「じゃああたし、行くわ」
そう面倒臭げに言ったのはアスカだった。
「ここに居るのも、飽きたしね」
左目上下には二点の穴が無残に穿たれ、瞼はもう開かなくなっていた。
右腕には縦に筋が残ってしまっていた、元どおりくっついてはいるものの、引きつれが残っているのか、左腕で髪を掻き上げている。
終息した世界はクライン空間に囚われて、始まりと終わりの基点が同じ場所に閉じ込められていた。
それがこの、赤い世界。
「そう……、なんだ」
シンジにはそう言う事しか出来なかった。
何でも出来るようになった。
何でも分かるようになった。
だがそれをするかどうかの選択は、やはりシンジ自身がしなければならない。
出来る事もしなければ出来ないのと同じだ。
分かる事でも活かせないのなら分からないのと同じことだ。
未だシンジには、彼女の気を引く事すら出来はしない。
「そんな顔するんじゃないっての、馬鹿シンジ」
気安く笑いかけ、ぴんっと鼻先を弾くアスカ。
そこには親愛の情が見て取れた、それでも、シンジには冷めたものに感じられてしまった。
原因はアスカにあった。『あれ』以来、彼女の口癖は「面倒臭くなっちゃった」というものになっていた。
こだわること自体がバカバカしい。当たってしまうのはこだわってしまうからだ。ならば苛つく前に無視をすればいい。気が向いているときにだけかまい合えば良いだけなのだと……。
そう思っていると、一応アスカは伝えていた。
「良い? 終わりと始まりは同じ場所に繋がってるの、あたしとあんたは同じように出会って、同じように傷つけ合って、また同じように分かり合って、そしてまた別れる事になる。何度もね」
「うん……」
「だから、あたし達はまた出会う事になるわ、嫌でもね」
「……それでも」
「ん?」
「自己嫌悪と後悔をくり返しても、何かが分かったら、それだけ前に進める?」
「良いこと言うじゃない」
「受け売りだよ」
「そう? ま、分かってんならいいんじゃないのぉ?」
ちくりと胸に痛かった。
(分かっているから、なんだろう?)
それでも一人にされるのが恐くて……、見てくれないアスカに苛立って首を締めてしまったように、今でもアスカに縋っているのに。
(恐い? 一人にされるのが)
無関心なアスカは居心地が好かった。綾波みたいで。
「じゃね」
簡単な言葉、はっとして顔を上げると、もう彼女の姿は消えていた。
「アスカ!」
だからシンジは追いかけた。
あの日……、病院に、アスカに縋り付いたように。
また今度も、助けてよって泣き叫ぶために。
少なくとも、その時はそのつもりではあったのだ……。
One Day : 1
「乗って!」
そう言われてどうしようか迷った。落ちて来た飛行機、炎と煙。
その時、シンジはそこに『出た』
転がっている自分が居た、そう、そこにも自分がいた。
もちろん自分は自分で、理由も分かってはいた。
サードインパクトでガフの部屋から解放されず、エントリープラグと言う名の方舟に残されたシンジは、全ての魂が一つとなった新たな人類の篭枠からは外れてしまっていた。
ガフの部屋、それは魂と言う名の檻だ。碇シンジと言う名前の篭だ。
だからここに居る自分と正面に居る彼とは、時間軸を同じにしても合一化することは無かった。互いのガフの部屋と言う名前の壁、ATフィールドがぶつかり合うからだ。
車でやって来たミサトは、二人のシンジに戸惑ったが、迷ったのは一瞬だった。
「早く!」
この場に見捨てるほど薄情な女では無かったようだ。
「え……、っと、碇シンジ君?」
「はい」
助手席のシンジが答えた。
「あなたは?」
後部席のシンジに問いかける。
「……です」
「は?」
「六分儀シンジ」
「シンジ君、ね、こっちも」
少なくとも別人か、と安堵する。
見分けも付く程度には髪の長さが違っていた、ホンの少しだが。
「他人とは思えないんだけど」
「あの……、シェルターに行かなくて良いんですか?」
「六分儀君には悪いけど、緊急事態なの、付き合ってもらえる?」
「構いませんけど」
