コウゾウ、リョウジ、シンジ、テッサと、車座に位置して椅子を並べる。
コウゾウの正面にシンジが位置し、テッサはその左側だった。右側は天幕の出入り口があり、リョウジは人気がないことを確かめてから腰掛ける。
シンジは横目にリョウジの慎重さを確認し、それだけ知られてはならない話をするつもりなのだと察した。
リョウジが頷くのを待って、シンジは問う。
「『キゾク』ってなんなんですか?」
小さなアスカのことよりも、シンジは『あの頃』と変わらないアスカのことの方が気になっていた。
リョウジが答える。
「南に住む者たちのことだよ。それ以上のことはわからない……っていうより、あいまいなんだ」
テッサが補足する。
「噂では、機械が人間のように振る舞っていたり、人間も体を機械と取り替えていたりしているそうです。とてつもなく機械化された文明社会を築き上げている一族。だから、機族」
不意にアスカに似た少女のことが脳裏をよぎる。
彼女はただの人間に思えた。シンジはおそるおそる尋ねた。
「普通の人もいるんですか」
もちろんだとコウゾウが肯定する。
「ただその中には、さらわれた人間も混ざっているがな」
「さらわれた」
はっとする。小さなアスカのことが繋がったからであった。
三人の顔を見る。三人ともが神妙な面持ちになっていた。
コウゾウが口を開く。
「そうだ。我らでは抗うこともできないような力を持っている連中が、アスカ様を狙っている。──チルドレンという言葉を知っているか?」
シンジは体をこわばらせた。
その様子に、知っているのだなとコウゾウは続ける。
「子供たちという意味合いの言葉だが、神聖文学では神と通じる子という意味で使われている。どうだ?」
「僕が知っているチルドレンって言葉の意味は……」
しかめ面をするシンジである。
取り方によっては、同じ意味合いになると思えたからだ。
「特別なロボットを動かすために選ばれた子供たちのことです。ロボットには母親が生け贄として捧げられていて」
リョウジが慌てる。
「ちょっと待て、なんのために?」
シンジは少し上目使いに見た。
「ロボットに命を吹き込むためさ。ロボットと言っても土台は生き物のコピーなんだ。そのロボットは頭で考えることで動かすんだけど……理力甲冑騎のようにね」
テッサが反論する。
「理力甲冑騎には生け贄なんて……」
「動かし方の話だよ。僕が理力甲冑騎を簡単に動かせたのは、だからさ」
引っかかりを覚え、リョウジは尋ねる。
「お前は、ああいうものに乗っていたのか」
「まあね」
「場慣れしているのはそう言うことか」
「うん」
コウゾウが口を挟む。
「話を戻してくれ」
「はい。乗っていたのは生き物のコピーでした。でも、そのままでは元になっている獣の……けだものの本能しかないんです。僕たち人間の考えなんて通じるどころか、逆に脳を冒され、侵蝕されて」
「ロボットに命を吹き込む。そう言ったな」
「命までコピーしたら、ただの獣が生き返るだけのことになります。獣とじゃ意思の疎通はできませんよね? だからロボットには命は吹き込まれませんでした。ロボットはただの人形として作られたんです。命はパイロットとして選ばれた人間の肉親、主に母親のものが選ばれ、組み込まれることになりました。母親としての本能が、乗っている子供を守ろうとするからです。また肉親なら、神経……思考が繋がりやすいからです」
リョウジが吐き捨てる。
「外道だな」
「僕もそう思うよ。でも、自分で作って、自分で犠牲になられたんじゃ、なにも言えないよ」
三人が共にはっとした。
彼が元はパイロットであり、乗っていたというのなら、作り、自ら生け贄になることを選んだというのは、彼の母親の話になるからだ。
だがシンジは謝られることを望んでいなかったので、強引に話を求めた。
「親の魂の宿っているロボットを操る子供達。それが僕の知っているチルドレンです。……みんなの話のは」
「同じではない、と思いたいが」
嫌な話だなとコウゾウがこぼす。
「俺たちは、機族の使うチルドレンの意味までは知らん。わかっているのは、俺たち人間の中には、時折そういう類のものが生まれるらしいということくらいだ。そして機族はそんな人間をどうやってか見つけ出し、攫いに来る」
