LAST BREAK 2

 次の休み時間になって、シンジはもうたまらず逃げ出していた。
 鞄は置いて来てある。
 またいたずらされると思うけど……
 構わなかった。
 置いてこなければ、きっと逃げ帰ったと気付かれるから。
 どうしよう……
 シンジは学校と家との、ちょうど中間辺りの道で足をゆるめた。
 家に帰って……、ううん、財布は持ってるから……
 その中にはカードが入っていた。
 父のカードだ、今の生活を支えている全て。
 例え働かなくても、一生食べて行けるだけのお金がそこにはあった。
 これで、別の街にでも逃げて……
 あんな父親のお金だから嫌だとか、そんなプライドは既に失っていた。
 本当は逃げても無駄だとわかっている。
 マヤさんかな……
 間違いなく、アスカは諜報部か保安部から情報を入手して来たのだろう。
 シンジに第二新東京市から離れるような許可は絶対に下りない。
 ここにも第三新東京市まで、ジェットヘリで10分だからこそ、一応の移住許可が下りたのだ。
 綾波まで……、どうして?
 今のレイは二人目でも三人目でもない。
 一人になった、唯一で絶対の綾波レイなのだ。
「なんで、僕にこだわるんだよ……」
 胸が痛い。
 泣きそうになる。
「いいじゃないか、もうそっとしておいてくれよ……」
 どうせ誰も助けてくれないくせに……
 アスカが必要とした時、母が居たように。
 レイが必要とした時、ゲンドウが居たと言うのに。
 シンジが本当に必要としたあのサードインパクト。
 あの前後、シンジには誰も居なかった。
 居てくれた人は、シンジが殺した。
 渚カヲル。
 そして今は、罵る人と、軽蔑しようとする人と、利用してくる人しか残っていない。
 誰か助けてよ。
 その言葉を失ったのはいつからだろう?
 逃げなくちゃ……
 それが代わりに手に入れた言葉になっていた。


 バン!
「あんたいったい何しに来たのよ!」
 派手に叩かれた机が音を上げた。
 それをわずらわしげに見やるレイ。
「……碇君に会いに来た、それだけよ」
 アスカとレイの対決を、周囲は固唾を呑んで見守っていた。
 いやそれ以上に、碇シンジと言うクラスメートが何者なのかに興味が移っていた。
「あんたは大人しく、あっちの街で神さましてりゃ良かったのよ!」
 レイの目に危険なものが宿る。
「……わたしは、神ではないわ」
「はん!、そう思ってるのはあんただけじゃない!」
 サードインパクト時の疎通が、そうなさしめていた。
「でもわたしは、神じゃない」
「だったら、あんたはなにをしたのよ!」
 レイは真正面からアスカを睨んだ。
「あなたには、わからなかったのね……」
 うぐっとアスカはつまってしまった。
 あの時、アスカはシンジを拒んだのだ。
 自分を守ってもらいたかった。
 それをしてくれなかった少年を怨んでいた。
 でもわかっちゃったのよ!
 守ってくれなかった事は罪ではないと……
 誰にもそんな義務はないのよ。
 あるとすれば、それは好意や善意によるものだ。
 でも、あたし達にそんな余裕はなかった……
 強制すらもした。
 いまはある、あり余るほどに。
「それを作り出してくれたのは、碇君なのに……」
 アスカだけに、レイの言葉の意味が通じる。
「わかってるわよ!」
「わたしはただ、伝えただけ……」
 誰しもが持っている悩みを。
 待っている救いを。
 苦しみを。
「……伝えただけよ」
 それはわりとありふれた悩みだった。
 でも、多くが解決できない嘆きでもあった。
 寂しさは誰もが持っている感情であったから。
 ガタン……
 急に立ち上がったレイに誰もが驚いた。
「行くの?」
「碇君が、泣いてる……」
 やはりアスカだけが、レイの行動の意味を理解している。
 二人はまだお昼になっていないにもかかわらず、シンジの後を追って早退した。


