「なるほどねぇ」
テーブル越しに加持は考えるそぶりを深めながら、アスカの様子を窺った。
アスカは体を小さくするように、膝の上で手を揃えていた、やや顎を引き気味にして、加持の言葉を待っている。
「多分、前よりはマシになってると思うんだけど……」
「そうか?」
「え?」
「俺には……、どうとも言えないが」
加持はこれまでのいきさつを聞かされ、そこからシンジの『像』を、おぼろげながらにも作り上げていた。
そして、どうしてもそのシンジが、正しくアスカの好意を受け取っているとは思いがたく感じていた。
「それでもアスカの主観……、期待が入り過ぎてるんじゃないかってのは、分かるつもりだ」
「主観?」
「ああ」
アスカが話し終えるまでに、ハンバーグ定食は片付けた、今はセットで付いて来たコーヒーを口にしている。
「そうだろう?、アスカはシンジ君の口から聞いたのか?、もう気にしてないって」
アスカはぎこちなく頷いた。
「うん……」
「それを素直に信じられたのは、どうしてだ?」
「どうしてって……、それは」
「信じたかったから、違うか?」
アスカは黙りこくってしまった。
「そうですけど……」
「信じたい時に欲しかった言葉が貰えれば縋り付きたくなるものさ、けれど冷静にならないと本当のことを見逃すぞ?」
「本当のこと?」
「ああ……」
苦笑する。
「俺もそれで失敗したからな」
「加持さん?」
「好きな女が居たんだが、昔ちょっと何かあったらしくてな、それが正直重荷になってた、そんな時だよ、好きな人が出来たから別れようって口にされたのは」
「そんな……」
「酷い、とは言わないでくれよ?、乗ったのは俺さ」
怪訝そうにする。
「どういうことですか?」
「その言葉が本当なのかどうか、それはどうでも良かったんだ、俺は疲れて来てたから、身軽になれると思った、だから頭から信じて疑わなかった、悪いのは……、向こうだと、『免罪符』を手に入れられた訳だからな」
「……」
「別れた後で知ったよ、向こうも同じだったってな、気を遣わせてる、それが重くなって来てて、逃げ出したくなってた」
ぴんと来た。
「それって……、ミサトのことですか?」
「そうだな」
前に話していたなと思い出した。
「大学の時の話しさ、後になって全部嘘だったと知ったよ、でもその時にはもう遅かった、あいつが何に苦しんでたのか知った時には、ほんとに……」
思い切って訊ねる。
「何が……、あったんですか?」
「まあ、内緒だ」
冗談っぽく。
「俺達だけのな」
「はい」
つられて笑う。
いい笑顔の部類に入るだろう。
「良いですね……、ミサトが羨ましい」
「そうかい?」
「はい」
「けど俺は嫌われてるからなぁ……」
「え……」
「どうして嘘なんて吐いたんだ、ってな?、若かったんだな、詰め寄って、怒って、余計にあいつを傷つけた、泣かせちまったよ」
「加持さん……」
暗くなり掛けたからか、その雰囲気を払拭しようと頭を振った。
「まあ、それは俺達の話しさ、けどな、葛城とシンジ君、根は違っても行動は同じかもしれない」
「はぁ……」
「アスカがここ……、ネルフに居るのはどうしてだい?」
「それは」
加持はアスカをはっとさせた。
「シンジ君が居るから?、そのせいで君は幾度か死にそうになってる」
「!?」
「そのことで彼が悩んでいない保証はあるかい?」
目をさ迷わせる。
「そんな……、だって、それは」
「ほら、希望で事実を曲げようとしてる」
「……」
「それが危険なのさ、本当に見なきゃいけないものを見逃す事になってしまうからな」
「……はい」
「辛くても、気付かなくちゃいけない事はある、目を逸らしてはいけない現実ってものはあるってことだな」
「はい」
「取り敢えず、俺から出来るアドバイスは一つだ、昔のことを持ち出して、彼を縛るのは止めた方がいい」
「え?」
「昔のことを意識させられる度に、嫌になっていくことってあるだろう?、もう思い出したくないのにってな、だからさ」
「はい……」
「シンジ君が本当に欲しがっていたものを思い出すべきだな」
「本当に……、欲しがってたもの?」
「ああ」
きょとんとするアスカに、説明をする。
「彼が欲しがってるのは、謝罪じゃない、そうだろう?、だからもう良いと許してしまって、楽になろうとしてるんだよ、けれど仲違いすることになった本当の理由はなんだい?」
「それは……」
「確執のことじゃないさ、アスカは自分の欲しかったものを、奪われるのが嫌で譲れなかった、そうだろう?」
アスカはぎゅっと唇を噛んで、俯いた。
「はい……」
「アスカは固執した、シンジ君は諦めた、そうだな?」
「はい」
「ならアスカが一番分かってるんじゃないのか?、……シンジ君が本当に求めてやまなかったものを、手に入らないと見限ってしまったものを、捨ててしまった希望、それが何だったのか」
震える声で、返事をする。
