「アスカぁ、時間よぉ!、早く下りてらっしゃあい!」
「はぁーい!」
 小遣いを溜めて買ったレースのカーテンが風にそよぐ。
 基本的に暖かみのある薄いピンクで室内は統一されていた。  勉強机に、衣装棚、それにベッド、本棚にはコンポが乗せられていた。
 今時の子にしては珍しくテレビが無い。
 鞄を手にしたのは赤い髪の女の子だった。
 青い瞳、すらりと伸びた手足に高い腰。
 とんとんと鬱の入った表情で階段を下りてリビングを覗いた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、ああ、アスカ」
 母親らしい女性が呼び止めた。
「シンジ君、今日で転校するそうだから、ちゃんとお別れ」
「知らないって言ってるでしょ!、あんな奴っ」
 駆け出した娘に、家長である男性は声をかけるタイミングを逸してしまった。
 金髪、碧眼、彼女の髪の色はこの男の遺伝だった。
「いつまでも続くもんだなぁ」
「こうなると、感心するしかありませんわ」
 微笑み、彼の前に座る。
「五年も前のことで、まだ怒っていられるんですから」
「よっぽどシンジ君が好きなんだなぁ」
 ずずっとコーヒーを口に含む。
「あの子は気付いてないだろうが」
「ええ、……こだわるのは意識している証拠だって、本当にどうでもいいなら気にかけないはずですから」
「それがわからないから、気にしてしまっている自分が理解できなくて苛立つんだろうがな」
 そんな彼女の微笑に、男もつられて笑みを浮かべた。
「なんです?」
「いや……、いつでもあの子の母親を止めることができると言っていた君が、随分と変わったものだと思ってね」
 まあ、と。
「いやですわ、ああも可愛い所を見せられれば、かまってあげたくもなりますよ」
「情が湧いたか?」
「愛情を注ぐには十分な子ですわ、ちゃんと応えてくれますから」
「シンジ君のことさえ持ち出さなければな」
 二人はもう一度、全く同時に吹き出した。


 ──はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!
 赤い髪の少女、アスカは坂を駆け昇った、走って、一気に登り切った。
 その髪は左右に房を作るように掻き上げ、留められている。
 赤い留め具は、あの年の……、十二月三日の誕生日に彼から貰った物だった。
 その二十一日後に……
(シンジのバカ!)
 お返しと思って、シンジの好きなCDを買っていたのに……
 渡す事が出来なくて。
 そのCDは今もなお、奇麗にラッピングされたまま、普段は机に、そして今は……、彼女の鞄に。
 気まぐれに忍ばされていた。


LOST in PARADISE
EPISODE02 ”あまねくは狂気の雨”


「ええと、これで終わり?」
「うん」
 とある家の庭先にあるプレバブ小屋。
 六畳は無いが四畳半よりは大きい部屋がシンジの勉強部屋だった。
 そこに今は、レイとシンジの二人が篭っていた、二人とも白シャツの袖をまくり、下はジーンズ、首にはタオルをかけている。
 軍手を脱ぎながらレイは訊ねた。
「机とかいいの?」
「いらないよ、……買ってもらったんだけど、結局まともに使わなかったしね」
「ふうん」
 いる物といらないものに分けると、実に三分の二がいらないものになってしまった。
 持っていくのはCDと、コンポと、服の類。
 それだけだ。
 教科書類は新しい学校でまた貰う事になるのだし、筆記用具は使用せず、端末機を用いるとレイが教えていた。
 机、ベッドは住む部屋にもよるが、雰囲気に合う合わないが確かにあるだろうと思える。
 シンジの部屋は一応、自分の隣と言う事になっていた、なら確かにこの二つは並べると大き過ぎて邪魔だろうと思う。
「布団は?」
「借り物だからね、……買うしかないかな」
「ふうん……」
 借り物、という言葉が様子を窺うだけで全く手を貸そうとしない本宅との人間関係を想像させた。
「ねぇ」
「なに?」
「学校、行かなくていいの?」
 シンジは顔を背けた。
「別に……、苦手なんだ、先生とかさ、クラスのみんなにお別れしろとか、友達なんだからとか、そういうの押し付けるんだよね」
「シンジクン……」
 その背に掌を当てる。
 じっとりと汗で濡れていた。


 新しい生活が始まった。
 まとめた荷物は宅急便で送った、これは即日、シンジが電車で移動するよりも早く到着し、部屋の前に積まれていた。
 おぼろげながらも過去に住んで居た土地だ、見知らぬ風景が続いても、道そのものを見失うことは全く無かった。
「むぅ〜」
 その状況に不満を覚えているのはレイだった。
 頼りもしなければ、世話もさせてもらえなかったからだった。
「碇、シンジです」
 そんな無難以下の挨拶から始まった学園生活、せっかく同じく二年A組となったと言うのに、徹底的に無視されていた。
 朝はどんなに早く起きても彼は先に出かけていた。
 帰り際は気配すら感じさせずに居なくなる。
 逆に人に気を遣われ過ぎていて、レイは逃げられずにいつもクラスメートに捕まっていた。
 一人席に座っているシンジを睨み付ける、頬を膨らませて。
 顎は机の上に落とし、手は椅子の下へ持ち上げるように掴んでいた。
 足は後方へ曲げて、その上でぱたぱたと振っている。
「どうしたの?」
 話しかけて来たのは左右に髪を括っている、そばかすの多い少女だった。
 洞木ヒカリ、委員長でもある。
「碇君?」
 日誌を胸に抱いて、彼女はレイの視線の先を追った。
「う〜ん、なんだか嫌われちゃってるなって」
「そうなの?」
「あんまり話してくれないし」
「ふうん……」
 ヒカリはクラスを見渡して、適当な人材に目をつけた。


 ──バキ!
 少年はその音に顔をしかめた。
 眼鏡に、天然パーマ、そばかすのある少年だった。
「悪いな碇ぃ、お前みたいなんはなぁ、殴ったらなわからんのじゃ!」
 言ったのは黒いジャージを来た少年だった、殴ったのも彼だろう、手を振っている。
 学校の校舎裏にわざわざ呼び出しての暴行だった。
 のされたシンジであったが、ややあって起き上がった、唇に痛みを感じて腕で拭うと切れていた。
「お前がなぁ、誰とどう付き合おうがそりゃあ勝手や?、そやけどなぁ!」
 胸倉掴んで引き起こす。
「綾波がそないな目ェで見られて、傷つかん思とんのか!、ああ!?」
 シンジは飛んで来た唾に顔を背けた。
「この!」
 その態度に余計に苛立ちを込めて殴り倒す。
 ──ドカ!
「行くで!、ケンスケ!」
「待てよトウジ!、……悪いな、あいつの妹も病気が重くてさ、それで綾波みたいな奴に優しいんだよ」
 シンジは虚ろな瞳をして答えなかった。


 ──翌日。
「むぅううううう……」
 綾波レイの不機嫌度はさらに増していた。
「ど、どうしたの……」
 凝視しているレイに対して、ヒカリは昨日以上に脅えていた。
「シンジクンがねぇ……」
「ん?」
「今日は一緒に登校してくれたんだけどねぇ……」
「よかったじゃない」
「全然良く無い!」
 レイの怒声に全員が目を向けた、シンジもだ、なんだろうとキョトンとしている。
 その顔を見て、レイはますますむくれて怒り肩で外に出た。
 それを首だけで追うシンジだが、結局興味を無くして外を向く。
 そんな様子にますます顔をしかめ、怒りをみなぎらせたのは言うまでもなくトウジと言う名のジャージ少年であった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。