「ああ、そこに座ってて、ああどうしようっ、お茶!、番茶でいい?、あっ、冷やしたのがあったんだ、それから!」
「少し落ち着いたら?」
 シンジの一言に冷静になる。
 それも不機嫌な目をして、茶筒の蓋を引き抜こうとしたまま彼女はジト目で振り返った。
「なに?、その態度」
「へ?」
「悲しっ!、さっきあんなに、もう!」
 茶筒を胸に抱き締め妄想に浸る。
 シンジははぁっと溜め息を吐いて、この妙な部屋を見渡した。
 ワンルーム、元は街の開発計画に従事していた単身赴任者用の社宅だった。
 テーブルに食事の残骸を見付けて頭を下げる。
「ごめんね」
「え?」
「知らなかったんだ……、父さん、まだここに住んでると思ってた」
「ふうん?」
 レイは冷やしていた麦茶の入った瓶を手にして、シンジの前にちょこんと座った。
「シンジクンとお父さんって、別々に暮らしてたんだ?」
「うん……、まあ」
 言葉を濁す。
「仕事が忙しいみたいで、ずっと親戚の家にね、レイさんは?」
「あたしぃ?」
 コップに注いで茶を渡す、さっそくガラスは曇って水滴を付着させた。
「あたしはねぇ、あたし、お父さんとお母さんって居ないから」
 木製のコースターも渡す。
「養護施設の出身なんだけどねぇ、ほら、事故で死んじゃったのか、捨てられたのかって言うの、ジンケンモンダイとかで教えてくれないのよね、だからわかんないの」
「そうなんだ」
「シンジクンも大変ねぇ、それで?」
「え?」
「お父さんに呼ばれたの?」
「うん……、まあ、そうなんだけど」
「なに?」
 シンジは不機嫌さを隠さずに告げた。
「何の用なのかわからなくって」
「は?」
 レイは不思議そうにした。
「一緒に暮らそうって言うんじゃないの?」
「まさか?、今更それはないと思うし」
 でも。
「……おじさん達、もっと暮らし易い所に引っ越そうかって話してたし、どうなんだろ?」
 さらっとレイ。
「引っ越してくればいいのに、こっちに」
「え?」
「あっ!、あははははは、何でも無いって、うん」
「そう?」
 シンジは小首を傾げてから麦茶を口に含んだ。
 予想以上の冷え方に顔をしかめる。
 ついでに時計を見て……
「ごめんね、お邪魔しちゃって」
「ううん!、別にかまわないけど」
 またぷるぷるとかぶりを振った。
「でもどうするの?、お父さんの家、わからないんでしょ?」
「うん……、今日は帰るよ」
「こんな時間から?」
「最終には間に合うと思うから……」
「無理だって、ここから駅だって結構あるのに」
 それに、と。
「危ないよぉ、東京はどうだか知らないけど、こっちの夜は物騒なんだから」
「でも……」
「泊まっていけば?」
 さらりと。
「狭いし、お布団ないけど」
「いいの?」
「うん、あ、でも」
 ぽつりと。
「変なこと、しないでね?」
 シンジはまともに真っ赤になった。


「シンジくぅん、どこにいるのよぉ〜」
 と、それは某ミサト女史の泣き言である、すでに化粧も疲れによって崩れていた、何十件目かの電話を入れる。
「あ、もしもし、そちら武蔵野中学の惣流さんのお宅ですか?、はい、もうしわけありません、わたしは碇シンジ君の、あっ、もしもし!?」
 切られた。
「なんなのよっ、ったく!」
 傍らのノートパソコンに表示させている、『心当たり』を順に進んでいた、しかし。
「これだけ当たって、友達らしい友達が見つからない、どうなってんのよ?」
 実は相当性格のヒネくれている子ではないのかと、とうとう彼女は逆恨みをはじめた。
 それはともかく。
「知らない天井だ」
「なに?」
 ベッドの上にうつぶせに転がりマンガを読むレイの傍ら、ベッドを背もたれにくつろいでいたシンジは天井に仰向いたまま説明した。
「知ってる天井のはずなのに……、人の家になっちゃうと雰囲気変わるなって思って」
「ごめんね……」
「別にレイさんのせいじゃないよ、……僕が勝手に言ってるだけだから」
 首を正しい位置に戻す。
「でも困ったな……、父さん、どこ行っちゃったんだろ」
「わかんないの?」
「おじさんに聞けば多分……、明日電話してみるよ」
 レイは小首を傾げた。
「今日はしないの?」
「もう遅いからね」
「心配してるんじゃない?」
「そういうの、気にしてくれる人達じゃないから」
「仲悪いんだ?」
「良くはないかな、嫌いじゃないよ?、好きになれないだけで」
 会話を打ち切りたいと言う見え見えの態度で、シンジはテーブルの上のコップに手を伸ばした。
