−あれからアスカは変わった、変わったと思う−


「ごめんなさい」
 アスカは長い髪が跳ね上がるほどに、勢いよく腰を折って頭を下げた。
 アスカの休み時間は、大抵そのためにして費やされていた。
 告白は、飽きない、懲りない、切りがないの三拍子になっていた。
 だが以前と違って、アスカは無下にはしなくなっていた、手紙を捨てたりはしない、呼び出しも無視したりはしないで、一人一人に丁寧に断っていた。
「あたし、シンジが好きだから」
 好きな人が居るから、などと秘めたりはしないし、引け目を感じたりもしないで、アスカははにかんでそう口にしていた。
 あるいはそう口に出来るから、呼び出しに乗っているのかもしれないが。
「じゃあ」
 今日、この日もやはり、校舎裏では玉砕した少年達の想いが塵となって舞い散った、しかし不思議な事に、誰一人として失恋に不満を抱く者は居なかった。
 ぽうっと見とれていたからだ。
 照れ交じりに言い切るアスカの笑顔に、それは破滅と引き換えにしても十分釣りが来るほど価値がある、正に一見の、と言う奴だった。
 噂が噂を呼んで、この告白『ごっこ』に拍車を掛けていた、もっとも告白する側も、断る側も、本来の目的からは大きくズレ込んでいる上に楽しみとしてしまっているため、別段問題にはなっていないようであったが。


−レイも自分を見せてくれるようになった、それはカヲル君のおかげだけど−


「シンジ君?」
「え、あ、ごめん」
 ぼうっとアスカを見ていたシンジは、レイの声に我に返った。
 頬杖を解いてレイを見上げる。
「で、何?」
「今日、タコとジャガイモを煮ようと思ってるの、後なにが良いかと思って」
「そうだな……」
 と言ってもそうそう簡単に思い付くはずもない。
「じゃあさ、今日は一緒に何か考えようか、帰りにスーパーに寄ってさ」
 ええ、とレイが頷くより先に、シンジに抱きついた少年がいた。
「家庭料理、良いねぇ」
「か、カヲル君……」
「今日も僕はコンビニのお弁当さ、寂しいよ、シンジ君」
「分かった、分かったからシャツの中に手を入れないでよ!」
 ドンっと、カヲルを突き飛ばすレイだ。
「邪魔」
「乱暴だねぇ、レイは」
「ふん!」
 そう言ってしっしと手を振る仕草も、今は見慣れたが一時は驚いた物だった。
 シンジにしか見せない甘えた姿もあれば、こういうきつい姿も持っていたのだから。
「ごめんね、カヲル君」
 シンジは苦笑いで逃げることにした、以前不用意に発言して、酷く泣かれた事があったからだ。
『カヲル君も、うちに来ればいいのに』
 これに対するそれぞれの回答。
『本当かい?、シンジ君ならきっとそう言ってくれると思っていたよ』
『馬鹿言ってんじゃないわよ!、何処に部屋があるってんのよ?、あんたの部屋で一緒にぃ!?』
『……』
 怒り狂って首を絞められた事よりも、無言で涙し、ふるふると首を振っていたレイの方が恐かったことは言うまでもない。
(よっぽど一緒に居たくないんだな……)
 まあ、好きな人には知られたくない事もあるのだろうと考えた。
「シンジくぅん!」
 断末魔の悲鳴に再び謝っておく、シンジののろけの犠牲になっていることにカヲルが気が付くのはいつになるのか?
 あるいは知っていて楽しんでいるのかもしれないが。


−トウジは相変わらず怒ってる−


「ばっかだなぁ、綾波が好きなら好きって言えばいいのに」
「アホ言え、そんなん言えるかい」
 ケンスケの軽口に対してぶすっくれ、トウジは頭の後ろで腕を組んだ。
 ギシッと椅子を軋ませて天井を見上げる。
「渚の言う通りや……、泣かさんようには出来るかもしれん、そやけど」
 二人を見る。
「笑わす事は出来ん、出来んのや……」
「はいはい」
 呆れ返るケンスケだ。
「だったら早く仲直りしろよな、嫉妬しちゃってみっともないぜ?、男らしくスパッと振られたんだしさ」
「うるさいわ、あほ!」
 そんな二人の傍には、今はシンジの代わりにヒカリが居た。
 なんとはなしに話しを聞いてクスクスと笑っている、ただの粗忽者だと思っていた少年が意外と男気持っていた事に驚き、今では好感を抱いているのだが、それが好意に代わるかどうかはまだ微妙であった。
 まあそれでも、流石は親友というべきか、アスカだけは気が付いていたが。
「だってあたし達より鈴原と一緒になって歩いてるしさ、分っかんないワケないじゃん」
 ……もっともである、ただ、トウジの目がレイから逸れて、自分を見ている視線があることに気が付くかどうかは問題であったが。


