厚手の防寒服を着込んで、ミサトははぁっと白い息を吐き出した。
「ここは寒いわね」
「地下何キロにもなりますからね」
 隣にいる日向マコトなどは、防寒服のフードまで被っている。
「普通は地熱で暖かくなるんでしょうが」
「遺跡の壁が熱を通さない?」
「赤木博士はそうだろうと……」
 リツコか、とミサトは思う。
 自分達は何かに躍らされている、そんな気がしてしまうのだ。
 かき集めた情報から考察を繰り返し、真実を作り上げたかと思えばあらたな情報を与えられ、出直しを要求される。
「リツコは使徒は侵略者の兵器だって言ってたけど」
「ここで生産されてるのが見つかったって事は、少なくとも『白き月』の側だけが持っていた兵器じゃないんでしょうね」
「技術は両方にあったみたいだしね」
 何気に口にする。
「もしかすると、エヴァこそが侵略者であって、使徒は防衛兵器なのかもしれないわね」
「抗体、ですか?」
「ええ、そうとすれば中心区画へ向かうほど強力になって行く理由の説明が出来るわ」
 でもそうすると、と。
「セカンドインパクトの原因について、糾弾の声が上がるでしょうね」
「え?」
「だってそうでしょう?、使徒が『こちら』の兵器なら、自爆装置くらい付けてから送り込むでしょうし」
 ぞっとした。
「特攻兵器……、ですか?」
「ええ」
 ミサトは真っ暗な中、ぼんやりと浮かび上がっている筒を見上げた。
 半透明の甲殻類の殻に守られたその中には、形態不明の生物の幼生がたゆたっている。
「こいつが防衛兵器か攻撃兵器なのか、それだけでも調べたいわね」


「これが使徒……」
 呆然と見上げたシンジは、感嘆とも驚嘆ともつかない震えた声で呟いた。
 ポッドの大きさは十メートル近い、エヴァよりは小さいが、横幅があるので匹敵している様にも感じられる。
 全ての使徒がそうであるように、この使徒もまた今は小さかった。
 四メートル程度の胎児である。
「さ、シンジ君達はエヴァで待機して」
 ぱんぱんと手を打つ。
「これから本格的な調査を開始するから、三人で調査団を囲ってATフィールドを展開してちょうだい」
「守れ、ってことですか?」
「ええ、何も起こらなければ問題無いんだけどね……」
 何かがありそうだ、そんな予感を感じさせる不安な言葉に、シンジは遠ざかりながらも何度も振り返った。
「もう使徒だって決め付けてるんだな」
「なによ?」
「え?、あ、うん……」
 聞き咎めたアスカに説明をする。
「……上じゃ、使徒か、エヴァのプラントだって聞いたから」
「そういやそうね」
 気楽な調子で。
「ま、どっちでも良いと思ってんじゃないの?」
「え?」
「あんたバカぁ?、プラントを確保するって事は、利用する事が前提でしょうが」
「エヴァの様に?」
「ええ」
 シンジの表情が強ばった。
 落ち着き無く動いた視線を追いかけて、アスカはシンジが何を気にしているのかに気がついた。
(あ……)
 レイである。
 その能力を頼られて、研究チームから注意点をレクチャーされているのだ、ここに注意していてくれと、こんがらがりそうになる情報に目を回しているようである。
(そっか……)
 いくら何も教えてもらえなくても、これまでのことを整理すればある程度の事柄は見えて来る。
 こういったものに執着するというのは大人の欲なのだろう、その『おもちゃ』が与えてくれる利や益を夢して涎するのだ。
 だからこそ始末に負えないのだ、子供のように欲の果てが無くても、具体的ではないものではないからだ。
 具体性を欠く子供の欲望は害が無い、タガが外れない限り無邪気で収まる。
 しかし大人の欲は違う、確たる形を持って求められるだけに、手段がとてもえげつなくなるのだ。
 目標が見えないだけに、なにをすれば良いのか分からない、だから子供は無軌道になる。
 大人は欲する物があるから手に入れようとして動く、だからこそ目標へ辿り着くために取る手段を肯定する。
 例えどのようなものであってもだ。
 言い換えれば、無自覚と確信犯の差が横たわっていた。
 無軌道で無自覚な犯罪は衝動的なものが多い、一見して危険に見えるが、根は浅い。
 大人は表層的なものは覆い隠し、裏で如何様にもえげつない論理を行使する。
 そこでシンジがなにを不安に思っているのか?
