「説明はいりません、行きます」
シンジはそうリツコを制し、勝手にエヴァの首筋へ回り込み、飛び移った。
慣れた手つきで操作盤を開き、エントリープラグを排出させる。その行為だけでもただ者でないと知れるのだが。
「ああ、碇君」
「え……」
「乗るかどうかは僕の戦いを見てから決めた方が良い……、その人達は故意に大事な事を君に告げていないからね、これに乗って戦えば苦しい事や悲しいことも味わう事になる。その可能性は考えなくちゃいけない、少なくとも今、その人達は君の意志や気持ちを無視してる。そんな人達がこれから先、君のことを考えてくれるはずが無い、そうだろう?」
何も言えない碇シンジの背後を、レイを乗せたストレッチャーが遠ざかっていく。
「人を守るって事は人を守る責任を負わされるって事だ。じゃあ死人が出たら? それは君の責任だよ、責められるのは君だ。守れなかった君が悪いんだって、どうしてもっと上手くやらないんだってね? 無理矢理乗せられたあげくそんな風に言われる。納得出来るかい? 出来ないだろう? 後悔とか、情けないとか、そんなことは関係無いさ、生きてる方が辛いくらいの地獄に叩き込んだ揚げ句、その人達はごめんなさいとか、すまなかったとか、しょうがなかったで済ませるつもりなんだよ、自分達だけ責任を取らずにね」
「黙りなさいよ!」
「やめなさい、ミサト」
「リツコ!」
「彼の言う通りよ、あなたも言ったでしょ? それでもエヴァに乗ってもらうしか無いのよ、『わたし達』が生き残るためにはね」
偽善者ぶらない分だけ、リツコの方が好ましいかもしれない。
シンジはその間に、エントリープラグの中へと潜り込んでいた。
One Day : 2
ジオフロント内に配置されたエヴァ、ゆっくりとその眼前に歩いて来る使徒。
「シンクロ率は八十を越えてる。凄いわ」
「シンジ君、まずは」
シンジはミサトの言葉を遮った。
「葛城さんは、組み手をした事がありますか?」
「今はそんな場合じゃないでしょ!」
「場合だからですよ、聞きますけどね? 素手で戦う時に、まずは……、なんて指示を出されて、その通りに動いて、敵と戦えますか? そっちからは何百メートルも距離があるように見えるでしょうけどね、こっちからじゃもう後十数歩程度なんですよ、ミサイルで援護してくれるとか、そう言う事をやってくれるのならともかく、なんにもしてくれないでパンチだキックだって観戦ですか?」
リツコが言う。
「彼の言うことの方が正しいわね」
「リツコ!」
「彼は言ったはずよ? 安全な所に引っ込んでいて好き勝手言う権利はわたし達には無いってね、無理矢理レイを引っ張り出したり、その子を乗せようとしたあげく、ろくな仕事もしていない、余計な口出ししてる暇があったら、ちゃんと仕事をした方がいいわね」
くっと歯噛みしてまで、正論を言うリツコを睨み付ける。
「分かってるわよ!」
(分かってないから、寄ってたかって叩かれるんでしょう?)
嘆息するリツコだ。
「碇君」
「はっ、はい!」
「君が出なくて良かったよ、何も知らない君じゃ、言うことを聞くしか無いからね、こんなんじゃ敵にじゃなくて、その人達に殺されてたよ」
憤慨する声が聞こえるが、シンジには冷笑するしか無いことだった。
(実際、殺されかけたもんな)
右の目を押さえて撫でさする。
使徒の目が光った。
「何ぼうっとしてるの!」
ミサトの叱責、だが。
「ATフィールドの発生を確認!」
爆炎は初号機の正面で発生した。
「ATフィールドで受け止めた?」
「で、掩護射撃はどうなったんですか?」
シンジの通信にはっとする。
「弾幕、張って!」
ミサトの声にようやくミサイルが打ち出される。湖に浮かべられていた船も砲撃を始めた、さらには浮遊艇も攻撃を始める。
「爆煙で使徒が確認出来ません!」
オペレーターの悲鳴、どこまでもミスが続く。
「攻撃中止! エヴァは!?」
ミサトにはそう悲鳴を上げるしか無かった。しかし。
「あ……」
「使徒……、沈黙」
晴れた煙の奥で、使徒はコアを砕かれて停止していた、通常兵器が通じないはずの使徒は全身を砲撃によって穿たれていた。
コアを砕いていたのは初号機であった。左の抜き手を突き込んで、そのままの状態で静止していた、使徒の破損はATフィールド消失後のものだろう、その余波で初号機の装甲にも傷が付いている。
