「ん?」
作業員の一人が首を傾げ、それを見掛けた別の男が嫌そうにした。
「なんだよ、おい」
設置された灯もあまり意味が無く、貪欲に闇は光を吸収して、この生物のはらわたのような空間を暗く、赤黒い色に変色させていた。
男達の横にあるのは発見された生体を移し変えるための巨大輸送トラックである。
その大き過ぎる水槽が金色の輝きを揺らめかせている、中には既に移し変えられた幼生体が沈んでいる。
二人が見上げているのはその生き物であった。
「……なぁ、今」
自分で話すように呼び掛けたくせに、男は彼の言葉を遮った。
「良い、言うな、やめろって」
「けど……」
未練たらしく引きつった顔をしている、笑っているようだが、本当は否定してもらいたいのだろう。
「だから、やめろって」
男は言った。
「そういうのはな、口にしたら本当になるんだよ」
「……そうかな」
「そうだ、だから……」
男は彼から目を離して幼生体を見上げ……
「……」
引きつった。
──ギョロリ。
幼生体の目が……、いや。
使徒に眼球が発生していた。
LOST in PARADISE
EPISODE25 ”芯”
「退避ー!、退避ぃーーー!」
金切り声が上げられる、叫びと罵声はもたもたしている下っ端へと向けられたものだ、叫んでいるのは責任者であり、監督である。
彼らは皆が逃げ切るまで場を離れる事が出来ないのだ、大した責任感である。
しかしこのような状況下では、徒に混乱に拍車をかけるだけだった、そしてそれがさらなる混沌を生み出して、より退去を遅らせ、また焦りを余計に増長させる。
「ちょっと!、足元うろつくんじゃないっての!」
アスカは苛立ちから悪態を吐いてしまった、蟻のように足元を流れる人が邪魔をして進めないのだ。
見れば斜めに走って避難の流れを滞らせたり、突き押されて倒れたりと無茶苦茶である。
「くっ、このままじゃ……」
前を見る、エヴァがその動きをトレースして顔を上げる。
荷台の容器は状態を観察しやすいように、特殊鋼を用いられていた。
これは鋼鉄並みの強度を保持しながらも、分子結合に細工を加えられて下り、ガラスのように光を透過させる性質を持っていた。
ガラスではなく、鉄なのである、それも、人工的に作られた。
悪趣味な光景だった、胎児が少しずつ成長していくのだ、容器はその圧力に負けて膨張を始めて歪んでいる。
押し付けられた体がぺったりと張り付いて見える、そろそろ容器に限界が来るだろう、そう予感した時、その通りになった。
バン!、固定ボルトが弾け飛んだ、ギュキキキキキ、嫌な音を立てて歪んでいく。
シャーーー……、角の密着が解けてLCLが流れ出した。
アスカは慌てて駆け出そうとしたが、やはり人を踏み潰しそうになってたたらを踏んだ。
『アスカっ、何やってるの!』
もたもたしてるアスカに叱責が飛ぶ。
「みんなが邪魔なのよ!」
ミサトはアスカの言葉にぐっと唸った、焦りから口にしてしまったがそれはそうだ。
ミサトもまた混乱の最中に居た、もっとも、逃げようと言うつもりがないのか落ち着いて見える。
指揮車の戸を開いて中の無線機のマイクを引っ張り出していた、ミサトから見ればアスカがもたついているように見える、それは確かにそうなのだが、仕方の無い事ではあるのだ。
ミサトは咄嗟に飛べばいいと口にしかけて黙り込んだ、それが先の唸りの原因であった。
第一に天井が低過ぎる、第二にアスカの能力は『加速』である。
この状況下で02の機体を浮遊させるほどの分子加速を周囲の空間に発生させればどうなることか?
ミサトは他に何か、と言いかけて、うつぶせになったまま天井付近に張り付き、泳いで来る01に気がついた。
「シンジ君!?」
アスカの02を追い抜いて01は進む。
「ミサトさん、下がって!」
『けど!』
「あれは使徒だよ、敵だ!」
その言葉にピクンと反応したのはリツコだ。
(使徒?、それを敵だと判断するの?)