 結局シンジは家に帰りついていた。
 行く場所なんて、ないもの……
 シンジはぼうっとしている内に、睡魔に襲われ目を閉じていた。


 ちょっと!、なんであんたがここのキーカード持ってんのよ!
 なんだろう?
 シンジは騒がしい声に目を覚ました。
「……ここは碇君とわたしの家だもの」
「なんですってぇ!」
 声がはっきりと耳に届いた。
「う、あ……」
 リビングで横になっていたシンジは、入って来た二人を見て、瞳孔が開き切るまで怯え、驚いた。
「うあああああ!」
 叫び声を上げて後ずさる。
「シンジ!」
「碇君……」
 慌てて駆け寄るアスカとは対照的に、レイは悲しげに立ち尽くす。
「いやだ、来ないで、来ないでよ!」
 シンジはもがくように腕を振った。
「ちょっと落ち着きなさいよ!」
「うわあああああ!」
 理性が弾け飛んでいる、無作為に振り回される腕。
 つっ!
 アスカの頬や腕に、シンジの爪が痕を作った。
「落ち着けっての!」
「嫌だっ!、殴らないで!、馬鹿にしないで!、もう近寄らないって、ちゃんと約束守ったのに、なんでまだいじめに来るの!?、約束通りしたんじゃないか、お願いだから!、お願いだから、お願いだからぁ……」
 シンジの声が尻すぼみに消えて行く。
 代わって聞こえて来たのは、すすり泣くような声だった。
「どうして……、どうして、どうして?」
 すっと、シンジを取り押さえたアスカの隣に座り込むレイ。
 レイはシンジの頬に手を添えた。
 びくりと怯え、振り払おうとするシンジ、しかしその両腕はアスカにつかまれてしまっていて、逃げ出せない。
「なにをそんなに、恐れているの?」
 う、ああ……
 シンジは我慢の限界のような声を絞り出した。
「あなたは生きているのに……、なぜ心を閉ざしているの?」
 一人で生きる事は苦しいのに……
 それを知っていたはずのシンジが、一番そうしていると言う疑問。
「だって……」
 シンジは語った。
「ミサトさんがそうしろって言ったから……」
 シンジはもういない人の事を口走った。
「ミサト?」
 怯えた目を上げる、輝きが無い。
「しっかり生きてから死ねって……、僕は死にたいって言ったのに、許してくれなかったんだ……」
 この瞬間、アスカにも理解できた気がした。
 死ねと望まれた、あの戦自の突入劇。
 いえ、最初に死んでちょうだいって望んだのは、たぶんあたしね。
 アスカはシンジの体を抱き締めた。
 うああ……
 しかしその温もりと柔らかさは、シンジにとって恐怖の対象でしかない。
 死にたかった、本当に死にたかった。
 でも許しては貰えなかった。
 その後もだ。
 シンジ達チルドレンは英雄である。
 自殺は常に未遂の段階で止められてしまっていた。
「生きる事を許してくれないのに、死ぬ事も許してくれないの?」
 それはアスカに向けた問いかけだった。
「ねえ、どうして?」
 言葉が見つからない。
 シンジに向けているのは同情のはずだったのに、今はひたすら「愛おしい」と感じてしまっている。
「シンジ……」
 アスカはシンジの髪に顔を埋めた。
「ごめん、ごめんね……」
 言葉が震えている。
「あんたを傷つけておいて、あたし、何もできない、何もしてあげられないのよ……」
 アスカは泣いていた。
「碇君……」
 余りにも変わってしまったシンジの風貌。
 それでもレイは遥か以前に作って見せた笑顔を、今度は自然に浮かべていた。
「わたしが、あなたと居てあげるわ」
「そしてまたいじめるの?」
 シンジの言葉は皮肉にも聞こえる。
 だが本気で確認しているのは顔を見ればわかることだ。
 ゆっくりと首を横に振るレイ。
「二人で暮らしましょう?」
 シンジはべそをかくような顔をした。
「いや……、嫌だよ」
「そうよ、あんたなに言ってんのよ!」
 態度は違っていても、二人は共通して非難した。
 しかしレイは構わずに立ち上がる。
「わたしが碇君の心を埋めてあげる……」
 シュル……
 レイは胸元のリボンをほどいた。
「さあ、碇君……」
 続いてボタンを外しにかかる。
「ちょ、ちょっと……、あ……」
 呆然としていたアスカであったが、レイがブラを見せた所で我に返った。
「あんた一体何するつもりよ!」
「お風呂……」
 レイはごく当たり前とアスカに告げた。
「お、おおお、お風呂ですってぇ!?」
「そうよ?」
 冷笑を浮かべるレイ。
「碇君を温めてあげるの、心も、体も……」
 その言葉にアスカは切れた。
 シンジはまだ、怯えていた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。