人通りの多い駅前、少年はロータリーのすぐ傍にある公衆電話に取りついていた。
 誰が見ている訳でも無いのにおどおどとした様子で電話を使っている。
(携帯も持ってないのかって思われてるんだろうなぁ……)
 ロータリーを周って来た車が、家族や恋人を降ろし、あるいは乗せていく、少年はそんな光景にチッと鋭い舌打ちをした。
「やっぱりダメかァ…」
 ピピー、ピピー、ピピー…
 無情にも排出されたテレカを手に、彼、碇シンジ14歳は、派手に大きくため息をついた。
「しょうがない、警察で聞こう……」
 そう言って少年は、近くの派出所を探して歩き始めた。


FIANCE〜幸せの方程式〜
第一話、決戦の


「聞いてないよ……」
 交番から出て来た少年は呆然とした面持ちで立ち尽くし、空を仰いだ。
 まさに抜けるような青!、っと言った感じで恨めしかった。
「どうしよう、バス代足んないや……」
 相当遠くから来たのだろう。
「電車代も結構掛かったのに、大体、今まで放っておいて、いまさらなんだよ、母さん…」
 深い溜め息。
(嫌だな、駅って、ろくなこと思い出さないや)
 派出所は駅のすぐ隣だった。
 大きなステーションだ、中にはデパートも入っているのだろう、四階建で、正面のロータリーの脇には噴水やちょっとした憩の場もある。
『シンジ、逃げちゃダメよ?』
 幻聴。
 景色が揺らぐのは走って追いかけたから。
 歪んで見えるのは泣いていたから。
 肩に掛けられた老いた皺だらけの手を振り払って追いかけた。
 でも駅のホームは狭くて、すぐに端に着いてしまった。
 電車が行ってしまう、その中には母の背中があった。
 振り向く素振りも見せずに……
 そして幻覚。
 新聞を敷いたまま、テレビに釘付けになっている母親、大丈夫よと元気づける祖母。
 飛行機が落ちたとの放送。
 父の死。
「今更、なんだよ……」
 嫌っている訳ではない、悲しさは当然ある、だけど期待と、確かな甘えもあって……
 少年はその複雑な感情を表わすことが出来ず、無表情を選択する、そんな背中に。
 −パッパー!−
 クラクション。
「シンジ君じゃない?」
 はしゃぐような声に、シンジはドキッとして胸を押さえた。
 ゆっくりと振り返る、そこに知った顔を見つけて、シンジはほっとして笑みを広げた。
「ミサトさん!」
「久しぶりねぇ、いつこっちに出て来たの?」
 青い車の運転席から助手席に体を伸ばして、さらに窓から乗り出す女性。
 そのバックのステーションには、でかでかと第三新東京市と書かれている。
「今日です、急に母に呼び出されて……」
 シンジはそう言って、眩しそうに彼女を見た。
 葛城ミサト、父の研究助手だった人、美人でだらしなくて優しくて厳しい人。
 その上ずぼらで、決める時は決める人。
「そう、で、これから行くの?」
「はい、でも……」
「なに?」
「財布の中身が足りなくて……」
 ミサトはその言葉に、にまっと危険な笑みを広げた。
「そ、じゃあ送ってあげるわ」
「え?、ホントですか!?」
「わざとらしいんだから、そのつもりで振ったんでしょ?」
「はい」
 シンジはふざけながらも開けられた助手席に乗り込んだ。
「家の方でしょ?、ちゃんと知ってるから」
「あ、違うんです……、どこかの料亭みたいで……」
 シンジは写真を一枚、手渡した。
「ふうん、料亭「鴨葱」ねぇ……」
 その裏の地図を見るミサト。
「それにしても、これは……」
 ミサトはその写真に目眩いを感じた。
 どこかのプールなのだろうか?、赤いビキニの女性が一人、前屈みになって写っていた。
「あの人もわっかいんだから……」
 胸と腰、それに太股の辺りに赤丸が付けられていた、『ここに注目!』、っと書かれている。
「……僕、ここ三年泳ぎにも行けなかったんですよね」
「はは……、じゃあ、行きましょうか?」
 苦笑いを浮かべて、ミサトはコメントをごまかした。
「はい」
 愚痴ってしまった罪悪感から、シンジもそれ以上は口にしなかった、でも。
(どうせなら、一緒に来てくれないかな、ミサトさん……)
 別にお願いしなくても、ミサトは面白そうだと着いて行く気になっていた。


 −すーはーすーはー……−
 シンジは車から下りるなり、いきなり深呼吸をして何かを解きほぐそうと頑張った。
「緊張してるわねぇ?」
 苦笑してしまうミサト。
「久しぶりですから……」
(三年ぶりの再会か)
 目を細めるミサトだ。
 シンジに重なるのはもっと背の低い、けれど彼自身の姿だった。
 父と祖母のお墓の前で、母親と共に手を合わせている。
 そして震えている。
『シンジ……』
 母親の声に彼は涙交じりに口にしていた。
『大丈夫だよ……』
 その後に続く言葉は無かった、何が、大丈夫だったのだろうか?
