──本部発令所。
 念のためと上からの命令で引き上げさせられたミサトとリツコは、実に不機嫌な雰囲気を醸し出していた。
 責任者が真っ先に逃げた事になっているようで、気に入らなかったからだ。
「ライフルが堪えられなかったらアウト、先に撃たれてもアウト、シンジ君が見つかってもアウト、……どっかに気楽になれる話は無いわけ?」
「そうね」
 冷たく切り返すリツコである。
「それより、アスカ、どうするの?」
「……」
「場合によっては、セカンドの交換、あり得るわね」
「そうね」
 はぁ、っと重く息をついて。
「数値、落ちてるんでしょ?」
「ええ……、かなりこたえてるようね、精神的な疲労が激しくて……」
 ミサトは顔をしかめた、『エヴァ』は肉体的なものには作用されないが、その分心の問題には敏感である。
 精神状態が発動条件の一つでもある以上、今のアスカのように思い詰めた状態では上手く起動するはずが無いのだ、最悪、『無手』ということにもなる。
「ATフィールドは?」
「一応確認させてもらったけど、いつもの三分の二程度の数字よ」
 ここにもまた、問題が一つだ、こんな条件下で作戦が上手くいくはずも無い。
 しかし他に手が無い以上、どうしようもない。
(お願いよ、アスカ……、無事に終わったら相談でもなんでも乗って上げるから)
 十分、二十分で解決するような悩みではないだろう、だからその時間を十分に取ってあげるためにも、と。
 ミサトはアスカに心の中でげきを飛ばした。


 ──ウィン、ウィン、ウィン……
 浮遊しながら正八面体の青い物体がやって来る。
 空のコンテナと廃材、鉄骨資材で作り上げた壁の裏で、シンジはその様子を確認していた。
 ……手元のハンディモニターで。
 エヴァを起動させるわけにはいかない、使徒に感知される可能性が高くなるからである、そこで苦肉の策として、エヴァの外部装甲、右脇の下辺りにカメラを取り付け、無線でパイロットルームのハンディモニターへと送信できるように仕掛けていた。
 ただ、これもエヴァ自身の発する生体電流が邪魔になるのか、極めて画質が悪かった。
 探知されては元も子も無いと、レイとの『念話』も制限されてしまっている、そのレイは寝そべるようにして長大なライフルを構えていた。
 冷却器からは白い煙が吹き、ゆっくりと床を這って散じていた、通じて来る電力が莫大なために、窒素にも等しい冷却材が大量に使用されている。
 熱いにしても、冷たいにしても、触れれば『ヤケド』を負うことは必至であった。
 レイのエヴァの一つ目の前には、ゆっくりと青白い光が回転していた、いつもより遅いのは、それだけ正確に視ようとしているからだろう。
 未来を視るわけではないのだ、今、この先に居る使徒がどの地点に浮かんでいるのか、それだけで良いのである。
『第1から第803間区まで送電開始』
 レイは通信機からの報告にごくりと生唾を飲み下した。
『電圧上昇中。加圧域へ』
『全冷却システム、出力最大へ』
『温度安定。問題なし』
『陽電子流入、順調なり』
『最終安全装置解除』
『撃鉄起こせ』
 レイは言われたままに撃鉄を上げた、それを待って、ミサトから最後の言葉が送られる。
『レイ、タイミングはあなたに任せるわ』
 レイは先を凝視した、加速して道の先へ、先へと視点が駆け走っていく。
 正面、中央、クリスタル、その中心点を射抜く!
 トリガーを引く、爆発的な反動、砲身は堪えた、伸びる閃光、01が動く、全力でATフィールドの中和に乗り出す、使徒は……
 レイは目を閉じた、ただ堪えるように。
 使徒は防御では無く攻撃を選択した、加粒子砲が発射される、その閃光はポジトロンライフルの雷撃と干渉し合い……
 使徒のものはレイを、レイのものは使徒をかすめて背後に着弾する。
「きゃああああああ!」
 背後から爆風が襲って来る、外れた!?、そんな悲鳴が聞こえる、ミサトだろうか?、使徒はATフィールドでは防ぎ切れないと、干渉して曲げようとしたのか、あるいは対消滅を狙ったようだ。
 使徒の再充填作業が始まる、初号機が跳びかかっていく、そのため……
 ──ここからの未来は不確定になる。
 レイはその展開を知らなかった、ただ、その先が視えたことから、作戦は成功するのだとそれだけを知っていた。
 ……どれだけの犠牲が払われるのかは、敢えて気にはしなかった。
 雷撃が来る、防いでくれるものはない、直撃する、……死んじゃうのかな?、微笑さえ浮かべる。
「あ……」
 その瞬間、アスカは確かに迷いを見せた、恐ろしくて、竦んでしまった。
 真っ暗だった世界が白色に染まる、嫌だ、あんなもの受け止められるはずが無い、死にたくない、冗談じゃない。
 ふと00ゼロが見えた、何やってんのよ、逃げなさいよ、自分の役割も忘れて毒づく。
 もう遅い、もう間に合わない、足が動かない、硬直してしまっていた。
 世界が灰色になっていく──
(どうするの?)
