暫く語っていたシンジであったが……
「ま、いっそ嫌われた方が楽かもしれないけどさ」
 そんな風に締めてしまおうとした。
 ──パチン!
 レイはきゅっと唇を噛むと、軽く、頬を叩いてやった。
「あ……」
 シンジは痛みも残らない弱々しい一撃に、心の方に辛さを感じて謝った。
「ごめん……」
「……あたしに言ったって、仕方ないでしょ?」
「そうだけど……」
 お互いに顔を背け合う。
「でも……、言い訳も出来ないんだ、辛いだけなんだよ……、嫌われたい訳じゃないけど、傷つけるくらいなら会わない方が良いと思う」
「シンジクン……」
 はぁっと、切なく、シンジは遠くを見る目をした。
「元々……、アスカは罪悪感がどうのこうのって……、それでこっちに来ただけで、いつからなのかな?、僕が好きだって、『すり替え』があったのって」
「……ねぇ」
 レイは思い切って訊ねた。
「シンジクンって……、アスカのこと」
 後悔する、そう思っても問わずには居られなかった。
「好き……、なんでしょ?」
 無言。
「そう……」
「……多分」
 静かに。
「初恋……、だったんだと思うよ?」
「……」
「昔……、凄く昔は、とても仲が良かったから」
 シンジはとつとつと語り始めた。


「シンジ、アスカちゃんよ?」
 幼稚園に入園したての頃。
 シンジは『アスカちゃん』を紹介された、母親に。
「よろしく!」
 元気に、明るく差し出された手に……
「うん!」
 シンジもまた、嬉しそうにして握手し返した。
 ──けれど。
「うっ、ううっ、う……」
「泣くんじゃないわよ!」
「ううっ、う……」
「泣くんじゃ……」
 お葬式、母の、碇ユイと言う女性の。
 泣きじゃくるシンジの手をぎゅっと握って、アスカはただそう繰り返していた。
 そして、あの時がやって来た……
「アスカ……」
 部屋の中、真ん中でうずくまっているアスカが居た。
 母の死、押し潰されそうな彼女。
 シンジはただ……、自分の言葉を紡ぐ事しか出来ず。
「アスカ、元気出してよ」
「……」
「泣かないでよ、ねぇ」
「うっさい!」
 ほうっておいてよ、と。
「それで慰めてるつもり!?、出ていって!、出てってよぉ!」
「アスカ……」
 シンジは言われた通り、後ろめたく退出するしか無かった。
 ──翌日から、地獄へ突き落とされるなど気付きもしないで。


「僕には……、理解できなかったよ、アスカは、みんなには大丈夫だって言ってたんだ、僕にもね?、慰めてくれてありがとうって」
 辛い、そう表情が物語っていた。
「僕は単純に喜んでた、アスカがまた笑ってくれたから、でも」
「……」
「段々、言うことがおかしいって、気付いちゃったんだ、みんなも僕って優しいんだとかなんとか見直してくれた、でも、お母さんが死んだって言うのに、アスカはとても明るく振る舞ってたんだ」
 それがまさか、と……
「演技だなんて、思ってなかった」
 そして少しずつ、アスカは可哀想な、それでいて強い子だというイメージを固めて……
「僕は、アスカの傍に居たくなくなった」
「どうして?」
「だって」
 儚く笑った。
「嘘吐かれてるって、分かってて、どうして一緒になんて居られるのさ」
 ああ、とレイは理解した。
 相手の笑顔が、言葉が、その全てが演技だと分かるのは、癖を知るほどに親しかった者、つまりはシンジだけだったのだろうと。
 だから、皆は騙され、シンジは息苦しさを増すだけになった、揚げ句……
「付き合いの悪い僕は……、人気者のアスカの誘いを断る僕は」
「シンジクン……」
「まあ、そういうことだよ」
 大きく端折はしょったのは、口にしたくないものが多過ぎたのだろう。
「鬱陶しいだけだって、思われてるなって分かったから、もうアスカに近づくのはやめたんだ」
「うん……」
「だから、分かるんだよ」
「?」
「僕は隠し事をしてるんだ、笑って、付き合ってても、嘘だってばれてる」
「シンジクン」
「そのことで、昔のことが原因なのかって、苦しくさせてるんだ、でも、僕にはもうどうして良いのか分からない」
「……」
「もう良いって……、思わせるしかないのかなって思ったけど……、そんな器用な事も出来ないしね」
「そう……」
 レイは少しだけ悩んだそぶりを見せたが、思い切ったのか、膝立ちになってシンジの頭を抱え込んだ。
 ──胸に。
「レ、レイ!?」
 バランスを崩され、無理矢理もたれかかるように倒された状態では抗えなかった。
「恥ずかしいよ」
「……シンジクン」
 レイはシンジの訴えを無視して、告げた。
「シンジクンは……、隠し事があって、それが原因で辛い思いをさせてるって分かってるから、自分が感じた事だから……、離れたいってきっと思うって、そう決め付けてるけど」
「……」
「あたしは、違うよ?、あたしは隠し事があるって分かってても、気を紛らわせる事が出来るようにしてあげたいって、思うもん」
「レイ……」
「あたしも……、そうだから」
 シンジはズキンと、胸のうずきに顔をしかめた。
 忘れていたのだ、レイの『力』のことを、それがもたらす、見たくはない多くの物を。
 そして見てしまったがために、口にしたくとも、口にした途端に何を言われるか分からず、結局つぐむしかない、胸に溜め込むしかなかった、苦しさのことを。
 どれだけ傷つく、辛いものを知ったとしても……
 決して人に漏らして、心を軽くする事などできないのだと。
「ごめん……」
「ううん」
 レイはシンジの髪に頬擦りをした。
「冷たい……、シンジクン、冷えてるよ」
 ──温かい。
 シンジは逆に、じんわりと伝わって来る温もりに抗えず、レイの体へと腕を回し……、そして。
 そんな二人の姿を木陰から覗き、悔しさに堪え切れず身を翻した、一人の少女の姿があった。
 ──アスカであった。