「……はい」
「シンジ君が今でも求めているのかどうか、それは知らない、けれど欲しがってるのは過去にこだわらせようと鬱陶しく纏わり着いて来る女の子じゃない、俺はそう思う、だから、お、おい!」
ぽたぽたと滴を落として泣いているのに気がついた。
「うっ……」
さらに周囲から、痛い視線が投げかけられているのにもだ。
「と、とにかく!」
ハンカチを渡す。
「シンジ君に必要なのは、過去を忘れられるくらいに楽しい今ってわけさ、それだけは忘れないようにな!」
色々と言い諭されたアスカは、悩みながら森林公園へと出る道を歩いていた。
(シンジが諦めたもの、か……)
いや違う、と思い直した。
(あたしが諦めさせたんだ、シンジに……)
近ごろすっかり、そのことを忘れがちになっていたと戒める。
(何でも無い、気にしてないってのは、その裏返しにもなるんだ、もうどうでもいいことだから、欲しいとも思ってないから、自分にはもう、縁の無い事だから、どうでもいいって)
思考がそこで止まってしまう。
それ以上は、自分が如何に酷い人間であるかを思い出さなければならないからだ、忘れ掛けていた、ようやく忘れようとしていた虫の良過ぎる勝手な自分を。
振り返らなくてはならない、それは、辛い。
(……)
結局、加持の言葉を逃げ口上にしてしまった、過去にこだわることは良くない、あのことが原因で悩んでいると、きっとシンジはそんな自分を鬱陶しがる。
だから、とアスカは逃げようとした。
思い出してはいけない事だと。
けれど。
「シンジ君ですか?」
カヲルの声に、アスカは反射的に角を曲がらずに立ち止まった。
「シンジ君なら、お父さんを探してケージへ向かいましたよ」
「そう」
(リツコ?)
声からそう当たりを付ける。
覗いて見ると、やはり彼女であった。
苦笑している。
「すっかり仲が良くなったのね、あなた達」
カヲルは皮肉で切り返した。
「いけませんか?」
「悪くはないわ」
「そうでしょうか?、委員会の肝入りで選抜された僕が何かを企んでいる、そう思っているんじゃありませんか?」
無言、それは肯定だろう。
「まあ、そう見られても仕方ありませんが」
「違うというの?」
侮辱ですか?、とドスの利いた声でカヲルは答えた。
「僕は僕の判断と考えによって動いています、僕は老人方に縛られて動いている訳ではありませんよ」
「そう……」
「……それで、シンジ君に何の用なんですか?」
リツコは冷たく言い返した。
「あなたには関係の無い事よ」
じゃあ、と通り過ぎる。
「やれやれ……」
肩をすくめた。
「余裕を無くしていると、不用意な言葉を放って傷つけてしまう事もある、追った方が良いものか……」
ねぇ?、っと、隠れているのに気がついているのか横目を向ける。
そのままカヲルは、白々しい態度のままで去っていった。
もちろんアスカがその後に、急いでリツコを追いかけたのは言うまでもない。
──第六格納庫。
ここは廃棄された使徒の死骸などが置かれている倉庫よりも、より深い場所にある区画であった。
そのさらに最奥に、やけに古い機械が置かれている格納庫があった、それが第六格納庫である。
今は例の白い巨人が保管されていた。
室内は半分が桟橋のようになっており、その先が深いプールとなっていた、黄色い液体に満たされている。
巨人はその中に静められていた。
カツ、と背後でした音に、ゲンドウは肩越しにやや振り返った。
「シンジか」
「うん」
隣に並び、シンジは巨人を見下ろした。
「……なんなの、これ」
「ああ」
語る。
「リリスだ」
「リリス?」
「そうだ……、南極で消滅した第一使徒、アダム、その対になるものだ」
「え?、じゃあ、これって……」
「ああ」
頷く。
「使徒はこれの破壊を目していた、しかし同時に、これの防衛も行っていた」
「二種類居たんだ……」
「おそらくは白き月と呼ばれる消滅した南極の『それ』から送り込まれて来た使徒と、この黒き月で製作された使徒の、二種類がな」
「うん……」
「使徒は単独兵器だ、侵入者は発見次第排除するし、あるいは殲滅する、『人類』など彼らには区別できんだろう」
「中途半端だから?」
「……」
「白き月ってとこの人達と、この黒き月?、の人達と、どちらともつかない、似ているけど違う生物、つまり『使徒かもしれないもの』、だから襲って来るの?」
「それもあるだろうな」
「……」
「今回は、運が良かった」
「え?」
「もし、先鋒に出たのがお前では無く、レイであったなら」
「うん……」
一瞬、押し黙ってしまう。
「使徒は……、きっとレイに」
「ああ」
一呼吸入れて。
「コンタクトを求めただろうな」
──ガタン!
背後でした音に、二人は勢いよく振り返った。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。