──エヴァンゲリオンは使徒のコピーである。
 そのため元とした使徒と同じ大きさとなっていた。だがATフィールドの有無が問題であるのなら、同じ大きさである必要はない。
 実際、エヴァンゲリオンの数倍の体躯を持った使徒も存在したのだから。
 ならば小型、縮小化したモジュールを開発できないものかという試行錯誤は繰り返されていた。
 コアが問題となるのなら、コアと、それに接続されるエントリープラグと同等のシンクロ機構。あとはそれこそ、サイボーグのような作りであっても良いはずである。
 現実化することはなかった研究であったが、これらの設計はサードインパクト後に引き継がれ、開発研究は続けられていた。シンジが収容されていたあの施設の片隅で。
(確か、正式名は確定されて無くて、縮小版(スモール)ってみんなは言ってた)
 そんなことを、思い出す。


 紫色の空を、二匹の羽虫が舞い踊る。
 月の中に影が舞い込み、絡み合い、激突し、燐光を放って遠ざかる。
「くっ」
 衝突とすれ違いを繰り返す度に、大きな荷重に襲われる。
 ぶつかる度に起こる震動が、シートの据え付けの悪さを露呈させた。座席がぐらつき、踏ん張りが利かなくなる。どうやら固定部品が外れてしまったようだった。
 分の悪さはシンジにあった。左腕が使えないのでは話にならない。
 不安がよぎる。だがシンジはくっと歯を食いしばって、「でも……」と顔を上げた。
 分が悪い戦いには慣れていた。
「やってみる!」
 負けるわけにはいかないと、四肢に力を入れて踏ん張りを入れる。幸いにもこの理力甲冑騎という名のロボットは、エヴァと似た感覚で、エヴァと同じような力を発動できる兵器であり、オーラジェットという謎のシステムによって浮遊している。
 対して敵機は、エヴァのようであってもジェットらしい機械の力を使い飛行していた。シンジはそこに勝機を見いだした。加速する。
 一旦降下し、8の字を描いて上昇する。再びの交錯。このときシンジは、甲冑の右足を大きく振り出し、敵機を爪で蹴り上げた。
 小型版のエヴァはわずかに身を引いて、この蹴りをかわそうとした。だがジェットエンジンによる飛行は、慣性の力を働かせ、この回避行動を完璧からは遠くした。腹の代わりに顎を差し出す結果となった。
 理力甲冑騎の爪が顎を蹴り上げる。頭から兜がはぎ取れ、飛んだ。
 兜の下にあった四ツ目の素顔が晒される。
 小さな目が縦に二つ、左右に合計で四つ並び、そして口は鮫のようにとがり、列を成している歯をむき出しにしていた。怒りに燃えた目でもって、理力甲冑騎をにらみつけた。
 どうやら生体組織は頭部と脳幹、胴体胸部だけであるらしく、あとは機械の手足で構成されているようであった。
「やっぱり、スモールか!」
 落ち着けばデザインにも覚えがあった。エヴァンゲリオンF形装備。フィールド偏向制御装置を備えた追加重装甲。結局は企画倒れで終わった品だと、これもまたあの施設で、笑い話に見せられた記憶がある。
 数多く消えていった、ゲヒルン、ゼーレ、ネルフによって設計されていた試作品たちの中の一品(ひとしな)であった。
「なんの冗談なんだよ、これは!」
 スモールは身を捻って上昇し、月を背にするよう静止すると、シンジのことをあざ笑うかのように四肢を広げて咆吼した。
 ──フォオオオオ!
