「回収された『物体』な……、裏死海文書に記述が見つかったそうだ、『リリス』、それがあの巨人の名前だよ」
 ──総司令執務室。
 この異常なほどに広い部屋に居るのは、ゲンドウと冬月コウゾウの二人だけであった。
 それもゲンドウは何かを思案しているのか、お決まりのポーズを作って黙り込み……
 冬月は冬月で、将棋の本を手に詰将棋に興じていた。
 ──パチン。
 金が小気味の良い音を立てる、しかし余裕を見せているように見えても実像は違っていた。
 それはゲンドウに対する逃避行為である、この閉じこもりがちな男と始終一緒では気が詰まる。
 そこから来た詰将棋であった。
「調査班の報告では、生命体としては死亡しているが細胞レベルでは活動状態にあるらしい、どうする?」
「何がだ」
 はぁ、っと溜め息を吐いて……
「碇……、分かっているはずだ」
 冬月はそれ以上口にしなかった、例えここがネルフ本部内で最もガードの堅い部屋であったとしても、どんな目があるかは分からないからである。
 生命体としては死亡しているが、細胞レベルでは活動している、それは心臓や脳と言った『器官』単位では停止していながらも、各細胞単位での再生と成長は、未だ続いていると言う事である。
 不自然な地下湖の透明さの原因はこれにあった、水中の養分となりえるものを細胞が直接摂取し、分解してエネルギーに変えて消化していたのだ。
 そのため、水からは『澱み』が削除されてしまっていた。
 排出……、いや、排泄された時には、まるでオゾンで殺菌されたかのような『真水』となっている、それがあれほどの透明度を持った水を生んでいた。
「またやっかいなものを見付けたな」
 コウゾウはそうぼやいて、ゲンドウと同じく、自分の中へと篭っていった。


LOST in PARADISE
EPISODE18 ”リリス”


 苛立ちも激しく、不機嫌な顔をして廊下を歩く女性が居た。
 リツコである。
 その脳裏では、今して来たばかりの憤懣やるかたない問答が繰り返し渦巻いていた。
「納得出来ません!」
 叫ぶように詰め寄る、相手はゲンドウである。
「回収された生体の調査を特設チームに任せるとはどういう事ですか!」
 ゲンドウはいつもの調子で冷ややかに答えた。
「……君の専任は、エヴァと、チルドレンの管理にある」
「ですが!」
「これ以上抱え込むほど暇ではないはずだが?」
 リツコはぎゅっと唇を噛んで押し黙った。
 実際、ゲンドウの言う通りで、現状でも暇が無いほど忙しいのだ、01の修復作業も急がねばならない。
 これが他機であったなら任せる事も出来たであろうが、01は最も特異な機体である。
 内部への機械的なギミックの搭載は一切行えない、拒絶反応がひど過ぎるのだ、時には組織の壊死も起こる。
 そのため、鎧と呼ばれる装甲もまた、肉体に埋め込む形で強度補強を行ったりはせず、全て『着込む』仕様となっている。
 予算が無いために予備の装甲の補充を失念していた、『無敗』のイメージに後回しにしてしまっていた自分の浅はかさが嫌になる。
 非常にデリケート故に、予備とはいえ『裏地』でさえ気をつかう事になる、衣擦れによって炎症などを起こさぬ様に、神経質な位の調整が必要なのだ。
 そして、そのような作業の責任者は、自分である。
「ですが……」
 押し殺した声で、縋りつく。
「ですが、あれ程のものです、機密の漏洩の可能性は……」
 しかしリツコの切り札も、なんら効力は持たなかった。
「それはない」
「……何故ですか」
「君が知る必要はない」
「っ!」
「下がりたまえ」
「……わかりました」
 苦渋に歯ぎしりしながらも引き下がる。
 そうして、今に至るのだ。
(明らかに秘匿するための研究チームだわ、恐らくはわたしがここに入る以前から、エヴァを、子供達を研究して来た)
 リツコの中の妬心が疼いた。
 断片的な記憶が蘇る。
 碇ゲンドウと言う男と、その妻、碇ユイ。
 その傍で共に居ながらも、時折目に剣呑なものを宿らせる『母』、赤木ナオコ。
 女には嫉妬を、男には不満を、それが何を意味するのか?、分からないでは無かった、高校の頃。
 そう、その時にはもう、『ここ』はエヴァの研究を行っていた、本部の建設と平行しながら。
(それでも、母さんが死んでから替わりになって来たというのに!)
 未だ機密からは遠ざけるべき対象であると見られている、そう感じてしまって、リツコは酷く傷ついていた。