 誰かが訊ねた。
 レイとミサト。
(良い、別に気にしないから)
(そうよ、あなたはあなたを大事にしなさい)
(あたしのために傷つくことないって)
(だれもあなたを責めないわ)
 アスカは奥歯を噛み締めた。
(っざけんじゃないわよ!)
 一歩を踏み出す。
「だったらなんで笑ってんのよ!」
 嘲るように。
 僅か数歩だ、それでも間に合わないほど悩んでしまった、だがここで諦めれば……
 ──確実に自分は、見放される。
 見下される、見限られる、それが嫌でこの街に来たのに。
 ──シンジの傍に行こうと思ったはずなのに。
 もう二年も経つのに相変らずな自分、何も変わっていない、変えられていない自分が居た、どうしようもない、これではシンジにあの様な別れを告げられても当然ではないか。
 認めない、認めない、認めない。
 だから認められない、そんな想いが爆発する、破裂した感情は火となって吹き荒れる、爆炎だ。
 火をより大きな炎で呑み込んで……、アスカの炎は使徒の雷光の数倍の熱量に達して。
 ──逆流し。
「だめぇ!」
 レイの言葉にハッとする、遅い、アスカの炎はまっすぐ使徒へと……
「シンジ!」
 01ごと呑み込んで……
「あ、あ……」
 しかし。
 ──フォオオオオオオ!
 二年ぶりの咆哮だった。
 意思を持ち、使徒を中心に渦となり、玉となった炎は激流のごとき勢いで回転した、だがその中に共にあっても、01は踏ん張ったまま流れに堪えていた、赤い円舞の奥で目がぎらついていた、禍々しく光っていた。
 口からは息を吐いていた、アスカの炎よりも熱いというのか、はっきりと息が視認できた。
 レイは『眼』で、アスカは『炎』からそれを知った。
 シンジが喰われていく、失われていく、それに比して01の存在感が膨れ上がっていく、強大になっていく、恐ろしくなっていく。
 ドン!、爆発、きゃあ!、アスカとレイは同時に爆風に転がされた。
 それは01を中心に起こされたものだった、炎を引き裂き、01は使徒を押し倒すように右腕で押し、跳んだ、ズッ、ズズズズズ!、角が床に擦れて跡を残す、ブシャ!、擦り切れて体液が一気に零れ出た、萎れる。
 掴んだままで足を地に付ける01、ズズズズッと足を滑らせながら姿勢を整えると、振り回し、振り上げ、叩きつけた、揚げ句踏み付け、踏みにじる。
「あ、あ、あ……」
 レイはそんな初号機に慄然とした、最後は両手で持って、頭頂部から左右へと引き裂いた、両手に下げて、げらげらと笑っている、そんな馬鹿なと思った、エヴァは人の操る……
 だがエヴァンゲリオンは笑っていた、確かに笑っていた、感情豊かに、レイとアスカの脅えを嘲るように笑い続けていった。


 ──ネルフ本部。
 レイとアスカはシンジが眠る病室の前で項垂れていた。
 レイはシートに座り、アスカは壁にもたれて立っていた。
 あの瞬間……、アスカが迷ったのが分かった、アスカも迷いを見抜かれたのは分かっていた。
 それでも互いに、そのことについて触れるつもりは無かった、無くなってしまっていた、疲れが酷くて……、わだかまりはあっても、それは罵り合うような事ではないと自覚し合っていた。
 あの雷撃を前に躊躇しない方がおかしいのだ、幾らトウジのことでいがみ合っていたとしても、それだけで本当に死ねば良いと考えるような酷い人間ではないと知っているし、死んでしまえば良いなんて思っていたわけでもなかった。
 もっと根深く、反対に表層的な問題なのだ、友達である、しかし命を懸けて守りたいと願うほどの相手ではない、それだけだ。
 こればかりはどうしようもない、お互いを信用し、信頼し合うにはぶつかり合いが足りないし、関係が深くなかった。
 今まではシンジを間に、なぁなぁの馴れ合いを演じて来ていただけだった、それ以上でも、それ以下でもない、仲が良くなって来ていたとは言え、本気でケンカをしたのはこれが初めてだ。
 言葉にして説明できる感情ではないし、自覚してもいないのだが、だからと言って単に言い争えば心が軽くなると言う物でも無い、それだけはわかっていた。
 レイは……、その『眼』故に、アスカは過去の出来事がために。
 もう一段、感情を解放出来ずにいた、抑制してしまっていた。
