「なんて戦いなの……」
 テッサは理解するしかなかった。
 自分たちの存在が、ただの足手まといでしか無いと言うことを。
 歯がみする。
 青空の中、青と赤が交錯し、赤が青にくだされ、落ちる。
 だがそれも、次の瞬間には立て直される。
 はやてが思考の硬直しているテッサに、助言を与えた。
「後退や」
「はやて?」
「後退や。西方王と合流して、国境を守るんや」
 それしかできない。
 いや、それしかやれることがない。
 テッサは唇を噛みしめる。


「あんたの力ってのは、こんなものなの!?」
 首を蹴られた衝撃がダイレクトに伝わって、アスカはむち打ちになった錯覚を覚えたのだった。
 左手で首を揉むようにしながら顔をしかめる。
 しかし右手はインダクションレバーから離していない。
 すぐに復帰し、落下中に地上のロンギヌスの槍のレプリカを視界に収める。
 木々を押し倒し、横たわっていた。
「来い!」
 手を伸ばす。
 横たわっていた剣が、浮き上がり、勝手に飛んで弐号機の元へと舞い戻った。
 勢いのままに通り過ぎようとした剣の柄をつかみ、そのまま空中へと引っ張り上げてもらう。
 弐号機は体を回して、剣の平の上に乗って立った。
 大剣をボードとして、宙を滑り、踊り舞う。
「これはどう!」
 そしてそのまま足をわざと滑らせて、大剣を発射する。
「こんなもの!」
 初号機は正面に手のひらを重ね合わせ、ATフィールドを展開した。
 空に金色の光が瞬く。
 直角に立つ八角形の障壁に突き刺さる大剣が、ねじるように姿を変える。
 二叉の槍へと変化する力を使い、ATフィールドを食い破ろうと、穂先を広げていく。
 それに対してシンジは叫んだ。
「レプリカにやられるほど、弱くはないよ!」
 でしょうねとアスカはほくそ笑む。
 ──通信が繋がっているわけでは無い。
 理力甲冑騎とスモールでの戦闘の時のように、ここでもまた意思が繋がり会話に近い疎通が行われている。
 それを二人は当たり前のことのように捉え、意識すらしていない。
 初号機はレプリカに押されて、空中を縦に、横にと回転しながら落ちていく。
 アスカはシンジがレプリカに気を取られている間に、その背後へと回り込んだ。
「直接エントリープラグを狙わせてもらうわ!」
 ちらりと視界の端に赤がよぎった。
「回り込まれた!?」
 背後の気配に、シンジは「せこいんだよ!」と叫んだ。
 レプリカの押す力を、わずかにそらして、ATフィールドをわざと解いた。
 上滑ったレプリカは、初号機を軸として回転して、背後に迫っていた弐号機へと横殴る形で激突した。
 初号機が天に手を掲げる。
「落ちろぉおおお!」
 振り下ろす。
 周囲に無数の雷球が発生し、大容量の荷電粒子がエネルギー兵器となって弐号機を貫いた。
 一撃、二撃。まるで槍のように幾十も突き立つ。
 雷撃は弐号機を貫通すると、地上に衝突して爆発を起こした。
 そこに逃げ惑っていた機族たちが、一瞬で蒸発する。
 まだ、終わらない。
 初号機の翼が障気を払い、その下にあった赤色の光を輝かせた。
 まるで血脈が走っているかのような、光の翼。
 そのあまりにも禍々しい姿は、ズワウスとの戦いで見せたサーバインのあの姿を、それを知るものたちに想起させた。
 まるで悪魔だと思った、あの姿だ。
 振り払われた障気は、だが消えることは無く、渦を巻き、漆黒の竜巻へと変貌した。
 竜巻の中では雷光が荒れ狂っていた。風の向こうに初号機のシルエットだけがうかがえる。
 なにが起こるのかと、ダナンの者たちは恐れを抱く。
 竜巻が足下から空に向かってたたまれていく。
 初号機が足下から姿を現す。
 竜巻は初号機の掲げる右手の上で渦となり、さらに速度を増して光の輪となる。
 光の輪はさらに加速して収束し、球となって……。
 初号機は、その光の玉を握りつぶした。
 直後、世界が白で満たされた。
 光であった。
 目を焼くほどの光であった。
 人は皆、しばしの間視力を失ってしまっていた。
 そして視力を取り戻したとき、人々は唖然としたのだった。
 地には、なにもなくなっていた。
 雲一つない青空。それに負けぬほどの、ただの地平が広がっていたのである。
 見渡す限りの視界一杯が、むき出しの地肌を晒す大地となり、山も裸となり、なだらかな荒野が地平線の彼方にまで広がっていた。
 クレーターができているわけでは無い。
 それはただの爆発では無い証左であった。
 ただ、形あるものだけが姿を失っていたのである。
 平坦な世界へと置き換わってしまっていた。
 なにかしらの力によってえぐり取られたというのならわかる。
