに、テッサは目を合わせ、笑った。
「あなたなら、きっとできます。大丈夫です」
 畜生とシンジが口にする。
「どっかで覚えがあるんだよな、この流れ」
 と、工場の入り口付近で爆発が起こった。
「なんだ!?」
「副隊長でしょ! 早く乗ってください!」
「まだ操り方を教わってない!」
「考えるだけだって言いました!」


「うわああああ!」
 工場の人間が一斉にシグナムへと飛びかかっていく。
 武器を持っていない人間を切り伏せるわけにもいかないとでも思っているのか、シグナムは邪魔をするな、離せと、組み付いてくる人間を投げ飛ばした。
「胸をつかむな! 女だぞ、わたしは!」


 シンジはちくしょうと口にしながら、コクピットへとはい上がった。
 人でいうなら、肺や、腸などの臓物のある部分がごっそりとえぐられていた。そこに操縦席が据え付けられている。
 ハッチは胸のアーマーが左右に、そして胸から股間までを覆うものは上に開かれていた。
 座席までの木製のはしごを登りながら、なんでこんなことになるのかと、古い記憶が思い出されて嫌になる。
 しかし逃げるつもりはない。そのときはもう過ぎていた。弱音を吐き捨てるだけ吐き捨てたら、後は自棄になって動くしかない。そう経験則が物語っている。
 はい上がってみると、そこには革張りの椅子があった。足下は鋼材でできた床であったが、天井と壁は生き物の肌が硬くなったような色合いと質感があった。
 思い切って乗り込み、座り、腕を通すらしい筒状の部分に手を突っ込む。
「うわっ、ぬるぬるしてる……」
 我慢してくださいと、シンジを追ってはしごをはい上がったテッサが叱りつける。
「男の子でしょ? がたがた言わないでください!」
 なにかこういうのも、覚えがあるなぁと達観する。
「考えただけで動く、か、……そういうの」
 二度目の爆発。これは蒸気系の機械が起こしたものだった。
 資材が片端から吹き飛び、人もまた多くが飛んで、したたかに体を打ち付けたようだった。
 蒸気の中からあわてて抜け出してきたシグナムと目があった。
 彼女はシンジが座り、テッサがハッチに取り付いている巨人機の威力を知っているのだろう、急に余裕をなくして駆けだした。
「させるか!」
 剣を振り、構え、走らせた。
 剣が蛇腹状に分解して鞭になる。パーツはワイヤーで繋がれていた。
 その鞭が振り切られる途中で光をまとわりつかせ、その光をビームとして放った。
 テッサの瞳孔が開く。シンジは半身で振り返っているテッサと共に光にあおられ……。
 彼はフラッシュバックを起こした。
 二千十六年──オーストラリア。
 その時、その地には、平らな施設が砂漠化しつつある平原に建設されていた。
 人からはコンクリートでできたエアーズロックと揶揄されていた。
 その中で、シンジはあってはならない情景を目の当たりにしたのである。
 まるで病人のための部屋で、彼は半ば軟禁状態にあって生きていた。
 ある夜、ふと目を覚ますと、その入り口に人の気配を感じたのである。
「綾波?」
 人影はすぐに消えた。幻か、あるいは錯覚かと思う前に、警報音が鳴り響き、扉が開いた。
 警報は、異常事態が発生したため、退避してくださいと勧告するものであった。
 しばし迷ったが、シンジは通路へ出てみた。
 勝手な行動が許されていない上に、案内図があるわけでもない。道などはわからないのだが、このときのシンジには、まるで戻り道のない、一本道のように感じられたのである。
 途中には分岐路も、エレベーターもあったはずなのに、なぜか覚えていなくて、視界は歪んで見えて、気が付けばシンジは施設の最深部へと迷い込んでしまっていた。
 そこは真っ黒な区画であったが、暗くはなかった。黒く統一されていただけであり、灯りはあった。
 警告の放送は、ここには流れておらず、静かであった。
 人の入る大きさの円筒管が、天井と床を繋ぐ柱のように、区画の中心から無数に放射状に立っていた。
 中には人の残骸が入っていた。肉が壊れ、めくれ、内臓がこぼれ、浮いている。これらはオレンジ色の光でライトアップされていた。
 中央には、多くの人の気配があった。彼らは一様に白衣を着て、怒声、罵声を張り上げていた。外の警報に関係があるのだろう。
 中心に、ひときわ大きな水槽があった。直径で十メートルを超えていた。
 その中に、丸くふくれあがった肉の塊が浮いていた。水槽をほぼ一杯に埋めている。
 肉の塊からは、いくつもの人の手や、足が生えていた。規則性はない。頭もあった。顔も張り付くように浮かび上がっていた。
 その人相に、シンジはつぶやく。
「綾波……レイ」
 誰かが叫んだ。
「サードチルドレン! なぜここに」
「どこから入り込んだんだ!?」
「連れ出せ! セキュリティはなにを」
 彼らの声は、警報にかき消される。
「なんだ、どうした!」
 ぶくぶくと水槽内部で気泡が上がる。
 計器に張り付いた研究員が喚く。
「エネルギー値が急速上昇!」
「まさかサードチルドレンに反応したのか!?」
 誰かが水槽を指さした。
「どういうことだ、縮んでいくぞ!」
 肉の塊に、手や足が引き込まれ、そして本体もぐにぐにと動きながら小さくなっていく。
 呆然と、別の誰かが口にする。
「集束していく、これは……」
 悲鳴が上がった。
「まずい! コアを生成するつもりだ!」
 責任者とおぼしき男が指示を発する。
「いかん! 検体廃棄だ、焼却処分を!」
 斧を振り上げケーブルやパイプを物理的に切断し、スイッチを押して制御系のパネルに仕掛けられている発火装置を作動させる。
 非常灯が点いて、視界が真っ赤になる。
 それは絶望の色だった。
「だめです! ATフィールドの発生を確認」
「Jesus……」
 塊は、やがて人型へ。
 そして少女の姿を取り、彼女はシンジへ向けて口にした。
《Is here the world that you wanted?》
 人型が弾け、水槽を一瞬で赤く染めた。
 上がった内圧が水槽にヒビが入った。水槽の中で何かが光り、爆発した。
 破片と実験用水と熱と光が、あらゆるものを吹き飛ばし、粉々にする。
 その中にあって、シンジだけはそよ風に髪を揺られる程度の状態で、光の抱擁を受けたのである。
 閃光に照らされるよりも一瞬早くに飛んできた少女の影に抱きすくめられ、そのまま背後に開いた暗い穴の中に、ともに消える。
 万華鏡のように、あるいは極彩色の流れの中で、シンジは様々なものを見た気がしたが、理解できたものは一つもなかった。
 ただ漠然と、景色や、光景に分類されるものだということだけ、直感で把握していた。
 そして気がつけば、どこかの空を墜ちていて、気を失い。
 次に目覚めたときにはあの山中で、空を見ていたという次第であった。
 あの時、シンジへと飛びついた少女は今、シンジの中に棲み着いていた。
 シンジの感覚としては、エヴァとシンクロしているような状態で、共棲関係を保っている、というものであった。
 それがシンジの異能の正体であった。


