L.A.S.LAST BREAK 1
「はぁ……」
「あ、ごめん」
この二つの台詞が、今の碇シンジの全てを物語っていた。
第二新東京市立第一高校。
教科書を開く。
そこに書かれた「サボリ魔」の文字にズキンとくる。
やだよ……
だからシンジは午後からサボった。
よってその日、遅れてやって来た転校生が居た事を知るよしも無かった。
シンジの住むマンションは決して貧相なものではない。
それはセキュリティの高さから選択された結果である。
うるさいなぁ……
あれから三日が過ぎていた。
がたがたと隣が騒がしい、時折「きゃー!」と言う黄色い悲鳴が聞こえる事から、誰かが引っ越して来たとは気がついていた。
……8時か。
どうしようかと悩んでしまった。
しょうがない……、学校に行こう。
シンジは布団から這い出した。
寝汗をぬぐいもせずにシャツを着て、ぼさっと伸びた髪は水を被ってごまかしておく。
昔と違って、やけにずぼらになっていた。
……格好つけたって、しょうがないもんな。
ここには本当のシンジを知る者はいない。
せいぜいが「暗い奴」で、「サードチルドレン」「世界の英雄」の称号を持っているとは想像もしない。
だって嫌なんだ……
みんなが誉めてくれるのが。
恐いんだもの……
人殺しのなにが偉いのか分からない。
だからシンジは逃げていた。
騒がしいな……
シンジに興味を抱くものはいない。
シンジは教室一番後ろの、廊下側の席についた。
そこがシンジの指定席なのだ。
はじめは教卓の真正面の席だった。
みんなが座りたくないそこに座らされていた。
今はみんなの目にとまらない場所に移動させられている。
いわく、視界に入ると、うっとうしいらしい。
でもいいんだ……
誰にも見とがめられない方が気楽なので、シンジも特に気にしてはいなかった。
すっと誰かが背後を通った。
あっ!っと、みんなの視線が動いたのがわかった。
視線がシンジをかすめたので、シンジは緊張に首をすくめてしまった。
転校生かな?
見慣れない後ろ姿であった。
長く赤い髪、すらりとした手足。
すごく見慣れた髪飾りだった。
でも確認はできなかった。
自分の横方向、真反対の窓際の席に座った途端、みんなが人垣を作ってしまったからだ。
そんなわけ、ないじゃないか……
シンジは震える体を押さえつけようとした。
偶然だよ、ただの……
怯えがシンジを不安にさせていた。
HRが始まった。
シンジの姿に担任の先生が一瞬鼻白んだが、それ以上のお言葉はない。
名前が読み上げられて行く。
碇シンジ。
返事をした時、間違いなく「彼女」が驚いたように反応した。
そして少女の番が来た。
惣流・アスカ・ラングレー。
シンジは泣きそうになってしまった。
「碇……シンジ君?」
席の真後ろに彼女が立った。
それを快く思わないクラスメート達の視線が痛い。
「なぁに?、惣流さん」
「そんなのほっといた方が良いよ?」
アスカはニコっと、だが目を座らせて微笑んだ。
その笑みだけで周囲を黙らせると、あらためてシンジを見下ろす。
「ちょっと付き合って」
シンジは恐怖でかちかちと歯を鳴らしていた。
「久しぶりだってぇのに、なによ?」
校庭の隅、低めの鉄棒にもたれてアスカは詰問した。
「ちゃんと答えたらどうなの!?」
苛ついた叫びにびくりと震え上がってしまう。
シンジはアスカを見ないまま口を動かした。
「ごめん……、なさい」
カッと瞬間的に、アスカの顔が怒りに満ちた。
「なによそれ!、あんた……」
しかし以前のように噛み付けなかった。
シンジの頬を涙がつたい、ぽたぽたと地面に染みを作っている。
「ちょ、ちょっと!、泣くことないじゃない!」
慌てるアスカ。
「……いいじゃないか、もういいじゃないか」
しかしシンジは自分の世界に入ってしまっていた。
「もうみんな幸せになれたんでしょ?、……だったら僕をいじめないでよ」
その言葉にアスカは身につまされた。
こいつ……、酷くなってる。
最後の戦いといえば簡単で粗末なものだった。
が、アスカは弐号機のお母さんに元気付けられていた。
他の皆もそう、「綾波レイ」との接触によって、心に穏やかさを手に入れていた。
そんな中で、シンジだけが「捨てられていた」
「あんた……、まだ独りなわけ?」
聞いてはいけない事だったのかもしれない。
寒気にか?、自分の体を抱いて、悪寒にガタガタと震えている。
あの時、父は母の元へと行ってしまった。
母は、シンジに別れを告げて行ってしまった。
シンジだけが「捨てられた」のだ。
シンジの体が崩れ落ちそうになっている。
ミサトに迎え入れられた瞬間の照れ。
家族。
目の前の少女。
辛い事も多かった。
でも暖かい記憶もあったでしょうに……
それはシンジの中では幻想となっていた。
だって、全部嘘だったじゃないか……
嫌い嫌い嫌い、だいっ嫌い!
