宵闇の刻、紫色を通り過ぎた空に、幾筋もの煙が立ち上っていた。
炊飯場は工場とは天幕が立ち並ぶ区画を挟んで反対側に置かれていた。
「姫様の姿が見えないって……」
香りに誘われてシンジとテッサが姿を見せると、かなり取り乱した様子でリョウジにしがみついているミサトの姿があった。
「天幕を出て行かれてから、誰も姿を見ていないのよ」
「あの話の後か? もうずいぶんになるな」
どうしたのかと声をかける前に、リョウジの方から二人を呼んだ。
「良いところに来たな。アスカ様の姿が見えないんだ。どこかで見かけなかったか?」
「見てないけど……」
「見てないけどじゃないのよ!」
「ミサト!」
ミサトはくっと歯がみをすると、シンジをにらみつけ……そして身をひるがえした。
「みんなに手伝ってもらうわ!」
仕方のない奴だと、リョウジは嘆息し、後頭部を掻く。
「……悪いな、シンジ」
いいんだけどさと、シンジは首をかしげた。
「毛嫌いってレベルを超えてるんだけど。どんどん株が下がってない? なにもしてないのにさ」
「活躍しすぎたんだよ、お前」
「やらせたのはそっちだろ?」
「俺たちはやってくれたって気分さ。でもあいつにしてみたら、どうしてお前なんだよって気持ちなんだよ」
「自分じゃなくて?」
「そういうこと」
肩をすくめる。
「俺たちみたいに、現実はこんなもんだってわかるようになれば、自分のやれることをやろうって……」
「それは卑屈すぎないかな?」
「大事なのは、目的の達成だよ。しかし心配だな。アスカ様は聞き分けのない子供のような真似をする方ではないんだが」
「十分、子供っぽかったけど」
「落ち込んでるか、意固地になってるだけならいいんだが」
「隠れて、か。それはあるかもしれないね」
そんな風に返してくるシンジを見ながら、リョウジはシンジに指摘されたことを思い浮かべた。
リョウジに対する期待感を持っているのに、当の本人からは別の人間を推薦されているという話をである。
「……俺が見つけて話をするべきかな、ここは」
「気にしてるの?」
「気にはするさ。現実は変わらないし、変えられないけど」
「あの子までミサトさんみたいになったらどうするんだよ?」
「どうすれば良いと思う?」
「僕に聞かれてもね……」
「ずるいな。まあ考えるさ。お前も探すだけは探してくれ。その辺りにいてくれたなら、それはそれで……」
「わかったよ。テッサ?」
会話に混ざってこないと思ったら、二人から少し離れた場所で、小太りの中年女性に捉まっていた。
炊き出しをしていたのか、前掛けを着けている。
「テスタロッサ様?」
リョウジが声をかけると、ああと焦った調子で、テッサは中年女性へ話を繰り返すようお願いした。
女はおずおずと前に出て口を開いた。
「一刻ほど前のことになります。洗濯物をたたんでいて、林の方へ駆けていく子供の姿を見たような気がして……」
「「子供」」
リョウジとシンジは声を合わせた。
昨日の騒ぎの後である。遊びに来ている子供の姿はない。同じような背格好の者が居ない以上、見間違えたということは考えづらかった。
「洗濯物を干している場所の林というと、向こうの方ですね」
「はっきりと見たわけじゃないんですね?」
「ええ。でも、気になって……」
「行こう」
シンジはリョウジの肩を掴んだ。
「林に入ったのなら、足跡があるはずだよ。あれだけ土が柔らかいんだ。残ってるはずだよ」
「そうだな、もう暗い。もし本当に林に入ってしまわれたのなら、帰り道なんて見えなくなっているはずだ。迎えに行って差し上げないと」
案内を受けて彼女が子供の影を見たという場所まで移動すると、そこには先に姫を探しに行ったはずのミサトの姿があった。
「ミサト、どうした」
「リョウジ!」
彼女はリョウジの胸元にすがりつくと、必死の様子で訴えた。
「見回りの人が、林の奥に子供の足あとがあったって。他にも、子供と話してる、髪の長い女の騎士を見たって人が」