「シ〜ンジ♪、って、いないのか……」
 ネルフ、食堂、アスカはきょろきょろと見回した後で、がっくりと派手に肩を落とした。
「はぁ……」
 そんな彼女をくすくすと笑う男が居る。
「残念だったな」
「加持さん!」
 券売機が邪魔になって気付けなかった。
 恥ずかしい所を見られたと赤くなる、そんな彼女に加持はさらに失笑をこぼした、顎を撫でさすりながら。
「こりゃまた……、気合い入ってるなぁ」
 はっとし、スカートの前を押さえるようにして下がる。
 アスカとは思えないような大人しい質素な服装であった、スカートはゆったりとしているし、上もまたサマーセーターで抑えている。
「もうっ!、からかわないで下さいよ」
 色は砂色に近い茶系で纏めていた、この間のシンジとの同乗が響いて、肌を隠したいと自意識が過敏になっているのだ。
「すまんすまん、って、どうしたんだ?」
 いつもと違う、そう言われても違和感が無いのはどうしてだろうか?
 加持とは先日会ったばかりで、まだそれほど親しくなければ、知っている訳でも、知られている訳でも無いのに、すんなりと受け入れてしまえる。
「えっと……、今日『アキ』だから、映画でも見に行こうかなぁって」
「電話があるだろ?」
「あ、ダメなんです、あいつって、一人になろうとする時は『電波障害』起こすから……」
 ATフィールドで邪魔が入らないようにしている、というわけである。
「大変だなぁ、訳ありの彼氏を持つと」
「そんなんじゃ……」
「彼氏じゃないのか?」
「違います……」
 しょんぼりとする。
 そんな彼女に加持は焦った。
「ま、まあそう落ち込むなって、な?」
「……」
「はぁ……」
 しょうがない、とアスカを誘う。
「どうだい?、これから飯なんだが、付き合うかい?」
 くいっと、親指で席を指す。
「ま、ジュースだけでも……、相談くらいは乗るぞ?」
「相談?」
「ああ……、これでも、アスカちゃんよりは経験があるからな」
 アスカは気を遣ってくれているんだとおかしくなりながら、拗ねた態度を取って見せた。
「ちゃんはやめてください」
 わかったよ、とアスカと呼んだ。


 ──ピピッ、ピ……
 小鳥達のさえずりが、彼の存在を際立たせる。
 ──渚カヲル。
 ジオフロント、地下湖、湖岸。
 こちらは焼け残った森林である、それだけに木々はとても大きく育っている。
 鳥や、リスなどの動物が、ある程度は放されている、森などの大地は動物の糞が無ければ虫が増えず、虫が増えなければ土は腐るだけだからだ。
 木々が日傘を作ってくれるギリギリの位置に腰かけている、カヲルはその手を、指を差し伸べた。
 ──小鳥がじゃれるように舞い下りる。
「良いのかい?」
 カヲルは小鳥へと問いかけた。
「君が何を思っているのか、正直全てを知る訳ではないよ、けれどこれだけは言える、……君が想わなければ、彼女達、いや、彼女は想ってくれる人を必ず選ぶよ、他にね?、だって人は、疲れが癒される事を望む生き物だから」
 肩越しに振り返る。
「そう思わないかい?、シンジ君」
 木の幹にもたれて四肢を投げ出している。
「眠っているのかい?」
「……ううん、起きてる」
 だが声は眠そうだ。
「……僕にはカヲル君の言いたいことは分からないよ」
「そうかい?」
「分からない、分かりたくもない」
 声が堅いのは、震えようとする声帯を抑え込んでいるからなのだろうか?
「シンジ君……」
「僕は、アスカを癒してなんて上げられないよ」
「そうかい?」
「そうだよ……」
「けれど彼女は望んでいるよ?」
「解放を、だろう?」
「……」
「アスカが望んでいるのは、僕と言うこだわりからの解放だよ、昔の罪悪感から逃げ出したい、もちろんそれだけじゃないかもしれないけど、触れたくないんだ」
「また傷つけられるかもしれないからかい?」
「……」
「君が触れたくないのは、彼女が酷いからじゃない、君が恐がりだからさ」
「……」
「人は独りでも生きて行ける、か……、けれど心の餓えを癒すことは出来ないよ?、人は誰しも寂しがり屋だからね」
「だからって……」
 天を仰ぐ。
「アスカは幸せを求めてる、それに付き合った時、僕は壊れていくしか無いんだよ、だってそうでしょう?、僕はアスカが優しくない事を知ってしまっているんだ、だから恐くて堪らない」
「シンジ君……」
「恐くて、恐くて……、だから優しくしてよって甘えたくなっても、恐くて何も言えなくなるんだ、黙ってるしか無いんだよ、恐くて……」
「……」
「寂しがり屋なのは……、いい加減、自覚してるけど、駄目だよね、アスカや、レイにくっつかれると気持ちが良いんだ、僕も抱きつきたくなるんだ、でも」
 目を細くした。
「今忙しいからって……、断られたら、僕はそれをどう受け取るか分からない……、本当に忙しいんだろうなって、引き下がるか、それとも嫌がられてるんだなって、二度と触れ合わないように避けてしまうか、本当に、僕には僕がわからないんだ」
 木漏れ日は……、まるで希望のようであった、木々の葉が折り重なって作る暗闇から、一条、二条と差し込んで……、しかし。
 眩しいからと、シンジは手で遮った。
「痛がりなのかもしれない、……沢山嫌な事を考えちゃうんだ、僕の取った態度が、またアスカを後悔させる事になるかもしれないなんて、レイに嫌な思いをさせちゃうんじゃないかって、思うと……、駄目なんだ、僕は」
 ふう、っと……、カヲルは重い息を吐いた。
 小鳥が雰囲気を察したのか、飛び立っていく。
 それを目で追いつつ、カヲルは口にした。
「人は……、残酷だね」
「……」
「君はもう、居心地の良さを知ってしまっている、けれどその良さが、逆に君を脅えさせる、君は最初に傷を負わされ、恐怖を植え付けられてしまっているから」
「うん……」
「無理は言わないよ……、君がどんな結論を出すのかは分からないけど」
 後ろに手を突いて、体をよじり、シンジへと微笑を向けた。
「君は、自分が傷つく事を恐れているのと同じくらいに、彼女達が傷つく事を恐がっている……、だから、きっと彼女達を不幸せにはしないと思えるから」
「カヲル君……」
「信じているよ、僕だけは、君をね……」
 シンジはとても眩しいものを見るように、そっとカヲルから顔を背けた。
 ──それは忘れていた欲望が、小さく疼いたからかも知れなかった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。