 ──叫ぶ。
「綾波!」
 身を乗り出し、テッサの肩をつかんで横に払う。テッサは悲鳴を上げながら、彼女が上っていたはしごごと倒れていった。
 そして乗り出したシンジとは逆に、彼の背からなにかが後ろに剥がれ出た。それは人の形を、少女の形をした赤い影だった。
 綾波レイを模したものだった。
 背中から離れ、そのまま大きくなりつつ、理力甲冑騎へ重なり消える。一瞬で。
 シグナムのビームは甲冑騎に届くことなく弾け散った。
「バリア!?」
 驚きと警戒心から、シグナムは慎重な行動を選んでしまった。シンジに時を与えてしまったのである。
 突然、理力甲冑騎は立ち上がった。背中にある甲羅のような、あるいは甲虫の殻のようなコンバーターの右側面に取り付けられている大剣を抜き放ち、振り下ろした。
 切っ先が建物の天井を削り、瓦礫と共にシグナムの頭上へ墜ちる。
「くう!」
 シグナムは壁を突き破り、工場の外へとはじき出された。
 自動展開された障壁が彼女を守った。空中で姿勢を整え、膝をつくように着地する。
 顔を上げ、自分が放り出された穴から、理力甲冑騎を見やる。
 フシュウと口の牙の間から熱く息を吐き出し、理力甲冑騎はギロリと彼女を睨みつけた。
「コンバーターに火が入っていないのに、動いただと?」
 それよりも。
「甲冑騎が生き物のように眼球を動かし、わたしを見ただと?」
 理力甲冑騎の頭は制御用に脳は入っているが、眼球はただの飾りのはずなのだ。
 甲冑騎はずりずりと地に着いていた剣先を引きずって、手元に引き戻し、立ち上がっていく。
 シンジは逃げたシグナムにはかまわずに、やれるのかと、天を見上げた。もちろんそこには天井があるだけだ。
 バタンと、ハッチが閉じた。
 ハッチはマジックミラーとなっていて、景色はかなり開放的に見える。そこに文字が浮かび上がる。
《Without becoming uneasy. I defend you.》
 バンと音がして、あばら骨の隙間、肺と繋がるエラ状のスリットと、背中にある甲殻虫の甲羅羽を思わせるコンバーターから、排気がなされた。
 下に落とされたテッサが、打った腰をさすりながら、呆然と口にした。
「そんな、まだオーラエナジーは充填されていないのに、どうして」
 まさかと口にする。
「疑似生命化現象!?」
 その言葉の意味はわからないが、恐ろしい現象であるらしく、テッサの顔は青ざめている。
 テッサは体を硬直させたが、シグナムは違った。
 理由はわからずとも、状況を判別することはできる。
「甲冑が立つか……わたしにはもう、止められないな」
 彼女はきびすを返して逃げ出した。魔法も使える騎士と素人、その差を埋めてあまりあるほどの力が、理力甲冑騎には備わっている。
 逃走は当たり前の判断であった。