アスカ様がとシンジはつぶやき、スモールに乗っていたアスカのことも連想する。
「攫ってどうするんでしょうか」
「わからないが、しかし中にはスモール、機族の連中が乗っている甲冑をそう呼んでるんだが、スモールの騎士となって機族のために働いたりする者もいるというからな」
「攫われたのに?」
「人によるということだろう。幼い頃にさらわれれば、洗脳されることもあるだろうさ」
機族の力はと、コウゾウは解説した。
「圧倒的だよ。無差別ではないにしても、抵抗は無駄だ。むろん、だからといって素直に子を渡せるものではないだろう? しかしそれでもとなると大変だ。子供一人の身の問題ではなくなってくるからな」
「周りが迷惑するってことさ」
リョウジである。
「機族に追い回されるということは、それだけ被害が広がっていくと言うことだ。どんなに同情的だった者たちでも、迷惑に思ったり、うとましく感じたりするようになる」
「いっそ引き渡してしまえ。もう諦めよう。そういう話になるということだよ。そうして手放された子供たちが、見捨てられた、見放されたと怨みを抱くのは当然の流れだ」
「アスカ様の場合は、さすがにいきなりはなかったけれど、王の元へ使者が来たんだよ。知っているのは重鎮くらいのものだが」
リョウジが言葉を切ったのは、今は実力行使の段階になっていると言うべきか悩んだためであった。
シンジとの接触は偶然に過ぎない。あちら側の口上がなかったために、判別できなかったのである。
「ならアスカ様の暗殺っていうのは」
機族については十分だと思い、シンジは人の側の事情を尋ねた。
「どこから出てきたものなんですか?」
「なぁ……シンジ」
リョウジはより声を潜めた。
「王族、貴族ってのはなんだと思う?」
「なにって、なんだよ急に」
「支配者か? 施政者か? 違う。王は、王なんだ。王は民が認めているからこそ王であるんだが、だからと言って王より民の方が偉いわけじゃない」
「わかりづらいかも知れないが」
コウゾウである。
「王は絶対者ではなく権力者であって、勝手をできるものではないということだよ。自分の娘は大事だ。だからと言って国をあげてまで勝ち目のない戦はできん」
「自分の娘を渡したくはない。だから民を巻き込んで機族と戦争をする。なんて真似、できるわけがないんだよ」
「負ける戦だ。滅ぼされることは目に見えている。かと言って引き渡すことはさらに許されん」
「国王様は、勝ち目がなければ自分の娘すら差し出すような人間だ。そんな話、広がったらどうする? どうなる?」
「だから」
シンジは早合点してしまった。
「病死に見せかけようとしたって事?」
違うとテッサ。
「国を挙げて抵抗することは許されます。アスカ様のためならば、民衆は付いていくでしょう」
「こういう話には疎いようだな」
これは最悪のシナリオだとコウゾウが重く息を吐く。
「最初に言ったはずだよ、始まりは王位継承権の問題であったとな。陛下は後添えを頂いたんだが、この方には子がいらっしゃってな。それで少々ややこしくなってしまっているのさ」
「母親が、殺そうとしているっていうんですか? 実の子じゃないからって」
「それは違う! あの方はお優しい方だ。お子様も、アスカ様を立てていらっしゃる」
「なら」
「だが追い落としたい連中は多数いる。そういうことなんだ」
「ここでアスカ様が死ねば、一番疑わしいのはあの方だよ」
「毒殺云々は、そういった中から出てきた謀略の一つに過ぎなかったんだろうな」
「ユイ様がいてくださってよかった」
「誰なんです?」
「前王妃のご友人だ。後添え様にもよくしていらっしゃる」
リョウジが悔恨の念を口にする。
「毒についてはテスタロッサが看てくれるまでわからなかった……疲れていらっしゃるんだと思っていたんだ、俺は」
「だが、裏を読めばこうなる。毒殺……暗殺をしようとしていたところに機族が現れた。毒のことが公になるかも知れない。ならばいっそ殺してしまえ」
「それは想像でしょう?」
「そうだな。こちらで掴んでいる話では、『引き渡すことはできない。だが引き渡さねばならない。では不運に見舞われたという話ではどうか?』、この噂だけだよ」
