駅に降り立ち担いできたバッグを落とす。
 胸ポケットから写真をとり出すと、彼、碇シンジ中学二年生は、深くため息をついて肩を落とした。
「まいったなぁ、早くつきすぎちゃった…」
 時計を見る、約束の時間まで2時間ある。
 この駅には2時間おきにしか電車が止まらないのだ。
「一本早かったんだ…」
 後の祭。
 周囲を見わたした、数百メートルおきに平屋の家が建っている。
 後は田んぼと畑と山。
 駅は無人駅だった。
 つまり暇を潰せそうなものは何一つない。
 自販機すらもなかった。
「あれ?」
 首を傾げて、青く葉を風に揺らしている田んぼを見る。
「今、確かに女の子がいたと思ったんだけど…」
 髪の短い女の子だった、セーラー服の。
 だが瞬き一つの間に姿が消えてしまったのだ。
「気のせい…、だったのかな?」
 あんなことがあったから…
 シンジは夏休み前の、学校での嫌な想い出を振り返った…

第壱話 天使が落ちてきた日
「きゃあー!、何よこれぇ!」
 学校、朝来るなり赤い髪の女の子、惣流・アスカ・ラングレーは、大きな声で叫んでしまった。
 机の中に手紙が入っていたからだ。
「えーっ、もしかしてラブレター?」
「うそぉ、今どきぃ?」
 女の子が集まり、人だかりができる。
「ねぇ、読んでみてよぉ?」
「えっと、ちょっと待ってね?」
 男子も聞き耳をたてた、校内一の美少女に果敢にも挑戦した誰かさんが、いったいどんな内容で気を引こうとしたのか興味が湧いたからだ。
「ちょっとアスカ、やめなさいよ!」
 そう言って来たのは、アスカの大親友で幼馴染で委員長の洞木ヒカリだった。
「いいからいいから、えっと…」
えっと…、こういう手紙って、何を書けばいいのかわからなくて…、
だから単刀直入に書きます、ずっと好きでした、惣流さんには迷惑だろうけど、
どうしても言いたかったんです、ごめんなさい、それだけです…
「なによこれ?」
 読んだ感想がそれだった。
「告白じゃないの?」
「え?、だって「好き」だからなんなのよ?、付き合ってもらいたいわけ?、そのへんのとこ、なんにも書いてないじゃない」
 どっと笑いがまき起こった。
「よっぽどおっちょこちょいな奴が書いたんじゃないの?」
「ストーカーだったりしてぇ、ほら?、「ずっと見てます」なんて、根暗なのぉ!」
「ちょっとやめてよ、ぞっとするわ、そんなの!」
 アスカはいつも教室の隅に居る男の子を盗み見た。
 たった一度しか話したことがない男の子だった、ただその一度のことで、アスカは少年…、碇シンジのことが気になるようになっていた。
(どう思ったかなぁ?)
 シンジはうつむいていた。
「ねー、ばっかじゃない、これ書いた奴」
「え?、ええ、そうよね、まったくよ!、このアスカ様に告白なんて、どこの恥知らずかしら!」
 もう一度盗み見た。
 泣いてる!?
 顔をふせ、腕で隠し、寝てる振りをしている。
 だがアスカは気づいてしまった。
(これっ、あいつが!?)
「よぉ、シンジぃ、笑える話やなぁ!」
 鈴原トウジがシンジの背を叩いた。
「なんだよ、寝たふりなんかして」
 同じくクラスメートの相田ケンスケが、無理矢理顔を上げさせた。
(あっ、ばか!)
 アスカは心の中で叫んだ。
「お、なんや、もしかしてお前泣いとるんか?」
「ちょっと待てよ、あの手紙、お前か?」
 ケンスケの言葉に、シンジは唇を噛んで顔を伏せた。
「やだーっ、うそぉ?」
「碇君なのォ?」
 あちゃーっと顔を被うトウジとケンスケ。
 バツが悪そうなクラスメートたち。
 シンジは女子に人気があった、それは「優しいから」だそうである。


 学校中だれも世話をしない飼育小屋、そこにいる小鳥やウサギの世話をしていたのはシンジだった。
 シンジはそこで泣いていた、それを目撃した女の子がいた、アスカだった。
「何してんの?」
 バレーボールを手に、アスカは尋ねた。
 シンジの制服は泥だらけで、破れていた。
 顔や腕に、いくつもの痣や擦り傷があった。
「カナリヤ…、死んじゃったんだ…」
 樹の根元に、お墓を作っている。
「ふうん、ここ鳥なんて飼ってたんだ」
 見回す、校舎裏、一日中陽の当たらない場所。
 不良連中がたばこを隠れ吸うのに使っている場所だった、それを知っているからみな近寄らないのだ。
 アスカが来たのは、渾身のアタックでバレーボールが飛んでいってしまったからだった。
 シンジはカナリヤを埋めると、立ち上がり、袖口で涙をぬぐった。
「ねえ、ちょっと!」
 シンジはアスカを無視して歩き出す。
「なによもぉ!」
 校庭に戻ろうと、後をついていくアスカ。
「おーい、シンジぃ!」
 トウジが慌てて走ってきた。
 シンジは顔をふせた。
「大丈夫やったか?、今そこであいつらに会うてな?」
 アスカは無関係を装って通り過ぎようとした。
「無茶やでお前、一人でケンカ売るやなんて!」
「はは…、そうだね」
 力なく笑った。
「飼育小屋、荒らされたんやて?」
 アスカの歩みが遅くなる。
「カナリア…、殺されちゃったんだ…」
 シンジはまた泣いていた。
「僕の目の前で…、僕に生意気だって…、だったら僕を殴ればいいのに、カナリアの首を折ったんだ…」
 それ以上言葉にはできなかった。
 事件の真相は大半の人間が知ることになった。
 もちろん、トウジが敵討ちをしたためだ。
 シンジは喜ばなかった。
 だが女の子達は、優しい子なんだと、シンジを認識した。
 それに対する鈴原トウジのコメント。
「そんなん前から知っとったわ」
 アスカはたったそれだけのやり取りで、シンジのことが気になっていた。
 だがそれも終わった、自分で終わりを導いてしまったのだから。


