──朝の教室。
 ざわめきの中、アスカはぼんやりと頬杖を突いていた。
 ガラッと大きな音をたてて開いた扉に気を引かれ、そこに頬を膨らませたレイを認めて、アスカは顔を歪め、また横向いた。
 ムッとするレイである、ずかずかとアスカの席へと歩み寄った。
「もう!、なんで先に行っちゃうの」
「……」
「声掛けてくんないから、ずっと待ってたのに」
「……そ」
 そのそっけない態度に、さらに目を釣り上げる。
「なにむくれてるの?」
「関係ないでしょ」
「ああそう!、もう!、なに勝手に怒ってんだか」
 ぶちぶちと。
「どうせまたシンちゃんと喧嘩でも……」
 がたん!、っと椅子を蹴ったアスカに、レイは言葉を失った。
「うっさい!」
 酷い形相をしていた。
「何も知らないくせに!、シンジに守られてるあんたなんかに!」
 へ?、とレイ。
「守られてるって、なんの……」
 あっと口を塞ぐ。
「……な、なんでもないわよ、なんでも」
「アスカ?」
「ごめん……、ちょっと苛ついてるだけ、シンジのパートナーってあんただからさ、いつも『ああ』なんだなってね」
「……」
 レイは信じず、疑わしげな目をしてアスカを見やった。
「ごめん……」
 居たたまれなくなったのか、アスカは身を翻し逃げるようにして去った。
「アスカ……」
 単純に、信じられるはずが無い。
 先日のことで酷く機嫌を良くしていたのだ、それにパートナーと言っても固定ではない。
(何があったの?)
 悩み、結論に辿り着けず、結局手段だけを模索する。
(シンちゃんに聞いてみよう……)
 授業よりも大事だと……
 レイは来たばかりだというのに、そのまま帰ることにした。


LOST in PARADISE
EPISODE19 ”ウラギリ”


 カタカタカタカタカタ、……………カタカタカタ。
 キーを打つ音が、やけに途切れる実験室。
 伊吹マヤは、今日の『センパイ』はどこかおかしいと感じていた。
(なにかあったんですか?、センパイ……)
 そのセンパイに当たる所の赤木リツコは、いつもの精彩を欠いた様子で、数個キーを打っては物思いにふけり、ぼうっとし、そしてまたキーを打ってはと、おかしな挙動を見せていた。
 天才肌のリツコは頭の中で情報を処理し、組み合げる、その後に初めて端末に向かい、全てを吐き出す、よって考えながらキーを打つなどと言うそんな非効率なことはあり得ない。
 頭に考えさせている間は手での作業を行って、時間を全く無駄無く有効的に活用する。
 その辺りが、親友であるミサトとの違いであろうか?
 集中力が続かないために、よく遊びにふらついてしまうミサトと違って、普段リツコのふらつく姿が見受けられるのは、その思考のための時間を取っているからなのだ。
 効率良く仕事をこなしているので、結構な暇を捻出出来るわけである、同じくぶらついていても、仕事が溜まらない点が大きく違う。
「センパイ!」
 我慢できなくなったのか?、マヤは大きな声で呼び掛けた。
「お茶にしましょう!、今コーヒーでも……、センパイ!」
「え?」
 ボケッとしていたリツコは聞き逃していたようだ。
「なに?」
 はぁっと溜め息。
「……お茶にしませんか?」
「そうね……、お願いするわ」
 リツコは端末を閉じるフリをして……
「……」
 その左下隅に表示していた小さな画像……、ゲンドウや、母、ネルフの前身であるゲヒルンの面々が映っている写真を消すのであった。


 ──ネルフ、地下施設、リリス保管所。
 シンジが去った後、リツコは身を堅くしたまま、男の蹂躪に堪え切ろうとした。
 押し付けられた唇はひび割れていて痛く、辛かった。
 離れた、リツコは脅え、目をぎゅっと閉じ、次の行為に身構えた、しかし……
「くだらん」
 振り回すように捨てられた。
「あっ!」
 どさりとその場に放り出されてしまう。
 何故?、そう思って見上げて後悔した。
 余りにも冷たい目で見下している、『総司令』の姿があったからだ。
「この程度のことで傷ついたと感じるようなら、初めから無謀な言いがかりは付けない事だな」
「言いがかり……」
「そうだ」
 右手の中指と人差し指で、くいと眼鏡のフレームを押し上げた。
「女性はすぐに男が何かをするとすれば体を犯す事だと考える、だがそれ以上の地獄が在る事を知ると良い」
「……なんの」
「コード11」
「コード……、MAGI?」
「そうだ」
 威圧をかける。
「調べたければ調べるが良い、ただし、真実を知ると言うことは深みにはまるのと同じことだ、後戻りは許されん、そう……」
 深く、悲哀を湛えて……
「わたしや、シンジのようにな」
 その時、リツコは何も反論できなかった。
 男の持つ心の傷、苦悩、そして意思。
 どれ一つ取っても、理解の範疇を越えてしまっていたからである。
 ──そして現在。
 ゲンドウは静かに巨人の骸を『見上げて』いた。
 液体に沈められていた巨人は、今は運び込まれた十字架へと吊るされていた。
 その両手を釘に打たれてである。
 両足はない、傷口となる両掌からはこんこんと黄色い液体が流れ落ちていた、塞がる様子はない。
 そして。
 下のプールは、その液体によって満たされていた、その中に胎児のように丸くなって眠っているのは……
「ユイ……」
 コポコポと気泡が立って上って来る。
 それはエヴァンゲリオン−01、装甲を外された『彼女』であった。


