「ほんっとに研究熱心よね、あんたは」
ズズッと下品に音を立ててコーヒーをすすったのは当てつけだろう。
ミサトだ、そしてここはリツコの研究室、部屋の主は彼女を無視してモニターにぞっこんだった。
「……で、いつからエヴァの研究をやめたの?」
「やめたわけじゃないわ」
「でもそれって」
ミサトが訝しげに指摘したのは、リツコの解析しているデータであった。
それはシンジの、さらに具体的に言えばシンジと他のチルドレンとの、比較検証データであった。
LOST in PARADISE
EPISODE09 ”規格”
碇シンジの気怠い朝は、他人の侵入からまず始まる。
小さく、丸くなるようにして眠っていると、突然ドアが開いてドタドタと足音が嫌味なくらいに鳴らされるのだ。
寝ぼけ半分で舌打ちしたい気分を堪えて起き上がる、まだ七時だ、男のシンジには後一時間は余裕がある、しかし隣の少女達にはそれでも全く足りないらしい。
特に髪の長い女の子はそうだ、排気ガスや埃が付着しないよう、しっかりしっとりと乾かすためには時間が掛かる、そしてもう一人は単に長風呂、こちらは自然乾燥に任せているため、お世辞にも艶やかな髪とは言い難い。
もっとも彼女に言わせれば、体質のせいでどれだけ奇麗に身繕いしても限界があるのだから、と、ある意味女性としての未来については諦め切った発言をしている。
ただ、ちゃんと貰ってもらうから良いモン、と誰かさんにイヤらしい目線を投じて予防線を張る事は、しっかりちゃっかりと忘れはしないから現金なものだ。
そしてさらには、洗脳効果も高いようで……
「将来?」
──通学路。
「アンタばかぁ?、エヴァのパイロットだってだけでもう十分じゃない、今更そんなこと気にしてどうすんのよ」
実際、パイロットとして順当に給料は支払われている、職業軍人とは違って、安く買い叩かれる事も無い、あくまで実験、研究のための団体なのだ、ネルフは。
一種実験動物紛いのことまで求められるチルドレンである、当然、それに比例した『手当て』も別途に保険金として支払われてもいる。
しかしレイはアスカの答えに満足せず、ぷうっとむくれた。
「そういうことじゃなくて!、第一ネルフのあれだって、使徒関係の調査が終わるまで延期されるかもしれないって話じゃない」
「でもパイロットはパイロットでしょうが」
「そうだけど……」
「将来、か」
ぽつりとシンジ。
「じゃあアスカや綾波って、ジオフロントに入って出て来たらもう三十越えてるって事もあるのか」
ぐぅっと二人。
「なんだか想像出来ないな、大人になるなんて」
シンジは気にしなかったが、二人からの反応は無かった、それはそうだろう。
『具体的』に、身近に三十前後の婚期を逃した良い例が転がっていたりするのだから。
二人はずぅんと重くなった足取りを、引きずるようにして登校した。
──ネルフ本部、会議室。
「チルドレンをやめられるのかって?、ちょ、ちょっと待って!」
深刻ぶった二人の唐突な質問に、ミサトは大慌てで問いただした。
「どうしたの急に!、何かあったの?」
「ううん、なにかあったってわけじゃないのよ、ただ……、ねぇ?」
「ちょっと気になる事があって」
「気になること?」
とにかく座って、と、席に促す。
「で、なに?」
「……ジオフロントの実験計画ってさ、期間の見直しの話しって出てるんでしょう?」
「ええ……、さすがに使徒を放置するわけにはいかないから」
「だからなのよ、ほら、最初の計画じゃさ、ここに潜って外に出れば二十代の後半ってぐらいだって聞いてたけど」
「三十越えちゃうかもしれないんですよね?」
ぴくり。
「で、それが?」
「それがじゃないっての!」
「そうですよぉ!、地下に潜って出て来た時、友達には小学校の子供とかいたりして」
「おばさん、なんて言われた日にはたまんないっての!」
「ほぉ、それで?」
「だからっ、それで、じゃ、なく……、て、その」
「あ、ははははは、タイミングってのは逃したくないなぁ、なんて」
ほほぉ、とミサト。
「で、なんのタイミングだって?」
「……」
「……」