 しかし彼らには、どのような力が働けば、このような現象が現れることになるのかわからなかった。
「こんな……」
 なにもかもを消し去り、初号機はそこにあった。
 空に浮いていた。
 青空の中に、光の翼を広げて。
 まるで力が衰えていない。
 これだけのことを起こしても。
 そう感じられる姿だった。
 ダナンの周囲で、ちりちりとした発光が無数に起こっていた。
 それはダナンが展開しているATフィールドに、大気に混じった粉塵粒子が接触し、干渉しているために起こっているものであった。
 だが、ただの粉塵であるのなら、ATフィールドが反応することは無いだろう。
 しかしながら、わかりやすい光景に驚愕してしまっていたがために、そのことに気をやることのできる人物はいなかった。
 ダナンは、初号機と距離が開いていたこと、ATフィールドを展開できたことで、偶然にも命を繋ぐことに成功していた。
 上空から見下ろせば、ダナンの影となった背後にだけ、世界が緑を成したままで残されていた。
 その中には、カヲルたちの船の姿もあった。
 しかし、中の国の船団は、生き残りの内の半数が姿を消していた。
「あ、あ……」
 誰かがうめく。そしてようやく理解した。
 エヴァとサードチルドレンが、伝承にあるような英雄、勇者ではないのだと。


 エントリープラグの中、足下の弐号機を睨み付ける。
 装甲が融解し、土砂に半ば埋もれている。
 しかし、やがて動き始めた。地に潜っていた腕を突き出し、手をついて、上半身を起こそうとする。
 通信が繋がる。
 開かれたウィンドウの中には、苦々しく顔をゆがめているアスカの姿があった。
「でたらめね……初号機は」
 表情も変えず、シンジは答える。
「弐号機にだって同じことができるさ」
「弐号機と初号機は別物じゃない……」
「できるはずなんだ、弐号機にだってさ」
「なら、あんたが特別なのよ」
 でたらめなのはサードチルドレンかとアスカはこぼした。
「けど」
 ぎゅっと唇を噛みしめる。
「これで終わり、とはいかないのよね。あたしは」
 目は死んでいない。
「だろうね」
 視線が交差する。
 アスカは笑った。
「優しくないのね、あんたは」
 シンジも笑う。
「優しいさ。でなきゃ、エントリープラグを狙ってる」
 微笑み合う。
「本物だわ、やっぱ、あんたは」
「そうかな」
「これであたしも……」
「なにさ?」
「お役ご免かと思ってね」
「おろされるってこと?」
「ううん。……偽物の運命か、ってさ」
「なんの話だよ?」
 察しが悪いわねと、アスカは舌打ちをする。
「機族はこの結果を持って、保護していた個体の破棄を開始するわ」
 シンジは蒼白になった。
「保護してた個体って」
 さらわれた人のことだと察しが付いた。
「殺すって言うの!? みんな!?」
「処分よ。二百万からの個体を全部ね。あたしの……セカンドチルドレンのバックアップの破棄は、さすがに検討の段階で止められてるけど……。それもあんたのサンプルが採れるまでの話でしょうね」
「そんな」
「評議会は、この結果を持って、解体されるでしょうね。サードチルドレンの異常なまでの有用さ、存在の貴重性について、考慮すること無く、短絡的な作戦に出たとしてね」
 シンジは呻いた。
「それも、僕のせい……、だっていうのか」
 そうよとアスカは喚いた。
「なんでよ? どうして現れたのよ。今更、あんたさえ現れなければ、あたしは」
「ごめん」
「謝るなぁ!」
 二人は同時に、インダクションレバーを握り込んだ。
 弐号機が瞬間移動を果たした。
 突如初号機の目前に現れ、腕を伸ばし、顔をわしづかみにした。
 振り回し、地表へと叩き落とす。
「あんたなんかに謝られたら」
 そして腕を振って、手のひらを初号機へ振り下ろす。
「あたしはっ、みっともなくて、みじめ過ぎるじゃない!」
 その動きに呼応して、土に埋もれていた槍のレプリカが、見えない糸に操られ、振り子のような軌道を描いて、初号機へと突き刺さった。
「がぁ!」
 左胸と肩を二股で貫かれ、初号機は大地に縫い止められた。
「あんたさえ現れなければ、あたしは自分を劣化コピーだなんて言って、馬鹿にしてるだけで済んだのに!」
 弐号機のフェイスガードが開く。
 口を開き、吼える。
「本物さえ知らなきゃ、冗談で済んでたのにぃっ!」
 その背中から、初号機のものによく似た光の翼が広がった。ただし大きさは桁違いであった。
 四枚の翼のうち、二枚は空に吸い込まれて、その先は見えなかった。
 残る二枚は地平の彼方にまで広がっていった。