 ──過ちだけはくり返したり、重ねたりはせぬように。
 今まで犯して来た間違いが大き過ぎて、あるいは知り過ぎていて。
 とても心のままにとは、身動き出来ない二人であった。


 ふうと息を入れたのはミサトであった。
「アスカとレイは膠着状態、今のところ突発的にぶつかり合うって事は無いみたいね」
 それは結構、とリツコは答えた。
「けれど放置しておくわけにはいかないわよ?」
「わかってるわ、それより……」
 目を細める。
「シンジ君はどうなの?」
 リツコは簡潔に答えた。
「だめね」
「だめって!」
「気付くのが遅過ぎたわ」
 呆然としているミサトに冷たく告げる。
「これ以上被害を拡大しないためには……、エヴァそのものの封印を進言すべきよ」
「……どういうこと?」
 リツコは手元のモニターに、ある遺伝子の情報を二つ並べた。
「なによこれ?、人間と……、エヴァの?」
「いいえ、片方はここに来た頃のシンジ君の、もう一方は今日のシンジ君のDNAよ」
「はぁ!?」
 画面にかぶりつく。
「どういうことよ!?、まさかっ、汚染?」
「似たような物ね」
 心を落ち着ける為なのか、リツコはタバコに火を点けた。
「……説明しなさいよ」
「ええ……、まずはエヴァンゲリオン、これについてわたし達はとんでもない考え違いをしていたわ」
「勘違いを?」
「考え違い、よ、……エヴァは対使徒用に開発された物、これは正しかったわ、問題は使徒と同系統の理論で生産されたもの、この解釈が間違っていたのよ」
「……」
「エヴァはね……、使徒なのよ」
 ミサトは意味不明に喘ぎを入れた。
「エ、ヴァが?」
「そうよ、使徒を作るのと同じ工程でエヴァは作られていたの、ただそのままじゃ使徒のように自立した兵器となってしまうから、制御下に置くために中枢神経系を摘出し、代わりに搭乗者を迎え入れる器官を増設した」
「チルドレンの様な?」
「……むしろ搭乗者の子孫がチルドレンなんじゃないかと思うわ」
「は?」
「エヴァは中枢神経が潰されているとは言え、制御を行うためのものは最低限残されていたわ、そして使徒としてのエヴァにはそれで十分だった、エヴァは進化しようとしたのよ、使徒のようにね」
「それって……」
「多分、これは推論じゃなくて事実だからそのつもりで聞いて、良い?、生まれいずるはずのない機関を手に入れるためにはどうすればいい?」
「まさか!」
「そう、取り込めば良いのよ……、けれど人類……、彼らの本当の主のことだけど、彼らとエヴァは別種の生き物だったわ、だから当然拒絶反応が出てしまう、互いの抗体が攻撃し合う事になる、その結果、どちらかは死んでしまう、ならどうすれば良い?、慣らして行けば良いのよ、徐々に、徐々に、互いを作り替えていけば良い、……わたしはこれまでエヴァの組織の変異はあくまでパイロットに対するチューニングだと思っていたわ、でも違ったのね、エヴァはパイロットに近付くと同時に、パイロットをも近付けようとしていたのよ」
「でもどうして?、どうしてシンジ君だけが……」
「おそらく01が特殊なのと、シンジ君との相性が良過ぎたのが原因ね、他の機体には機械的なサポートも入っているから、それが『抵抗』になっていたんだわ、だから目立った変化は見られなかった」
「……でも影響がないとは言い切れない」
「そうよ」
「シンジ君が……」
「シンジ君は後天的に力に目覚めた訳じゃなかった、後から力を手に入れたのよ、それもエヴァのとの接触をくり返すほど変異を進められて、強くなって行く、当然ね、彼はエヴァ……、使徒そのものにされようとしていたんだから」
「そんな!」
「もしかすると使徒も元は人が入っていたのかもしれないわ、取り込まれてしまったのかも」
「そんな憶測、いらないわよ!」
「そうね……、問題はシンジ君ね、彼は自分の力に対して疑問を持っていなかった、それも当たり前だったのよ、だってそれが『自分』という『生き物』なんだから」
 たとえ作りかえられたにしても、肉食獣が牙の使い方を生まれつき知っているように。
 シンジも、ATフィールドの使い方を知っていた。
 それだけなのだと、リツコは語った。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。