(そう、終わったんだから…)
 それは夏休みに入る一週間前のことだった。
 シンジはその後、一度もアスカに近寄らなかった。
 見ようともしなかった。
 何一つ思う事はやめていた。
「んー!、やめやめ、良いやもうどうだって」
 そしてもう、二度と街に帰る事は無いのだから。
 シンジは二学期から、父親の元からこの山奥にある、廃校寸前の学校に通うことになっていた。
「どうして、僕を呼んだんだろう、父さん…」
 写真を見る、知らない女の人が写っていた。
 迎えに行くからよろしくねん☆ミサト、とサインが入れてある。
「あ…」
 看板に気がついた、ぼろぼろの案内図。
「へぇ、近くに湖があるんだ」
 二時間あれば、十分に往復できる。
 シンジは念のために、伝言板を使うことにした。
 チョークで『葛城さんへ 湖へ行きます 碇シンジ』と書き込んでおく。
「せめてコインロッカーぐらい、置いてくれればいいのに」
 シンジはぶつくさと荷物を担ぎなおし、退屈しのぎに歩き出した


「こんな所で立ち往生しちゃうなんて、ごめんねぇ?」
「いえ…」
 口元が引きつっているのが、自分でもわかった。
 シンジは彼女、葛城ミサトの性格を知ってしまった。
「湖を見てきたんです」
 ちょっとだけ遅れて帰ってきたシンジは、そう言い訳した。
「言い訳なんて男らしくないのねぇ?」
「ご、ごめんなさい…」
「ほんとに悪いと思ってる?、じゃあちょーっち付き合ってよね」
「え?」
「ドライブよ、ド・ラ・イ・ブ、あそこの湖畔には旧国道が残っててね、走り屋としては見逃しておけないのよね☆」
 そう言ってミサトは笑った。
 とても気持ちの良い笑顔だった。
 それが悪魔の笑みだと知ったのは、彼女の運転を体感してからのことだったのだが…
「こりゃー、ここで夜明かしするしかないわねぇ?」
 湖を周回している旧国道の…どのあたりなのだろうか?
 とにかく片側に山、片側に湖、人工の明かりは見えず、ただただ闇に包まれていた。
「朝になったら何か変わるんですか?」
 昼間とは姿を変えている湖に、不安を感じているシンジ。
「つまんない子ねぇ…、『え?、こんなキレーなお姉さんと一晩一緒だなんて!、ああ、もしかして脱童貞の予感!?ドキドキ』ぐらい言えないの?」
「ななななな、なに言ってんですかっ、葛城さん!!」
「ふふふ…、ミサト…でいいわよ?」
 にっこりと微笑む。
 シンジはついていけなくて、ぷいっと顔をそらした。
「これまた父親にそっくりねぇ、可愛げのないとこなんか」
 冗談を言ったつもりだったのだが、シンジの真剣な顔にミサトは焦った。
「あ、あらやだ怒っちゃった?」
 ごめん!っと手でゼスチャーする。
 だがシンジはそれ所では無かったのだ。
「葛城さん…、あれ…」
 シンジは空の一点を指差した。
「え?」
 ミサトも見上げる。
 ぽっかりと浮かぶ、大きな月。
「うそ…」
 目を剥いた。
 シンジは何度も目をこすった。
「人だ…」
 それは人だった。
 十二枚の黄金色の羽根を持つ、白く光り輝く少女だった。
「こっちに落ちてくる…」
 まるで月から降りてくるように…
 そう、少女は眠っていた。
 翼は風に削られ、雪のような白い光となって散っていく。
 そして薄く、小さく、消えていく。
 真っ白な少女だった、純白の、穢れを知らぬ女の子。
 短い髪まで、色というものが抜け落ちていた。
「ああっ、湖に落ちちゃう!」
 はじけるようにミサトが駆けだした、シンジもはっとして後を追う。
 ボチャーン!
 大きな水柱を上げて、少女は落ちた。
「まずい!」
 ばしゃばしゃと水をかき分け、走るミサト。
 少女自身の発光が彼女の位置を教えてくれている。
 だがそれが消えれば、この暗闇の中で探し出すことなどできはしない。
「くっ!」
 間一髪!、ミサトは少女が沈みきる前に腕をつかんだ、一気に引き上げる。
 そのまま背後から抱きかかえるようにして、ミサトは浜辺へと引きずり上げた。
「ミサトさん!、この子は?」
「大丈夫よ、水も飲んでないみたいだし…」
 そこではっとした。
「シンジ君!、見ちゃダメでしょ!」
 え?っと一瞬だけ首をひねったが、シンジは少女の肌に気がついた。
「うわわ、ご、ごめんなさい!」
 裸に赤面、慌てて反対を向く、だが遅かった。
「う、膨張してしまった…」
「恥ずかしい子ねぇ…」
 ミサトは非常用の毛布を取りに、車へと戻っていった。
「ボクは、さいてーだー!」
 ミサトの言葉に自己嫌悪に陥ってしまうシンジであった。



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