(父方の実家に預けられて四年、おばあさんが死んでからもう三年、四年?、その間独りぼっちで、よくもまぁ)
 こうもまともに育ったものだと感心していた。
 シンジのかわりに目的の人物を呼ぶために仲居さんを頼む。
 和風の高級料理店と行った趣が、明らかに二人を拒絶していた。
 ミサトは振り返って少年の緊張に気が付いた、汗のかいた手を気持ち悪そうに何度も握り直している。
「大丈夫よ」
 ミサトもまた、そんな愚にもつかない曖昧な言葉をかけていた、そして。
「シンジ!」
 どたどたと人目も憚らず和服の女性が駆けて来た。
「シンジ」
「母さん」
 さあ、と両腕を広げる母に、シンジは複雑な顔をした。
「よく来たわね?、シンジ」
「うん……、母さんも元気そうで」
 ほらほらと手のひらが誘っている。
 シンジは顔を伏せた、緊張、どうしろって言うんだよって気恥ずかしさと、逃げちゃダメだと言う義務感をせめぎ合わせた。
 そして。
「んもー、シンちゃんってば!、なに他人行儀なこと言ってるのよ!」
「かっ、母さん!、やめてよ!!」
 ぶるぶると震えていた母、ユイが先に我慢できなくなった。
 いきなり抱きつき、逃げようとする息子をドジョウのごとく器用に抱き締める。
「三年ぶりだって言うのに我慢しちゃって!、そういう恥ずかしがり屋なところはホントお父さんそっくりなんだから!」
 頬をすりよせるユイ、その目がどこか危ない。
「か、母さん、着崩れちゃうよ?、だから、ね?」
 シンジは何とかユイを押し返した。
「え〜〜〜?」
 ぶうっと膨れるユイ。
(まるで子供ね……)
 ミサトはクスクスとそれを見て小さく笑った。
 心配することは無かったか、と。


「で、何の用で僕を呼び出したの?、母さん……」
 シンジは奥の部屋へ連れていかれながら訊ねた。
「あたしがシンジを呼ぶのに理由が必要なの?」
 ユイ、シンジ、その後ろにはミサトもついて来ている。
「……でも当然ね、ずうっとほったらかしだったもの、そう言われても当然よね?」
 立ち止まるユイ。
 そっとハンカチを取り出し、わざとらしく目元にあててすすり上げた。
「良いんだよ、もう」
 騙され、努めて明るく笑うシンジ。
 いや、騙された振りをして上げていると頬が引きつっている。
「シンちゃん、優しい!」
「母さんってば!」
 また抱きつかれる、だが今度はシンジも嫌がらなかった。
 ……諦めていた。
「……今日はね?、シンちゃんに会わせたい人がいるの」
「え?」
 ユイに誘われて、一番奥の……、シンジにもその料亭で一番特別な部屋だとわかる場所へと案内された。
 そこは中庭に一室だけ離れている小部屋だった。
「さ、入って」
 戸を開けるユイ。
「ごめん、お待たせしたかしら?」
「いえ……」
(女の子の声?)
