翌日のことである。
学校が終わってから、四人は訓練を受けるためにネルフのトレーニングルームに集合していた。
監督者のミサトとトレーニングコーチが遅れている、そのため、ストレッチを開始していたシンジであったのだが……
「ちょっと待ってよ」
シンジは昏い目をして迫って来るトウジに萎縮した。
「僕と一対一でやりたいって、なんで?」
「すまんな碇、わしはお前とやらなあかん、いや、どうしてもやらんと納得出来んのや」
「わけ解んないよ、全然解んないよ、ちょっとアスカ、綾波、止めてよ」
「そうだねぇ、トウジ君、やめとけば?、勝てるに決まってるんだから?」
それにかちんと来たのは何故だかアスカであった。
「さあ?、それはどうだか判んないんじゃない?、シンジだって『エヴァ』が確認されたんだし」
「ATフィールド?」
「そうよ」
「でもどうやって使うんだか判んないままなんでしょ?」
ぐうと唸るアスカである。
「大体理由も説明しないで殴られろって言うのがわけわかんないんだよ、説明ぐらいしてよ」
「言うたやろ……、納得したいんや、それだけや!」
「ちょっと!」
──問答無用。
ブンと空気が切り裂かれる、その拳はボンッと小さな音を立てた、音速を越えた拳は空気を叩き弾き飛ばしたのだ。
反射的に首を捻ったシンジの頬が切り裂かれる、衝撃波によって。
「シンジ!」
「ジンジクン!」
「あら〜?、どうなってんのよ、これ」
「ミサト!」
のほほんとした口調に、アスカはくってかかるようにした。
「ちょっと止めてよ!、アイツ、エヴァを使ってる!」
「だからどうしてこうなったの?」
「わかんないわよ!、鈴原の奴、納得したいとかわけわかんないこと言っちゃって……」
ははぁんと、ミサトは納得した顔を見せた。
と、同時に、昨日のリツコとの会話を思い出した。
「ATフィールドの展開の可能性なら……、あるわ」
「やっぱりね」
「判ってたの?、珍しい……」
「なんか馬鹿にされてる気がするけど、ちょっとした推理よ、エヴァンゲリオンがエヴァのブースターなら、強度はシンジ君に及ばなくとも、三人とも展開しているんだから、生身でも、ってね」
「そう、展開出来る可能性はあるわ、ただそれが物理的な障壁となるほど強力なものかどうかは別として」
「シンジ君同様に観測出来ない、それだけじゃなくて、確認も出来ないってこと?」
「他にもATフィールドを持っているとすれば説明のつく事が沢山あるのよ、エヴァや使徒の解放と共に子供達が呼応し、目覚めたのは何故?、シンジ君がテレパシー同然に他人と感応出来るのは何故?、レイの『視線』を弾く力がATフィールドに根差しているのだとすれば、使徒のATフィールドを中和するように同調して、共振、あるいは共鳴を声として送っているのかもしれない」
「音叉、か」
「そういうことよ、音叉は二つあってこそ響き合う、そして発信された音を正確に再現出来るのもまた音叉だけよ、子供達が次々と目覚めているのも同じことかもしれないわ、使徒とエヴァの戦闘によって発生した巨大な共鳴が……」
(絶好のチャンス、かもしれないわね)
ミサトはアスカから目を上げて、二人の対決を眺めやった、鋭い眼をして。
「試せる、か」
「ミサト!」
(命に係らなければ発現されないのがATフィールドなら、鈴原君の攻撃で……、またATフィールドを前にすれば、鈴原君も3号機搭乗中の感覚を自身にフィードバックして)
「ミサトってば!、早くしないとシンジが!」
「でもアスカぁ」
はは……、っと、口元をひきつらせてレイは指摘した。
「シンちゃん、トウジ君の攻撃、全部捌いちゃってるよ?」
「うそ……」
アスカは愕然とした面持ちで、レイの言葉を確認してしまった。
トレーニングルームは百人程度は型を行える広さがある、さらにはジムマシーンも設置されているのだから格段に広い。
トウジが拳を振り、足を繰り出す度にそれらがひしゃげ、あるいは倒れた、触れてもいないのに、だ。
正拳を身を捻って躱したシンジの背後で壁が陥没した、横薙ぎに払われた足を横に飛んで避けるとランニングマシーンが横にずれた、俗に言うかまいたちが吹き荒れる。
隔壁と同じ建材で作られている壁を容易く粉砕する、そんな現象を引き起こすトウジの腕力をまともに受ければ、肉体などひしゃげる暇もなく壊されてしまうだろう。
だからシンジは避け続けていた、避け続ける事が出来ていた。
トウジが技を繰り出そうとすると、見える、いや感じるものがあった、気とでも言うのだろうか?、トウジの意識が自分の周辺空間に干渉して来るのだ。
ぶつかり、窪んで、波紋のようなものが広がるのが見える、その中心点に攻撃が来る、だからシンジは逸早くそこからずれることで回避していた、しかし。
「!?」
足払い、避けたつもりの所に拳が来た、殺気だけを放った騙し手、フェイントにむざむざと引っ掛かってしまったのだ。
──だが。
ガン!、っと非常に堅固な音が鳴って、悲鳴を上げたのはトウジであった。
「ぐあ!」
拳を庇って一端下がる。
「今の!」
アスカが叫ぶ。
「見えた、ATフィールド!」
レイも愕然とした、シンジが前回、中和したと言うことは聞いた、しかしはっきりと目で見たわけではなかったから、ただ漠然とああ凄いなぁと思っていただけだった。
ミサトはいつしか腕組みをして監察していた。
ATフィールドのチューニングによってテレパシーと同じ意志疎通を行うのは解る、だがそうするとシンジは距離に関係無く相手の周波数にチューン出来ることになる。
前回、シンジは直線距離で一キロ近く離れていたと言うのに使徒のそれを中和した。
あらかじめ知っている人物であるからテレパシーを送れる、というのではない、そうであったなら使徒のATフィールドを中和出来るはずが無いのだから。
(どうなの?)