「具体的に聞きたいんだけど」
くっとアスカは歯噛みした、地雷は踏んでしまったのだ、思い切って爆発させる事にしたらしい。
「嫁き遅れたくないって言ってんのよ!」
「うぐ!」
「おばさんになって煎餅かじりながらビールかっくらって人前でお尻掻くようになる前に結婚したいって言ってんの!」
「偉い!、よくそこまで言い切ったわね!」
「別にアンタのこと言ってるわけじゃないでしょうが!」
「じゃあなんで逃げるのよ!」
「アンタが迫って来るからよ!」
──十五分経過。
「はぁ、はぁ、はぁ、まあ、とりあえず結論から言えば、レイとシンジ君はともかく、アスカならやめられるわ」
「え?、あたしはだめなんですか?」
「ええ」
ふう、と汗を拭いながら蹴散らした椅子と机を直していく、律義なのではなく、整頓しておかないと怒られるからだ、リツコに。
「レイの力は特殊過ぎるのよ、逆にアスカの力はとても強いってことがわかってるけど、その力自体はそう特殊なものではないわ、同質の力を持つ子は見つかってるもの、レベルはがくんと下がるけどね」
「むぅ……、じゃあシンジはなんでなのよ?」
「それはもっと簡単、エヴァ初号機とシンクロ出来るのは彼だけだからよ、こんな言い方はしたくないけど、アスカ……、それに鈴原君は替えが利くのよ」
「……ほんっと〜に嫌な話しね」
「言わせたのはあなたでしょう?、……とにかくシンジ君と初号機には未知の部分が多過ぎて放置出来ないのよ」
「……あるのかな?、ここをやめて出ていったら、どっか余所の組織に狙われたりとかさ」
「ないとは言い切れないけど、まあ、その心配は無いんじゃない?」
「どうして?」
「だって世界的に見れば何万人に一人って確率で能力者は居るんだし、そう無理してアスカを拐う必要は無いわ」
まあそうか、と納得する。
「けれどレイは違うわ、そうでしょう?、レイの力は上手くすれば世界を好きなように改革出来る力だもの、他の組織がネルフほど甘い使い方をするとは思えないわ」
「……その力のほとんどが落とした財布の捜索とか無くした書類の探索とか、ろくなことに使われてないんですけどね」
レイのジト目に、にゃははとなる。
「そ、そう言わないでよ……、あ、そうだ、ジオフロントの実験だけど、延期じゃなくて中止になるかもしれないわ」
「中止?、どうして……」
「使徒の捕獲も検討されてるしね、そのままここは研究のための施設にしてしまおうって話しがあるのよ、学会からも貴重な遺跡だって突き上げが来てるし、それで米国のプラントの実験を繰り上げしないかってね」
「アメリカの、なんですか?」
「宇宙船建造計画」
「へ?」
「だから、宇宙船よ、基本的にはこことコンセプトは同じ、ただ地上がどうにかなった時に地下でやり過ごそうってのがここの計画だった訳だけど、お空に逃げてしまった方が安全じゃないかって話しがあったのよね」
「え?、じゃあどうしてこっちの計画に?」
「簡単よ、宇宙船なんて言ったって、実際には宇宙ステーションの建設さえおぼつかないのが現状なのよ?、未だに建築資材を宇宙に放り上げるだけでも四苦八苦してるってのに、あまりにも現実味が薄いでしょ?」
「ジオフロントはどうなのよ?」
「この遺跡が沈んで生まれた空白でしょ?、それを利用しようってだけだもの、十年以上の期間がかかったけどね、それでも宇宙船を作るよりは早かったわ、何しろ、セカンドインパクトの後の疲弊した国力でも十年で済んだんだからね」
「あ、それは聞きました、ここの建設のおかげで特需があったって」
「そういうこと、……アメリカの実験はもっと人工的でね、地下に実際に建造される宇宙船と同じレイアウトの施設を建造して、そこでシミュレーションを行おうって物なのよ」
「人工的な生活空間を作るって事?」
「そう、船外作業を除けば基本的に宇宙船は完全な密閉空間なわけでしょう?、船内環境、船外情報は全部デジタルデータで与えられるものが全てになるわ、だから擬似空間に閉じ込めて、外からトラブルを与えてその対応の様子を見ようってね」
「悪趣味……」
