部屋の隅にあるのは踏み割ったCD。
特別仕様のゴールドディスクは、細かな破片を足の裏に感じさせて、ただただ苛立ちを助長させる。
ベッドの上に少女は体を投げ出していた。
仰向けになる、巻きついた髪が下敷きになる。
アスカと言う名の少女である。
周囲にはCDだけでなく、マンガや、小説まで散らかされていた。
彼女による激情の嵐の痕であった。
そして今は虚脱と放心に陥っていた。
「アスカ……」
「……お母さん」
顔だけ向ける。
「……あいつ、いなくなっちゃった」
「ええ……」
「最後にね……、叩いてやるつもりだったの、叩きつけてやるつもりだったの」
あのCDを……
「けど何も出来なかったんだ、あたし……、何も、何も」
彼女は義理の娘の様子に嘆息して、指摘した。
「あの子は……、昔から寂しがり屋だったから」
「お母さん?」
「あなたのママ……、キョウコが生きていた頃はまだ、シンジ君のお母さんのユイも生きていたわ」
アスカは脱力しながらも体を起こした。
キョウコの名前が出るのは特別な時だけだからだ、昔はお互いに遠慮するものがあったから、馴染んだ今になってもそれは自然なことになってしまっていた。
居を正す娘に話を続ける。
「この研究が終ったら一緒に、これが片付いたら、これが……、ずっとそうだったわ、アスカ?、あなたも覚えがあるでしょう?」
アスカは頷いた。
「我が侭だったのね……、妻の立場、親の立場、研究者としての立場、両立どころか全てに固執して……、結局どれも中途半端になってしまった、それがキョウコだったわ」
アスカは目を伏せた、聞きたくなかったのかもしれない。
本当の母の姿を。
「わたしはそんなキョウコになりたくなかったから、女であることだけ求めたの……、それがあなたを傷つけたけど」
彼女はアスカの傍に腰を落とした。
「言ってはいけない事だったわね、いつでも親をやめられるなんて」
ビクリと震えたアスカの体に、とても優しく腕を回した。
「お母さん?」
「女はね……、いつかやめるしかないのよ、老いれば魅力なんて知れているんだから」
頭を撫で付けて、アスカの強ばりをほぐし始めた。
「女として見向きもされなくなるのは怖いわ、でもその寂しさは忘れられる、アスカ、あなたがいるから」
「うん……」
「でも……」
「え?」
「シンジ君は、どうだった?」
アスカは頭で押しのけるように母の顔を見た。
「あいつは……」
「アスカと違って……、いつか、きっと、ずっとそうやって護魔化されて……、そしてついに居なくなってしまって、残されたのは果たされる事のなかった約束だけ、騙され続けたんだと言う現実だけ……、覚えてる?、あの日……、クリスマスのこと」
「うん」
「謝らなきゃいけないことが一つだけあるの」
「なに?」
「あの時ね……、わたし、シンジ君が帰るのを見過ごしたのよ」
「え……」
「あの頃はまだ、あなたのことも、何もかもが苦手だったから」
そこには深い悔恨が刻まれていた。
──あら、もう帰るの?
そう呼び止められはしたものの、安堵するものに気付いてしまったから……
──はい。
そう答えていた、だって。
(おばさんは母さんを嫌ってた、僕のことも嫌ってる)
この人もなのだな、と。
ウソツキな叔父と叔母。
きっと喜んでくれるというから、誕生日にプレゼントをしたというのに。
──ふっ、ふん!、なによこれ、ヘンなのー
みんなの前でバカにされた。
みんなと一緒になって、散々言われた。
二度とプレゼントなんてする物かと思った。
(もういいや……)
寄り付きたくなくなったのも、冷めてしまったからだった。
母の生きていた頃はもっと違った気がする、けれど双方共に失ってからは、互いに同じ物を求め始めた。
温もりを、けれど。
──バカシンジぃ。
そう言って、みんなでバカにして笑う。
人気を取るのが巧かった、ダシに使われていると言う感覚があった。
(どうしてこんな嫌な気持ちになってまで、友達でいなくちゃならないんだろ?)