「むぅ」
 こういう時、自分の『力』は役立たずであると感じてしまう。
 ──綾波レイだ。
 ジオフロントへ向かいながら、どうしたものかと悩んでいた。
「でも、システムは利用するためにあるもんだって、ミサトさんが言ってたもんね」
 本部正面ゲートにある端末機へと、自分のカードでログインし、シンジの現在位置の照会を頼んだ。
 愛する人の存在をぴぴっとも感じ取れないその能力に、あまり価値を感じなくなっているかもしれない。
 その頃、そのシンジはと言えばだ、実はいつもの通りに過ごしていた。
 ジオフロントの森林公園にて、日光浴を楽しんでいる。
 明かり取りの窓からの陽光は、光ファイバーを通しているために酷くぼやけたものとなっている、それがジオフロントの内側が常に湿気って、空気が冷えている原因なのだが。
 それでもシンジは、草の上に横になっていた。
 地面は逆に温かいのだ、本部施設が発している膨大な熱が、そのように地を温かくしてくれているのである。
『シンジ、これだけは覚えておけ』
 父と密約を交わした時、一つだけ苦言を与えられていた。
『言葉を紡ぐな、口を軽くすれば余計な言質げんちを取られる事になる』
 なるほどと思う、そして。
『それでも隠し切れないものは顔に出てしまうだろう、それを読み取ってくれる者こそが……』
 シンジは体を振るようにして起き上がった。
 今日はカヲルはいない、だからだろうか?、とても物足りない顔をしている。
 そしてシンジは苦笑した。
(馬鹿だな、僕は)
 父の言う通りだと思う。
 時々余計なことを口走ってしまう、それは本音だ。
 その一方で、隠すための言葉を紡いでしまう、上辺だけの護魔化しを。
(アスカ……、傷ついただろうな)
 隠し事をするのは難しくないが、嘘を吐くには慣れがいる。
 咄嗟に嘘を吐けなかった。
 そのことが少しばかり悔やまれる。
 空を見上げる……、天井都市の、氷柱つららのように釣り下がるビルが鬱陶しい。
(でも話す訳にもいかないし)
 はぁああと溜め息を吐く。
「嫌われたいわけじゃないのに」
「シンちゃあん!」
 へ?、っと横を向くと、手を振りながら小走りに駆けてレイの姿が目に入った。
「レイ?」
 シンジは、うわっと身構えた、それぐらいに勢いよく滑り込んで、レイはシンジの隣に膝立ちになった。
「シンジクン!」
「は、はい?」
「……」
「……」
「……」
「……なに?」
「えっと……」
 いきなり困り顔になるレイである、勢い来たものの、良く考えればどう訊ねた物だか、難しい。
「あの、ね?」
 ちょっと、上目遣いになって……
「アスカと……、ケンカ、した?」
 ぎくりとなる。
「……怒ってた?」
「うん」
「そっか……」
 シンジは暗く、あぐらをかくと、その上に両手を揃えてうなだれた。
「シンちゃん?」
 そんなシンジを訝しく思う。
「何かあったの?」
「……」
「言えないこと?」
 シンジはぎゅっと唇を噛む。
「アスカ……、あたしのせいみたいなこと、言ってたんだけど」
 慌てて、シンジは顔を上げた。
「それっ!、他に何か言ってたの!?」
 ううんとぶんぶんと首を振る、シンジの切羽詰まった様子が恐かったからだ。
「教えてくれないの、だからこっちに来たんだけど……」
「そ、そう……」
 シンジはまた失敗したかと顔を背けた。
「シンジクン?」
「うん……」
 シンジははぁっと溜め息を吐いた。
「……レイのことと言えば、そうかもしれないけど」
「……そうなの?」
「うん……、でも」
 また空を見上げる、霞がかった、奇妙な氷柱を。
「そういう問題でも、ないんだよね」
 その言葉の響きは、奇妙なくらいに深かった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。