「騎士?」
まさかと震えたのはテッサだった。彼女は反射的にシンジへと振り向いた。
「シンジさん」
「あの人か……シグナムって言ったっけ」
「なんだって!?」
シンジの言葉に驚愕し、リョウジは叫んだ。
「シグナムだと!? あの人が来ているのか!? どこで会った!」
なにをそんなに驚いているのか、シンジにはわからなかった。
「昨日、工場に向かう途中で襲われたんだ」
「襲われた!?」
そんな、まさかとリョウジは取り乱し、うめき声を発した。
「あの人が襲撃犯の中に居たって言うのか? じゃあ、昨日のは、騎士団だったっていうのか? 騎士団が反逆派に」
「そんなことを言っている場合じゃありません!」
テッサである。
「アスカ様と一緒にいたのがシグナム様なら、間違いなく連れ去られたことになります」
「うかつだった!」
机に拳をたたき込み、リョウジはわめいた。
「昨日の今日だ! 引き上げたって思ってた。思いこんで、油断した! こっちが息をつくのを待ってたんだ」
人が集まり、シグナムが敵に回っているという話題に、場が震える。
シンジはおかしいなと思い、テッサに尋ねた。
「シグナムって人と、知り合いみたいだったけど」
「はい」
「工場の人たちも、みんな知ってるみたいだったけど、口止めでもしたの?」
「コウゾウ様が、みんなが動揺するから黙っているようにと」
「……僕はなんにも言われてないし、悪くないよね?」
ざわめく人たちに、シンジは居心地を悪くする。
「凄い人だったんだね……でも、誰も殺さないようにしてくれてたよね」
「そうですね。でも、シグナム様をつかっていた人は、違っていたようですけど」
エイリアスに襲われた城の側では、多くの死者が出てしまっている。
シンジはシグナムの技量を思った。
(勝てるような人ではなかったけど、圧倒的でもなかった。ってことは、手加減してくれてたわけだけど)
それがどういった理由でなのかは別問題である。人殺しを厭うような人間であったのか、もしくは気の進まない仕事であったからなのか。
どちらかと言えば、両方であったように思えたのだが……シンジがそう思い返していると、ぐいっとテッサに腕を引かれた。
「ついてきてください」
シンジは人気のない方向へと誘導された。
「力を貸してください」
崩れた城の瓦礫のかげにまで移動し、誰もいないのを確認すると、テッサは追う方法があるのだとシンジに明かした。
「昨日の神像のことです。知っているのかと聞きましたよね? あの機体は、わたしの知り合いが作ったものなんです。それをわたしがある人に与えました」
「与えたって、どういう……」
「信じてもらえるかどうか……わたしは昔、ある部隊を率いていました」
確かに年齢を考えれば疑ってしまって当然である。だが非常識な徴用に関しては慣れがあったため、シンジは否定しなかった。
テッサは続ける。
「神像は特別なものです。大破したとしても回収しないわけにはいきません。ねじ一つとっても今の技術では同じ質のものを作れませんから。そこで神像には発信器を取り付けてあるんです」
「発信器を?」
「はい」
しかし今は敵の機体である。
「取り外されてるってことはないの?」
「システムに直結してありますから、取り外すことは不可能です」
「あれの持ち主はそのことを知らないのかな。気付かれないようにセットされてる?」
なぜか悲しげに彼女はかぶりを振った。
「知っていて、気にしていないんでしょうね」
「どうして?」
「わたしがここに身を寄せていると知っているはずなのに、ためらいが見られませんでしたから」
シンジは話のおかしさに気が付いた。
「ちょっと待って? 乗っている人が、どうして君がここに居ることを知ってるんだよ。いや知っていても不思議はないのかもしれないけどさ、でも君と発信器との関係なんて」
テッサは苦渋に顔を歪ませる。