「悪辣な話さ。首謀者についてはあやふやなんだ。国王様、後添え様、あるいはそう言うことをしそうだという人間の名が、いろんな形で流されているんだよ。おそらくは自分にとって気に入らない、都合の悪い相手の噂を流しているんだろうな。便乗している連中もいるかもしれない。そういう、アスカ様の死を待っている人間がいるってことさ」
「それが……敵」
そうだと力強くリョウジは喚く。
「だからこそ! アスカ様の側には、信頼できる人間を置く必要があるんだよ」
じっと見られて、うわ……とシンジは脂汗を流した。
「だからって……それを僕にやらせようって思ってるの?」
騎士の任命、理力甲冑騎の譲渡などという話は、あくまで体裁を整えるだけの方便に過ぎなかったのだと気が付いたシンジである。
撃退してしまったのだ、機族の機体を。
確かにこれ以上の人材はいなかった。
「頼む」
だが、それがどれほどの無茶なのか? 頭を下げるリョウジの真剣さが物語っていた。
「ずっととは言わない。せめて騎士の連中が、アスカ様のために立ち上がってくれるまででいいんだ」
「君は……」
「なんだ?」
まあ、いいやと、シンジはやめておいた。
それはただの馬屋番の息子が決めていい話ではないだろうと思ったのだ。
小さな女の子への同情心から、共に逃げまどっていた人間の言うことではないだろうと感じられた。
他にも動いている人間が居て、その者たちと連携を取っている節もある。
しかしだ、ただの馬屋番の息子の言葉など、どこの誰が真剣に取り合ってくれるだろうか? コウゾウもそれなりの身分の持ち主である。なのにこうして、リョウジに一目置いていて、彼の勝手な言について、口を挟むどころか一任してしまっている。
シンジはあえてその点を避けた。深く知ろうとせずに逃げる道を選んだ。深みにはまりたくはない。それがシンジの本音であったからだった。
「機族があきらめた例はないんだよ」
コウゾウが鬱々と語る。
「必ず攫っていく。それほどの力のある連中だ。逆らう者に対しては容赦もない」
だからとコウゾウはシンジを見た。
「君の働きには驚いているよ。……まさか機族の甲冑を撃退してしまうとはな」
過大評価はしないで欲しいと、シンジは願った。
「戦っているところを見た訳じゃないでしょう? 向こうが引き上げてくれただけのことですよ」
「だとしてもだ。理力甲冑騎がスモールと渡り合えたことなど、一度もないというのに」
シンジは引っかかりを覚え、えっと驚いた。
「一度も?」
「ああ」
「……一度もってことは、戦ったことはあるんですね?」
「ああ、もちろんだ。理力甲冑騎を手に入れた騎士が、これならばとな。今となっては無謀な話であったが」
「物語のようには……ってことだな」
リョウジである。
「理力甲冑騎は、まだ歴史の浅い代物なんだよ。俺が生まれたときにはまだなかったくらいだからな。それでも三度だ。機族に挑んだ騎士の話は三度ある」
「三度とも、ひと太刀も結べずになぶられて終わっているよ。だからこそ驚いているんだ」
わたしもだと、テッサは興奮を隠さなかった。
「なにが足りないのか、なにをすればいいのか。わからずにずっと悩んできました。なのに旧型の機体で、スモールを退けただなんて。理力甲冑騎で障壁を張るとか、もう」
えっ? とシンジ。
「障壁って、バリアのことでしょ? 魔法とかでどうにかできないの?」
魔法でバリアを張る人間がいるのだからと思ったのだが、そうそうできるものでもないらしかった。
「理力甲冑騎は、魔力や生命力、そういったオーガニック的なエネルギーによって操作するものなんです。ですから、操りながら魔法を使おうとすると、普通は集中力が散漫になって、どちらかが破綻してしまうものなんです。たとえ使えたとしても、スモールの一撃を跳ね返すほどの力……いえ、そもそも、スモールの障壁を打ち破るような真似を、どうすればできるのか」
「そのこともあるんだがな」
コウゾウの眉間には深くしわが寄っていた。
「テッサにも確認したんだが、そもそもがおかしいんだよ。さっきテッサも口にしたが、君が乗った機体は、初期に開発されたもので、君があらわせてみせた性能は、わたしたちが作り上げた甲冑のものではありえないんだ」
困るシンジである。
「ものではないって言われても……できたとしか」