「みんな死んじゃえぇええええ!」
 エントリープラグ内部のモニターが《Over Drive!》の文字で埋め尽くされる。
 光の翼が、体に吸い込まれるように逆に収束する。
 内部におさめたエネルギーの膨大さに、体が膨れ、装甲が弾け飛ぶ。
 弐号機を中心に空間が歪んでいく。
 歪みは動き、弐号機の頭上に集約していく。
 特異点が生まれようとしていた。
 それはこの世界からは穴とも輪とも見える物だった。
 天使の輪のようでもあり、あるいは世界を吸い上げ、吸い尽くす奈落とも思えた。
 シンジは焦った。
「自爆じゃ無い!? フォースインパクトを起こす気なの!?」
 槍を抜いて立ち上がる。
 視界の端にダナンを見つける。
 金色の干渉光の向こうに、歪んで見える。
 弐号機から発散されている金色の粒子を、ATフィールドで防いでいた。
 シンジの脳裏に、少しだけ感傷が走った。ここまでやってしまった以上、戻ったところで、化け物扱いされるのがオチだろうなと、悲しくなった。
 オーストラリアでの生活を思い浮かべる。
 保護された時はうれしかった。自分が悪者ではないのだと、利用されただけの被害者であるのだと理解してもらえて、安心した。
 確かに、保護を申し出た人たちはわかっていた。シンジよりも、よほど真実を理解していた。
 シンジがサードインパクトを起こせるほど、使徒とシンクロできる化け物だとわかっていたのだ。だから使徒関連の実験材料としてシンジを扱い、そして綾波レイの模造品を生み出し、彼を丁重にもてなしていたのだ。
 人として、被害者として扱いながら、その実、人でなし、人で無いものとして接していたのだ。
 ダナンに乗っている人たちも、同じようになるのだろうなと想像できてしまった。
 荒野となった大地。このような真似ができる存在なのだとわかれば、同じように接することなどできるはずがない。
 この様な真似、するつもりはないと言ったところで無意味だろう。できる。それだけで恐怖の対象とされるには十分である。
 それは、いつかに、カヲルに言われたことであった。
 する、しないではなく、できる、できないが問題なのだと。
 だが、それは責めるような問題ではなく、当たり前のことだった。
 当たり前の反応だと、理解できるほどに、シンジはたくさん経験していた。
 父に捨てられた先で。
 第二の故郷となったあの街で。
 始めて親友のできたあの学校で。
 全ての大本、元凶となる組織の中で。
 居場所などどこにもないのだと。
 無くなるのではない。
 なかったのだと。
 諦めるしか無いのだと。
 そのように思い詰めている姿を見て、寂しいと言ってくれた子の名前を、別の人間に、決してその子には向けない感情を込めて、彼は叫んだ。
「アスカぁ!」
 だが、だとしても、自分が真に化け物で、同じ人として見てもらえないのだとしても、フォースインパクトなどで、彼らを死に至らせることは許せなかった。
 認めることなどできなかった。
 それは別の問題だからだ。
 自分がどうなってもかまわない。
 自分がどうであってもかまわない。
 自分がどう思われようともかまわない。
 だが、自棄に巻き込もうという、機族のアスカのことだけは許せなかった。
 彼らは無関係なのだから。
「ぐっ!」
 空中で衝突し、二体はもつれ合って天へと昇る。
「あんた!」
「死にたいなら、僕が付き合ってやる。だから!」
「できもしないことを!」
 シンジはぎょっとした。
 唐突に、片隅のウィンドウに、なぜか遠くの城にいる、幼いアスカの姿が映し出された。
「アスカ!?」
 カメラなどあるはずもないのに。
 通信が届く距離でもないのに。
 小さなアスカが、手を組み合わせて祈っていた。
 祈っている姿が、映し出されていた。
「なんで!? 初号機、君が見て!?」
「大事にしてあげてよね」
 シンジは、その穏やかすぎる声に、寒気を覚えた。
「あの子も、あたしなんだからさ」
 はかなく微笑むその姿に。
 シンジは怖気を覚えた。
 フォースインパクトなど起こそうとしていないとわかったからだ。
 もっと酷いことをしようとしているとわかったからだ。
 時間を、空間をねじ曲げて、次元を壊してまで、この世界から消えさろうとしているのだとわかったからだ。
 魂の輪廻などによって、二度と自分が、この世界と関わり合いとなることなどないように。
 まかり間違って、もう一度生まれ変わって、また苦みの中で生きるようなことになったりしないようにと。
 消え去ろうとしているとわかったからだ。
 そんな彼女と、すれ違ってしまった彼女の姿が。