 シグナムからの念話を受けて、ガウルンは笑った。
「理力甲冑騎かよ。やるじゃねぇか」
 そうでないとなと、ガウルンはソースケに命じた。
「お前がいけ」
「俺が?」
「そのためのアーバレストだろう?」


 ドンと工場の壁面を爆発させて、甲冑は真横へと飛翔する。
「こぉおお、のぉおおおお!」
 背を地に腹を天に向け、コンバーターで地面を削り、跡を残し、木々を頭と肩で跳ねとばした。
 理力甲冑騎の腹部はくりぬかれている。そこに球状のコクピットを組み込んであったらしい。
 地に対してなるべく水平を保つようコクピットは動いてくれていた。限度はあるが、シートが股間側へと回転してくれているおかげで、機体のぶつかる衝撃をシートの背もたれで耐えることができた。
 理力甲冑騎は長く地に筋を引いた後で、そのまま崖から湖へ飛び出した。
 湖面に放物線を引いて落ちる。それでも水面すれすれで、盛大なしぶきを上げて、今度は湖面と水平に走りだした。
 ようやくコンバーターの下にあった、昆虫のものに似た透明な羽の起動に成功し、甲冑の飛行方向を天上へと変更させられた。
 たたきつけられたコンバーターからの推力に、特大の水柱が上がる。
 噴水が雨を振らせる。理力甲冑騎はそれらを眼下に見下ろすほどに高い位置へと舞い上がり、月を背にした。
 下方にある世界が、ゆっくりと回っている。景色の回転する様に、シンジは今、自分は浮かんでいるのだと実感した。
「城は……」
 腕を操作管に入れたまま身をよじると、その動きに反応して甲冑は体をひねった。
 ヒュン……と、甲冑の兜をかすめてなにかが過ぎた。
 シンジは狙撃されたのだと瞬時に悟った。思考するよりも早く、甲冑騎はシンジの意をくみ取った行動を開始する。
 右に左にと揺れ、回避行動を行いだした。


 ソースケはコクピットの中で失敗にうめいた。
「避けられた? いや、それたのか」
 何やってやがると、外の音を拾った機械に対して怒鳴り返す。
「わかっている! しかし、あいつ、銃との戦い方を知っているぞ!?」
 誰が乗っているのかといぶかしむ。
 巨人機自体存在数は少なく、飛び道具を持っている機体はさらに少ない。
 飛び道具を相手に戦う方法を知っている騎士となると、さらに希少なはずだった。
「簡単にはいかないようだな!」
 ソースケは機体を立ち上がらせた。
 それは真っ白な巨像だった。
 各部のアクチュエーターが音を立てて、片膝を付いた狙撃姿勢を解く。