使徒はこの黒き月侵攻のために送り込まれた兵器であった、それが初期の説であった。
その後に、守備側もまた同様の兵器を使用していた感が大きくなった、故に、初期の説は誤りでは無かったのかと疑念が湧いて、現在は判断を付けるための材料を探している状態にある。
現在、自分達はかつて攻め入った者達と同様に『敵』であろう、そしてシンジが使徒の発する『敵意』を感じたというのであれば……
使徒はやはり、黒き月のものかもしれないのだ。
「退避状況は?」
「九十パーセントが完了しております」
「レイ、使徒の様子を報告して」
『どんどん成長してる!、説明なんて無理!』
悲鳴に対して、リツコはなんらの感慨ももたなかった、その返答を予想していたからである。
生命は卵子に精子が取り付く事によって受精し、核分裂を開始する、その後の成長は言葉に言い表せるほど単純ではない。
大体がどのような生物であれ『有機物』なのだ、同じ蛋白質がこうも違った形状を構成するなど想像を絶する事なのである。
そうである、と単純に『結論』だけを口にすることは簡単であるが、途中経過を事細かに報告しようとすれば、コンピューターですら画面表示が追い付かない。
「予測も?」
『力は使ってますけど、『模索』して見るみたいにあやふやで、ああでもない、こうでもないって、霧でもかかったみたいにぼやけたかと思ったら、また別の『方向』に変わってるんです!』
なんてこと、とリツコは呻いた。
それが本当であれば、使徒は『運命』を自分で創造していることになる。
人は運命からは逃れられない、事象は分子の運動の作用によって、生まれた時から終焉まで、全ての活動が決定付けられているからである。
それに逆らうことが出来るのは人の意志、思考だけだが、もし決定付けられている分子運動に逆らった行動をしようとすればどうなるか?
妙な抵抗を感じてしまうだろう、そのため、転んだりと言う事もあるのだ。
だがそれは、人間が運命の枠を自ら飛び出し、自力で歩いた証明でもある。
ただし、世界はその程度の現象は『誤差』として吸収してしまう、大量の誤差を発生させたとしても、その影響が出るのは何千年も後のことだ。
『今』ではない。
(それをあの使徒は、生まれから自分で決定しようというの?、あの状態から!)
今、必要な形状は、能力は?
それを模索していると言うのだ、『思考』していると言うのである。
(なんて『高等』な『生物』なの!)
自動で行動するだけの人工知能には不可能な能力であった、あの使徒には状況を鑑みるだけでなく、恐怖心からか何故か、明らかに意思を持った活動をしようとしているのだから。
加持リョウジは呆然としているリツコの背中越しにモニターを見ていた、01がふわりと舞い降り、作業員達を背に、使徒の乗ったトラックを前にした。
使徒を睨み付ける01、使徒もまたたった一つのぎょろりとした眼球で01を見返した。
──グルルルル、発せられた唸りは果たしてどちらからのものだったのだろうか?
だが間違いなく、見て分かった事があった。
ズリッと、01が左足を引きずるように後ずさったのだ。
「シンジ君が……」
ミサトは本能的な恐怖を覚えた。
これまでにもそのようなことはあったのだが、『背中』に不安を覚えさせられるような事は無かったのだ。
それだけ相対的な『力』が大きかったのだろう、シンジと01の組み合わせは。
パシャ、髭のようなものが水面を跳ねて水槽の縁に『手』を掛けた。
ザァアアアアア……、引きずり上げられた体から黄色い液体が流れ落ちて飛沫を上げる、こうなると色の着いた水などはグロテスクなだけだ、その効力の素晴らしさなど気にもならない。
そしてまた、水の匂いと味が血に酷似しているのも悪趣味だった。
「アノマノカロリス……」
リツコの呟きを正確に理解出来た人間は居なかった、だが口調からそれが生物の名前であることは明らかだった。
「くっ!」
シンジはのっそりと姿を現した使徒に対して銃口を向けた、それもまた珍しい光景だった。
普段シンジは武器を使わないからだ、このライフルもまた00のレイから借用して来たものである。
ばらまかれる銃弾、使徒はその弾丸をATフィールドを張ることなく背中で弾いた。
「そんな!」
目の当たりにしたミサトが目を剥く。
「『遺跡』の壁ですらパレットガンの集中放火を浴びればえぐれるってのに、それを弾くの!?」
うわああああ、っと悲鳴が上げられた、跳弾が味方に向かったからだ。
「馬鹿!、周りの被害を……」
言って後悔した、その跳弾はアスカがATフィールドで防いだからだ、自分こそ焦り出からぶっていると言う証明だった。
シンジは危険を感じて先鋒に立ち、その行動をアスカがサポートしている、見事な役割分担だ。
しかし違和感は否めない。
(シンジ君が最初から前に出るなんて今まで無かった!)
いや、一度だけあった、それは……
──背中がぬめるように汗をかいた。
第三使徒、初めて使徒の存在を認識させられたあの日。
絶対的な窮地に陥り、為す術も無くレイが追い詰められたあの時。
誰よりもシンジは前に出ていた。
(レイやアスカでは敵わないって言うの!?)
『ミサト!』
アスカの言葉にはっとする。
『なにぼけぼけっとしてんのよ!』
「え?、あ」
『あ、じゃないっての!、あんたが居ると邪魔なのよ!、シンジもアタシも本気でやれないでしょうが!』
ようやく退避が完了しかけている、もう車で逃げる事も可能のようだ。
「わ、わかったわ」
『早くして!』
アスカの罵声に尻を叩かれ、ミサトは慌てて車の席へと飛び乗った。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。