 あたしを見てと、叫んだ彼女と、目の前の子が重ならない。
 小さなアスカと、彼の知るアスカの、泣きそうに強がる姿は重なったのに。
 目の前にいる、同じ姿をしている子が、重ならないのだ。
 自分の知らない、安らいだ表情を浮かべているのだ。
 それはとても恐ろしいことだった。
「なんでだよ!?」
 それは、嫌なことだった。
 何もかもを諦めて。
 どこかに、なにかに達してしまってしまった者の顔。
 それはよく見知っている表情であった。
 鏡に映る、自分と同じ顔をしていた。
「もっとあがけよ! 戦えよ!?」
 それはわがままだった。
 ──あたしを見てと。
 言って欲しいというわがままだった。
 自分と同じ顔などして欲しくないという願いであった。
 自分のようには、諦めて欲しくないという悲しみであった。
 シンジからの、彼女に願う、悲しみだった。
「アスカはっ、そんなに諦めは、良くなかったぞ!」
 至近距離から手刀を繰り出す。
 弐号機のみぞおちに右手を突き入れ、腕をえぐり込み、エントリープラグをつかんで、背中側へと貫通した。
 左手にエントリープラグを持ち替え、暴走する弐号機から腕を抜く。
 震動するエントリープラグの中で、シートの背もたれにしがみつき、アスカは叫んだ。
「あたしはセカンドチルドレンじゃ無い!」
 初号機がエントリープラグを目前に持ち上げる。
 このまま潰すのも自由だ。
 そんな気の迷いが一瞬よぎった。
 エントリープラグをへし折る感覚。
 どこで覚えたものだったろう。
 シンジはその感触を明確に思い出す。
 今、この中にある命は、自分が支配下に置いている。
 生かすも殺すも自分の自由なら。
 暴力的に引き抜かれたエントリープラグと、通信が繋がっているのかどうかなど、気にもせずにシンジは漏らした。
「だったら、なんで生まれたんだよ」
 あ、ははと、真っ暗になったエントリープラグの中で、アスカは顔を手で覆っていた。
 泣いているのか、情けないだけなのか、面白がっているのかわからないが、体を小刻みに震わせていた。
「しら、ないわよ……」
 アスカは震える唇で、そうつぶやいた。
 シンジはかっとなってしまった。
 初号機は手を掲げ、その上のATフィールドに乗せた弐号機を、天高くはじき飛ばした。
「だったら!!」
 臨界点を超えた弐号機のS2機関が爆走する。
「生きようとしてみろよ!」
 弐号機の姿が見えなくなるほど高くなった時、ちかちかという瞬きがあって、空に、もう一つの太陽が現れ出でた。
「あがけよ! わめいてよ!」
 轟音と熱波。
 そして激震。
 金色の光が、天に膜を作り、破壊の余波から世界を庇う。
「死のうとするなんて、わからないよ……」
 そして光が収まっていく。
「僕には、わかんないよ……」
 静寂が世界に取り戻されていく。
「死ぬために、生まれて来たわけじゃないだろう?」
 ゆっくりと、初号機が下降していく。
「泣きたくて、生まれてきたわけでもないんだろう?」
 翼が折りたたまれるように短くなっていく。
「君まで、僕たちみたいにならなくても、いいじゃないか……」
 チルドレンは、誰もが家族を失い、愛を求めても与えられず、壊れて果てた。
 だから。
「お願いだ、アスカ……」
 ぽたりと、腿の上に、雫が落ちる。
「君は、僕たちとは違うところから始まったんだ。だったら、違うところに行き着いてよ……」
 シンジは泣いてしまっていた。
 涙をこぼしてしまっていた。
 その呟きは小さく、かすれたもので、アスカの耳に、はっきりと聞き取れるものでは無かった。
 初号機の降下地点へと、ダナンがその身を進めている。
 まるで、抱かされた恐れをぬぐい去るため、勇気を振り絞っているかのような動きであった。
 二度と正面から見ることができなくなってしまう。それを恐れるかのように、ダナンは、ダナンの中の人たちは、シンジを迎え入れようとしているかのように見えてしまう動きであった。
 空には、太陽があった。
 しかし、もう、黒き月の姿は無い。
 そのことに多くの人が気がつくまでには、まだあと少しの時間が必要となる。
 外の映像が手に入らないアスカもまた、その一人である。
 だから。
 ──うっ、く……。
 真っ暗なエントリープラグの中。
 今、彼女の世界に鳴っているのは、少年の堪えきれない嗚咽だけで……。
 アスカは呆れたようにシートに背を預けると、「あんた、バカね」と、呟いたのであった。

続く!

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