「ラッキー!、加持さんに食事に誘って貰えるなんて!」
 腕に組み付かれ……、と言うよりも、ぶら下がるようにしてはしゃいでいるアスカの姿に、加持は非常に引きつった作り笑顔を浮かべていた。
「そうか?、シンジ君を探してたんじゃなかったのか?」
 アスカは微妙に動きを止め……、そして強がった。
「はん!、あんな奴知らない!」
「おいおい……」
「いいから!、早く行きましょうよ、食堂!」
 にこにこと。
 加持は気が重くなるのを避けられなかった、世間的にどう見えるか?、彼女の年齢に二を掛けたのがほぼ自分の歳なのだ。
 溜め息が出てしまう、ネルフ内では自分もアスカも有名人だ、アスカはチルドレンであるし、自分は女と見ればちょっかいを懸けていると陰口を叩かれている男である。
 そこまでは良い、事実であるし、そう見えるようにしているのだから。
 しかし……
(高校生に手を出すほど、困ってないぞ、俺は!)
 周囲の視線が痛い、心で泣くのだが、通じるはずもなく。
「とほほぉ……」
「え?、なんですか?」
「いや、なんでもないさ」
 食堂へと辿り着くと、流石にアスカは加持から離れた。
「あ、あたしオムライス」
「じゃあ、俺は秋刀魚さんま定食だな」
「じゃあってなんですか?」
「そっちが洋風なら和食って事さ」
 食券を買い、席に着く。
 加持はふと、窓の向こうに見える森林の様子に目を細めた。
「人工の世界、か」
「え?」
「いや……」
 自嘲気味に。
「ここで働いてる人間の言うことじゃないだろうが」
 もったいぶって……
「ここは世界に破滅が訪れた時、臆病者が一番に逃げ込むために用意された防空壕として作られた、それを思うとな」
「防空壕って……、そんな」
「いや」
 真剣な表情をする。
「ここが作られた本当の目的は、そういうことさ、そしてそのための実験が行われる予定だった、そうだろう?」
 アスカは口篭ってしまった。
 今や完全に破棄されてしまった計画案だが、確かに、シンジがここに篭ると聞いて焦ってやって来たのだから。
「碇さんは……、どうするつもりなんだかな」
「え?」
 もう一つ、今度は意地悪をした。
「ああ、済まない、……シンジ君の話題は無しだったな」
「加持さん……」
 縋るような目にクスリと笑う。
「上の方じゃ、子供達を恐れてるのさ、だからここを解放しようとしている」
「解放、ですか?」
「そうさ」
 声を潜める。
「『エヴァ』の子供達ばかりが居る都市、それは他の街や村で苛められてる子供達の憧れにもなるだろう?、当然、この街にそういう子供達は来たがるし、集う、するとどうなる?」
「どうって……」
「管理し易くなるのさ」
 アスカはぎょっとした。
「管理って!」
 涼しげな顔をして加持は続けた。
「当たり前だろう?、俺達にはアスカ達をどうこうするなんて出来ないんだから、それなら一ヶ所に居てくれた方が安心出来る、ついでに……」
 ごくりと、アスカは嫌な予感を感じて喉を鳴らした。
「何かあった時、処分し易い」
「!?」
「エヴァンゲリオンには自爆装置が搭載された、同じ物がこの街……、いや、本部に仕掛けられてないとどうして言える?」
「そん……、な」
「そして、そんな危険人物の筆頭がシンジ君だ」
「あ……」
 アスカは何かが繋がった気がした。
 レイの秘密。
 ずっと一緒にと縋ったシンジの言葉。
(あれって……)
 告白だったのかもしれない、そう思えた、いや、事実レイのことさえ無くしてしまえば……
「もし……、本当にそのようなことが考えられているのなら、シンジ君がジオフロントにばかり篭っている理由に説明が付けられる」
「シンジが!?」
「不自然じゃないか?、何をするでもなく、一週間のほとんどを森で時間を潰してる、その上、上司と同居して見張られて」
「見張り?、……ミサトが?」
「ああ、監視対象に関する報告書は、俺の所にも回って来てる」
 身を強ばらせるアスカだ。
「監視……」
「監視されてることは、知ってたんだろう?、俺達だって覗かれてると知ってる、けどな、自宅の、自室のことまで……、寝てる時も、起きてる時も、風呂も、トイレまで覗かれてるのは、シンジ君だけさ、ここに篭りがちなのも、そう命令されているのかもしれない、勝手に出歩くな、と」
 そして。
「それを知ってるシンジ君が、『本当のこと』なんて明かせるはずが無い、それがどんな真実……、いや、本当の気持ちや、心であったとしてもだ、口には出来ない、となれば……」
 もったいつける。
「……シンジ君は、一体喋りたいと思った事の何割を口に出来ているんだろうな?」
 言いたい事も言えない、言わせてもらえない。
 アスカはその状況に心当たりがあり過ぎるのか、酷く青ざめて震え上がった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。