 そこに鳴り始めた曲に驚いて手を止める、電話だった、曲のタイトルは『FLY ME TO THE MOON』、寝ている時に鳴ってもそのまま聞き続けてしまいそうな大人しさだった。
「はい、もしもし、ミサトさん?」
 手を伸ばして受話器を上げるレイ、寝たまま足首をもう片方の足で掻く、そんな態度で受け答えしていい相手なのだろう、彼女にとっては。
「え?、人を捜して欲しいって……、あたしに?、ダメですよぉ、許可が無いとやっちゃいけないことに……、緊急事態?、命がかかってるってエビスの事ですか?、違う?、モノホンの命?、いいんじゃないですか?、たまには」
 レイちゃあん……、と聞こえた声には情けなさが満ちあふれていた。
「首がかかってるって……、わかりました!、その代わりちゃんと上に謝ってくださいねっ、で、誰を捜すって、え?、イカリシンジ?」
 なんとなく振り返るレイ。
 シンジもキョトンとした様子でレイを見上げた。
 互いに首を傾げて。
「はあ?、待ち合わせに遅れてどこかに行っちゃったって……、そうですか、あ、じゃあまた後で、はい」
 ピッと切る。
「シンジクン」
「なに?」
「葛城ミサトさんって、知ってる?」
 シンジは、ううんとかぶりを振った。
「知らない……、と、思うけど」
「だよねぇ?」
 変ねぇ、とレイ。
「どうしてミサトさんがシンジクンのこと知ってるんだろ?」
 まあ良いか、と。
「教えていい?」
「いい……、のかな?、悪い人じゃないよね?」
「……たぶん」
 あまりにも自信なげなレイの声音に、シンジは情けない顔で見返した。


「レイの意地悪」
 車の後部座席にシンジを乗せて、ミサトは隣のレイに唇を尖らせた。
「一緒に居るなら十五分も間を空けなくて良いじゃない」
「……反省して下さい」
 ちえっと護魔化す。
「でもさっすがチルドレンよねぇ、なんにも説明されてないのに惹き合うなんて」
「え?」
 硬直するレイ。
「チルド……、レン?」
「なんですか?、それ」
 強ばったレイの代わりにシンジが訊ねた。
「あ、なんでもないのよ」
 嫌な感じの印象が生まれた。
「……そうですか」
「でもシンジ君ももうちょっと待っててくれれば良かったのに……」
「どうして、僕が?」
「そんな言い方ないんじゃない?」
「はぁ?」
「女の子はね、デートの時には遅れるものなんだから」
「そうじゃなくて、なんで知らない人を約束もしてないのに待たなきゃいけないのかって」
「はぁ!?、シンジ君、お父さんから手紙貰わなかった?」
「貰いましたよ」
「おっかしいわねぇ、その中にあたしの写真を入れといたはずなんだけど……、手紙は?」
「捨てました」
「ええ!?」
 キキィッと急ブレーキ。
「危ないですよ!」
「ミサトさん!」
 つんのめった二人による悲鳴、しかしそれ以上に。
「だって!、手紙の中にID入ってたはずよ!?」
「そんなもの知りませんよ」
「あっちゃー、まずいわねぇ」
「ミサトさん?」
「レイは良いけど、ID無かったら入れないじゃない」
「え?、じゃあジオフロントに行くんですか?」
「……レイ、気が付いてないの?」
「はい?」
「碇シンジ君のお父さんはね、碇ゲンドウって言うのよ」
 きっかり三十秒、静止した。
「ええーーー!?」
「わかった?」
「似てなぁい!」
「……そうだけどね」
 そうじゃないでしょ、と項垂れる。
「レイさん、父さんを知ってるの?」
「そりゃあ……、だってあたしの身元引き請人って碇さんだから」
「……そうなんだ」
「あたしだけじゃないけどね」
「ふうん」
 再び動き出す車。
 シンジは窓辺に頬杖を突いた。
「何やってるんだよ、父さん……」
 シンジは非常に強いうさんくささを感じて、聞かれない程度の声で呟いた。


 シンジ達の乗る青い車が正面の道路から正面のロータリーに入るのを、そのビルの屋上から睥睨している男が居た。
 赤い眼鏡に顎髭の鬱陶しい男である。
「三年ぶりの再会か」
 揶揄したのは応接セットで将棋番を広げている男だった。
 こちらは白髪で、老人に手が届いていた。
「冬月、後は頼む」
「この歳で夜勤はこたえるよ」
 男は皮肉るような笑みを浮かべた。
 良く言う、とばかりに。
 そして重々しい作りの扉をくぐって外に出た。


 通されたのは会議室だった、何となく隣り合わせて座っているレイとシンジ。
 ミサトはガチャリとドアを開いて入って来た人物に直立して報告した。
「碇シンジ君をお連れしました!」
「遅かったな」
 皮肉の一撃にぐうと唸る。
