──キチキチキチキチキチ。
暗闇の中にその音が鳴り始めたのは、深淵の静寂に騒音が持ち込まれた瞬間だった。
──ガァアアアアア……
トラックの走行音、ライトが赤黒い壁を照らすと、『何か』が逃げた。
キッとブレーキの音を響かせる、電動式の車が用いられているのは、もちろんここがジオフロント直下に広がっている『迷宮』だからだ。
空気があるとはいえ、そのその成分の比率は確かめるまで分からない、ガソリン車の排気ガスがどんな影響を及ぼすのか分からないのだ。
トラックの扉が開く、降りて来たのは宇宙服のようなスーツを着込んだ二人組だった。
左腕部のセンサーを操作する、酸素、炭素……、OK、基準値だ。
相棒は頷くと、トラックの後部のコンテナを叩いた、ゴンゴンと。
「仕事にかかろう」
バシュッと空気の抜ける音がして、コンテナ左側が開いていく。
乗っていたのは研究者らしい一団だった。
「やれやれだな、今回もこれの出番はなしか?」
振り回して見せたのは簡易型の携帯酸素ボンベだった、口に咥えて使う、オカリナ程度のサイズのボンベだ。
「全くあり得ない事だよ、地下四キロ……、いや、地上からすると五キロの深度で、大気成分が地上と全く変わらない、動植物の気配も無いというのにだ、……使徒は除くがな」
不吉な事を言わないで下さいよ、と笑いが起こった。
「さあ早くクリーナーを設置しよう」
トラックからカートに乗せて下ろされたのは、チルドレンの協力によって生み出された空気清浄機だった、大きさは高さ二メートル、幅は三メートルと言ったところだろうか?、何台かある。
それにごちゃごちゃとしたオプションを装備させることで本来の形を取り戻す作りになっていた。
今まではコンプレッサーを数珠繋ぎにして空気の入れ替えを行っていた、人が一人二人やって来たからと言って問題が起こるほど空気は薄くないのだが、さすがに何十人と総掛かりで作業をすれば汚れてしまう。
何と言っても風が無いのだ、この地下には。
汚れた空気はいつまでもその場に留まる、今まではこれを解決するために巨大なファンを設置したりと、異常な手間を掛けて来た。
それらがこの清浄機一台で解決してしまうのだ。
「全く……」
それは正に人とチルドレンとが正しく協力することで生み出せた産物だった。
普通の社会に生活しているとこのような物は必要にならない、それはそのような発想を得る機会がないということだ。
だからこのような状況下で、この問題に対処出来る物が欲しいと口にされても、創造出来ない。
逆に彼ら調査隊は、そのようなものを欲してはいても、開発するだけの技術力が無かった。
両者が組み合わさる事で、初めて双方の問題が解決されたのだ。
「いずれは我々の仕事も奪われますかね?」
「どうかな?、便利屋は彼らになるかもしれない」
「どうしてです?」
「それはそうだろう、今はここだけだが、世界中で彼らの能力、知力は必要とされるさ、当然注文は世界中から送られて来る、それだけ困ってる人間は多いからな」
なるほどと話しかけた男は納得した。
「その全ての現場にチルドレンが関る事は物理的に不可能だと……」
「そうさ、結局自分達の社会の仕事は俺達自身でやるしか無いんだ、ただどうにも出来ない困ったことは出て来るだろうからな、その時どうにかしてくれる存在があるのだとすれば……」
「頼りたくなりますね」
「今はここだけに留めているがな、国会では新しい動きもあるそうだ」
「動き?」
「国際救助、援助組織の創設だよ」
彼は渋い顔をした。
「あれですね……、千九百年代の自衛隊問題の引きずりで出て来たって法案」
「そうだ、自然災害に自衛隊を派遣してたせいで、専守防衛以外の出動が頻繁になった、曖昧になったんだな、存在意義が、そのために戦地への派遣も行われてしまった」
「ありましたね、そういうの」
「ああ、日本は軍隊を持っているのに協力しないと言われた時に、救助、援助のために派遣すると言う逃げを打てる、これは魅力だったんだろうが、世界はそうは見なかった……、銃を持った訓練された部隊が軍隊以外の何に見える?、まあ当たり前だな」
「それで今回の分離ですか」
「軍隊は軍隊として存在を位置付けて、災害救助隊を別に作る事で明確に役割分担を行おうって腹なんだろうな、そうでもしないと世界紛争に巻き込まれるから」
「俺には第三新東京市がらみの特需を援助隊を使ったボランティアで還元しようとしてるだけに思えますがね」
「そうか?」
「そうですよ、しかも自衛隊や戦自、消防なんかからも人を集めておいて、機材や育成費に金がかかり過ぎるとなると、もっと便利なチルドレンを担ぎ出そうとしている……」
「助けてもらえる人間はかまやしないさ、そういうことは」
「そうですかね?」
「安全な政治家連中はせこいとか何とか喚くだろうがな」
「本部の連中には悪いですが、やっぱり良い気はしませんね、子供達の待機がその予行演習かと思うと、俺達って救助されるために送り込まれてるみたいで」
やめろ、と彼は言った。
「そういうことを言うとな、本当に……」
引きつりながら言葉を区切った上司に彼は首を傾げた。
「どうしたんです?」
「いや……、デジャヴってやつかな?、前にも確かこんな会話を」
その時、うわぁっと悲鳴が上がった。
「『使徒』だぁ!」
ああ、やっぱりな、と。
彼は妙に座った腹で、非難誘導のために溜め息を吐いた。
LOST in PARADISE
EPISODE28 ”選択”
「ああもうひっさびさにゆっくりしてたってのに、なんなのよ!」
移送用トラックの中、そう愚痴るアスカにシンジは僅かに苦笑した。
「仕方ないよ……、怪我人が出なかったのが不思議なくらいだって話だし」
「アタシが言ってんのはっ、そういうことじゃないのよ!」
まったく!、っとふくれっつらになってそっぽを向いた。
(わかってないんだから!)
