医療班によって緊急収容されたトウジは、召集をかけられたチルドレン達によって集中治療を行われていた。
 皆の顔色は悪い、トウジのバイタル数値が不安に拍車を掛けまくる。
 どんどん下がっていく、『エヴァ』を幾ら高めても追いつかない。
 エヴァだけでは無く、化学治療も同時に行われていた、投薬はもちろんだ。
 死ぬかもしれない、そんな諦めの色が漂い始める、勝つの負けるのじゃない、クラスで騒いでいるくだらない見えの張り合いが如何につまらない事なのか?
 しかしそれを理解するには遅過ぎた、甘かった、本気なのだ。
 命のやり取りと言うものは。
 ガシュッと気圧式の機密ロックが外れた、誰だと一斉に視線が向けられる。
「え?」
 誰もが何故と思った、そこには地下で待機しているはずのシンジが立っていたからだ。
 同伴者はリツコである。
 リツコはちらりと、シンジを見下ろした。
「さ……」
「はい」
 シンジは何かを決意した顔で前に進んだ、気圧されて、女の子が二人場所を空ける。
 トウジはベッドの中に寝かされていた、特殊な溶液に浸されて。
 フィードバックのためか胸に大火傷を負っていた、ケロイド状になってめくれてしまっている、実際には蒸し焼きにされてしまって、臓器などにも多大な影響を受けていた。
 シンジはすっと手をかざすと、ゆっくりと瞳を瞼で隠した、医師三名、看護士一名、看護婦二名、チルドレン男子二名、女子四名、その全員が不可視の力に弾かれて、したたか腰を打ち付けた。
 ──ATフィールド。
 何が起こったのか分からなかったのだろう、全員がきょとんとした顔をしていた、一番最初に動いたのは、最初から全てを掴んでいたリツコであった。
 トウジのバイタルサインを確認し、ふむと頷いた。
「……持ち直したわ」
「そうですね」
 何事もなかったように、二人は連れ立って去ろうとする、慌てる医師、しかし声を掛けている暇は無かった。
「先生っ、患者が!」
 正常な呼吸をしていた、血圧、心拍数も許容範囲内に収まっている、一体何が?、わからない。
 しかしこうなればやる事は一つだと指示を飛ばした。
「急げ!、今の内に」
 安定している間にと、地道な治療を再開する、驚くほど素直に薬の、エヴァの効果が現れる、これなら傷も消せそうだった。
「すみませんでした、時間、取ってもらっちゃって」
 慌てるように医療棟を出て、車に乗り込む二人である。
「……レイとアスカの関係が修復不能になっては困るんでしょ?」
「はい」
 シンジはくすっと笑い、体をシートに預けて顔を仰向けた。
 ハンドルを握りながら、リツコは訊ねる、表情は変えず。
「今回の作戦が終わったら……」
「はい?」
「あなたの検査、本格的にやらせてもらって良い?」
 真剣なものを感じ取る。
「良いですよ」
「そう……」
「ただ」
「?」
「その結果を秘密にしてもらえるなら」
「……わかったわ」
 その物言いからシンジは知っている、知っていて何かを隠していると感じたリツコであったが、今は問い詰めるべきではないと、なんとか必死に噛みつぶした。


「おっそーい!」
 戻って来たシンジに突っかかって行ったのはアスカであった。
「どこまで便所に行ってるのよ!」
「ごめん」
「まったく!、こっちはこれから死ぬかも知んないってんで神経質になってるってのに」
「恐いんだ?」
「ばっ!?、……恐いに決まってるじゃない」
 なによ、と拗ねて見せる。
「そう……」
「……ねぇ、シンジ?」
 アスカは思い切って訊ねた。
「あんた……、あたしがどうしてチルドレンなんかやってるの、わかってる?」
「……僕が好きだから?」
「そうじゃなくて」
「わかってるよ」
 寂しく微笑む。
「ねぇ、アスカ?」
「ん?」
「アスカは……、もう自由になっていいんだよ?」
 アスカは目を丸くした。
「それ、どういう意味よ……」
「……もう、僕にこだわる必要は無いんだよ、あの頃は色々あったから、あんな風になっちゃったけど」
 目を合わせる。
「別に恨んだりしてないから、こんなことにまで付き合う必要なんて無いんだ、無理をしてまで」
「だったらあんたは、なんで」
「僕?、僕は……」
 背を向けた。
「僕にはもう、帰れる場所なんて無いから」