中でも耳に付くのは彼女の言葉。
「お願いだから、もう僕をいじめないで……」
ネルフが世界を救った事になっている。
チルドレンがその責務を担った事も公にされていた。
でも……、こいつが一番頑張ったのに……
サードインパクトの犯人。
一番傷ついた、の間違いかもしれない。
シンジはもう、心を開くつもりはないようだった。
「ねえねえ……」
「あ、なに?」
アスカは適当な生返事で返した。
アスカの周りには、常に5〜6人の人間が取り巻きを構成している。
「惣流さん、あいつとなに話してたの?」
ちっ、迂闊だったわね……
グランドは教室から丸見えだったのだ。
そのただならぬ雰囲気は、はたから見ていてもよくわかっただろう。
まったく……
アスカは苦笑する。
ま、このあたしのカリスマに引き付けられるのはわかるけどね?
にやりとほくそ笑むアスカ。
でも駄目よ、シンジ、あんたをそのままにはしておけないのよ。
アスカは顔を上げると同時に、にっこりと微笑んだ。
「前の学校でも同じクラスだったの、だから、ね?」
えーーー!?
6人程も声を上げれば、十分クラスの視線を集められる。
「そうだったのぉ?」
「そうよ?」
「なのに無視してるなんて、あいつ何様のつもりかしら!?」
ギッと冷たい目が向けられた。
怯えてるわね……
その敵意の前には無関心を装いきれないのだろう、シンジは身を固くして座っている。
「あ、そうそう……」
昔のシンジの様な髪型をした男の子が寄って来た。
「惣流、前は第三新東京市だって言ってたよな?」
「そうよ?」
シンジと同じ。
それだけでアスカは『惣流』との呼び捨てを許していた。
「それがどうかしたの?」
微笑みに言葉がつまってしまう。
「あ、あ、だったら、もしかして……」
杉田と言う少年は、丸めた雑誌を突き出した。
「このセカンドチルドレンって……」
一瞬の沈黙。
「あたしだけど?」
ええーー!
今度はクラスを上げての嬌声になった。
まいったわね……
この反応の凄さには、さすがにげんなりしてしまう。
両手で耳を塞いで堪えてみる。
「すっげー!、な、なあ!、今度友達に自慢させてくれないか?」
その次にとう展開させるかは想像がつく。
「嫌よ」
アスカの返事はそっけなかった。
乗り出す杉田、遠回しに付き合ってくれと言っているのだ。
「なんで!、いいじゃん、俺と惣流の仲だろ?、な!?」
「どういう仲よ……、それにあたし、そういうのにはうんざりしてんのよねぇ」
「そうよそうよ!」
「あんたあっち行ってなさいよ!」
そんな風に輪の中からはじき出されそうになる杉田。
「で、でもさ……、だったらあいつはどうなんだよ!」
「はん?」
杉田の指す「あいつ」がシンジだと分かって眉をよせた。
「なに?」
「あいつもどうせおんなじ様に自慢してたんだろ?」
「なんでよ?」
その思考がよく読めない。
「それであいつに、今度はやるんじゃないって釘刺したんじゃないのか?、そうなんだろ?」
杉田の勘違いには、あり得るとばかりに周りが過剰反応を示した。
「それ本当?」
「さいってー!」
「だったら俺にだって……」
そういった声が、だんだん遠くのものに聞こえてきだした。
そっか……、あいつ。
ようやく気がついた。
知られてないんだ、サードチルドレンだってこと。
ニヤリ。
アスカの口元に、嫌な笑いが張り付いた。
「違うわよ……、あいつはそんなことしないって」
アスカは頬杖をついて否定した。
「え?、なんでだよ……」
みんなキョトンとしてしまった。
全員が黙り込んで、アスカの次の言葉を待つ。
「だってあたし、あいつにふられてんだから」
えええええーーーーー!