普段は生徒会だの何だので忙しく、対して奔放過ぎるほどに自由なシンジを繋ぎ止めておく時間が取れないアスカだ。
暇があったら何をしようとしていたのか?、それは言うまでもないだろう。
ちらりとレイを見ると、同じように苦笑していた。
こちらは00の実験のために駆り出されていたので、別段どちらでも良いらしい。
「とりあえず現状を報告するわね」
ミサトがきりりと表情を引き締めた。
「発見された時、使徒は一メートル大の蜘蛛……、というよりは蜘蛛型のダニに近い形状をしていたらしいわ」
「あの赤くて小さい奴?」
「色は違うけどね、作業員は応戦することなく速やかに撤退、それが善かったのか悪かったのか……」
「なによ?」
見て、と車載テレビをつけた。
「これって!?」
驚くアスカだ。
画面には器材に取り付いて、腹の下から何かの液体を出し、溶かし、それをすするように吸収している使徒の姿が映されていた。
「げぇ……」
吐きそうになって口を押さえる。
その横でシンジは難しい顔つきをした。
「……使徒が、食ってる?」
「ええ」
ミサトは慎重に答えた。
「リツコもその点を気にしてたわ、使徒は別にエネルギーを吸収しなくても巨大化できる、それは使徒を構成している物質は光のような物だから……、わざわざ糖分のように『物質化』しているものを取り込まなくても、直接『素粒子』を摂取出来るからのはず、なのに、ってね?」
食物摂取のための『器官』そのものが違うのだ。
人は口で食べ、胃と腸で消化し、分解、吸収する。
対して使徒は、全身で捕食し、その物質、大気の組成構造を、必要としている形へと直接変換する方法を取っている。
人が科学によって合成物質を作り出し、それを薬として栄養補給するような機械的構造を、使徒は体内に生体として組み入れているらしい。
わざわざ『捕食』するような段取りを踏む必要は無いはず、なのに……
「どういうことなんでしょうか?」
「さあ、ただ今までと違う、それだけで十分よ」
シンジは一人ごちた。
(今迄のつもりでいると、危ないって事か)
「到着よ」
キキィとブレーキ音が中にまで聞こえた。
がくんと震動に車両前方へと体を揺らされてしまう、シンジは何となく踏ん張って、アスカの体重を支え受けた。
「またワシ、留守番ですか」
その頃、本部ではトウジが拗ねていた。
「3号機の調子の悪さ、知ってるでしょう?」
リツコがなだめる。
それでも黒いプラグスーツを着込んだトウジは、気難しいしかめ面のままで腕組みを崩さなかった。
「それを何とかしてくれんのが、技術部やないんですか?」
さすがにむっと来たようだ。
「言ってくれるわね」
マヤの手元をのぞきながら、リツコは剣呑に言い返した。
「不調はあなたのせいなのよ?、安定しないシンクロ率、精神的な不調による調整の難航、いつでも出撃出来るようにするということはね、いつでも出撃できる状態に調整しておくということなの、せっかく調整をやり直したって言うのに、今日の貴方のパターンはまた変わってる、実戦があるかもしれないって気負うのは勝手だけどね、緊張のし過ぎでアドレナリンが出過ぎてる、これじゃあ暴走してくれと言ってるようなものだわ、だから技術部としてはあなたの出撃に了解を出せなかった、わかる?」
ぐうの音も出ない、かと思われたが、トウジは真っ青な顔になった問い返した。
「やったらワシ、いつまでも出られんっちゅうことですか?」
「そうね」
問題は03ではない、トウジなのだ。
さらに追い打ちをかける。
この余裕の無い時に苛立つ事をされた仕返しだろう。
「このままじゃパイロットの交換もありえるわね」
「そんな!」
「出られないパイロットより、多少質は落ちても出せるパイロットの方が使えるもの」
それが紛れも無い事実なだけに、トウジの顔色は白くなった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。