「……綾波、ちょっとええか」
 レイはきょとんとした、アスカにならともかく、彼が自分に話しかけて来ることがあるとは思わなかったのだ。
 以前のケンカが、尾を引いていて。
 ちょっと来てくれと誘われて、どこに向かうのかと思えば単に教室の外だった、廊下で、小声で事情を話されて、レイは深く溜め息を吐いた。
「そう……、そんなことが」
「すまん、わしにもどうしたらええんか分からんのや」
 それでもトウジが望んでいることは分かった、『力』で彼女を見守ってくれ、そう言いたいのだろう。
 それが良い事なのかどうか分からない、それでも何かが起こる事を事前に知ることが出来れば、止めることは出来るのだ。
 ──後悔はしたくない、そういうことなのだろう。
 しかしトウジは、どこか自分には止められる力がある、そう驕っている、レイはそう感じて、どういうつもりかと一応問いただそうとした、しかし。
「わかっとる」
 トウジは先手を取ってレイの言葉を遮った。
「わしにはぶん殴ることしか出来ん、それはもうよぉ分かった、そやけど黙ってる事も出来ん、お前にも昔言われたやろ?、それはわしが満足したいだけやって、そやけどいかんか?、黙ってる方がええっちゅう訳でもないやろ?」
 そうかもしれない、レイには答えられなかった、自分は何かをして上げる側ではなく、何かをして貰いたがっている人間なのだから、トウジの質問に答えるだけの資格が無いように感じられたのだ。
 シンジは……、それを自然とやれる人間である、のかどうかは微妙だが、少なくともレイが一番望んでいる接し方を自然としてくれる人間であった。
 だが、それはそれだけである、目の前に居る少年が欲している問題解決能力がシンジにあるかと言えば、それはない、ないのだ。
「じゃあ、どうするの?」
「わからん」
「わからないって……」
「わからんのや、そやけど、放ってもおけん」
 トウジは真顔でレイに頼んだ。
「責任は……、わしが取る、その時にならんとわからんけどな」


 トウジの物言いは物騒だった。
 その時になって自分がどう行動するかは分からない。
 そんなことを平然と宣言されて落ち着いていられるようなレイではない。
「だからってねぇ」
 アスカは不満気だった。
「あたしまで巻き込まないでよ」
 Tシャツにジーパン姿、足はスニーカー。
 レイ、アスカ共にその格好で、二人は四階建のビルの上に潜んでいた。
 すぐ傍には三階建のアパートがある、その一室が『目標』が入った部屋であった。
 紙袋からパンを出しつつ、アスカ。
「そりゃまあ、心配なのは分かるけどさ」
 ちらりと見たレイは、額に第三眼を開いていた。
「……でもあの子、シンジクンの友達だし、何かあったらって思うのもあるし」
 アスカは顔をしかめた。
「そりゃまあ、ね……」
 その時シンジがどれだけ悲しむか、知っていて何もしなかったらどう思うだろうか?
 しかし面白くは無い。
「なぁんであいつの別れた彼女のことまで面倒みなくちゃならないんだか」
 レイは苦笑する。
「彼女ってほどじゃないでしょ?」
「そんなの分かんないじゃない、デートして、キスくらいしたかもよ?」
 レイはむぅっと膨れた。
「どうしてそういうこと言うの?」
 告白するアスカだ。
「この頃さぁ、みんな、誰と付き合ってて、どうのこうのってさ、アタシなんてとっくにって思われちゃってるし、ちょっと見栄張りそうになっちゃう自分がいるのよね」
「張っちゃえばぁ?、そうすればシンちゃん、もう他の子と出かけたりしないかもよ?」
 そんなわけないじゃない、とアスカは愚痴った。
「あいつのは浮気ってんじゃなくて、時々は人と遊びたいって、そういうのなんだから……」
「あたし達じゃ駄目なのかな?」
「駄目ね」
「どうして?」
「……だってしつこいもの」
「……そうね」
「うん」
『はぁ……』
 落ち込む二人である、一度でもデートをすれば、またと思ってしまう、我慢出来なくなる、何度もしたくなる、間が空く事に堪えられなくなる。
 シンジはそうなるだろうと『読んで』いる、実際そうであろう、だから相手にしてもらえない。
 そこにあるのはジレンマだった、自分だけを相手として欲しいのならば、必要以上に纏わりつかないようにしなければならない、こんなにも『好き』なのに。
「で、中の様子はどうなの?」
「サイアク、言い争いしてる」
「やっぱりね……、内容、わかる?」
「うん……、今でもシンちゃんが好きなんだろうとか何とか、あ、マズ」
 レイは慌てて身を乗り出した。
「突き飛ばした!、殴った!」
「行くわよ!」
 アスカはレイに抱き付くと、そのまま屋上から跳び下り、炎の翼を広げて滑空した、路上に舞い降り、レイを放す。
 そのままアパートの玄関口へと走る、しかし。
「え!?」
 すっと『白い影』が現れた、遮るように、通せんぼをして。
「渚!?」
 たたらを踏むアスカ。
「そこをどいて!、急いでるのよ!」
 カヲルは顎を上げると、アスカを見下し、嘲った。
「だから邪魔をしているのさ」
「なんですって?」
 警戒し、戦闘モードへと移行する、レイもだ、サポートに入ろうと第三眼の回転速度を速めた。
 だがカヲルはそんな恫喝には動じなかった、ポケットに手を入れたままで、マンションを振り仰いだ。
「確かにね……、ここには不穏な空気が渦巻いている、しかし、それをどうして君達が邪魔するんだい?」
 アスカは歯ぎしりをした。
「あんたには関係ないでしょうが!」