「あの機体は最初に登録された人間以外、誰の命令も聞かない作りになっているんです。それをリセットできる……あの機体を組み上げた人は死んでしまいましたから」
「今ではもう、君が選んだ人以外、誰も動かせるはずがない、ってこと?」
「そのはずです」
じゃあ……と、シンジはテッサの気持ちを考えた。
「君の部下だった人が、君がいるのに、襲いかかってきたっていうのか」
「そういうことですね」
「……信号が出てるのはわかったよ」
シンジは暗くなる一方だなと話を進めることにした。
「気にしていない理由は?」
「受信機は失われていると思っているんじゃないでしょうか。乗せていた船は沈んでしまいましたから」
「船……ね。外して持ち出せるような機械だったの?」
「受信機自体は問題じゃないんです。特殊な波長を用いているので、それを解読する部品さえ失わなければ」
船が沈むと言うことが、どれほどの異常事態であるのか。船が撃沈されるところを見たことのあるシンジは、持ち出すと言ってもそれが容易なことではないと想像できた。
一瞬で沈没せずとも、火災などであの狭い通路が炎と煙でふさがるのだ。
それなのに、彼女は信号を受信するために必要な部品を持ち出したのだという。
どういうつもりで、どういった考えで、どのような願いを持って。
搭乗者の無事を祈っていたのだろうか? その彼が敵として現れたというのは一体? いろいろと想像はふくらんでしまう。
「シグナムって人と同じなのかな」
「え?」
「シグナムって人にも、なにか事情があるように見えたからね」
発信器のことから連想できる妄想については、シンジは口にすることをためらった。
話の流れから、元は彼女の部下であったと想像できる工場の人たちも、夕べの戦闘でテッサと共に白い機体を目にしているはずだからだ。
他の人間が騒ぎ立てていないのはどういうことかと想像すると、テッサに対して気をつかっているのだろうとしか思えなかった。だからシンジは関心がない風を装った。
「関係とか、知っていることとかを聞いている時間は惜しいな。その信号を受信することができるんだね?」
「いえ、受信機は壊れてしまいました」
「はぁ!? じゃ、どうやって……」
実はと壊れた経緯を話す。
「コウゾウ様に頼まれて、即席で組み上げたんですが……一晩で焼き付いてしまいました」
「もう部品がないってことか」
「でも記録はつけていましたから」
「予測で追うって言うの?」
テッサは理屈で肯定する。
「アスカ様がいなくなってからの記録を調べれば、移動方向を割り出せるはずです」
「同じ方角に逃げてると思うの?」
「思います」
力強く断定する。
「相手は状態識別信号のことを気にしていません。なら撹乱や偽装を施す必要性は考えないはずです」
それはそうだけどさとシンジ。
「どのくらい離れたところまでの記録が残ってるの?」
「確実に捕捉できていたのは十キロ分で、後は大体の方角だけなんですけど」
「十キロって……あの機体だと、もっと遠くまで移動して……。いや、あの大きさだから、木を倒さずに移動することはできないか。大きさも大きさだから、隠れてとなると、アスカ様をさらってから移動を始めたとして……」
テッサは少しばかり観察する目をしていた。
発信器、受信機。それだけではない。彼は信号についても知っている。信号というものがどこまでも届くものではなく、距離によって減衰するものだとわかっている。
これはちゃんとした知識がなければ出てくるものではない発想である。妙な世界に来てしまったという妄想に取り付かれている狂人から出てくる知識ではない。彼にはきちんとした知恵と教養がある。理性も判断力もだ。
それがそのまま異世界談の信憑性には繋がらなかったが、少なくとも彼に嘘はないと信じられた。
シンジは尋ねる。
「まさか木を倒さずに移動できるほど、非常識じゃないよね」
「やろうと思えばできる機体ですが、常時は無理です」