正直、面倒だなと言う気がしていた。
(アスカに逢いたいだけなのに)
さっさと探しに行きたいのに、こんな面倒ごとに付き合わされたのでは。
その思いは的確に命中してしまった。十五分後に入ったジオフロント、どこかで予備が届いたと口にしようとした男は、二人の自分の息子の姿に顔をしかめて見せたのだから。
「顔、巨大ロボット」
「載ってないわよ?」
そんな会話の隣で、シンジはぼうっとしていた。
「驚かないの?」
「え?」
「久しぶりだな」
ミサトの問いかけは父の声によって遮られた。
「父さん……」
返事に息子を判別して、もう一方に問いかける。
「誰だ」
「誰……、って言われても」
困った風に言う。
「箱根で助けてもらって、あと連れて来られちゃっただけで……」
「そうか……」
今は追及している場合ではないと判断したのだろう、あっさりと意識の外に放り出してしまった。
「出撃」
「出撃? でも零号機は」
「初号機があるわ」
「パイロットは!」
「今、届いたわ」
「マジなの?」
「シンジくん、あなたが乗るのよ」
流れていく事象は、やはりアスカの言葉通りにくり返しでしかない。
(退屈だな……)
ぼうっとしていると話が纏まって来たのかレイが運ばれて来た。
(外から見ると、僕ってこんな感じなんだな……)
ちょっと嫌な感じがした、自分であるのに。
(僕は僕が嫌いだけど、これは、また違う感じがする)
それは他人に対する嫌悪感だ。
(こんな奴は嫌だ。こんな風にはなりたくないよな、父さんみたいになりたくない、それと同じように)
だがそれ以上にムカツクのは。
激震、それは天井都市のビルが落ちた震動だった。
落ちて来る鉄骨、それを弾く腕、尻餅をついているシンジを真似るように巨人は動いていた。
綾波レイに駆け寄って抱き起こす、背後から口にするミサト。
「わたし達はあなたを必要としてる。けどエヴァに乗ってくれないのなら用のない人間なの、わかる? あなただってお父さんとの再会を喜び合うために来たんじゃないってことはわかってたんでしょう? なんのためにここまで来たの? お父さんにあそこまで言われて黙って帰るつもり? あなたが乗らなければ傷ついたその子が乗ることになるのよ、自分が情けないとは思わないの!」
何か言おうとしたゲンドウを遮ってシンジが言った。
「碇君」
「六分儀君……」
縋るような目には反吐が出る。が。
「構うことは無い、帰ろう」
「ちょっとあなた!」
「だって、碇君は初めてここに来たみたいなのに……、上のあんなのと戦わせようって言うんでしょう?」
「そう、だけどね、彼が戦ってくれなければ」
「ジオフロントなんて安全な所に隠れて、何言ってるんですか」
「あなたには関係無いじゃない!」
「で、碇君みたいな子を矢面に立たせようって言うんだ?」
「エヴァしか、使徒に勝つ方法は無いのよ」
「だから?」
すっと目を細くする。
「……碇君、飛行機、落ちて来たよね?」
「うん……」
「あれにも人が乗ってたんだよね」
はっとした顔になる。
「あ……」
「だけど呼び出されなかったらあんな目に合わされる事は無かった。その上強引に連れて来て、こんな状態の時に帰れって言う、つまり、死ねって言ってるんだよ、君のお父さんは」
無表情なゲンドウのことなど無視をして言う。
「戦って生き残ったって好い事なんて有りそうに無いよ? なら逃げて死んだって良いんじゃないかな?」
「僕は……」
「死んだらそこで終わりだよ、楽になれるんだ。生きてたって辛いだけなら、どうでも良いじゃないか、少なくとも」
シンジはゲンドウを見上げた。
「ここには、君が命をかけてまで守りたいって思える物は無い、そうだろう?」
目に強い批難の色を込める。
「その子のことだってそうだ。意識なんてほとんど無い、その子が乗る事になる? 無理矢理乗せるの間違いだろう? そのくせ君のせいにして罪悪感を抱かせて、ズルいんだよ、やり方がね」
「誰が好き好んで!」
「ならどうして逃がしてあげないんですか? 乗せる方を取るんですか?」
「それがその子の仕事だからよ!」