シンジは……、力を抜いて、身をLCLに委ねていた。
その左手には赤い玉が弄ばれていた、親指で転がすようにしているそれは、まるで使徒のコアのような輝きを持った珠玉であった。
「予想外の収穫だな」
冬月は嘆息した。
「確かに、ユイ君からそのような話を聞いたことはあるがな」
大人げないぞ、と口にしかかるのを必死に堪えているようだ。
「老人達の反応はどうかね?」
「……こちらを疑っていた」
「当然だな、ゼーレを構成しているメンバーは強固な結束で結ばれている」
「ああ」
「ユイ君は本来、お前の代わりに構成メンバーに入る予定だった。そのような人間の計画を引き継いでいる者がいるとすれはそれは……」
「わたし以外にはいないだろうな」
「互いを疑い合うわけにもいかんだろう、それは自壊を招くだけだ」
「だが既に互いの牽制を始めていた、取り合えずは俺を疑う事で均衡を保っているような状況だ」
冬月はもう一度溜め息を吐いた、ゲンドウの言葉の真意が、自分との関係を示唆していると感じたからだ。
「俺がお前の手のひらの上で踊っているだけの存在だと思っていたか?」
偶然にも、シンジの言葉はある意味においては的を射てしまっていた。
不協和音が響き始める。
戦闘後、シンジはリツコによって足止めを受けていた、表向きは検診として、一晩検査入院を迫られたのだ。
何しろ初の実戦である。真実はどうであれ、彼らはそう捉えている。
「慣れたものね」
「慣れてますから」
真実は告げないシンジだ。
直々にやって来たリツコから退院許可が下りたので、服を着替えている最中である。
「この後はどうするつもり?」
「は?」
「ミサトが探してたけど」
シンジは、ああと納得した。
「あの人の相手は碇君に任せますよ」
「そう?」
「あの人は焦ったり都合が悪くなると怒ったり怒鳴ったりする人でしょう? 苦手なんです、喚く人って」
確かにね、と理解するしかないだろう。
「シンジ君ね、ミサトが引き取る事にしたそうよ」
「僕はどうなるんでしょうね」
「シンジ君が本来入るはずだった部屋があるわ」
薄く笑う。
「頼まれましたか? 父さんに」
「何のこと?」
「探りを入れろって」
「これはわたしの独断よ」
「はい?」
何やら思い詰めた顔をしていた。
「これから話す事をどう受け取るかはあなたの自由よ、ただ。内密に出来ないなら」
「出来ますよ」
「そう言ってくれると思ってたわ」
リツコは淡々と語り出す。
「わたしの母さんは、あなたのお母さんに嫉妬して言い寄っていたわ、利用されていたとも知らずにね」
「いきなりですね」
「でもそれはわたしも同じことよ、捨てられる事が恐くて従っている。けどお笑いね」
「はい?」
「……唯一信じていたものに裏切られて、それでもあの人はわたしに縋ってはくれなかった」
「悔しいんですか?」
「違うわ、そうじゃなくて……」
「自分はその程度に見られていた」
シンジの言葉に唇を噛む。
「……そうね」
「で、僕に何をしろと?」
「レイよ」
「綾波?」
「そう、あなた言ったわね、あの子はあなたのために用意されたって」
「ええ」
「でもあの人は、自分が作ったと言う事を口実に、あの子に願望を写し込むはずよ、あなたには……」
言わないリツコに鋭く斬り込む。
「僕に言わせて、責任逃れをするつもりですか?」
「そうね、正直に言うわ、レイを奪って、あの人から」
そこにあるのは妬みでも嫉みでもなく、憎悪だった。
そうまでして、他の女に縋るのかと言う。
断ると恐い感じがして、シンジはちょっとだけ諦めた。
「分かりました」
「良いのね?」
「その代わり、お願いがあります」
「なに?」
「人探しです、右腕に傷痕のある。隻眼の……、左目の潰れた女の子を探して欲しいんです、名前はアスカ」
「アスカ、ね」
「そうです、髪は赤みの入った金色、目の色は青です」
「簡単には引き受けられないわね、それだけじゃ」
「大丈夫ですよ」
リツコは目で何故と問いかけた。
「大丈夫です……、多分、ネルフのすぐ傍に居るはずですから」
シンジは胸の内だけで呟いた。
(さっさとこっちの僕に押し付けて、逃げ出してれば良かったな)
と。
続く
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