「やろうと思えば、か。普段やってないなら追うのは簡単そうだけど、森の中でも移動速度は人の足より速いんだろ?」
「乗り物があります」
空を指さす彼女に、飛行機でもあるのかなと想像する。
「力を貸せって言うのは、追えってことだろ? それはいきなりでも乗れるものなの」
「無理です」
だからと彼女は言う。
「わたしが操ります」
「君が? 無茶だよ!」
「シンジさんには……無理なお願いをしていると思います」
唐突に口にする。
「助けて欲しいです。でも本当にアスカ様がそこに居たなら、シグナム様だけでなく、神像まで相手にすることになってしまいます。生きて帰ってくることのできる保証なんてありません」
「行く前に言うことじゃないよ」
「それに、もしアスカ様を助け出すようなことになってしまったら、それこそシンジさんはアスカ様の騎士としてうってつけだという話になって」
シンジは苦笑した。
「そっちのことは今は良いよ。そりゃあ期待されたりするのは面倒なことだし、嫌だけどさ。でもあの子と引き替えにしてまで通すようなわがままじゃないだろ?」
「シンジさん」
「そういう目で見ないでよ」
くすぐったいと体を揺らす。
「それより、君が一緒にって話だけどさ、向いてるようには見えないんだけど」
「一応、グライダーの操作は……」
「そうじゃなくて、追跡とか、かけずり回るとか」
それは認めますとテッサ。
「でも、わたし以外、グライダーに乗れる者がいませんから」
「ほかのみんなには?」
「本当なら協力を仰ぐべきだとは思います。でもみんな、あの様子だと、みんなで向かおうって言い出しかねませんから。それでは皆殺しにされるだけです」
「エイリアスって言ったっけ。それに神像……あの機体の攻撃力なら、できるだろうね。理力甲冑騎は?」
「まだ無理です。急がせてはいますが」
「しかたがない、か」
「はい。本当に連れ去られたかどうかってこともありますから。こちらでの捜索は続けてもらわないと」
「言い訳はいくらでもできるか」
「みんなには空から探すと言うことで。コウゾウ様にだけは本当のことを伝えておきたいと思います」
「許してくれるかな?」
シンジは自分の右手を見つめた。
顔を上げ、テッサの瞳をまっすぐに見つめてはにかむ。
「ま、やらせてもらうけどね」
無駄足になろうと、徒労に終わろうと、あるいは最悪の結果を迎えようとも……。
彼の脳裏に浮かんでいるのは、本部崩壊の時、硬化ベークライトに埋まっている初号機の前で、しょうがない、しかたがないんだと、自分に言い訳をして、拡声器から聞こえる「アスカが!」という悲鳴にうずくまっていた時の姿である。
(ああいうのは、もう、嫌だもんな)
テッサの読み通り、シグナムは追っ手のことなど気にすることなく、まっすぐ西へと向かって森を進んでいた。
空を飛ばないのは、騎士としての警戒心が働いているからである。そのためシンジたちが心配しているほどには移動していなかった。
彼女の腕にはアスカの姿があった。シグナムは抱きかかえているアスカのことを見下ろしたが、しょぼくれるようにうつむいてしまっているため、表情までは確認できなかった。
彼女が特に脅しをしたわけではない。だが抵抗する素振りすら見せてくれない小さな姫に、こみ上げてくる罪悪感を押し殺そうとして、彼女はぐっと唇を噛んだ。
わめき散らしてくれたなら、己のことを責めてくれたならと想像する。だがそれは甘えだなと、シグナムはわき出た感傷を切って捨てた。主君の娘を売り飛ばそうというのである。
感傷を覚えるなど、おこがましいという気持ちがあった。
キャンプへと帰還したシグナムを出迎えたガウルンは、意外だとばかりに驚いた顔で馬鹿にした。
「逃げるかと思ったんだがなぁ」
いまさらとシグナムは吐き捨てる。
「裏切りはしない」
「そうか?」
ガウルンは、そうは思えないなと、巨体を揺らしてくつくつと笑った。
「騎士ってのは、土壇場で生き方に還りやがるもんだろ。偉そうなことを言ってな」