 雄叫びが大気を揺るがす。
「そんなこけおどしに!」
 負けるものかと、理力甲冑騎の残された右腕に力の流れを操作する。
 理力甲冑騎は天上を見上げ、右手の拳を光らせる。
 見上げるそこには、月光の中、背に負うブースターの噴煙を、黒翼として広げる鮮血の悪魔がそこにあった。
「負ける、もんかぁ!」
 背中の羽が振幅を増す。ブブブという振動音はやがて繋がりなく一つの高音となって、高い周波数の音を響かせた。
「いっけぇ!」
 そして、加速。爆発音に似た音は大気の壁をぶち抜いた音だった。
 一瞬で間合いを詰めて、引いた右拳に集めた力をたたき込む。スモールの障壁が砕け散り、金褐色の破片は透けて消えた。
 だが理力甲冑騎の力は、壁を砕くだけで限界に達し、消失してしまったのだった。
 失速し、ただの拳となったその手を、スモールに両手で受け止められてしまう。
「くっ、そ!」
 両手でもって受け止められた拳を、離せと振って手を弾く。
 弾かれた衝撃で両腕が左右に跳ね上がり、スモールは腕を広げるという無防備な姿をさらした。がら空きにある胴体。そこにあるコクピット。
 ──カン、ココン。
 勢い余った二体はぶつかり合って、抱き合うように絡まり合った。
 軽い音はぶつかり合った頭の立てた音であり、衝突したキャノピー同士が奏でたものであった。
 小型エヴァの腹部、本来コアが収まっている部分には、エントリープラグの代わりにもなっているらしいコクピットブロックがはめ込まれていた。
 スモールのコクピットもまた、理力甲冑騎と同じくマジックミラーのようなキャノピーで前面を覆っていた。
 そのガラスごしに、薄ぼんやりとだが人影が見える。
 シンジは知った顔に驚愕し、立ち上がって叫んだ。
「アスカ!?」
 そこには彼の知る、知っているとおりの、十四才のアスカがいて……。
『…………』
 その少女もまた、シンジを見て、驚愕に目を丸くし、ついで怒りの形相で何かを叫んだ。
 スモールが理力甲冑騎を突き飛ばす。
 離脱用のブースターに点火。一瞬で高々度へと舞い上がり、直角に曲がって地平の彼方へ飛び去った。シンジは切り捨てら(パージさ)れた両腕を避け、追いかけようとし、くっと歯がみをして諦めた。
 とても追える速度ではなかった。もうすでに見えるのはブースターの光だけだ。
 軌跡を描く飛行機雲が、風に流されたなびいていく。
 シンジは彼女の去った方角をにらみつけながら、前髪に手ぐしを差し入れ、かきむしるようにしてうめきを上げた。
「いかり、シンジって……」
 唇の動きを思い出す。
「あの子、僕のことを、知っていた」
 理力甲冑騎がゆっくりと降下を始める。
 山の稜線に軌跡が途切れ、ついに行方を見失う。
 知らない世界に、顔と名前を知っている人がいる。
 そのことが、安心するよりも恐ろしかった。
「どういうことなの?」
 答えてくれるものはない。
 操作管から腕を引き抜く。
 シンジの手は、震えてしまっていた。


「あ、あ……」
 ひざ立ちの状態でかく座している理力甲冑騎へと、テッサがふらふらと歩み寄っていく。
 瓦礫の山となった城のすぐ側、前庭は埃まみれであり、人も多くあったが、誰も彼女に声をかけられない。
 一歩、一歩と、近づくにつれて歩は遅くなり……。
 そしてとうとう、理力甲冑騎の膝に触れる、というところで、がっくりと崩れ落ち、泣き出したのであった。
「こんなにぼろぼろになってぇええええ……」
 シンジはその哀れさに、ごめんとも言えなかった。
 どうしたもんだかと、彼女の背中におろおろとするばかりである。そんなシンジの肩を叩いたのはリョウジであった。
「おつかれさん」
「あ、うん……。無事だったんだね」
「酷いな、自分でやっておいて、なんだよそれは」
 笑うリョウジの背後には、崩れ落ちた城の姿がそこにあった。
 大型の岩塊については、シンジが理力甲冑騎にて撤去していた。そのあとを引き継いだのは工房の人間である。城の原型が無くなってしまったために、地下室の場所がわからなくなってしまっていたのだ。
 なんとかその場所を探り当て、人数任せに地下室を掘り起こし、今は順に地上へと引き上げている最中であった。
 ああ、来たと、リョウジが口にする。コウゾウと、それに続いてアスカの手を引くミサトもやってきた。
 コウゾウが、笑いながら話しかけた。
「また派手にやってくれたな」
「すみません」
「命には代えられんさ」