−変わった人と変わらない人が居る、僕はどうなんだろう?−


「何悩んでるの?」
「あ、うん……」
 夕暮れ時の道を、買い物袋を下げて帰る中学生が二人。
 大根等、重い野菜が入った袋を持っているのはシンジだ、レイはティッシュなどかさばるが軽い物を手に提げていた。
 シンジは不思議そうにするレイに苦笑を浮かべた。
「みんな、良く笑うようになったなって、思って」
「そう?、シンジも笑ってるわ」
「それだけじゃないよ、みんな変わった」
「……良く分からないわ」
「だってレイだって、二人きりの時には呼び捨てにしてくれるようになったじゃないか」
 あう、とレイは小さく呻いた。
「何を言うのよ……」
「それだけじゃないよ」
 赤い顔を伏せるレイを微笑ましく見る。
「不思議なんだ……」
「不思議?」
「前はレイに奪われるのが嫌だった、仕事とか、場所とか……、でも今は何も感じないんだ」
「何も?」
「何もって事は無いかな……」
 目を遠くして思い出したのは、レイが洗濯物を畳んでいる光景だった。
 リビングの窓際、差し込む日の光の中で、エプロンを着けたレイが洗濯物を畳んでいる。
 たったそれだけのことなのに。
「落ち着くんだ……、レイが洗い物を片付けてたりしてさ、そんなのを見てるとね」
「はう……」
 再び言葉を失うレイだ。
「誰かが居てくれる、誰かが温めてくれてる、僕達が帰る家を」
 今朝見た夢のためか、シンジはこう表した。
「お母さん、かな……」
「お母さん?」
「うん、きっとそう言う人をお母さんって言うんだよね……、居心地が良いんだ、レイが居てくれるだけで」
 シンジは笑って手に提げている袋を持ち上げた。
「手、繋ぎたいけど……、邪魔だね、これ」
「そうね」
 冗談を言って笑い合う。
「アスカももうちょっと手伝ってくれればいいのに」
「でも、大雑把だから、アスカ……」
「そうだね、最初はレイに嫉妬してさ、自分も自分もって言ってたくせに、三日で飽きるんだもんな」
「でも遠慮しないでくれているのは嬉しいわ、だって……」
「その方が、家族らしいから?」
 レイはぷるぷると首を振った。
「家族、だもの」
「そうだね……、らしいじゃないよね、もう」
「ええ」
 想いが飽和し、緊張が緩和しているのを感じる。
 顔を上げる、道の先に呑気に歩いて来る少女を見付けて微笑みを浮かべる。
「アスカ!」
「シンジ!、レイ!」
 もう!、っと聞こえた。
「おっそーい!、こんなとこまで迎えに来ちゃったじゃない」
「だったら買い物、付き合ってくれたっていいじゃないか」
「嫌よ、今日の晩ご飯が何か分かっちゃうじゃない、あたしはね、楽しみは取っておく方なのよ」
 シンジはわざと悪態を吐いた。
「物はいいようだよね……」
「もう!、だったらほら、貸しなさいよ!」
 そう言って買い物袋を奪い去る。
 もちろん、シンジを思いやってのことなどではない。
「アスカ、ずるい……」
 レイは不満の声を発した、アスカの目的を察したからだった。
「あんた今まで一緒に居たんでしょ?、だったら少しくらい譲りなさいよ」
 アスカはにんまりと、空になったシンジの腕に組み付いた。
「着いて来なかったのはアスカの癖に」
「何か言った?」
「いい、我慢するから」
 ぷうっと膨れる。
「その代わり、アスカのおかず、減らすもの」
「あ、ごめんってば!、レイぃ!」
(喧嘩、か)
 シンジはつい、ニコニコとしてしまっていた。
 そんな冗談をやり合えるほどに、打ち解けて、仲良くなれているのだから。
 一月前には考えられなかった今がここにある。
(寂しさが忘れられたわけじゃない、悲しかったり辛かったりする事もあるけど、多分、それは見失った物を見つける為なんだ、そうだよね、母さん)
 ここに居てもいいんだと言う確認のために痛みはあるから。
(だからさよなら、母さん)
 甘えることはやめるから。
(良かったって、みんなが言えるように僕は『生きて』行くから)
 みんなに笑っていて欲しいと願った、その気持ちはいつも大事に持って行くから。
「ほら、早く帰ろうよ」
「あっ、待ちなさいよ!」
「シンジ!」
「あっ、今シンジって言った!」
「言ってないわ」
「言った!、絶対に言った!、生意気よレイの癖にぃ!」
 元気な声が途切れることなく響き続ける。
 だがそれがきっと幸せである証しだから。



幸せは分かち合うもので。


譲り合うものでも……


奪い合うものでもなくて。


お互いを拒絶するためでなく。


分かり合い……


寄り添い合うためにこそ人は居るから。


傷つけ合うためじゃなくて。


だから……


好きと言う、言葉と共に。


それを気付かせてくれた……


感じさせてくれる全ての人に。


「ありがとう」


シンジは小さく、呟いた。










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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。