 エヴァの中に入り、アスカは起動チェックをしながら先のシンジの言葉を考えていた。
(馬鹿……、あんたがそんなだから、放っておけないんじゃない)
 ちらりと、H.M.D.ヘッドマウントディスプレイ内部に映し出される00ゼロを見やる。
(それに、あんなあんたのことを何にも知らない奴に任せておけない、絶対に)
 良くも悪くも……、悪いことばかりであったが、レイよりも遥かに詳しく碇シンジについての事情は知っている、それがアスカの強味ではあった。
 時折レイは知らずにシンジが傷つくこと言う、シンジが何でもない風を装うために、はらはらとするしかないのだが。
 例えば授業参観、お母さんに来てもらったことあるんでしょ?、と言う、シンジの母が死んだ後、散々自分には新しい母が居る事を自慢して傷つけたのは自分だ、シンジがその頃のことを思い出さないはずが無い。
(あたしの償いは、そう簡単に終わらせられるもんじゃ無いのよ)
 そんなアスカの儚い優越感は、嘘である。
 レイは……、00の中から、アスカを見ていた、悲しげに。
 確かにシンジを知ることは出来ない、だがアスカを『視る』ことで、アスカだけが注意して気付く事の出来るシンジの横顔を視ることは出来るのだ。
 それをズルいと言うなら言われても良いと思っていた、時折シンジが硬直するのが判っていた、大丈夫?、そう訊ねるアスカとシンジの会話を盗み視ることで理由を知ることは出来た、その時には……、自分の無神経が嫌になった、だから傷つけるよりは、嫌われてでも話題を避けられるように、より調べようと思ったのだ。
 昔のアスカが嫌悪するに十分だった女の子なのは分かっている、けれどそれを恥じているアスカも知っているから嫌いにはならないが、シンジはどうなのだろうかと思えてならない。
 そんな風に、自分を悔いているだけの感情が果たして『好意』に部類される物なのだろうか?、シンジはそんな感情を『好意』として見ているのだろうか?
 信じ切れまいと思えてならない、確かに、慰めてくれと言えば慰めてもらえるだろう、キスしたいと言えば、ひとつになりたいと口にすれば……
 決して断るまい、アスカは、むしろ喜んで差し出すだろう、そう。
 ──差し出すのだ。
 贖罪のために、彼が少しでも元気になるのならと、償いを受け入れてくれるのだと喜んで、心が少し軽くなるから、しかしそれは自己陶酔だ、決して恋愛感情ではあるまいに。
 それでシンジが感じるのはきっと、……自己嫌悪。
 そんな真似をさせてしまったと、彼女が自分には逆らえない……、拒絶するような真似は出来ないと知っていながら強要してしまったと、自分を批判する気になるだろう。
 シンジは……、どこか老成していて、先の展開を読む事に長けている、きっとアスカとの間ではそんな感情しか育まれないと読んでしまっているのだろう、レイにはそう思えてならなかった。
 ──そしてそれを裏付ける証拠がある。
 アスカの未来を幾ら視ても、そこにシンジは出て来ないのだ、シンジの事で深く苦悩しているアスカは、たまたま支えてくれる人に出会い、関係を結び、少しずつ自分を解放して、幸せになっていく、時折シンジを振り返ることもあるようだが、その心は『今』の幸せに満たされていて、決して負に落ち込むことは無い。
 シンジを……、過去のものとして処理し、勝手な理想を押し付けて、どこかで幸せに、と口にするのだ、希望して。
 ──実際には行き倒れのように死んでしまっていたとしても。
 だがだからと言ってレイはアスカを責める気にはならなかった、シンジは不幸になるかもしれないが、アスカにもまた幸せに生きる権利がある、不義理と罵る事は出来ないし、権利も無い、第一、そのような『展開』をシンジが想像していないはずがないし、そのシンジが何も言わないのだ。
 口に出来るはずが無い。
「第一、ね……」
『なに?、レイ』
「なんでもないですぅ」
 首を傾げるミサトが隅に映ったが、レイは会話するのが面倒で説明しなかった。
 ──自分の未来にも、シンジが居なくなってしまっているのだ。
 そんなはずはと思っても見つからなくなっていた、先日までは、確かに、自分や他人の未来のどこかにその影があったというのに。
 今は完全に消えてしまっている、何故か?