 ばんっと、シンジの背を叩いて、この話題を終わらせる。
「連中は引き下がっただけで諦めてはおらんだろうし、それにもっと大きな問題もある。面倒になるのはこれからだ」
 彼は理力甲冑騎の顎を下から見上げた。
 人が乗っていないというのに、起動しているときと同じくらい、生気に満ちあふれていると感じられた。
 今にも呼気を吐きそうである。それはコウゾウの知る理力甲冑騎の姿ではなかった。
「動かせてしまったか」
 だがただ動かせただけとは思えない。コウゾウは眉間に皺を寄せる。
 どこか自分の知る理力甲冑騎とは違ったものが感じ取れるからである。
 だがしかし、それを確認すべき相手は、彼らの腰よりも低い位置で嘆いている最中であった。
 さすがにコウゾウも声をかけられず、引きつりながら見なかったことにした。
「下の人間も騒いでいるだろうし、時間との戦いだな、これは」
「下の人間?」
「町のだよ。派手にやったようだからな、見られたんじゃないのか?」
「空を飛びましたから」
「ならばここに騎士がいると、誰もが考えるだろうな」
「やっぱり、ごまかせないんですね」
 まあなとコウゾウは頷いた。
「理力甲冑騎は、この国独自の兵器なんだよ。その建造方法に至っては完全に極秘扱いだ。そんな機密の塊を異国人に触れさせた……それどころか、乗せてしまったなどということが公になったら、極刑で済む話ではない」
「大事じゃ済まないってことか」
「そうだ、手を打たねばな」
 どうやってとシンジ。
「あの連中だって、撃退したってことになるんでしょうけど、きっとまた来ますよ?」
 もちろん……と、コウゾウは意味ありげに顔の下半部を手で覆い、表情を隠した。
「思いついた方法はあるんだがな……」
 意味ありげに手頃な瓦礫の上に座らされている姫を見やる。
 シンジは彼の視線を追って、小さなアスカにたどり着き、怪訝そうに尋ねた。
「あの子がなにか?」
「いや、頑張ってくれたなと思ってな」
「そうなんですか」
 ああと苦笑する。
「なにしろ次々と人が死んでいくんだ。その上、今度は城が崩れ落ちるほどの地響きだぞ? もしあの子が泣きわめいていたら、収拾のつかない状態になっていただろうな」
 えっと、驚いた顔でコウゾウを見る。
「泣きもしなかったんですか」
 泣かなかったよと、コウゾウは誇らしげに語った。
「目尻に涙を浮かべるくらいのことはしていたがな。だがじっと耐えていたよ。おかげで俺たち大人の方が我慢を強いられる羽目になった。偉い子だよ、まったく」
 そうですかとシンジが見ると、目があって、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。
 少しばかりショックを受けるシンジと見比べ、コウゾウはため息をこぼした。
「前途多難だな、これは」
「は?」
 落ち着いたら相談することにしよう。そう言って、コウゾウはとりあえずの居を工場の(そば)に作るよう者どもに命じたのであった。


「いやっ!」
 アスカは頬をふくらませ、ぷいっと一同からそっぽを向いた。
 困った顔をする皆の後ろで、シンジだけが「だろうな」とこぼした。
 工場の側、資材置き場の空き地の、大急ぎで立てた天幕の中である。
 ここには瓦礫の中から探し出した、比較的無事であった調度品……椅子やテーブルが持ち込まれていた。
 統一性は無視している。これは一式無事であった物が見つからなかったためである。
「しかしこれ以外に方法がないんです」
「あたし騎士なんていらない! 自分で戦って、勝つの!」
 負けん気がどうのという話ではなく、そこにはそうしなければならないのだという意固地な思いが伺えた。
 見た目通りの子供の意地が、大人ばりの信念を補強している。
「困ったな……」
 手に負えないと、リョウジはシンジへと振り向いた。
 リョウジに見られても、シンジは肩をすくめるだけだ。説得の言葉など思いつくわけがなく、また彼に説得するつもりはなかった。
 案を出したのはコウゾウであり、リョウジが賛成、ミサトは反対の立場を取っている。
 中立なのはシンジと共に、一歩下がった位置から成り行きを見守っているテッサだけだった。
 シンジにしてみれば、事情の大半がわからないままなのである。
「そりゃ……さ」
 シンジはやむなく口にした。
「コウゾウさんの話はわかるけどさ、やっぱ無茶だよ。どう考えたって……僕を騎士に仕立て上げようだなんてさ」