 緊張するシンジだ。
「なに緊張してんのよ?」
「え?、ち、違うよ、からかわないでよ、もう!」
 小声でやり取りする二人。
「さ、シンちゃん」
 ユイの手招きに、シンジは一度深呼吸してから最初の一歩を踏み入れた。
「え?」
 赤毛に青い目、髪を結い上げて、さらには着物。
 部屋には女の子が一人で座っていた。
 待ち受けるように下げていた頭をゆっくりと上げて、華を咲かせるように微笑みを広げる。
「始めまして、惣流・アスカ・ラングレーです」
 その名の響きに、シンジは一瞬硬直した。
(そうりゅう?、そうりゅう……、変な名前、って、前にもそう言って殴られた様な)
 記憶が体験に直結する。
(って、あすか?、あすからんぐれぇ!?)
 ザーッと、シンジの顔から血の気が引いた。
 シンジは確かに、彼女を知っていたようだ。
『シンジィ、おいしゃさんごっこしようよぉ』
 −10年前−
 シンジは父の研究所に遊びに来ていた。
『うん、いいよ……』
 その時研究所には、シンジと同じように女の子が一人遊びに来ていた。
『じゃあ、あんたパンツ脱ぎなさいよ』
『ええ〜!?、どうしてだよぉ』
『あたしがお医者様するの!、それともあんた、女の子裸にするつもりなの?』
『違うよぉ!、そうじゃなくて、なんでパンツ脱がなきゃならないんだよぉ……』
 幼いシンジが、口を尖らせて女の子を見た。
『あんたバカァ?、他はあたしと同じじゃない、そんなのつまんないもん』
 少女の目が一点を見る。
『やだよ!、僕脱がないからね』
 少年は股間を押さえて後ずさった。
『あんたこのあたしに逆らおってぇの?』
 ぎらっと光る、少女の目。
『そ、そんなの関係無いよ』
『いいから!、あんたは黙ってパンツ脱げばいいのよ!』
 −うわああああ……−
 あの時と今の内心の叫びがシンクロする。
(あの後、恐くて恐くて、アスカにパンツ握られたまま……)
『しーんじぃ、パンツいらないのぉ?』
 くすくすと鬼がやって来る。
 それが恐くて震えていた、ちんちん丸出しで階段の下で隠れていた。
『しんじぃ、みーつけたぁ』
(はぁあああああ!)
 記憶を確認するシンジだ。
 赤い髪、青い瞳、どれだけ年齢が上がろうと変わらない特徴。
 そしてその、可愛くて小さいながらも非常に厭らしく笑う唇も変わっていなかった。
「あの……、あたしが、何か?」
 不安げに小首を傾げる仕草がまた恐い。
「何でもありません!、はい!」
 咄嗟に護魔化す、声もまた記憶と合致していた。
(母さんっ、やっぱり僕が嫌いなんだ、だからこんな嫌がらせを!)
 しかし目を逸らしたらやられる!、との想いから母を確認する事が出来ない。
 まさに絶体絶命である、だが。
(始めまして、って言ったよな?)
 シンジはごきゅりと生唾を飲んだ。
(覚えてないんだ……)
 なら答えは簡単である。
(そうさ、小さい頃のことだもん、このまま気付かれなければ)
「さ、シンちゃんも座って?」
「う、うん……」
 シンジはテーブルを挟んで、アスカの前に座らされた。
 ぽっと頬を染めてうつむくアスカに戦慄する。
(嘘だ、幻だ)
 どうやらかなりのトラウマがあるらしい。
「ほら」
 ユイに突かれて馬鹿な事を喋る。
「……あ、あの、なんだかお見合いみたいだね?」
 いきなりぼけたことを言い放つ。
 当然、『はあ?』っと、一同の反応はキョトンとしたものだった。
「何言ってるの?」
 ユイは呆れた顔で見下ろした。
「みたいじゃなくて、お見合いなのよ?、これは」
 今度こそシンジは驚きを隠すことができなかった。
 だから。
「ごめん!、僕ちょっとトイレ!」
 彼は即座に、逃亡を謀った。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。