『聞こえますか、シンジさん』
 電波の悪いラジオのような音が聞こえた。
「テッサさん!? どこから声が」
『機族の技術で、通信って言います』
「いやそうじゃなくて……」
 通信機が見当たらないのだが……考えたら負けかと思い、シンジは座り直した。
「なんですか」
『いいですかシンジさん。城の側に甲冑が見えるはずです』
 どこに隠れていたのかと疑いたくなるような大きさ、白さだった。
 月明かりに、純白さが際だっている。
「撃たれたよ、さっきね」
 気をつけてくださいと、テッサは注意を促した。
『あの機体は、理力甲冑騎とは違うものなんです』
「違いがわからないよ」
『神像のコピー品です。神像って言うのは、太古の神人が操っていたという巨人のことです。出てきたのはその再生品です』
 だからどうなのかという思いが浮かぶ。
「それって、すごいの?」
 はいとテッサ。
『神像は、わたしたちには理解できない、わからない、作り出せないものでできあがっている機械です。わたしたちは遺跡から回収されたそれを、なんとか使えるようにして使っているわけです』
「だから再生品ってわけか……って、なんとか使えるようにしてるだけのものが、凄い?」
『はい、そこにいる白い神像は、特別なんです』
 その物言いに、なにかピンと来るものがあって、シンジは尋ねた。
「あれを作ったのも、君なんだね」
 苦虫をかみつぶしたような声だった。
『わたしじゃありません……』
「知ってる人が作ったもの?」
『はい』
 なるほどねと、シンジは顔を上げた。
 戦いの顔つきになる。
「壊すことになるけど、いいんだね?」
 シンジの気遣いに、テッサは返す。
『……できるものなら!』
 シンジは吼えた。笑った。
「その挑戦、受けてあげるよ!」


「来る!」
 白い神像、アーバレストは、持っていた長銃を捨て、腰の後ろに携えていた散弾銃を引き抜いた。
 空に向かって、引き金を引く。二度目以降は引き金を引いたまま、スライドだけを動かす。
 合計三度の射撃。これが突進してきた甲冑騎の障壁の存在を浮き彫りにした。散弾がチカチカと障壁と干渉する。
理力障壁(フォースバリア)を展開できるほどの騎士だと!?」
 バリアの残映を流しつつ、理力甲冑騎は剣を振りかぶる。
 アーバレストを両断しようと、振り下ろし、その結果には、シンジが仰天する。


「こいつ!?」
 フロントガラスを兼ねている、巨獣の甲羅を加工して作られたマジックミラー・ハッチ越しでも、干渉光に目を焼かれた。
「ATフィールド!?」
 斬りつけた剣は、不可視の障壁によって受け止められた。
「違うのか!? 同じもの!? 結果は同じか!」
 はじかれるが、シンジは推進器の力で、上ではなく地に落ちることを選んだ。
 足のかぎ爪で大地を掴み、反動に対抗する踏ん張りを得て止まる。
 そして背の翼をたたみ、大地を蹴りとばして駆け出させた。


 剣を振りかぶって斬りかかってくる理力甲冑騎に対して、アーバレストはショットガンを捨ててナイフを抜いた。
 ただの騎士が乗っているわけではないと、ソースケは危機感を持った。
 銃器はそれなりの騎士であっても貸与されることのない、特別なものである。銃弾の生産に問題があるからだ。
 それだけに運用の方法、ましてや対する術などは、研究されずに至っていた。される必要のない、必殺の武器だからである。
 それなのに。
「くぅ!」
 剣を防御壁ではなく、ナイフで受け流し、理力甲冑騎の開いた脇腹へと、隠し銃を抜いて突きつける。そこにあるのは操縦席だ。
 撃つ、が、弾は甲冑をすり抜けた。
「残像!?」
 背中に殺気を感じて、地を蹴って前に飛ぶ。転がり、振り向くと、追う形で甲冑はもう剣を振り上げていた。
「やる!」
 障壁を再度展開。すっとソースケの目が細くなる。剣呑な光をたたえる。
 隠し銃を撃つ、一発、二発、それはおとりだ、三発目には障壁を展開してるものと同じ特殊なフィールドをまとわりつかせ、解き放つ。


 シンジは一刀で二発の弾を切り捨てた。そして三発目に、かつて感じたことがないほどの死の臭いを嗅ぎ取って、機体を無理矢理後ろに引かせた。
 その、おびえから逃げたとも取れる動きが功を奏した。銃による致命傷を避けることができた。
 被害は左肩にとどまる。銃弾が血肉をまき散らして、左肩をもぎ取っていった。
「くっ!」
 瞬時に肩付近の筋肉が盛り上がって出血を止める。
 オーラジェットの力で後方に飛び下がる。
 しかしアーバレストが追いすがった。


「逃がすか!」
 地を蹴り、馬小屋の屋根を蹴り、さらに城の尖塔まで蹴って飛び上がる。
 アーバレストの重量であれば、絶対に建物が押しつぶされているはずである。なのに、まるで重さなどないかのような軽業だった。