「もっ、もうしわけありません!、不慮の事故によって予想外の偶発的な不幸な出来事が」
「言い訳はいい、下がりたまえ」
「はっ!」
 ミサトは聞いた、退出するその瞬間、扉を閉めながら。
 ──減俸三ヶ月プラスボーナス没収だ。
 わぁあああああっと乙女のごとく涙を散らしてミサトはどこかへ駆けていった。
「ふん……」
 ゲンドウはにやりとシンジを見やった。
「久しぶりだな」
「うん」
 真っ向から見返す。
「そうだね」
 ゲンドウは次にレイを見た。
「何故ここに居る」
「……」
「答えろ」
 ビクッとレイは脅えた。
 蒼白な顔は元々の白さを通り越していた、萎縮しすぎて唇も変色している。
「父さん」
 低く唸るようにシンジは威圧した。
 顔を上げるレイ、シンジに守られていると感じてか、無意識の内にその背に隠れるような挙動を見せた。
 その態度にゲンドウの瞳が揺れたのだが、眼鏡によって隠された。
「あの……、碇君が、あたしの部屋に」
「そうか」
 ゲンドウはたったそれだけで了解した。
「シンジ」
「なんだよ」
「よくやったな」
「はぁ?」
「手が早過ぎる……、聞いているぞ、向こうでも相当」
「ななな、なに言ってんだよ!」
 真っ赤になって立ち上げる、その背のレイのジト目がとても痛い。
「ふんっ、どうせまだわたしが住んでいると思ったとでも言って上がり込んだんだろう、まったく」
「なんだよ!、知らせなかったのはそっちじゃないか!」
「手紙は出した、裏に新しい住所が書いてあったはずだ」
 うっとなる。
「シンジクン……」
「ち、違うってば!」
「まあ、それはそれで構わんがな」
 彼は本題を持ち出した。
「シンジ」
「なんだよ」
「二年後、この地で何があるか知っているか」
「二年後?」
「そうだ」
 説明してやれ、とレイに目で命令した。
「あのね……、この街の下にはジオフロントって言うのがあって、二年後の二千十七年から十年間を目処にシェルター兼コロニーとして実験的に運用する計画があるの、……チルドレンっていうのはね、その実験に参加してもらうために無作為に選ばれた子供の事なのよ」
「それが?」
「ミサトさん……、シンジクンもチルドレンだって」
「そうだ」
「はぁ!?」
 シンジは本当に仰天した。
「僕も?、なんで!」
 簡単な理由だった。
「……長く預かってもらっていたが、来年、定年を迎えると共にオーストラリアに移住するらしい、お前は邪魔だと言って来た」
 シンジは脱力して、椅子に体を預けた。
「そう……」
「聞いていたはずだな?」
「うん……、でも」
 邪魔、か、と、その呟きはレイにだけ聞こえた。
「シンジクン……」
「だがわたしの仕事はこれからが忙しいのだ、だからこの計画にお前を押し込んだ」
「どうして!」
「必要だったからそうしたまでだ、……危険な計画なのではないかと、子供達に十年は長過ぎるとうるさかったからな、息子を差し出せば文句は無いだろうと、黙らせた」
「……危険なんだね」
「安全確実な計画などは無い、まあ、だからと言って計画そのものは何十年もかけて立てられたものだ、問題は無い」
「そう……」
「どうする」
 ゲンドウはこの場での決断を迫った。
「嫌なら勝手にするのだな、今まで通り仕送りはしてやる」
 仕送りとの言葉にシンジはギュッと拳を固める。
「コロニー計画に参加するのなら、これから相応の知識、技術を身に付けるための専門校に入ってもらう事になる、これは性質上、学費は全て賄われる事になる、生活費もある程度は支給される、成績が落ちなければの話だがな」
 再び、どうする、と。
「帰るなら早くしろ」
 冷たく……
「わたしは忙しいのだ」
 シンジはぎゅっと目を閉じた後……
 無表情に、父を見上げた。
「……わかったよ」
「そうか」
 満足げに頷いた。
「レイ」
「はっ、はい!」
「後はお前に任せる」
「あたしに!?」
「明日の内に荷物をまとめろ、住所はわたしとは別に用意する」
「……行こ?、シンジクン」
 立ち上がってシンジの手を引く。
 シンジは連れ去られる途中、一度だけ……
 勝ち誇った顔をしている父親を、酷くきつく睨み据えた。
 何を考えていようと……
 いつまでも、思い通りになってやるもんか、と。
 それはこの父のスネを齧り続けなければならないのかと言う反骨心と、それを避けようとしても思い通りに乗せられることしか出来ない自分への不甲斐なさから来た挙動であった。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。