口では笑っていても、目は笑っていなかった。
シグナムの殺意を受け流し、ガウルンは「さぁてと」と、意気消沈しているアスカの前にしゃがみ込んだ。
頭を掴んで、嫌らしく笑う。
「お嬢ちゃんには、こわぁいおじさんたちが待ってるぜ」
そりゃ、俺なんかより、よっぽどあこぎで、悪い連中だと笑いながら、立ち上がる。
「おい、シグナム」
「なんだ」
「つけられたな」
くいっと親指だけを立てて、片膝を付いているアーバレストを指す。
アーバレストはシグナムが戻ってきた方角に顔を向け、両眼、カメラのズームを操作していた。
ガウルンはシグナムが着けられたと思っていたが、実際のところはそうではなく、シンジたちはおおよその方角に向かって飛んできただけであった。
「神像だけだった、なんてことはないよね」
「わざわざアーバレストだけ別行動をとっているとは思えません。大丈夫です。信じましょう!」
「そこは賭けになるのか……運って、悪い方なんだけどな」
テッサが持ちだした乗り物は、横長のサーフボードと言える黒い翼であった。
への字型の本体に、立つためのバーが付いており、方向転換は体重移動によって行うとのことであった。足下にはエンジンの出力を調整するためのフットペダルがあった。
本体には前からエネルギーを吸い込み、後部よりはき出す仕組みが付いている。まるで鯉の開きっぱなしの口だとシンジは思った。
この乗り物は、元々はオーラコンバーターの理論実証用に作ったものだという話であった。オーラエンジンの試作品に、羽と出力調整装置が取り付けられているだけのものであった。
シンジはよくこんなもので飛ぼうだなんて思えるなと恐怖心を抱かされた。
パラシュートもないのである。風にあおられバランスを崩せば落下して死ぬしかないという乗り物であった。
確かに神経接続の必要な理力甲冑騎とは違い、勝手に動いているエンジンの出力を操るだけのものである。誰にでも乗れるものだという利点はある。
バランス感覚さえ確かなら、誰にでも操れる。しかしシンジは自分で動かそうとは思わなかった。
訓練も無しにこういったものに乗れるような身体能力の有る無しくらいは自覚していたためである。
シンジは一人で行くという考えを捨てることにした。大人しくテッサを頼ることにしたのだが、そこでまた別の問題にぶちあたることになってしまったのである。
テッサが小柄すぎて、抱きつこうとすると、彼女の腰ではなく、脇に腕を回して彼女を持ち上げる形になってしまったのである。なにより女の子の胸に触れる、酷いとわしづかみにしかねない体勢は、どんな事態であろうとも遠慮したいとシンジは願った。
そういった経緯から、彼はテッサの股の間に寝そべって、バーの根本を掴んでいた。フットペダルが両の小脇にあるため、ペダルを操るテッサの足に、たまに肉を踏まれるのだが、それくらいは我慢していた。
「発見されるでしょうか。見つかったら」
彼女は下から見上げた場合を考えて、夜空に対して迷彩色となるよう黒いボードを持ち出していた。
だが機械の目を持っているアーバレストには通じない。
それにコンバーター特有の、虹色の排気煙が尾を引いてしまっている。
理力甲冑騎に比べれば大した出力でもないので、すぐに拡散して消えてしまうが、それでも騎士の目をすり抜けられるほどではなかった。
「大丈夫」
シンジは努めて明るく口にした。
「いろいろと準備してもらってる間に、ちょっと思いついたことがあって試してみたんだ。慣れるほどの時間は取れなかったけど、なんとかしてみせるよ。問題は」
「なんですか?」
「これであの人達が居て、アスカ様がいなかったら、僕たち、無駄死にとかになりかねないなって」
テッサは、ひくりと口元をふるわせた。
「考えないように、ですね」
「そうだね」
シグナムは中空にまで舞い上がると、角度を九十度折って地と水平に飛翔移動した。