「そうかい?、なら君達にも関係無いはずだ、そうだろう?」
「どうでも良いってのよ!、知り合いが殴られてるのに、助けちゃいけない理屈があんの!?」
 カヲルは冷笑を向けた。
「それは傲慢と言うものだよ、そうだろう?、力があるから仲間を守る?、それでは『彼』の気持ちはどうなるんだい?、恋人であるはずの自分の頼みよりも守らなければならない一線がある、それを許せないとするのは人として当然の嫉妬だよ、それを力づくで止めるというのなら、君達は彼と同じだね」
「……何が言いたいのよ」
「くだらないってことさ、一人の人として、感情を彼は発しているんだよ、それを受け付けるのも、跳ね除けるのも、一人の人として彼女が対すべきものだろう?、なのに横槍を入れて自分達の後味が悪くならない様に結果を変えようとする、それは許されざるべき事だよ、そうだろう?」
 レイはぐっと堪えて訊ねた。
「あなたは……、なんなの?」
 答える。
「裁定者」
「なに?」
「裁定者だよ、僕は人と君達との間に立って、不公平を是正するために存在しているのさ」
「アスカまずい!、あの子首締められてるっ」
「どけってのよ!」
 アスカは右にだけ炎の翼を産み出し、振るった、炎は長く伸びてカヲルへと襲いかかる、しかし。
「な!?」
 消えた、まるで分解されるように、消されてしまった。
「そんな!?、ATフィールドじゃないっ、今の、なんなの!?」
 にぃと笑うカヲルである。
「そう、僕の力は浄化と呼ばれるキャンセル能力さ、人に対してはなんら力を持たず、けれど君達に対しては絶対的な効力を持つ、それだけじゃない、僕は君達の力の源である『因子』を封じる事も出来るんだ」
「……なんですって?」
「封印だよ、君達をただの人間に戻す事も出来ると言っているのさ、そして君達は……」
 すうっと右手を持ち上げる。
「力を持つに値しないね」
「あ、あ……」
 レイはがっくりと膝を突いた。
「死んじゃった、あの子、殺されちゃった」
「レイ!?」
「首、締められて……、相手の子、自分のやった事におろおろとしてる、もう、だめ、助からない、あの子、恐くなって、逃げる!」
 レイは半分壊れたように状況を説明して……、顔を上げた、そこの部屋の戸が開かれて、少年が飛び出して来るはずだから。
 ──しかし、来ない、出て来なかった。
 レイが、アスカも困惑した、それはカヲルも同じだったようで、何だと言う顔をした。
 奇妙に持て余してしまうだけの間が生まれてしまった。
 ──ひらり。
 カヲルは鼻先をかすめ、くすぐるように落ちていった純白の羽に驚いた、光っていた、そして地に落ちるよりも早く霧散して消えていった。
 ばっと振り仰ぎ、その赤い瞳を極限にまで見開いた。
「な!?」
 アスカとレイも驚いた。
「シンジ!?」
「シンジクン!?」
 ひらりと舞い降りる、その背に生み出されている純白の翼が、大きく一つ羽ばたいた。
 シンジの腕の中にはケイコが居た、ぐったりとしているが、気を失っているだけのようだ。
「間に合ったよ、綾波」
 地に足を付ける。
「シンジクン、どうして……」
「鈴原君に頼まれてね、ずっと見てたのさ」
 カヲルへと目を向ける。
「渚君がどうするつもりなのか分からなかったから、隠れてたけど」
 カヲルは動揺を押し隠すように前髪を掻き上げた、しかしその手はわずかに震えてしまっていた。
「してやられたと言う訳かい……、僕が」
「そうなるのかもしれないね……」
「君は……、君はどうしてそんなことをするんだい?」
「……君が何を言っているのか分からないよ、渚君」
 カヲルはぎゅっと唇を噛み締めた、まるで先のアスカのように。
「分からないはずが無いだろう?、その圧倒的な力があれば、君は神にでもなれるだろう、いや、チルドレンの全てがそうだ、その君達が利己的な欲望のために力を使うべきではないんだよ」
 だから、と。
「君の力も!」
 力んだのだが……
 アスカとレイはカヲルが力を振るったものだと思った、しかしシンジは平然としているし、その背中の翼も依然として健在だった。
 驚愕するカヲルが居る。
「そんな……、僕の力が、通じない?」
 愕然とする彼にシンジは答える。
「渚君……」
 カヲルは身構えた、しかしその必要は無かった。
 シンジはただ、悲しげに彼を見ただけだった。
「君は言ったね?、横槍を入れてはならないと、その通りだよ、だから僕がここに居る」
「……どういうこと、まさか!」
 カヲルはそういうことなのか、と呆然とした。
「そういうことだよ、君の言う通りさ、ただの人間である彼が嫉妬し、相沢さんに逆上することが自然な成り行きなら、それを止めようとするアスカや、綾波や、鈴原君の気持ちも自然なものであるし、そしてそれを傲慢とする君の気持ちも自然なものだよ、君は裁定者とは成りえない、その基準が自分の理想であるが故に」
「では、君は……」
「僕もまたその歯車の一つと言う事さ」
 シンジは泣きそうな顔をして、微笑んだ。
「君達の我のぶつかり合いから、最悪の結果にだけは至って欲しくないと願って、ここに来た、それだけだよ」
「君は……」
 カヲルは目を伏せた。
「それだけの力を、それだけのために使うというのか、それだけのために」
 そこにどれだけのものが込められているのか?
 聴衆達には、わからなかった。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。