今度の合唱は悲鳴一色になっていた。
「ふ、ふられたって……」
「惣流、あいつと付き合ってたの!?」
くすりと笑うアスカ。
「まあね、キスだってしたし」
ぱくぱくと言葉すらでないクラスメート達。
アスカ、何言ってんだろ?
シンジの元までは、声が届いてこないのだ。
「じゃ、じゃあなんで!?」
「そうだよ、セカンドチルドレンだろ?、すっげぇ自慢じゃん!」
みんなの目がシンジへと向く。
アスカはその隙に、表情に影を作り出した。
「だからなのよ……」
「え?」
皆は初めて見せられた憂いの表情に戸惑った。
「あいつ、あたしがそう呼ばれて特別扱いされるの見ててね……」
アスカはシンジに涙目を向けた。
「自分じゃ釣り合わないからって……」
もう全編嘘ばっかりである、涙も当然嘘泣きだ。
「そんな根性無し!」
「でもわかるなぁ……、惣流さんの周りって、きっと素敵な人ばっかりだったんでしょ?」
まあねっと、アスカは空元気のように見せかけた。
「でも本当は違ったの……、シンジ、あたしのせいで……」
顔を伏せる……
さらりと流れた髪が顔を隠した。
惣流さん?
誰もが泣いていると思った。
「みんなから嫌われて、なじられて、いじめられて……、それで」
動揺が広がった。
その反応に、隠れてにやりとほくそ笑むアスカ。
「あ、ごめん、こんなことあたしが言うことじゃないわよね?」
アスカは気丈な「ふり」をして、指先で軽く涙を拭った。
普通とはもちろん逆の意味である、笑いを堪えているのだ。
どうしよう!?
しかし周囲には動揺が走っていた。
何も知らないで、みんなでシンジをいじめて来たのだ。
「だめよね、あたしチルドレンだって事捨てるつもりでここに来たのに」
さて、もうひと押しね?
アスカは笑顔で顔を上げた。
「そんな!、もったいないじゃないか!!」
「……だってあいつ、もう独りぼっちなんだもの」
びく!
この一言には効果があった。
「使徒との戦いでね?、お父さんもお母さんも死んじゃったの……」
嘘と真実を適度な量で混ぜ合わせていく。
「あたしが上手くやれなかったから……」
惣流さん、責任感じて……
なんてけなげな……
アスカに対する評価が高まった。
よしよし、あと一息ね?
アスカのもくろみはうまく行きそうである。
きーんこーん……
しかしタイムリミット。
ちっ……、まあいいわ。
皆が席に戻って行くのを見ながら、後はとどめを差すだけだと直感する。
ふとシンジがこちらを見ている事に気がついた。
ニヤリ……
アスカはシンジにだけ分かるように、いや〜な笑みを浮かべていた。
一方、みんなの頭の中には、おかしな想像が渦巻いていた。
両親を亡くしたシンジ。
そんな彼と仲良くなるアスカ。
しかしシンジはアスカがチルドレンだと知る、渦巻く葛藤。
アスカの戦いが自分の親を巻き込んだのだ。
でもそれを乗り越え、二人は恋人となった。
アスカだけがシンジの頼りとなっていた。
でも無理、アスカの周りには人垣ができて行く。
シンジには決して越えられない壁だ。
それが「身分の差」だと気がつくのに時間は要らなかった。
と同時に、立場の差がプレッシャーとなってのしかかってきた。
「僕は、いらない人間なんだ……」
シンジにとってアスカは必要。
でもアスカにとっては?
それに気がついた時、シンジはアスカの元から逃げ出した。
そのトラウマ?
シンジは暗かった。
いじめられても反抗しなかった。
人格の裏には過去がある。
ようやく皆、その事に気がつき始めていた。
もちろん全ては誤解であるし、大半はアスカの予想を上回っていた。
ガラガラガラ……
先生が入って来たので、皆は一時思考を中断した。
ザワ……
教師の後に着いて入って来た少女にざわめきが起こった。
「あーーー!」
アスカが立ち上がりわなないた。
それがみんなに確信を持ち込んだ。
ファーストチルドレン!
青い髪と赤い瞳、その目立つ容貌は見間違えようが無い。
それにサードインパクトを通して、彼女は聖女のように敬われていた。
「静かに!、みな知っているとは思うが、綾波レイさんだ……」
レイは無表情に、挨拶も口にしない。
だが視線はただ一点にしぼられていた。
……碇?
みな疑問に思った、だが間違いない。
彼女はシンジだけを見ていた、見つめていた。
「帰って、来たわ」
微笑みが浮かぶ。
それがシンジだけに向けられたものだと言うことは、誰の目にも明らかだった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。