ミサトはこれ幸いとばかりに、そのこともまた確認しようとしている。
「こなくそがぁ!」
トウジは後ずさった自分を叱咤し、再び傷ついた拳を振り上げた。
ガン!、右、そしてガン!、左、バランスを崩してもうブロックすることしかできないシンジをさらに追い込んでいく。
シンジは両腕をクロスさせた状態でATフィールドを展開し、その場に踏みとどまっていた。
「どうして……」
壁はずっとあるのだろう、叩かれる度に不協和が揺らぎとなって表面を波立たせる、その角度の変化が純度を悪くし、金の反射を視認できるようにするのだろう。
シンジは金色の壁が赤く染まっていくのを呆然と見ていた、その向こうで拳を壊し、骨を砕き、それでも殴るトウジが居るのだ、理解できなかった、どうしてそこまで突っかかって来るのか?
憎い?、違う、鬱陶しいから?、それも違う。
(僕に理由があるんじゃない)
不意に浮かんだトウジの言葉。
──納得できんのや。
勝手だな、と思った、要するに確認するためには自分の手の届かない存在に挑戦する必要があったのだろう。
格の違いに打ちのめされる事で、すっきりとし、改めて再出発するために。
「そんなの勝手じゃないか」
「うぉおおおおお!」
気が緩んでしまった、その隙を突かれた、さらに最悪のタイミングで、最高の現象がそこに現れた。
(ATフィールド!?)
レイだけが『眼』に『視えた』、トウジとシンジをよりよく見ようとして彼女は無意識の内に『力』を発動させていたから。
シンジのATフィールドが一瞬揺らいだ、引き絞られたトウジの拳が金色の糸を引いて見えた、それは突き出される瞬間、鋭角に尖って、薄れたシンジのATフィールドを……
「だめぇ!」
叫ぶ、『現実』はまだトウジが拳を振り上げた瞬間だった、しかし止めるには遅過ぎた。
繰り出されたATフィールドを纏った拳は、シンジの呆気に取られている顔面へと。
──ゾッ!
トウジは拳を止めた、寸前で、恐怖でかちかちと歯が鳴っている、止められない。
どっと背中にに気持ちの悪い汗が吹き出した、悪寒が寒気を与え、血の気を引かせる、いや、血の気が引いたから悪寒を感じるのか?
だがトウジ本人にしてみれば、そんなことはどうでも良かった。
(なんや……)
理解と共に、汗が引いていく。
(なんやっ、今のは!)
理解っている、知っていた。
今、シンジを殴り殺し掛けた瞬間。
(なんやっちゅうねんっ、今のは!)
──エヴァ01、初号機。
浩々と光る目をしたあの悪魔の機体、その姿がシンジに被さって見えたのだ。
影となって、そのものとなって。
「そこまで!」
ミサトの言葉にビクリとなる。
「シンジ!」
「シンちゃん!」
トウジは愕然とした表情のままでシンジを見つめる事しか出来なかった。
「もう……、いいよね?」
「あ……、おう、すまん、かったな」
「うん……」
シンジは駆け寄って来た二人に、大丈夫だよと答えた。
「でもちょっと危なかったよ」
「ちょっとじゃないでしょうが!」
うんうんとレイも頷く。
「でもトウジ君やったじゃない」
「はぁ?、なにがや……」
「わかってないの?、最後、トウジ君ATフィールド拳に張り付けてたのに」
「へ?」
「へ?、っじゃないでしょうが!」
バンッと背中を叩かれて我に返る。
「そ、それホンマか!」
「うん、ホンマホンマ」
くぅっと感激に浸るトウジ。
「わしっ、わし……」
「でもまだまだみたいね」
「自分でわかってないんじゃあ、ねぇ?」
「そんな言うことないやないかぁ」
情けない声にちょっとした笑いになる。
「それよりそれ、痛くないの?」
「おわっ、忘れとった!?」
「あんたバカぁ?」
その隙にシンジはその場を離れ、一人通路に逃げ込んでいた。
ドッドッと激しくなる鼓動を押さえるために、胸を強く鷲づかみにして壁にもたれる。
「……見せてもらったわ」
その声に顔を上げる。
「……リツコさん」
「深呼吸をしなさい」
「はい……」
「落ち着いた?」
「少しは」
「危なかったわね」
「はい」
「もう少しで、鈴原君を、殺す所だったわ」
「はい……」
あの瞬間、もし、トウジが拳を止めていなければ……
シンジは確信してしまっていた。
「反発力」
「え?」
「あなたの力は、そういうものよ……、あの瞬間、鈴原君は我を忘れて本当にあなたを殺そうとした、その意識をあなたは反射しようとした、彼が我に返らなければ……」
「僕は、やってました」
手を握り込む。
「僕は……」
「今は休んだ方がいいみたいね」
リツコは一歩進んでシンジに並ぶと、その背を押して行きましょうと促した。
二人の背後からはしゃぐ声が聞こえて来る。
それはどこか、シンジだけが人の輪から弾き出されてしまっているような……
そんな印象を抱かせた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。