「だからわからないんだ。あれは実験用に払い下げられた、旧式の中古品だ。スモールどころか、神像のコピーとさえ渡り合えるものじゃない」
ちょっと待ってくださいとシンジは寒気を覚え、身震いをした。
「そんなものに乗せて……戦わせたんですか? 僕を」
「神像のコピーやスモールが出てくるとは思っていなかったからな」
コウゾウは笑った後で、今度は真剣に目を細めた。
「君は、何者だ?」
緊張感が場を支配する。
だがシンジは、肩をすくめてこれをかわしたのだった。
「うさんくさい人間。それだけです。他にはなにもありませんよ」
「ロボット……理力甲冑騎と似たようなものに乗っていたと言うだけでも十分だろう? どこの国で乗っていた? ここまで来てまだ隠すのは、まさかスパイだからか? あるいはその国の機密だからか?」
違いますと、そこは強く否定した。
「僕にだって、説明ができないからですよ。説明が付かないんだ。こんなこと」
確かにと打ち明ける。
「僕はこういう者ですってことは言えます。だけど信じて貰えないだろうなってわかってるんです」
「言ってみなくちゃわからないだろう?」
リョウジである。
「ごまかすのにも限界があるぞ?」
「もうちょっとだけ待ってよ」
シンジはそう頼み込んだ。
「ちゃんと話すよ。でも僕だって、ますますわけがわからなくなって、困ってるんだ」
ふぅと息を吐き、コウゾウはここまでだなと切り上げた。
「別に、騎士らしく、アスカ様のために戦ってくれとは言わん。だが機族を退けながら、アスカ様を連れて逃げられるくらいの人間は欲しいんだ」
「騎士が逃げたりしたら、それはそれで酷い陰口をたたかれることになるんじゃないんですか?」
「再起、再興を旗に掲げていれば、許される行為だよ。後は騎士が自分をごまかせるかどうかだが、君は生まれながらの騎士ではないからな。そんな矜恃は持ち合わせておるまい?」
「無茶苦茶ですね」
俺もそう思うがとリョウジ。
「俺には無理だからな。頼む」
「リョウジ」
「同情なら、アスカ様にしてあげてくれ。そしてわかってくれ。俺たちはただ、あの小さな女の子を守りたい、救いたいだけなんだ」
ずるい言い方だと思う。
それがシンジの素直な感想であった。
無断で国境を越えることは重罪である。
理力甲冑騎のような機密兵器ともなればなおさらのことである。時間をかければ密やかに越えられないわけでもないが、今はその時間もない。
そして越えたところで、うまくいけばという以上の話は出てこなかった。ならば他にどのような案があるのかと煮詰まってしまったところで、シンジは退座を求め、天幕を抜け出すことにしたのである。
残ったところで、この世界の常識もわからないのに、口なんて挟めない。そう思ったということもあった。
交代でコウゾウの腹心達が入っていった。ひとまずは彼らなりの結論を待つほかない。それが承知のできない話であったなら、嫌だとはねつけ、場合によっては振り切って逃げるさと、シンジは割り切り、体をほぐす運動を行った。
背伸びをすると、工場の方角から、すごい音が聞こえてきた。
気になって、そちらへと歩き出す。同じく追い出された形に近いテッサが連れ立つ。
工場へと近づくにつれて音は大きくなっていった。爆発で開いた穴から暴風が吹き出していた。
建物自体も、内部からの力で、破裂しそうにふくらんで見える。
覗いてみると、理力甲冑騎のコンバーターが展開されていた。
内圧の正体は風であった。コンバーターの下の二枚の羽が、高速振動して、風を生んでいた。
ストップとテッサが叫ぶと、その場の監督役らしい男が、さらに大きく止めろと喚いた。
振動が徐々に衰え、羽が停止する。
テッサは脚立を引きずり、歩き寄ると、上って羽の付け根の筋肉をさわって具合を確かめた。
「熱はそれほどでもないし、問題は……」
監督といくつかのやり取りをして突き詰めていく。
シンジは脚立の上に座るテッサ越しに甲冑を見上げた。
「直る?」
「直します」
彼女はいとおしげに甲冑を撫でた。
あまりにもその目に慈しみが浮かんでいるものだから、シンジは居心地悪く頬をかいた。
「あ〜〜〜、ごめんね、壊してさ」
「いえ……」
うふ、うふ、うふふと、なにかスイッチが入ったようだった。