 シンジを姫の選んだ騎士とする。それがコウゾウの案だった。
「しかし他に方法がないのも事実なんだよ。お前が姫の選んだ騎士だったというのなら、コウゾウ様が理力甲冑騎を譲渡したことも、お前が動かせたことも、当たり前のことだとして処理することができるんだ」
 姫が騎士として召し抱えるほどの人物だというのであれば、理力甲冑騎が主として認めたとしてもおかしくはない話であろうし、そのような人物のために理力甲冑騎の接収が行われたというのであれば、それこそ非常時の判断としては妥当なものだと誰しもが思うであろう。
 そう言っているのだ。
「とにかくアスカ様がシンジの肩に、この剣をちょんちょんと置いてくだされば、問題が解決するんですよ」
 嫌だとアスカは突っぱねる。
「むーーー!」
 コウゾウが理詰めで迫る。
「理力甲冑騎への搭乗が許されているのは騎士だけです。つまりは陛下の許可なく搭乗者を選ぶことはできません。しかしながら王族が気まぐれに戦士を見いだすことは珍しくない。ましてや姫に見初められた騎士、という話は過去にいくらでも例がある。順番は狂いますが、あれを動かしたのがアスカ様の騎士であったということにすれば、あなたを狙う者どもへの牽制にも使える話になるのです」
 シンジはテッサに解説を求めた。
「どういうことかわかる?」
「追求される点はわかっているということですね。理力甲冑騎の出所。搭乗した騎士の正体。主にこの二点になるんじゃないでしょうか」
「理力甲冑騎についてははっきりしてるんだよね」
「わたしが城にいた頃、面倒を見ていた機体なんです。旧型で、退役待ちとなっていたのを、退職金代わりに頂戴して」
「頂戴って……」
 ぺろっと舌を出すテッサのことを可愛いと思う反面、それが許される立場にあったのだろうという想像が、この子もまた見た目通りではないのだろうなという想像を深くさせた。
「ですから改良や改修も、研究のためだったと言うことでごまかしは利きます。実際そうですし。問題はあなたとの関係性にしぼられますね」
「そのために、姫に騎士として召し抱えられていたって嘘を作ろうって言うんだろう? だけど牽制って言うのは?」
「罠にはめると言うことだ」
 コウゾウである。
「そうもっていくことができれば、罠にはめることができる」
「誰をです?」
「姫の命を狙おうという連中をだよ」
 誰のことなんだろうかとシンジは思う。
「それは一体……」
「わかっているのは、城に、アスカ様に毒を盛るよう命じるような連中がいる、ということだけだよ」
 夕べの連中が、別の手の者たちではないと思いたい。そういう願いがにじみ出ていた。
「君はなぜ、姫様がわたしの屋敷にいるのか、都合良く騎士の資格……理力甲冑騎を操りうる力を持つ者が居たのか、そして理力甲冑騎があったのか、すべてを万人が納得できるように説明することができるのか?」
 リョウジが口を挟む。
「このままだと、コウゾウ様がすべてを揃えていたという話になってしまうんだ。それだけはまずい」
「ああ。都合が良すぎる。このままではまず間違いなく、わたしが主犯だという話にされる」
「俺とミサトが姫を連れ去った。そしてコウゾウ様が理力甲冑騎と騎士を揃えていた。誰だって反逆を疑うよ」
「やり過ごすためには、どうしたって、姫がわたしを頼り、わたしは姫の騎士に理力甲冑騎を献上した。その順序での流れを作るしかないんだよ」
 嘆息する。
「反逆を匂わせる余地を残すわけにはいかない。すべてを丸く収めるためには、理力甲冑騎は騎士と定められた者に譲渡したという嘘が必要なんだ。嘘をついて、押し通すしかない。それにな」
「なんです」
「理力甲冑騎をどこに隠していたのか、誰に渡したのか、犯罪があったのではないのかと追求されたとき、それが姫の選んだ騎士のやったことだという言い分があれば、わたしたちには咎められる罪はなく、そのような事を口にする者、つまり姫の命を狙う側の口上主に対して、逆に王族であるアスカ姫の人を見る目を疑うのかと、糾弾することが可能になるんだ」
 アスカにも聞かせるためだろう、コウゾウは大きめの声を出した。
「姫は誘拐されたことになっている。その話はそのままにさせてもらおう。そして姫は助け出された。山の中、偶然に出くわした流浪の少年によってな」
「僕のことですか」
「もちろんだ。そして彼は姫がよく知るというわたしのもとに助けを求めた。だがこの暴漢たちは執拗に後を追い、わたしの城を襲撃する」
