(シンジ君は何かを知らされているようだけど……)
リツコはかき乱された心を落ち着けるので必死になっていた。
シンジは確かに何かを知らされているだろう。
しかしそれがとても良い内容のようには思えないのだ。
彼は何かしらの苦悩を抱えているからだ。
何かを知っている連中が居る。
その優位性を用いて、何かを画策している連中が居る。
そしてシンジや、自分が利用されている。
それがむしゃくしゃして叶わなかった。
自分が知らない所で犯罪に荷担させられているかもしれない、それは恐怖だ。
そしてリツコは、大人であった。
(自分が善人だとは思わないわ、けどね)
犯していると同時に、犯させているかもしれない。
それがリツコを、とてもささくれ立たせていた。
「それでは、『ポッド』の展開作業を始めます、準備はいいわね?」
もちろん万端整えられているのはわかっている、再度の確認は緊張からこぼしてしまった物なのだ。
(分かってるからさっさとやれってのよ)
アスカは密かに毒づいた。
肩透かしを食らわされたように感じたのだ、これもまた緊張からのことだろう。
やる、と口にしたのならそのまま始めろ、そこで妙な間を入れるな。
盛大に口にしたいのだが、舌の根が張り付いてしまっていた、周囲の緊張が伝わって来るからだ。
(余程のことなのね)
下手をすればサードインパクトが起きる、そこまでのことは知らされていない。
だが研究員達は違うのだ、これから自分達が何をしようとしているのか?
それが何をもたらすのか?、知らされなくても想像できてしまうのだから。
ちらりとミサトを確認する。
(責任者が現場に出て来て何を担当しようってんだか)
何故リツコではないのだろう?、アスカはふと考えた。
それは歯に物が挟まっている時のように、落ち着きの無さを増大させた。
ポッドの前面が開かれる。
その内側には粘膜のようなものが貼られていた、内部の液体に浮かぶ気泡に揺さぶられて震えている。
破れそうな印象を受けるのだが、そうはならなかった、羊膜のようなものなのだろう。
破れ、破水した時が使徒の誕生なのだろう。
その正面には、エヴァ輸送用トレーラーと同サイズのトラックが用意されていた、荷台にはLCLと呼ばれる液体が満たされている。
これは非常に羊水に近い成分を持った液体だった。
リリスと呼ばれる生体、それに01が沈められていたのもこの液体である。
以前と同じ状態に戻された01の中で、シンジは妙な違和感を感じていた。
(なんだろう、これ……)
肌に纏わりつくような……
それでいてピリピリとした感覚。
(気持ち悪い)
シンジは顔を上げると、エヴァの目を通して使徒を見た。
「え?」
胎児のようで、まだ眼球も無い。
その使徒が確かに自分を見ているような感じがして、シンジは体を硬直させた。
──生徒会会議室。
ぼんやりとしているようで居て、まるでよどみなく書類を捌いていくカヲルに話し掛けたのはマナだった。
「残念?」
「ん?、なんだい?」
マナは言い直した。
「……惣流さん達が呼び出されたのに、自分だけ居残りで気がかりかなって」
「そう見えるかい?」
「ええ、……惣流さんが出て行く時、見送ってたから」
その言葉は揶揄する物では無くて探りであった。
アスカが気になっているのではないのかと。
「僕が、惣流さんを?」
受け答えるカヲルである。
「そうだね……、そう見えてしまうかもしれないね」
「見える?」
お互いテーブルに頬杖を突く。
「心配しているのは確かだよ、僕もまたナンバーズだからね」
「……牽制してるの?」
「牽制?」
「あたし達には利用されないって」
プッと吹き出し、そのまま大きく笑った。
「それは良いね」
「笑うことは無いでしょう?」
「僕は君達に利用されるほど馬鹿じゃないさ」
「そう?」
「惣流さんが好きだから、生徒会に入った、そう思っていたのかい?」
なら何故?、と疑問に思う。
「だったら、どうして生徒会に入ってくれたの?」
「そうだね」
とんとんと、左手の人差し指でテーブルを叩く。
「……全てを見ておきたかったから、かな?」
「見て……、え?」
「わからないかい?」
「ええ」
「全部を見える位置に居るというのは楽しいものさ、僕は主役や脇役になるよりも、観客で居る事に喜びを感じる人間でね、だから登場人物が今、何を思い、考えて、何をしているのか……、それが気になって仕方ないのさ」
「……惣流さんのことは?」
「だから、僕が気にしてるのはシンジ君のことなのさ」
マナは度々シンジのことを引き合いに出すからか、興味を示した。
「碇君、か……」