「ほんとに、ね……。故障も多いし機嫌の悪いときばかりだし、それでもなだめすかして何とか使って、実験を進めていたっていうのに……とっくに現役を引退した子だっていうのに、全身ぼろぼろ……腕も片方壊れちゃって……」
いや、ほんとに……どうしてと泣きが入った。
「予備の材料なんてないのに、ほんとに、どうしたらいいの?」
あー……と、天上を見上げてさめざめとする。
「いやほんと、ごめん……」
かける言葉もないとはこのことだった。
「謝らないでください」
はぁ……とテッサはため息をこぼして、気を取り直した。
「心配していた、疑似生命化現象は起こしていなかったし」
「疑似……なに?」
「疑似生命化現象です。理力甲冑騎は生き物をつなぎ合わせたパッチワークで組み上がっているものですから、オーラ力で……」
「オーラ力って?」
「大気にまじって漂っている、命の源であるエネルギーのことです。これをコンバーターで吸引、圧縮して、理力甲冑騎を動かしているんです。でも命の源ですから、それが濃縮されれば魂となることだってあり得るんです……なってしまうこともあるんです」
テッサの顔に悔恨が滲んでいる。
過去に何かあったのだとわかるが、シンジは尋ねなかった。古傷に触ることを恐れたのだ。
そこからどんな会話になったとしても、自分には言葉をかけられる器用さがない。臆病さが話題を敬遠させた。
そんなシンジの自己嫌悪に気付かないまま、テッサは続けた。
「それに、あなたには感謝しているんですよ」
「感謝?」
「はい。おかげで理力甲冑騎でも、スモールと戦えることがわかりましたから」
これまでは理力甲冑騎の性能が及んでいないのだと、無理な調整と改装を重ねてきたのだという。
「そういう問題じゃなく、この子のような旧式の機体でも、十分に戦える力があるんだってわかりましたから」
機体にはすでに十分すぎるスペックがある。ならばあとは騎士の問題となる。そう言っているのだが。
「でも昨日のは、見逃してもらったって感じだったって言ったよね? あのまま戦っていたらどうなっていたかわからないよ」
「そうですか?」
「両手や武器があったとしても、変わらなかっただろうな……。僕がこの子なりの扱い方を知っていたとしても、どうなっていたか」
テッサは思い切って尋ねた。
「気になることがあるんです」
「なにさ?」
「あなたは昨日、スモールをエヴァ呼んでましたよね?」
「…………」
「エヴァっていうのは、伝承にある、伝説の巨人のことです。その描写はスモールとはまるで違うのに、どうしてエヴァって言ったんですか? それに、そう、わたしたちからスモールって呼び方を知る前に、もうスモールって呼んでましたよね?」
それはねと、シンジは至極あっさりと口にした。
「知ってるからだよ、エヴァを……エヴァンゲリオンをね」
「エヴァンゲリオン」
やはりだとテッサは思った。
エヴァをエヴァンゲリオンの略称だとシンジは知っている。つまりは、彼はエヴァンゲリオンが何かを知っているのだ。
「知っているというのは……伝承を?」
「違うよ」
苦笑する。
「見た目は確かに違う。大きさなんてまるで違うんだ。だけど部分部分の特徴や雰囲気はよく似てる。核に至っては間違えようがないよ。あれは同じものだ」
「同じって……」
ここに来て、テッサは己の勘違いに気付くと共に、まさかという思いにとらわれた。
「知って……いるのですか、エヴァを……エヴァンゲリオンを?」
急にシンジのことが恐ろしくなり、遠く感じだす。
「エヴァンゲリオンを直接に」
シンジは言葉ではなく、ただテッサを見ることで答えにした。
彼の言葉を思い出す。彼は乗っていたと。親を生け贄にしたロボットに。
チルドレンの意味。神と通じる子。神聖文学では、時折、神とエヴァンゲリオンは混同されることがある。
神に通じる子供。エヴァンゲリオンに通じるチルドレン。そしてロボットに通じるパイロット。
固まったのは数秒のことであったが、テッサはその間に見せてしまった表情に、態度に、自分がシンジを避けてしまったことを悟った。そのことがシンジを傷つけたこともわかったが、遅かった。
「でもね」
後悔しても、もう二人の間には壁が出来上がってしまっていた。
シンジが己のことを語ろうとしないいろいろな理由のうちの一つがこれだともわかった。