 コウゾウはシンジの前に立つと、ぽんと肩に手を置き、そしてアスカへと振り向いて言った。
「暴漢たちの正体については不明だが、連中はエイリアス、そして神像さえも持つ組織の手のものだった。これを撃退するため、姫は少年を己の騎士と認め、わたしの所有していた理力甲冑騎を接収し、少年に与える。……どうだ? まるで(うた)のような話でしょう?」
 リョウジが補足する。
「理力甲冑騎が戦ったという話はきっと城に伝わるはずだ。となれば城から人が来るのは間違いないし、それが姫の命を狙う連中の息がかかっているのは疑いようがないことだろう」
「うむ。その者たちに対してという話だよ。王族の承認というものは、あらゆる理屈を飛び越える」
「お前の出自なんてものは問題にならなくなる。これを無視して、それでもなおお前のことを詮索し、問いただそうというのであれば、それは姫の王族としての立場、発言権、つまりは存在を無視し、否定するものだとして、逆に弾劾することができるんだ」
「不敬に当たる、っていうやつで?」
「だな。幼いだとか、年齢なんてものも関係ない。姫は姫だ。姫には自分で自分の騎士を決める権利がある。そして姫が認めるほどの騎士であれば、理力甲冑騎を与えられて当然だ。そしてお前は、その期待にこたえて見せている」
「結果が出てる以上、文句は言わせないっていうの?」
「黒幕が動かした連中は、絶対にそこを責めてくる。ならばこちらは不敬に当たるぞという話を盾に立ち向かうしかないだろう」
「でもそれも、姫様が納得したらの話なんだよね?」
 シンジの言うとおりである。
 姫は頬をぷくーっとふくらませ、その側には猫のように髪をふくらませ、興奮しているミサトがいる。
 口を開いていないが、爆発寸前であった。
「ですから姫様」
「うるさーい!」
 ついに癇癪を起こして、アスカ姫は椅子から飛び降りた。
「アスカ様!」
「リョウジのばか!」
 とててと天幕の外に走り出ていく。ミサトがその後を追うため割り込んだ。
 一瞬振り向き、追ってくるなと一同をにらみつけた。
 それからアスカの後を追って駆け出していく。
「ああ、くそ!」
 リョウジは地団駄を踏んだ。
「他にうまくいきそうな手もないっていうのに!」
 うろうろとし、そして椅子に落ち着き、そのままテーブルへと突っ伏した。
 頭を抱えたリョウジに、シンジはつい笑ってしまった。
 コウゾウが見とがめる。
「なにかおかしいのか?」
「ごめんなさい……わかってないんだなって思っただけです」
 なんだよとリョウジが顔を上げる。
 シンジは、アスカ様はと、苦笑混じりに解説した。
「アスカ……様はさ、僕じゃなくて、君に一番の騎士になってもらいたいんだよ」
 俺に!? と驚いた後で、ああ、そうか、だからかと、リョウジは納得し、急速にしおれ、肩に入っていた力を抜いた。
 シンジはその様子に、またも苦笑しながら、思った。
「僕の知っている子が、年上のお兄さんにあこがれててさ、似たような感じだったんだよね」
 それはもちろん、痛みを伴う記憶の中にいるアスカのことである。
「好きな人に守ってもらいたいって言うのは、当たり前のことだろう? なのに、それに気付いてくれないとなったら……気付かないどころか、他の人間を薦めてくれるような真似をされたら、そりゃむくれもするさ」
 あの人は気付いていなかったわけではないだろうけど……今になってそう思う。
「子供なんだな」
 このつぶやきは姫を馬鹿にしたものとも取れる発言であるが、誰も聞きとがめたりせずに流した。
「けどまあ……それを差し引いたとしても、やっぱり強引なんじゃないかなぁ?」
 シンジは場の空気を入れ換えるために、他に考えは浮かばないのかという意味合いで、問題点を指摘した。
「説得力がありませんよ。あんなに小さな子が、自分で騎士にすることを決めたなんて、誰が信じるっていうんですか?」
 消沈しているリョウジにかわり、コウゾウが答える。
「幼いからこそだよ。夢物語に憧れ、期待し、選んでしまう。あり得そうじゃないか」
「お父さん……国王とかが口出ししてくるなんてことはないんですか?」
 コウゾウは(かぶり)を振った。
「王家というものは、きれい事ではすまない世界に生きているんだ。身内と言えども敵になることはある。ならば身を任せられる相手は真に信頼できる相手でなければならないだろう?」
「自分が信じられる人は、他人が決めた人じゃないってことか」