 それが酷い不安となって、今のレイにのしかかっていた。


 通路幅は百メートル、これは通路と言って良いのだろうか?、しかし直線になっているので敢えてシンジは通路とした。
 その隅に運んで来たがらくたを積み上げ、隠れることにした、使徒の探査機能の一つに『視覚』があるのかどうかわからないが、一応、念のためと言う奴である。
 その遥か手前ではレイが準備に入っていた、背後のスロープを何十と言うケーブルが下りて来ている、その全てが自分のエヴァが持つ、一本のロングライフルに接続されている。
 ケーブルはジオフロントの施設から直接引かれていた、計算ではATフィールドを貫けるそうだが、実際には分からない、念押しで01が中和を行う手筈となっているのだが、01が先に探知されてしまえばそこまでとなる。
 正に綱渡りと言って良い。
 00の前ではアスカが静かに瞑目していた、02の中で、まだわだかまりがある、レイを守れるだろうか?、トウジを死の寸前にまで追いやったあの閃光を前にして、立ち竦まずに壁となれるだろうか?
 一応、急造だが盾を渡されていた、天井都市の大地に詰め込まれている特製の装甲板を利用した急造の盾であったが、エヴァの装甲の実に二十倍近い防御力を誇っている。
 その盾を持ってしても、良くて三十秒、悪ければ十秒でアウトとなってしまうそうだ。
 レイの銃も実は似たような物で、如何にも急造仕上げとばかりに基本フレームだけで構成されている辺り非常に不安な代物である、通電される出力にも堪えられるかどうか理解らないと来れば、もうどうしようもない。
 銃が暴発した時には、ATフィールドを持つエヴァはともかく、スロープの上のバックアップ部隊は間違いなく蒸気と化してしまうだろう、正気じゃない、狂気と言っていい作戦だった。
 勝率が上がらない訳はそこにあるのかもしれない。
 アスカの仕事は単純だった、攻撃が来たら盾を持って防ぐ、それだけだ。
 レイは第三眼を使って敵の位置を把握し、それを撃つ、より正確に狙いを付けるために、『眼』を持つレイに役割が振られたのだ。
 それはそれとして、アスカは少しばかりショックを受けていた。
(あたしの代わりは居る、か……)
 冷静になって見ればそうかもしれない、ただ状況に流されてこれに乗るはめになっている自分よりも適任者はいるのかもしれない。
 またシンジについてもだ、レイの様に、……他にも好意を寄せている人間が居るようだし、自分でない誰かがシンジの心を開く可能性が無いとは言えない、自分は何のためにシンジの傍に居るのだろうか?、一人にさせたくないから?、彼にはもう十分に慰めてくれる誰かが居るかもしれないのに、いや、居るのに。
 ──レイが。
 他人に代わりをされてしまう自分とは何なのだろうか?、自分はどうしてここに来たのだろうか?、シンジに謝りたかったから?、それとも……
 ──解放されたかったから?
 アスカは慌ててその考えを振り払った、違うと自分に言い聞かせた。
 呪縛のように絡み付いている罪悪感、それから逃れるためだけに優しくしている?、自分はそんな人間なのかと叱咤した、でなければ自己嫌悪のどん底に落ちてしまいそうだったから。
「あたしはもう、負けるわけにはいかないのよ」
 誰にでも無く、宣言する。
 シンジの寂しげな微笑が思い出される。
 あれは『諦め』ではなかったのだろうか?、いくら期待しても、君は満たしてはくれないからと、究極の所で、君は僕よりも自分を、喜びを、楽しみを求めて、僕を置いて行くんでしょ?、と、諦めから向けられてしまった『お別れ』なのではなかったのかと。
 不意にアスカは、直感し、馬鹿にして、と苦渋に満ちた歯ぎしりをした。
 ──そんな期待は裏切ってやる。
 心に軋みを、感じながらも……



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。