──減俸三ヶ月。
 その処分に、ミサトはずぅううんと背に重い荷物を負って項垂れた。
「ああ……、えびちゅが」
「あなたの価値観なんてそんなものよね」
 ふうっとタバコを吹きかけてやるリツコである。
「なによぉ、それが身を切って貴重なデータを収拾してあげた親友に対する言葉ぁ?」
「……ジュースを買う金にも困って、コーヒーをたかりに来てる人間の言うことじゃないわ、第一、下手をすればシンジ君は死んでたのよ?、分かってるの?」
「う、それは……」
「さらには学校の方もね、客観的な事実とすればシンジ君は鈴原君に負けたのよ?、派閥としてエリート候補生に軍配が上がった、こうなると政局の変動もあり得るわね、あなたはそんな無用な衝突まで招いたのよ?、これがどんな風にあの子達に掛かって来るか……、そのストレスはどうするの?、問題の解決は?、はっきり言ってあなたを罷免しようって話もあったんだから」
「げっ」
「減俸で済んで良かったと思いなさい、クビにならなかっただけマシよ」
「はい……」
 しょんぼりとするミサト。
 ここで敢えてリツコがシンジとの会話を伝えなかったのには理由があった。
 それは彼女が計測したあの瞬間のシンジのATフィールドの数値にあったのだ。
 ふるわれなかった、最後の一線でその機会が失われたから、しかし力は確かに凝縮されていた、引き絞られていた。
 その数値は、……測定、不能。
 使徒初回戦で暴走紛いの発動を見せた初号機、その圧倒的な力。
 それと測定された記録が同じであったのだ、つまりは……
(地球上で、シンジ君を懐に収められる者は存在しないということ……)
 奇しくもミサトの言葉通りであったと言う事だ、彼が協力的なのはあくまで……
(人として、冷たくは無いから)
 では絶望した時、どのようなことになってしまうのか?
 ──サードインパクト。
 そんな単語が浮かんでしまって、慌ててリツコはかぶりを振る。
 しかし少しばかり遅過ぎたようで、事態はもう、動き出してしまっていた。


 ──学校。
 授業が一段落しての楽しみ、昼休み。
「アスカ、今日はパン?」
「昨日訓練が長引いちゃってさぁ、くたばっちゃって、作ってる元気なかったのよ」
 ふうんとヒカリ、箸を咥えている辺り行儀が悪い。
 アスカもアスカで男の子のようにパックの牛乳をふんぞり返ってすすっているのだから、良い組み合わせなのかもしれないが。
 ヒカリはなんとなく視線を横向けた、エリートクラスの恥、と蔑まれていたトウジの周りに人が多い。
 どこから流れたのか、シンジが負け、トウジが勝ったと言う噂話が横行していた、おそらくはネルフを『力』で覗き見ていた誰かだろうが。
「何見てんの……、ああ、鈴原?」
「うん……」
 心配げに、ヒカリ。
「アスカも大変ね、鈴原が彼氏だと」
 ブバッとアスカは牛乳を吹いた。
「げほ!、なんてこと言うのよ、アンタは!」
「汚いって!、ハンカチ、ティッシュも!、拭いて拭いて!」
「まったくもう」
 アスカは鼻から出た牛乳を手の甲で拭った、もしかすると目からも出ていたかもしれないが。
「誰が誰と付合ってるって?、ん?」
 恐ろしげな顔に今更気がつく。
「ち、違った?」
「当ったり前でしょうが!」
「でも、……アスカって鈴原とペア組んでるし、仲も良いし、良く面倒見てるって評判だし」
「う……」
 一々思い当たるところがあるアスカである。
「で、でもだからって、なんでそんな話しになるのよ!」
「……それだけで十分だと思うけど、それに」
「なによ」
「レイも……、そうなんじゃない?、って言ってたし」
「あいつぅ……」
 ああ……、とヒカリが悲痛に訴えたのは、アスカの手の内でパックがグシャッたからだった、ぼたぼたと牛乳が垂れ落ち、床に広がる。
 ふと。
「そう言えば、シンジは?」
「逃げたんじゃない?、レイが追いかけて行ったし」
「逃げた?」
「アスカ……」
 呆れた声音で。
「状況ってものを考えてね?、碇君にべったりだったアスカが鈴原に転がって、碇君自身は鈴原に負けて、このクラスじゃもう大変なんだから」
 口を挟もうとするアスカを制す。
「元々『力』もないのにエヴァのパイロットだ、ナンバーズだって言うので嫌われてたのに、本当は情けない力だから隠してた、なんて言われてるのよ?、本当はどうだか知らないけど、それで居場所があるわけ無いじゃない」
「あいつ……」
 アスカは舌打ちした、そんな素振りを見せなかったからだ。
(違う、か……)
 シンジがその程度のことでどうこう思うはずが無い。
 これ幸いとばかりに、一人である事を楽しんでいるだろう。
 ──昔のように。
 一方でトウジは浮かれていた、みんなにおだてられて、有頂天になってしまっていた。
 シンジを倒した事が自信に繋がっていた、ATフィールドもほぼ思い通りに使えるようになった、感覚的なものだけに、一度『コツ』を掴めば簡単なことだった。
(そやけど、あれはなんやったんやろう?)