「そういうことだな」
「ならまずは僕が信じられるような人間かどうかって話をするべきじゃないんですか?」
「君は信じられないような人間か?」
「僕のなにを知っているって言うんです?」
「知っていることが無くても、信じられる相手かどうか位はわかる。それがわからなければ生きてはいけんよ」
 くつくつと笑った。
 そこにはシンジが見たこともない、老獪さというものが垣間見えた。
「さっきの話だがな、襲われたんだろう? 山の中で」
「山……ああ。ええ、でも」
 アスカたちを救ったときのことを思い出す。
 殺してはいない。だが山中に両手を縛って置き去りにしてきたのだ。足を縛らなかったとはいえ、無事に下山できたとは思えなかった。
「そうかもしれないが、もし生き延びていたとしたら? 追っ手が彼らだけでないのなら、助けられているかもしれない。リョウジの話では、姫と知って命を奪おうとしていたのだから、生かされているかどうかはわからないが」
「仲間に殺されているかもしれないって言うんですか?」
「さらったのがリョウジたちで、彼らは姫を救うために追っていたのかもしれないだろう?」
 もちろん、城の側ではそういう話にされているかもしれないということである。
 ならば追っ手である彼らには、殺されたという立場になってもらった方が都合が良い。
 誘拐犯の悪逆さが際だつからだ。
「どの道、姫には理解してもらわなければならないんだ。敵が誰で、誰が味方なのか。そして自分はさらわれたのではなく、ここにいる全員が自分の味方なのだと宣言してもらわなければならん。そうでなければ、俺たちは破滅するだけだよ」
 しかしとリョウジ。
「どうしたものでしょうか、城の連中はここを見張っていたはずです。なら、急使が来るのは時間の問題です」
「難しい話になるし、限りなくうまくいくとは思えないが、代案はある」
 コウゾウの一言に、リョウジの目の色が変わった。それに対して、コウゾウはまあ待てと制した。
「非現実的な話だよ、うまくいくとは思えん」
「なんだって、すがらなければならない状況でしょう? それはどんな思いつきなんですか」
「要は誰もが認める人物が、シンジを立派な人物だと保証してくれればいいわけだ。そうだろう?」
「誰もが認める……?」
 そうなるとと、彼はぶつぶつと一人つぶやきだし、やがて何かに思い当たったようで顔を上げた。
 漏らすようにつぶやく。
「……北の……神国(シンコク)の司教」
「そうだ」
 首肯するコウゾウだった。
「彼らが認めたなら、シンジ君は本物だ」
「認めてくれるでしょうか?」
 だから非現実的な話なのだと口にする。
「認めるという人間を作り出すのは簡単だ。こちらの街に出先を構えているような者なら金でどうとでもなる。だが金でどうにでもできるということは、『媚薬』でどちらにも転ぶと言うことだ」
「裏切られると?」
「ああ。立ち会いをしておきながら、後になって、自分は無理矢理立ち会わされたのであって、認めていない、などと口にするくらいのことは平然とやるだろうな」
 考える。
「しかし考えとしてあると言うことは、この人物であればと言うあたりはついているということですよね?」
「まあな」
 コウゾウの答えは明確だった。
「神国の本拠地、北の神殿にまで出向く他あるまいよ」
 彼は驚愕から叫んだ。
「無茶だ! 国境を越えようだなんて! 第一たどり着けたとしても相手にされるわけがない!」
「アスカ様のことがある。これまでのことを話し、シンジがアスカ様のために現れた人間だと認める発言さえ得られれば」
 シンジは挙手を求めた。
 また置いて行かれてしまったためである。
「その……未だに説明して貰ってないんだけど、どうしてアスカ様は狙われてるんです?」
 コウゾウとリョウジは目を見交わした。
 そういえばと、思い出す。
「話して……なかったな」
 うんとシンジ。
「ぼかしてたでしょ?」
 コウゾウにも目を向ける。
「ここに着いたばっかりの時、あからさまに質問を無視しましたよね? 機族とかって……なんです?」
 ここまで巻き込んでしまったんだと、コウゾウとリョウジは腰を据えて話すことにした。
「アスカ様の立場は微妙でね……最初は王位継承権の問題であったんだよ」
 だが機族が出てきたことによって、話は変わったとコウゾウは語った。

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