「僕の住んでたところには、剣や魔法なんてものはなかったよ。科学がすべてだった。なにもかもが機械で成り立っていて、エヴァもそのうちの一つでしかなかったんだ」
テッサは絞り出すように声を発した。
「神話に出てくるような巨人ではなく、道具だったというんですか」
一歩でも近づこうとしなければならない、そう感じてのやせ我慢である。
シンジはその努力を否定も肯定もせずに、同じ状態で話を続けた。
「汎用人形決戦兵器。それがエヴァンゲリオンの本当の名前だよ。ただの兵器さ。全部が全部、理屈で説明の付く世界。それが僕の生まれた世界で、こことはまるで違ってた。なのに」
不思議なんだと告げる。
「この世界には、僕の知っている人や、知っているもの、似た人、似たもの、同じ名前の人、同じ名前のものが次から次へと出てくるんだよ。ねえ、どうなってると思う?」
「世界、世界って、それじゃまるで、別の世界から来たみたいに聞こえ……」
シンジは笑わない。
次第にテッサの目が丸くなっていく。
先の緊張感から、無理に会話を続けようとして、深く考えずにとんでもないことを言い、それがまた事実を言い当ててしまったのだと気付いてしまった。
まさかと、今度こそこぼした震える声に、だからだよとシンジは嘆いた。
「僕の頭がおかしいのか、おかしくなっているのか、そうでないのなら、ここはどこなのか……」
遠い目をして、異世界の存在を信じるかと尋ねるシンジに、テッサには返す言葉がなかった。
「だからみんなには、なにを聞かれても答えられないんだよ」
シンジは嘆息した。
テッサの反応から、他の誰に話しても、おおよそ似たような態度を取られることになるだろうなと、見当がついてしまったからである。
「やっぱり、今話したところで、嘘だなんだって、そう思われるのがオチだな」
「ごめんなさい」
シンジはあわてた。
「謝ることはないよ! 信じる方がどうかしてるんだからさ」
でもとテッサは迷いを見せた。
異世界。テッサは愕然とする。信じるべきかどうかわからない。
だが嘘を言っているようにも思えなかったのである。シンジは自分の頭がおかしいのかもしれないと疑うようなことを言っているが、それは違うと感じられた。
彼自身は、自分の正気を承知している。テッサもまた、彼は正気であると感じていた。
「異世界……」
だから、彼女はそこにこだわった。そんなことがあるのだろうかと考える。
安易に否定することができなかった。それは彼女が、魔法というものが存在している世界の住人だからであった。
たどたどしく言葉を選び、彼女は考えをまとめ始めた。
「異界から……天使や悪魔を召喚するという術があります。異空間からエネルギーを取り出したり、異次元に落とすという術もあります。その先には違う世界があるわけですから、異界、異世界というものはあるんでしょうけど」
「けど?」
テッサは考えながら、信じることのできない理由を述べはじめた。
「たとえばですよ? たとえば天に浮かぶ星。あの一つ一つが、実は私たちの住むこの大地と同じものだって話を、あなたは知っていますか?」
本当は恒星であり、居住可能な惑星が放つ光ではないのだが、シンジは訂正せずに話を聞いた。
「世界は丸い石で、その上に海と陸がある。それが僕の常識だよ」
それならばと続けた。
「理力甲冑騎……その前身に当たるものが開発されたとき、人は空を飛ぶことで、大地は丸く、世界は一枚の平らな板の上にあるものじゃないって知りました。でも科学が発達してくると、この世界がいかに奇跡的な存在なのか、わかってくるんです。一つの塊の上に、陸や海や大気があって、それが飛散せずに球の形を維持している。これだけでもとんでもない確率の話になってくるんです。じゃあ、あの星の中に、この世界と同じような世界が存在する確率って、どれくらいなんでしょうか? わかりますか?」
シンジは肩をすくめた。
「想像もできないね」
ですよねとテッサ。
「それが異世界ですよ? 召喚術によって呼びだしたものと、わたしたちとは、明らかに違った存在です。同じ姿をした、同じ言葉を喋るものが呼び出せた事例なんて、聞いたことがありません。なのに、わたしとあなたは同じ人間に見えます。違いなんて在りません。ちゃんと意味の通じる、同じ言葉を話してます。そんなことがありえるんでしょうか? 天文学的数値……なんて言葉じゃ追いつかなくなるくらい、ありえないことだと思います」