「でも碇君にはなんの義務も責任もない」
ぐっと詰まった。
「なのに無理に乗せようとしてる」
「時間が無いわ」
新たな震動が響いた。
「……戦いたいのも生き残りたいのも自分なんでしょ?」
辛辣に言う。
「そのくせ、その子が危ない目に合うとか、情けないとか人のことを馬鹿にする。せこくないですか?」
「あんたなんかにっ、なにが!」
「人のことなんかどうでも良いって言ってるんだよ。人の罪悪感をつつく前に、本音を言ったらどうなのさ」
「もういい、葛城一尉、レイ、早くしろ」
「は、い……」
碇シンジを押しのけ、立ち上がろうとする。
苦悶の声、熱過ぎる荒い息に少年は触れ支える事さえためらう。
離してしまう。
それを代わりに行ったのは。
「六分儀、くん?」
「誰……」
レイの声に微笑む。
「六分儀シンジ、……もう一人の碇ゲンドウの息子さ」
「なに?」
驚いたのはゲンドウだった。
「何を言っている」
「碇ユイは生まれた子供の保護を考えて、受精した卵子を分けて『片割れ』を作ったんですよ」
「なん……、だと?」
「僕はこう聞かされています、父さんが母さんに取り入ったのは、母さんの入っていたゼーレって組織に近付くことが目的だったって」
動揺、その隙にもう少し話を続ける。
「母さんは凄い人でした、自分の本当の願いを叶えるためには父さんを捨てる事になるって計算してました、でもそうなった時、きっと父さんはもう一人の僕を犠牲にしてでも、何かをしでかすだろうって、……本当の願いについては、だから父さんに話せなかったけど、冬月って人には話しておいたんだそうです」
ゲンドウの頬に引きつりが生まれた、それは腹心に対する嫉妬であった。
「すみません葛城さん、僕は貴方に一つだけ嘘を吐きました」
「なに……」
「僕があそこに居たのは偶然でも必然でもなく、碇君を待っていたんです」
「シンジ君を?」
「はい……、ゼーレと言う組織も色々な考え方をもっている人が居ます、僕はその中でも母さんの考えに賛同する人に育てられました」
これ以上話しても良いものか、と言う目でゲンドウを見やる。
「所詮僕は予備に過ぎない、と、碇シンジが死んだ時のバックアップに過ぎない、だけど碇シンジを殺して成り代わるのも……、人が当たり前に与えられる物を奪い返すだけなのだから構わないだろうと、教えられています」
脅えを見せる自分を無視する。
「母さんはもっと辛辣でした、もう一人の僕を守るために作った。そのためなら父さんのことなんて考えなくていいって」
「なんだと」
「僕を育ててくれた人はこう言っておけと……、僕に何かあった時には、生体発信機が止まる事になる。それは謀反の証しだと……、母さんは念のために、僕の手助けをする存在を残しておくと言ってました、それをこんな風に扱うなんて」
呟き、少女の髪に顔を埋める。
「酷過ぎる」
顔を伏せ、焦りを隠す、勿論片っ端からでまかせだったからだ。後はどうするかシンジは必死になって考えた。
ガコン!
更に大きな震動が来た。
『使徒、ジオフロントに侵入!』
アナウンスは悲鳴そのものだった。
顔を見せないようにして震える様は、逆に迫真の演技と生って、真実味を生み出していた。
「僕が、乗ります」
シンジは言った。
「あなたが?」
「はい、僕には動かせる。これは確固たる『事実』ですから」
こういう時は押し切った方が勝ちだ。と分かっていた。
はったりと強がりと勢い、伊達に赤い髪の少女と二人っきりで過ごして来た訳では無い、嘘を吐くのにも慣れた、あの子を騙せたことはなかったが。
「よかろう」
精一杯の虚勢を張って、ゲンドウは言った。
「好きにしろ」
唯一信じていた妻もまた、仮面の裏に他人の素顔を隠していた事がショックだったのか、声に力が無い。
(嘘だけど、ま、母さんを信じ切れなかった父さんが悪いんだよ)
決して『息子』の言葉だから無条件に信じてくれたとは考え無いシンジであった。
続く
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