夜の闇の向こうに、黒い羽がゆらゆらと揺れているのを見つけだす。
「機体を黒くしたところで、虹色に光るオーラエナジーの噴煙は丸見えだぞ」
テッサの不安通り、虹色の噴煙の拡散は、騎士に対しては不十分すぎるものであった。
それどころが虹の色を背負う形が、ボードとそれに乗る者の姿を強調する形となって浮き上がらせて見せていた。
「人影は二人分か。一人はテッサで、もう一人はあの時の少年だな!」
奇しくも最初の接触は、夕べと同じ三人でということになった。
ふたりは高速で飛来したものとすれ違った。
「きゃあ!」
風圧にあおられてグライダーが揺らめく。テッサは悲鳴を上げながらも挙動を立て直した。
後方を確認し、大きくターンしてくる人影に、あの人はと悲鳴を上げる。
「シグナム副隊長!」
コートの裾をはためかせ、シグナムは追いすがる。剣を抜き、そして構えた。
「テッサ!」
シンジが注意を促す。
正面、森の中より、巨人が飛び上がった。
「アーバレスト!」
掴もうと伸ばされた手の指先に、翼の端が引っかかる。
「きゃあ!」
グライダーが折れ、二人は空中に投げ出された。
「つかまって!」
シンジはテッサの手首を掴むと、思念を集中し、『内』に命じた。
「浮かせろ!」
《...understanding..》
やけにはっきりと、その声はテッサにも聞こえた。
足下に金色の光の幕が現れる。
それが落下速度をくしけずって、ふたりを森の木の上に落とした。
枝を折りながら、二人は地面まで落ちる。着地した時には怪我をしない程度に勢いは収まっていた。
「テッサ!」
痛みをこらえて起き上がろうとしたテッサの肩を掴んで、シンジは彼女を引き倒し、転がした。
「きゃあ!」
交代するように上半身を起こし、右手を突き出し障壁を発生させる。空中から大上段で斬りかかってきたシグナムの剣がシールドにぶつかった。
干渉光が激しく瞬き、押し合いになった。
「この!」
はじかれる力を利用して、後方へと飛び下がるシグナムに、シンジは左の手刀を突き出した。
シグナムが驚きの声を上げる。
「な!?」
抜き手にまとわりつかせた光が、鞭となって伸び出たのだ。うねりながら、まだ姿勢の危ういシグナムを強襲する。
避けられないタイミングであったが、轟音が発せられ、鞭ははじかれた。
「なにやってやがる!」
ガウルンであった。大きな銃を握っている。
デザートイーグル。50AE。シンジはそんなと口にして驚いた。
昨日見た工場の人間が持ちだしていた銃は、火縄銃よりもましな程度の代物だった。ハンドガンなど作り出せる技術のない世界で、彼らが独自に作り出したものだとわかるような代物であった。だがこの男が持っている拳銃は明らかにシンジの知っているものであった。
(間違いない。教練で握らされた銃だ。僕と同じようにこの世界に迷い込んできたものなの?)
シンジはゆっくりと立ち上がり、姿勢を正し、構えた。
背後でおろおろとする気配があるが、そちらはアーバレストのことを気にしていた。
「ソースケ……」
彼女は搭乗者の名前をつぶやく。
アーバレストもテッサを見ているようだったので、シンジはふたりの世界を放置した。
言い放つ。
「アスカ様を返してもらいに来たよ」
「そうはいかねぇな」
「ってことは、やっぱりあなたたちが」
「わかってて来た訳じゃないのかよ」
ガウルンは、こいつは誰だと顎をしゃくって、シグナムに尋ねた。
だがしかし、シグナムが知っていることも少なかった。
「昨日の理力甲冑騎に乗っていた少年だ」
しかしガウルンにはそれだけで十分であった。嘘だろうとわめく。
「アーバレスト……、いや、スモールと渡り合った、あれに乗ってたやつか!? こんなガキが!」
シグナムは怪訝そうに目を細める。
「その上、奇妙な術を使う……何者なんだ」
「魔法じゃねぇな。それにこの国の人間でもねぇ」
しかしガウルンは、もうそれ以上の会話を望まなかった。
「どうせ消すんだ。気にするだけ無駄だな」
