「くっ……」
 アスカは腰に刺さったナイフを押さえながら後ずさった。
「あんた……」
 ナイフを刺してもまごまごしていたからだろう。
 少年の手は血まみれになっていた。
「あ、あ……」
「それで良いんだよ、シンジ君」
「姉さん!」
 無様に転がりながら、少女は彼女に駆け寄った。
 やはり依存していただけに憎さが倍加していたのだろう、その裏にあるのは親愛の情だった。
 抱き支え、それでも崩れようとする姉にただ狼狽える。
 自分を捨てた姉への復讐は、こんな形を望んだわけではないのだから。
「カヲル君……」
「君はそれで良いんだよ」
 縋るような目に彼は許しを与えた、しかし。
「……許さない」
「え」
「許さない!」
 少女は姉からナイフを引き抜くと、両手で構えて突進した。
 少年に。

One Day : 26

 ──ドン
 誰も止められなかった。少年は少女の体当たりをまともに受けて転がった。
「あ、がっ、は!」
 ぐふっと血を吐き、震える手で腹に刺さったナイフの柄に触れようとする。だが痙攣のために上手く腕が動かなかった。
「シンジ君!」
「それで良い!」
 マナの声をカヲルが遮った。
「この閉塞した世界を解放するためには、全ての碇シンジが邪魔になるんだよ、君は正しい事をした」
「そ、んな……」
 涙の滲む目を、少年は持ち上げた。
「カヲ、ルくん……」
「さようなら、シンジく……」
 タンと銃声。
 カヲルは肩を押さえて、よろめいた。
 驚きの目を観衆の……、聴衆の向こうへ向ける。
「碇、ゲンドウ……」
「司令!?」
 さっと別れて道を譲る兵士達。
 ゲンドウは無言で銃を握っていた。
「司令……」
 物問いたげなリツコを無視して前に出る。
 銃口は相変わらずカヲルへと向けたままだ。
「ATフィールドが……」
 銃を左に持ちかえ、ゲンドウは手のひらを開いた。
「そういうことか」
 埋め込まれた胎児がぎょろりと目を剥く。
「アダム」
「いいえ」
 否定するレイ。
「彼の名は、タブリス」
「!?」
「あなた、誰?」
「僕は……」
 カヲルは顎が固まるのを感じた。
 言えないのだ。
 何故か。
「この世界において、あなたはタブリスではないわ」
「使徒では、ない?」
「そう、わたしが使徒でないように、使徒でありえたように、この世界において、時計の針を進める必要のないこの状況下では、あなたはあなたに過ぎない、あなたを生み出した人達のコマでしかなかった。使徒になる可能性を持つ奇形児、わたしと同じ、その一人」
「じゃあ……」
「あなたは純粋に、第十七使徒戦のために送り込まれた補充戦力、何を勘違いしていたの?」
「……ありがとう」
 礼を言ったのは、上半身を拾い上げてもらったシンジであった。
 まだこんこんと血は溢れ続けている。まるで尽きることがないように。
 ……どこかの磔の存在を思い起こさせる。
「ロンギヌスの槍は僕自身だよ、僕で僕は殺せない」
 レイが半身同士を合わせると、その繋ぎ目は勝手にすうっと消えて行った。
「ついでに、父さんには全てを明かしてある。君の好きにはさせないよ」
 だが。
 シンジが口にした相手はカヲルではなく。
「くっ!」
 少年は跳ね起きると父に向かって踊りかかった。腹のナイフのことなど全く忘れて。
 バンバンと銃が火を噴くが遅く、少年の手に弾き飛ばされた。
 どたんともつれて倒れ込む。
「シンジ君!」
 ミサトの声など無視をして、少年は父親の首を締めた。
「やめてよ!」
 そして叫んだ。
 自分に対して。
「やめてっ、やめてよ! どうしてこんなことするんだよ!」
『僕が生き残る事が、僕の使命だからさ』
 シンジの口を使って、何者かが言葉を吐いた。
『全ての使徒を排し、ガフの部屋と呼ばれる器を破壊し、魂を還すんだ』
「やめるんだ!」
 飛び付こうとするカヲル、しかし。
 ──バン!
 翼が、開いた。
 少年の背中に、シャツを裂いて。
「そんな!?」
 カヲルはその一対の翼の形状に対して叫んだ。
「ミカエル! 四大天使が取り憑いているのか、でも何故!」
「カヲル君、どいて!」
 カヲルは身を捻るように背後から突き出された物を躱した、少年もだ。とっさに父親から飛びのき、人が扱うに相応しいサイズのロンギヌスの槍を回避した。
「シンジ君に、何故」
 槍は空中静止すると、またシンジの手に戻っていった。
「……彼は初号機の中に居るものを、自分だと思ったようだけどね」
「なんだって?」
「つまり、そういうことさ」
「うん?」
「わからないのかい? この世界を作ったのは僕だ。僕が唯一にして絶対なんだ。彼じゃない」
「じゃあ、初号機の中に居た君は」
『そう、ルシフェル、僕は君を待っていた』
 少年は口を開いた。
『君を倒すために』
「神の刺客ってわけだね」
『君は危険だ』
「そのためなら、『僕』を騙しても良かった?」
『真実の一端を誤認したのは認識力の不足に過ぎない、それはこの少年の霊格の低さの問題だ』
「詭弁だね」