「そうだよ?、だからシンジ君の好きな惣流さんが何を思い悩み、結論を出すのか、それが気になるのさ、いや……」
考えるそぶりを見せた。
「その過程を楽しみたいと思っているのさ」
呆れ返る。
「悪趣味……」
「そうかい?、でも気になる人のことは何でも知りたいものさ、そうだろう?」
「ストーカーって言わない?、それって」
「さあ?、でも今の立場が意にそぐわないものだと言うことは言っておくよ、観客として最も近しい立場だと思ったんだけどねぇ……、どうにも嫌な予感がするのさ」
「予感って……」
困惑するマナに告白する。
「……君達の不安は、『選外』にいるチルドレンの代表となった途端、僕が呼び出されなかった事にあるんだろう?、ネルフの『驚異』となるかもしれない懸念を抱かれて、阻害されたのかもしれないってね」
確かにそう思ったから口ははさめない。
「僕は……、そこまでネルフの大人達が『腐っている』とは思っていないよ、むしろ『人としての域』を出られない君達こそが哀れなのさ」
マナはドキリとして青ざめた。
カヲルの余りに冷たい目線に硬直させられる。
「卑屈さ故に疑心暗鬼に囚われ、何もされていないというのに不安から猜疑心に取り付かれる、揚げ句の果てが怖いからと暴力で排除行動に訴える……、弓と同じだね」
「弓……」
「そう、弓だよ……、今は引き絞られている段階さ、そうして緊張感は高まって、いつかは的へ放たれる、それがいつになるかまでは知らないけどね」
シンジは取り付かれたように胎児の『目』に魅入られていた。
実際には存在しない『目』にである、それこそ吸い寄せられるように……
シンジの心は酷く不安に束縛されていた。
考えたくも無い事ばかりを考えてしまう。
そしてその頂点にはレイが居た。
(父さん)
知らず、もごもごと口の中で呟いてしまった。
それは以前に聞かされた話だった。
──レイの出生の秘密。
それだけではない。
彼女には重過ぎる役割があったのだ。
──いずれ擁立されるべき女王としての役割が。
けれどそれは今は知られてはならない、エヴァと同じく彼女は『遺産』である、その能力は未知数なのだ。
現在顕在化している力などはその一端に過ぎない、というのが聞かされた話だった。
その真実を確かめる術は無い、どこまで本気なのかも分からない。
(父さんは……、女王は言い過ぎだって、言ってたけど)
不安になる。
導くべき者、としては、彼女以上に適任者は居ないのかもしれないのだ、何しろ未来を見られるなど、彼女にしか出来ない事なのだから。
──不安の理由は心配だから、それだけではない。
渚カヲルである。
唐突に現れた彼は、実はレイに自分と同じ物を感じていると語った、『同じ物』をだ。
(だとすれば……、カヲル君はレイと同じなのかもしれない、レイと……)
それは胸の痛みであった。
カヲルが同じく『遺産』だと言うのであれば、レイと同じ話が成り立つのだ。
実際、能力の無効化など、これ程強力な能力は無いだろう、そのカヲルが『王』としてはどうなのか?
『王』と、『女王』、それに相応しい二人が居るのだ。
──では、自分は?
(関係ないって事なんだ……)
胸が、苦しい。
二人がお似合いだとする時、容姿や性格などでは無く、その本質における組み合わせだということになる。
これに異を唱えることなど不可能だ。
口を挟む余地など無い、それに……
(いずれ『綾波』は、知る時が来る)
その時、レイは自分を嫌うだろう、その時、カヲルをどう思うだろうか?
仲間?、それ以上?、ならばカヲルに対して持つのは親近感か?、……ならば不誠実を働いておくなど以ての外だ。
それは先日、ミサトに諭されて考え始めたことの一つであった。
あり得ないかもしれない友人の友達関係に苦みを含ませたりしないよう、今からとても注意している。
いつかカヲルとレイが恋人になるかもしれない、その時自分のことが横たわれば複雑になる、だからどうしても引き下がるしかない。
そう考えていながらも、レイに何か出来るほど、シンジはいい加減な真似など出来なかった。
──グルルルル……
突如として、01の唸りが聞こえた。
シンジははっと、使徒の呪縛から逃れえた。
(分かってる……、わかってるよ)
険しく、思い詰めた顔をする。
(僕はいずれ、居なくなる……、君と一緒にね?、それが約束だから、だから……)
こんな悩み、いつかは気にしなくてもいいようになるんだと。
シンジが自棄を起こした時、状況に変化が現れた。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。