(レイは……)
 彼女は何かの鍵である、それは直感していることであった。
 この時始めて、アスカはシンジの懸念を読み取った。
 どうしてシンジが、あれ程までに焦り、自分に秘密を強いたのか?
 このことが知られれば、レイは……
 ──ごくりと生唾を飲み下す。
 シンジが先へと歩み去ってしまっても、アスカは暫く動けなかった。


「駄目だっ、危険過ぎる!」
 その頃、ネルフの上層部では一悶着が起こっていた。
 正確には上層部と、そのさらに上とであるのだが。
「さよう、十五年前の悲劇を忘れたのか!」
「碇君、我々は確かに『王』を求めている」
 ひときわ威厳のある老人が語り出した。
「しかし『兵』を求めている訳ではないのだよ」
「『計画』は順調に進行している、ここで無理に危険を犯す理由は無い」
「ですが」
 ゲンドウは食い下がった。
「プラントの確保、その重要性は御承知の通りのことと思いますが」
 ダンッとテーブルが叩かれた。
「だからこそ言っているのだ!」
「リスク無しに得られる物ではない!、そして負いかねるリスクだと話している!」
「十五年前、同様の施設によって起こった『事故』を繰り返す気か!」
「……十五年前のミスは認めましょう」
 ゲンドウは冷笑した。
「確かにあれは『プラント』起動によるものでした、捕獲した使徒の調査自体は順調に行われ、その記録は今も『エヴァ』の開発設計に役立っております、これまでは従来のエヴァで事を治めておりましたが、使徒の強力化はチルドレンの成長幅を超えて下ります」
 ううむと唸りが上げられた。
「チルドレンの覚醒か」
「はい……、危機は成長を促します、それを求めてチルドレンの中でも有望株に対して試練を課して参りましたが」
「このままでは、潰されてしまうと言うのかね?」
「チルドレン単体での使徒への拮抗は不可能でした、そのためにエヴァと言う『道具』を与えました、それに触発されてのチルドレンの成長には著しいものがありますが、使徒の強大化はその速度を上回って下ります」
「それを補うためにも、か」
「使徒と生産のメカニズムが解明されれば、より強力な『エヴァンゲリオン』の開発も容易となるでしょう」
 皆一斉に沈黙に入った、考えているのだ。
 その能力、力がもたらしてくれる利益の大きさを。
「……よかろう」
 老人が許可を下した。
「だが『暴走』は許さん、忘れるな」
 ブン、と消えた、フォログラフィが消えた事で会議は閉幕となったのだ。
 明るさが取り戻されるのを待って、冬月が歩み寄った。
「わたしには理解できんね」
「……」
「権力にしがみつく妄執、それは理解出来るよ、だがならばなぜ自らが権力者となることを望まないのだ?、頂くべき王を求める?」
 ふっとゲンドウは冷笑した。
「権力者だからだよ」
「なに?」
「力を追い求めた者は、その果てに空しさを持つものだ……、自らが手に入れた物を継承するに値する存在がいないとなれば焦りもしよう」
「だから子供達を求めるのか?」
「そうだ、特に彼らの歴史は何百年に及ぶのだからな、その果てに愚者に明け渡せばどうなることか」
 それは『下々しもじもの者』には理解できない懸念であったのだろう。
 冬月も当然のように困惑した。
 ──何百年にも渡って闘争を続ければ、その背景にあるものはとことんにまで整理される。
 本来であればそれを引き継ぐ者は居たのだ、表層で行われている衝突、権力争いも、親の親元にまで至れば子供のじゃれあいと冷笑して受け止めている程度のものにすぎない、絶対的な柱さえ揺らがなければ問題は無いはずであった、そうすれば『秩序』は連綿と続いていくはずであったのだから。