 時折浮かび上がる疑問、それはシンジに感じた恐怖心だ。
 トウジはそれを人を殺し掛けた恐怖であるとすり替えていた、考える間を置かずアスカとレイに褒められてしまった事がそう思わせていた。
 それが間違いであるとも気付かずに……
 ──校舎裏。
 コンクリートタイルの上に足を投げ出して、校舎に背をもたげているシンジが居た。
 日向ぼっこの最中だ、目を閉じて気持ちよさそうにしている。
 その横ではレイが本日四つめの野菜サンドをぱくついていた。
 シンジの横顔を見つめ、もぐもぐとやっていたレイだったが、ついにたまりかねたように問いかけた。
「……良いの?」
「なにがさ」
「弁解くらいすれば良いのに」
 目を閉じたままで、シンジ。
「良いさ、信じてくれるのは、最初から僕を疑ったりしない人だけだ、だったら説明する必要なんて無いよ」
 実際、解ってもらえようと、どうだろうと、それが喜びには繋がらないのだから、シンジの考えも否定は出来ない。
「けど」
 レイは不安げに呟いた。
「トウジ君、死ぬかもしれない」
「え?」
「シンちゃんと違って、トウジ君には『未来』が視えるの、トウジ君には一キロを離れてATフィールドを中和する事も、ATフィールドを使って交信することもできない、絶対勘違いしてる、思い上がって無茶しなきゃ良いけど」
「……強いのは、ホントのことじゃないか」
「あたしが騙されると思ってる?」
 レイはごっくんと飲み下すと、やや険のある目をしてシンジを睨んだ。
「根本的に、シンちゃんの力はあたし達とは質が違う、桁が違ってる、あの瞬間ようやくわかった、シンちゃんは普段無意識の内に抑え込んでた、それは力が大き過ぎるから」
「変なこと言うんだね?」
「そう?、だってシンちゃんからは封じ切れない力が溢れてる、それがあたしの眼線を弾いてる、トウジ君の力を避けてた時は、それを集約してただけ、だからあたしにはシンちゃんの『真実ほんとうの姿』が視えたの、もし、あの時、それが解放されていたら……」
 レイはかぶりを振って言い直した。
「シンちゃんにとってエヴァは不必要に力を使わないためのものなんじゃないの?、本当の力を発動させないために、手頃な力で済ませるための……」
「……」
「シンちゃんが何かを隠してるのは判ったけど、それがなんなのかまではあたし、判らなかった」
 パッと立ち上がり、パンパンとスカートの裾をはたく。
「いつかそれを、教えてね」
 ぱたぱたと走り去るレイ、手にはゴミを詰めた袋を一つ。
「……僕にも、全部がわかってるわけじゃないさ」
 シンジはそう呟くと、ずりずりと体を倒して横になり、サボるつもりで寝始めた。


 ── 一週間後。
「発見された使徒は地下二十層に見つかった大規模空間に中座中、その能力は完全に不明、これが今わかっていることよ」
 ミューティング、鼻息の荒いトウジ、真剣なレイ、どこかいい加減に聞いている感じのあるアスカ、聞いているのかどうかわからないシンジと、各自の態度はそれぞれだった。
 それでもちゃんと聞いていることはわかっているから、ミサトは続けた。
「とにかく、使徒の攻撃パターンが掴めない以上、シンジ君とレイに先行を」
「わしがやります!」
「……あのね、気持ちはわかるけど」
「わし『等』の手にかかったら、そんなもん大したもんやあらへん!、なぁ!、そやろ惣流!」
「……」
「わしが行きます!、行かせて下さい!」
「ミサト」
「アスカ……、行けるの?」
 アスカは口篭ってしまった、確かに不安ではあるが、トウジとエヴァ3号機のシンクロは飛躍的に向上している、それこそ歯車が噛み合ったように。
 おかげでアスカはアスカで、自分の性に合ったパターンを使えるようになっていた、やってみたい、そんな感情が沸き起こるのもしかたのないことだろう。
「やるわ」
 ふうと嘆息。
「わかりました、じゃあ、先行はアスカと鈴原君に任せます、けど本当に良いのね?」
「まあ……、不安じゃないって言えば嘘になるけど」
 付け加える。
「ATフィールド、このバカに使えてあたしに使えないって事はないでしょう?、なんとかなるわよ」
「……この二年で、一度も使えていないのに?」
「でも、あたしの声は届いたじゃない」
 それは二年前の、01暴走時にまで遡る話だ。
 アスカとて、まったく根拠無く語っているわけではないのだ。
「なんとかなるわよ、大丈夫」
「でも……、気をつけてね」
 横合いからのシンジの言葉に苦笑した。
「だぁいじょうぶだって、心配しなくても、使徒なんてあたしらだけでおちゃのこさいさいよ!」
「うん……、でもさ」
「なによぉ」
 ぷくっとむくれる。
「ちったぁ人のこと信用しなさいっての」
「けどさ」
「ああもうぐちぐちぐちぐちうるさいわねぇ!」
「ほっとけほっとけ」
 嫌味たらしく。
「無敵の碇でも人間やったっちゅうこっちゃ、負けてしもたせいで弱気になっとるんや」
「……」
 かかかかかっと笑って言ってしまう、それを追いかけるアスカ、ミサトも出て行く。
 それでも動かないシンジと……、レイ。
 レイは何も言わなかった、言った所で聞かないのが人間だと知っていたから。
 この後の顛末、末路、その全てを知っていた、死ぬかもしれない、その驕りが招く悲劇、いや、自業自得。
 知っていてレイは、全てを黙して、語らなかった。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。