 ぴしゃりと言う。
「教えるべき事を教えなかったくせに」
「なんのことなんだい?」
 ちらりとカヲルに視線を送る。
「この天使様はね、碇君に都合の良い事実だけを教えたのさ、そして知られてはまずい真実はあえて伏せておいた、そのせいで彼は思い詰めてしまったんだね」
「僕は躍らされていたのか、彼に」
「碇君自身、自分の意識の何処から何処までが誘導された物なのかわからなかっただろうね、君達、そう、アダムの子らも同じなんじゃないのかい? どんな真実を見せられたのかはわからないけど、想像はつくよ、閉塞にこだわっていたからね」
「わるかったね……」
「うん、この世界は閉じてなんていないんだよ、ただ。神の願い通りに昇天するか、それとも堕天するか、それだけなんだ。僕達……、僕とアスカは、ただ沢山ある世界を渡り歩いているに過ぎない」
「本当に?」
「その証拠に、僕達は僕達が生きていた時間の枠の中で、その時間の時に取っていた姿でしか顕現できない」
「……なるほどね」
「でも莫大な知恵と知識と認識力が、その枠から飛び出す可能性を示唆している。けどそれは神の望むところでは無い、そういうことさ」
「神に等しくなるからかい?」
「神さまはそんなに狭量じゃないよ、逆さ」
「逆?」
「そう、永遠に生きるということは、煉獄にいるのと等しい行為でもあるんだよ、ただ見ていなければならないと言う立場が、心をすり潰すことになる。そんな残酷な、自分と同じ苦しみを持たせたくなくて、彼をここに遣わしたんだろうね」
 シンジの姿をした天使は、どこからか剣を引き抜いて振りかぶった。大きな剣だ。
 ──ガキィン!
 受けた二股の槍が思わずたわんだ。
 股で挟むように受けたシンジは、そのまま手首を捻って剣を飛ばそうとした、しかし力負けすることなく、火花を散らしながら剣は一旦引き抜かれる。
『慈悲深き御心のままに』
「神様も、母さんも……、父さんもそうだった」
 ゲンドウの顔に、極僅かな反応が生まれ出た。
「この世界をほんの少し豊かにして、地獄のような世界に希望を持って生きて行けるようにって……、勝手なことばかり言って、本当に僕のして欲しかった事なんてしてくれなかったくせに」
「シンジ」
「僕はね、父さん」
 睨み合ったまま、口を開く先だけを変える。
「希望とか、そんなの母さんの身勝手だって思うんだ。父さんがそんな母さんに、僕に構ってやれって言ってくれてたらなって、そんなの、子供の我が侭なのかな」
 二合目の撃ち合いはシンジに分があったかに見えた、しかし。
「シンジ!」
 鋭い声に身を捻る。少年の中から光り輝く『モノ』が飛び出し、翼を広げ、『光線』を放つのを寸でで躱した。
 その隙を突こうとする『モノ』を、アスカの眼光が射貫いて止めた。
 邪眼。
 黒く、赤い左目が。
「!!」
 シンジが槍を突き出した、だが寸前でアスカの束縛を打ち破り、『ソレ』は霧散するように姿を消した。
「逃げた……」
「どうするんだい?」
「さあ、てね」
 シンジは一同を見渡した。
 誰もが異常な事態に腰を抜かして放心してしまっていた。
「天使に当てられたかな?」
「彼らの存在波は人間の自我程度簡単に翻弄するからね、溺れて、自分を見失うのも仕方ないよ」
 渚カヲルは、少年と少女にも目をやった。
「どうなるのかな、これは」
「そうだね……」
 一瞬の思案。
「この世界のことは、この世界の人間に任せよう」
「良いのかい?」
「やる事が出来たからね」
「戦うのかい? 神と」
「うん」
 シンジは意味ありげに綾波レイを振り返り……。
「まずは神様に認めさせてみるよ、僕達は僕達のままでも、どこまでも強くなれるんだってことをね」
 そしてすっかり体の癒えている。アスカに向かって苦笑した。
「暫く、アスカには逢えなくなるね」
「そ」
「父さん」
「ああ、わかっている」
 ゲンドウの目はレイに向かっていた、が、かぶりを振った。
「未練だな」
 銃を捨て、色眼鏡の位置を正した。
「使徒としての生に準じよう、老人達、人間とのお遊びにな」
 すっと後ろ足を引いて背を向け、去っていく。
「なら僕はこの世界の彼を鍛えるとしよう、そう、天使の囁きに惑わされぬくらいに、強く」
「いや、カヲル君……」
 パシャンと水の跳ねる音。
「もう行っちゃったか」
 シンジが振り返ると、アスカの姿はなくなっていた。
「その役目は、僕が貰うよ、君はもう使徒として判断されてる」
「……何をさせたいんだい?」
「綾波と一緒に、他の世界の僕を頼むよ、何しろ」
 苦笑して言う。
「彼らは、僕になる可能性のある全ての僕を狙ってる。その一方で、神様は上り詰めて来るかもしれない僕に期待しているからね」
 さてとと言う。
「アスカのいない世界でどこまで頑張れるか、不安だなぁ」
 そして世界は、混沌へ。
 未来は、手助けを望まぬ者達によって紡がれる。


続劇


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