生存可能な地球型惑星にたどり着くよりもか……シンジは呆然とする。
テッサの言うことが、まったくもって正しかったからである。
科学の世界で育ったシンジには、テッサの検証がいかにそれらしいかがわかってしまった。科学を専攻していなくとも、宇宙人とのコミュニケーションには、言語変換器、あるいはテレパシーが必要なことくらいは知っていた。
「じゃあ、やっぱり僕の頭がおかしいのかな? 異世界から来たって思いこんでるだけで」
「わかりません……」
テッサは顔をゆがめた。他の人間には話していないことをシンジは語ってくれている。
それが反応を確かめるためであったとしても、自分であれば、冷静に受け止めてくれるだろうと、信頼してのものだと彼女にはわかっていた。なのに、その信頼に答えられない自分がもどかしかったのである。
シンジは、これ以上は悩ませる理由もないと、話題を切り上げようとした。
「ま、いいんだけどね」
場の空気を軽くするため、ことさらにわざとらしい調子で話題を放棄しようとする。
「無理をしてまで信じてもらう理由なんてないからね。わからないことはわからないでごまかすさ」
あまりの軽さに、テッサは「えっ」っと驚いた。
冗談っぽく、シンジは告げる。
「みんなが正体を知りたがるから、ちょっと考えてみてるだけなんだ。秘密のままにしておけば、そのうち、信用できないって事で、追い出してもらえるかもしれないし。それならそれで、都合が良いって考えておくよ」
シンジは甲冑を見上げた。
「みんなは僕を騎士にするつもりみたいだけど、僕にはなるつもりなんてさらさらないし、いっそのこと信用がなくなるまで、このままにしておくのも悪くないかもしれないな」
「どうしてですか?」
「そこまでする義理がない……ってのもあるけど、話にきりがないからさ」
「きり?」
わからないかなと説明する。
「リョウジは仲間がいて、騎士を味方に付けるとか言ってたけど、それってさ……」
わかるだろうという目に、テッサは「ああ」と、ようやく理解に達した。
アスカの立場が危うい理由は、機族の追っ手に起因している。
となれば、騎士を味方に付けたところで、なにになると言うのだろうか?
人同士の謀略については押さえ込めても、限界が見えているという話になる。
アスカを生け贄に差し出して事を済ませようとしている連中がいる。アスカのことを利用して成り上がろうとしている者たちがいる。それら人同士の争いを退ける力にはなったとしても、あくまでアスカを狙っているのは機族なのである。
「今までスモールと渡り合った理力甲冑騎はない。でも戦争ともなればやってくるスモールは一機や二機じゃすまないはずだ。スモール以外の機械だってきっとある。そんなものと国を挙げて戦争をする? お姫様一人のために? 馬鹿げてるよ」
リョウジやその周辺がいくら盛り上がろうとも、一人のために戦争を、などという話に乗る者たちが、そうそういるはずがないとシンジは指摘する。
たった一人を機族に差し出すだけで穏便に済んでしまう話なのだ。ならば人の考えがどちらに傾くかなど、知れていた。
「まあ知り合った以上は、放り出すのは後味が悪いから、つきあうけどさ……。騎士になんてなっちゃったら、泥沼だよ。さすがにそこまでは付き合いきれないな」
テッサは批難しなかった。
他人事でしかない。それは責められることではなかった。命をかける時、命をかけられる相手、それを選ぶ自由が個人にはある。テッサはそのことを承知していた。
「では、どの程度までなら協力してくれるんですか?」
「人殺しはしたくないな……なるべくならさ」
シンジとテッサは、工員が働く忙しい音の中で話し込んでいた。
だから気がつかなかった。
小さな女の子が、すねて隠れる先を探し、そうして工場の隅の箱、シンジたちのすぐ側に潜んでいたことなど。
そして話を聞いていたことなどを。
小さな女の子はサーバインが再び騒音を発するのに合わせて、隠れ場所を飛び出した。アスカである。彼女は林の中へと消えていった。一同がそのことに気が付いたのは、夕食の頃合い、宵闇の迫る時間帯となってからのこととなった。