銃を構える。
「やめて!」
突然、甲高い子供の声が割り込んだ。
テッサが目を向け、叫んだ。
「アスカ様!」
彼女であった。アスカは両者の間、少しばかりシグナムに近い側に立って叫んだ。
「あたしが一緒に行けばいいだけなんでしょ!? だからその人たちには手を出さないで!」
テッサが姫様と悲鳴を上げる。
あんたたちもと、アスカはわめいた。
「連れ去られた訳じゃない! あたしが自分で行くって決めたの! だから放っておいて!」
なんてことをとテッサは震える。
「自分でなにを言っているのか、わかってるんですか!」
どこに連れ去られるかわからない。どんな目に遭うことになるのか、どのように利用されることになるのか、まるでわかっていない。
それなのに……。
「自分で考えて、自分で決めたの……」
アスカは答える。
「自分で考えて、自分で決めたの!」
だから。
「帰って! どうせ、あたしのことなんてどうでもいいくせに、帰ってよぉ!」
そんなことはないとテッサは言い返そうとしたが、そうかというつぶやきが耳に入って、叫ぶ声を奪われてしまった。
シンジを見る。
「あのとき……いたんだ。僕たちが話してたところに、あの工場に」
「え!? あ……」
あの時の会話を思い返し、そういうことかと、テッサも理解をした。
痛ましげに彼女を見る。
「アスカ様……」
うなだれ、しおれてしまっていた。
自分の存在が、際限のない人死にの引き金になる。そのことに耐えられなかったのだろう。
そんなアスカに、シンジは追い打ちをかけるような真似をした。
「確かにね。僕には君の騎士となって、君のために人殺しをするようなつもりは欠片もないよ」
だけどねと、シンジはその身に力をため込んでいく。
緊張感をみなぎらせていく。
「君が放っておいてくれと願っても、みんなは君を助けに行くよ」
気持ちを高ぶらせる。
「救いに、守りに、さらいに行くよ。僕だってさ」
武人の勘が騒ぐのか、シグナムが緊張感を合わせ、構えた。
ガウルンも銃口を向ける。
「見捨てるつもりはないんだよ。……見捨てられるもんか。ああ、そうさ!」
幼い女の子に、同じ名前の少女の姿を見る。
好きだった人がいないことにしょぼくれ、一人きりになりたくないと座っていたあの子のことを。
好きでもないやつに、かまわれたいのだと、それに気付いてよと、キスしようと言ってきた、彼女の姿を。
「僕がやりたくないからって、見殺しになんてできるもんか!」
シンジから吹き出した金色の風にあおられ、シグナムが「なんだ!?」と身構えた。
「君は、僕が守るって」
次の瞬間に反応できたのはシグナムだけだった。
「そうっ、決めた!」
シンジの姿がかき消え、ガウルンの真正面に出た。
間に、同じく瞬動したシグナムが、剣を盾に割り込んでいた。
シンジの右手から発せられている光の剣が、シグナムの剣と鍔ぜりあう。
シンジはさらに、左腕を水平に振って、光の鞭を放った。
シグナムの脇を通って、ガウルンを襲う。
「ちっ!」
ガウルンはまたも銃を撃ってこれをはじいた。
「この!」
シグナムが力任せに押し返す。その反動を利用して、先ほどシグナムがやったように、シンジは後方へと跳躍した。
そこに居るのはアスカである。
着地する寸前に身を捻り、アスカの真っ正面に降り立った。そのまま体を抱き上げて、テッサと叫んで木立へと飛び込む。
テッサがあわてて後を追った。
「行かせるか!」
シグナムが魔法の起動を行い、ガウルンは走り出そうとした。
──夜の森から光が溢れた。
ふたりはたたらをふんで身構えた。襲い来る巨大な閃光に対して、バリアも、シールドも間に合わない。横っ飛びに逃げようとする。
それでも下半身は飲み込まれる勢いであったが、閃光は二人へ到達する直前で、不可視の障壁よって弾かれ、散った。
ソースケの仕業であった。アーバレストの発した斥力場によるバリアが、二人の身を守ったのであった。