「意地悪なことするんですね」
「でも趣旨的にはジオフロントと変わらないわ、環境は大きく違うけどね……、ジオフロントには自然がある、癒されるものがあるわ、人によってはその落ち着きが逆に苛立ちを感じさせて、破壊衝動を昂ぶらせるんじゃないかって言うけどね、それに遺跡があった、これを調べようって言うだけでも十分に『目的』を作る事が出来る、時間を消化出来る、けれど宇宙船には謎なんてものはないわ、自発的に目的を持つ事も出来ない、すべてはシステム的に統括されないと運用出来ない、わかる?、ジオフロントではある程度勝手にできる分だけ問題が起こる確率が大きいの、けれど宇宙船では歯車が狂わない限り問題は発生しないわ、だからジオフロントでは放置、宇宙船では人為的に問題を与える、そういうことになるのよ」
「もしかしてジオフロントで起こった問題を心理学者とかに検証させる予定だったんじゃないの?、それを出題するつもりだったとか」
「……」
「やっぱりね」
「ごみん」
「謝る事じゃないでしょう?、何が起こるかわからないことを想像して出題するなんて無理だもの、まあまともなやり口だとは思うけど」
「あたし達って、ほんとに実験のサンプルなんですねぇ」
「やめなさいよ、そう言う言い方は」
「いえ、はっきりと言ってしまった方がいいわね、その通りよ」
ミサトは開き直りのようなものを見せた。
「どう歯に衣を着せたって実験は実験だし、あなた達を被験者とするつもりだったんだから、ただ言い訳させてもらえるなら、その分の見返りとして将来的な保証?、地位とか名誉とか報酬は用意されていたわ」
「……過去形だもんね」
「形は変わっちゃったけどね、前倒しして払ってあげてるじゃない」
で、とミサト。
「話は戻るけど、あんた達はもう十六なんだし、心配しなくても今すぐ結婚出来るじゃない、無理をすれば子供を産んでおく事だって出来るけど?」
「で、出て来た時には子供はあたしの顔なんて知らないっての?」
「連れてけばいいじゃない、一緒に」
「そんなの……、いいの?」
「もちろんよ、だって中で生まれるってことも想定されてるのよ?、育児のためのシステムだって完備されてるわ」
「でも」
ぽつりとレイ。
「あたし達だけ結婚出来る年齢になってても」
ふうんとミサトはいやらしく笑った。
「まあ、シンちゃんを待ってられない気持ちはわかるけどねぇ」
「……そういうこと、はっきり言うんじゃないっての」
「将来的にも、ネルフに居続けなくちゃならないんですか?」
「ん、でもあなたの力が恒久的に持ち続けられるものかどうかもわからないし、はっきりしたことは言えないわ」
「どういうことですか?」
「スプーン曲げを出来る子が大人になると出来なくなるって話し、聞いたこと無い?、脳の成長が精神的なエネルギーの感応能力をどうのこうのって、こういうのはリツコが詳しいんだけど、レイの力もいつ消えるかわからないのよ、ファーストチルドレン、世界で初めて見つかったレイに出る変化は、どんなことでも全て『世界初』になる可能性が有るの、逆に言えば、レイの力は何がきっかけで失われるかわからないし、あるいは成長するかわからない、後に続く子供達のためにもね、あなたを犠牲にするしか無いの、わたし達にはね」
レイはううんと少し唸った、ミサトの話しが言葉ほど重いものでないのはわかっている、何が起こるかわからないからこそ、対処できるよう看られる場所に置いておく、そういう意味があるのも知っている。
事実、自分は人形以下の存在に陥っていた時期があった、ネルフが、碇ゲンドウと言う人が保護してくれなければ、未だにそのままであっただろう。
そのデータは自分と同じ症状に陥った子供の治療のために用いられている、これは自分で調べて知っている。
「つまり今って、何がどうって確実に言えることは何も無いし、だから何をしてはいけないって強く言い聞かせる事もできないってことなんですね」
そうね、とミサトは苦笑した。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。