 だが……、セカンドインパクトがその『秩序』に破綻をもたらした。
 後継者が失われてしまったのだ、このため彼らの元を去ろうとする人間が続出した。
 やがて現在の『法』は失われる、その時、生き残るためには『旧体勢』にくみしているわけにはいかないのだと。
 自分を法とするために、勝手な動きを見せているのだ。
 新たな世紀を、自分達の手に収めるために。
 ……その手綱を再び引き絞るために必要なのは、力を備えた存在であった。
 誰もが後継者と認める、恐怖を秘めた『王』である。
 でなければ世界は中世にまで逆行する、それが彼らの認識であった。


「よう」
 廊下を颯爽と歩いていたリツコを待ち伏せしていたのは加持であった。
 脇腹を掴むようにして組んでいた腕をほどき、手を上げて見せる。
「下の騒ぎを聞いてね」
 立ち止まろうとしないリツコの後を追い掛けた。
「プラントの調査、君が押したんだって?」
「ええ」
「どうして、また?」
「どうして?」
 リツコは立ち止まる。
「……使徒、そしてこの遺跡の調査研究は最優先課題でしょう?」
 加持の目が細められた、冷たく鋭い光を宿す。
「本気で言ってるのか?」
「……本気よ」
「だが動機は嘘だな」
 彼はぴしゃりと言い放った。
「君は知っているはずだぞ?、セカンドインパクトの真相を」
 リツコは歯を食いしばるようにして、ええ、と唸った。
 セカンドインパクト。
 その真相は先にゲンドウが語ったように、『プラント』の起動に伴うものだった。
 発見された使徒、その調査研究のために組まれたチームが、やがて危険視する声を無視して、探求心からプラントに手を付けたのである。
 だがそれが漏れれば問題となろう、国への突き上げのようなもので済むはずが無い。
 必ずそれを理由に、国家間の取引きで優位に立とうとする者が出るはずだった、その軋轢は戦争へと繋がる、だが『裏』の者達は後継者を無くした事もあって、現状以上の混乱を望まなかった。
そのため、平穏に収めるために、『使徒』のせいだと真相はすり替えられたのだ。
「ブラックボックスだらけのプラントは、どこが破損しているのかもわからなかった、それを起動したために炉が暴走して、セカンドインパクトは起こったんだ」
「……」
「そしてその研究チームを指揮していたのが葛城の親父さんだった、……その葛城が、いや、娘が親と同じてつを踏もうとしている、踏まされている、踏ませようとしていて何とも思わないのか?」
 リツコは毅然と言い放った。
「ええ」
「赤木!」
 キッと詰め寄る加持を見上げ、威圧を持って圧し返した。
「その様子だと、あなた……、色々と調べてるようね」
 加持はぐっと詰まったが、認めた。
「……ああ」
「そう……、でもね」
 冷笑する。
「わたしは何も知らないのよ」
「赤木っ」
 その表情にぞっとした。
「お前……」
「何も知らないの……、教えても貰えない、それが我慢できないのよ」
 リツコの内面で渦巻いているのは、ゲンドウに犯された唇のことであった。
「何もかもを知っている人達が……、何も知らないわたしを笑っているのよ、だからわたしはわたしなりに得られるものを手に入れさせてもらうわ」
「そのために葛城や子供達を危険な目に合わせるというのか?」
 逆よ、とリツコは呟いた。
「逆?」
 リツコはそれ以上語らず背を向けた。
 去っていくリツコを追いかけられず、加持の右手はさ迷うのだった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。