だからもう、目を向けるのをやめた。
彼女のしたいようにやらせた、言わせた。
──どうだっていいさ。
どうだっていいから、どうされようと、気にならない。
そんな理屈で、殻に閉じ篭って……
「今更こんな夢、見るなんて」
シンジは未だ片付かない部屋の中で、段ボール箱の合間のL字の隙間に体を折って眠っていた。
おかげで妙な痛みが残ってしまっている。
「同じなんだよな……、レイさんも」
碇シンジと言う悪者がいる、綾波レイと言うヒロインが居る。
悪者を倒すために民衆は団結する、悲劇のヒロインは悪者の存在によって同情を引き、より一層人々の保護欲を駆り立てる。
一人を生贄にすることでとても幸せになる事ができる。
そして生贄は……、別段、親しい人である必要は無い。
「……なんで知り合っちゃったんだろう」
あの日に。
「あんな姿さえ知らなかったら……、きっと嫌な人なんだって想えたのに」
──みんな気を遣ってくれるから。
「くそ!」
あくまで周囲の過剰な気の回し過ぎなのだと……
この状況が彼女の悪意の産物ではないために。
綾波レイを酷い奴だと嫌う事が出来ない理由になってしまって……
彼は酷く、苛立った。
ジオフロント内における自給自足のみでの実験計画には、未成年の子供が多数参加することになっていた。
とは言え、その先は十年にも渡るのだ、当然中には出産という事態も想像できる。
他にも精神的なストレスは計り知れない、伝染性の疫病に関しても恐怖心は付きまとう。
そんな過酷な状況に、何故か綾波レイ、彼女は選抜されていた。
遺伝子に欠損があるにも関わらず、だ。
アルビノである彼女は閉鎖されたコミュニティにおいて、子々孫々に渡る不安要因となりかねない、遺伝を考えれば健やかな血が求められるのは当然だ。
これが数十憶と暮らす一般社会、世界であれば大した問題ではなくなるのだが、ジオフロントに最終的に選出されるのは大人子供合わせても数百から、多くて一千人である。
なのに、その中に、それもトップに彼女は選出されていた、これは確定している。
──チーー、チチ、チー……
青い玉が高速で回転している、浮かんでいる映像は見て取れない。
それが如何なる能力であるのか、研究も分析も行われていない、ただ、出来てしまうのが綾波レイであり、だからこそファーストチルドレンの称号を頂いている。
世界に先駆けて。
「結局……」
レイは呟いた。
「ちやほやされて、思い上がってたって事なのかな、甘えて……、それが鬱陶しいだなんて何様?、あたし……、情けない」
シンジを切り捨てて居心地の好さを取るか、あるいは甘い環境を崩す事になったとしてもシンジを取るのか。
──碇シンジにそれだけの価値があるのか?
レイは壁を……、壁の向こうに居るはずのシンジを凝視した。
「アスカ……」
彼女は娘を解放すると、立ち上がった。
「良く聞いて……、シンジ君はね、チルドレンとして選抜されたわ」
「チルドレンって……」
「知ってるでしょ?、ジオフロントに入るって」
「あれの!?」
「そうよ」
深刻な表情で頷いた。
「二年後、彼は潜る事になるわ、そして外界とは一切を遮断され、次に出て来る時はもう二十七よ」
アスカはその深刻さに気が付いた。
「そんな……」
「わかるでしょ?、ううん、わからなきゃだめよ」
アスカの両肩をしっかりと掴んだ。
「あなたにキップを上げるわ」
「キップ?」
そうよ、と離れる。
「一つは第三新東京市へのキップ」
「え!?」
「向こうで暮らしなさい、シンジ君と仲直りするために」
「でも!」
「もう一つは……、ジオフロントへのキップ、これはお父さんのコネを使わせてもらったわ」
「お母さん……」
「仲直り出来なければ……、ジオフロントの中まで延長するのもいいわ、けどそれでもダメだったら、十年もの間、長い苦痛に堪えなくちゃならなくなる……、考えなさい、二つの切符を使うかどうか」
アスカは俯くと……、数えるほどの時間もかけずに顔を上げた。
「行く!、あいつのところに……」
「アスカ……」
「嫌なのよ!、あたしのせいなのに……、あたしが悪いのに、本当は」
意地を張って、シンジを仲間外れにした、クリスマスの日。
疎外感が一体どれ程のものであったのか。
一言謝れば済んだのに。
先に態度を決められてしまって……
謝れる雰囲気ではなくなってしまって。
だからずっと、意地を張り続ける事になってしまっていた。
今考えれば、それはつまらないことなのに。
「あいつに……、謝りたいの、謝って、どうにかしたいんだと思う」
アスカはそう告げて目を伏せた。
「それが何かは……、まだ、はっきりとはさせられないけど」
「……」
ぽんと項垂れた頭に手を置いてやる。
「今は……、それで上出来よ」
「うん……」
「やっと動き出すのよ、これでね、堰き止めていたものを押し流してみなさい、きっと何かが見つかるから」
うん、とアスカは……
抽象的過ぎる話ではあっても、言いたい事の何割かは受け取っていた。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。