 シンジは焦った。思った以上の強敵である。どういうものかわからない機体に乗っている状態で、どんな力をもっているかわからない相手と戦うとなると……。
「慣れてるけどさ! こういう状況にはね!」
 剣を投げつける。
 アーバレストは空中でそれをはじいたが、これが失速に繋がる。
 シンジは貴重な時間を得て、逃げを打った。
「時間をかけてたら、みんなが殺される! テッサ!」


『ガウルン、行ったぞ!』
 天からの声に、ガウルンは望遠鏡をのぞいた。
「なにをする気だ……野郎!?」
 理力甲冑騎は大回りして……そして城へと突っ込んでいく。
 西から、東へと、金色の繭に包まれて、理力甲冑騎は城へ特攻した。
「やろう!?」
 理力甲冑騎の体当たりを受けて、城は地響きを立てて崩れ落ちた。
 ガウルンは、それを成し、そして飛翔する理力甲冑騎に、こみ上げてくる笑いを隠さなかった。
「なんてやろうだ! 本当に騎士が乗ってるのかよ!?」
 ああ、と、側で、とても呆れた声がした。シグナムであった。
 その目は崩れ落ちた城へと向けられている。
「城を崩して、守るべき人たちを生き埋めにしたか。地下室にでも逃げ込んでいるんだろうが。どうする? 掘り返している暇はないぞ。目立ちすぎだ。人が向かってきているようだ」
「ああ、潮時だ。……捕まっても言い訳できねぇ立場だからな。ケツまくるしかねぇや」
 ガウルンはひらひらと手を振った。


 アーバレストが、放り捨てていた銃を拾い、威嚇発砲をしながら林へと下がっていく。
 シンジはそのまま行ってくれと願いつつ、高度を下げて城の側に下りた。
「ふぅ……」
 コウゾウさんには、なんて謝ればいいかと思う。
 とっさに思いついたことだった。あの地下室であれば、建物が倒壊したとしても耐えられる。
 ならば手出しができないように、入り口を埋めてしまえばいいのだと。
 一応、テッサ経由で、全員が地下に下りており、崩しても大丈夫だとの確認は取っている。
「あとは掘り返して……」
 シンジさん! テッサのせっぱ詰まった声に、シンジはとっさに甲冑を浮き上がらせた。
 かく座していた地点に、連続して穴がうがたれる。機関砲だった。
 後ろ向きに、滑るように移動する理力甲冑騎の軌跡を、弾痕が追いかける。
「まだいた!?」
 見上げる。夜空を飛んで突っ込んできたのは、赤い人型兵器だった。両手で腰だめに構えられていた剣を、理力甲冑騎は右手の平に発生させたフィールドで受け止める。
 手のひらを滑る。刃をつかむ。手の内でATフィールドと剣の刃の『振動』が干渉して、激しい閃光を放つ。
 その剣は刃もなく、剣の形をしているだけの、鉄板の貼り合わせだったが、シンジは剣の形に見覚えがあった。
 まさかと叫んだ。
「エクスターミネートソードの、ミニサイズだって!?」
 フィールドが削られていく。まずいと舌打ちする。
 エクスターミネートソードはATフィールドを持つ使徒との戦いを目的に開発されたものだ。ATフィールドでは受けきれない。
 指に食い込むか、というところで、シンジは甲冑の推力を一瞬抜いて、わざと赤い機体にはじかれた。
「くそ!? 理力甲冑騎とは違う、神像っていうのとも違う、なんだよあれ!?」
 答えはテッサが持っていた。
『機族の機体です!』
「機族ってなんだよ!?」
『大陸の南を支配している、機械人間たちのことです。まさかアスカ姫を狙って!?』
 いけないと、テッサは警告した。
『機族の機体は、神像と理力甲冑騎とをあわせたようなものなんです。神像のように重くもなければ、理力甲冑騎のように力が軽いわけでもありません!』
 シンジは、そういうものに心当たりがあった。
「それじゃあまるで……」
 赤い機体は、スリムな人の形をしていた。
 そして胸当てと、腕に盾と一体になった小手を装備し、背中に左右に小さく突き出す角のような部位の付いたランドセルを負っていた。
 シルエットには覚えがあった。それは縮小版ではあるが……。
「エヴァじゃないか……」
 その機体の口元は、笑うように開いていた。

続く!

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